2025年07月19日

【フラクタル】正しい生活とやらの奥深き甲斐の解

↓9)記稿.2025/07/19

> 「魂が宿る」とは、なんじゃらほい?


 ‥例えば、名刀には魂が宿るとか言うが、それは何か?
  単に喩えなのか、それとも、其れの具体的な中身とやらが有るのか?‥ならば、それは何か?

  其を「刃こぼれし難いとして、それも、達人が扱うからだろうバイアス」と仮定したとて
  何がどう違うのだろうか?

  ‥‥刃こぼれせず?‥‥されど手入れは必要なり??‥‥

  ‥名刀に仕上がるには、名工によるイメージと仕上げまでの過程が必要なり
  そして、達人による取り回しを積み重ねて、漸くにして名刀に至るのだ‥とかなんとか

  で、何がどう違うのだろうか?(どうせ手入れの必要は同じだし、刀としては同じだろう?)


  (日常ではその範疇だが、マンガ・アニメでは、使用者のエネルギーに耐える器であるか否か)
  (もとい使用者側にもエネルギーの違いがあり、逆に、聖剣を扱うにたる器か否か)
  (なんて表現もされるわけだが、そちらも合わせてなんじゃらほい?)

  ‥‥その様に語らんとする本質とはなんじゃらほい?‥‥


> フ、フフフッ腐


 ‥では問おう
  三億年、人類をこき使うことしか試みぬ勢力と、活かす事を試みたる勢力との差とは何か?
      それに付き合った側、付き合わされた側との違いとは何か?

  ‥なるほど
   愚直に同じ事をし続けて、時間を掛ければかけるほどに
   その心根とした回路が形成され、斯様なるに適った魂が形作られる‥‥
   というのが、実際のところらしい‥‥

  (人格とは、チョちょいのチョいとカスタマイズできるような代物に成らず)
   (特化型な能力付与は、わりと可能らしいけど、どう使うかは当人次第なり‥まぁ同じと‥)

  (その代わり、折角に育てたのに、クズに壊すのは意外にも簡単で草)
   (それって失敗作でしょう‥‥みたいなオチで‥ならば、壊れにくい者との違いとは??)
   (引き続き実験したくなったくせぇオチ段階なのが‥‥私たちの世界軸くせぇのら‥‥)


 ‥結果、正しい生活を繰り返せば、それが自然体として身に付き、誰から教わるわけでもなく
  何度生まれ変わっても、正しい生活と共に記憶が復活するが如く‥身に付いており‥
  想定内の環境を得たならば、さらに磨きが掛かってしまうとした流れを放つ草

  (何はともあれ、面倒くさく思わなくなるともなれば、お得だものなぁ)
  (面倒くさいと思わぬ感性こそ、最強のチートだもなぁ)


> それこそが八正道の心髄にあり‥なんだろうなぁ
> 然れど、逆も然り


  例えば、絵ばかり描いていて絵の達人でも、絵に関しては、細やかさを尽くすのに
      それ以外はまるで面倒臭がりで、他人に押し付けるばかりの畜生と変わらねぇとか
      そういう出来映えにも仕上がる草

      刀を振り続けて剣技を修得していく過程で、試してみてぇと思うにせよ
      その力をどう振るうべきかの問いが空っぽなら、空っぽなりの流れに流される草

      科学にしたって同じ事なのら
      (都合の良いことは騙るように語るけど、都合に悪いことはひた隠す類の畜生で草)
      (結果、好きは上手だけど、嫌いは苦手のまんまとしたクズ構造どえす)

    (もとい、吸い上げ上手だけど、配分下手な‥‥クズ社会システムどえす)

  (何がクズかと申せば、苦手をやっていただいているのに、格下扱いに見下す性質どえす)
  (其れ畑にねぇのに、椅子に就いたからって、ドヤで命令を下してくる資本上等なタイプどえす)

    (それな何様を正しく修正するにも、正しい生活こそが最短ルートに仕上がるとか)
    (とはいえ、何様ぶりな輩は、手間にまみれるスローライフなんて‥まずやらん草)
    (好きなのは、命令を下す事だけ‥みたいな)


> とくに、田植えと稲刈り‥の類は、修正を得るに最強たる概要なのだろうなぁ
> (ソレとアレ、体幹を鍛えるのにもってこいの姿勢なんだろうなぁ‥‥今や運転だけだけどな‥)


