2013年11月17日

【哲学】競争原理の中の見落とし

1-4)0
 発行権の所在はさておき‥

 市場にある資本を奪い合うのが資本主義であり、
 それの汁をすすり合うための公平的な手段として、
 自助努力を強いるのが、競争原理である。

 一般にこれを、


> 「自分の幸せは、自分で掴め」と解釈される。


 そこに問題は無いにしても、

 幸せの形はそれだけではないとする様々な選択支を選べないように仕向けているのもまた、
 資本主義であり、市場主義であり、競争原理である。
追記
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2013年07月21日

【小説】かっ飛べ!!零式経済 NO.05

1-12)0
 カイジの絵ヅラは目立つので、作品の存在だけはなんとなく知っていた。
 しかし、手に取ることはなかった。

 2010年頃辺りに、読む機会を得たので、福本伸行作品の中身を一通り確認した。
 そこで、著生の金慮概念に欠いていた視点を見いだすに至った。
 「‥こんなにもくだらない決め合いに、運否天賦を気取って、命を粗末にも平然と打ち合う世界観があったんだ。」と、まぁそんな感じ。

 そして、そこに描かれていた死に道の境を歩く喘ぎに‥なんというのか、外道にもそそちまったのである。勿論、這い上がろうと抗っている主人公の方に。
 今回の中身は、その辺の理解が下地になったことは確かだと思う。これが、哲也辺りだとそこまでの刺激には至らない。なにぶんにもあちらは時代背景のせいもあるだろうが、師匠が居るし、なまじ優等生だし。今から思えばそれで坊やか‥なるへそ、本人にも自覚があったと‥
 生き死にの境に先生なんか何も導いちゃくんねー、そこんところの甘さが取り除かれてるのが福本伸行作品の持ち味だ。あまりにも突然、強烈、そして絶句。


気をつけよう。憧れは、それ以上を生み出さない。
いいじゃんか、捨て身の命くれたって、俺の覚悟は俺の物。
物が欲しい憧れの裏に隠れた豊かな生活願望‥「かぁくだらねー」
ねーちゃんに興味はあるけどその気は無い、だって俺に憧れはないからな‥OTL


> ‥どうでもいいが、麻雀はわからん。チョンボの形を忘れちまう時点でダメ。勘定の仕方と捨て牌気配なんてちっともわからん。わかった方がもっと面白く作品が読めそうな気のするところだけ、ちょっと癪。
> ちなみに、「魂」を賭けてしまうとマジにその手の宇宙に通じてしまうので止めておこう。願掛けも同じく。せいぜいが「命」の表現までだと言っておく。
追記
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2013年07月20日

【小説】かっ飛べ!!零式経済 NO.04 改訂20130720

1-5)0
 再びの連休がやって来た。
 その日、少年は朝から布団を干し、洗濯をし、掃除をし、昼に買い出しを済ませ、取り込み、食事の仕度をし、日の暮れる前から早々と風呂に入った。

 少年は、自分が大人になってからやってみるだろうアレを今日試してやろうとしていた。
 それは風呂上がりの一杯もとい晩酌である。
 一本目は何も考えずに飲み干しただけだったが、二本目はきちんとしてから飲んでやろうと試みたのだった。

 それにしても、どぶろくのガス抜きは、見ている分にはおもしろいがすぐに飲みたい分にはめんどくさいように思えた。まるで、飲む前の下ごしらえの必要だった。
 父ちゃんも言っていたが、「このガス抜きをどうにかしないと本物人気に火は付かないだろう‥」と、その言葉の意味が、この時にして少年にはようやく分かったのだった。

 少年は目の前にある刺身を突っつきながら、ゴクゴクと始めると、「これが大人の極楽か‥」と、今回はどこか平凡に思いつつ、酔いが回るのを堪能しながら食べきり、飲み終えると、後片付けもそこそこになんとか布団に流れ込んだ。

 今にして思えば、父ちゃんがこないだの自分のように、だらしなく酔いつぶれていた姿を見たことが無かった。部屋の天井を見ながら、少年はそう思うばかりだった。
 父ちゃんはただの飲んべえなんかじゃなかったと‥そう思うか思わないか、少年は再び夢の中だった。
追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:07 | Comment(0) | …零戻経済思考の足跡 | 更新情報をチェックする

2013年07月19日

【小説】かっ飛べ!!零式経済 NO.03 改訂20130719

1-6)0
 父親が出かけたその日、少年は奇しくも家の主同然だった。
 少なくとも、このとき11才の少年はそれを気取っていた。大胆にも家の財布を半分任された少年には、手渡された自分用の電帳カードを繰り返し眺めては、それを思った。
 それはこの時代、大人になれば誰しもに訪れる出来事だったせいもあっただろう。
 ‥少年はその本質を肌で感じとっていた。

 一方で、少年の父親にしても使い込まれてしまうような心配はあまりなかった。
 なぜなら、事ある度に我が家の買い物に付き合わせ、また、我が子を買い物に走らせて来たその成果が今そこにあったからだ。
 年末までに使い切りのラインに乗せれば良し。電帳カードに表示されていた金額は十分に思えた。それは、その時の少年にとって造作もないことだった。

 ‥それと、なぜ我が家の今年の家計予算額がいつもより多めだったのかの理解がそこにあった。
 自分がうかつにも使い込んでしまい、父親の就職活動の身動きが取れなくなるようなヘマだけはするまいと、少年は心に決めていた。また、少年には、いつまでも飲んだくれだけの父親の息子のままに居たくないという気持ちがあった。
追記
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2013年07月18日

【小説】かっ飛べ!!零式経済 NO.02 改訂20130718

1-3)0
 生活禄を使い切らなければならないルールは、それなりにストレスだった。そもそも富を溜め込むのが人類の習性であるのに、使い切れというのは、生理的に反していた。

 ‥かような意見が多数意見を占めた。

 論の焦点になったのは、足が出ることは勿論認められないが、のりしろとして済ますことのできる枠をどの程度容認するかだった。
 そこで、委員会が目を付けたのが労働分保証額と最低保障金額の二つをのりしろとした場合の、のりしろの幅の違いだった。
 残金が、各々の労働分評価収入の金額幅で収まっていれば良しとすれば、労働分保証額の多い人ほど使い切りの条件を満たしやすいという見方が成り立った。

 つまりこうなる。
 残金のりしろ枠={最低保障額のみ}
 残金のりしろ枠={労働分保証額+最低保障額}
 労働分保証額が多い方が、使い切りの条件を満たしやすい。

> しかしである。まだまだ、労働意欲に繋げるには何かが足りなかった‥


 仮に、最低保障金額を百万円程度で考えるならば、月額にして8万3千円程度である。家族構成等によっては、それだけで一年をやり過ごさなければならないとなれば、かなり厳しい金額だ。
 それにしたとて、それはペナルティーの一年間だけの話である。
 そしてそれは実質、無効にしてしまえる隠れ要素を含む。
 それが、夫婦間で交互にやり繰りすることだ。
(※ 成人になれば、誰でも最低保障金額が保障され、生活禄の申請が可能になる。)

 ‥用は考え方次第で、夫を立てて夫名義で生活禄の増分を用立てた場合‥妻の持つ金額はそっくりそのまま、予備費用と見なすことが可能だ。いわゆる臍繰り感覚である。
 早い話が、専業主婦のケースであれば、申請せずとも百万円、使っても使わなくても百万円を持っていられる勘定が成り立つ。無論、申請すれば、自分の小遣い程度は自由に小槌(こづち)ることが可能である。

 ただし、それでも足を出してしまった場合はペナルティーの期間を二年としよう。
 でないと公平にはならない。親権者が一人と二人のようなケースでは、条件の公平さに欠ける。そういう視点。裏技を使っても尚、足を出すようでは同じように扱うわけには行かないはずだ。
 しかし、どちらにせよこれらペナルティーが下された場合、ズルズルと足を出し続けてしまう恐れもある。生活禄の暮らししか知らない世代ともなれば、それは十分にあり得るだろう。ならば行政は、該当家族に対して担当者を付けて、指導または相談をしていく必要が生ずる。
 ‥何分にも別れ話のきっかけにだってなりかねない。そしてそれの繰り返しでは意味が無いのだ。
追記
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2013年07月17日

【小説】かっ飛べ!!零式経済 NO.01 改訂20130717

1-4)0
 地球人類は、国際金融資本が私腹を肥やしてきたインチキ経済(資本主義)に幕を下ろし、新たな時代に相応しい経済システムの幕を開けた。

 人類はそれを「零式経済」と呼んだ。

 全人類の下した決断は、まさに革命的英断だった。
 それは、口座の在り方を見直し、1つの口座を出金のみの口座と入金のみの口座に、徹底的に二分してしまう視点から始まった。
 そうすることで、国民主権発行の有する魅力を最大限引き出せるように狙ったのだった。

 これはつまりこうなっていた。

 ‥毎年毎年の年度ごとに、必要な分(希望する金額)を申請すると、出金のみ(予算)の口座に振り込まれ、売上げ等からなる入金はすべて入金のみ(成果)の口座に振り込まれるのだった。
 採算を合わせることが経済の原則である点に変わりはないが、それは実体性の把握と評価に用いられるのみであり、実質的にそれら入金は、年度毎に行われる評価の後で、バッサリと斬り捨てられることになった。
 原理上、従来的自由から成り立っていた売り上げからの再利用の概念を前提にしない。

> 零式経済において、入金の多くを占めていた従来的な売り上げ金額は、評価の一要素として扱われるのみに成った。

 勿論、それだけでは上手く行かないだろうから、より細かい調整ルールが求められる。
 それらについては、小説部をまじえながら順をおって説明していくことにしよう。
追記
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【連絡】「かっ飛べ!!零式経済」の改訂版について

え、お待たせしました。
以前の記事は没カテゴリーにしてあります。進行状況によりますが、後々的に削除する方針です。
まぁどれぐらい変わったのかの参考にしたい方も居ると思いますので、いきなりの削除を遠慮しております。

法人禄の説明にNO.05を当てていましたが、構成の変更により取り下げて、新たに例のギャンブルの内容を当てています。

とりあえず、NO.01から1つずつアップします。

改訂 NO.01 2013/07/17 16K AM5:00アップ開始。
改訂 NO.02 2013/07/18 10K AM5:00アップ予定。
改訂 NO.03 2013/07/19 21K AM5:00アップ予定。
改訂 NO.04 2013/07/20 19K AM5:00アップ予定。
新版 NO.05 2013/07/21 38K AM5:00アップ予定。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:28 | Comment(0) | …零戻経済思考の足跡 | 更新情報をチェックする