2024年12月12日

【悩まCぃ】人口増から人口減へ其れ其れのローテーションと休日の変化

↓3)記稿.2024/12/12

> 戦後昭和の人口増は、円安×土地バブルに比例するのであって
> お金の貸付が、今時代の様な蛇口を塞いだままだと、ああは成らなかったはずである
> それはそれで「一億中流」などとした言葉が生まれる事も無く
> 当時の遠距離通勤化とした歯痒い格差とは違って、今時代風な諸々格差てんこ盛りだったかも草


 ‥まぁ物資不足であれもこれも欲しいとした情勢だったこともあり
  雇用倍増、休日返上とした空気に満ちていた
  その上、マイホームやら車やら三種の神器が欲しいとした「欲しい空気」に満ちていた
  (満員電車も何のその‥好い暮らしを手に入れたい‥としたそういう時代だった)
  (銀行だってウハウハのイケイケに成らざるを得ぬ情勢だったどえす)


 ‥バブルが弾けると、お金の蛇口が締められ、勝ち組と負け組に分かれた
  並びに人員整理に次ぐ人員整理の結果、下から順にローテーションと休日の在り方が変わった

  始めこそまだまだ正社員同士で回すローテーションありきの所‥
  次第に非正規枠が拡大していった
  (述べるまでもない、終身雇用概念が崩壊し、雇用経費削減時代への埋没だった)

  世界の工場たる日本の時代が終わった=円高時代の到来により価格競争力を失った
  (常に同じ枠組での大量発注があるとも捌けるとも限らず、在庫縮小が叫ばれた)

  (その割には不思議な事に、薄利多売商法がもて囃された)

  (どうして人はバブルになると大枚をガンガン叩く様に成っていくのだろうか?)
  (それこそ薄利多売商法に価値観を見出す所が無かったの如しだった‥)
 (やはり、世間的な差としては、終身雇用概念の崩壊が引き金になった‥としか言い様がない)


> 国内人口が減に転ずると、国内需要も縮小に転ずる
> その一方で多様化も進み、大量消費の在り方に激変が押し寄せていた


 ‥だがしかし、これの流れの多様化は
  ただ単に、終身雇用概念が崩壊した事による選択せざるを得ぬ形での自由化だった

  それは雇う方にしても同じで、そもそもは、多様化と言うよりは先行きが不透明なことによる
  成り行きまかせとした空気の方が濃いだけの溜息交じりの選択だった
  なのだから、自由化と覚しきほどの満足度(成り行きの見込み)を得ようと思ったら
  都市部一極化とした傾向を呈するのは当然の心理だった

  (謂わば平成より偏りが進んだ都市圏集中化は、中流意識を求めた国民側の意図だった)


 ‥そんなこんなの人口流動の結果
  時代は、大量発注をこなす為の残業から、少ない頭数で回さざるを得ぬ残業に転じていた
  当然、地域や雇用形態によりその差は様々だったにせよ、名ばかり店長が拡大していた

  大量発注をこなせば、休日はやって来るとした阿吽が途絶え
  何とかやり繰りする為の発注を少ない頭数でこなさざるを得ず、それが一段落したとて
  ローテーション人員が居ないなら居ないで、休日返上が延々と続くオチと化していた

  (薄利受注を理由に給料は上がらず‥‥給料を上げるなら人員を増やして欲しいの二択草‥)
  (給料も人員も乏しいままなら‥‥「せめて休みを寄こせ」とならん‥)
  (その手の願いは、客単価やら仕事量がどんどん不安定に落ち込むと強制待機としてやって来た)


> リーマンショックの流れで、海外需要が減に転じた
> 中華はまだまだバブルを演じていたが鬼城が目立っており、時間の問題だった


 ‥そこに諸々とした国内被災事情が絡み、もう何が何だか判らない先行きと禍した
 (出生人口は減少し続け、国内シェアは当然として縮小傾向に落ち、さらに多様化が進んだ)

  この段階になると多様化なんてまやかしで
  単に格差の裾野が広がっただけの結果で、求められるニーズのばらつきが拡大したオチ草

  (それはそれで‥どこもかしこも経営負担×労働負担にしか成らんのだから)
  (漸くにして、非正規雇用の拡大の行き過ぎに危機感を募らせる様になった)

  (いやはや、そうに非ず)
  (非正規枠を拡大することで、中間層適な多様化を牽制×抑制やらかしていた草)
  (そこまでしないとコスト削減できかねる風潮と禍していた)

 (其は都民の困窮ぶりからして罠の如し、都会に出ても中間層を目指すことからして怪しくあり)
 (わざわざ重税の追加払いを希望するかの如く‥「いざ都市部」とした風潮に堕ちている)
 (それが令和の益々の首都圏一極化くさ‥)
 (いやはや地方は地方で被災絡みだし‥‥まさに、誘導されてるみたいな‥) 


> 人工気象装置をそのように使いこなすとは、まさに安い雇用の囲い込みに追い込む為の罠の如し



1-3)1

> コロナ禍後、最低賃金の上昇が色濃く扱われるも、物価高と禍して元の木阿弥も同然草
> さて問題である、今後起きるだろう雇用の変化とは?


 ‥民族人口がどんどん減ると、非正規活用のローテーションもままならなくなるだろう
  すると、ドドーンと休日を確実に設けるのが望ましいとした意見が目白押しになるに違いねぇ

  (そう考えると、軍国時代に軍隊の日々が月月火水木金金と謳われていた一方で)
  (庶民が休日をしっかりと保っていたのと同じに見えてくる)
 (エネルギーの活用自体が軍事色に染まらざるを得ぬ経済事情も相まって)
 (庶民の暮らしへの投資に高揚感など無かった‥‥まぁ当時はそんな案配だった草)


 ‥翻せば、人口減ともなれば、急激な人気変動も起こり難いとした見方にも成らん
  世間的にもブランドイメージによるシェアが安定しているとすれば尚更だろう

  (新規参入して横から入り込む風潮とて、どこ吹く風に成るやも知れん)

  斯様にもライバル登場とした気配に薄くなろうなら
  そりゃまぁドドーンと定休日を設けた方が福利厚生に適っている様にも見えり(私見)


> もはや雇用創出とばかりに、新規チェーン店拡大を過激に目論もうと誰も付いてこない草
> (だってそれって、急成長=名ばかり店長×休日返上パターンなだけなんだからな)


 ‥それでも、昔と現代との違いと言えば、休日の過ごし方だ
  じっとしていられないとした用向き傾向だけは
  どうにも高度成長期とした空気からさほど変わりばえなさげなご様子に思われる

  但し、全国的に廃業が拡大しては、どこもかしこも同じブランドばかりが並ぶのだから
  (移動のし甲斐も減ってしまうのだから)
  特徴を持つ目的のブランドが近くに有った方が得なんじゃねぇと思う向きとなり
  一層のこと越してしまった方が満喫できるんじゃねぇとした考え方も増えるのかも知れん



1-3)2

> 其は、航続距離の長いエアモビリティの登場ともなれば、背中を押すことにもなるだろう


 ‥すると、それな思考に火が付けば、問答無用の都市部構造の激変時代がやって来る
  人口減から残業が減り、休日が多くなったら成ったで、都市部一択で稼ぐ意味も用も減る

 (ならば、てめえの用向きと用向きの中間距離に居を構えた方が無理が出にくいとも考えられる)
 (空を飛べるとは、そういう事だし、燃料の都合からしてそうならざるを得ず)



> 車と違って、一度空に上がったら、途中下車なんか考えねぇ


 ‥20m程度なら下りる気にもなるだろうけど
  そもそも、高度差で上りと下りを演出した方が事故が減る
  そもそも、上りも下りも同じ高さでの通行なんて非効率すぎる

  (未来映像の紹介からしても、企画側の感覚がまだまだ洗練できていない)


 ‥そもそも、空を飛ぶと言うことは落下が付き纏うのだから
  バッテリー容量に響くことを避けるのも空気だろう
  (気軽にタンクを満タンにできる地上×ガソリンとは異なる事情がそこにやって来る)


 ‥すると、給電ステーションへの要望としても、昔ながらの一里塚概念の再来になるだろう
  (給電ステーション都市扱い‥みたいな)
  そのように都市の再整備を要求することになる

  其は、バイパスが登場した結果、駅前商店街が衰退したのと同じ現象に見舞われるのだ

  だが、折角にそれに即した都市を再整備しようと
  バッテリー技術が進み、より長距離とした移動がエアモビリティにて可能になったとすれば
  それはそれで一里塚とした概念もあっという間に崩壊する事に成らん

  そうなっては困ると思えば
  「じゃ空に、気球型の給電ステーション(母艦)を創ろう」‥とした気運が高まるだろう

  結果、後追いで反重力装置が登場したりなんかすると
  エアモビリティとした概要もすってんてんに様変わる事に成らん


> だがしかし、世代交代とした十分な間隔を設けて意図的に進行するなら
> 確かな雇用創出として扱えるのだろうけれど‥‥如何に?


 ‥とはいえ、まずは地上と空中での生活感の違いとやらの
  急激な変化に付いて来れない向きには、水素燃料ありきになるしかねぇ

  だがそれにしたとて、スタート時点での水素燃料費がお高く付くと
  そりゃまぁ習慣的にちょくちょく寄り道着陸なんてやらかす事も無く
  目的地第一に成らざるを得ず

  (一度身に付いた習慣は、諸々世代交代するまで続くどえす)



1-3)3

> まぁそれと並んで、在日米軍支配(横田幕府)からの解放が起こらないと
> 日本の空も東南アジアの空も自由化されん


 ‥人口縮小(過疎化)した間間を縫って空を飛ぶ方が、道路を規格するよりコスパが高い
 (むしろ、過疎化した地域の再活用として、給電ステーション都市を構築した方が無理がでない)

  それでなくても被災して道路寸断ばかりしていては困窮するばかりなのら

  そうなってから、在日米軍支配(横田幕府)の排除を望むのでは遅すぎる(まぁそんな感じ)

  (そう考えたなら‥‥石破茂の思い描くアジア版NATO構想は、渡りに舟ありきなのら)
  (当然、憲法九条の取り沙汰が際立ってくる)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:46 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする
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