2012年11月04日

発行権と外国為替に絡み合った盲点&新解釈

1-3)0
 発行権がお互いの国家・国民・民族の主権であるならば、それぞれの通貨比率の決定も主権に置かれていなければならない。
 それはつまり、通貨比率の決定は、国際間で一律に決めてしまうべき事ではなく、お互いの国家・国民・民族の間にある信頼に基づいて、互いの必要から自由に決められるべきとなる。

 これは、相場制ではなく信頼からの政策的固定レート解釈である。

> すると、次のような現象に見舞われることになるだろう。
追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:05 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年08月14日

そもそも銀行券とは何であったのか?

1-3)0
 これは「リアルはだかの王様」の解説にあたる。

> 原理さえ分かると、発行権の言い分など屁みたいなものだ。
追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:56 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年08月09日

リアルはだかの王様 改訂1.1

1-3)0
 超手短に四首×二二組の不定形歌にしてのたまう、信用創造解説の決定版!
 ここまでの短い説明でも意識共有できないなら、改善経済なんてありえない。

> 富裕層と貧困層が対立して言い合うなんて、まったくの筋違いである。
追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:00 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年05月30日

複数基軸通貨の論 改訂1.0

1-4)0
 基軸通貨国経済の問題点は、長期的な視野で見た場合の内部空洞化である。

 とくに、強い基軸通貨を目指すというのならそれは宿命となり、弱い通貨で構わないのならば、米ドルと同様な衰退を招くだけとなる。

 つまり、基軸通貨は複数である方が望ましいことになる。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:44 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

非営利の自由と営利の自由

1-1)0
 非営利の自由は、国民の健全な暮らしに欠かせない非営利行動の継続を全面的に尊重し、人権の精神で認められる公平なる享受を約束する。

 営利の自由は、国民生活の創造と発展に欠かせない主体的請け負いに対して、社会と環境への道徳責任を課す代わりに、個人並びに団体による利益の追求を承諾する。

 国民は、非営利の自由と営利の自由の片方もしくは両方を選択する権利を有する。

 非営利の自由と営利の自由は、互いの利点と欠点を補完しあうべきであり、国民はどちらか一方の主張に偏らならぬよう、双方を尊重していく姿勢が求められる。
 また、それを推進していくための創造力と理解を共有するために、国民には生涯を通して教育を学ぶ機会と健康を養うための安定が与えられなければならない。追記
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2012年02月10日

雅腐道のすすめ

1-4)0
 人は、雅に腐ることをどうしようもない程に溺愛する生き物である。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:27 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年02月02日

金慮の臓腑を考える1

1-5)0
 中央集権の悪しき部分を改めるために地域主権が問われ、道州制が問われる所になった。しかし、いくつかに束ねて道州を論じてみた所で、中央集権の縮小版の如く、各地域に代官を送り込むような発想ではおぼつかないのである。

> 道州制の意味する所は、技術躍進の結果のインフラ・ネットワークの重視にある。

 近年に求められるインフラ・ネットワークの整備と費用効率のスリム化とがその主だった目的とされるのだから、地域地域の主体性までを道州主導にしてしまうのでは疑問が残るのである。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:02 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

マークシート式投票という形にすれば、選挙をもっと多様化できる

1-4)0
 投票用紙をマークシート方式にすると様々な点で発想の転換が生ずる。

 たとえば、問題用紙に相当する説明と資料をタッチパネルの画面で置いておき、音声ガイドにしたがってマークシートしていくイメージである。

 タッチパネルに表示される情報が手元にあるとなれば、何も知らなくても会場で調べることができ、さらには立候補一覧を開いてそこに示されている番号からマークすればいいのだから、選択肢を何も一人一票などとせずに、第一候補に対しては4点、第二候補に対しては3点、第三候補には2点、第四候補には1点という具合に、点数評価での総合的な投票を可能たらしめるだろう。
 すると、政党に一票などというような党閥争いを誘導せずにすみ、支持力のある人材だけの議会構成が可能となる。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:22 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

道州制に対して、統治権・政府権・統帥権はどうあるべきか?

1-3)0
 道州制に対する考えは人それぞれで細かく違うと思うが、そもそもにして、国に一極化し任せておいた権限を、二重行政にならないように、その多くを道州側に譲る方向に違いはないと思う。

 しかし、そうなればなったで、政治への関心は中央から道州に移ることになる。それで国政選挙を従来通りに中央政党誘導で推し進められるのかと問えば、「?」が点くだろう。

> どの辺が疑問なのかと述べれば、それが今回のお題である。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:50 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

国税と地域税はどうあるべきか?

1-4)0
 明治以来、否、西洋のルールの税回収の性格は、国民からそれぞれの言い分を課すという多重課税方式であると思う。
 その上さらに銀行に、投資家に、金利や配当を工面しなければならない。
 当然それらの負担はサービスや商品に上乗せされるマージンとして転嫁されるのである。

 当方では、行政と銀行を合体させてしまえと言う考えを述べているが、この手の税のあり方に関してはあまり語っていなかった。
 そこで、意見を述べておくとする。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:21 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする