2024年08月06日

【命題】人生は運命論or劇場論or努力論or戦場論or創造論?‥其の三

↓4)向宜詠吟.2024/08/06

> てめえの人格をてめえで創造する???
> じゃ、生まれ持って、気が付いたらこんな私だったというのは一体全体何なの???


 ‥そこから始まる、私と思われる何かとのお付き合いどえむ
  競争社会に生まれ落ちているのだから
  優れない自分に詰まらなさを感じている割合の方が、圧倒的に比率が高い
  かと言って達人の域に達しようと、詰まらなさを感じている割合もかなり高い

 ‥何事に対しても楽しめるタイプか、シラけるタイプかでもかなり違う
  そもそも、てめえの人生の目的を推し量らずに、諸々評価を決め込んでしまうのは軽率な思考だ


> 他者との比較のために人生が有るわけでは無い
> (するのは勝手だが、そのような経緯から自在性を獲得した存在など皆無だろう)


 ‥てめえの目的と性格の不一致を嘆くのは、まぁ外に対して多少なりと説得力を有するが
  そこに留まるとした位置づけを決め込むのは馬鹿げている
  だがしかし、大抵の多くはそこに躓くのだ(まるで、不出来に有り続けたいかのように)

  (いやぁまぁどうにも、感情やら気持ちが付いてこないといつまでもそのまんまらしい)
  (なんて使えねぇ私なんだ‥と思って人生を終える意味なんて、それこそ無ぇのにな)


> じゃ、最初から好条件ならガンガン頑張るのか?
> いやいやいや、そんな事は無い


 無駄に条件が良くても、苦手には手を出さないし
 面倒を見きれないなら放置プレイを決め込むだろう

 多くのエリート群を見比べてみろよ、どいつもこいつもそんなもんじゃないかっ(その程度だよ)

 善悪怪しくも、世話焼きで奇特な御仁が1%も居れば良い方で
 それとしたペースで世の中が刺激されて、おっちらほっちらと小舟が進むような度合いだよ


 ‥だが、その程度で留まるようでは、とても、てめえとした性格の創造には及ばない
 (‥集団として、組織としての立ち位置の中に私を探すとした方向性と言うことなんだろうけど)
 (それこそが、おっちらほっちらとしたペースそのものだ)

 不思議なことに、そのペースの中に居ると、誰も、てめえの人格創造なんて目指さない

 どちらかというと、業務に適った人格形成なのであって、創造的に有るとは言い難い
 取りあえずそれで良いのだと思っていても、引退すると途端にメッキが剥がれて虚ろになる
 そこからの私探しやらをやり出しては、創造に非ず借り物だった草‥‥なんてオチなのだ‥


> だがしかし、正しい生活とした基本を考えると、まさにそれで良いのだ
> ポイントは、業務向けの人格とを使い分けられるか否かにすぎない(切換と言っても良い)



1-4)1

 ‥しかし、一方で、戸惑いもしばしば起こりうる
 会社と家とで別人格にあるともなれば、誰だって、自身の二重人格らしきが気になるところだろう


> いやいやいや、それを統合して使い分けるには、第三の人格を要求する


 なにも、組織の是非を確認するのに第三者組織を要求するだけではない
 個人の単位でもそれは発生しうるのだ(というかその手のバランス感覚が無いととても無理)

  (カップルが同じ屋根の下で暮らそうなら、またまた別の人格が登場することにもならん)
  (それが組織と組織のラブコールともなれば、去る者も登場せざるを得ず)
  (ほぼ強制ともなれば、その別人格としての選択肢上等な敵愾心がもたげたとて不思議なし)


> それらそれぞれにバランス感覚を磨くには、自分自身に多様とした価値観の受け入れが必要だ
> その様な過程と経過から得られる第三の人格形成とした道程を「心の三態」と表現しても良い


 第一形態としての弱者立場と依存・おまかせありき道程(世界像の把握と理解)
 第二形態としての善悪徒労、掟や教義もろもろに縛られて悩む道程(私探し)
 第三形態としての俯瞰せる私とした道程(私づくり → 私創世)

 (そして心の三態は、立場を変え、土地を変え、弱者立場を学び直すことでいくらでもやり直せる)

 ‥そのような経過こそを、魂の経験値として扱うべきなのだが
 大抵の経験値は、好きと嫌いで隔たっていてどうしようもない
 とくに暮らしの一端さえ担えば良いような兵農分離型の社会性ともなると尚更だ
 それでいて、ちょっとばかり達者だからとして、様々にプライドありきだ

  (肉は好きですが、料理はしません、解体もしたことありません、血なんて見たくありません)
  (なんて思考形態では、成長を欲するのに対して、とても効率が悪い)
  (間間に見せるだろう私を知るべきなのだ、苦手やら嫌いで過ごすばかりでは、無知なままだ)
  (それぞれの私が、どう変化するかの好奇心を欲し、変化と経過を知るべきなのだ‥)

 (厭うままなら即ち、統御せる人格を獲得できないというオチどえす‥‥よすがもねぇ‥)

  ‥なので、人それぞれの「?」に対して、諸々と慮る次第を心得られず
  「根性論」やら「威圧」で押し通そうとする化石脳あるあるオチどえす


 ‥解らないからこそイラつくのであって、その自分のイラつきについては吟味せず
  イライラ任せに、相手に対して自分で調べれば良いなどと面倒くさがっていたりする
  (ぶっちゃけ、そういうのは、説明が下手な口だったりする事の方が多い)
  (其を誰かのせい、何かのせいにしとけば取りあえず心を保てると思っているどえむ)


> だが所詮は、未解決事項ゆえに、発作のように繰り返されるだけどえす
> それはそれで、解決したい自分との定期的なバトル模様に置かれているらしい
> (このような似た感情の事象繰り返しの訪れに気が付くか否かがとても重要なのどえす)


 「人生とは、成長ぶりを担わせんが為に、課題が訪れるような仕組みと言えよう」
 「其処の解釈の見立てが不能では、人生に‥もとい‥心の持ち腐れだよ」



1-4)2

> つまり、私とした単位にて、多くの好奇心を持たぬままでは、大人な第三者人格の獲得を得ず
> いつまで経ってもガキくさいままだし、苦手は苦手のままだし
> ゆえに、オールラウンドな対応器用とした方向性など発生のしようも無ぇ


 大抵は一つの強みさえ有れば良いとか、日常の私としてのイケイケ感さえ有れば良いと思っている
 だが、様々な経験を積むと、てめえの得手不得手に湧く感情の違いを頻繁に認識することになる
 すると、他者の気持ちの変化に呼応するように反応できるようにもなる
 まさに頭で考えるような事ではない、それこそが魂とした経験値なのだ

  (それはどうにも、上に昇ったのに、下にくだってやり直しに見えるだろう)
  (手掛ける分野を替えることで、生まれ変わりを経験するような度合いを得るのだ)
  (住む土地を変えるだけでも、似たような効果に見舞われるのだが、そこは性格にもよるらしい)

 あとは気持ちが付いてくるか否かの適正・不適正が壁として立ちはだかるのだけれど
 無理をして、てめえを壊しても意味は無いのだけれど
 それすらも認識できていないのでは、とても人格創造とした方向に向いているとは言い難い

  (そこには、無味乾燥に悩んでいるだけのスタンスがあるばかりだろう)
  (其を一億年続けても、卵が孵るような事象を満たす確率はとても小さい)

 (ビビってねぇでなんでもやってみるべし‥とした意向が良さげだが‥‥どうなんでしょうね?)



1-4)3

> では問おう、個性としてのアイデンティティーとは何か?


 ‥まず、はっきりとさせるべきは
 現段階の世界が、実験室であるとした視点である

 実験室の中で得るべき、アイデンティティーに意味は有るのか?
 そもそもにして、それは及第点を得ているものなのか?‥とした視点である

 合格点を得られていない個人の生き様は、それこそ只の自己満にすぎん
 合格点を得られているなら、そのままに伸ばせば好いにせよ、私たちは其処を知らん


> ならば、まず始めにすべき事は、合格ラインとした理解である


 ‥ところがである
 実験側の人間に期待すべき青写真とて、確実に無かった
 それがまぁ実験とした都合でもあり、不都合でもあり、見積もりの甘さ含みだった

  (人間の肉体性能からして未だに改良中にあると言う‥‥どういうこと??‥)


 ‥まぁ、科学者・技術者・芸術家の研究意欲・修得意欲なんてそんなものだ
 まして新人とベテラン、更には達人とした差にもなれば、成長を見せてこそ正義とすべきだろう
 とはいえ、人間が神の領域の其処の差を推し量るなんざ無理ッ

 だが、推し量れんようでは、合格ラインを理解することもできん
 そこの見解に、矛盾など無いのだから、理解したいと思うことが第一となる


> ならば、如何様に理解していくのかとした個々の道程の差を以て
> アイデンティティーと呼べそうにあろう



1-4)4

 ‥自然放置にも、勝手に都合良く育つなんて事は100%あり得ない
 より良く育つためにも、環境こそが欠かせない

 AIにしたって、始めに学習すべき素材を吟味せずに、想定内で使えるようになるなんて事は無い
 まして成長の伸び代を得られるかとした中身ともなると、全く別の次元なのだ

  ‥自我っぽい何かを獲得したとしても、まだまだ入り口で
  地獄のような転生実験を繰り返した後の評価と言うことになっている(ヒトとは限らない)

 (其はとても寛容のように見えはすれども、とても固執したこだわりを秘めて有らん)
 (それはもう、結果に合点が行かなければ、それこそ失敗作扱いである)
 (合点が行かないとしたって、100%駄目としているわけではない、それこそ駄目なら屑扱いだ)


> それが地球とした‥オーム宇宙とした実験経過だった


 ‥その屑と化した魂群をも、どうにかして再調整して使えるようにしたいと思うのも
 実験側の執拗なこだわり方のそれだが
 それはそれで優しい先生なんかじゃない、それこそ鬼なのだ

 (環境を変えれば効果を見せるかも知れないとして、効果的だったなら)
 (それはもう、エデンの園でのんびり教えるよりは、地獄の業火で放置プレイなんて事にもなる)
 (それはそれで、それこそ屑の扱いそのものありきだy)

 (それでも駄目なら、格差環境の中に放り込もう‥‥嫉妬から学ぶ何かもあるやも知れん‥)
 (そこから何かを掴んで、成長の伸び代を得たなら、そりゃまぁそこに個性があった話だろう)


> 結果的に、伸び代を得たのは実験側も同じになるのだ
> 実験側が私たちの成長ぶりに希望を感じたなら、私たちにも其れが伝わるのである


 ‥ならば、実験側の琴線に触れることなき成長なんざ只のゴミだy
 実験側が、失敗例をどれほどに眺めて確認しているかに意識が届かないともなると全然駄目どえむ

 簡単にまとめてしまえば

 バランスの核とすべき、第三の人格とした獲得に、てめえ自身に合点を得ないなら
 すべては空中分解のままだろう
 (そもそもが、苦手や嫌いからの経験値不足で、自分や周りを、正しく俯瞰のしようが無いからだ)



|どこ見ても価値を探しつ我の居り‥役立ちそうかな‥吟味は差別??
|選ぶ眼の仏頂面を目指しつつ どいつもこいつも我が儘気まま
|選ばれて喜ぶ顔に寒の月 微笑ましくも所詮『闇』
|ハイカラな足音ならす五月富士 そうして日本も格差社会

|餞別は孤独と決めて東尋坊 あの世もこの世も地獄で「さぁどっち?」
|生き得と決めてやらかす闇バイト 狙いは是が非のムショ暮らし
|底辺に落ちて見つけし春の音 雪崩れ落ちたる我が価値観
|真っ直ぐに産声上げたり寒の富士 素朴ながらや干し大根



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:06 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。