2024年09月09日

【ボケて痛っ】悪党と馬鹿はどうして似た者同士に見えるのだろうか?

↓3)記稿.2024/09/09

> 馬鹿が馬鹿なりに頑張ろうとして気張ると、特定のパターンにハマるどえむ
> だけど馬鹿も馬鹿なりにプライドを翳すので、そこには、気づけんらしい


 ‥それは、先生の言いつけやら先人の名言には従おう
 (ぶっちゃけ、それは個々の好みなのだから、無意識な派閥脳どえす)
 (その時点で、馬鹿の許容は狭いのだから、知ってる歴史人の数にしても少なめだ)
 (なのであっさりと、その一縷な選択肢からのチョイスまかせにすがろうとしか考えていない)

  それはそれで、地産地消とした選択肢に通ずる流れでもあるのだから自然体そのものだ
  余計なお付き合いをしない生き方を選ぶにおいては、馬鹿だろうと十分に機能せり

  だが‥それはあんたの都合にあるだけだ‥とした理解をする所がない(其はとても危ういz)


> 其は頼れば良いと思っている頼り先だけを見て、周りを見ていないような盲目さ同然だ


 ‥正しければ万事大丈夫とか
 ‥今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫、今まで通りにして下さい(みたいな)

  なぜか、その一点に、プライドのようなこだわりを持って生きてしまうのだ
  そのように不器用な脳の使い方しかしないのなら、一億年生存できようと何も変わらない

  否、逆で、一億年も同じ生き方で存続できる程なら、それ以外をますます考えない草
  其は、善悪是非関係なく、偏ったてめえにプライドを抱いて生きるばかりだろう


> 不器用上等!、マイペース上等!、昔ながらのまま上等!、全ては足りるがままに!


 ‥まず、その辺の馬鹿の度合いを、はっきり定義せなぁならん(語弊回避)
  それはまぁ偏差値統計の度合いとして見て良し

  学問云々以前の文章理解力としての得手不得手、とした結果が、偏差値統計でもある

  となると、先生の言いつけやら先人の言葉から習おうと欲しても
  2割の理解にしか及ばない層〜6割に留まる層の比率までを指して馬鹿としてみるべし
  かなり大ざっぱだが、その方が社会都合、世間都合としたやり取りの範疇だろう


> ‥馬鹿だろうと馬鹿なりに
>  人並みとしたおいしい暮らしを目指して、自分より手練れた御仁にお近づきにならんと欲す
>  (まぁ普通にありがちな流れなのだろう‥‥得手不得手あるんだから当然なんだろうz‥‥)


 ‥ところが、偏差値全国上位に行くほどに、悪党たる質と率が、狡猾化して高濃縮するのだ
  馬鹿にはコレの理解を100%できかねるようなのだ(義務教育制度ゆえの欠落でもある)

  成績上位とした顔ぶれの多くが、学生の段階で既に成績下位との交友を疎かにするのだから
  まぁ教師からしてそんな感じなわけだけど、社会に出てから良い人を演じるにせよ脆弱すぎる

  それもこれも、もっともらしく「人権思想×三権分立×民主化」を教え込むからでもある

  この世はシステマチックな保障があるから大丈夫、教師の見せる生徒選別感ありきでも大丈夫
  とした達観した異様さが偏差値全国上位の世界観くせぇ(妄想)

  だがしかし、自由主義を謳うのだから全てリセット全崩壊なり(現実感)
  法とて買収できる格差社会どえむ、大丈夫を破壊するのも成績上位層の保痴沙汰なのら(現状)


 ‥只でさえ、自分の思考に、誤差の出まくる程度を自覚したのなら
  慎重にあるべきなのだが、思考の手順やら生活習慣の手順などなど補正の仕方を問うべきだが
  馬鹿の何が馬鹿なのかと断言できるほどに
  欲しいと思ったら即ダッシュ、即怠惰、蟲を見たら即殺虫剤‥みたいな脳なのら

  (ぶっちゃけそれらは、知ったやり方しか行使しねぇ‥バイアスなカス脳でもある)
  (立場やプライドを翳した当たり前目線なら尚更だ)
  (無論、その手の行動には○○馬鹿とした一つの事柄に絞った大好き行動を含む)


> 他の生徒はできるのに、なんであんたはできないのぅ馬鹿なのぅ
> 馬鹿はあんただよ、馬鹿向けの教え方を知らんし、てめえで探そうともしちゃいねぇ
> (誰だろうと、そこまでできてプロだと‥もとい「仏」だと認識するものさ)


 ‥そんなこんなで、社会的な混乱を仕掛けたい愉快犯側からしてみれば想定内まっしぐらだ
  だが無論、他人の馬鹿を利用せし因果を用いれば、てめえとて、想定外を垣間見ることにならん
  (創造性のフラクタル構造とはそういうものだ‥‥因果応報みたいな)

  敢えて示すなら、知性の高い悪党群は、想定外を見たいが故に、愉快犯をやらかさん
  それはそれで、退屈しのぎ上等とした闘争好きな生活態度そのままだ


> 理解力に富んでいればいるほどに、いつ・どこで・誰が・何を・どうした‥と知りたいものさ
> 自分の予想を超えたなら、何が、どうして‥と確認せずには居れんらしい



1-3)1

> では、ここで一つ問おう
> 善人と馬鹿の違いとはなんだ?


  ‥パニック騒ぎでの群衆雪崩とした事象を挙げてみれば一目瞭然だ
   群衆雪崩に巻き込まれると判断したなら、急ぐ意味など無し

  ところが大抵のパニック症候群は、不思議と一目散に、より遠くまで逃げ出そうとする
  どこまで逃げれば良いかなど無目的だからこそ集団とした流れを正しいとして真に受けるのだ
  それはもう普段からの生活思考パターンそのものさ(長いものには巻かれろ‥みたいな)

  ‥それのそもそもにしたって、我先にとしたお得上等志向だよ、それの集大成さ
                我先にとしたお得上等志向だよ、それの集大成さ
   それこそが普段からの馬鹿の積み重ねというものになるらしい

 ‥斯様な生活習慣の裏には、自由主義とした勝手自由が根付いてしまっている
  如何にも我先として、後は知らんぷりを決め込んだ‥行動の積み重ねそのものさ
  それが日常だと言うのだから、そのような世間が、如何に問題含みかって程度を意味せり


> なのにそれら諸々の諸問題を自由競争で解決できると決め込んでおろう(まさに馬鹿の群衆だ)


 ‥ならば、善人とは、普段から一歩引いて、しんがりでもいいやとした俯瞰姿勢にあるのだろう
  (其は、世間を俯瞰して、どうやって損を引き受けて利を得るかでもある)
  (強かさをも兼ね備えずして「善人」はつとまらねぇ)←ここが従来バイアスとの差

 (教科書で習うようなお行儀の良さやら聞き分けの良さを以て、善人などとは見たてんのだっ)
 (その程度を世間では、普通にこう称しておろう「良い人」などと‥)


> だがしかし、善人とて無理は無理として思考停止しがちに留まらん(諦めが良い)
> でも悪党は、無理を押し通そうとして様々にワル知恵を駆使せり(諦めに悪い)
> 結果として、いつの間にやら悪党のネットワークの方が迅速広大だったりである(勝てへんがな)


 ‥それを馬鹿から眺めると、{流行っている}={正義}として直ぐに飛びつくのら
  それがお上の言いつけ=お墨付き‥ともなれば尚更にあるらしい(信じられん)

  ‥金融としたお金の仕組み、ローンの流れなんてとくに其れ
  ‥馬鹿は、薬が有ると聞くとすがるし、農薬で楽ができると聞いてもすがるのだ
  (それらにどのようなデメリットがあるかなんて、痛い目を見てから考えるパターンなのら)
  (そしてまた即席にて苦より逃れたいと思えば、次から次へと頼ることしか頭にねぇ)


 ‥だがしかし、その馬鹿の請け負う糞パターンを地で使いこなしているのが実は悪党だ
  これが一番に最強としたパターンを考え抜くとしたそこが違うだけで、後は全部同じなのら

  金融が一番に儲かると思えば、ガッチリとした暴力で利権を固めるし
  毒が効くと知れば、馬鹿と同じで、直ぐに試したがる所にあらん

  だが、ありきたりすぎるとバレやすいのだから
  悪党はその辺、自分たち以外の悪事などあり得ないと言える程度には考え抜くのだから
  痛い目を見ずにのほほんとしていることの方が多くなる


 ‥結果的に、悪党と馬鹿は違うのだ‥と言えそうでも
  他人を欺いてでも、他人を利用してでも、他人に頼ってでも
  うまい酒を飲んでみたい、肉を喰らいたい、おいしい暮らしを手にしたい‥
  ‥とした因果にて、ゑにしを築くらしい‥‥
  ‥とした因果にて、ゑにしを築くらしい‥‥宇宙はとても合理的にできている‥みたいな


> いやはや、その手の怠惰な志向を絶てんようでは、いつまでも駄目なり‥らしいz
> (人間性の獲得としては普通コースなのに、宇宙の実験的には不合格コースなり)←ここが痛い



1-3)2

> 人は、何かにつけ「授かりたい」と思っておる
> 今どき異世界ファンタジーなんてとくにそれ、チート能力を授かりたい‥とかなんとか


 ‥ところが通常、天より才覚を授かるには、てめえの汗と創意工夫がとても重要不可欠である
  とはいえ、多様性社会ともなると、オリジナリティ志向に有れば有るほど
  誰に教わるわけでもなく、勝手にそうした積み重ね行動をしているのだろうけど
  そこには目指すべき何かに突き動かされてでもあるのだろうけど

  その手の多くの者らは、個人主義こそが通常のスタンスである(良いとこ育ちみたいな)


 ‥ところが、名誉欲に掻き立てられてるタイプには(中間層育ちみたいな)
  どんなに積み重ねてもそこに辿り着くことがないので、師を求めて居たりしていよう

  中には、独学では到達できかねるのに
  達人よりご教授を頂くと、途端に才覚に目覚める御仁も居り
  それはそれとした因果なのだろうけど、すぐに再々に行き詰まるのがパターンくせぇ

  するとなぜか、当人が習って辿り着いたフラクタル構造とした機能にて作動するのか
  道場破りなんて輩に見入られたりする宿命を見せたり(諸々とした社会トラブルなど)

  つまりは、門外漢相手との実践を交わして、何かを掴んでいくのも達人のスタイルくせぇどえす


> ここがどうにも、悪党と馬鹿が似ているそれに似通っているどえす
> 天より直に授かれずとも、自然から、歴史から、誰かから‥学べば良いとした内訳にあらん


 ‥結果、誰かに頼るとした中身が良い意味で機能したとて
  デメリット付き纏う中身とやらがあるくせぇz

  そう考えると、幸せを手にしたい、おいしい暮らしがしたいとした方向性には
  どうしたって、頼る頼られる利用され合うとした因果関係に満ちるのだから

  「のほほんとしていたいバイアスだらけの幸せ観」など成り立とうが無いのだ


 ‥それこそ其を地で行きたいのであれば、独学で到達せしめんとした気概を持つべきと言えよう
  てめえのエネルギーのみを駆使して達するのであれば、神だって文句は垂れねぇz(自給自足)

  だがしかし、全員がそっちに傾れ込むと、頭を抱え込むのが神々の側だったりするのだ
  (お前らが人間である意味ねぇだろうがッ‥みたいな)


> そこで定義される次第に至ったのが「悪党と馬鹿の比率をどうする?」‥みたいな中身である
> 重要なのは、人としての関わりをどう考えているのか?、何をどうしたか?‥である


 ‥「力こそ正義なり」とした脳筋がグレーゾーン扱いなのはまぁどうしようもねぇのだが
  天からすれば使い方次第なのだが、其処に甘えて良い時代は、遠の昔にすぎておる

  (というか天からすれば、なんだって見飽きているのだから、創意工夫をご所望なのさ)

  地上を見ていて、次次にアイデアが思い浮かぶぐらいにないのでは甲斐が無い‥とかなんとか
  (でもまぁ‥溜息×憤りばかりの日々を観察ご覧あれ‥でしかねぇ草)
  (であれば、相当に天然志向にでもなければ、神とて神を保ってられんどえむ)


> その神々らの天然とした度合いを推し量らずに好奇も糞もねぇ(宇宙は、てへぺろに満ちて在り)



1-3)3 向宜詠吟


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> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:33 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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