記稿.2025/01/14
> 人権とは何を指し、何処を向いているのだろうか?
‥てめえの自分勝手が通るか通らないかで言うと、他者の人権については眼中に無いわけだし
そういう都合に対して、自由競争とか、早い者勝ちとか
挙げ句の果てに「負けた方が悪い」とか、「騙された方が悪い」などと‥捨て台詞を吐く始末だ
そういう人柄による人権主張は、てめえの自尊心の尊重を中心に語るのだろう
そういう一方通行な見方ありきなのも人権保障のストライクゾーンらしいz
‥一方で、同じ自尊心(プライド)でも
経験に裏打ちされた是非から来る判断力とか、行動力になると、其を「誇り」と呼ぶらしい
それはそれで、どことなく‥できる人の上から目線に聞こえる場合もあり
でも、立場が下なら「No」を突きつける意気込みそのものだろう
(前者より後者に人気が傾くにせよ、性質はまったく同じなのら)
‥誇り云々振りかざそうと、てめえの苦手事になるとタジタジだったりするのだから
何を以て、誇りとしているのかは、とても曖昧で怪しけれ
そげな尺度からすると、人権として守るべき誇りとは、継続的な生業の保障を指すのだろう
だがしかし、需要を失えば供給の継続は無理な話だ
ならば、誇りを抱くにも抱き続けるにも、需要を失わないように日々をやり繰りせざるを得ず
> だがそれでは、目的が誇りであって、てめえ勝手な誇りに堕ちる事でもあって
> 自尊心の一方通行とした其れと大して変わらないではないのか?
‥必要なき需要を、是が非でも継続するための悪意だってあるのだ
其れのために、政を裏から操る類のオチだってあるのだ
ならば、誇りがもたらす副作用とて
人権保障のストライクゾーンとした中身に見えてしまうではないか‥
(一般的に其を自由権とか市場原理とか、よくもまぁ言い得て奇妙であるな)
結果的に多くのやり手が「結果悪意」をやらかす可能性を高く保持する事に成らん
‥其を全体俯瞰するならば、特定の社会環境が保持できればそれで良しとした塩梅に堕ちるのだ
まさに、党閥制度の流れを醸すばかりだろう
それではどうしたって、党閥闘争の存続こそが、人権保障の礎としたバイアスに掛かろう
「‥そんなばかなぁ」と思わざるを得ずも是非も無し
> 一方で、不得手とする環境問題に及ぶと、世界中で無力三昧なんだから糞どうしようもねぇ
> ちびっとずつ善くなれば良いと思うにしたって、それは人間の都合でしかねぇ
> それはそれで「其れの何処に『誇り』などと呼べる実体があるんですか?」‥と問わざるを得ず
‥ならば、自由にほだされてきた人権音頭の全ては、単に標語だったらしい
競争にしたってそう、物欲にしたってそう、誰かの為になんて言ってもそう
「困っている人を助けたい」との呪文からして、どうしたって上から目線なり
いつだってその呪文に対して「お前には困っていることが一つも無いのか?」
と、ツッコみたくなるz
とどのつまり「私を助けたい」と叫んでいるようなオチなのら
就職できなかったら、真っ先に困るのはてめえ自身なんだからな
人の良さそうな主張をしているようでいて、言葉に哲学がまるで無し
> 普通に「‥暮らしで困る要素を減らしたい、減らせる人になりたい」と言えば良いだけである
> すると、人権の尊重とはシンプルに「『ありがとう』のある暮らし」‥という事に成ろう
‥その言葉には、上も下も無い
謝意としたリターンが伴うなら、双方向なのら
まさに、人権の尊重とした足取りが見えてこよう
‥そもそもにして、困りごとなんて奴は、時折に湧いてくる迷宮みたいなものなのら
そこには、迷宮に挑む自由があるだけで、無理と思ったらスルーするのも日常だ
但し、放置しといて安全であるとの保障に無きが、迷宮暴走とした暗雲なのら
なので、無駄に迷宮が湧いてしまうような社会の有り様を人権の尊重とは呼べん
政府や行政が、無力すぎて機能していないと思うような日常は其れそのものなり
‥ならば、其れらを裏付けているルールや体制すべてが、結果悪意の塊に見えて当然である
されど‥どうにも勘違いクソッタレが多すぎる
そもそもが、自由にほだされすぎていて、人権の尊重の捉え方が怪しいからに他ならん
何はともあれ、結果悪意を認識できなければ、当然の成り行きのまま消失に向かうばかりだろう
> 迷宮をレベル上げの為だけの都合の良い道具に思うか
> 迷宮からの利とて、過ぎたるは及ばざるが如しとして、必要以上を望まないと判断するか
> 迷宮暴走にしたって、其の真実が、欲とか血の気の多さとか人間側の性質の変容含みだとしたら
> 異世界妄想にしたって、現実社会にしたって同じくせぇのら
‥自然界からも迷宮からも、謝意を賜れるぐらいが丁度良い
人権の尊重を口にして語るなら、そういうフラクタルであるべきだ