2024年06月05日

【宇宙な?】地球の有史文明への貨幣制度の導入とは何であったのか?

↓3)記稿.2024/06/05

> 世界の支配が、貨幣を介して蠢くようになったのは、ソロモン王のイスラエルを境にするらしい
> それ以前がどうだったかを平行宇宙諸々と想像するに、ローマ帝国以上に殺伐としていたくせぇ
> だがそれとて、貨幣に執着するように仕向けたことで、終止符が付きやすくなった???‥‥


 ‥つまり、貨幣制度の導入とは、終止符(節目)の創出にあった様に思われる
 誰の目にも勝敗がとても判りやすくなったどえす
 (この頃から、朧な内国為替×外国為替×送金為替×取立為替を含む類似案があったかも知れん)

 1)判りやすくなったからこそ、誰しもが、拝金収拾意欲に掻き立てられる様になった
 2)インチキをしてでも欲しいものは欲しいとした貪欲さの総集大会に傾れ込んだ
 3)一番に儲かるのは、暴力だとして、戦争力こそ一番な搾取の常套手段に定着した(中央集権化)
 4)多神教を一神教に改竄せる御輿担ぎに及んだ‥(秘守思想の始まり)
 5)科学が台頭したことで、其を唯物論としてもて囃した‥(大衆の無知無力化)
 6)ガス抜きにも世界人権宣言を公布するが、その実は、貸付制度の整備×調整のみ(ローン奴隷)


 拝金時代到来=一神教=唯物論=対立的好戦的自己中とした正当化
 イスラエル=ローマ帝国(奴隷制度)=イギリス産業革命(国債)=石油兌換米ドル(個人ローン)


> まぁ早い話が、権益を主張する上での説得力たる前提が
> 暴力であれ、派閥であれ、土地であれ、血であれ、金塊であれ
> 「安定的に吸い上げたい」とした腹黒さありきに変わりなし


 そこにはあずかり知らぬ所で決められたルールに従うべき平等を強いるばかりで
 世界人権宣言も糞もねぇ

 (それこそ支配側を批判したければ、同じ土壌にまで来いと言わんばかりどえす)
 (何という傲慢、何という強慾、何という面の皮の厚さやッ‥‥だがしかし‥‥)



1-3)1

> 苦労をして贅を手に入れた富裕者は、努力もそこそこのお調子者が嫌いです
> 他者を従えるのが好物な御仁は、自分に媚びない無口スルーな輩が嫌いです


 一方は、自らを磨く努力を自らに課し
 一方は、自らを磨く努力を、他者に課してその才を集約することで拡張を狙うどえす

 (そして、どちらも能力主義に帰結するどえす)
 (まぁ結局は、好き嫌い上等とした主張にあるだけですが)


> では、質問です
> 才覚を芽生えせる原点とは何でしょう?(ここ重要)


 ‥「それは、得たいと思う貪欲さどえす」
 ‥「それは、得たいと思う貪欲さどえす」

  得たいと思う貪欲さ(積み重ね)を発揮せぬ者に、才覚は発動しないどえす
  筋トレ然り、勤勉さ然り、美容然り、好き好き然りどえす
  得手不得手はあれど、それぞれに対して、極めんとした貪欲さを発揮しないのでは無理ッ

  (其をやれないタイプほど、無駄に、医者に肖りたいとした貪欲さを発揮したりでしょう)


 ところが、只単に欲しいとした貪欲さだけは‥例外で、才覚とした才覚を発揮しません
 なので、するとしたら、他者を騙すアイデア×やらかす胆力上等ぐらいでしょう
 (その道を極めたいとか、まさに極道どえす)

  ‥まぁ通常は、安全に自分都合な平和が欲しいと口にせる平凡なタイプが
  騙され堕ちて、成り行きまかせに身を任せた結果、意外にも生き残ってました‥ぐらいどえむ
   (それはそれで、覚悟を伴った才覚どえすが)
   (そんなこんなのカイジな彼らは、そげな才覚が欲しかったわけではありません)
   (もとい、全くに欲しくなかったと言えば角が立つ)



1-3)2

> 拝金とした世界背景では、アクセル上等とした価値概念を優先とします
> 「ブレーキを掛けるなんて馬鹿のすることだ」‥としたご意見に満ちています


 ‥まぁどちらにせよ、両方無ければ欠陥品です、不合格品です
 ともあれ、どちら側から入って学ぶべきかは、あなた次第どえす

 (でもまぁ大抵は、善悪是非するばかりなので、片方を学んで学んだつもりだったりでーす)


> ブレーキの扱いをあずかり知らぬ富裕層なんざ糞ッ
> アクセルをてめえ用途にしか使わねぇ輩も糞ッ


 アクセルとは、自らを鍛え磨いて得られた才覚どえす
 ブレーキとは、其を必要以上に用いるに用を得ずとした判断姿勢どえす

 その両方を得ずして、駆使せずにして、持続可能社会とした理想の実現なんざ無理どえす



1-3)3

> では、俯瞰してみましょう
> 地球世界では、その両方を学ぶために上位と下位とした同時進行をやらかしていましたん
> そこには確かに「無い袖は振れない」とした経済概念の持ち込みがあったどえす


 ‥ならば‥「他力本願」のままで好い等とした中途姿勢は論外でーす
 そのままで行くと自らの望みを搾取上等に同意固定せるも同然でーす

  ‥全くに頼らずとも宜しいとは、誰しも思わんとしても、どのぐらい頼るとするかにしたって
  その手の無知ぶり状態こそが、アクセル上等とした乱発で、無理ゲー堕ちどえす

  ‥富裕層にしたって、都落ちはありえねぇとばかりに
  俺確定ルール上等とした吸い上げ椅子取りゲーム発想から脱せないのでは
  「他力本願」窮まりねぇドツボな相似形どえむ

  それでは、下々に、成績評価を焚きつけるだけのアクセル上等にしか機能しねぇどえす


 そんなんじゃ、持続可能たる社会としては悩ましいばかりでしょう
 (持たざる側から順に、選挙からして阿呆くささ呆然として見てるだけ‥みたいな)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:52 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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