2021年01月13日

【命題】火を付けると困るランプとは一体なんたい?

記稿.2021/01/13

> 火を付けると困るランプとは一体なんたい?
> 其れは簡単、ドナルド・J・トランプ


 ‥現在のアメリカ情勢がとにかく謎々で、どっちか勢力かが、嘘を垂れ流している状態
 もはや敗れたように報道をされているトランプ側が実はバイデン側を追い詰めていて
 追い詰められてるバイデン側が、出てくる映像を自分たち側寄りの都合解釈で報道している

 ‥とかなんとか、一体誰の就任式の為に軍がコロンビア特別区に終結しているかさえ不明
 だが、戒厳令を発することができるのは現行の大統領のみ(ここが解釈の分かれ目)

 ‥就任式を得ていない者が、選挙結果だけで軍を動かすことなど到底無理!!!
 そこをひっくり返して軍がバイデン側に付いていたとしたら、それこそ法律も糞も無い
 勢力支配、カネ次第と軍人自らが主張しちまったってオチになる
 それは、国民に安全保障なんかそもそもに無かったのがアメリカの自由だったオチにもなる


> そもそもの戒厳令発動の意味する中身が、大統領が憲法の上に立てるとした発動権限
> 何の為にあるのかというと国民の安全保障の為

> 選挙に勝っただけで、すぐにやらかせる代物であるはずが無い!!!
> そんなのは口約束の契約を信じ込んだお馬鹿だった話と同じだ


 だがしかし、憲法の上に立てる仕組み自体を仕込んであるという中身自体が怪しい
 国民の安全保障の為に正しく機能すれば正義だろうけど、そうで無い場合は支配にすり替わる

 俺が法律だからと言える状況が、戒厳令発動下なら
 俺が軍法だからと、軍法を差し替える事だって前提だろう
 例えば、兵士の給与を割り増ししちゃうとか、それこそ鶴の一声だろう

 そもそも、一般の法律よりも軍法の方が上位で重いとした解釈が思い込まれているようだが
 そんなことでは、民主社会としてとにかく怪しいのだ

 (それだけでは、どうしたって片寄っている)

 だが、軍法を持たない自衛隊の存在は、諸外国から見ると不可解極まりないらしく
 命令と殺人罪の混合を避ける用途として、安全保障能力と軍法はセットだと解釈されている


> だが、安全保障上の最終判断として戒厳令があるのなら、普段の国民に対する不公平さはなんだ?
> 民主社会に対する見解としての釣り合いが丸でできていない
> そのような視点が脆弱なくせに、軍法ありきと信じているのがグローバル感だった
> (どちらかというと、そのような解釈こそ国家主義寄りに見えてしまう)


 ‥そして、国家の乗っ取りがなりすましにも、不正選挙×マスコミ乗っ取りで成り立つのだと
 具体的にやらかしている騒ぎが今回のアメリカ大統領選挙だ

 (テロも暴動も一切用いずとも、お金さえ動かせれば、派閥圧力で国家を乗っ取れる時代だった)

 ‥お金に困る社会性がお金への執着を生み出し、カネでヒトを操れる社会性を導く
 ‥カネさえ動かせれば乗っ取れるのなら、お金に困らない社会性では困るので格差を正さない
 ‥結果、誰でもチートを極めてでも国家の長に成り上がれるのが自由だとした了承状態に及ぶ

 (そんな頓珍漢が半分を占めるのがグローバル経済の実態だ‥つまり今回のブチ切れ騒ぎ)


> そしてさらに、トランプ大統領のアカウント凍結問題である
> それにドイツのメルケル首相いわく、企業が勝手にやるモノではない国家が決める事だ
> とつぶやいている


 ‥国家にだってそんな権限は認められない
 それの感覚は、国家が犯罪罰として国外追放とした国籍抹消に近いことをやるのに近い
 そこからなし崩しに、最高罰を国籍抹消とかんなんとかに持って行かれても困るが
 国家にこそ其れを為すべき権限が唯一あるのだと言わんばかりの
 それに近いツッコミをしてしまっているようにも見受けられる発言だ

 ‥企業側のやらかした特定人物のアカウント削除は、規約解釈の解釈次第で経営の自由だろう
 訴えるにしてもまずは削除された当人次第の所が大きい
 そこに、よその国家首相がツッコんでは、如何にも国家主義を彷彿しかねない墓穴だ


> ‥どうにも世界中で、何が国家主義ぽくって
> どのような状態が民主社会の理想として適切かのごちゃ混ぜがあるように見受けられる
> (少なくとも、勝てば官軍と思っている社会性では混沌としたままだろう)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:15 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2020年12月20日

【命題】資本競争群にある限り、人権を公正に取り扱うガチ政府は存在し得ない

記稿.2020/12/20

> 日本は一般に、単一民族&お家社会群に思われているので、政府に錯覚を抱きやすい民族である


 ‥真の実力とは、人を動かす力である
 それが、恐怖で染まっていようと、人たらしの為す金ありきに染まろうと
 又、やはり先祖代々からの繋がりを尊重した上での実力ありきに付いていこうと

 人を、世論を、動かせるかどうかが真の実力である
 (其は地場ピンポイントで動かせる程度の実力云々とは性質がまったく異なっている)


 ‥ヒトが動いているからモノが動いている
 ‥暮らしがあるからモノが動いている
 ‥地場の暮らしを護らない存在に付いていくようなバカでは民主社会など成り立つわけが無い

 昔には土地とした繋がりから、誰がその土地の安全安心を担っているかが丸わかりだった
 だが今はそうではない、自由選択の都合から勝ち負けが発生し、勝ち方に支配され
 勝ち負けの結果を自慢し合う風潮に晒されている
 折角ついた差をどうして人権云々で埋めてしまって良いというのだろうか?
 とした議論は後を絶たない


> その議論の先頭に立っている存在が富裕層群だとしたら‥
> モノを動かす側からして人権放棄を宣言してきたも同質だ


 ヒトを動かし、モノを動かし、論を乗っ取り、国を乗っ取る
 それこそが能力社会における実力主義の果てと仮定したとき
 最終的には、縁者同士の骨肉の争いにしかならない

 民主化を担いでいながら、やらかしてた文化色は古代からと何ら変わっていなかった
 (人権論なんざ揚げ足を取る為の一戦法でしかなかった)


> では、王族やら政府とした構造群とは、何だったのだろうか?


 ‥民主化宣言上の建前
 ‥日本文化で言えば、公家と武家
 政をやらせているだけで、貢ぎ物(改築)やら秘儀式の類はそのまんまだった

 (徳川家康が公家ブランドマニアだったところもある)
 (否否、明智家との繋がりがそういう筋を保ったということになるかもしれない)

 徳川幕府群が前例のような形だったことから
 戦後の民主化も、それが国民主権にすり替わっただけの構造に倣った感ありありだ

 (其を容認したのがGHQに思われる)
 (そしてGHQの本当の狙いは、100年植民地契約の間に、神道解体を果たすこと‥そんな感じ)


 自民党政府がその手のシナリオ通りになるように、手先となって、今や格差社会を演出している
 (昭和好景気が何だったかというと、手先の族化、世代化、ブランド化の為の洗脳期間だった)


> 寺社にお参りしたところでご利益など無いと悟れば
> 誰もお参りなんかやらなくなる(超くだらない化)
> ついでに葬式解体ということになる(檀家率1%→在日勢に乗っ取られ古美術大放流の流れ)


 喪服を買うカネが無いほどの貧しさなら、合同火葬ありきだろう
 (そもそも、芸能在日勢がもっともな日本の風習らしくどや顔でテレビ葬儀流すのは異様)
 (まぁ葬儀の形なんて好きにやりゃ良いと思うけど、其を日本伝統と思い込むのが庶民で糞っ)

 (てめえで土に埋めて手を合わせる‥そんな単純さが今や違法ッ‥)


 ‥基本的にその手の国籍等管理のめんどくささの処理一切を
 政府・行政とした機関に担わせる為に用意したのは、世界の富裕層群の考えからだったろう

 (支配するにも、契約もとい書式管理が必要だった)
 (戸籍登録の段階で、市民もとい奴隷色ありき契約完了とかなんとか)
 (半分は骨肉の争いありきの縄張り争いありきの税対象に境目欲しさだった)
 (俺っちが勝ちと宣言を果たして相手方が折れれば、そんな境目も無用になる)


> 西洋由来な立憲解釈政府に正義など始めから無い(競争資本前提)
> 支配しやすくする上でのシナリオと党隊が在るだけだった
>(立憲政治とは即ち、超支配層との契約書ありきに、形式を保った類の習わし‥代官制‥)


 これの形式変更は、ほぼ絶望的に進行しており
 そもそもの立候補制度からしてカネに縛られているのだからお話にならない
 せめて、どっちがどちら側で、バックに何が控えているのかを日常的に明かさないのなら
 公平な選挙制度など成り立つわけが無い

 (代官制含みなのは、仕方のない流れだとしても)
 (背景絡みの黙秘を認めたままだと、開けてビックリ玉手箱にしかならない)


 ‥「あなた」とした言葉の対象からして立候補単位で異なっているなど詐欺的すぎる
 思い込ませで投票させようとするのは、買収と何ら変わらない真っ黒なやり方だ
 騙される方が未熟ならそのままを渡り歩く法律とは何か?(糞野郎ッ‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:53 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2020年03月02日

【命題】エリートと闇

記稿.2020/03/02

> エリートのおつむには、数値化せざるを得ない性癖が棲みついている
> 其はエリートが、自信を以てエリートたるに値すると自覚する為にも欠かせない魔物にある


 ‥数値評価には上限が付きまとう
 よりエリートたると認め合うには、Aランクでの安定評価が欠かせない
 ゆえに、満点(完璧)を維持できる奴は、エリート中のエリート(天才)と判断される

 ただしそこには、想定外を前提としていない脆さを含み持つ

 エリートにとって、物事を想定内でクリアーすることは秀才の域であり
 想定外を独創的アイデアで乗り越えられるタイプは鬼才の扱いとなる

 ただし、そこにある厄介な諸事情の多くは、人間関係である場合の方が多い


> エリートのこの傾向は、生活全般の多岐に渡り無駄に徹底されている


 ‥エリートと立身出世は切っても切り離せない
 自分の優秀さを誇示して美味しいメシが食える諸事情へのこだわりは尋常では無い

 (そこには、格差が保たれて当然とした思考すら正当化されていてどうしようもない)


 ‥毎日の食事にさえランキングが付く
 そこに個人差が顔を出すにせよ、決まって自分が認めたランク外を排除する傾向が強い
 世間一般においてもそのような傾向はあるにせよ、大抵の多くは
 何だかんだと、そこまで徹底はしていないだろう
 エリートにとって、贅へのこだわり(思い込み)は、徹底すべきスータスに位置する
 結果、そういう選択の日々を積み重ねてしまうので、想定外への対処が普段から不足する

 これは人付き合いにおいても同じ流れとなり、看板重視に偏りがちだ


> このような体質に人権云々など無い、それがエリートの本質と言うことである
>(自由とは冒険心に満ちてある空気だが、エリートは保守に満ちてある空気でどうしようもない)


 ‥それだけならまだしも、エリートの数値へのこだわりは
 数値で発表されるすべてに向けられてしまうので、都合が悪ければ化粧を施すことになる

 (まさに保守思考である)
 (エリートほど弱肉強食とした趣をこのような秘やかな場面を好んで放り込む)
 (エリートの多くは面倒を嫌うので体良くやっつけられる手段の画策に余念がない)


 ‥結果、数値へのこだわりから、エリートの多くは平然と数値でのずるをやらかすのだ‥


 世の中が数値で表現される資本を前提とした競争主義にあればあるほど
 ありとあらゆる数値の中身に、ブラックボックスが無くなることは無い
 何しろ‥やらかす判断がトップダウンにあれば、ポチ上等(渡りに舟)ということでもある

 そして、そのような慣習から

 うまく行かなければ、誰かのせいにしてしまえば良い
 ツケを下に回せば良いと思うようになるのも、エリートたる性癖の一つになっている
 (軍法会議はとくにそれ)


> この誰かのせいにする為に欠かせない条件付けが、性善説教育である


 ‥私たちの多くは、兵農分離の流れから性善説で育つ
 ゆえに、そこから逸れていると、間違っているとして批判できるレールに乗ることになる
 過去の聖人君子をさぞや褒めたたえている振りをして、実は
 エリート同士の揚げ足取り概念の育成に余念が無い

 ところが、エリート同士の多くは、学んだ環境が同じゆえに仲間意識が強い

 ‥結果、何かことある度の責は、外に向けられる
 その時の理由づけなんて何だって良い、性善説に絡めて巧妙に指摘してやると効果てきめんだ
 考えや学びの浅い者ほど、洗脳されてしまったかのように負い目を真に受ける者が多い


> なので、エリートに期待してみたところで、世の中が99%良くなることはない


 なのに世間は‥エリートに向ける期待がなぜか大きい
 無知盲目と恥ずかしき顛末しか起こらないのに、エリートへの期待だけが安定しているのは
 誰かのせいにしてしまえば良いとするエリート側と鏡似性ということなのだろう(依存意識)

 エリートが自らを誇示する為の根拠こそ「数値依存」である

 ‥ゆえに、結果を出せずに責任を負わないなら、それは能力主義では無い、単なる派閥差別だ
 ランク落ちを自らに科す気が無いなら、能力主義などただの言葉遊びである
 数値化評価ごっこ主義とでもランクダウンさせて表現すべきが筋である


> この世の競争は未だ、勝ち戦だけをやらかしたいお子様同士の嘘の付き合いレベルだ


 ‥其をエリートは、さも満足げにこう言い放つ
 「能力主義ですから」


> なぜ能力主義だけが、そんなにまでどや顔で居られるのだろうか?
> それこそ偏見だということを、エリート層が歴史を以て証明してきたとして認知すべきである


 ‥偏見に命を預ける者は愚かである‥
 ‥偏見のまま命を預かる者らは狂怪である‥



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:35 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

【動機観】お得主義×共鳴主義

向宜弁論.2018/08/15


|資本という自慢乞食が音頭取る あやかる民を御輿奴隷に(お得主義)

|自由という抗舌馬鹿がかしずかず 見惚るる民に尊厳の風(共鳴主義)


 *御輿(みこし)、抗舌(こうぜつ)、傅く(かしずく)

> ‥「ほめられて伸びるタイプ」というのがある
> どうにも、自慢にハマると自惚れる口なのだろう
> そう思うと「ほめられずとも伸びるタイプ」のポイントを知りたくなる
> それがまぁ‥共感・共鳴という現象だろう

> 所謂、「憧れて伸びるタイプ」と言うことだろうか‥
> しかしこちらには気負いが有り続けるだろう(二番煎じを拭えないからだ)

  だからもっと純粋に共鳴する方が良い

> ‥それが絶対的権威に自分の意見を堂々と述べまくる姿という事になる
> 明らかにお得に成りそうにも無く、時下に誉め合えるような行為でも無い
> なのにその姿に惚れ込むと元気になっちゃう(まるで恋同然だ)

  とくに為政絡みであれば、そこに語られるのは尊厳に公平だ

> 不思議なモノで、尊厳ある姿なり弁を目にして共鳴して元気になっちゃうのもタイプらしい
> おいしい思いができるからとご褒美目当てに頑張っちゃうタイプとは明らかに対極だ
> ‥この二極対比は、社会現象に根深いところがあり、漫然としている

