1-2)0
在日米軍には出って行ってもらいたい。
しかし米国にはもはや予算が無い。
それでも、在韓米軍は徹底するんだそうだ。
‥その資金、
‥まさか日本が肩代わりしてるんじゃないの?
> じゃ、在日米軍の撤退に、日本は、堂々と資金を出して買い上げれば良い。
在日米軍施設資材全部買い上げて、手ぶらで出て行ってもらえば良い。
住宅施設は多少待ってやっても良いにしても、全部買い上げ。
で、日本はそれに絡んだ米軍情報を一切公開しません。
‥その範囲での適応法案なら納得してやろう。
追記
2013年10月26日
2013年10月25日
【推理】俺の中で在日問題といったら米軍なんだけど
1-9)0
韓国が米国追随にべったりだった‥
日本政府が、米国のポチと揶揄されるのも、一部のキチガイ在日朝鮮の陰謀があったから‥
‥ということは、在日米軍問題を解消できずに在日問題を解決したことにはならない。
> そう思います。
米国のデフォルトが延命を繰り返す背景に、
日本の資金が絡んでいるそうですが、(‥これも安保条約の中身の内なのか?)
‥その資金を使って、中国に兵器の搬出でもしているのでしょうか。
‥毎度の情報から、その手の繋がりが想像されるところです。
そこにある思惑を考えますと‥
この際だから、
中国に軍事機密のブツをその場しのぎに渡して、
中国の軍事力が驚異を増せば、アジアの緊張はより高まり、戦争への期待投資にできる‥
中国にそこまでの力が無いなら、時間稼ぎはまだまだ可能‥
‥なんて、ところでしょうか。
そこを警戒せずに、安易に中国からの軍事機密絡みの発注を請け負ってはいけません。
無論、機密ならば隠蔽工作はあると思います。でも、そこを怪しまなくてどうする‥
米国の軍事技術を支えているのは、もはや日本‥
‥そういう部分が大きいという話だそうです。
‥裏返してみれば、
日本の企業に、その手の発注が中国からもたらされている内は、
まだまだ、イケイケどんどんのどんぶり勘定がなりたつということになるのでしょう。
追記
韓国が米国追随にべったりだった‥
日本政府が、米国のポチと揶揄されるのも、一部のキチガイ在日朝鮮の陰謀があったから‥
‥ということは、在日米軍問題を解消できずに在日問題を解決したことにはならない。
> そう思います。
米国のデフォルトが延命を繰り返す背景に、
日本の資金が絡んでいるそうですが、(‥これも安保条約の中身の内なのか?)
‥その資金を使って、中国に兵器の搬出でもしているのでしょうか。
‥毎度の情報から、その手の繋がりが想像されるところです。
そこにある思惑を考えますと‥
この際だから、
中国に軍事機密のブツをその場しのぎに渡して、
中国の軍事力が驚異を増せば、アジアの緊張はより高まり、戦争への期待投資にできる‥
中国にそこまでの力が無いなら、時間稼ぎはまだまだ可能‥
‥なんて、ところでしょうか。
そこを警戒せずに、安易に中国からの軍事機密絡みの発注を請け負ってはいけません。
無論、機密ならば隠蔽工作はあると思います。でも、そこを怪しまなくてどうする‥
米国の軍事技術を支えているのは、もはや日本‥
‥そういう部分が大きいという話だそうです。
‥裏返してみれば、
日本の企業に、その手の発注が中国からもたらされている内は、
まだまだ、イケイケどんどんのどんぶり勘定がなりたつということになるのでしょう。
追記
2013年10月23日
2013年10月19日
2012年11月28日
狙われた天皇制と憲法九条の足取り 改訂
1-5)0
参考:1446年 李氏朝鮮第4代国王の世宗が、訓民正音(ハングル文字)を公布。(日本は室町時代中期頃。)
1945年(昭和20年)_8月14日 マッカーサー元帥、連合国軍最高司令官に就任。
1945年(昭和20年)_8月15日 太平洋戦争終戦。
1945年(昭和20年)_9月27日 昭和天皇とマッカーサーの会談。
(マッカーサー、昭和天皇の話に感銘する。)
1945年(昭和20年)10月_2日 GHQ総司令部、東京に設置。
1945年(昭和20年)________ 日本社会党結成。
1946年(昭和21年)11月_3日 日本国憲法公布。
1946年(昭和21年)________ 東南アジア、台湾、中国、朝鮮半島の北緯38度線以南などからの日本人の引き揚げを9割以上達成。
1947年(昭和22年)________ 満州、朝鮮半島の北緯38度線以北などからの引き揚げ完了。
1947年(昭和22年)_5月_3日 日本国憲法施行。
1947年(昭和22年)________ CAI成立。
1948年(昭和23年)_7月17日 韓国が憲法を採択。
1948年(昭和23年)_9月_9日 朝鮮が憲法を採択。漢字を廃止。
1950年(昭和25年)_6月25日 朝鮮戦争勃発。
1950年(昭和25年)________ 警察予備隊設置。
1951年(昭和26年)_4月11日 ダグラス・マッカーサーGHQ解任
(大統領ハリー・S・トルーマン指示。GHQ後任マシュー・リッジウェイ。)
1951年(昭和26年)_4月19日 ダグラス・マッカーサー退任。
1952年(昭和27年)_1月18日 李承晩ライン宣言。
1952年(昭和27年)_4月28日 サンフランシスコ講和条約発効。GHQ活動停止。
1952年(昭和27年)10月15日 保安隊発足。
1953年(昭和28年)_7月27日 朝鮮戦争休戦。
1954年(昭和29年)_5月_1日 統一協会、韓国ソウルに創設。
(文鮮明1920年1月6日(陰暦)誕生。ジョージ・H・W・ブッシュ1924年6月12日誕生。)
1954年(昭和29年)_7月_1日 自衛隊設立。
1955年(昭和30年)________ 自由民主党結党。
1964年(昭和39年)________ 東京オリンピック。
1964年(昭和39年)________ 公明党創立。
1964年(昭和39年)________ パパ・ブッシュ出馬。
1972年(昭和47年)_5月15日 沖縄返還。
1973年(昭和48年)_1月27日 パリ協定によりベトナムから米軍撤退。
アドルフ・ヒトラー1889年4月20日生まれ‥この辺ぐらいまで、ヒトラーは南米パラグアイから元気に指示を出していたと思われる。余生90歳ぐらいと言われている。
その後、パパ・ブッシュがヒトラーの遺産としてパラグアイの牧場を受け継いだ。その牧場の隣には統一協会の牧場が並ぶ。
若造だったパパブッシュが遺産を受け継いだという意味からして、その後の後継争いを避けている点と、それ以前の部下の中にはそれほどに突出した野心家が居なかったと思われる。
それだけにナチス派にとってマッカーサーの存在感は邪魔だったはずだ。
マッカーサーはフリーメイソンの階級の中でもかなりの上位だったにも関わらず、引退後は、身柄を拘束され、拘束されたまま亡くなったそうだ。それがその後の歴史に一切顔を見せていないマッカーサーの不思議への回答になる。
マッカーサーの拘束が事実とするなら、如何にもマッカーサーの息の掛かった派閥を作らせないためのナチス派の工作だったと思わざるを得ない。
追記
参考:1446年 李氏朝鮮第4代国王の世宗が、訓民正音(ハングル文字)を公布。(日本は室町時代中期頃。)
1945年(昭和20年)_8月14日 マッカーサー元帥、連合国軍最高司令官に就任。
1945年(昭和20年)_8月15日 太平洋戦争終戦。
1945年(昭和20年)_9月27日 昭和天皇とマッカーサーの会談。
(マッカーサー、昭和天皇の話に感銘する。)
1945年(昭和20年)10月_2日 GHQ総司令部、東京に設置。
1945年(昭和20年)________ 日本社会党結成。
1946年(昭和21年)11月_3日 日本国憲法公布。
1946年(昭和21年)________ 東南アジア、台湾、中国、朝鮮半島の北緯38度線以南などからの日本人の引き揚げを9割以上達成。
1947年(昭和22年)________ 満州、朝鮮半島の北緯38度線以北などからの引き揚げ完了。
1947年(昭和22年)_5月_3日 日本国憲法施行。
1947年(昭和22年)________ CAI成立。
1948年(昭和23年)_7月17日 韓国が憲法を採択。
1948年(昭和23年)_9月_9日 朝鮮が憲法を採択。漢字を廃止。
1950年(昭和25年)_6月25日 朝鮮戦争勃発。
1950年(昭和25年)________ 警察予備隊設置。
1951年(昭和26年)_4月11日 ダグラス・マッカーサーGHQ解任
(大統領ハリー・S・トルーマン指示。GHQ後任マシュー・リッジウェイ。)
1951年(昭和26年)_4月19日 ダグラス・マッカーサー退任。
1952年(昭和27年)_1月18日 李承晩ライン宣言。
1952年(昭和27年)_4月28日 サンフランシスコ講和条約発効。GHQ活動停止。
1952年(昭和27年)10月15日 保安隊発足。
1953年(昭和28年)_7月27日 朝鮮戦争休戦。
1954年(昭和29年)_5月_1日 統一協会、韓国ソウルに創設。
(文鮮明1920年1月6日(陰暦)誕生。ジョージ・H・W・ブッシュ1924年6月12日誕生。)
1954年(昭和29年)_7月_1日 自衛隊設立。
1955年(昭和30年)________ 自由民主党結党。
1964年(昭和39年)________ 東京オリンピック。
1964年(昭和39年)________ 公明党創立。
1964年(昭和39年)________ パパ・ブッシュ出馬。
1972年(昭和47年)_5月15日 沖縄返還。
1973年(昭和48年)_1月27日 パリ協定によりベトナムから米軍撤退。
アドルフ・ヒトラー1889年4月20日生まれ‥この辺ぐらいまで、ヒトラーは南米パラグアイから元気に指示を出していたと思われる。余生90歳ぐらいと言われている。
その後、パパ・ブッシュがヒトラーの遺産としてパラグアイの牧場を受け継いだ。その牧場の隣には統一協会の牧場が並ぶ。
若造だったパパブッシュが遺産を受け継いだという意味からして、その後の後継争いを避けている点と、それ以前の部下の中にはそれほどに突出した野心家が居なかったと思われる。
それだけにナチス派にとってマッカーサーの存在感は邪魔だったはずだ。
マッカーサーはフリーメイソンの階級の中でもかなりの上位だったにも関わらず、引退後は、身柄を拘束され、拘束されたまま亡くなったそうだ。それがその後の歴史に一切顔を見せていないマッカーサーの不思議への回答になる。
マッカーサーの拘束が事実とするなら、如何にもマッカーサーの息の掛かった派閥を作らせないためのナチス派の工作だったと思わざるを得ない。
追記
2010年11月12日
2010年11月11日
発行と金利に蠢く八つの眼
1-5)0
国民、政府、中央銀行、市中銀行A、市中銀行B、借り手、支払先、海外‥この八つの眼をしかと見開いて、貸した金には金利を乗せて返すのが当たり前とする資本主義の基本形を論じてみましょう。追記
国民、政府、中央銀行、市中銀行A、市中銀行B、借り手、支払先、海外‥この八つの眼をしかと見開いて、貸した金には金利を乗せて返すのが当たり前とする資本主義の基本形を論じてみましょう。追記
2010年10月15日
日本農政と農家と農地の構造:メモ
1-1)1
参考:ETV特集「なぜ希望は消えた?〜あるコメ農家と霞が関の半世紀〜」
・農地改革で土地を強制的に再分配→小規模農家が増大した。
・農業基本法で合理化を推進→農家の手により農地の整地が進められた。
・農地基本法は農家の離農を前提とした概念であった→離農と同時に農地を手放せば、結果として生き残った農家の大規模経営が可能となるはずだった。しかし、農家は離農したとしても土地を手放すことがなかった。
※1:農地改革と農業基本法は、農家の農地管理意識から見れば、相反する概念であり、二度手間の性質を孕んでいた。
いうなれば、農地改革は民主主義的采配、農業基本法は資本主義的采配である。
・農地の整地と共に、全体での収穫高は確実に増えた→その結果、米余りが問題とされた。
・※1の理由から、農家は大規模化への足取りが掴めないまま、国家の広げて見せた青写真からはほど遠く、経営としては完全に横ばいの足踏み状態に陥った。
・減反政策の台頭→農家は大反対だったが、米価を上げれば消費者からコメが敬遠され、結果としてコメ離れが加速する悪循環に陥った。
・減反を押しつけられた農家はしだいに、兼業化の道をたどり、農地の活用を農業以外に求めるようになった。農家の苦肉の策として生じた農地転用への合意である。しかし、全体での優良農地の確保が求められ、転用できるかどうかは区画範囲次第とされた。
・以降、農家の都合が入り交じり、農家同士での土地の貸し借り、もしくは売買が頻繁となった。是は農家同士の土地転がしとの表現が可能な状況となる。それもこれも、農地法の規定から、農地を自由にできるのは農家でなければならなかったからである。
※2:皮肉にも、結果として、これら一連の流れは、農業基本法の建前で整地された多くの農地の不動産価値を高めるための構図になってしまっただけだった。
・さらにジャッパンバッシングによる輸入規制の解放が国内農業に追い打ちを掛けた。
・行き詰まった農家の多くが、農地を所有したまま農地を放棄し始めることとなった。
もちろん農地としての借り手が身近に居れば話は別だろう。
ただし農地法の壁により、農家でなければ農地を貸し出すことが制限される。
・是により、皮肉にも、細々と農地の借り受けを続けてきた農家が、ようやく引退の時期になって、大規模経営への夢を叶えられる運びとなった。ただし、跡継ぎの居ないケースがほとんどだ。
※3:つまり是の一連の流れは、資本主義の夢が、あくまで個人主義としての夢でしかあれないという内情を意味させる‥農地を預かることになった農地改革以降のそれぞれの農家の能力と気持ちの在り方の質はともかく、人の持つ夢に対する執着のものすごさを知るに、日本農政の失策ほど決定的なサンプルもまたとあるまい。
そして、工業で退廃を演じておきながら、エネルギーと農業とでしっかり権益を維持し続ける米国の戦略はあまりにも見事だ。そこに日本人の多くが気が付かない限り、日本の農業が回復することは決して有り得ない。
「農業こそ命の柱」として支持されるべきである。
参考:ETV特集「なぜ希望は消えた?〜あるコメ農家と霞が関の半世紀〜」
・農地改革で土地を強制的に再分配→小規模農家が増大した。
・農業基本法で合理化を推進→農家の手により農地の整地が進められた。
・農地基本法は農家の離農を前提とした概念であった→離農と同時に農地を手放せば、結果として生き残った農家の大規模経営が可能となるはずだった。しかし、農家は離農したとしても土地を手放すことがなかった。
※1:農地改革と農業基本法は、農家の農地管理意識から見れば、相反する概念であり、二度手間の性質を孕んでいた。
いうなれば、農地改革は民主主義的采配、農業基本法は資本主義的采配である。
・農地の整地と共に、全体での収穫高は確実に増えた→その結果、米余りが問題とされた。
・※1の理由から、農家は大規模化への足取りが掴めないまま、国家の広げて見せた青写真からはほど遠く、経営としては完全に横ばいの足踏み状態に陥った。
・減反政策の台頭→農家は大反対だったが、米価を上げれば消費者からコメが敬遠され、結果としてコメ離れが加速する悪循環に陥った。
・減反を押しつけられた農家はしだいに、兼業化の道をたどり、農地の活用を農業以外に求めるようになった。農家の苦肉の策として生じた農地転用への合意である。しかし、全体での優良農地の確保が求められ、転用できるかどうかは区画範囲次第とされた。
・以降、農家の都合が入り交じり、農家同士での土地の貸し借り、もしくは売買が頻繁となった。是は農家同士の土地転がしとの表現が可能な状況となる。それもこれも、農地法の規定から、農地を自由にできるのは農家でなければならなかったからである。
※2:皮肉にも、結果として、これら一連の流れは、農業基本法の建前で整地された多くの農地の不動産価値を高めるための構図になってしまっただけだった。
・さらにジャッパンバッシングによる輸入規制の解放が国内農業に追い打ちを掛けた。
・行き詰まった農家の多くが、農地を所有したまま農地を放棄し始めることとなった。
もちろん農地としての借り手が身近に居れば話は別だろう。
ただし農地法の壁により、農家でなければ農地を貸し出すことが制限される。
・是により、皮肉にも、細々と農地の借り受けを続けてきた農家が、ようやく引退の時期になって、大規模経営への夢を叶えられる運びとなった。ただし、跡継ぎの居ないケースがほとんどだ。
※3:つまり是の一連の流れは、資本主義の夢が、あくまで個人主義としての夢でしかあれないという内情を意味させる‥農地を預かることになった農地改革以降のそれぞれの農家の能力と気持ちの在り方の質はともかく、人の持つ夢に対する執着のものすごさを知るに、日本農政の失策ほど決定的なサンプルもまたとあるまい。
そして、工業で退廃を演じておきながら、エネルギーと農業とでしっかり権益を維持し続ける米国の戦略はあまりにも見事だ。そこに日本人の多くが気が付かない限り、日本の農業が回復することは決して有り得ない。
「農業こそ命の柱」として支持されるべきである。
2010年05月28日
農業の国内市場規模
農業ベンチャー・株式会社オリザ の参照図を参考に、地域主権ルビコン物語…その14(5)で国内の農業規模を10兆円としてみたところ、最近の○岡新聞の記事に、こんなのを見つけました。
「(前略)‥日本の農業総生産出学は1984年の約11兆7千億円をピークに減り、08年には約8兆5千億円に落ちた。原因は農産物価格の下落と生産の縮小である。
今後、農業人口の6割を占める65歳以上の農業者が引退すれば、労働力が不足し10年後の産出額はさらに3兆円減るとの資産もある。‥(後略)」(鳥取環境大学教授 金子弘道)
参考にしたネット記事は、検索でサクッとヒットした適当なサイトが他に見あたらなかったので、たまたまヒットしたところが農業ベンチャーさんだし、まぁそんなに間違っていないだろうと思ったわけですが、なんと10.1兆−8.5兆=1.6兆円も差があったようです。
しかも、ピーク時期でさえ11.7兆円‥農業が如何に押さえつけられてきたかがうかがえます。
参考にしたデータの誤差が大きかったとはいえ、単価で考えれば15%OFFですから、最近の市場価格の落ち込み幅を織り込んで鑑みれば、当時の消費の冷え込み方から来る下落率の見方の差との解釈もありだと思います。
とはいえ、産地買い付け時の値切りと、消費者販売時での値下げでは意味合いは全く異なりますが、数値をおおざっぱに読んだ場合、その差は誤差にしかなりません。(他人の人生を世論にしてしまった場合と似たような形です。)
その見方としても、農家がカツカツであれば、流通で、販売でと、分散してどこもかしもも身銭を削っている幅が人の見方でそれぐらいの差に出るということなのでしょう。
また見方を変えれば、農家が活きるような政策をしてやれば、流通も販売も損をしなくて済むような段取りになるはずだと、そこで問題にさらされている根本を見直すべきだとなるはずです。
ここは、誰がどう考えても市場主義一本槍な発想では不可能です。心臓のポンプだって部屋が4つに区切られてるんですからね。
えー、ちなみに新聞記事のタイトルは、「農業を10兆円産業に」でした。これって、価格が上昇すれば幾分近づく数値でしかありません。
価格での考え方が如何に人によって解釈が異なるかって事ですね。
とはいえ、農家からの買い上げが平均15%上昇した場合、消費者販売に乗ってくる価格はその2倍程度でしょうから、消費税増税以上の衝撃でしょうね。
一方で、そもそも6割の方が引退するというのに、3兆円しか減らないって、その6割の方の頑張りは、現在毎年3兆円規模ですって言ってるようなものです。ン十年の農業生活の中でボーナスとか賃金値上げなんて望みようもありませんでした‥と語っているような内容にしか映りません。それで新規農業者を誘うだけ誘うしかない農政の態度は正直ずぼらにしか映りません。
なにしろ残りの市場規模は大手企業との絡みでしかありませんと言っているようなものなのですから。
それで15%回復させましょうレベルの見解は、逆から見れば、引退者続出後の4〜5兆円の回復幅をなんとかして行きましょう‥を論じているようにしか聞こえませんし、つまり、自給率回復の話からはほど遠い次元なわけです。
「大手企業の生産ラインで使用される国産幅をなんとか維持したいですね」‥と聞こえても来そうです。
総生産額と自給率を比較するなら、おおざっぱに見ても4割で10兆円なら、6割に乗せたければ15兆円です。5兆円分以上の余力を消費者側に発生させないことには、食消費の拡大による継続的な総生産額の上昇など望めるわけがないのです。
その余力が海外産との競争と、価格で打ち負けているのであればなおさらです。余力があれば、国産を買うのが当然の意識は根強いと思います。なにしろ中国の富裕層でさえ日本産に対する信頼は高いのですから。
ついでに、地域主権ルビコン物語…その14(5)で示した産地6兆円分の村ポイントを発行し合えば、食糧自給率6割に上昇の根拠ですが‥
値段が今時分の相場意識を参考に考えたわけでして、CAS冷凍を活用して産地で調整し合えば、価格も安定して多少上がる(水準)と織り込んで考え、その場合、はじめの参考値の10兆円を基準としても、見方にさほどの差は予想されず、価格としての評価では食糧自給率6割か少し下かる程度とやはり考えます。
一般的な考え方の中に、「高い技術で高品質の農産物を生産し、高値で販売すれば産出額は増える。」‥というのがありますが、今時の農業の場合、手を抜かない限り、どこもかしも実力はほぼ横ばいです。
仮にそこに差を見込むとすれば、農業世代交代後の品質に産地でバラツキが起これば、高品質を維持できている所は高く売れるでしょうが、それが起こらなかった場合、作れば作るほど結局は全体で下落してしまうのが、品質の均一化による反比例が価格に反映され出すという落ちです。
6兆円分の増生産がその後者のレベルで進んだ場合、今まで高値で買いにくかったオーガニック野菜の値がこなれてきて、海外産の野菜よりは高いかもしれないが、毎日の健康を考えたとき、それほど負担にはならない感覚が得られ始める‥と考えても良いわけです。
しかし、新規農業者の期待に応えられないずぼらな農政の場合、前者の傾向が顕著に生ずれば、全体的な食糧自給率の回復は望めず、農業経営者の間に決定的な格差が生じ始める懸念も検討しておくべきだと思います。
「(前略)‥日本の農業総生産出学は1984年の約11兆7千億円をピークに減り、08年には約8兆5千億円に落ちた。原因は農産物価格の下落と生産の縮小である。
今後、農業人口の6割を占める65歳以上の農業者が引退すれば、労働力が不足し10年後の産出額はさらに3兆円減るとの資産もある。‥(後略)」(鳥取環境大学教授 金子弘道)
参考にしたネット記事は、検索でサクッとヒットした適当なサイトが他に見あたらなかったので、たまたまヒットしたところが農業ベンチャーさんだし、まぁそんなに間違っていないだろうと思ったわけですが、なんと10.1兆−8.5兆=1.6兆円も差があったようです。
しかも、ピーク時期でさえ11.7兆円‥農業が如何に押さえつけられてきたかがうかがえます。
参考にしたデータの誤差が大きかったとはいえ、単価で考えれば15%OFFですから、最近の市場価格の落ち込み幅を織り込んで鑑みれば、当時の消費の冷え込み方から来る下落率の見方の差との解釈もありだと思います。
とはいえ、産地買い付け時の値切りと、消費者販売時での値下げでは意味合いは全く異なりますが、数値をおおざっぱに読んだ場合、その差は誤差にしかなりません。(他人の人生を世論にしてしまった場合と似たような形です。)
その見方としても、農家がカツカツであれば、流通で、販売でと、分散してどこもかしもも身銭を削っている幅が人の見方でそれぐらいの差に出るということなのでしょう。
また見方を変えれば、農家が活きるような政策をしてやれば、流通も販売も損をしなくて済むような段取りになるはずだと、そこで問題にさらされている根本を見直すべきだとなるはずです。
ここは、誰がどう考えても市場主義一本槍な発想では不可能です。心臓のポンプだって部屋が4つに区切られてるんですからね。
えー、ちなみに新聞記事のタイトルは、「農業を10兆円産業に」でした。これって、価格が上昇すれば幾分近づく数値でしかありません。
価格での考え方が如何に人によって解釈が異なるかって事ですね。
とはいえ、農家からの買い上げが平均15%上昇した場合、消費者販売に乗ってくる価格はその2倍程度でしょうから、消費税増税以上の衝撃でしょうね。
一方で、そもそも6割の方が引退するというのに、3兆円しか減らないって、その6割の方の頑張りは、現在毎年3兆円規模ですって言ってるようなものです。ン十年の農業生活の中でボーナスとか賃金値上げなんて望みようもありませんでした‥と語っているような内容にしか映りません。それで新規農業者を誘うだけ誘うしかない農政の態度は正直ずぼらにしか映りません。
なにしろ残りの市場規模は大手企業との絡みでしかありませんと言っているようなものなのですから。
それで15%回復させましょうレベルの見解は、逆から見れば、引退者続出後の4〜5兆円の回復幅をなんとかして行きましょう‥を論じているようにしか聞こえませんし、つまり、自給率回復の話からはほど遠い次元なわけです。
「大手企業の生産ラインで使用される国産幅をなんとか維持したいですね」‥と聞こえても来そうです。
総生産額と自給率を比較するなら、おおざっぱに見ても4割で10兆円なら、6割に乗せたければ15兆円です。5兆円分以上の余力を消費者側に発生させないことには、食消費の拡大による継続的な総生産額の上昇など望めるわけがないのです。
その余力が海外産との競争と、価格で打ち負けているのであればなおさらです。余力があれば、国産を買うのが当然の意識は根強いと思います。なにしろ中国の富裕層でさえ日本産に対する信頼は高いのですから。
ついでに、地域主権ルビコン物語…その14(5)で示した産地6兆円分の村ポイントを発行し合えば、食糧自給率6割に上昇の根拠ですが‥
値段が今時分の相場意識を参考に考えたわけでして、CAS冷凍を活用して産地で調整し合えば、価格も安定して多少上がる(水準)と織り込んで考え、その場合、はじめの参考値の10兆円を基準としても、見方にさほどの差は予想されず、価格としての評価では食糧自給率6割か少し下かる程度とやはり考えます。
一般的な考え方の中に、「高い技術で高品質の農産物を生産し、高値で販売すれば産出額は増える。」‥というのがありますが、今時の農業の場合、手を抜かない限り、どこもかしも実力はほぼ横ばいです。
仮にそこに差を見込むとすれば、農業世代交代後の品質に産地でバラツキが起これば、高品質を維持できている所は高く売れるでしょうが、それが起こらなかった場合、作れば作るほど結局は全体で下落してしまうのが、品質の均一化による反比例が価格に反映され出すという落ちです。
6兆円分の増生産がその後者のレベルで進んだ場合、今まで高値で買いにくかったオーガニック野菜の値がこなれてきて、海外産の野菜よりは高いかもしれないが、毎日の健康を考えたとき、それほど負担にはならない感覚が得られ始める‥と考えても良いわけです。
しかし、新規農業者の期待に応えられないずぼらな農政の場合、前者の傾向が顕著に生ずれば、全体的な食糧自給率の回復は望めず、農業経営者の間に決定的な格差が生じ始める懸念も検討しておくべきだと思います。
2010年05月10日
農業に検定免許制度を導入してみよう
大量生産大量消費を軸にした資本主義経済下での農業では、価格競争に陥るばかりで、農家人口を増加させることは適いません。そもそもそのようなやり方の思惑の中には「土地のない国家は農業をするな」‥と言った類の資本の囲い込み性があります。
一方で、昔ながらの土地の世襲制を元にした農業では、後継者を育てることが血筋同士で成り立つという信頼性から、農地転用に対する懸念をそれなりに避けてこられたという側面はありましたが、民主化における部外者からの参入には慎重にならざるを得ないという農家側の反論に見舞われるのが実際です。
つまり行政がどのように取り組もうとも、実際に農業を担おうと志す者に、農地を所有する農家から信が得られなければ農地を貸してももらえないわけです。そのようであれば農業を営む新たな当事者への所有権の譲渡もしくは移動など起こりようもありません。
ここに時代的な背景として、農家ながらの壁を気に入らないと思い、そこにある土地を経済的に有効活用したいという資本家の思惑が重なれば、それはそれで価格破壊による経営不能と跡継ぎ不足が社会現象となっても不思議ではありません。
それがそのままにあれば、農家は不本意にも農地を次々と手放すことになり、結果として農耕適作地の死活的な摩耗は時間の問題となって行くだけです。
その上、消費者の意識に「食べ物は気楽にお安く手にできて当たり前、それが経営の主体性と民主化の成果である」‥というような間違った文化観が定着してしまえばなおのこと‥ただし、それで食の安全・安心が担保されるわけではありません。
そして、これらの流れは資本主義を万能と錯覚すればこそ、どこの国家でも起きてしまう現象なのです。
そこでまず、民主社会である以上、農家が培ってきた知恵を世間に幅広く伝え、それを学び合える機会と子孫継承して行くための取り組みが農家の側に必要だと考えます。
農家の側としても、きちんとした繋がりと知識に裏付けされた人材であれば、身内以外にも土地活用における許容範囲を広げてみてもかまわないと納得できる制度が求められるわけですが、それを形にするための発想として、農業の検定制度を一つの在り方として捉えてみました。
時代的な動きとしても、漢字検定であれだけの人気が出たのです。
ならば農業知識の検定も有りだと考えてもなんらおかしくありません。
とはいえ、この課題として持ちあがるのは、種目毎の知識がまったく異なる点です。
種目毎に育て方が異なる知識を総まとめして農業全部を対象に、「どれだけ知っていれば一級とか二級とかの境目を設けられるのか?」という疑問と同時に、「そんなのは農業ではない」‥という意見も生じてしまうでしょう。
そして、そんな知識の有無を持ち出した所で、実体験の伴わない人に農地を任せたいとはならない‥そこで、検定制度と免許制度を組み合わせた検定免許制度というのを考えてみました。
四級のb…ある一定の指導の下で自家菜園等をし、収穫までをこなした経験のある者。
四級のa…四級のbに基づいた経験が継続五年以上ある者。農家出身者を含む。
三級のb…独立せず農家の下積み働き等で、一種目以上の一定の規模生産と一定の収穫量を年間を通して学んだ経験が継続五年以上ある者。農家出身者を含む。
三級のa…種目毎の検定試験で五種目以上の合格を得た者。もしくは、農業の学校を卒業し同等の資格を得た者。
・ただし、三級のa該当者は三級のbを満たす用有り。
是により検定試験で合格しただけの者や農業学校を卒業しただけの者で、継続して農業の道に進まない者を「みなし三級」という呼称に留めるものとする。
・三級を満たした者をとくに三級資格者及び農営資格習得者として扱う。
※5種目の中に必ず1種目は穀物でなければならないとするかどうか、5種目でいいかどうかは政策上の見解であり、個人の意見の限りではありません。
※5年という期間の提案は、人付き合いの長さを考えてみたとき、3年では経験的に短いと思いますし、かといって、6年以上ともなると馬が合わなかった場合などはかなり辛いと考えれば、5年ぐらいが適当かなと思った次第です。
※是により、行政は3級資格者を農家に紹介して行く形となり、農地の都合を計らうことが個人レベルでも行いやすくなると思われます。
二級のb…自立した経営を行い、年間を通した生産経験を五年以上経過した者。
・ただし三級を満たす用有り。
・農家出身者をはじめとしたみなし三級の者が、個人の都合により三級のbとの同時進行である場合、自営の栽培種目には別のものを選ぶ用有り。
・二級のbを満たす者を農営適格者として扱う。
二級のa…二級のbを満たし、身に付けた知識をきちんと第三者に伝えることのできる指導能力を持つ者。
・指導能力の確認には二級向けの検定試験を加味する。
・二級を満たし農地を得ているものを農家として扱う。
是により、農地をすべて次代に譲った者は農営適格者と格下げに到ってしまうわけだが、一級資格習得者はそのまま農家と見なす。
※農営適格者と農家の呼称を意図的に区別する狙いは、数十年と農業を営んでいながら、農地を譲ったことで農家を名乗れないのは明らかに農家としての恥だと思えばこそ、一級に到らなければ農業を営んだ甲斐がないとなります。
と同時に、利益主義に走ったがゆえにしでかした不祥事等を事前に戒めておくための処罰的な意味合いを含めればこそです。例えば農営に関わる不祥事を犯した農営適格者もしくは農家には、一時的に一級の資格を取り下げたり評価適応を遅らせたり、ペナルティーを回復するための試験や実務を課すなどです。
一級のc…同一種目におけるありとあらゆる栽培法選択肢から一定基準の品質を常に維持できる知識と能力を持つ者。一定品質以上の収穫をこなせる者。もしくは、臨機応変に新しい栽培法を検討できるまでに能力を身に付けたと認められる者。
・是に日光栽培と照明栽培との違いは含まれるが、DNAを直接いじるようなバイオ技術を前提とするものを除く。
一級のb…一級のcから一つ頭秀でて、新たな品種を生みだしその栽培法とを確立させた者、もしくは従来品種における栽培法で画期的な農法を見出した者。
・ただし、是は自然栽培法が重視され、室内栽培法での検討は含まれるが、DNAを直接いじるようなバイオ技術やバイオ技術者を除くとする。
一級のa…一級のbを満たし、別格で名人評価に値する者。文化財的表彰。
・ただし、一級評価は二級評価と異なり、種目毎の評価と見なされ、農業力全般に対する評価とは限らない。
それでも農家の評価として十分に成り立つわけであるが、このようにルール決めすることで、あらかじめ若いうちにまとめて多くの種目の基礎学習を身に付けてしまった方が都合が良いとなり、検定試験からの農業参加でも一種目だけを学べばよいと言うような安易な風潮にいたらずに済むものと思われる。
農家であれば至極当然の在り方と言える。
「さて、四級はなんのために必要なのでしょうか?」
まず、みなし三級を目安に募集をかけた場合、四級という表現は農業に対する経験の度合いを確認するための手っ取り早いきっかけになる所でしょう。
ただし種目が該当しなければお話にならないと思いますけどね。
この時、三級のbに見られる経営の下積みとしての評価基準をどう位置づけて行くかを考えた場合ですが、検定試験の立場を考えれば、どうしようもないほど下積みの評価は、検定試験合格基準よりまとめて格下と見なすしかありません。
本音は逆にあると思いますが、農業知識の共有こそ大前提とすれば致し方のない所だと思います。逆から見れば、それで三級のaだけが幅を利かせているようでも、どれぐらいの思い入れがあるのかを判断しにくいわけです。
また、実体験に対する評価をより確かなものとして行くためにも、農家は新たな取り組みに踏み出す必要があります。
その時、農業四級塾というものを提案できれば都合が良いはずです。農家同士でそのような取り組みをして四級評価を持ち上げてしまえばいいのです。
さすれば、引退した農家の方が農地を手放すことなく、三級資格者を雇い、自分家の農地を活用して農業塾を開けば、自分の体が利かない分を三級資格者に程度任せることもできますし、塾の授業料を引退後の収入源とする手立ても考えられるわけです。
塾の先生を必ずしも農営適格者や農家でなければならないとあえてしないのは、その塾にやって来るのが小学生であれば、託児所の延長としての活用も考えられるからです。
つまり、検定合格者を目安に塾講師の募集をし、その立場の人が塾で先生をしながら同時に農業の見習いをしているという感触が得られれば申し分ないわけです。
託児所機能で考えれば、出てくるおやつは自家栽培で無農薬、スーパーで売っているのや、市販のお菓子とどう違うのか、そんな食育の場としても有意義に思われます。
農業を引退した農家であれば、農地を転売させずに授業料で三級資格者を雇って農地を維持でき、なおかつ、その環境下から農業を継ぐ者が数多く出てくれれば、塾機能としての信用も参加メリットも確立して行けるわけです。まぁ狙いはそんなところです。
その時の政策上の支援としては、四級塾経営者であれば、農地活用に関わるなんらかの免除や支援が得られると言ったところでしょうか‥
何かと借金を前提とした農業への道を推進したところで、経営が成り立たなければ持続できないのは当然です。その上、始めから借金を抱え込む事が前提にあればリスクばかりが目立ち、誰も農業をしてみたいとはなりません。
その時、検定試験に合格した上で、ますます農業に興味を抱いた者が、自家菜園に飽きたらず、農家との接触を試みたとき、塾講師という選択肢があれば、見習いにもなりますし、場合によっては講師を引き受けながら人柄に信用を得て、農地を貸してもらえる、もしくは、そのまま譲り受けるような状況もあり得るのでは‥と考えてみた次第です。
さて、二級のaはどうでしょう‥口べたな方の多い農家にしてみれば、大問題かもしれません。
しかしながら、検定制度に指示が集まりその手の書籍が増えれば、いやでも農業の指導書籍がいろいろと出版されることになりますから、農家も口べたなままでかまわないというわけにも行かないでしょう。腕はあるけど口べたな農家の方も、素人への教え方をいろんな角度から学べる良い機会になるはずです。
それも是も、プロ同士の講習にはない素人向けの教え方というのは、農産物の販路開拓以上にこれまた特殊な能力だと思えばこそです。
実際、農家はそのあたりの取り組みを何もしてこなかったし、農政もそこに目を向けずに一次産業をおろそかなままで繁栄を謳歌できると錯覚して来たわけです。
そして、このような検定免許制度の考え方は教師や医師の質の維持の在り方としても応用の期待できそうな中身にあると思われます。
一方で、昔ながらの土地の世襲制を元にした農業では、後継者を育てることが血筋同士で成り立つという信頼性から、農地転用に対する懸念をそれなりに避けてこられたという側面はありましたが、民主化における部外者からの参入には慎重にならざるを得ないという農家側の反論に見舞われるのが実際です。
つまり行政がどのように取り組もうとも、実際に農業を担おうと志す者に、農地を所有する農家から信が得られなければ農地を貸してももらえないわけです。そのようであれば農業を営む新たな当事者への所有権の譲渡もしくは移動など起こりようもありません。
ここに時代的な背景として、農家ながらの壁を気に入らないと思い、そこにある土地を経済的に有効活用したいという資本家の思惑が重なれば、それはそれで価格破壊による経営不能と跡継ぎ不足が社会現象となっても不思議ではありません。
それがそのままにあれば、農家は不本意にも農地を次々と手放すことになり、結果として農耕適作地の死活的な摩耗は時間の問題となって行くだけです。
その上、消費者の意識に「食べ物は気楽にお安く手にできて当たり前、それが経営の主体性と民主化の成果である」‥というような間違った文化観が定着してしまえばなおのこと‥ただし、それで食の安全・安心が担保されるわけではありません。
そして、これらの流れは資本主義を万能と錯覚すればこそ、どこの国家でも起きてしまう現象なのです。
そこでまず、民主社会である以上、農家が培ってきた知恵を世間に幅広く伝え、それを学び合える機会と子孫継承して行くための取り組みが農家の側に必要だと考えます。
農家の側としても、きちんとした繋がりと知識に裏付けされた人材であれば、身内以外にも土地活用における許容範囲を広げてみてもかまわないと納得できる制度が求められるわけですが、それを形にするための発想として、農業の検定制度を一つの在り方として捉えてみました。
時代的な動きとしても、漢字検定であれだけの人気が出たのです。
ならば農業知識の検定も有りだと考えてもなんらおかしくありません。
とはいえ、この課題として持ちあがるのは、種目毎の知識がまったく異なる点です。
種目毎に育て方が異なる知識を総まとめして農業全部を対象に、「どれだけ知っていれば一級とか二級とかの境目を設けられるのか?」という疑問と同時に、「そんなのは農業ではない」‥という意見も生じてしまうでしょう。
そして、そんな知識の有無を持ち出した所で、実体験の伴わない人に農地を任せたいとはならない‥そこで、検定制度と免許制度を組み合わせた検定免許制度というのを考えてみました。
四級のb…ある一定の指導の下で自家菜園等をし、収穫までをこなした経験のある者。
四級のa…四級のbに基づいた経験が継続五年以上ある者。農家出身者を含む。
三級のb…独立せず農家の下積み働き等で、一種目以上の一定の規模生産と一定の収穫量を年間を通して学んだ経験が継続五年以上ある者。農家出身者を含む。
三級のa…種目毎の検定試験で五種目以上の合格を得た者。もしくは、農業の学校を卒業し同等の資格を得た者。
・ただし、三級のa該当者は三級のbを満たす用有り。
是により検定試験で合格しただけの者や農業学校を卒業しただけの者で、継続して農業の道に進まない者を「みなし三級」という呼称に留めるものとする。
・三級を満たした者をとくに三級資格者及び農営資格習得者として扱う。
※5種目の中に必ず1種目は穀物でなければならないとするかどうか、5種目でいいかどうかは政策上の見解であり、個人の意見の限りではありません。
※5年という期間の提案は、人付き合いの長さを考えてみたとき、3年では経験的に短いと思いますし、かといって、6年以上ともなると馬が合わなかった場合などはかなり辛いと考えれば、5年ぐらいが適当かなと思った次第です。
※是により、行政は3級資格者を農家に紹介して行く形となり、農地の都合を計らうことが個人レベルでも行いやすくなると思われます。
二級のb…自立した経営を行い、年間を通した生産経験を五年以上経過した者。
・ただし三級を満たす用有り。
・農家出身者をはじめとしたみなし三級の者が、個人の都合により三級のbとの同時進行である場合、自営の栽培種目には別のものを選ぶ用有り。
・二級のbを満たす者を農営適格者として扱う。
二級のa…二級のbを満たし、身に付けた知識をきちんと第三者に伝えることのできる指導能力を持つ者。
・指導能力の確認には二級向けの検定試験を加味する。
・二級を満たし農地を得ているものを農家として扱う。
是により、農地をすべて次代に譲った者は農営適格者と格下げに到ってしまうわけだが、一級資格習得者はそのまま農家と見なす。
※農営適格者と農家の呼称を意図的に区別する狙いは、数十年と農業を営んでいながら、農地を譲ったことで農家を名乗れないのは明らかに農家としての恥だと思えばこそ、一級に到らなければ農業を営んだ甲斐がないとなります。
と同時に、利益主義に走ったがゆえにしでかした不祥事等を事前に戒めておくための処罰的な意味合いを含めればこそです。例えば農営に関わる不祥事を犯した農営適格者もしくは農家には、一時的に一級の資格を取り下げたり評価適応を遅らせたり、ペナルティーを回復するための試験や実務を課すなどです。
一級のc…同一種目におけるありとあらゆる栽培法選択肢から一定基準の品質を常に維持できる知識と能力を持つ者。一定品質以上の収穫をこなせる者。もしくは、臨機応変に新しい栽培法を検討できるまでに能力を身に付けたと認められる者。
・是に日光栽培と照明栽培との違いは含まれるが、DNAを直接いじるようなバイオ技術を前提とするものを除く。
一級のb…一級のcから一つ頭秀でて、新たな品種を生みだしその栽培法とを確立させた者、もしくは従来品種における栽培法で画期的な農法を見出した者。
・ただし、是は自然栽培法が重視され、室内栽培法での検討は含まれるが、DNAを直接いじるようなバイオ技術やバイオ技術者を除くとする。
一級のa…一級のbを満たし、別格で名人評価に値する者。文化財的表彰。
・ただし、一級評価は二級評価と異なり、種目毎の評価と見なされ、農業力全般に対する評価とは限らない。
それでも農家の評価として十分に成り立つわけであるが、このようにルール決めすることで、あらかじめ若いうちにまとめて多くの種目の基礎学習を身に付けてしまった方が都合が良いとなり、検定試験からの農業参加でも一種目だけを学べばよいと言うような安易な風潮にいたらずに済むものと思われる。
農家であれば至極当然の在り方と言える。
「さて、四級はなんのために必要なのでしょうか?」
まず、みなし三級を目安に募集をかけた場合、四級という表現は農業に対する経験の度合いを確認するための手っ取り早いきっかけになる所でしょう。
ただし種目が該当しなければお話にならないと思いますけどね。
この時、三級のbに見られる経営の下積みとしての評価基準をどう位置づけて行くかを考えた場合ですが、検定試験の立場を考えれば、どうしようもないほど下積みの評価は、検定試験合格基準よりまとめて格下と見なすしかありません。
本音は逆にあると思いますが、農業知識の共有こそ大前提とすれば致し方のない所だと思います。逆から見れば、それで三級のaだけが幅を利かせているようでも、どれぐらいの思い入れがあるのかを判断しにくいわけです。
また、実体験に対する評価をより確かなものとして行くためにも、農家は新たな取り組みに踏み出す必要があります。
その時、農業四級塾というものを提案できれば都合が良いはずです。農家同士でそのような取り組みをして四級評価を持ち上げてしまえばいいのです。
さすれば、引退した農家の方が農地を手放すことなく、三級資格者を雇い、自分家の農地を活用して農業塾を開けば、自分の体が利かない分を三級資格者に程度任せることもできますし、塾の授業料を引退後の収入源とする手立ても考えられるわけです。
塾の先生を必ずしも農営適格者や農家でなければならないとあえてしないのは、その塾にやって来るのが小学生であれば、託児所の延長としての活用も考えられるからです。
つまり、検定合格者を目安に塾講師の募集をし、その立場の人が塾で先生をしながら同時に農業の見習いをしているという感触が得られれば申し分ないわけです。
託児所機能で考えれば、出てくるおやつは自家栽培で無農薬、スーパーで売っているのや、市販のお菓子とどう違うのか、そんな食育の場としても有意義に思われます。
農業を引退した農家であれば、農地を転売させずに授業料で三級資格者を雇って農地を維持でき、なおかつ、その環境下から農業を継ぐ者が数多く出てくれれば、塾機能としての信用も参加メリットも確立して行けるわけです。まぁ狙いはそんなところです。
その時の政策上の支援としては、四級塾経営者であれば、農地活用に関わるなんらかの免除や支援が得られると言ったところでしょうか‥
何かと借金を前提とした農業への道を推進したところで、経営が成り立たなければ持続できないのは当然です。その上、始めから借金を抱え込む事が前提にあればリスクばかりが目立ち、誰も農業をしてみたいとはなりません。
その時、検定試験に合格した上で、ますます農業に興味を抱いた者が、自家菜園に飽きたらず、農家との接触を試みたとき、塾講師という選択肢があれば、見習いにもなりますし、場合によっては講師を引き受けながら人柄に信用を得て、農地を貸してもらえる、もしくは、そのまま譲り受けるような状況もあり得るのでは‥と考えてみた次第です。
さて、二級のaはどうでしょう‥口べたな方の多い農家にしてみれば、大問題かもしれません。
しかしながら、検定制度に指示が集まりその手の書籍が増えれば、いやでも農業の指導書籍がいろいろと出版されることになりますから、農家も口べたなままでかまわないというわけにも行かないでしょう。腕はあるけど口べたな農家の方も、素人への教え方をいろんな角度から学べる良い機会になるはずです。
それも是も、プロ同士の講習にはない素人向けの教え方というのは、農産物の販路開拓以上にこれまた特殊な能力だと思えばこそです。
実際、農家はそのあたりの取り組みを何もしてこなかったし、農政もそこに目を向けずに一次産業をおろそかなままで繁栄を謳歌できると錯覚して来たわけです。
そして、このような検定免許制度の考え方は教師や医師の質の維持の在り方としても応用の期待できそうな中身にあると思われます。