 ‥確かに、特定の時節内に
  「すぐやれ」「さぁやれ」は、マイペースとも違って大変だろうけど

  ‥とはいえ、現代社会の日常の方がもっと日々月々‥なのだから息つく暇もねぇ
   ぶっちゃけ(そういう比較でなら)、田んぼの方がなんぼかマイペースありきなのら

   ‥もはや、誰も判断付かん草‥
   (だってねぇ‥買い叩かれるばかりなら同じでしょう‥みたいな)

 (否、今やすべて買い叩かれており、クソッタレなんだから‥‥正しい生活なんかあるわけねぇ)
 (どう考えたって、そういう時代色に落下したんだよなぁ)



1-9)1

 ‥名刀には、名工の魂のほとばしりのコピーが、愚直な繰り返しの中で宿り
  さらに、達人の取り回しにより、その意思のほとばしりが宿り
  手入れとした過程に置いても‥その意を汲むらしい様相にあるっぽい‥‥


> ならば、誰だろうと、辿り着くまでの道のりは、至って公平にあるのだろう


  ‥公平に見えないとすれば、名工の技量だって上がるとした点のみなり
   あと、時代も変われば先人も入れ替わる‥その手の生まれ学べるチャンスは公平とは限らねぇ
   (そこはまぁある程度、調整要素あるあるだものなぁ)

  (然れど、てめえが独学にて、先人に至るとする可能性は公平と言えるだろう)
  (それにはまず、研ぎ澄ました心で、すべてを等しく見定める心根が不可欠なり)

   ‥そんなこんなで、売上だとか格付けだとかを、気にするばかりなら
    それはそれで、てめえの技量の否定に繋がるフラクタルなオチで草

    (成長ほど、効率に非ずとした様相を理解すべし)

   (効率を気にする裏側を問えば、其は、好奇心の枝切りだものなぁ)
   (好奇心の枝切りは、てめえの可能性の枝切りフラクタルだものなぁ)
   (結果、便利の格付けを真に受け、てめえで考える以前から枝切りして鼻高々で草)

  (AIは、その格付けを再整理するだけで、自らの体験を血肉にはできん)
  (なのに‥人間より進化する可能性を有するとか‥‥お前らどんだけ体験欲に貧しいんだよ)
  (AIの向上より、お前らの劣化せる加速が優るだけで草)


> 何であれ、直す・治すことを知っていると、魂を宿したが如く、長持ちする次第にも通ずるのら
> なら、名工であれば、始めから長持ちする理屈を込めてあり‥みたいな


  ‥凡才はすぐに真似たがるらしいけど
   弟子の下手からも学ぶべき好奇心を持たぬ者は、教えるのが下手なままなり

   だが、需要バランスとしては、型しか教えられなかろうとて問題なし‥というオチらしい

   弟子の持ち味を確認できる「名匠」にも達すると
   そりゃまぁ成長とは何かを織り込んだ仕上がりにも至るのだろう
   それ程の人格を有すれば、それこそ、てめえの成長ぶりを味わえるが如く
   己の意のままに使い勝手が向上する業物を得るのやも知れんな


  ‥フ、フフフッ腐
   ぶっちゃけ、道具が良いと、てめえの成長を実感しやすいというオチでもあり
   まぁそれだけ使い込む物好きなら、尚のこと道具の善し悪しに細かくなって当然なのら
   それ位になろうなら、型枠打ち品だけでは物足りんのだろう‥‥そういうオチでもあり

   (最高峰登山ともなると、ライター一つにさえ‥こだわるそうだからなぁ)
   (ライターの故障からして、てめえの生死に直結するのだから当然だけど‥)


  ‥捨てれば良いとか、買い直せば良いとか、その度に、魂を通わせる手間(慣れ)を要するのに
   効率が良いと思い込んでいては、とてもお馬鹿な理屈なり‥‥(マジで残念な経済観)

  (魂を通わせる気が無いのに、手にしたって似合わんし、落ち着かんし、身に付くもんでもねぇ)
  (道具だろうと、友だろうと、てめえの世話だろうと、すべて同じ理屈なのら)
  (使い捨てで満足な‥‥流行り廃りで満足な‥‥B級な社会色堕ちなのら)

  {ぶっちゃけの多様化しすぎ}={逆に無駄になりがち}={お部屋も冷蔵庫もすぐ手狭‥}
   → {オーダーメイド回帰}={地味で創意工夫な職人の世界観こそ上等‥みたいな流れ)


