2014年10月06日

【命題】民族の主権と自立

記稿.2014/10/06...20090626...

> 地球に国境は必要ない。されど民族の違いは有り続けるだろう。


 ゆえに、国民主権が有るのではない。民族主権が求められるのだ。
 そもそもにして、得意分野だけを伸ばせば良しとする発想自体が経済活動的すぎるのだ。

 人が生きているのは、経済活動のためではない。

 地域に足らざる事を自らに課して成するために来たるのだ。
 ‥その地域の集合を”民族”と呼ぶのである。

 外から入ってくる経済を主体に置いていては、
 この基本的な単位は、いつまで経っても持続も成長も見せる所がない。
 それはそのままに‥自らを消費者という立場に追いやるだけの推奨だ。


> そうであろう。


 自分の用を用済みしてしまう次第に賛成するのだからな。
 その結果、周りからもそんな努力をしても無駄だと罵られるのだ。
 ‥好いではないか、地域のためと思ってのことなら、とりあえずやらせてみればいい。

 結果としての棲み分けが進むのであれば、そこに勝者も敗者もない。
 それが地球規模での民族間の関わりという次第に成ろうか。


> 何かと司法と法を前提にして居るのが現代人の思考としてある‥


 お互いに奪い合うことを競って、何が司法か‥
 争いに正しさなど何も無い。本当の正しさが、誰にも見えないのであれば尚更だ。


 お互いを尊重してこそ法は成り立つのだ。


 そこをないがしろにして、
 勝者が勝手を振るうやり方は、どうしたって不公平しかもたらすまい。

 まずは、民族自立が成り立たなければ、地球規模でのまとまりなどやっては来ないのだ。
 その最小単位こそ、一人一人の自立心の宿しである。

 ‥所詮、自立の気概無き者は、愛郷心とてしおしおなのだからな。
 そんな有り様で法のうんちくを説いても、駄法の数ばかりが増えてどうしようもない。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:41 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

【命題】地球民族

記稿.2014/10/06...20090626...

> 経済競争は誰のためにあるのか?


 この世の通貨は、権利を持つ者が支配している。
 その支配組織が "裸の王様" であるにも関わらず、
 誰に認められたのかも怪しいままに権利を主張しているだけなのだ。

 それにしたって、

 私たちは、健気にも借りた物は返さなくてはならない道理に従っているだけだ。
 その最たる通貨は貸し出す枠でしか増えない。
 増えないどころか、利子や税を課せられて搾り取られるばかりである。

 ‥多くの者が負け組に落ちるのは、火を見るよりも明らかだった。

 「それのどこが民主化だというのか!」
 私たちはこの問題を地球民族の立場から改善を求めていく必要がある。

 いつまでも、

 頑張ればいつかはのし上がれるとか、
 贅沢三昧の身分になれるとか、
 個人の勝手気ままにふんぞり返った夢見る可能性ばかりを得ようとしても改善されないのである。


 「私たちに必要なのは競争ではない。生きていく上での共生の活性化である。」


 そのための民主化だったのであろう。
 通貨で支配を受けるための民主化ではなかったはずだ。
 ‥そのためにも、地球民族としての視界が求められているのだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:40 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

【命題】物々交換×金融経済

記稿.2014/11/30...20141006.20091227...

> 物々交換の根底にある概念とは、


 (気持ちの前提として‥)すべては公平で、さしあたって誰の所有物でもないとされる。
 交換する上での物の価値は、手元に有するその時の状況で決する。
 基本的に、足るだけあれば良い暮らしなので、無い物ねだりは一切成り立たない。

 ‥最大の資本はお互いであることから、必要なことには合議が求められて為される。


> 金融経済の根底にある概念とは、


 (理屈の前提として‥)貸した資本に、金利を課することを慢性的に了承させる。
 給与制度に基づいた労働に対価を払うべく、マージンその他を足して取引価格に乗せる。
 無い物ねだりの権利に格差を有し、資本家・債権者のみが可能とされる。

 ‥右肩上がりの資本拡大を求め、利益率の改善の為には何をやっても良いと考えるようになる。


> 利点と問題点


 環境に負荷を掛けない物々交換は、得るための暮らしとしては効率的では無い。が、
 生命の繁殖と生存に負荷を掛けない状況を自然体として作り出し、
 結果として、多くを生産せずとも、見かけ上の暮らしぶりに問題は発生しない。

 ただし、

 自然環境の劇的な変化に対して無防備であるため、
 そちらの対応に時間を取られすぎれば、一気に労が多くなり不平不満が増発する。


 一方の金融経済は、


 儲ける上での日常より、流通の効率を前提とした在庫調整に錬金たる秘訣がある。
 淘汰と栄枯盛衰を含むも、ある程度の環境の変化に耐える生産技術と資材確保を成し得る。
 利益差について‥自由競争を前提に納得していることから、格差が生じやすい。

 すべてを自由競争で支え合えると解釈する向きは、その裏返しとしてすべての分配を前提としない。

 得るための権化と化して、資本競争を続けなければならない馬車馬スパイラルな構造は、
 生態系の前提を無視して、社会文化の都合が優先されがちである。結果として、
 生態環境への理解が疎いと、そこからすべてが台無しになりかねない超・人災へのリスクを抱え持つ。


> 私たちは、物々交換時代の良さを捨ててでも、天災こそを畏怖したが


 結局の所、金融経済は何ら安らぐことなく膨らみ続け、ついには超・人災の恐怖が迫るに至った。
 リセットしたくても、誰も手を下すことが出来ない様は、まさに疫病神のお通りでしかない。
 ‥お互いに足るを知るちょうど好いを話し合わずに、安易な便利さを求めても無駄だとの顛末である。


> 物々交換の時代の日常にあった‥皆で話し合う・生かし合う地域構造こそが神であった。
> 人が神としての姿勢を崩せば、皆で疫病神になるだけのこと。(カネの善し悪しの問題では無い。)


 土地の善し悪しがある以上、自分勝手な主張や競争にはじめから正しさなど無い。

 問題の解決に必要なのは、競争ではない智慧の寄せ合いである。
 ゆえに、そこに神たる成果が出現するのである。
 ‥そこの評価を公平にするために、土地の善し悪しが配分されていただけのことと考えるべきである。


 「お互いに均一で役立たずの言われようばかりでは、あまりにも惨めではないか‥」
 「誰が偉いとか‥そうでないとかではない、所詮全体は一つでしかないのだ。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:39 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

【命題】生存権

記稿.2014/10/06...20090626...

 人類がお金の概念を共有してから、
 モノとモノとの交換だけはスムーズになったものの
 ‥なぜか、それ以上に多くの問題を抱えたままである。

 とくに、

 人口増加に絡んだ生産と分配に対しては、まるで無知であるかのようにすら感じられる。
 「なぜ人類は、もう一段階上の仕組みを求めて、お金の在り方を革新しようと試みないのだろうか?」


> 民主化を語りながらも、力こそすべてを信奉しているから‥


 だから、資本主義が当然‥
 だから、市場原理が最善‥
 それを隠れ蓑に、嘘をまぎれ込ませるのが最善手だと思っている‥

 ‥人類の上からして、そんな連中の寄せ集めでしかないから。


> なんてちっぽけで、軟弱などん欲であろうか!


 それに付き合っている人類の程度にしてみたところでその程度である。
 私たちはその事実を真摯に受け止めて、生存権の何たるかを考えなくては成らない。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:39 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする

【命題】金貸しは必要か?

改稿.2014/11/30...20141006.20090627...

 ”命題”

 地球全体の借金に3%の金利が毎年加算されるとします。
 すると、その金利分の支払いをするのに年々地球資源が3%ずつ削られて逝くことになります。
 みんなで借金を借金で返済するとなれば、さらに資源を削ることになるでしょう。
 それでは一体、元本(国債など)をどう解釈すれば良いのでしょうか?
 また、そんなやり方はいつまで続けられるでしょうか?



> 借りたカネは返さなくてはならない。
> だが、創造されたカネを返す必要は果たしてあるだろうか?


 王様や教皇がコインを作ったのは、お金自体が便利な道具だったからだ。
 その監督権を王様が有したのも、それが力ある者によって管理されるべき必要があったからだ。

 それが今や、ただの電子数値を打ち込めば良いだけの発行になった。

 もちろん、それなりの施設は必要ではあるにせよ、国家・国民に権限が有るわけではない。
 裏付けがないとその発行が認められないとする金兌換券ながらの発想のままに置かれている。


> ある時を境に、その権利を握ったのが、実はグローバル・ギャング・ファミリーだったという話だ。


 ‥ある意味、昔ながらの王様もそれと変わらない部分はあるにせよ、
 原爆を平気で使い込むようなレベルとの比較なんて成立しようがないのだ。

 環境を自然再生できないまでの遺伝子操作とか‥
 人類の負の遺産を築き上げるための好き勝手に、カネを国家(国民負担)に出させ、
 その国債(債権)を財産と言い放って、金利を貪る在り方を投資と呼ぶ史上最悪の自称王様など、
 過去に居なかったのだ。

 ‥昔々の王様の贅沢の方が、まだ魅力的で自然との調和が為されていた。

 それは、故郷こそ命だったからだ。自由化の今の時代にそんな風は微風すら吹いていまい。
 今やすべてが‥値段を付けてふっかけられる物に仕立てられていないと気が済まない風潮に置かれよう。


 「それでも、その者たちの屁理屈を真に受けたままに、同じやり方を続けるのですか?」

posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:38 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする