2014年09月11日

【刮目】思い込みこそ味わうべし

1-6)記稿.2014/09/11
> まず、「思い込みとは何か?」である。


 人間計画というのが宇宙の側にあるのだから、
 人間には、計画に則した思い込みが下ごしらえされていると考えて好い。

 ‥その思い込みがあるからこそ、

 時代や地域の言語や文化、民族性に、それぞれ基準が得られていることになる。
 ならばまず、思い込みに溺れて、
 次に泳げるようになることを楽しむほかあるまい。
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2014年09月09日

【刮目】得るためだけに学べる次第など何一つ無し

1-7)記稿.2014/09/09
 何かを得ようとするとき、
 なぜか、何かを捨てないと前に進めない状況というのがある。

 ドラマチックでもあり、無常でもある。

 ならば、何も得ようとせず、ただ歩むとする手もあるだろう。
 (歩めないのなら止まっていれば良し。)
 これは同じことだ。


> ただし、


 超個人主義が、得る事で成り立っているとするならば、
 この何も得ずに歩むスタイルもまた超個人主義に匹敵するだけの度量が求められるのだ。

 「何しろ‥生きている甲斐が有るのか無いのか‥丸で解らなくなる。」
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2014年08月31日

【考察】無限の猿定理と思い込み

1-4)記稿.2014/08/31
 無限の猿定理とは、

 ランダムに文字列を作り続ければ
 どんな文字列もいつかはできあがるという定理である。

 比喩的に
 「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、
 ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」‥などと表現されるため、
 この名がある。by wiki


> ドット・グラフィックなら、


 ドット数×色数で並べていけば、どこかで名画にぶち当たるの勘定になる。
 ‥そこまでだったなら、まぁあまり抵抗感はない。

 しかし、wikiには、こんな付け足しがされていた。

 猿がタイプライターからbananaを打ち出す確率
 仮にタイプライターのキーがちょうど100個あるとすると、
 百分の一の六乗。つまり一兆分の一。

 根気よくランダムにキーを打ち続ければ、いつかはその文章が打たれることになる‥


> 「はう???、何言ってるんすか!?」


 同じ結果がもたらされない確率を
 砲弾が着弾した直後に、
 同じポイントに連続して砲弾が着弾しない確率と同じにしか考えていない。

 「猿のランダムにそんなわけあるけ!!」

 ‥人間でさえ、忘れた頃に同じ失敗をしでかすのだ。
 つまり、bananaの例でさえ、常に確率が一兆分の一であることに変わりはない。
 二回目に出来る確率とて、決して一兆分の一掛ける(一兆分の一引く一)にはならない。
 まんま一兆分の一×一兆分の一が延々と繰り返されるのだ。

 しかし、

 bananaの文字打ちを理解すれば、
 イレギュラーが発生しない限り、確率は常に100%を得る。
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2014年08月27日

【哲学】冒険と物語 〜それって正義?それとも巻き込まれ?〜

1-6)記稿.2014/08/27
 冒険のイメージは主体的なものですが、
 特にこれと言った目的が無いなら、
 そこで遭遇するすべては、巻き込まれ以外の何者でもありません。

 巻き込まれると、大抵は逃げることを意識します。

 何を以て正義とするかは、防衛手段の範囲です。
 とりあえず、相手を傷つけずに自分の身を守ることが欠かせません。
 (‥それができるって、相当に熟練していないとできないわけですけどね)
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2014年08月21日

【法則】趣味五十万円の壁

1-3)記稿.2014/08/21
 趣味五十万円の壁とは、
 カネの掛かる趣味は別として、
 ‥大体そのぐらいの金額を一つの趣味で使い込むと購買意欲が一息つくとする見方である。


> マンガ本400円だと大体1250冊。平均25冊完結なら50タイトル分。
> ガンプラ1300円だと384体。制作時間一体3時間なら丸48日間分。
> ゲーム7000円だと72本。ガンプラ48日を参考にすると1タイトル辺り16時間平均。


 とにかくそのぐらい買うと置き場所に困り出すことになる。
 これは胃袋の大きさよりも許容が小さい傾向を抱えているとも言える。
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2014年08月19日

【刮目】{萌え感情}≠{恋愛感情}

1-5)記稿.2014/08/19
 「萌えとは何か?」
 それを料理に例えるなら「うま味」である。

 うま味を理解してこなかった西洋文化‥
 日本だからこそ大発生を及ぼすことになった「萌え」なる感性‥

 未だ年代によっては付いて来られない御仁が居るにせよ、
 若い連中がそれを理解しきって、人生に活かしているかというとそうでもない。


> なぜなら、萌えの本質と弊害を誰も論じていないからである。


 ‥商売になるならそれもあり。
 ‥人生の楽しみになるならそれもあり。
 まだまだそんな段階でしかない。

 かくなる著生も、今回の思考においてようやく‥
 萌えは萌えでしかなく、恋愛における感情とは何も関係が無いとの観を得るに至った。
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2014年08月06日

【刮目】贅とは何か?

1-5)記稿.2014/08/06
 人間として意識を切り替えようとするならまず、
 贅とは何かを自分の中で再確認しておく必要がある。

 上を目指して横に並ぶことが贅であると思っているだけで居ると、
 どうしたって、競争原理から逃れることはない。

 上を目指して並ぶことを、贅ではなく本能だとしても、
 切り替える意識が発生しないのなら、ロボットも同然だ。


> だからといって、


 自分の価値観に沿うだけを贅と認識するには無理がある。
 独りよがりや自己満足だけでは、贅としての説得力に欠くからだ。
 ‥贅にしたって、ある程度の理解を得られなければ、贅とは言えない。

 利休の茶道にしてもそうだ。

 作法や目利きにおける常識を壊しても良いとしたって、
 理解が得られなければ、誰もそのもてなしを味わいようがない。
 そんなのは、決して、贅だ雅だ風流だと表現されることはない。
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2014年08月05日

【刮目】村社会VS.コモンズの悲劇(勝負付いてます)

1-4)記稿.2014/08/05
 オイコノミヤで「コモンズの悲劇」とやらを紹介していた。
 それを見ていて、ぶったまげちまったので書いておく。

 稲作型村社会で普通に成されてきた次第を、
 欧米の経済学では、不可能だという見解で一致していたという事実である。


> まぁ、お前等が大事とする資本主義からすれば、悲劇にしかならんだろうな。


 ‥さらに、ぶったまげちまったのは、
 コモンズの成功例を論文にして発表した学者がノーベル賞を貰ったという話。

 そんなことぐらいの紹介でノーベル賞になっちまうんだったら、
 まともな村社会を営んでいた昔の人々は、資本主義より上だって賞賛したようなもんだ。

 ‥しかし、村社会を認めないのが資本主義である。

 だから逐一、難しい表現にして、まくし立てるのだ。
 それこそコモンズの悲劇だと言うのに‥
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:05 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする

【刮目】愛だ自由だは装飾、礼こそが土台・柱である

1-4)記稿.2014/08/05
 どんなに贅を尽くした建物でも、土台が傾けば誰も近寄らなくなる。
 愛だ自由だとの論は、それと同じ、礼こそが土台であり柱たり得る。
 ‥他を敬わぬ社会に平和など訪れようもない。

 戦の時代にもなると、

 誰しもは反発的になって、愛だ自由だと口にするものだ。
 しかし、平和が訪れても同じように愛だ自由だと口にした所で、
 争いの種にしか成り得ていない点を指摘する声はほとんど見られないのである。
 (それこそ、甘えも好いところのやりたい放題がしたいだけじゃないか。)


> ここにおいて、愛だ自由だの論に限界を覚えざるを得ない。


 「‥平和を望むなら、自らを律して、礼を唱えよ!!」
 でなければ、いつまで経っても愛も自由も手に入らないのである。
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2014年08月02日

【刮目】日本人として人付き合いが面倒に思うその理由

1-3)記稿.3014/08/02
 礼を知らざる者同士が付き合うと、大抵ガラが悪くなる。
 礼を知らないのだから当然だ。


> もし、人間を計画した側がそれを見越していたとしたら


 見越しているぐらいなら、礼を心得た存在であるはずである。
 否否、それ以上に、礼を教えたくてしょうがない存在なのかも知れない。
 ‥だとすると、こんな定義が思い浮かぶことになる。


> 地上とは、人間とは、人生とは、礼を学ぶための劇場である。


 「日本と世界の違いを思うにそう思わざるを得ない!!」
 「繰り返す‥神道は宗教に非ず、神道は神道である。」


 ‥日本人として生まれてきたなら、まぁそこん所のしんどさは忍(お)して諦めるべし。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:40 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする