2025年10月06日

【英語の怪】Who Made Me a Princess

記稿.2025/10/06

> 「ある日、お姫様になってしまった件について」を英訳すると
> 「Who Made Me a Princess」になるそうです‥(韓国作品)


 ‥日本語と英語のニュアンスの差を、最大に感じざるを得ぬ違和感あるあるなのら

  Who Made Me ‥‥ 誰が私をつくったのか
  Who Made Me a Princess ‥‥ 誰が私をプリンセスにしたのか

  ‥というのがGoogle訳どえす


  つまり
  「どうして、そうなってしまったのか?」‥‥を問いたいのではなく
  「誰が私をこうしたのか?」という要因のそもそもを外因性に限定するのが英語であり
  それに対し、内因性を含めて問うのが、日本語のニュアンスとした差が明らかにあり

  その大きな差として上がるのが

  お姫様になりたい願望が有ったかも知れないニュアンスを醸すのが
  「ある日、お姫様になってしまった件について」とした言葉の含みであり
  斯様なるタイトルからの主人公への印象を誘うのだが‥‥

  ‥‥(誰が私をプリンセスにしたのか)まんま解釈では
  どう考えたって‥実に迷惑すぎる、迷惑なんだけど‥とした有り難くない印象をも含む

  それとも「英語脳」では、とてもラッキーとした印象を大いに与えるのだろうか???
  (ありがたくない印象が大なら、誰も読まんだろうからな)


> その様な差があるのだとすれば、日本人が英語に馴染まないのは必然なり!


 ‥社会的なうわべだけの格上とか格下とかを基準に
  己の立ち位置に損得感情を持ち込まないのが‥日本の侘・寂‥とした風情感であり
  自然との一体感を美徳とするそれなのだから
  それを得るための内的要因の追及に、惜しみなく時を掛けるのだから(四苦八苦なのだから)

  その手の悩ましさと縁を切って、うわべだけの格上に上がれてラッキー‥みたいな感性は
  どう考えたって異文化色でしかねぇ


 ‥ならば、グローバルな脳を獲得する程に
  多数決の価値基準が、すってんてんに「我得」ありきなのだろう(とくにエリート層)
  だから、喧嘩やら対立軸の発生率の高さすら、当然に思う次第にあるのだろう

  だから、自衛とした備えは必然なのら‥とした文化色へと化かされており‥

  ならばこそ、それ以上の進展を見せることなど、一ミリとて無しと、断言できるなり


  ‥ぶっちゃけ、「英語脳」での平和とは、
   テーブルとした席上では、笑顔で握手でも、足元では互いの足を踏みつけ大会なのら
   そしてそれは風刺画あるあるの様相だが、それこそが平和だとしたバイアスにあるのだろう
   (マナーさえしっかりしていれば、常識人、文化人とした扱われで‥満足みたいな)

 (そう考えると、一ミリも進捗しねぇのに「席取り大会こそが和平です」に頭打ちするのら)


> さぁ、どうなんでしょうね?



posted by 木田舎滝布麓 at 12:50 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする
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