> 「共産×資本」「社会×民主」‥そういう右派左派対比とは違って、個々に日常的だ
> そもそも、十九世紀頃からの思想対決自体「どちらがお得か?」の対比実験にしかなかった
> しかし、ヒトが頑張っちゃう理由として、そこには厳然とした二極性があったのだ


  それが、「お得」と「共鳴」だ

 (ヒトの本能を目的化にも分けて競わせる意味が不明)


> ご褒美目当てに頑張っちゃうタイプを「お得主義」
> 尊厳と公平に共鳴して頑張っちゃうタイプを「共鳴主義」

  という具合に表現してみるのも悪くないだろうよ

> お得主義のリーダーは、ご褒美をちらつかせて競わせる自慢馬鹿だ
> 共鳴主義のリーダーは、尊厳と公平に絡まない細部にはぶっちゃけ地味ケチだ

 「それは我が社の利に適ってるから是非やろう」
 「それは社会的に文化向上に繋がるはずだから是非やろう」

> お得主義のリーダーは、能力主義を口にしても実際はお仲間会だ
> 共鳴主義のリーダーは、平和主義だが共鳴に原点があるので閉鎖的に見えることの方が多い


 どちらにしても「やる気」に仕込みを入れてやる動機は、「お得」×「共鳴」でしかない



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:57 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

【命題】公僕の定義(思い込み)を問う

↓2)記稿.2018/06/24


> 私たちの御奉行様が、私たちの申し立てを聞き届けないのはおかしい(民主主義:下から目線)
> 我々の代官が、我々の指図に従わないわけがない(資本主義:上から目線)


 ‥よって、公僕なる立場は
 私慮を排して、需要に沿った立ち振る舞いをするものにあるとの思い込みが先行する
 これは、そこにあるべき、政を司る上での人格権を軽視した状況だ‥
 もとい「私意による判断権限」への猜疑である


> 私意による判断権限に罪など無い(絶対王政体制)


 ‥という歴史の横暴の果てに
 現代のような‥他の人権を害する行為と結果に対して、罪を問う制度が成り立っている
 如何なる立場の者であれ、これの公平に据え置かれる

 ‥ところがどうだろう‥

 公僕でさえ、選択の自由から、既得権益側に従うも自由、庶民の正義に添うのも自由だ

 ‥人権のそもそもは
 お互いの不和からなる争いを諫めて、公平にあるべき姿(基準)への理解である
 決して、自由を暴力のように振る舞う方向には無い
 其を自由ゆえに軽視しだせば、絶対王政への批判と同じ轍を踏む次第になる

 しかし

 既得権益側は、制度が変わろうと相変わらずに資本で以て暴力を振るうハラスメント体制のままだ
 さらに、自分らの代官を据えおいてやらかすのだから、自分らが裁かれる立場にも無い
 まったく以て、相も変わらず既得権益側に有利な仕組みになっている

 ‥述べるまでも無く、公僕正義など何の力も無い‥

 強いてあげるなら、教育上の詐欺行為‥偽装教育が指摘されるのみである
 (この意味において、現行政治制度の詐欺性を問えるのみだ)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:44 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

【原則】{経済競争が混乱をもたらす確率}={初恋が破綻する確率}

記稿.2017/01/16

> 変な夢を見た


 男1人(俺)女が5〜6人、全員スッポンポンで
 据え膳食わねぇ状態である。(俺は夢見の最中の動向を客観的に観察していた)

 (どうにも女の目線的に、俺はフル勃起にあるようだ)
 (俺の夢見の動機付けとしては、お目当ての女が居ねぇとか思ってるらしい)

 我慢できなくなった女の一人が俺にすり寄ってきた‥


> ここで思った。


 なるほど、黙ってみているだけだと声を掛けてくるのは我慢の利かない奴からだったと‥
 それを有り難がっても
 これを早熟の初恋に喩えるなら、そいつが浮気性である確率も高いという事に成る。

 (そもそもにして、我慢が利かないという証がそこに有るばかりなのだから)

 経験値を積んでも、互いの堪え性の無さは折り込み済みであり
 逆に言えば‥我慢強ければ強いなりに、不器用とばかりに、まさぐり合いも遠のくと。


 なるほど、実に判りやすい例えだな。
 そんなことも判断できずに世間では萌え萌えとか、初恋デザート願望に丸出しだったと。
 (まぁ俺もその範疇であった点に変わりはないのだが‥)


> では次に、このパターンを経済競争になぞらえてみよう


 園児の集団が、お菓子の家の前に据えおかれてお預けをくらっています。

 (所謂「待て」の実験)

 当然、OKなど発せられる予定もなく
 ものの10分もすれば我慢の利かない奴が現れる。
 それが一定の人数に達すと、雪崩を打って群集心理が働き‥

 それを見てもキチンと待って居られる園児は、わずかに至るだろう。


 ‥我慢の利かない奴から、競争に参加する‥

 そいつらのモラルが成ってないのは、火を見るよりも明らかだ。
 さらに群集心理に冒されやすい奴らが、それを見て、それで好いんだと思い込む確率も高い。

 つまり、競争をオープンにすればする程、
 モラルが形成される確率は、残されてキチンと待っていられた割合次第と言える。

 半分も持ち堪えていたなら、その集団は十分にバランスを保って機能するように思われる。
 (何しろ、堪え性の無い奴らも居ないと商売には成らないからな)


> 見るべき視点は、成果主張を正当化ばかりしていては、
> その頂点に立つだろう連中が、堪え性の利かない連中だらけに成っちまうと言う見方である。


 そんなのは、モラル無き代表の溜まり場にしか成らないわけで、
 言わずともなが、社会的には破綻するしかないだろう。

 (今時のグローバル加減が良い証明と言えるのだから)

 双方のバランスを保つには、
 半々ぐらいで、双方から代表を引っ張ってきた方が無難と言えそうである。

 (半々が適当であるかどうかは、今のところ不明)


> 欲に目が眩んでいては、こんなこともすぐに理解できないと
> 人類の暮らしぶりって、ほんと杜撰にしか成り立ってないんだな(チーン)


 是を以て、自覚し合えば、競争の仕方にも改善が求められて当然と言う事です。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 08:37 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年10月16日

【命題】資本主義は民主憲法違反である

記稿.2016/10/16

> 民主憲法の骨子は基本的人権である。
> 基本的人権の根っこには人道主義がある。


 「資本競争を是としてそこから一歩も動かざるは何事か!?」

 行き過ぎれば如何なるイデオロギーであれ腐敗する。
 上から下まで腐敗を始めては、もはや人道では無いのだ。
 それはつまり、民主憲法違反である。

 人道主義に和の精神が尊ばれるのは、腐敗の流れを緩和することにあった。

 つまり、真のイデオロギーはイデオロギーに非ず、自然体での人道が成り立つところにある。
 成り行かないのなら其はすでに腐にたり、転じるが道理となる。
 是のみとした一調子にしかあれない政治など、何も役に立たないことは昔からの常識だったのだ。

 それにしたとて

 いきなり頭をすげ替えてみたところで、誰が信用できるだろうか?
 だからこそ、平時から様々な考えたかの善し悪しと適性を論ずるべきにある。
 それが和の精神に求められる筋だったわけだが‥

 なぜか‥何が正しいか、好みにあるかという視野でしかモノを見られなくなってしまっておる。


> 人それぞれの価値を等しいとしているのではないのか?


 そこが基本的人権であるにも拘わらず、多数決で、その価値基準を変えても好いなどとは言語道断‥
 そこからして、ブレているのが民主化したつもりの民主主義なのだ。
 ‥もとい、多数決なる羊の皮を被った獣の資本主義の本質だ。

 資本主義で一体何が生まれたというのか?
 自由か、平和か、愛か、どれもそうではない。
 そこにあるのはただの自己満であり、自己満の屍が横たわるばかりだ。

 それの何が文化的と言えるだろうか?
 何を以て、心掛け、築き上げた文明と言えるだろうか?

 どれもこれも圧倒的に、過去の遺産より劣っておるではないか!
 ‥劣らずとも優る部分が無い。人間性として凌駕し続けるようなよすがなど無いではないか!


> 資本主義でいうオークションで一番に値が付くのは何だね?


 そこにあるのは明らかに過去への憧れでしかない。
 そこにあるのは一体何だね?
 未来に投資するのも投資家で、過去に投資するのも投資家だ。
 では現代にある憧れ‥もとい、モノとは何だね?
 それこそが借金だよ。借金を売り買いしているのがまさに投資家だ。

 では、借金とは何だね?

 借金とは、つまり奴隷の紙幣化だよ。
 借金による民衆の奴隷化は、民主憲法違反である。

 ‥斯様な文言に示されておらずとも、十分に民主憲法違反である。
 ‥少なくともそのように偏ってまで推し進める意味合いなど万に一つも無い。
 ‥行き詰まったまま、振り返らずに押し通すというのなら、国民主権に反した反逆行為そのものだ!
 ‥二十五条も果たさず、十三条もまともに機能しない。立派な憲法違反だ!!!


> もはやこれまでの資本主義は、十分に立派な民主憲法違反なり!!!


 食物アレルギーで子供が死んだら、殺人容疑などで調査されるだろう。それと同じだ。
 認知された後ともなれば、きちんとした対処をしなければ殺人罪だよ。それと同じだ。
 ‥国民に認知されなければ好いなどとしたレベルの政治を以て、すでに憲法違反なり!
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:46 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

【命題】{検索依存}×{社会競争の不均衡}={共産否定と同じ堕落性}

↓6)記稿.2016/10/13

> 今やネット検索無しに仕事は立ち行かなくなりました。


 仕事のアイデアもネットで情報を募った方が、問題点が把握しやすいとばかりに
 ビッグデータがもてはやされるほどです。
 でも、実際の所、ビッグデータを見ても、問題点を指摘できるかどうかは別の話です。
 そこで、AIによる解析がもてはやされる始末です。

 つまり、問題点を意識せずに問題点を指摘してもらい
 それのペーパーを読み上げるのがお仕事になりつつあります。


> さてさてさて、どこかで見たかのようなヤバイ時代がやってくると言うことです。


 ‥そうです。劇団員化している政治屋の末路です。
 末路は言いすぎかも知れませんが、まぁ末路でしょうね。
 自分の足で考えられなくなった劇団政治など、糞のお手本です。

 民間企業も行政も首を揃えてその道を行かんとしているのどえす。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:28 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

【命題】一億総頑張っても、20人中1人の未来は相殺されている

記稿.2016/10/05

> 日本の実労働人口はどうして5000万規模なのか?


 ※ 2015年統計で、5646万人。
 (5000万人というと勘違いに思われる所だが‥なんか少ねぇと思ったのが思考のきっかけ)

 日本の人口がほぼ横ばいであることから
 その労働人口の変動は、ほぼ景気に左右されるものと思い込んでいる。
 それは本当に正しい認識なのだろうか?


 出生率が2を下回る状況の中、若い一年齢世代あたりの人口はほぼ100万人規模。
 (統計を見ると0〜19歳はおおよそ2200万人)
 つまり属に言う主婦の人口比は110万×20÷2を上回ることはない。
 それでいて、専業という立場ともなるとその半分を上回ることはない。
 つまり、完全専業主婦はどんなに多く見積もっても550万人程度だ。

 では超高齢層はどうだろうか?

 現在、65歳以上で3459万人程度だという。

 大ざっぱに2200万人の未成年+完全専業主婦+超高齢者数=6200万人
 つまり、想定される国内労働人口は6300万人だ。

 (政府統計は15歳からの計算、ここでは20歳〜65歳の間)
 (政府統計は、専業主婦も含有されているが、概ね数値としては一致している)
 (高卒就業者の足し分等を考えると、少し跳ね上がるのは当然)
 (リーマンショック後の高卒者採用見送り推移を見るに、統計にほぼ表れているように思う)


> この見方は、概ね10年前程度からの適応が可能かと思われる。
> さて、実労働人口との差をどう考えるべきだろうか?


 ‥ここで、実労働人口を5650万人として実換算してみても
 650万人が無職または失業中との見方は依然避けられない。

 ※ 2007年近辺の好景気の頃の労働人口は6000万人を超えていた覚えがある。
 (ちなみに、海外からの就労者数は現在90万人程度。当時と比べると10〜20万人減程度)


> 少なくとも、単純に、のこり650万人の半分は景気を問わず消えてる内訳と問わざるを得ない。
> 少なくともかような産業構造として推移しており、失われた20年の間同様だったと考えて良い。
> つまり、その間の政治努力など皆無だったと判断されるべき内容だ。


 ‥では、政治は何をしていたのだろうか?
 少なくとも、それら手掛けられてきた諸々は、足踏み維持程度の提案にしかなかったかと思われる。
 足踏み程度にしかないなら‥格差寄りに傾くのが流れになる。

 そして現在、金融劇場は世界規模で打つ手なしに置かれている。

 リーマンショックの衝撃は、昭和のバブル崩壊より破壊力が凄まじかったのだから
 ‥世界統計上から消えてる内訳は、相当な数と問わざるを得ない。


> 単純にリーマン当時の好景気でも325万人が失業中と考えてみよう。


 325万÷6300万人×100=5.158730%
 ずばり、20人中1人の未来は相殺されている計算になる。(正しくはそれに近い)

 言わずとも、現状の横ばい不景気ならその倍だ。
 ずばり、10人中1人の未来は相殺されている計算になる。
 ‥ただし自己責任33%、社会責任33%、政治責任33%、運1%‥とした思い込みは付くけどね。


 (大ざっぱすぎる計算に思われる方は、ご自分で詳しく数値を拾ってみて下さい)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:36 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

【命題】速攻わかる平均給与から算出する格差分布

記稿.2016/10/01

 さて、このところの平均給与ですが、450万円程度です。
 計算を簡単に示しやすくするために大ざっぱな数値を使います。
 (実際の所は、もう少し下がり440万円あたりです。年々下がってます。)


 で、経営者給与というのが、税金の絡みもあり、1500万円程度ということです。
 で、中間管理職の給与が600万円程度です。
 で、正社員の目安が300万円で、非正規が頑張って200万円といった次第にしときます。


> では‥割合を次のように試算してみましょう。


 経営者:非正規=1:a → 1500万+200万a=450万(1+a)
 中間管理職:平社員=1:b 600万+300万b=450万(1+b)

 1:1:1:4.2
 
 1あたり100÷7.2=13.88888%


> つまり、非正規人口は、労働人口全体の58.333%という次第になります。


 ヒエラルキーの構造を簡単に給与平均から導き出すとこんな具合です。


 「え?、何ですって、非正規統計はもっと少ない??」


 そりゃあーた、上の割合が実際には、
 経営者なんだけど中間管理職程度の給与でしかないとか、
 中間管理職だけどほとんどなんちゃってで、平社員並でしかないなどの色々なケースがあるからです。
 ‥あと上も下もまだまだいろいろと分布してすからね。


 ここで言いたいのは、上層の比率が1:1:1にある点です。


 理論的に、たったそれだけでも、
 ‥全体の6割近くを非正規にならざるを得ないのが競争格差という実体です。


> ‥じゃ、昭和はなぜ格差が小さかったのかって?


 そりゃあーた、下層でも何とかなるように社会構造が成り立ってたからでしょう。
 (中層が下層にスライドしてきたと言った方が的確かと)


> まぁこんな計算で給与が決められているわけではないとは思いますが、
> 給与平均金額と分布の割合の事実は動きませんからね。
> ゆらぎの範囲で成り立つ枠内ですので、誰も反論のしようがないんっすよ!


 これもすべて政治家・経済学者の怠慢なんでしょうな。
 ‥これっぽちの想定すら見逃してきたんですからね。(お目出度いおつむです)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:44 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする