2014年11月19日

【復習】”昭和の臭便所”VS”平成の美化トイレ”=”男社会”VS”女社会”

1-3)記稿.2014/11/19

 昭和をどこで区切るかはいろいろと複雑だ。
 でも、便所で区切るとするなら、意外とスンナリ入るだろう。
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2014年11月04日

【刮目】野球ルールで説く経済格差のうんちく

1-4)記稿.2014/11/04

 野球は九対九のスポーツだ。それ以上の人数を増減させることはできない。
 それがベースボールが時代を経て得た適数である。

 資本社会の市場拡大は、その淘汰でさえ、市場原理の下に改善を要求するものである。


> 例えばこうだ‥


 もっと多くの者を出場できる様にした方が、公平である。
 これは、規制緩和をもっともらしい意見にした場合の説得論である。

 そこで、次のような案を提示したとしよう。

 出場できる人数を増やすため、
 ピッチャーに用いられているDH制度を自由化。
 何人でも、どの守備であろうとも、DHを適応できる。

 つまり、

 攻めは攻め専門、守りは守り専門にすれば、
 最大で、十八対十八の出場枠が確保されることになる。


 ‥資本社会と民主主義の組み合わせは、常にこのような応酬が繰り返されるばかりである。
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2014年10月03日

【恋愛観】女の刷り込み、男の刷り込み

1-8)記稿.2014/10/03
 恋愛なる響きの下に、
 男も女も違いなど無しとする認識がそもそもにしておかしいのだ。

 男には、男の感性があるわけだから、男の恋愛観にしたがえば良いだろうし、
 女には、女の感性があるわけだから、女の恋愛観にしたがえば良きことだ。


> ところがどうしたことか‥


 赤い糸だなんて情報を植え込まれると、途端に、
 どれだけの信用があるかにも関わらず、それへの信仰心は絶大と化するのだ。
 ‥そもそもにして、出会える確率をどう考えているのだろうか。

 それ以前の問題として、
 競争社会の方を優先しているのが現代社会でもある。もちろん、
 競争原理を優先しているのは、もっぱら、赤い糸伝説を信奉している私たちでもある。

 ‥出会える確率が上がるならまだしも、

 どう見たって混沌と下がりっぱなし傾向しかもたらさない競争社会という奴を、
 これまた意味も無く支持している意味がまるで分からない。
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2014年10月01日

【刮目】認知度%と購入支持%のトホホな関係

1-6)改稿.2014/10/01...20140927...
 勝ち続けられる確率1%、即ち‥
 認知度の%から、支え続けてくれる固定支持率もまた1%である。

 「1%って、そんなアホな‥」

 こんな話をすると誰しもが耳を疑うに違いない。
 (まぁもっとも、競争社会が前提での話だ)


> しかし、勝ち続けられる確率を相互的に見て、翻せば、それは‥
> 支え続けてくれる確率に置き変わるのだ。
 (まぁもっとも、競争社会が前提での話だ)


 実際、日本の人口を1億人とすれば、その1%は100万人である。
 俗に言うミリオンセラーの規模ということになる。

 ‥認知されている状況とは、何やら、それ以上の意味を有さないと言えそうだ。
 (まぁもっとも、競争社会が前提での話だ)
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【謎】高床式建築はいつどこから日本に来たのか?

1-4)記稿.2014/10/01
 今年の夏だったか‥中国の国宝についてNHKで特集していた。
 日本との戦争の最中、伝来の国宝を洞窟に隠す時に、
 洞窟内に高床式住居を建てて湿度等の劣悪な環境下から国宝を守ったという逸話があった。


> そのとき、「中国には高床式の文化は無い」と語っていた。


 国宝を管理する立場の者が、確かに、中国には高床式の文化は無いとの認識だった。
 苦肉にも敵国日本の文化にヒントを得て、高床式を取り入れ、国宝を守ったと言う。

 ‥著生はこの話を聞いて腑に落ちない部分を感じた。

 中国に高床式建築の文化そのものがまったく無いのなら、
 「高床式はどこからいつ来たのか?」
 弥生時代に伝来した水稲栽培と一緒にやって来たのでは無いとの疑問がもたげだしたのだ。
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2014年09月26日

【訂正】蟻&蜂の働く割合+他

1-5)記稿.2014/09/25
 "【刮目】就業率55.555…%の収束性"‥記事の修正です。

 蜂の場合では、3分の1が待機ということです。
 ‥3分の1と3分の2との勘違いをしていました。

 蟻の場合では、2割が待機との研究結果が述べられていました。


> ‥よく調べずに記事にしてしまった点をお詫びします。


 記事として書き直す必要が生じておりますが、とりあえずそのままで放置します。

 理由として、
 %の説明に昆虫生態を例えにしたのは失敗だったにせよ、
 %に対する考えには、個人的に直感的なものを感じているからです。

 ‥もっとも、直感でものを言っていては、哲学とて成立しませんけどね。
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2014年09月22日

【刮目】就業率55.555…%の収束性

1-3)記稿.2014/09/22
 人間は、決して蟻ではありません。まぁ参考に。
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2014年09月18日

【刮目】「好きだから日本に行きたい」を斬る

1-7)記稿.2014/09/18
 今時の新興国・後進国に見られる「好きだから日本に行きたい」ブームは、
 その昔、「ニューヨークに行きたいかーっ」という日本人のそれと同じだ。
 ‥そのレベルなので、その頃の自分たちを思い出して真贋を見極めるべきである。


> かつてのご先祖様が、外国に足を運んでまで国造りに取り組んだのは、


 その国に脅威を感じていたからであって、その国が好きだからという理由からではない。
 必ずやお国に帰って、学んだそれを以て、お国のお役に立てるのが前提だった。

 ところがどうか‥

 「米国にかぶれた日本人はどうなった?」
 大抵はそのまま移住しちまおうってのが、頭にあったかと思う。

 ‥まぁ過ごしやすさ等の差から、戻ってきちまうケースも往々にしてあるわけだが、
 日本と米国じゃ、そもそもにして違うのだ。
 在日米軍にしたって、日本の方が良いなんて口にするほどだ。


> 日本に来るのは良い、でも、学んだら帰れよ。


 愛郷心が空っぽで、日本が好きで来てもらっても、日本に馴染み切るとはとても思えない。
 そもそもの日本のニューヨークかぶれだった奴らからしてそんな筋だったろうに。



1-7)1
> その昔昔の帰国は、国勢に変化がない限り、役所勤めがお約束で待っていた。


 ‥今の時代にそんなものはない。
 海外でノウハウを学んで、自国に戻っても、
 市場に流通にと、自分の足で作り出さなければならない。

 自分が稼いだ資金なんて、すぐに底をつきかねない。

 先進国のシステム化された環境に首を突っこんで学んだとしても、
 そこまでの意気込みを抱いて新興国からやって来る奴はごく限られている。


> そればかりじゃない。


 産業構造の在り方が細かく分業化されている分野だと、尚更に太刀打ちできない。
 とくに、環境対策を学びたくて日本にやって来るならそれだ。

 環境事業のそもそもは、
 儲からない‥、サプライチェーンが無いと成り立たない‥の二重苦だ。

 そんな事情を、解決できないままで居ようなら、
 たとえ日本で学んだとしても、べったり居座るだけの気持ちに支配されることになる‥
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2014年09月16日

【刮目】年貢は「村単位」での課税だった

1-5)記稿.2014/09/16
> とくに江戸の年貢は、村単位での課税だった。


 太閤検地を学ぶことで、
 明治以降の教育を経た者は、
 年貢もまた個人単位での課税だったとの思い込みを得ていると言える。

 ところが、その検地の本質は、村の石高を調べるものであって、

 とくに土地の所有者が誰かという所の調べの強調にはない。
 なぜなら、所領の持ち主は、農民ではなく、領主だとの認識の方が大きいからだ。

 ‥それでなくても、身分が下になればなるほど農民は、
 戦の後や年貢の重さに耐えかねて、勝手に逃げ出したりとしたのだからそうなろうか。
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2014年09月12日

【刮目】人権VS.指揮権

1-4)記稿.2014/09/12
 私たちは、人権について教えられてはいるが、
 指揮権についての帝王学的な教育を受けることはほとんどない。

 リーダーに成るための教育なんて次第を最近では口にするが、
 それにしたって、人権の延長線上にある指揮権について深く考えてはいないだろう。

 リーダーに成る論にあるのは、先輩的なアドバスだし、
 そもそもにしてそこには、お互い様の範囲だとの思いがある。


> ところが、


 これが、大手企業ぐらいの規模に成ると、
 途端に先輩としてのアドバイスなどと言う生ぬるい代物では無くなるのだ。

 そこに在るのは明らかに、帝王学に基づいた指揮権である。
 命令権と言っても良い。

 誰しもは、そんなブラックな臭いのするリーダーに上り詰めたいのではない。
 自分たちの活性化に必要だからリーダーに挑戦してみよう程度だろう。
 ‥しかし、その先にあるのは明らかに、指揮権・命令権・帝王学なのだ。
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