2025年10月22日

【フラクタル】努力に欠いてきた概念‥‥過去と未来の等価交換その実相‥‥

↓4)記稿.2025/10/22

> 私たちの〈努力〉とは、何を指して、述べられていただろうか?


 ‥少なくとも、今やグローバルな競争においては
  〈世の為・人の為〉なる方向性を、必ずしも前向きにはしておらず
  それどころか、私の努力は私の結晶であるべきであり、私の権利の保障こそが欠かせないのだ
  という‥‥まやかしめいた理屈で武装されがちなり‥‥

  それの何がまやかしめいているのかと言うと
  資本社会においては、それとて、売買の対象にされてしまう所なり

  ‥まず権利(大金)を手にした側が、投資とした形で雇い入れ、テーマを与えて使役せり
   雇われた方は、給料に見合った成果を出さなくてはならない
   その時、雇用側に〈世の為・人の為〉とした矜持を持とうと持たざろうとも関係ない
   貴方の努力は、売買の対象としてそこに立ったのであり、それ以上でも以下にもならね

  (ぶっちゃけの信教の自由とて、持つ側優位の権勢なり‥‥弱肉強食の一択みたいな)
  (司法界にしても、雇われ上等、拝金上等‥‥みたいな)


> つまり、使い捨てなのだから、しっかりと給料金額に置き換えられないのでは損なり
> 斯様を一言で申せば、「金額に換算できぬ努力は無駄なり」
> 結果、未来は閉塞を迎え、蝕まれにけり


 ‥現代社会の澱とはまさにコレであり、努力を売買に掛け合うばかりの狭間なり
  努力に値段を付すことで、「努力は‥もとい‥多様化は公平ではない」と論じ合う狭間なり
  (それはそのままに、収益性からの職業取捨をはらみ、納税額差別へと向かうばかりなり)


 ‥選択取捨と差別で人材不足が続き、有るべきが無くなり、私たちの未来が閉塞感に満ちて在り
  努力と思っていたそれとて、自分の至福感を得る為にしか機能せず
  何だかんだと、それはそのままに、自分の権利の防衛とした汗にしか成らね(増税絡み)


> 未来に向かって、自分の都合という自由を得る為の等価交換とした形があるばかりだった
> 等価交換として、もて囃されたのは、持つ側のお金と持たざる側の時間だった
> 持たざる側の時間を大量に投入した結果、成されてきたのは、持つ側の〈欲しい〉だけだった
> そこそこ持つ者とて、便乗することで〈欲しい〉を満たした気分なだけだった


 ‥そこには、社会を支え合う事で得られる幸福感には、ほど遠かった
  持たざる側が、支えて貰えそうに無しとして、見切りを付けた結果
  便乗したくなる以前の前の問題として、消費選択から省かれてしまうのだからどうしようもねぇ
  (全くに無駄で徒労にしか見えねぇ贅なんか糞なのら‥‥そこも多様化だけどな‥‥)



1-4)1

> それらの狭間を単純に丸めると、過去と未来の等価交換なり
> そこに有る原理は、常に、何かを捨てて何かを得るとした形式なり(予想)


 ‥結果、持続継続たる未来に在らざるベクトルへの投資がされ続け、今に至れり
  同じ何かを捨てるにしても、捨て方の違いであり、何を欲したかの差なり
  それだけの違いで、未来が変わるなり


> その際に、ハマってしまうあるある努力論とやらがバイアスとなり、壁となり
> 右も左も見えていない状態に陥るのだ


 ‥自立自立と、自分の力で成し遂げようと普通は考える(凡人発想)
  だが、自分たちの雇用をよくよく振り返ってみれば
  持つ側が、持たざる側の渇望を上手に利用しているのが真相なり(達観発想)

  そこから俯瞰したら、一体全体、何を頑張ろうとしたのか‥とても悩ましい‥

  持つ側が自分たちの夢に手を貸す様に仕向けているだけにも拘わらず
  無防備にも〈庇護〉を求めて、参加枠を競ってしまうのが〈就活〉なり


> その手のレールから外れて自由主義を謳歌するならまだしも
> 大抵は、レールから外れないことを以て自由主義を謳歌せり
> もとい、その手の〈自由〉とは、競争優位に対して諸手を挙げて讃美せる様相なり(上から目線)



1-4)2

> 仮に↓の様な世界観だったとしよう


{未来の永続性}={接続できた未来のエネルギーの大きさ}
          ×{其れ其れの先々で得られるエネルギーの確保もろもろな連続性}


 ‥何もわざわざこちら側のエネルギーだけを前提にせずとも
  可能性の向こう側と繋がることで、不足分を向こう側から補って貰うことでも‥‥
  継続可能な未来を得ることが可能‥‥という類の話なり

  (誰かと出会ったことでモチベーションを得られた‥‥それなフラクタル構造みたいな)

  その際、補える所まで未来の枝葉は伸びれども、再びに足りなくなる可能性もあるにせよ
  それでも、必ずしも、こちら側のパワー量を前提にする必要が無い

  (但し、目の付け所とした中身を問われる所なり)


> それらが、等価交換なのだとすれば
> {何かを選択せざるを得ず}={何かを諦めなければならない}


 ‥だがしかし、すでに何かを得ているのなら、何かを捨ててもあるのだから、ダブりは禁物なり
  そこを問い出すと、皆で使い捨て放題というのは‥‥かなり拙い構造を醸すらしい‥‥

  ‥過当競争と言えど、好みの違いに差が無いのなら
   得ようとしている何かに対して、皆で似た様な捨て方をしている事に繋がり
   それはそれで、突如とした特定分野の消失を予想せん(一次産業の衰退など)

  そのような顛末の後から、過去のツケを未来に支払わせようとしても、無理がでる
  (欲しい何かとの交換に捨てたのに、得られた側が、折角に得た何かを捨てるわけもなし)


> それでも人は、こう考えるのだ


 ‥どうなるかなんて、それこそやってみない事には分からない
  何にもせぬよりは、何かをした方が価値ある選択に見えるのだと‥‥(それも捨てられぬままに)

  だが、それの大抵の多くは、なり振り構わぬ無茶ありきなり(過当競争だものなぁ)
  どう考えたって‥‥その結果の集合がもたらす未来なんか‥‥(怪しい限りで草)


  ‥それでいて、成せれば、過去からすれば〈真〉‥
  ‥然れど、許容する権利を未来が担うのなら、何かを捨てるべき予定を反故にしたなら〈偽〉‥

   捨てると決めていた話を反故にして、すっとぼけようなら
   それの反作用を含め、過去と未来の私達たる人格やら感情にも、影響を及ぼすなり
   ゆえの‥‥〈ストレス〉やら〈怒り〉やらの蓄積なのやも知れぬ‥‥

  〔‥宇宙がフラクタル構造に縛られるなら、影響しないわけがない‥〕



1-4)3

> 世界とはこれ、枝切りとしたなれの果ての花実なり‥‥
> 培う者居らずしては見事には成らず、実りを以て満足に思い、立ち止まろうなら
> その先を果たせず、枝切りする側も又枝切りされる宿命を負うなり‥‥
> 培うべき宿命を負いし彼の者らを〈人〉と呼びけり‥‥(とかなんとか)


 ‥さて問題です、枝切りとした末路を経てしまった世界の果てには何があるでしょう?

  枝切りに失敗した理由として挙がるのは、格差どえす
  どの世界でも格差が発生してどん詰まり、結果、過去に遡ってやり直す‥みたいな

  で、置き去りにされた側の末路は?
  どうやらそういうのを寄せ集めているというか、寄せ集まってくるのが〈地球〉らしい

  (それは‥‥敗者の救済の場?、それとも烏合の衆と化する地獄とか?)
  (所詮は実験だからな、まったくのスクラップに戻しても同じ結果ばかりなら再利用とか‥)


  ‥その昔昔に、宇宙の文明に対して、地球(地上)を乗っ取った連中が、遺伝子欲しさに
   素材(人間)を寄こせと脅していた時代があったそうで‥‥
   ビビった側で送り込んだのが、犯罪者だったりとした時代も経たらしい(地球=流刑地)

  それらも含めて、地球には宇宙中のクズが集まったとも集められたとも言われり


> そして、とうとう、地球もどん詰まりに見えり
> 地球と宇宙との〈シンクロ?〉〈等価交換?〉で、行き詰まり文明圏の押し寄せだかりとなり
> クズの転生による人口増加の場に成り果ててさぁ大変、どんな末路になるのやら‥‥みたいな


 ‥宇宙中の行き詰まった過去をより集めて、未来への等価交換なんて成り立つのだろうか?
  そしたらもう捨てられるモノなんて、それこそ駄目な自分ぐらいしかねぇのら

  それな健気をすり替えて

  我が物にしてしまうというトンデモねぇのがエリートとか、宗教とか、政治とか
  そういう構図にしか見えねぇのも現代社会なり(もとい宇宙の澱なり)

  そしたら今度は、抱えてしまった〈絶望〉を捨てて等価交換を試みるしかねぇよなぁ
  では、何と交換できるというのだろうか?


> 日本では、其を格好良く〈自然体〉と申す


  ‥其は、希望に満ち満ちて、青臭く、どことなく浮ついてるのとは違うのら

   だがしかし、宇宙の中でも絶望ほど捨てがたいというか捨てにくいというか‥‥
   好物でも無いのに、なぜか握ってしまうと、ずっと持っててしまう呪いの様な其れなのら

   絶望に魅入られてしまった状況こそ‥‥まさに絶望‥‥みたいな
   絶望を望んでいたに非ず、自然体を得る為の過程に過ぎんからなり
   然れど‥絶望に呑み込まれていては、絶対に手に入らん、其は自然体なり


> ‥つまりはそう、武道家あたりで格好好いと思っていた〈自然体〉とした言葉を
>  日常の平凡に置き換えると、〈正しい生活〉なのら


  ‥然れど、自然体にしても絶望にしても人それぞれで形が違っており
   得手も不得手も、生業も矜持も違うのだから
   結果としてそれらの差を多様性と呼ぶわけだが
   生き様の価値に値段は付けられね、結果の満足度を得るはずなのだが
   そうでもねぇのだから悩ましい(それこそが地球がクズの溜まり場だから)


> だがそうやって、外に理由を見つけることを嗜んでいても‥‥自然体には遠く及ばず‥‥
> 「内なる問い」「内なる理由」「内なる漲り」‥を見つけられずんば、自然体を得ず



1-4)4

> ‥其はどうにも〈達観〉ばかりしてないで、汝に〈達人〉を見出せとススメている様な狭間なり
>  如何なる達人が内在して居るかなど、そりゃまぁ、てめえで気が付くしかねぇ


  ‥筋トレにしたって、今や
   てめえの意思で地道に筋肉を付けるか、機械的化学的な全自動で試みるかの二択だとして

   前者なら、てめえの意思に則して筋肉が強化されるも
   後者なら、見かけ倒しの{贅肉落とし×筋肉」しか纏わね(意思の通わざる其れ‥みたいな)

   (その違いの差を看破できねぇ段階でクズ決定!‥‥みたいな)
   (それを言うと何かと角が立つので↓)

 ※ 太りすぎてて、やり方の取り入れの工夫としての段階選び程度なら後者も有りだろうけど‥
   大抵が楽をしようとして、サプリやら薬一択な依存傾向だものなぁ‥‥そりゃあかん奴‥‥
  (てめえの意思で開けられぬ扉に、てめえの意思は宿らず‥‥どうしたって其は脆弱性なり)


> 一日一字を記さば、一年にして三百六十字を得る
> 一夜一時を怠らば、百歳の間の三万六千時を失う
> ‥などと、とある御仁が教えていたそうだが、若くして夭逝したら意味ねぇだろうがッ
> (夭折の原因が明らかにてめえに在るなら、尚更だよなぁ‥‥迷言だよなぁ‥‥)



posted by 木田舎滝布麓 at 17:06 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする
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