2017年01月16日

【原則】{経済競争が混乱をもたらす確率}={初恋が破綻する確率}

記稿.2017/01/16

> 変な夢を見た


 男1人(俺)女が5〜6人、全員スッポンポンで
 据え膳食わねぇ状態である。(俺は夢見の最中の動向を客観的に観察していた)

 (どうにも女の目線的に、俺はフル勃起にあるようだ)
 (俺の夢見の動機付けとしては、お目当ての女が居ねぇとか思ってるらしい)

 我慢できなくなった女の一人が俺にすり寄ってきた‥


> ここで思った。


 なるほど、黙ってみているだけだと声を掛けてくるのは我慢の利かない奴からだったと‥
 それを有り難がっても
 これを早熟の初恋に喩えるなら、そいつが浮気性である確率も高いという事に成る。

 (そもそもにして、我慢が利かないという証がそこに有るばかりなのだから)

 経験値を積んでも、互いの堪え性の無さは折り込み済みであり
 逆に言えば‥我慢強ければ強いなりに、不器用とばかりに、まさぐり合いも遠のくと。


 なるほど、実に判りやすい例えだな。
 そんなことも判断できずに世間では萌え萌えとか、初恋デザート願望に丸出しだったと。
 (まぁ俺もその範疇であった点に変わりはないのだが‥)


> では次に、このパターンを経済競争になぞらえてみよう


 園児の集団が、お菓子の家の前に据えおかれてお預けをくらっています。

 (所謂「待て」の実験)

 当然、OKなど発せられる予定もなく
 ものの10分もすれば我慢の利かない奴が現れる。
 それが一定の人数に達すと、雪崩を打って群集心理が働き‥

 それを見てもキチンと待って居られる園児は、わずかに至るだろう。


 ‥我慢の利かない奴から、競争に参加する‥

 そいつらのモラルが成ってないのは、火を見るよりも明らかだ。
 さらに群集心理に冒されやすい奴らが、それを見て、それで好いんだと思い込む確率も高い。

 つまり、競争をオープンにすればする程、
 モラルが形成される確率は、残されてキチンと待っていられた割合次第と言える。

 半分も持ち堪えていたなら、その集団は十分にバランスを保って機能するように思われる。
 (何しろ、堪え性の無い奴らも居ないと商売には成らないからな)


> 見るべき視点は、成果主張を正当化ばかりしていては、
> その頂点に立つだろう連中が、堪え性の利かない連中だらけに成っちまうと言う見方である。


 そんなのは、モラル無き代表の溜まり場にしか成らないわけで、
 言わずともなが、社会的には破綻するしかないだろう。

 (今時のグローバル加減が良い証明と言えるのだから)

 双方のバランスを保つには、
 半々ぐらいで、双方から代表を引っ張ってきた方が無難と言えそうである。

 (半々が適当であるかどうかは、今のところ不明)


> 欲に目が眩んでいては、こんなこともすぐに理解できないと
> 人類の暮らしぶりって、ほんと杜撰にしか成り立ってないんだな(チーン)


 是を以て、自覚し合えば、競争の仕方にも改善が求められて当然と言う事です。
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2016年10月16日

【命題】資本主義は民主憲法違反である

記稿.2016/10/16

> 民主憲法の骨子は基本的人権である。
> 基本的人権の根っこには人道主義がある。


 「資本競争を是としてそこから一歩も動かざるは何事か!?」

 行き過ぎれば如何なるイデオロギーであれ腐敗する。
 上から下まで腐敗を始めては、もはや人道では無いのだ。
 それはつまり、民主憲法違反である。

 人道主義に和の精神が尊ばれるのは、腐敗の流れを緩和することにあった。

 つまり、真のイデオロギーはイデオロギーに非ず、自然体での人道が成り立つところにある。
 成り行かないのなら其はすでに腐にたり、転じるが道理となる。
 是のみとした一調子にしかあれない政治など、何も役に立たないことは昔からの常識だったのだ。

 それにしたとて

 いきなり頭をすげ替えてみたところで、誰が信用できるだろうか?
 だからこそ、平時から様々な考えたかの善し悪しと適性を論ずるべきにある。
 それが和の精神に求められる筋だったわけだが‥

 なぜか‥何が正しいか、好みにあるかという視野でしかモノを見られなくなってしまっておる。


> 人それぞれの価値を等しいとしているのではないのか?


