2024年10月25日

【ボケて痛っ】「自立」「依存」「共存」は、それぞれ何がどう違う?

↓2)記稿.2024/10/25

> まず「自立」とは、どのような状況を指して語らんとしてあるだろうか?
> とくに明確な定義など無し


 ‥お互いが勝手に思い込んでいるだけだったりするかも知れん
  だから、ベーシックインカムにも懐疑的な意見が多いし
  競争社会とした見方にも隔たりがあり、結果、行き詰まっているとも言えるだろう


> 一方で、どこまでを「依存」としているのかも各々で異なるはずだ
> 人類は、所詮、地球環境に依存して生きている
> それにしたってそれはそれで、社会的な自立とした見方とはまた随分とした隔たりに満ちてある


 ‥では、地球環境に依存していない状態とは何だろうか?
  例えば、魔導師やら科学者が、月や火星とした不毛の大地をあっという間に
      地球のような生態系に造り替えてしまえるノウハウ持ちを指して語ることだろうか?
  それとも、惑星磁場そのものを出現やらかす事だろうか?
  それとも、太陽系磁場そのものとしたレベルまでを指して語るべきだろうか?

  (少なくとも、それ程であれば、自立しているに十分たるであろう)
  (ならば自立とは、「必要を創造できる」とした定義という事になるらしい)

  ならば、其は、その中身がどれほどの完成度を示すとか、そういうことに非ず
  「創造する気概に満ちてある」か否かとした見方とも言えようか‥


> つまり、自ら創造する気概に疎ければ、自立不能とした見方になるのだ
> なにも、右から左に物を動かしてその差分を得る持続性やらやる気を指しているわけでは無い
> 故に、人類の多くが自立不能に該当するともなれば
> だからこそ、「共存」とした概要の方に偏っているのが、現状と言えようか


 ‥では、「共存」とは何だろうか?
  人類は未だ‥「共生」を口にしながら‥
  隙あらば下克上とした「競争」を笑顔で語る程度の出来ばえだ

  平和を維持する所からしてとても非効率だし、それのどこが共生に当たるのか、まるで謎なのら
  しかも今や其を、開き直ったかのように「競生」などと唱えておろう


 ‥まぁ確かに共存するにしても、方針の違いとやらが生まれ、衝突せざるを得ぬ

  すると、人類の自立とした中身が、そちら側にすり替わることにもならん
  それが、防衛できるか否かとした基準であり
  「強者に、弱者は従うべきである」とした狂者問答にすり替わらん

  更に「少数は数に従うべきである」として、騙るようにもなった
  (それでは、人権保障など有れど無きが如し‥そうは思わないのだろうか??)
  (結局は、予算の分捕り大会なのら)


 ‥確かに、創造する気概に疎き者は、問答無用で引き下がらざるを得ぬ
  いつの時代も、名実ともにそんな空気だ

  だが、その手の強者に限って
  とかく狂者とした意見を述べ散らかすだけに過ぎず、持続性に欠くばかりなり

  共存を口にするなら、その最低条件として、持続性を基本とすべきだが
  今や科学観の乱れから、誰もそこを明確には語れぬのだから
  何を以て強者とすべきかの定義すら無きオチなのら

  (なのに、従来通りの強者が、搾取上等としたゲームを愉しみ続けんとしている)
  (少なくとも、弱者の側が、其れに折れるばかりを共存とは呼ぶまい)


> 共存を主張するのであれば、弱者側の多くが付いてこれぬ時点で失策なのだ
> なのに上が下の声を聞かずにスルーするばかりなら、其は、支配構造に依存していると言えよう


 ‥世界が依存にて腐敗していく流れがそこにある
  その依存構造(中央集権)に対して、益々に、弱肉強食を支持してしまうのであれば
  其は「依存のスパイラル」なり、もとい、「依存脳」としたそもそもの図式である

  「長いものには巻かれろ」とした諺からして‥その手のニオイがしており、とても怪しい
  「長き智慧には巻かれろ」と手直しされるべきに思う



1-2)1

> 其処はさておき、防衛能力を欠いていては、持続性も危ぶまれよう


 ‥では問おう、貴方はどのタイプかね?

  フリーザ型の防衛が、やられる前にやっちまえとした侵略型にしか見えぬのは勿論だが
  なぜか人類の多くの本音はこちら側である(猜疑心丸出しで糞どうしようもねぇ)

  誰しもは、日々鍛え抜かんとし続けるような、ピッコロ型なりベジータ型の支持に疎い
  (人類の多くに、鍛えたとしても一番には届かぬとした諦めようがあるばかり草)

  そこで‥のほほんと、鍛錬をそこそこに学者なんぞやらかす孫悟飯型がピックアップされてくる
  ちょっと鍛えれば、即座に、そこそこのパフォーマンスを発揮して
  時と場合によっては、孫悟空をも凌駕せんとする扱いのキャラクターである
  (どちらかというと、こちらの方が、人類の願望やら都合に近いのだろう)

  孫悟空型ともなると、それこそ戦うための備えであり、防衛と言うよりは、もはや娯楽なのら
  この我が娯楽のための力比べ云々という奴は、全く以て、共存とは掛け離れた立場を負っている
  (それにしたって、うまいもんを食うために、環境に依存しているからでもある)


> つまり、人類の猜疑心に取り憑くばかりにあるのが「競争」であり、「仮想敵」ありきであり
> 「共存」特有の気概からなる「団結力」とは意を異にせん


 ‥それはそうだろう、今や、誰しもはてめえを「切り札」とした憧れに満ちてあるのだから‥‥
  それもこれも評価されたがりとした症候群に落ちている
  それこそ仮想敵を思い描いて、攻撃したい症候群なのら


 ‥どれほどに「大好き」に満ちていて、どれほどに「守りたい」とした願いを秘めてあるかに
  才覚の云々があるというのに
  所詮は「弱肉強食上等」ばかりなのだろう、このクソッタレ嘘つき共らがッ

  其を通常‥「腰抜け」「マヌケ」と呼べり

  それで、軍事を担って何を防衛する気なの?(結局は、支配側のポチなだけだよネ)

  そこはもう、只の一般個人の腰抜けとは意味が異なるのである
  とはいえ、何も考えずに情弱極まっていては、誰しも経済傭兵(サラリーマン)どえむ

   (正義も悪も考えずに、給料分の仕事をしようそうしよう‥みたいな)
   (そして、いざ戦争沙汰とも成れば、味方に貢献していれば正義の行為と思い込む保痴どえす)


> 斯様なる無知を量産し続ける社会に、始めから正義など有ろうはずも無かろうに


 ‥防衛うんぬん気にする以前の課題として、その手の恐怖を克服し
  正しき力の用い方を創意工夫して、創造への気概を高めるべきである
  それでも、意見が食い違うなら、分蜂すべきが流れなり

  (つまり、放浪ありきも含めて、平和的共存とした姿勢なのら)

  (人権思想にほだされて)
  (子々孫々同じ土地に住まう権利を主張するばかりは、愚かとしか言いようがあるまい)
  (そんなのは、持てる側の奪われない為の一過性の権利主張にあって)
  (その権利思想の下に得られる褒美やら何か‥とは限るまい)
  (始めから、不公平に唱えられているだけにすぎぬ)

 (そもそも‥土地を誰の物だと定義してあるというのだ?‥国家としか刻まれておらん)
 (貸し出されているだけで、手中に治めきれる内訳に非ず)
 (程度の権利の保障はすれども絶対では無い‥‥金額で評価し合うシステムなら尚更だ)
 (天災にて失われた領土に関して問うなら、どこの国家だろうと尚更な話さ)

 (其処を勘違いしておるから、被災したらしたで、元に戻そうとしか考えられぬのだ)


> 無神論者が、神から取り上げられたと叫ばんでも、科学が破れたとも叫ばんでも
> どれほどに無神論が真面目にあるというのだろうや‥‥(そんなはずはなかろう)
> ブツブツと文句を垂れ合いながら、あてなき放浪に立たざるを得ぬ


 ‥ならば、始めから放浪ありきで問うべきにあろう
  そしたら国境云々とした争いしか生まぬ劇場型政治に呆れるのは当然な話さ

  そして、移民の先でも民族の癖まる出しに、権利を主張せる輩ばかりで
  どうして放浪ありきを含めた保障の阿吽を共有し理解できようか‥

  (なまじ「約束の地」などという考え方があるものだから)
  (居着いた土地でも、故郷と同じように勝手が効くと思い込んでもおろう)
  (だからだろう‥‥端から迷惑な、礼儀知らずぶりを発揮せん‥)

 ‥放浪の最中に我が儘が通用しないのと同じで、郷に入っては、まずは郷に従うべきが基本なのら
  その際に効力を発揮するのは、どちらかというと能力に非ず、コネだったり信用だったりだろう
  その際の代表なり、看板となる者の顔を立てぬやらかしは、駄目に決まっておる



1-2)2

> 能力能力って、地球の環境破壊の現状見たら、そこからの被災移民に1ミリの価値もねぇだよ
> 「慈悲があれば救って貰えるよね」って、何を期待してんだよ、その前に反省しろよ反省を!


 ‥同じ過ちを繰り返す行動原理主張こそ「能力主義」なり
  なので、避難先でも、恐怖を克服できずに、能力の使い方を履き違えて暴走するばかりだろう

  (斯様なる危険思想に気が付かないんだから、どうしようもねぇ)


 ‥お互いに恐怖を克服し合わずに、恐怖を煽るしか脳がねぇのが能力主義思想なり
  其をさらに過激に導くのが成果主義なり(もっとも手軽で杜撰な図式なり)

  (自己責任論の押し付け合いとも成ると、もはや共存意識なんか1ミリもねぇ)

 (結果、お前らから吸い上げた上がりだけでは足りぬと言わんばかりで、何だろうと先送りさ)
 (結論、支配する側の自己満足こそ成果であって、そこに理想など始めから無し)


 ‥そげな無能ほど、椅子に就いた途端に、恐怖ばかりを煽るのだ
  そして、得られたチッパイ呼ばわりの上がりを、てめえの懐に入れることしか頭にねぇ

 (身内にはなぁなぁで褒めちぎり、それ以外ともなると駄目押しのオンパレードだ)
 (競争としたレールの上に乗ると、誰しもがそげな血眼になっておろう)
 (其を義理堅いスタイルだとして思い込んでもおるらしい‥‥それこそ堕落への落とし穴なのら‥)


> そして、闘争の日々をリピートするばかりだろう


 ‥ヒトラーを大っ嫌いとして目の色を変えるくせに、誰しも「我が闘争」を手本の如しだ
  「違う」というのなら、今一度、共存について問い直すが良いさ



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:32 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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