↓9)記稿.2025/08/04
> 小学生の頃より、明治維新には関心が薄かった
> おっさんが陰謀論に出遭うと、その手の情報がキーになっており、ちょっぴり関心を持った
> そして今、小学生の時に不思議に思ったとある直感を思い出しにけり
‥文学表現的な角度から、明治維新の不思議を問うと、ポイントが三つほどあり
一つは、薩長同盟を堺にパタリと藩主の話が、映像に一齣も出て来ない点である(とくに長州藩)
倒幕の流れをみても、当時の若者が勝手に押し進めるばかりの印象なのら
藩主の出てこない筋書きとは一体全体なんじゃらほい?
(一方の攘夷派の藩主は戦場に赴きたくないので、年端もいかぬ息子を送る始末だった)
(とかなんとかとの紹介で煙に巻いており‥‥倒幕派もそうだったと言わんばかりで草)
> それにしても変なのは、その後の明治政府にも関与せず・できず???(どういうこと?)
そして二つは
‥倒幕派が勝利して後、不満を垂れ出しつつあった曽て藩主一同を黙らせるために
華族という爵位の叙爵を発案・施行したのは明治政府の面々であり
その方針の提案も決定も天皇に非ず‥‥それってなんじゃらほい?‥‥
(君臨するはずの天皇の最高権限を、明治政府が肩代わりするのって、なんじゃらほい?)
(まぁ叙爵といっても、名誉爵位で、領地管理権無しで、なんちゃって給付が付くみたいな)
(体の良い貴族年金扱いな爵位‥もとい‥家紋代を国民が支払い続けるオチなり)
(明治の帝国憲法とて、立憲思想なのだから、天皇の立場も憲法に制限を受けざるを得ず)
(国家神道も天皇制も糞もねぇ、これ幸いと、議会制を盾にした権威の濫用で草)
(列強から学んだことを日本風にアレンジしました‥‥で、押し通してきた‥不埒みたいな)
(其れのアレンジを天皇が許容できるわけもねぇ)
(開国で、立憲思想で、天皇権限の制限で‥‥それらがどう繋がるのかを正しく説いて見せよ)
(と経るべきキーポイントを‥有史では、端折ったかのように‥暗殺説が登場するのら)
(そして、英国に倣ったからと言わんばかりに、領地管理権のねぇ爵位がズラッと並ぶのら)
(英国式なら、それこそ領地管理権のねぇ爵位は、名誉爵位で相続権もねぇオチで草)
(明らかにそこには、天皇の権威なんか一ミリと入る隙間もねぇ改竄なりけり)
(明治の頃より日本の伝統的な天皇は消失し、象徴権威(傀儡)に成り代わりけり)
> そして三つは
> 天皇すり替え説がマジだったとすると、誰が殺したのかよりも重要なのが
> どうして、すり替えに成功できているのか?‥という見方になり、これがとても謎
‥二つ目と三つ目の符合は、とても相性が良い(語りに落ちているのら)
(そして一つ目の符合とを噛み合わせると、結果クーデターで草)
(何者かが、薩長同盟の成り行きの背中を押すかのように、天皇を暗殺して古きを閉じたなり‥)
(‥したら、もう、出来レースを進むしかねぇからなぁ)
1-9)1
> ‥‥多分‥‥明治の帝国憲法の復活に恋い焦がれる御仁らの天皇解釈とてバイアスありきなり
> 明治の頃より象徴天皇でしかねぇのなら、わざわざなんちゃって元首として担ぐ意味がねぇ
> 現在進行形だって同じなのら
(違うとしたら、それこそ‥‥軍国主義の復活やりてぇ派で草)
(それとも違うなら、封建時代にまで遡りたいのか?、それとも平安時代にまで遡りたいのか?)
