2025年10月11日

【ボケて痛っ】1%原理の怪と甲斐

記稿.2025/10/11

> 私たちの常識は多数決に洗脳されている
> その多数決も〈報酬脳〉に偏りがちなり
> だが、地球(神界?)には、其れとは違うルールがあるらしい


 ‥それが〈1%原理〉と呼べる代物なり
  100万人にウケるとベストセラー!、8000万人ともなると超カリスマ!
  一億人の1%は100万人、でもたったの1%なり
  八十億人の1%は8000万人、でもたったの1%なり

  其を、100人の村に置き換えたら
  隣人一人に、大ウケしただけの様相なり

  なのに、「天下取ったどぉ」みたいなモチベーションアップ‥で御座
  (そう考えると、かなりボケて痛っ)


> それの裏を返すと、一人を説得するのでさえ、実はとてつもなき偉業なり
> だが、それ以外をどんぐりの背比べだとすると、100人の村の共有感覚は最悪なり


 ‥なんでそんなに最悪なんだ?

  例えば、一億人中100万人の科学者×技術屋が存在すると
      利便性は上昇すれど、きちんと説明しないので
      技術格差の広がりと同時に多様化が加速化し
      一億人中100万人の職業教師がいると
      平均的・表面的な知性が上昇する代わりに、テスト文化にやかましくなり
      却って、能力主義とした差別の誘導ばかりとなり
      一億人中100万人の嫉妬深い人達がいると
      嫉妬文化に根深くなるので、隣同士だからとイチャラブするにも大変と化し
      一億人中100万人の悪党がいると
      世の中の隅々にまで「騙される方が悪い」「弱い方が悪い」嗜好が蔓延り汚染され
      一億人中100万人の上から目線大好きなモンスターが存在すると
      世の中はあっという間に、カースト制度から逃れられん空気に満ちん


> さて、其れらを打ち消すには何%必要だというのだろうか?


  例えば、二十四時間の1%は十五分程度なり
      十五分程度の体力作りとか‥まぁそれぐらいで健康を保持できる‥みたいな話っぽ

      逆に十五分も休めば、途中休憩にじゅうぶんだろうとか‥
      毎日の掃除なら十五分が目安とか‥
      駅から家まで十五分ぐらいなら想定内とか‥

  ‥其を逆に考えると、1%を割ると効率が悪いというか、言葉としても定着せず‥‥みたいな
   (其は、そのままに、身に付く所が無いとも言える)

  (人生の1%に満たない事柄への頑張りなど、無かったも同然っぽ)
  (人生の三分の一は睡眠なのだから、少なくとも三年は頑張ってみようみたいな目安なり)
  (ブームとしても三年に満たないなら、百年後には無かったも同然‥‥繰り返しが重要‥‥)


  ‥何でもかんでも利便性重視で、古いモノを捨てていく思考は、それこそ危ういのら
   言葉に対する理解を失い、間間のすき間がどうだったかの想像力を閉ざすのだ


> デザインは繰り返しと言うけれど、先急ぎすぎているのだから、当然の反動なのだろう
> だがしかし、買い手も目立とうとして先急ぎすぎているのだから、結局は忘れられるパターン‥
> 一時的に1%に売れたからとしても、記憶に残るとは限らない


 ‥つまり、悪い空気を打ち消すには、良い空気を放つことを諦めていては話にならない
  だがしかし、それで、大抵は聞き心地の良さに偏るばかりなのだから、進捗を見せん


 ‥ならば、好きでもないし嫌いでもない事に注目して続けるべきであろう
  それこそが、〈正しい生活〉としたオチに違いねぇ

  その中の一つでも心掛けて毎日15分を続けると、安定的な人格を宿すよすがを為す
  それの集合的・総合的な一歩一歩の総量が欠かせない‥‥という方針にあるらしい


> 「それで無理なら失敗作だ」との烙印を‥‥神界から申し渡されてもしょうがねぇよなぁ
> (なにをどう頑張るべきかは、自由に選んでよし‥‥なんだし)



posted by 木田舎滝布麓 at 17:18 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする
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