 そこが基本的人権であるにも拘わらず、多数決で、その価値基準を変えても好いなどとは言語道断‥
 そこからして、ブレているのが民主化したつもりの民主主義なのだ。
 ‥もとい、多数決なる羊の皮を被った獣の資本主義の本質だ。

 資本主義で一体何が生まれたというのか?
 自由か、平和か、愛か、どれもそうではない。
 そこにあるのはただの自己満であり、自己満の屍が横たわるばかりだ。

 それの何が文化的と言えるだろうか?
 何を以て、心掛け、築き上げた文明と言えるだろうか?

 どれもこれも圧倒的に、過去の遺産より劣っておるではないか!
 ‥劣らずとも優る部分が無い。人間性として凌駕し続けるようなよすがなど無いではないか!


> 資本主義でいうオークションで一番に値が付くのは何だね?


 そこにあるのは明らかに過去への憧れでしかない。
 そこにあるのは一体何だね?
 未来に投資するのも投資家で、過去に投資するのも投資家だ。
 では現代にある憧れ‥もとい、モノとは何だね?
 それこそが借金だよ。借金を売り買いしているのがまさに投資家だ。

 では、借金とは何だね?

 借金とは、つまり奴隷の紙幣化だよ。
 借金による民衆の奴隷化は、民主憲法違反である。

 ‥斯様な文言に示されておらずとも、十分に民主憲法違反である。
 ‥少なくともそのように偏ってまで推し進める意味合いなど万に一つも無い。
 ‥行き詰まったまま、振り返らずに押し通すというのなら、国民主権に反した反逆行為そのものだ!
 ‥二十五条も果たさず、十三条もまともに機能しない。立派な憲法違反だ!!!


> もはやこれまでの資本主義は、十分に立派な民主憲法違反なり!!!


 食物アレルギーで子供が死んだら、殺人容疑などで調査されるだろう。それと同じだ。
 認知された後ともなれば、きちんとした対処をしなければ殺人罪だよ。それと同じだ。
 ‥国民に認知されなければ好いなどとしたレベルの政治を以て、すでに憲法違反なり!
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:46 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

【命題】{検索依存}×{社会競争の不均衡}={共産否定と同じ堕落性}

↓6)記稿.2016/10/13

> 今やネット検索無しに仕事は立ち行かなくなりました。


 仕事のアイデアもネットで情報を募った方が、問題点が把握しやすいとばかりに
 ビッグデータがもてはやされるほどです。
 でも、実際の所、ビッグデータを見ても、問題点を指摘できるかどうかは別の話です。
 そこで、AIによる解析がもてはやされる始末です。

 つまり、問題点を意識せずに問題点を指摘してもらい
 それのペーパーを読み上げるのがお仕事になりつつあります。


> さてさてさて、どこかで見たかのようなヤバイ時代がやってくると言うことです。


 ‥そうです。劇団員化している政治屋の末路です。
 末路は言いすぎかも知れませんが、まぁ末路でしょうね。
 自分の足で考えられなくなった劇団政治など、糞のお手本です。

 民間企業も行政も首を揃えてその道を行かんとしているのどえす。
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2016年10月05日

【命題】一億総頑張っても、20人中1人の未来は相殺されている

記稿.2016/10/05

> 日本の実労働人口はどうして5000万規模なのか?


