2024年09月18日

【ボケて痛っ】全体主義vs個人主義

↓4)記稿.2024/09/18

【全体主義】ぜんたいしゅぎ(英語:Totalitarianism,イタリア語:Totalitarismo)とは
  個人の自由や社会集団の自律性を認めず
  個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想または政治体制である。
  対義語は個人主義である。

 ※ 格差世界において、富裕層やらエリートが一致団結して世界を操作しようとするのも該当する
   「新世界秩序」「三百人委員会」「金融支配」要素はまさに其れである
   各国の政府が党閥で、党閥が世界派閥で、与党政府が金次第で取り込まれておれば尚更である


【個人主義】こじんしゅぎ(英:individualism,仏:individualisme)とは
  権威を否定して個人の権利や自由を尊重する立場
  或いは国家や社会の重要性における根拠を個人の尊厳に求め
  その権利と義務の発生原理を説く政治思想である。

 ※ 其を真面目にも、政治思想とか宣っちまう所が、お子様優等生くせぇz
   普通に単に、基本的な生物の欲求なり


> この手の言葉の定義は、支配層側が用意するモノであり
> 本質と実態が噛み合っていない場合がある(すり替え)


 ‥簡単に噛み砕いて説けば
  悪い意味での村社会を「全体主義」として想定し
  良い意味での村社会を「個人主義」として想定してあるだけだ

  そして、一般的に「村社会」と言えば、今や悪い意味で語られる所が大きく(嫌非効率的)
  良いイメージでの村社会を知らないとばかりの大衆に化している(好高効率化)
  (文明の発展速度比に当てつけられている所が大きいらしい‥‥行き詰まったのは同じナリ‥)

 そこで良い意味での村社会を、巧妙にも「スローライフ」なんて言い方に切り替えている
 (その手の村社会スタンスに全体も個人もねぇ、頑張らざるを得ぬし協力せざるを得ぬ)
 (互いを慮らなければブラック村だし、お裾分けし合えば笑顔村になる‥それだけの中身さ‥‥)



1-4)1

> ところが、お金の管理と支配都合から問い出すと
> 全体主義と個人主義とが、逆転するのをご存じだろうか?


 ‥資本主義世界のお金とは、誰かが借りたお金にて垂れ流れるお金の奪い合いを意味する
  貸し手すら、そこからの奪い合いでしか「私の稼ぎ=私のお金」として正規に認められないのだ


> 借りるのは個人主義、貸し出す側は今や統制時代(中央銀行システム)なのだから全体主義


 ‥その市場のパイは、借り手が居なくなると、あっというまに誰かの懐に納まって空になる
  空になっては困るのだから、定期的に誰かに借りて貰うようになっている(国債)

  流通にてお金が回っているように見えても、その実態はローンを噛ましてあるのだ(先物取引)
  (ぶっちゃけ、すべてをいつでも差し押さえ可能)

 ‥其は、基本的人権も糞も無く
  国民主権を国民名義に見立てた国債貸付であり、金利払い代わりの税金システムなのら

 (中央銀行システム×税金=債権×金利,負債者=国民主権=債務奴隷制度‥‥とした構造なのら)


  ‥国民が良民であれば大丈夫?
   そんなことはない、どんな企業も、破産含みになると夜逃げを始めよう

   口座の全面的な凍結とした夜逃げ然ならまだカワイイ方だった
   中央銀行システムは、腸の中身が全く違うのだった


> 尚、中央銀行とて、国債の完済なんて無理、不可能としている
> 可能としたら、それこそ錬金術で、金塊をン京円分、ポンと放銃できないと駄目だろう
> (それはそれで、中央銀行システムがひっくり返るだけなんですけどね)
> (そんなの無いと思っているからこそ、垂れ流しで貸し付ける上から目線組織どえす)


 ‥だがしかし、貸りる金を自分名義にしたら、借り手に落ちる
  その借り手の代表、貸し手たる元締めは、そのローン群の代表でもある(中央銀行システム)

 ‥そのローン群の支払先が支配圏外なら、胴元だろうと債務者に落ちる
  貸し手(胴元)だろうと、未返済者の多寡がすぎれば、借り手に落ちるどえす
  (すると、支配圏外に対して債務の投げ合いバトルが始まるのだ‥‥返済能力ゼロみたいな)


> 打ち出の小槌よろしくに、調子放いて貸し付けまくっていたら、ウハウハの債権者のはずが
> 派閥外・エリア外の生産者からしたら、その手の胴元とて、債務者の代表にしか見えへんのや
> (交易と言う奴は、実に魔物どえす)


 ‥国民が勤勉で黒字なら、ウハウハ債権者やらかしてても文句言われんけど(アズJAPAN)
  でも、そうじゃないから(現G7)

  (そこで昔は、産地の政治を乗っ取って、法律を改竄させるのが手口だったどえす)
  (金利を勘弁してやる代わりに、この法案を通せ‥とかなんとか)
  (現在は‥‥お前らこんなことやってたのか、俺らにもやらせろ!‥オチくせぇどえす)


> 曝露されては困る弱みはあれど、仲間が増える頼もしさもある‥みたいな


 ‥胴元が、打ち出の小槌を所持していようと
  打ち出の小槌から出せるお金は貸すためのお金であり、直に私のお金にはできないルールどえむ
  なので、発行権を握りしめていようと、お金を貸すことで得られる金利頼みになっている
  (なのだから、支配圏で借りてくれても、圏外でも借りてくれないとカツカツになる)

  「地元にも縄張りがあるのに、何言ってんだ?、下るわけねぇだろうがッ」
  「じゃ、戦争をしましょう、そちらの方が、こちらとしては助かります」

  「何だ、こいつら、いかれてんのか??
   てめえんとこの裏庭をぶっ壊してどうすんだよ‥もっと良いやり方が有るだろうに‥‥」


> 昔の御仁らはそげな無理をせず、政治を乗っ取りやすくするためにも、先手を打ったどえす


 ‥それこそが
  自分たちのやり口こそ全体主義なのに、得られるお金は等しく個人主義なのだから
  個人主義は正義、全体主義は悪として洗脳せり(財産所有の保障=見せかけの奴隷制放棄)


 ‥そして、中央銀行システムこそ全体主義の権化なのに(口座凍結権の発動を有する)
  如何にも正しい個人主義の総本山のように仕向けタトです(拝金教)

  (そこん所、解ってますか?、理解できてますか?、まだまだ洗脳されてそうですよね)



1-4)2

> さらに、その手の庶民のバイアスを激しくするために
> 宗教ノウハウよろしくな思想対立=派閥と戦争を持ち込んでまーす(恐怖の植え付け)


  米ソ冷戦時代はまさにそれ
  国連の代表国なんて形でまとまってるくせに、対立しているように見せかけているどえす

  そりゃまぁ戦争が一番に儲かるのだから対立構造を持ち出さないと
  民主主義とした多数派vs少数派劇場を演出できねぇからな、左と右に分かれてるどえす

  (まったくの見せかけで、個々の付き合いは、それこそ個人主義どえす‥‥まぁ当然‥)


> それこそ、戦争空気、対立空気にて洗脳やらかしたいが為に「全体主義=悪」を担ぎ出すどえす
> なぜなら、繰り返してやらかさないと、途端に、洗脳効果が弱まるからどえす


 ‥ロシアや中華でどんな教育してるかなんて知らんけど
  「一致団結は善」なんて世界共通の教育ですよ
  「自分勝手は悪」も世界共通の教育ですよ

 (皮肉なことに、その手の教育自体が、全体主義の奔りどえす)
 (つまり、全体主義に善も悪もねぇ、独裁者がどんな政治をやらかすかだけだz)


 ‥で、どうやって全体主義の側が、それっぽく全体主義を悪だって説くんですか?
  それの方便の代替に存在するのが「極悪なファシズム」どえす
  ロシア人だって、ファシズム悪だって習ってるどえす
  (曽てに、向こうから条約を破って攻め込んできたんだから、普通に習うどえす)

 (そんな感じに思うわけだけど、それ以前はどうだったかとなると‥ちょっと謎)


> 当時の西側の王政・帝政は、怠惰にも奴隷制度採用でしたからね(今も昔もコスパ政策)
> 其を押しのけて、新体制を掲げたわけだから
> 古きを悪として、新しき自分らのこれからを正義にしたとて「誰が疑うのか?」って所でしょう


 ‥その当時のお題目こそ、「奴隷制の放棄」と「選挙制度」の導入どえす
  王政との違いを演出する装置として、選挙云々もて囃しておりましたが
  (ぶっちゃけ、全体主義な組織とした中身は同じなんですよね‥中央集権そのまんま‥‥)


 ‥で、結局、発行権を手にして、革命に投資して、乗っ取った側も
  昔ながらの王家をついでとばかり乗っ取って、王族の一門一族になっちまったのだから
  裏において、王政体制が存続して来たも同然どえす

  (ぶっちゃけ、今や、民主社会も民主選挙も存在せん)
  (それっぽいお約束な劇場会が行われるだけどえす)
  (身分としては、貴族と臣下と債権奴隷(国民)とに分かれてるどえむ)


 ‥だがしかし、どちらに組みするかで、支配層とてお金の実入りが変わるのだから
  その辺はちょっとだけ、庶民パワーとやらも作用する次第には成っている
  でもまぁ直ぐに破綻して、其れ見た事か‥劇場オチでーす

  (お金を回さないと誰も動かないのだから、それの信用と組織力の差みたいな)

  ‥支配層にしてもそれぐらいのスリルが無いと楽しめない草
  (まぁそれにしたってコロシアムで「お前どちらに賭けた?」てな案件然どえす)
  (ぶっちゃけ、誰しも個人主義なのれす)



1-4)3

> 全体主義とした狂権発動やらかすのは、それこそ選ばれたエリート群とした連中である
> でも、彼らに人望が大いにあるわけでも無く、派閥として「どこと組むか?」に留まる


 ‥基本が個人主義の集まりなのだから、何だろうと合議が基本どえす(派閥軸)
  其を、下から上を見上げた時に、支配層の其れが、全体主義に見えて恐れおののくのら


 ‥なので、「全体主義」とは
  庶民の側の無知の積み重ねとした想定の何者でもなし
  難しいことは全て丸投げ、お任せ主義な権利放棄とした積み重ね最前線なのら(無関心の束なり)

  ‥無関心すぎる其をひっくるめて「奴隷群」とも呼べそう‥

  其を見下せば、普通に思うのだろう
  「どうして奴隷に傅かなぁならん??、逆だろうがッ」‥‥とかなんとか

  其を誰かのせいにしたいが為の、そしらぬ言葉になっとるのが「全体主義」どえす


> 自由主義は正義だから大丈夫‥‥な、わけねぇだろうがッ
> 自由主義政治なんか、ただの怠惰で、やっつけで、やってる振りな‥なんちゃってだっつうの


 (誰しもの日常からして、そんな程度じゃねぇかッ)
 (世間も社会もてめえの鏡なんだぉおお、おめえはどれだけ責任を果たして生きてる??)
 (今や、無信仰、無宗教の日々にあるのは、無責任勝手で謳歌で放任だらけだろうがッ)

 (自由主義上等言っちゃってる側に、聖人君子なんかいねぇんだよ)
 (聖人君子とは、庶民のために傅くのみ、其を仏様扱いするのは庶民のご都合ロマンスなだけさ)

 (それにしたって、武を統率せずんば平和得ず‥‥みたいな「どちら様?」どえす)
 (仏教世界にも、その手の守護神たちが居るという摩訶不思議ッ)


 ‥一致団結が正義なのは、幼児でも理解せり
  ならば、自由主義にかまけて、無視と依存を決め込んだ庶民の方が愚者で悪だって意味になる
  なのに、全体主義のせいに仕立てるどえす(無知)

  「無視と依存」vs「無視と発動」とした作用と反作用とした鏡似性どえす
  抱っこもおんぶも無理が効かんようになったら、まずは放置だよ(まぁ其れと一緒)

  (仕事がうまく行かなくなったパパやらママが遊んでくれなくなった‥と一緒さ)
  (人生がうまく行ってない下層が、組織性に反抗的なのは当然の流れなのら)
  (隣の芝が青く見えるだけで反抗的に落ちるのも、糞ガキなだけだけどな)


> それでなくても、折角全体主義としたお席に着いたのだから
> 目の黒い内に一度ぐらい「俺様令発動」やらかしたいz
> とかなんとか、考えてるのが、その手のお上なるエリート群どえす(普通に妄想悪党どえす)



1-4)4

> 尻の青い連中は、いつまで経っても生ぬるい思考に満ちている
> 猟奇上等、残虐上等、戦争上等な連中が雑ざった組織性なんか正義の欠片も無し
> ‥をなかなかに理解できんらしい


 ‥まず、バレなきゃ大丈夫としてやらかしだしたのがコロナ禍だ
 (コロナ=王冠、コロナ禍=王冠が壊れた‥と意味づけてあるみたいな)

  そして、あれよあれよと毒接種禍に落ち
  それでも間引き不足だと言わんばかりに、お次は、日本発のゾンビ禍キャンペーンらしいz

  それの反対運動とばかりの明治製菓不買運動ありき
  それはそれで少しは学ぶようになったらしい

 ‥だがしかし


> 汚注射で稼ぐから大丈夫
> そちらの依頼の方が大きいから大丈夫
> 不買運動でも大丈夫、赤字部門なんて切り売りすれば大丈夫
> 間引き爆やらかそうってのに、伝統にこだわる意味なんて無いよね


 ‥上として仰いでいる連中への忠誠というか保痴というか
  家臣群どもらは、まだまだ何も学んじゃいねぇ草(身内なら至極当然なり)


> 三方共に、全く以て、自由な世界で、本音自由を得られず(残念!)


 「全く世間には、金食い虫ばっちいい菌が沢山居て困るよね
  綺麗にすべきだけど、僕王様だし、王様が掃除をするなんて役柄じゃないからね
  そこで、キミたちが掃除してしまい給え、これは命令だ」

 「御意s」
  (ヱ★、ヤベぇよ内の王様、すげーサイコパスじゃん)
  (馬鹿、違ぇよ、うちらがこれからそのサイコパス劇場の主犯になるんだろうが)
  (主犯をやり切らねぇとおれっちがばっちいい菌扱いされちまうッス)
  (おうよ、もう、やり切るしかねぇz)

  ‥とかなんとか


> そもそも「汚注射×汗やら飛沫」でゾンビ感染するぐらいなら
> それこそ塗り薬に混ぜて売りゃ良い話だz、食い物に混ぜれば良い話だz
> どうして汚注射なの?
> (そりゃまぁ契約の証しとして用いる草‥‥天国の門はくぐりませんみたいな‥‥)


 そもそも、そげに、逆に暗殺されかねないヤバイモノの管理を下に任せる訳がないんッ
 下に管理を任せてある類なんて、高が知れたその程度どえす(セオリー)

 (核ミサイルみたいな分かりやすいものになると、そうでも無いのがバイアスになっとるどえす)


 ‥という愉快犯手法が雑ざっているのは確実なり
  どうせ死なせてしまうのだから、その前にできるだけ楽しませてくれないと‥‥みたいな

 ↑になると、もはや個人主義×全体主義の融合系や‥‥其を信長の野望風に「創造」と称する草
  (其は「創造」と書いて「カオス」と読むのだろう)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:02 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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