‥曽て明治政府の面々が、列強から学んだことは、富国強兵だった
今でも、そこだけは立派な顔をして教えてるっぽいんだけど
ぶっちゃけ、其は、世界には手本にすべき民主制度など無かったに等しいとした教育観で草
(それに対して、大日本帝国と称したのだから、始めっから真似っこの侵略性に満ちてあり)
(それに対して、大日本帝国と称したのだから、始めっから真似っこの侵略性に満ちてあり)
(今や赤っ恥の黒歴史そのものなのら、ならそうならざるを得なかった正しき見解を述べよ)
‥今更ながら、世界の格差は、無言で何を語るのであろうや?
(其は、世界には未だに胸を張れるほどの民主制度など無し)
(だから、護るために、ぶっ壊すためには、未だに無知にも軍国再建が必要です‥‥とか)
(では、その後どうするの?‥‥どうせ勢い余った差別的なお家主義群化堕ちが見えにけり)
> 今にアイデアが無いなら、明治の帝国憲法からして、まったくの化石どえす
> (武力では無しに、政治力で頼むわ)
1-9)2
> 大日本帝国では、不都合の黙秘は当然の解釈であり、軍人を格上に扱う不平等制度だった
‥ただ日本の軍方針では、現場で優秀なら、誰でも下士官までは上がれたのら
(士官入りしたけりゃ‥‥士官学校を出るべしみたいな‥‥)
(なので、お家主義と言うよりは、学業主義な傾向が強かった)
(なので、文民統制も糞もねぇ、その頃より士官以上は、ガリ勉まがいな軍人なのら)
(文武両道とて、そのパターンで権利を与えると、暴走するというとんでも前例なりけり)
(ならば、武に疎い文民統制なんざ、劣化版落ちで草‥‥)
(ぶっちゃけ、どちらも士族の家柄である場合が多く、昔も今も変わらねぇ‥みたいなオチで草)
だからだろう‥‥学業主義を軸とすればこそ、共産主義とて理想たり得たのだった
田舎出の士官ともなれば、そげな切望を抱いていても普通なり
(ゆえに、ロシア語を選択する動機にも成り得ていたなり)
だからだろう‥‥戦後にアメリカが、仮初めの民主化誘導に躍起だった
(ぶっちゃけ其は、国家のツケを国民名義に仕立て上げたかっただけなり)
(共産思想とも成ると「皆で返すのは当然」とした空気で、対立が生じにくいとかなんとか)
(自由主義に染め上げてこそ、誰か任せとした競争軸・対立軸にハマるどえす)
> ‥では問おう‥明治政府は、国家のツケをどうしていたのだろう?‥
‥陰謀論に聞こえてくるのは、「戦争」と「移民で送り込み」なり
江戸城の金塊をあてにしていたのに、空っぽだったのだからさぁ大変
そんなこんなで「からゆきさん」「はないちもんめ」とした人身売買が流行りだしており
取り締まっていた風でもねぇ
(アヘン戦争の二の舞は避けたかったとの武士道矜持なんざ、見る影も無かったのら)
(ぶっちゃけな言い方をすると、江戸城の黄金を逃がした面々は、国家投資をせずに)
(未来の新国家に投資せずに、結果売国に奔ったのら‥‥チャンチャン)
(金本位制からなる発行原理な見方を述べれば)
(スイスに逃がしたと覚しき黄金が担保になって、日本への貸付がされるというお粗末で草)
(結果、どいつもこいつも結果鬼軍曹オチで草)
1-9)3
> 陰謀論では、明治天皇は替え玉による傀儡だとの語り草であり
> そもそもの明治政府からして、黒船を背景にした列強のポチだった
> (グラバー商会をツテに経由していたのだから、丸投げ部分もありきだろう)
‥そんなこんなで、スポンサー経由の依頼とも成れば、藩主も黙るしかねぇオチと化し
つまり、グラバーの背景からの依頼ありきで
其れに沿いつつ、後は自由とばかりに、やっつけやらかしたのが倒幕派の志士だった
(列強が承認してくれるとの確約があればこそのイケイケゴーゴーだった)
(そもそも新撰組を北海道にまで逃がしてるって時点で、戦争で儲けよう症候群じゃん)
(皆で土方歳三こそ天晴れ‥言う前に、不思議でしょうがねぇ流れなのら)
(数の差が圧倒的だったのに、続ける意味って何だったの?)