 ※ 2015年統計で、5646万人。
 (5000万人というと勘違いに思われる所だが‥なんか少ねぇと思ったのが思考のきっかけ)

 日本の人口がほぼ横ばいであることから
 その労働人口の変動は、ほぼ景気に左右されるものと思い込んでいる。
 それは本当に正しい認識なのだろうか?


 出生率が2を下回る状況の中、若い一年齢世代あたりの人口はほぼ100万人規模。
 (統計を見ると0〜19歳はおおよそ2200万人)
 つまり属に言う主婦の人口比は110万×20÷2を上回ることはない。
 それでいて、専業という立場ともなるとその半分を上回ることはない。
 つまり、完全専業主婦はどんなに多く見積もっても550万人程度だ。

 では超高齢層はどうだろうか?

 現在、65歳以上で3459万人程度だという。

 大ざっぱに2200万人の未成年+完全専業主婦+超高齢者数=6200万人
 つまり、想定される国内労働人口は6300万人だ。

 (政府統計は15歳からの計算、ここでは20歳〜65歳の間)
 (政府統計は、専業主婦も含有されているが、概ね数値としては一致している)
 (高卒就業者の足し分等を考えると、少し跳ね上がるのは当然)
 (リーマンショック後の高卒者採用見送り推移を見るに、統計にほぼ表れているように思う)


> この見方は、概ね10年前程度からの適応が可能かと思われる。
> さて、実労働人口との差をどう考えるべきだろうか?


 ‥ここで、実労働人口を5650万人として実換算してみても
 650万人が無職または失業中との見方は依然避けられない。

 ※ 2007年近辺の好景気の頃の労働人口は6000万人を超えていた覚えがある。
 (ちなみに、海外からの就労者数は現在90万人程度。当時と比べると10〜20万人減程度)


> 少なくとも、単純に、のこり650万人の半分は景気を問わず消えてる内訳と問わざるを得ない。
> 少なくともかような産業構造として推移しており、失われた20年の間同様だったと考えて良い。
> つまり、その間の政治努力など皆無だったと判断されるべき内容だ。


 ‥では、政治は何をしていたのだろうか?
 少なくとも、それら手掛けられてきた諸々は、足踏み維持程度の提案にしかなかったかと思われる。
 足踏み程度にしかないなら‥格差寄りに傾くのが流れになる。

 そして現在、金融劇場は世界規模で打つ手なしに置かれている。

 リーマンショックの衝撃は、昭和のバブル崩壊より破壊力が凄まじかったのだから
 ‥世界統計上から消えてる内訳は、相当な数と問わざるを得ない。


> 単純にリーマン当時の好景気でも325万人が失業中と考えてみよう。


 325万÷6300万人×100=5.158730%
 ずばり、20人中1人の未来は相殺されている計算になる。(正しくはそれに近い)

 言わずとも、現状の横ばい不景気ならその倍だ。
 ずばり、10人中1人の未来は相殺されている計算になる。
 ‥ただし自己責任33%、社会責任33%、政治責任33%、運1%‥とした思い込みは付くけどね。


 (大ざっぱすぎる計算に思われる方は、ご自分で詳しく数値を拾ってみて下さい)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:36 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

【命題】速攻わかる平均給与から算出する格差分布

記稿.2016/10/01

 さて、このところの平均給与ですが、450万円程度です。
 計算を簡単に示しやすくするために大ざっぱな数値を使います。
 (実際の所は、もう少し下がり440万円あたりです。年々下がってます。)


 で、経営者給与というのが、税金の絡みもあり、1500万円程度ということです。
 で、中間管理職の給与が600万円程度です。
 で、正社員の目安が300万円で、非正規が頑張って200万円といった次第にしときます。


> では‥割合を次のように試算してみましょう。


 経営者:非正規=1:a → 1500万+200万a=450万(1+a)
 中間管理職:平社員=1:b 600万+300万b=450万(1+b)

 1:1:1:4.2
 
 1あたり100÷7.2=13.88888%


> つまり、非正規人口は、労働人口全体の58.333%という次第になります。


 ヒエラルキーの構造を簡単に給与平均から導き出すとこんな具合です。


 「え?、何ですって、非正規統計はもっと少ない??」


 そりゃあーた、上の割合が実際には、
 経営者なんだけど中間管理職程度の給与でしかないとか、
 中間管理職だけどほとんどなんちゃってで、平社員並でしかないなどの色々なケースがあるからです。
 ‥あと上も下もまだまだいろいろと分布してすからね。


 ここで言いたいのは、上層の比率が1:1:1にある点です。


 理論的に、たったそれだけでも、
 ‥全体の6割近くを非正規にならざるを得ないのが競争格差という実体です。


> ‥じゃ、昭和はなぜ格差が小さかったのかって?


 そりゃあーた、下層でも何とかなるように社会構造が成り立ってたからでしょう。
 (中層が下層にスライドしてきたと言った方が的確かと)


> まぁこんな計算で給与が決められているわけではないとは思いますが、
> 給与平均金額と分布の割合の事実は動きませんからね。
> ゆらぎの範囲で成り立つ枠内ですので、誰も反論のしようがないんっすよ!


 これもすべて政治家・経済学者の怠慢なんでしょうな。
 ‥これっぽちの想定すら見逃してきたんですからね。(お目出度いおつむです)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:44 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

【命題】競争原理は、全体赤字のままを突っ走る

↓)3記稿.2016/09/26

 資本主義批判は、投資家視点の言い分がまかり通ることから
 そこの是非に切りがありません。

 ならば、競争原理から切り落としてやろうと思いまして
 (‥考えてみれば、こちらから攻めた方が一目瞭然だったわけでした)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:37 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

【命題】人口が増える大前提とは?

↓3)記稿.2016/08/16

> 産みたい女子の数×体力×社会環境=人口増加率=人口の増やせる程度


 ‥戦後昭和の女子になぜ産む気があったかと言えば
 是からの時代は良くなっていくという思い込みがあったからだ。そこは男子も同じだった。
 実際、その思い込みは娯楽もまだ少なかった時代のあと押しもあり、愚直に反映した。

 しかし

 時代が進み、教育を身につけた女子が増えだした結果
 そこにあった産みたい前提は、随分と低下した。女子にもやりたいことの選択肢が増えたのだ。
 まずは豊かになりたい。まぁそんな勘違いが横行した。
 ‥そんな流れの中、女子に追い抜かれる男子の数も又増え、男子の選択肢が内向きに変わりだした。


> 結果、人口の増える割合は、産みたい女子に依存する流れになった。


 ただし、産みたい女子に依存した状態という事実だけは、前後に於いて何ら変わってなどいない。
 ‥変わってしまったのは、是からの時代に希望が持てないとした流れだけだ。
 ‥その割りには、いろいろなやりたいも上昇している。
 ‥まぁそういう意味では豊かさは享受されているのだろう。


> しかし、いろいろなやりたい↑×時代に希望が持てない↓との矛盾は、そもそもにして怪しい
> 差し引きで言えば、ゼロだ。頑張った甲斐が無いとした空気である。


 ‥戦後昭和の遺産として
 {頑張った甲斐が無い}={頑張る必要なし}とした空気が均一に蔓延する。
 まぁそもそもにして、戦後昭和の十年間の汗=平成の一年間の汗ぐらいの勢いはあるからな。
 (この事実を理解できるのは、昭和生まれだけだ)

 しかし是には、アキレス腱がある。

 それこそが人口の減少だ。人口が減ってしまうと、経済的なうま味もそのままに低下する。
 誰でも理解できることだが、そうなると戦後昭和の遺産もからっきしに成りかねない。
 ‥なんとかしたいのが勝ち組の心理なのだろう。


> そこで少子化問題をでっち上げるのだ。


 前後の辻褄をよく吟味してみると、年配者比率が増大すると確かに風景としては地味になる。
 それはもう、地味だろう。だから子が欲しくもなる。
 でも、そこばかりは技術で何とかなるもんでもないし、

 仮に、できたとしても、そうまでして望むものだろうか?

 自然的な繁殖&増殖が一番、それも適切な感情を有した状態が望ましい。


 ‥と、皆で思っていれば、人口が昭和と同じ勢いに増える必要はまったく無い。
 そこは、すでに女子らが回答を示しているようなものだ。

 「成り立ちもせずものを、右肩上がりにねだってもしょうがないのだよ諸君!」
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:23 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

【命題】金融資本VS.徳政令の用の正しき理解とは?

↓3)記稿.2016/08/01

> 徳政令とは、統治者による借金チャラのご沙汰である。


 歴史的に見ても、徳政令を行使した例はそれほどに多くない。
 それはそうだろう、貸した方は丸損になる。誰が納得できるだろうか。
 ‥でも借りた方としては、統治側も含めて左団扇になる。

 でもね、巨大資本ほど

 戦争という仕組みでボロ儲けしている連中もいないのだ。
 戦争が始まると、誰も得をしない‥なのに
 ‥そんな資本側だけが得をする仕組みは、ふざけるにも程がある。


> それでいて、戦争に負けると、負けた方は通貨価値が一方的にチャラになる


 敵対していれば、敵国の通貨など多くの人は持っていない。
 ‥被害を被るのは、負けた側の国民がほとんどだ。

 普段は嫌々の投資資本も是には従わざるを得ない。
 ‥誰に従ってんの?、誰にしたがったのさ?

 「そんなにも戦争の勝ち負けに価値があるのか!」

 どう考えても、平和主義を亡きモノにする考え方である。
 ‥そんなのが民主社会を覆っているなんて、クソ食らえである。
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2016年05月15日

【命題】憲法十四条VS.一条、其もまた矛盾と言える

記稿.2016/05/15

> 第一条


 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
 この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


> 第十四条


・すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
 政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
・華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
・栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。
 栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


> 九条と自衛隊の関わりが矛盾というのなら
> 第十四条と天皇家の存在性も矛盾することになる。


 天皇の存在性は一条より確認できても
 天皇家の存在性は十四条より否定される。

 つまり、天皇の地位についての表記はされていても、天皇家の表記はされていない。

 天皇家&皇族なる概念と、並びに、その歴史的流れからの惰性は、どうしたって違憲に該当する。


> だが‥天皇並びに天皇家を、単なる稼業として捉えると話は別になってくる。


 二十五条の保障をしっかりやればバランスは確保される。
 ‥ところが、そうではない。二十五条などどこへやらなのが実際だ。

 宮内庁予算と国民負担との差を考えれば、どうしたって、「アレは何?」って話だ。

 そこには確かに身分差が発生しているし、差別に不平等、特殊な扱いが改革されずに行われている。
 ‥誰がどう見たって、稼業の違いたる解釈の範疇には無い。



> では質問です。「天皇家の稼業とは何?」


 答え:そりゃどうしたって、それこそが九条の存在意義でしょう。

 そこが保たれないって言うなら、
 天皇&天皇家なんか要らねぇって、それが国民感情になってくる。


 ‥そこから自衛隊を考えると、また別の見方が生じてくる。

 「あれはね、天皇&天皇家の私設防衛機能なんだよ
  日本国に軍隊は存在しない
  しかし天皇&天皇家は私設防衛機能を保有している、それが自衛隊‥」


 なぜか天皇はその指揮権を有していないように見える。それは一任しているから。
 それが「日本国民統合の象徴」と並べ繰り返している文言の正体。

 ただし、そこの一任については、法で述べられることが無い。
 ‥でも、大臣の任命授与は天皇がやるんすよね。

 まさに闇‥

 {自衛隊}={天皇&天皇家の私設防衛機能}という解釈。



> 続いて第二問。「二十五条を担うべき立場にあるのは誰?」
 

 答え:そりゃ、一任されてる形にあるなら国民でしょう。


 言いたいことは、まず、国民の代表としてのあれやこれに言えってことだ。
 その点は、天皇&天皇家の存在性に文句を垂れても筋違い。

 自衛隊の予算配分が多く見えるにしても、内閣に文句を言えばって話だ。
 その内閣にしてみれば、国会に文句を言えばって立場だ。
 国会に文句があるなら、選挙をちゃんと考えろって話だ。

 選挙の不満のそもそもは、二十五条が行使されていないという一点。
 そこがスルーされている要因は、どうしたってカネの仕組み&財源のカラクリ。
 ‥そこをスルーされては、選挙の価値なんかなんにもねぇ。
 (富裕層の劇団員が政権を担ってるだけ)

 富裕層は競争の勝ち組だから、競争を否定しない。二十五条より十三条重視だ。
 十三条に示されるインフラ(公共の福祉)を維持するのは富裕層の企画推進能力。
 ‥でもそこの革新には必ずしも民意は伴わない。(建築やネット周りの事情は特にその象徴)
 ‥民意などあとからついてくる。夢を追う者らの多くがそう思っている。


 ‥そんなこんなで、少なくとも‥
 戦争に巻き込まれていない内は、天皇&天皇家に文句を垂れるのは筋違い。
 それが日本国憲法なのだよ。(中身に秘められた絶妙なバランスなのだよ)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:05 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

2015年09月29日

【命題】安全が一番、自由は二番

記稿.2015/09/29

宇宙はグレーだ。
混沌としている。
それはルールが無いからだ。

そこにルールがあるように見えていたとすれば、
それはまぁ管理が行き届いた宙域が存在するからだろう。

それにしたって
それはただの縄張りの主張のような類いかも知れない‥
つまり緊張と対立だ。


そんな日常に対して、私たち人類はいたって傍観の様にある。
何かをしなければ、そこに在る緊張の解消はもたらされることがないのだとしても
どこから手を付けるべきかにこれと言った見解も又無いのだ。

そしてまた、私たちのルール作りにしたって大した所が無いのだ。

大した所が無いからお互いに守る気もしおしおなのだろう。
自由にならんとばかりはガツガツしていても、
安全にあらんとばかりのガツガツにはないのだ。
そして無駄に心配ばかりに懸命だ。


「ならばこう考えざるを得まい」


自由の価値なんぞそれほどでもない。
一番の価値は安全だ。

支配者は、自らの安全に自信が有るから、人々を自由に振り向けさせている。
その証拠に、庶民に並べられる自由を得ても、大して安心できる代物にはない。

支配者にしたってそうだ、常に安全に駆り立てられている。
そんな安全は大したことがない。
そこに確信がないから、バージョンアップを頻繁に繰り返さなければ安心できない。
自由を奪い合う形には、常にそんな構造がある。


安全は一人では確保できない。
分かりきったことに意識が振り向かないという日常はクレイジーだ。

「どうしてそうなっている?」


それは、自由が一番、安全が二番に置かれてしまっているからだ。
身につけてしまった間違いは、死んだみたところで早々に直るものでもない。
お互いに尊重し合えていない有り様は、まさにそれである。

‥だからその証明こそが宇宙の現実なのだ‥

私たちがそのようでしか無いのなら、安全はただの幻覚のままだ。
理想とする未来はきっとあるとした妄想のままだ。

自由を得る為の力を身に纏って見せても、そんなものだ。
誰彼の安全までを考慮して使いこなせてなどいないのだ。

「見よ、私たちの日常を!」
そこに有る力がちっぽけだとしても、何ら使いこなせちゃいないのだ。

結果、滅び逝かんとばかりの自由にしがみついていては、それこそ生きる価値も無い。
まさにそのような現実の到来は、私たち自身による宣誓にしか映るまい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:53 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする