↓11)記稿.2025/09/23
> 持つ者と持たざる者の間には「選択の格差」が存在する
‥だがしかし、同じように一万通りの選択支を与えても
一つしか選ばず‥なら、格差としてはそれ程では無い
無論、持つ者と持たざる者の間には
「一度に沢山何度も」vs「一つとて叶うまい‥」とした差があり
その差に対して、平然とした顔で競争社会を「文化」だと仰ぐのだから
その差について触れずに、お約束の様に、平然と掲げられる健全宣言の有り様など
どうしたって、偽善に見えてしまうオチなのだから、糞食らえでどうしようもない‥‥
(偽善に見える其を、無い方が嘘に見えずそれでヨシにしたかろうと立派に見えるわけでもなし)
(欠片も無くなってしまっては、それこそ、すくいようも無く絶望なり)
> 「選択の格差」は、どのぐらいの許容に収まっていれば、「文化」として胸を張れるだろうか?
> だがしかし‥‥誰しもがモラルを保って切磋琢磨しており、無茶も非道もやらかさない‥‥
> 斯様な定義の提唱に意味は在るだろうか?
そこに見られるスタンスを‥「競争」から「共創」とした言葉に置き換えようと
「破壊」と「創造」は双子なのだから、意味に大した差など無し
そもそも‥胸を張ろうにも
そこでは、事と次第の間に‥人格の切り替えを有しており
己の中に対峙する多重人格への対処も悩ましい(本当の私はどちらだろうか?‥などなど)
‥‥偏見やら偏りになき判断を下すには
瞬時に一万人分の感情やら思考が湧いて来るぐらいでなくては話にならん
それを瞬時にやれるとなると、それだけの経験がものを言うことにならん
多様性経験値に低ければ‥‥実経験値に低ければ‥‥
感情に呑み込まれるばかりで、そこに人格の異なりが湧いて在る次第を問うことも無し
(その手の経験値を得るにも、自ら積極的に動いたことが無いのでは話にならない)
(格差社会ゆえのあるある事情から動きように無いなら、尚更に、縁に薄き話なり)
‥勝者が図に乗るのは、勝手で自由ありきかも知れないが、そもそもにしてそこが怪しい
(人類が、図に乗る勝者に憧れる比率の高い内は、どうにもならぬ理解だろう)
(それでなくても‥‥その手の自惚れも‥‥経験値としての過渡期だからなぁ)
(禁じた所で意味が無い‥‥当人が禁じ手として封印する気概を得なければ駄目なり)
でなければ、想定されるべき文化とした選択格差の許容など有り様も無し
> というより、自ら封印する者同士が多くなることで何が起こりうるか?‥‥でもあろうなぁ‥
> (人類は未だに其処を識らん未体験の如くなり‥‥是とも非とも知らん)
1-11)1
‥では問おう
持たざる者が、真っ直ぐを求めて、「図に乗る選択支」を封印する意味とは何だろうか?
> 翻すに、其は、持つ側の如し
‥だが実際は、図に乗る余裕が無いだけで、真っ直ぐに‥能力とは別の差別化を求めただけなり
しかし、持つ側からすると、それが異様に見えるらしい
(そりゃそうだろう、持たざる者の気持ちなんか知らんだろうからなぁ)
だが大抵の持たざる者は、持つ側に組みできるなら、ぺこぺこするらしい
そして、重宝され出そうなら、真っ直ぐとしたメッキとて剥がれ出さん
(それが成り行きの普通だとして、靡かないなら靡かないで、そりゃもう異様に見えるらしい)
‥其れが却って、メッキを剥がしてみたくなる動機を誘うらしい
其は、持つ側からすると‥‥自らの豊かさを否定された気持ちにもなってる‥らしい
それが何なのかなんて、持たざる側からしたら「???」なり
(持たざる者からしてみれば、持つ者の有り様なんざ‥‥)
(羨ましいようでもあり‥クソッタレでもあり‥)
(どうにもならない現実を振り返るに「呆れるしかねぇ」だけの感覚しかねぇ‥)
(其を持つ側が知らんと‥‥初見で、気に入らないとか‥‥身勝手すぎるにも程があろう‥)
(持つ側同士の風習から、持たざる者まで、一調子の物差しで測ってんじゃねぇ!)
> そんな「気に入らない」とした直感は、どれ程に裏付けを得ていて正しいのかね?
> (そこにある大抵は、快楽的に見下す事への欲情せる汝なり‥敵対視なり‥)
‥それで脳筋にも殴り合ってみたら、意気投合しました‥みたいな
好都合な出会いばかりを望んでいるとしたら、それはそれで多様性への勘違いなり
だが、勘違いだったとしても、謝罪も無しにスルーするのが‥大抵の者らの日常なのだ
喧嘩にせよ、恋沙汰にせよ、躾けにせよ、まして上から目線のストレス爆なら尚更なり
だが、時には、虎の尾を踏んでいたりするものだ
生まれも育ちも違ければ、スタートが違ければ、成長の度合いも異なっている
敬い無き衝動やらかしほど、例外の登場に‥‥取り憑かれもするのだろう‥‥
(10代20代の頃の恨み撒き散らしの蓄積が、50の頃にどうなるかなんて‥考えてねぇだろうし)
(30代40代の頃の恨み撒き散らしの蓄積が、70の頃にどうなるかなんて‥考えてねぇだろうし)
> 持つ者と持たざる者での差の逆転が、気持ちの揺らぎにて、巡り会うことで起きてしまうらしい
> 傲る者ほど、誇って積み重ねたなら‥誉め讃えて貰いたいはず‥‥程度の解釈止まりだからなぁ
‥だがしかし、成り行き上
どうしようもなく積み重ねてきただけのそれに、誰が誇りを持つだろうや?
成り行き上、自惚れやらかせた側が、自惚れ感情・好奇のままに
其処の違いを‥感情感覚として‥理解したかろうとて、どうしよもなき無理があろう
> それはそれで「真っ直ぐとは何か?」‥‥とした問い掛けのままの如くなり
‥スタートが異なれば、真っ直ぐとした質と解釈からして異なるのだ
だが、何であろうと、解釈には、その先があるとした理解を持てて居れば良し
其を推し量らずに、汝の身勝手な否定バイアスにて、混乱を抱え出すのは汝なり
ならば、「常識バイアス・自惚れバイアスからの否定こそ、非の始まりなり」
所詮‥どこまで行っても、己に跳ね返るばかりなり(常識も自惚れもマンネリもそんなもん)
1-11)2
> 多くの者が、人生を選択する、人生に選択を迫るのは‥幸福を担いたいから‥らしい‥‥
> 「幸福を担いたい‥」‥斯様に志してあるかどうかが鍵なり
> 「幸福になりたい‥」とした情念では、何の意図も含まないのだからなぁ
‥幸福になりたいと思えば、大抵が「より多く稼げる」とした選択で選ぶだろう
だが、幸福を担いたいとしたら‥‥それをどう選ぶのだろうか?‥‥
それこそ普段から自分の抱く幸福感の差に、変化に、注目していなければ始まるまい
(それこそ諸々とした思いこみからの幸福感に何の意味も無し)
だがしかし、持たざる者の幸福感なんざ、取るに足らない未熟さだらけだものなぁ
(そもそもからして「幸せに成れそうになし」との絶望スタートありきだものなぁ)
‥では、次だ
過当競争な世界で「明日は我が身」とした恐怖を煽られてて
「担ってみたき幸福」とは何だろうか?
(レールに乗れてる中流層以上の暮らし向きともなれば‥‥その段階からだろう‥‥)
それこそ、それは、得た椅子を取られまいとして
先手を打って、出る杭を叩く側へと、成り上がる様相との対峙にならん
(どうしたって、恐怖を植え付けられて成り上がる出世願望もとい常態化と直面せざるを得ず)
だってそうだろう
そうでもしなければ‥‥店も看板も椅子も守れないとした競争を受け入れたなら‥‥
それはもう‥引かれてあったレールにて‥起きている全てに直面するのだからなぁ
(目指すは、既存ルールに則って、ルールを書き換えられる特権を握る事なり‥‥みたいな)
> ならば、大衆の期待の仕方の方が、的外れで、糞食らえに見えもしよう
> 負け組とした現状の前に、漸くにて、受け入れたルールにあとから改善を要求するのだからなぁ
‥先手を打って(頑張って)書き換えられる特権を手にした側からしたら、それこそ阿呆だろう
それが競争への正しき理解でもあらん(数の勢いだけで、押し切れるはずも無し)
‥どうして、コテコテの競争主義の勝者側に、ボランティアを所望するんだよ?
(朝令暮改は嫌だと言い、百年安泰なら万歳をする程度の其れだものなぁ)
(其は、その裏に在る利権構造への丸投げを推してるようでいて草)
‥ささやかな幸せを願うだけの者は、それ程に多くの選択支を要望せずも
だが、積極的に競争に参加を決めこむ者らは、圧倒的にそうでは無い
それこそ、生き残るためにも、手段なんか選んでいられないとばかりに
使えるモノは何でも使おうとするし、捨てた方がイイなら‥掌を返してでも捨てるだろう
そして何を勘違いしたのか
てめえの運気に差し障りがあるモノ・価値観に‥対する‥嫌悪・軽蔑に凄まじい
騎士が仕える者の為にと、仮面を被るべき立場だというのなら
てめえの幸福(主)に仕える立場に堕ちた者ほど、その手の心理なり
> そげなレールに引かれた社会の‥競争観の‥どこに幸福の創造が在るというのだろうや‥
‥まさに、誰か様の幸福への「降伏」があるばかりじゃないか‥(あ、違った‥「平伏」か‥)
(その「平」は‥平家の「平」だろうか?、それとも平等の「平」だろうか?)
(されど‥主として仰ぐ者らの諸々面々が、どんなかを知らずに‥‥平伏も糞もねぇ)
‥競争社会とか、自由だ平等だとか、言い放ちつつ
我が社の言い分を呑む気が無いなら、下克上したいなら‥「他所に行け」だものなぁ
故に、本当に「競争」したいなら、まずは、独立自立せよ‥‥というのが正論でござ
特定組織に配属されたいだけなら、其は「庇護」の要望なり
「貴方はどうして我が社に庇護を求めましたか?」
「勿論、根がポチだからであります」‥みたいな本音を隠した就職活動なんてご免でござ
‥どこもかしこも‥「騎士として仮面をかぶれ」言わんばかりだからなぁ
下克上上等を決め込もうとて、決め込める様な持つ側育ちに無いものなぁ
‥仮に、城を築けたとしても、どんな形式の「庇護」を、雇いに対して決めるべきだろうか?
(人を雇い入れて共生を仰ぐはずのそれは、どんな主でも、なぜか横並び目線の強要なり)
(どこでもやってることだから‥‥うちばかりが特別というわけでは無い‥‥)
折角に下克上して看板を得たのなら、その手の横並びほど有り得ねぇという話に御座ろう??
なんで、常識を装うばかりの仮面騎士を雇い入れたい‥思うだろうか?‥
(それこそ出世願望者は「他所に行け」なのら‥‥いつの間にやら同じオチで草‥)
(そうでないのなら「無能は要らねぇ」と言わんばかりなり)
‥つまり、能力で選ぶのが流れと化しており、それが上に立つ側の平等感らしく
無いなら無いで教育すれば良いとしても
てめえがその手の才覚に無かったら、他人任せの「能力任せ主義」で選ぶのだから
その段階で、選者を誤ったなら、能力も糞もねぇ‥‥「依存体質」に堕ちるなり‥‥
> ならば、てめえ都合とて、違えぬ人選が適ってこそ、主としての能力で御座
> (じゃ、右肩上がりの欲に、目の眩んでた時代色のそれって何だった?)
‥それこそが、禁じ手を顧みぬ夢の島上等とした群衆だったで御座
(本来なら自分たちで何とかすべきゴミ問題を行政に丸投げしただけだった)
(行政にしても予算のかけ過ぎはなぜか批判が多く‥‥チッパイ処分場しか設けない‥‥)
(その一方で、ゴミ問題が肥大化する流れな経済成長音頭だものなぁ‥‥馬鹿なの?‥‥)
(今どきの配送センターより小規模の処分場ってアンバランスすぎるだろう)
(どんだけ物を大切にしてもらおう前提なんだよ‥‥売れずともかまわぬ発想で草‥‥)
結果の昭和→平成→令和とした只下がり模様でくさ、もとい欧米化で御座
(だがしかし、其も又、巧妙すぎる「誰かのせい」とした逃げ道ありきなんだからなぁ)
‥欧米化とは、どうにも「誰かのせい主義」とした姿なり
国民からすれば「政治」のせい‥‥為政からすれば「九条」のせい‥‥
陰謀論からすれば「ユダ金」のせい‥‥
宗教で言えば、定番の「悪魔」のせい‥‥だもなぁ
(まさに、てめえの矜持を通さぬ・抱かぬ輩の言い訳染みたフラクタル構造オチなのら)
(故に、そんなのに、雇われたいとも雇いたいとも思えるわけがねぇ)
(そげな空気に満ちた中での競争なんて無理で御座)
(だからこげな言葉が流行ったりもしたのだろう‥‥給料分の仕事ぐらいしよう‥‥)
> ‥それはそれであれだな
> 庇護さえして貰えれば十分なので、結果、薄給時代とてしょうがないよね‥みたいな
> (力こそ正義‥とした中身にくだって在るとは、そういう事らしい)
1-11)3
> 「引きこもり」なる言葉があるが
> 選択の自由においては、誰もが「好き」を選ぼうとする
> ‥‥それはそれで「好きへの引きこもり」流れなり‥‥
‥誰しもが其をやらかすので
結果、多様性・多様化にしても、その様な空気とした偏りを見せるばかりであり
そして、その先には‥行き詰まり‥ばかりで未来に乏しくあり
> ならば、選択の自由に意味はあるだろうか?
> もとい‥‥未来と繋がらぬ選択と自由に‥‥意味は在るだろうか?
‥否、切り替えの是非選択こそが、正しく選択の自由としての在るべき姿なり‥
‥と申し述べねばなるまい
だからだろう‥‥切り替えが下手ならば‥‥立ち止まるばかりなり‥‥
それこそが、偏ってあるあるの「好きに引きこもる」選択にならん
そしてその時
経験値の高い者が「好きにこもる」のと、経験値の浅い者が「好きにこもる」のとでは
其れの中身が大幅に違っていたりしよう‥‥(ストレス感×不安感)
‥とはいえ、どのような差があろうとて、好きばかりを選んでいては
世の中の印象は、それこそ見た目重視の偏見だらけに見えるだろう
そのような偏見偏重社会なのだから、差別思想を根絶できかねるのは当然であり
排除できないどころか、そこから多様化の終末とばかりに起きたのが
男女の垣根を完全に取り除こうとするような社会運動なりけり‥
> 何であれ、選択に因る偏りをてめえで排除できもしねぇ内から、なに抜かしてやがるんですか?
> ‥‥好きばかりを選ぶ次第は、すでに差別格差の容認であり、偏りなり‥‥
‥垣根が無いと欲する願望・切望・要望にした所で‥好きの形とした偏りにすぎぬのだものなぁ
(押しつけ始めれば尚更なり)
そもそもにして
好きばかりを選びたい者ほど、最もらしく「力こそ正義」を潜ませて騙るのだ
(それはもう、理想を翳して、隙あらば、押し付け始めん)
如何にも、我が儘・好き勝手に利くことこそ「幸福の創造」と言いたげだものなぁ
(そして、競争やら一番を煽るのだ‥‥勿論、インチキ頼みの裏技含みで草‥‥)
> ‥なら‥「力こそ正義」をモットーにする比率が、世界人口の半分であるとして
> どのように対抗したら、まさらずともバランスを図れるだろうや?
‥残念ながら
「力こそ正義」をモットーにする比率に対して、拮抗を見せるとは‥‥現状維持の様相なり‥‥
だってそう‥‥見方によっては、善を推し進めたい側ほど「偽善」に晒されるのだから‥‥
何はともあれ、反意が半分とした対立軸の中での「善」についての哲学が脆弱だものなぁ
(だからとて、切り捨てる事への是非のバツの悪さに変わりなし)
1-11)4
> 「選択の自由は、是かね?非かね?」
‥創造した側が其を容認したからこそ、「選択の自由」は生命の形なり
ならば、そこに是非など在るまい
在るとしたら、成功か失敗か‥になるにせよ
何を以て、成功か失敗かを決めるのは誰であろうか?
自分で判断できないから「賞めてもらいたい」と言わんばかりで
真面目な顔をして励む者ほど「成功したなら御褒美が欲しい」と言わんばかりなり
(如何にも、高評価こそが成功したと言わんばかりでござ)
‥‥とくに、真面目が板に付いた者ほど
‥自分より励んで居なさそうな者‥が評価されると‥「贔屓」だと愚痴るのだ
(とくに税金の使い道)
それでは、何の為の「選択の自由」ありきだというのだろうや?
贔屓と愚痴っていては‥「褒美の奴隷」に堕ちたい‥と言わんばかりだろう
「そうでは無い」というのなら、何が不満だというのだろう‥
(他者の選択の自由に首を突っ込んでも、何の足しにもなりゃしねぇ)
なら‥‥ねじ曲げてでも、足しにしたき不満を満たしたい自分でも見つけたのかね?
まさに「自分こそが評価されるべき‥」と‥ここぞと‥ねじ伏せたげ願望‥にあるまいか‥
> ‥自分の事しか見えなくなる‥‥選択の自由において非とはその瞬間なり(ぶっちゃけ)
だがしかし、それはまだまだ成功でも失敗でもあるまい
積み重ねてしまう非に対して
相殺できる何かがある内は、誰だろうと多めに見てしまうものさ
相殺が効かなくなった時こそが大変だ
その時は、もうすでに、すっかりと自分の好き嫌いに縛られているのだからなぁ
嫌いとする解釈の変更を、今更に、開拓し直せる余地などあるまい
> 私たちの日常は、常に‥好きか嫌いかの戦場で出来ている
> 然れど、それに、どれ程の価値が在ろうか?(好きも嫌いも見方次第だものなぁ)
‥バトルにて死合いたくなければ、好きになれ、友になれ、それだけのことさ
仲良くなりたいと思えば、お金を差し出してでも‥近づこうと意を決するのに
(消費意欲とはまさにそれ、ぶっちゃけ)
敵だと思えば、いつまで経っても搾取の対象だものなぁ
(村八分扱いとはまさにそれ、ぶっちゃけ)
(敵にまで給付するだなんて‥以ての外‥と言わんばかりで草)
‥それ以上でも以下でも無いのが、資本競争の表と裏の舞台劇なり
(敵が居なくなっても、立つ瀬が無いとばかりで、都合勝手で気ままなものさ)
1-11)5
> この世の諸々は、選択の枝切りだらけだけに‥憑き物ありきなり
> 切り落としてしまった先の可能性など、神とて知る由もなし、人口過多なら、尚更であろう
‥すべてを推し量るのは無理なのだから
無理だからこその民主化構造であり、国民主権であり、分業体制であり
ならば、背を正して、声を正しく聞くべきが、開店営業中とした姿勢であろう
誰だろうとそう有るべきなのに
何を偉そうに「開店休業中」とばかりの態度を露わにしてどうするというのだろうか?
それとも何かね‥‥国民主権を忘れていた「お役所主権」だったとでも言うのかね?
それはもう民主主義とは呼ばないからなぁ
それはもう「違憲」だものなぁ(そこ解釈だけの認知止まりな民主化だけどなぁ)
> その手の階層主義への反意感情ありき程度なだけで
> 競争社会上等とか‥勝ち組とか‥据え置くばかりの夢見がちで、まったく以て、何様だよ!‥
‥正しき姿勢の者ほど、自分一人で決めようなどとの‥無茶はすまい‥
なのに、其を「能力主義」と憚って
ボッチで決められるのが、「エリート」と言わんばかりだものなぁ
其れは何かね?‥孤高の王様でも気取りたいのかね?‥
部署ごとに其を目指す‥‥部署ごとにボッチを気取らんとすれば‥‥
確かに‥「予算の確保こそが正義」と言わんばかりじゃないか‥(ザイム心裏教)
1-11)6
> 失敗は恥に非ず、失敗から学ばずんば叡智を得ず
> 恥とは、失敗を失敗とした見方のままに‥とどまりにける姿なり
> それ以上を知ろうとせぬなら、それ以上を識るよすがを得られず
‥という言葉をどう思うだろうか?
「失敗を理解した瞬間に、其は、誠なる成功への道のりに足を踏み入れたのだ」‥とかなんとか
‥だが通常、失敗とした結果に誰も評価をすまい
(だからこそ「てめえの負い目を認めぬ姿勢こそが成功」‥と言わんばかりでもあるからなぁ)
次に、失敗から学んだとした成果を見せずんば、ますます再評価どころに無し
だが失敗の成り行きなんて‥‥体の良い厄介払いとした扱いありきで、どうしようもあるまい
(嫌われていたなら尚更なり)
するとどうしたって、「次など無いと思え」が、切り捨て社会としたスタンスだろう
そうでなくても、相手にされなくなる可能性に高いのも‥身内とした中身での都合と競争なり
> であれば、どうしたって「失敗は恥であり」最悪なのだ‥
> 結果、人類は、自らの嫌いも苦手も、食わず嫌いのままに‥ほっぽっておく癖になったのだろう
‥結果、それらがバトル(偏見による空洞化)を招いており
ますますの食わず嫌いとした「腐のスパイラル」と禍しておろう
‥だがそうではない
それが、「失敗は恥に非ず、失敗から学ばずんば叡智を得ず」であり
その一歩を踏み出すか否かの差が、運命に逆転(心の軽み)をもたらすなり
> 裏を返せば、成功らしさから叡智を得た気になってるバイアスなのが、現代社会なり
‥ならば、成功とは何かを誰も知らん
むしろ、其処を理解したら、ほとんど多くは失敗らしきだろう
(なら、現代文明として誇れないではないか‥と言わんばかりで草)
それにしたって、自らの足元を疑わざるして継続など無し‥‥とした話にあり
(だが、大抵の多くが、継続とした物事への疑いの仕方を知らんかった‥‥)
‥その一方で、潜在的にも
「文化として誇れないのでは困る」と思いつつ、皆で赤信号を渡るのもありに思ってた
それが、トコトンな現代社会の実体にしかないとしたら‥どうだね?
(どこもかしこも核家族化してるし、爺ちゃん婆ちゃんもそぞろで、誰から継続を学べるの?)
(職業にしたって、蛙の子は蛙って時代でも無し‥過当競争だし‥)
(てめえのノウハウを早々易々と教えたにせよ、数年後には化石かも知れん其れを)
(教えた所で、学んだ所で、継続に繋がるとは限らん)
> ‥そしたらもう‥すべては、失敗らしきでしか繋がって行かん流れなり
‥そしたらもう‥職業の選択としてあるべきポイントは
想定できる失敗とのお付き合いなわけで、その許容にたる向き不向きなわけで
更に、失敗しているとした風習に対して、なぁなぁでイイなら
その業界なり会社での成功など、一ミリもねぇと思うべきが筋なり
(其は、誇れないとした気持ちにおいて、失敗なのである)
(なんせ、その気持ちの有り様こそ、持続継続にもっともな影響を与えるのだからなぁ)
(そしたらもう‥楽な方に流れてしまうのが人類の空気‥‥みたいな)
> 過当競争な社会のままでは、誇れなくなった理由に抗うことも難しく
> 誰かに期待した所で、それはそれで従来的な成功らしさ観のままであり
> やはり、己たる成長の置き去りでは意味なし
1-11)7
> 「エゴ」をどう翻訳すべきか?‥そこが悩ましい‥
> (どうして誰も翻訳してねぇの?‥できてねぇの?‥謎‥)
‥例えば、何もせずとも積み重ねられる・積み重ねてしまうものこそ‥なぜか空腹なり
其は、肉体の欲求であると同時に、肉体の世話とした宿命なり
斯様にも、{肉体の世話}={満たしたき欲求}を
好き嫌い派生をも含めて‥「エゴ」定義するとしよう
ならば、勝手に積み重ねてしまう‥出来てしまっている世界観こそエゴなり
(なんと素晴らしい、誰にでも、積み重ねができしまっているどえす‥まさに慈悲‥みたいな)
(御仁によっては、ドヤ顔で「文化」「人類の勝利」とか、諸々、誇ってまーす)
> では、斯様なる「エゴ」に反旗を翻して生きるとは何だろうか?
‥それ即ち、生存本能への反旗なり(意味有るの?)
生存本能を0にすると、真我を得る(この世界から消えるらしい)
生存本能を意識的自然体にて0にできると‥‥この世界との接点を切り離せるとした中身らしい
(意識的自然体にて切り離せるなら、当然、その逆である留まるのも自由自在‥とかなんとか)
(区切りを付けて、死に方を選ぶのも自由自在‥とかなんとか)
(忽然と湧いて現れるのも自由自在‥とかなんとか)
> 其は、生存本能にまさるほどの何かを積み重ねた結果の境地‥とかなんとか
> (まさに、切り替えの正しきを積み重ねた結果の勝利‥‥みたいな)
> (宇宙に欠かせずに求められる阿吽観こそ、切り替えの意思と其のタイミング‥‥みたいな)
‥生存本能より甘美な世界が
そこに在らんと欲したが故の‥精妙なる切り替え感覚に伴った何か‥(ぶっちゃけ)
(其を言葉にすると‥‥「私が在る」‥‥とした境地なのだろう)
(そういう風に世界を解釈して、構築せしめし世界こそ、二元性宇宙とした視点であるっぽ)
(創り出した計画側はとても哲学がすぎている割りには、なぜか、実験は失敗ばかり‥謎‥)
(計画側の想定を超えてた存在が、実験用のエナジーを吸い上げていたとかなんとか‥)
(ぶっちゃけ、計画に織り込み済みくせぇのだが‥謎‥)
> 「私が在る」を曽て、釈迦は、其を「解脱」と呼べり
> さて諸君、そうなると、八正道の解釈が、空前絶後の反転を見せるのである
‥八正道の先で口を開けていたのは、「生存本能0への道」でしたん
「生存本能0を目指しましょう」‥‥との見方ありきだった‥‥
釈迦が生老病死からの解脱を教えようと思っても、誰も「生存本能0」までを望んでねぇ
(いやぁ‥でもまぁ‥何となくそれっぽい空気はあるあるだったわけだけどさ)
(するとなに‥布施もまた「生存本能0」への道のりとした込みだった?‥とかなんとか‥)
(するとなに‥ベーシックインカムが始まるとそちらに流れそうだから‥反対も多そうと‥)
(才能云々、カリスマ云々と‥‥傲っていたい立場からすれば、余力を欠きそうだものなぁ)
1-11)8
> さて、生存本能0への道のりに乗り出すと‥当然、その手の欲求が薄くなる‥
> どのように薄くなるのかは、そりゃまぁ人それぞれで異なっているだろう
‥それが‥好きへの偏りなのか?、それとも、自堕落なのか?
そもそもにして、健康を害してしまっては意味が無い
(斯様に思えて踏み込まないパターンもあるあるだろう)
だがしかし、正しき暮らし向きとしたすすめも又、八正道なのだから
生存本能0に至るには、正しきを自然体でこなせる前提が必須であり
それの積み重ねが必要不可欠であり(段階によるアップデートの要求もあるっぽ)
(されど、生存本能上等から見ると、どうしたって、矛盾せる様相にしか想像できん)
> そこにある正しさとは何だろうか?
> 其は、生存本能に寄り添っているのだし、それ以上でも以下でも無し
> (さて、何がどう違うのだろうか?)
‥集群として、八正道の完成を満たすと、集群として解脱が起きるのだとすると
それこそ、その集群が、一つの世界から忽然と消えるのだ‥‥そう言う話でもある
今まで、世話を担っていた上澄みが‥スコッと消えていなくなる摩訶不思議が起きようものなら
そりゃまぁ残された・残った側は、どうしようもなくなるに違いねぇ
(其も含めて‥‥仏陀としての慈悲なる姿勢が問われる次第だろう‥‥)
> そんなこんなで、大乗とした分離を招いたのかも知れん
> だが、そこには何の理解も無いのだから無意味で糞どうしようもねぇ(他力本願)
(そもそもが、仏陀の慈悲とした期待に丸投げで、思考停止なわけで‥)
( そこにある期待気質からして、てめえバイアスで草)
(なんで、仏陀がてめえの丸投げに逐一応じてやる必要があるんだよ?‥馬鹿なの?‥)
( どんだけ都合の良い存在なんですか?‥そもそもそれ「奴隷扱い」ですよね?‥)
‥優れている様に見えようと
その手の大乗思想に乗っかろうとすると、なぜか菩薩行で打ち止めに陥るで御座
なぜなら、助けたいと思う欲求が、生存本能0を拒否するからだ
‥「助けたい‥救いたい‥」‥然れど、基本は自助努力なわけで
そういう意味では‥‥自惚れで余計でお節介な願望なわけで‥‥
ならばこそ「底上げとした成長」を促すべきにあるわけだが
それにしたって、真摯な背中を見せんことには、誰も手本にせん
(なので、大乗の根底には、手本になりたい願望が潜むなり)
(それにしたって、依頼ありきなのだから、不人気ならそれは無理っ)
(更に、老いてから人気が出たって「そそらねぇ」みたいな気持ちも湧くどえす)
‥そもそも、誰の何処を手本にするかは千差万別であり
なんだかんだと‥‥謝礼をいただける所だけ真似ていたりと‥‥
(能力主義ともなれば、合理的にも「賞めてもらいたい」願望に合致してたりするのだった‥)
1-11)9
> だがしかし、自助努力は基本なのだから、基本は出来て当たり前、誰も誉めやせん
> だがしかし、自助努力は基本なのだから、基本は出来て当たり前、誰も誉めやせん
‥ところが、学問ともなると、その自助努力の段階で差を測れるとばかりに
その者の将来に期待ができるからとばかりに、チヤホヤやらかすのも能力主義なり
(それこそ其は、上席に付ければさえ、給料の格差は当然とした洗脳になりにけり)
‥これはAI活用と同じで、まだまだ予測でしかねぇのに
予測の段階で優秀に見えだすと、無駄に期待してしまうのと同じだ
だが、AIに課す学習を繰り返している内に
人間側で用意した学習素材がマズいと、予測の中身もマズくなるというオチになっている
(其は、学習の仕方の段取り×着眼がマズいと‥‥人格的に駄目になる解なり)
(そもそもそれは、私たちの社会の裏返しなり‥‥なぜそこをツッコまん?‥‥)
> それはそもままに‥格差社会への問いになりにけり
> 自助努力が基本と言っても、何を目指しているかでの差がそこに生ずるものなり
‥ある程度の段階までなら、効率的な学習の仕方もあるにせよ(‥‥それ以上は未知なり‥‥)
AIを人間以上に成長させたいと狙っている時点で、その目的が不明なり
‥そもそも人間にしたって、環境×目的で、成長の度合いも様々なり
組織ともなれば、その成長の仕方は、様々な人格とした折り合いの結果なり
組織は組織で、自助努力が求められ、淘汰は自由だと言わんばかりなのも能力主義なり
それはそう、必要な人格とそうに無き人格とのふるい分けなり
(そもそものそれに、まともと呼べる人格を宿して在るだろうか?)
見た目の優秀さで淘汰を前提にしてしまえば、細やかな焦点に対して焦点を合わせ難い
人間社会にしてそうなのだから、AIにしたってそうであろう
(それがある程度までの段階とした意味合いなり)
> それはそのままに、他力本願における怪しさになっている
‥自助努力とした奥行きに行き詰まっているのが本質なのに
手を貸すだけ貸すとした中身では‥無意味なり
今や、其処への社会的な理解はあるだろうにせよ
どこまで学習させれば、それの必要を自らこなすのか?‥その度合いを誰も推し量れん‥
(AIなら尚更だろう‥もとい、格差社会なら尚更だな‥‥絶望込みなのだからなぁ‥‥)
(絶望を問うた事も無き人物が、絶望を抱え込む側に何をどう教えられるというのだろうか?)
(まして、AIが絶望を理解できるのだろうか?‥‥もとい‥‥)
(ぬくぬくと研究に励んできた科学者の手掛けたAIに、どうして絶望を理解できるだろう)
(そこからの立ち直りとも成れば、尚更だろう)
(AIに、其処の違いを推し量れるだろうか?)
> 創造だろうと、神だろうと、学習の仕方・させ方を工夫しかねていれば、結果は同じままだ
> 目指し方のルートが同じままなら、着眼も‥学びも‥結果も‥ほぼ同じでどうしようもなし
1-11)10
> 戦士の誇りとした口癖反論で考えても‥‥まさに其処が問われだし‥‥見守らざるを得ず‥
(弱いモノ扱いされて守られるばかりなら、戦って死んだ方がマシだぁ‥‥みたいな)
(その上で、負けてしまっては意味が無いと思うのも戦士なり)
(そこで、戦士タイプほど‥‥強くなるための自助努力は当たり前‥‥とかなんとか)
(敗れたのは、死んだのは、失ったのは‥‥弱かった自分の責任‥‥みたいな)
‥‥だからとて、国民全部をモノノフ扱いというのも異常なり
世界の戦争防衛に対する異様さは、まさにそこで、防衛するのは国民と定義した途端に
国民全部を兵士に見立てられるという異様さがそこにあり‥‥キチガイ論に堕ちるのだ‥‥
軍隊への入隊が志願制に制限されるのも今やそこで、もはやそれ以上には踏み込めまい
それが、平時の文化を担う大人の常識なわけだけど
いざ有事ともなると‥‥なぜか非常識がまかり通るのら‥‥全部軍用扱いでイイよね‥みたいな
(少年兵の登場なんざ、まさにそれ)
(そこには、庶民は一般人は、格下扱いでイイよねとしたバイアスが在るばかりなり)
‥‥なんで有事だからって、軍人が格上に成るんだよ?
能力主義文化も‥其処まで行くと、とんでもなく馬鹿だよな
(だからとて、文民統制なんて出来るわけもねぇ‥‥中身は同じだからなぁ‥‥)
(国民を吸い上げの駒に据え置くのが平時で、使い捨ての駒に据え置くのが有事だものなぁ)
(民度、民度と騒ぐくせに、保障気概なんて一ミリもねぇ‥其は机上型エリートの腹黒癖なり‥)
> そこで、戦士タイプが他力本願に活路を見出すとは何か?‥
> (ぶっちゃけの守護神登場みたいな話の中身の‥当人様の心境とは?如何に‥)
‥戦士として弱きを守り、救う事を信条に掲げるにせよ
その現実と理想との狭間に戸惑う所が、あるあるなのだろう
いつまで経っても弱さを抱え持つ者らに対する「呆れ」と「絶望」を感じて当然なのだからなぁ
だからとて、自分でさえ一番とは限らん(それはそのままに己への問いなり)
だからとて、すべてを兵士に仕立ててしまう様な発想に無し
‥それは戦士とした本能でもあるのだろう
命を救うことを信念に掲げてあるというのに、他者に命の粗末を強いるなんて矛盾だものなぁ
‥そしたらもう、他者の声援を己のエネルギーに変えてでも、限界突破を目指すのが
役回りとした辻褄なのだろう‥‥という次第に及ぶらしい
(ならば、勝手気ままな他力本願を相手にするわけも無し)
(ならば‥「正しく祈れ、願え、我が名を呼べ」として、てめえに対しても枷を填めるのだ)
> だがしかし、庶民の平均にそこまでの理解は及ばんのだから
> 守護者が自ら課してある‥その填まっている枷を見て、当たり前だと思うだけらしい‥
> (まさに、積み重ねを苦手とする側の結果悪意なり)
‥特撮のOP・EDを聴いていると‥酷ぇもんだからなぁ
「戦え」「進め」「行け」「飛べ」とか‥どんだけ命令形口調なんだよ、末恐ろしい
(とはいえ、戦い最中に「頑張れ」‥類は不釣り合いだものなぁ)
(まさに、鬼やら修羅やらとした世界の‥‥釣り合い相応だものなぁ)
‥‥だからこそ、勝てんのだ、終わりなきなのだ‥‥みたいな
1-11)11
> ならばこそ‥‥成長を促せてこそ慈悲‥‥にあらん
> (戦士タイプとしても合致せるベクトルなのだろう)
‥何を以て成長を促せるのか?‥とした課題が、各々の「私が在る」に絡んで来るで御座
つまりは、何を以て、平和を担えるのかであり、幸福を担えるのかであり
それこそが、正しく生活をしていく道のりとした話になるで御座
> ならば、汝は、選択の格差の間に、何を望み、どのような選択支を望むだろうや?
> 運命の先が、朧げにしか決まっていないというのなら、そこには選択支が訪れよう
> (なぜかそこには、ゲームのクエストの如き選択支が、度々に訪れるが如くなり)
‥彼・彼女とした選択にしたって、モテ期とした勢いで、なぜか一択に無し
一択であれば、迷わずに済むのに、なぜかいつも選択支を要求してくるばかりなり
ドラマとも成れば、常にそれで、一択なドラマになんの意味がある‥‥みたいな形式に御座
(モテる女子ほどそれ対象なり、そして、モテない女子からすれば絶望的な中身に御座)
(その絶望感は、聖なる女子像が、鉄の処女主義で、他に興味無しとしたそれに同列なり)
(だってそうだろう、持たざる者ほど絶望からの理想で、鉄の処女の如くなり)
(然れど、モテる側に並ぼうなら、そりゃまぁ自惚れももたげだして、選び放題に堕ちもしよう)
(どうせ、選択の本質は、好き嫌い故の贔屓だものなぁ、それが風任せならモテ期頼みなり)
(だがしかし、経験値に乏しければ、選り取り見取りのウハウハに喜ぶにせよ)
(内在する経験値が故に、求めるものに許容限度が伴おうなら、シラけるばかりなり)
(それこそ、なんで二択三択なんだよ‥とした‥てめえにその命運に呆れもするのだ)
(こちらのイチャイチャをシラけた目で見る異性が‥傍に湧く‥と思うだけで萎えるのだ)
‥だがしかし
選択支が噛み合わないなら、それは選択支に非ず‥‥それだけの話さ‥‥
選択支が噛み合わない理由だけが、汝に在るとするのが‥宇宙の理なり‥とかなんとか
(それこそが、未来が朧にしか見えてこない理由なのだろう)
然れど
(噛み合わずとも選ぶ事は可能なり‥なんて合理的すぎるのも宇宙の理‥みたいな)
(その時に無理をしすぎる理由こそ、汝に在るとするのは‥人の側の理‥みたいな)
> どうせなら、よりモチベーションの高くなる方を選びたい!
> ではそれは何の為?‥‥何処を目指してそう思うのだろうか?‥‥
>(そこが朧な者に、ベストマッチな想いなど訪れようもあるまい、持続継続ともなれば尚更なり)
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