> ならば、「なんだろうと面倒くさく思わず」=「何でもします」‥??
> その次に最強チート要素は、「広く尽きぬ好奇心(ツボを見つけ出す突破力)」‥みたいな
> その次が、「尽きぬ体力」「底知れぬ集中力」に御座い‥とかなんとか



1-9)2

> 面倒くせぇと思ってしまう段階で、既に残念なポンコツどえむ
> まずは、そういうのからどうにかしていかんと、正しくすてきになれん草


  ‥ならば、面倒くさく思ってしまうような生活様式からして正すべきが本筋だけど
   (でも、先立つ元手が無いと改善を優先できない‥みたいな)
   (何はともあれ、元手を稼ぐところから始めなければならんのがとても面倒くせぇ)
   (そもそもにしてそれ、整理整頓をできかねる理屈のドツボにありんす)

  (なので、始めから馬鹿みたいにカネなんて掛けんのら、掛けるなんてナンセンスなのら)
   (だども、その手のナンセンスを推奨やらかすのが資本主義に御座い)
   (何はともあれ、返済にかこつけた吸い上げ支配が目的だものなぁ)


  ‥そんなこんなで、面倒くさいと思う社会環境やら人間関係ばかりになりにけり
   なのでうまく行かないと、郷里を探し直す‥(会社選び)から始めなければならね‥‥
   (それこそ、先立つ元手が無いと無理なのら‥‥もとい、才覚×やる気×居着く気なり)

   ‥‥それ、ハードとソフトの割り切った使い捨てみたいな流れで草‥‥
   (その手の使い捨てにさえ、相性やら互換性が付き纏うのに、噛み合う分けねぇだろうが)


  ‥そげな存在価値の使い捨てをやってる時代なのに(なにが人権尊重だよ、ふざけんなッ)
   皆で其を‥活性化とか雇用創出とか新たな開拓とか‥ほざいとるんやで‥
   結局は、田舎を捨てて都会に出て、そして、捨てられるが如しや
   (そのまんま作用と反作用なり)


> 現代社会は、どうしたってそういう釣り合いなんだよ、どこに魂を宿せる余地があるんや?
> どうしたって、使い潰しの名工、回転率中毒な名工、需要の先食いの名工なのが
> 資本社会の構造だよ、その点においてだけは、最凶に面倒くさがらねぇからなぁ


 ‥一番に何を吸い上げているのかというと、他人様の好奇心どえす 
  なので、他人の好奇心を吸い上げるための仕向けに、ご多忙なのも資本社会で草

  (其を無知にも、ゆとりがあるほどに‥「すてき」とか言うとるんやで)


  クックク苦苦、なんでだろうな、本音にも「詰まらん」を連呼するよりは
  社交辞令の如く「楽しかったです」を連呼した方が、企画側の助けになる下りだけど
  お客の数は、馬鹿正直だものなぁ

  ‥でも、ぶっちゃけ
   斯様にも、そうやって気を回して、本音を吐かないで居る場合のフラクタルの方が
   モテはやされてリッチに成れるんだとしたらどうよ‥‥誰も本音を吐かねぇよなぁ

   でもその代わりに、ストレスに弱い口でしかねぇオチだったらどうよ
   (どうしたって、半分は、苦手とのお付き合いありきだものなぁ)

   本音を吐いて強くあるとは「何か?」って問いに、及ぶに違いねぇはずなのら


> どちらを選び、やらかすかは、それこそあなた次第なり



1-9)3

> 日本には、面倒くせぇ気持ちを薄くするための秘策あり
> 其は、誰もがご存じ、「四つ足を喰うべからず‥」とした下りらしい


 (たったそれだけの差が、古き日本と‥どうにもグローバル世界との違いくせぇのら)

 ‥其は料理文化の違いとも言えようか
  料理文化の多様性を尊重しつつも、社会的な持続継続を織り込むと
  その頂点は、日本料理の真髄みたいなオチで草(素材を活かしてなんぼなり)

  ‥‥だけど、水源豊富な島国環境ならではなんだから
    世界を俯瞰したって、そこまでドヤに吹聴やれんオチでもあり‥‥

  (なので、食の多数決にしたって、肉派閥の圧しで草)
  (それはそれで、脳筋上等な世界観の踏襲で草)
 (戦争ヒャッハー!、戦闘ヒャッハー!、俺が一番で上等っお前死んどけヒャッハー!で草)
  (四つ足の肉ほどやめらねぇと思ったら‥そこが水準にどとまるのら)
  (四つ足肉を食うてばかり居ると、爬虫類脳とやらが活性化するんかいのう??)


> ならば、正しい生活とは、自重の仕方の創意工夫にあり、全面否定を唱えるに及ばず‥‥
> 斯様なるフラクタルでもあるのだろう



1-9)4

> 戦争放棄な定義にしたって


  正しき暮らしを保持する上での必要限度な防衛手段の確保と保持を認めるとするも、
  ハードな外交に陥ることなく、ソフトな外交を目指すとするも、
  相当に仕方がなき情勢に及ぶに至っては、もはや、やむなしとして防衛能力を行使する所存なり

  とした方向性を示すべきに思われる


 ‥とはいえ、主体が‥‥持続継続可能たらしめるに相応しき『正しき暮らし』‥‥ともなれば
  まず、それについての定義が必要不可欠どえす

  その手の定義を基本的人権とした文言だけで、しれっと省略しちまっているのが
  現代社会におけるすべての憲法どえす

  (何はともあれ、仕掛け人が西側諸国だったしなぁ)

  結果、その手の基本的人権を多数決ですり替えており、すべておざなりのやっつけにて候

  (何はともあれ、仕掛け人が西側諸国だったしなぁ)


> 秘守の用向きにしたって、民衆間で勝手な憶測が飛び交う次第にのぼっては
> 其は、もはや正しさを担保でき兼ねるのだから、公開に踏み切らざるを得ぬ経過なり


 ‥とした判断基準を明文化できていない時点で、何が民主憲法だとして訝しがるべき次第であり

  然れど、そうでないから、自分たちの限界を推し量れずに
  各々勝手にまだやれるはずなり‥とした意見の混乱が「先送り×丸投げ創設」を招くなり
  (結果、上層部の無能ぶりにしか見えんオチなのら)


  ‥情報の公開しすぎは、敗北を招くとかなんとかで非公開なんだろうけど
   「利権×プライド」の都合あるあるなんだろうけど
   戦争の際の敗北概念をどう示すべきか‥とした理解を得られない前段階で、すでに腐敗臭なり

   (それで同盟に頼ればイイ臭あるあるなのが、ウクライナ戦争どえす)
   (すると‥‥同盟側の敗北概念なり定義に従わざるを得ず‥‥草)
    (それでなくても同盟に頼る側は、我ら一丸で肉壁同然なりを告げにける次第なのになぁ)
    (丸投げフラクタルの見本市で草)



1-9)5

> 時は今、高齢化社会なり
> 正しい生活ゆうたって、加齢と共に根気の質も変わりだす
> さてさてさて、どうしたら其を保てるであろうや?


  ‥例えば、戦好きで「太く短く」をカッコイイとして、やらかしてきた症候群な魂なら
   四十歳をすぎれば、未体験ゾーンで草

   其は、勝ち負けに関係なく
   もはや斜陽‥とした生き恥を晒し続けねばならぬ次第でもあり
   そこの踏んだり蹴ったりを、如何にしてやり過ごすべきなのか‥‥

   (それでいて格差社会なんだからなぁ)
   (いつの間にかの増税慢性化社会とした空気だものなぁ)


  ‥昔ながらの浪人なら「今こそが好機なり」なんだろうけどさ
   集うに値する旗の下が分からんと来たもんだぁ

   もとい、向こう側の未体験ゾーンに位置する連中こそが、増税路線くせぇ下りなのら
   学級枠に丸めて語れば、「目ざといワルvs不器用な真面目」なのら


> 戦後から七十年(2015)、欧米流自由主義のポチをし続けて、何やら不可解なりと騒ぐも
> 戦後から八十年(2025)、漸くにそげな体制下のままなポチに反旗を抱くようになりました‥


  ‥みたいな自由主義とは、大衆にその手の魂を宿らすに届かぬクソッタレ構造だった
   もとい、自由主義と民主主義とした対立軸は、世代交代を経ることで
   ポチとした屈辱からの脱出を考える用向きを忘れて

   ポチのままになりきるに及んでしまう対立軸だった、斯様なる堕落コースだった


> 其は、まったくに、てめえの苦手を他人に丸投げしとけ時代だった
> 民主社会なんだし、すべては良くなるだろうとの思いこみ丸出しの丸投げ大会だった
> そしたら、どうにもこうにも、八方塞がりの詰みに近づきにける増し増し感にて候


  (夢の島、夢の州と呼ぶに及ぶ‥腐敗臭ありきなら至極当然なり、それのフラクタルで草)

  ‥斯様な社会情勢のどこに正しさを求めて、生きれば良いというのだろうか?
   結果悪意にしか成らねぇ時代に、なにをどう正しく在れというのだろうか?

   否、基本は己であって外になど無し

   そこの理解が、自由とした勝手すり替えと共に消失せり

   たいていの自由主義は、資本主義の代弁をやらかすのみで
   外にあるなら利用すれば良いとして、侵略欲丸出しで草

   そこのワル性分と同じなのが
   外に期待するだけしといて、後から愚痴を垂れにける大衆臭なのら
   (その手のモチベーションは、犯人捜しには向いてるけど、八正道には遠いのら)


  ‥で、お互いに身に付くところが何も残らねぇ社会構造を不可解に思うのに
   戦後八十年も掛けたどえむ(どんだけ依存で、成り行き期待で、丸投げなんだよぉおおお)


> 結果、八十年も経ったら、斯様で残念な症候群に、日本が出来上がっちまっておりましたとさ
> (それをやらかした与党こそが主犯とはいえ、支持した方も同根で草)



1-9)6

> 「民主社会とは何ですか?」


  其はどうしたって、民主主義とは違います
  多数決の担保を持って、公正公平を保持するとは限りません

  ‥支配の裏付けを財産解釈とか
   其れ「すり替え」ですから、其れ「違憲」ですから

   憲法改正の要請が国民側にあるとしたら、そげな矛盾色を剥がすことのみどえす

   そりゃもう、そげな矛盾色に蟲かないようにお互い様で政に参加する事なり

  (でも、誰しもお家主義脳だから、すぐに卓袱台を返したがるのら)
  (その手のお家主義の多数決を以て、民主主義にすり替えるから、民主社会は到来せんどえむ)
   (そもそもにして、お家×派閥然とした仕切りでのフラクタル構造だからなぁ)
   (その一番下が、いじめられ役って扱いなんだし、吸い上げなんだし)

  (マンガ・アニメで言うと‥‥やられ役=いじめられ役‥‥みたいな) 
  (何が正義だよ‥‥バランス感覚悪すぎて草、社会全体で常にそれなグレーで草)


> 挙げ句の果てに登場する背景が、かつて貴族の影で蠢いてきたマフィアまがいの一家一派とか
> 更に遡って、人類計画の乗っ取りを画策せる輩ありとか‥‥天文学的問いに及ぶのら‥‥


  ‥ぶっちゃけ誰もそこまでを想定していないのだから
   民主社会そのものからして、絵に描いた餅だった草

  (宇宙が斯様なる支配欲にまみれて在るのなら、其れに対抗できうる強さを保てねばならね)



1-9)7

> なのだから「心の強さを得るために正しい生活をするべし」
> でも、それって‥宗教観そのものですよね!
> ところが、日本ではそうは呼ばん‥‥「神道」と呼びにけり


 ‥神道は宗教に非ず、古来よりの心身の修養観なり
  自然体としたモノの見方なり

  と申し上げれば、聞こえは好いモノの‥
  世界の全ては、とある事象を基点にねじ曲がってしまったのだから

  神道とて、その点においてはさほど変わらず、それのブレを、総じて「穢れ」と呼びにけり
  (その穢れの払い方を失ってしまっては、身も蓋もねぇ)

  再度取り込んだのが、仏教だったみたいな
  だがそれとて、密教依存に傾れ込んで、同じ過ちの繰り返しで草

  (秘法も魔法も科学も‥使い方の過ちがすぎてて草)
  (俺が上で一番願望あるあるの奴に持たせても‥残念な結果にしかならんオチで草)
  (それな脳でオリンピックを眺めなければ成らんオチでもあり‥糞)


> 己とする魂をどう描き刻むのか?
> 古来よりの教えとも成れば、其は一調子でしかねぇ
> 基本は基本、応用は応用、己の中に多様とした解(人格)を見るのもあり


 ‥然れど、穢れは宜しくねぇ
  其は、何がどう違うというのだろうか?

  ‥その際、わざわざ憎しみを刻みたい奴も居ねぇわけで
   知らねぇうちに、及び腰ともなれば、それはそれで行き詰まりを見せるのら

   だからといって、そそのかすように好奇心を煽るのは神仏の立場に非ず

  だがしかし、宇宙には、買って出る物好きがごまんと居ったのだから困らない
  困ることになったのは、それこそ混沌状態からの鎮静を如何にして経るかだった‥‥
  (どうにも神々からして、チャームに掛かってたオチで草)



1-9)8

> クックク苦苦、他人が甲斐を得られない選択支を自己責任と言い伏せて
> 我々は正しいなどと思い込めるのは、実に25%なり


 ‥この四人に一人とは、まさにファミコン所有率、PC98の所有率の如しで草
  25%が安泰なら、日本は大丈夫‥とか思い込んでるのはまさに環境の差なり

  (競争社会だからとした勘違いも甚だしく、どうにも、ユニークスローで草)


> 恵まれない環境の奴ほど
> 友達が持ってなさげなゲームを印象で選んで買ってしまい、後悔しまくるトラウマで草


 ‥恵まれている奴ほど、まずは評判のタイトルを選んで話題にありつくことを考えてあり
  恵まれている奴ほど、まずは評判のタイトルを選んで話題にありつくことを考えてあり

  だが、そうになき暮らし向きの場合
  欲しいと思う気持ちを優先してしまい、交換したら遊べるよね‥を健気にやらかしてしまう草

  タイトル開発からして競争だとした中身を知らんと、やっちまうみたいなオチなのら
  (スポンサーからして、売れそうにねぇと判断を下せば、開発中止あるあるだからなぁ)
  (何も考えずに丸投げだったなら、そげなババを誰が掴むことになるのやら?)
  (普通に考えるに、開発陣が丸呑みしろよ‥‥いたいけな少年にまで丸投げするべからず)


  ‥とはいえ、失敗した悔しさを知らんと、理解に及ばんオチなのも確かなのだから
   あのソフトを開発した連中を、生涯怨んでやる‥ぐらいの残念な刻を刻むことにも成らん

   恵まれている奴ほど、小さいうちに小さい程度でそれとなく達観していたりするのだから
   三つ子の魂とやらの環境差たるインパクト差を思い知るばかりなのら

   (なにはともあれ、豊かさ=見比べるに足りたる情報量‥‥だからなぁ)
   (で、そのまま「比較脳」に育って、比較に振り舞わされがちな人生そうでもあり‥草)

  (とはいえ、思考材料の少ない環境にて過ごすと、それこそ考えるのが面倒くせぇにも陥らん)
  (まぁ好奇心が宿るか否かの違いは、また別に在りそうだけどなぁ)



1-9)9

> 結局の所、正しい生活の前に立ちはだかるのが、正しきモノの見方であり
> その本質には、「私とは何か?」「何をしたいのか?」とした問いを含むなり
> そうになければ、「解」は得られん、もとい「甲斐」なり


 ‥で、「何かをしたい」のであれば、本気でそれを表現したいともなれば
  正しき語りが求められ、次に、相手の反応を正しく思えずんば、何事も危うし

  もとい、私を正しく思っていただきたいこそが滲み出る次第だが
  どんだけ「てめえ自身を理解しているかのか?」を正しく知らぬ者ほどモブで草


  ‥そういう意味では、悪党とした認識理解ほど容易く
   外道とも成ればさらに容易し

   然れど、「本物の私とは?」なんて‥なかなかに解には及ばず
   そこには、したいことをやり切る姿が求められ、結果として、結果悪意ではご破算なり

   ならば、お互いのしたいを阻害し合っては意味なし
   ならば、阻害に及ぶ競争に意味なし、市場淘汰を上等などとは論外なり

   ならば、現代の地球文化が、澱の塊だとの理解に至って尚更であろう

   そこで、宗教を担ぎ、神に丸投げとか‥‥
   どうしてそのように天罰上等とした思考に堕ちるのであろうや‥
   罰に当たらねば、文句なしに天国に入れるとか、とても低脳バイアスで草


   其は、神道に非ず

   神道においては、依存は御法度、非推奨なり
   「和の精神とは何か?」を‥永遠に問い続ける教えなり
   「和の精神とは何か?」を‥永遠に問い続ける教えなり


> 其は、「怪」を薄くしていく道のりでもあらん


  ‥神が絶対的に正しいなどと自惚れていてはやかん奴なり
   代わりに「和とは何か?」を猛烈に問う集群なり

   神々同士で「正しさとは何か?」を問いだしたら、それこそ戦なり
   其を「聖戦」などと呼称しようなら、それこそ神々に対する侮辱なり


 ‥和を問うて、敗北とせる如き有り様を‥聖戦などとは、ほんとに何様のつもりなんじゃらほい?

  「まずは、その手の『怪』を薄くして来いや!」



posted by 木田舎滝布麓 at 22:27 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする
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