(結局、それが雛型と化して、太平洋戦争での特攻にまで及んだフラクタルみたいな)
> まぁそのぐらいは、世界中であるあるなので、その点は誰もツッコまん
‥日本人として許せんと思うよりは、「ヱ☆そこまでやってるの?」
という過程と背景の方におののかざるを得ず
そして、その後の怪しさを含めると増し増しで、「これはあかん奴」判定に及ぶのら
1-9)4
> 政治の傀儡なんて世界中にごまんとある歴史の一コマだ‥‥其れが何かぁ?‥‥
> いやいやいや、歴史に興味があれば、まずは、傀儡の構造についても興味を抱くべし
‥明治政府背景の傀儡は、その構造がとても特殊で、複雑で、奇怪で、よくわからん
陰謀論では、田布施システムというのが持ち上がるのだが
これだけを取り上げても、奇妙と奇怪に満ちてあり
たまたまの偶然であるかのように、長州と薩摩には同じ名称の町があったという
それが何処でどう繋がるの?‥‥真相なんてわからん‥‥そこで文学的に補強してみよう
黒船来航 1853年7月8日
生麦事件 1862年8月(薩摩藩主島津久光の行列に遭遇したイギリス人4名がDQNをやらかす)
攘夷決行 孝明天皇は、1863年5月10日を攘夷決行日と定めた
(其れを受け、長州藩は、下関海峡を通過する外国船を砲撃せり)
薩英戦争 1863年7月(生麦事件の賠償要求→拒絶→報復)
四国艦隊下関砲撃事件 1864年8月(長州藩への報復)
(双方、攘夷の不可能を悟り、開国へと方針を転換)
> なぜ列強は、同じように他を攻撃しなかったのだろうか?‥とても謎‥
> (それは、戦争とは、シナリオによるでっちあげ尽くしだから‥‥みたいな)
> (最終目標は、植民地搾取どえす‥‥なので受付窓口は狭い方がバレにくい‥‥みたいな)
‥文学的、経過的に俯瞰すれば
参勤交代を見世物と勘違いした四名のイギリス人に、抜刀せる予想は普通にできるのだから
仮に是を劇場誘導としよう(既に仕込まれていたみたいな)
> だども、いくら貰えたら、殺傷事件の的に成る気になるというのだろうか?
‥条約があるのだから、すぐに殺されることは無いし
我が英国の威圧で、すぐに解放される楽な仕事と高を括っていたお花畑で草
(そう思えば、貴族の旅行者にふん装した雇われ役者だったに違ぇねぇ)
‥でも、そんなこんなが各地で似たような状況とも成れば、劇場としては弱いけど
ポイントは、薩摩藩とした行列に対してだけなり
(そこだけ、劇場とした仕込みにするなんて、100%ブレねぇ‥)
(但し、なぜ薩摩藩なのかが、この時点で決定していたとなると、謎が深すぎる‥)
‥それ以降、攘夷論もお盛んと成り
ついには、孝明天皇が攘夷を宣言
是な方針も誰かの入れ知恵としよう(公家の中に裏切り者が居たみたいな)
(流れで、ここのピースは、絶対に必要なので、この時点で役者が確定的でも不思議なし)
> 薩摩藩を味方に引き込みたかった理由なんて知らんが、歴史的にはそげに解釈するしかねぇ
> 長州藩で何があったのだろうか?(長州から考えた方がわかりやすい‥みたいな)
‥文学的妄想で考えると
黒船来航という時代の端境期に活路を目論み、卓袱台返しの足しになり得るかを思う人物が
まずは、グラバー邸に探りを入れておらんわけがねぇ
(歴史を見たって‥グラバーほど、現地の人材ウエルカムな人物は居るまい‥)
長州の田布施らしき御仁が、何回となくお伺いしているうちに
自分たちと同じ地名を持つ町を知ることになったと考えてみるのも有りだな
(当時の佐賀藩には多布施町が在り、通行の中途にて知りうる可能性は高い)
(そこから九州一帯を洗いざらいに調べ、薩摩の田布施を確認したのかも知れん)
(とはいえ、いきなりに本音で語り合うなんてあるわけも無し)
(長州藩の内情も複雑だったのだから、歴史上のステップは欠かせんかったのだろう)
‥結果、うまいことに
長州と薩摩が列強をスポンサーに仰いで、倒幕に向かうのら
(そんなこんなで、倒幕側の名士には、田布施の出自もしくは近隣の出自が大半とかなんとか)
> なんてストーリーはどうだろうか?
> とはいえ、誰がそげなストーリーを描けるというのだろうや?
‥そうに思えば、もっと早い段階から
これら二つの田布施には、繋がりがあったとする見方の方が有力に思えそうではあるが‥‥
そうにもなると、田布施どころか‥‥双方の藩主で繋がって居らんと無理があるのら‥‥
1-9)5
> いやいやいや、薩長同盟の際、噛み合わずに居て、坂本龍馬が発破を掛けてるやろう
> それこそ、日本の国体を造り替えるには、やるべき事をやるべきだ‥みたいなテンションで‥
‥それは作り話なの?、それともマジで噛み合ってなかったの?
なので、こう考えよう
双方が渋っていた理由が、スポンサーからのオーダーの中身だった
例えば‥‥天皇に関する扱いの中身だったとか‥‥
そこに、グラバー商会の駒該当だった坂本龍馬が、やって来たともなれば
坂本は、すべてを知っているとして、二人には見えただろう
その上で、坂本が「使えるモノは使いましょう」発言を連発したら
勤王派の双方からすれば、坂本がキチガイにも‥見えただろう
(脱藩どころか売国じゃねぇかよ、この野郎‥‥みたいな)
(だが、坂本は、何も知らなかった草)
> そもそもこの同盟に向けた話し合い、互いの藩主は理解してたの?‥してなかったの?‥
理解してたのなら、列強からの支援を了承した上での手を組みましょう折半な話だよね
上が知ってる話をどうして土壇場で渋り合うの?‥意味ないでしょう‥
(例えば、その時のスポンサー要望に、天皇家の抹殺を含んでいたとしたらどうよ?)
(双方共に勤王派なら、絶対に有っては成らぬ内容で、やる気ゼロみたいな)
(上には決裂したと言えば、どちら共に飲めなかった話で「やはりそうか‥」だったはず)
(それを、お花畑にも何も知らんと坂本が、間に入って、吠えたのだった)
(そういう構図だったとしたら)
(都合よくも、まさかの際には、坂本に責任を取ってもらえば良い‥落とし所になりにけり)
(上にはこう報告しよう‥「居合わせた坂本が責任を取ってくれるそうですよ」‥みたいな)
薩長同盟 1866年
孝明天皇 暗殺 1867年1月30日
明治天皇 在位 1867年2月13日〜1912年〈明治45年〉7月30日
坂本龍馬暗殺 1867年12月10日
> この筋書きで行くと、薩長同盟の場に坂本龍馬が顔を出していなければ、歴史は違ったであろう
> (有史の明治維新とは、別の形だったかも)
1-9)6
> さて、ここで、田布施システムの吃驚仰天な中身に触れておこう(詳しくないけど)
‥なんでも、田布施とした町の共通点が、半島から流れてきた貴族の末裔という事らしい
いやいやいや、だから何?(平家の末裔とか普通にあるあるだよね)
そもそもの日本の遺伝子群は
始めから、北から、半島から、大陸から、南洋から‥‥とした多民族種構成だよ
(半島から流れてきた‥追われる立場だった貴族‥が居ても不思議じゃない)
‥普通は其処で思考がストップするのだが
偶然にも、双方が絡んで、手を組んでいるのだから、謎が闇へと深まるばかりなり
> とくに問題になるのが、天皇の後釜を田布施から出しており、孝明天皇の後に座った点である
‥坂本が俺がやるからとばかりに、まさかと思いつつも
取りあえずの用意をしていただろうにせよ、朝廷にコネが無いと無理だよね
(だども、この辺どうしたって、暗殺にまで協力を求めたわけではなさげで、様子見で草)
まさか本当にやらかすとは‥‥そう思われたら、後は、まさかの追われる身のオチなのら
(それはそのままに、薩長×公家ともに、列強国への懐疑の兆しになりけり)
(徹底的な調査が必要だ‥みたいな)
(それのメッセージとばかりに、坂本を殺ったのかも知れん)
(何の自覚も得ずにして死すって‥そんなもん?‥)
> 替え玉説には、南朝の血を受け継ぐ者とした蘊蓄が述べられているのだが
> ‥当然、それを薩長から出すと無理が有りすぎるので、長州に任せざるを得ず‥
‥それはそれとして、追われた立場の先祖を持つ同士で意気投合する可能性は
どこにでも転がっているような空気で
仮に、マジで、南朝と半島貴族のハイブリッド家系の爆誕をやらかしてたって
可能性も捨てがたく、それなもしももありげで草
> よくわからんのは、その田布施の町の中身が
> そっくりそのまま半島の血を受け継ぐ縁故の塊と化していたのか?
> それとも、割と少数派のままだったのか?‥の言及がされていない点である
‥日本の民はブランドに弱く、やろうと思えばやれるのだから
町ぐるみ半島交ざり町やらかしてそう
どうにも田布施システムの話の流れから、そう思わざるを得ぬ感じなのら
(逃げ込んだ先で、丸ごと親戚になりましたパネェ戦略で草)
更に、双方の田布施の町でも同じだったみたいな‥‥まさに半島遺伝みたいな‥‥
‥遺伝子学曰く、半島遺伝子を解析すると
近親婚なのか相姦なのか謎めいているほどに近いのばかりなんだそうだ
(すると、そこからの半島同士贔屓への道のりが始まった‥みたいなオチで草)
(とりま、天皇家を乗っ取った下りでの‥秘匿同士仲のお家主義‥みたいな)
(もとい、南朝には、なぜかそんな印象が付いて回るオチで草)
1-9)7
> ならば、次なる経緯として危ぶむべきは、帝国が、半島に進出した本当の狙いが
> 先祖代々からの逆恨み × アレは我が民‥‥みたいなオチで草
> 且つ、列島にて半島の血の比率を多くしたい願望含みだったとしたら、どうだろうか?
‥とはいえ、当時に、日本にやって来る朝鮮人を馬鹿にする人は、割りと多かった
その要因が、給与差別なら‥入れ子式で‥‥大人からガキまでみんな其れ‥‥
俺の中学の教師にその手の話をするのが居て
てめえのガキの頃のそれの話を繰り返し話すのだから堪ったものではない
「へぇ〜」‥だからあんたは、弁護士受験を落ちまくってんだろうがッ
(それで教師でヘビースモーカーなんだからなぁ‥デリカシーの欠片もねぇ‥空気読めよ)
(帝国の農村では、そういうのが普通だったので、激烈な赤紙にも万歳三唱だった草)
(赤紙とはまさに、そげな日本国民に対するレッドカードだったかも知れん)
‥なのだから、そりゃ、安い雇用とした使い潰しに草(‥‥そう考えざるを得ず‥‥)
でもなぜか、明治が終わり大正に入るとデモクラシー運動がお盛んになったのだった
(どうにも、そげな環境の変化に対する当てつけのような事象だった草)
(まだまだ日本も捨てたもんじゃねぇ空気だった)
(ところが、その切っ掛けだった大正天皇が、早々に崩御せり)
(陰謀論を含め、病弱だったとか暗殺だったとか謎めいた言い方をしていて草)
(いやぁもう、軍国主義にデモクラシーなんて要らんとした圧で草)
(それだけ日本の軍部の多くが、戦上等だったオチで草)
(そんな上層部が、大東亜共栄圏とか発案しちゃうんだからなぁ)
(頭脳明晰=二重人格の代名詞で草)
> そもそもなんで明治の頃にだけ、自由に姓を名乗れたんだよ?
> 其は戸籍を作る際の都合だったわけだけど、半島から人を連れてきたら同じ扱いするだろうから
> それの前例づくりだったんじゃねぇかと思えるどえす
‥太平洋戦争当時とも成れば、そりゃもう日本名に強制変換だった勢いなわけで
(結果、戦後の混乱期の背乗りやり放題だった‥みたいな)
(日本が戦争に負けることを見越した戦略眼持ちが居ったと言うことで草)
そして、戦後の田布施システムとして爆誕したのが
テレビ局を始めとしたマスメディア支配なりけり(おったまげの同族利権構造で草)
1-9)8
> 日本が戦争に負けると見越した戦略眼持ちは
> ドイツが戦争に負けるとも見越して、ブラジルに日本人開拓民を送り込んだのだろうか?
‥文学的な俯瞰で行くと
ヒトラー一派が、ドイツから脱出して南米に渡ったわけだが
もし其処に、日本からのブラジル移民の屈辱と後悔をはね返す汗が、無かったとしたら
戦後に、CIAの日本支配そのものが無かったかも知れん
代わりの組織にしたって、マッカーサー寄りで、度合いが薄かったかも知れん
ヒトラー一派が、南米で順調だったから、統一教会が戦後に現れたと言えるだろう
(汚友達だったそうだし)
> それもこれも、日本からのブラジル移民が、東洋人の架け橋となったからで
> 戦後日本を支配する上での都合とした体の良い巡り合わせを引き寄せていたで草
1-9)9
> で、公家の中に居た裏切り者くせぇのが「岩倉具視」どえす
‥wikiには、養子縁組だったとあり
当時に、養子縁組なんてあるあるで普通なんだけど
時期的な構成として、きな臭せぇのら
だが、見方が二つあり‥‥謎めくばかりなり‥‥
‥養子の具視が頭角を現す切っ掛けになったのが
嘉永6年(1853年)1月に関白・鷹司政通への歌道入門だった
いやぁもう歌会仲間に、胡散くせぇそそのかし役居り‥みたいな
そりゃもう公家なんだからどこまで闇に繋がっているのやらという文学妄想盛り盛りで草
‥もう一つは、フライング発想で
黒船来航以前から、その時がやって来るとばかりに、具視を公家に送り込んでおりましたとさ
解釈になるのだが‥‥今一つ超人的な発想すぎていて仕込みがパネェ話になってくる‥‥
(いやいやいや、そんなの居るんかいな???)
(居ったとしたら、それこそブラジル移民と同じ先手発想で草)
(どんだけ日本を縛り上げて、搾り尽くしたいんだって恨み節で草)
(でもそれ、どこから見てる何様視点なの?‥‥まぁ並行宇宙でしょうね‥‥)
> なので、話が、宇宙の歴史に飛んじゃうってオチで御座るなりよ
> まぁそこまで行かずとも‥‥人類を乗っ取りたい一族がおりましたとさ‥‥みたいな
‥そげな一族の戦法が
まずは宗教の普及にて善と悪を教え込み
聖戦とした奪還意識を植え付けて、武装を是として植え付けて
実際に、武器を手に取って戦うことをそそのかし
戦争で得た捕虜を買い取る式の三角貿易でうまい汁を啜りつつ
武器の活躍どころを創出せんとばかりに、でっち上げの敵をその度につくりあげて戦わせるのだ
(どうにもお馬鹿でご苦労で残念な正義バイアス=民族紛争だなぁと思わざるを得ず)
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