2022年11月30日

【詩】不可解や意気投合を追いかけり

向宜詠吟.2022/11/30


人はなぜ幸せを追い求めるのだろう?
とにかく不思議だ

人はなぜ意気投合を求めて彷徨うのだろう?
とにかく不思議だ

人の命はどこに行くのだろう?
所詮、一期一会ではないかッ


‥不老不死の側が、編みだした永遠性への挑戦が「人間」としたテーマだから
‥不労不死の側は、なんだかんだと「繋がりの積極性」を推して在る

なぜなら、そもそもの人が、感情エネルギーの発電装置だというわけで
繋がりを求めてこそ、その発電能力を発揮するようにできているという


‥だがしかし、どうか
そこに見られるのは、必ずしも正しさばかりでは無い、正しさに向かっていく道ばかりでも無い

人と人との繋がりが、エネルギーのきっかけだというのなら
貰うばかりの頭の上がらない人生もあれば、奪われてばかりの残念な人生も在るわけである

まぁ持ちつ持たれつなわけだから
総じてマイナスにならない限り、辛い事なんてへっちゃらなはずなんだろうけど
現実は、奪い合う上等論理が展開されており、皆でくびったけをやらかしていたりする

「そりゃもう、パネェし、あり得ねぇよ」


だからだろう
誰しもは、意気投合を求めて追いかけるようになった

ひとり影法師を追いかけているそこには何も無いのにな
追いかけているだけの姿は、それこそ虚無だ、何も無い

何も発電していないから、ただ普通に飢えている
なぜか、そこでは、すべてがどんぐりの背比べにしか映らない

しかし、どこかに入り込めば良いと言われても
意気投合できそうなモチベーションは湧いてこない
まぁやはり、どんぐりの背比べに映ってしまうという事自体が無理なのだろう

それは、向こうから見ても同じだろう
発電していない奴なんか、おかしみも面白みも無いとして捨ておかれるだけだ

だって奪い合い上等の世界になんか、参加しろ言われても無理ッスもん


まぁ仕方がない、乾いたままというのも不老不死とした永遠の狭間には出くわすものさ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


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2022年09月28日

【詩】正しく絶望してこそ腑に落ちることもある

向宜詠吟.2022/09/28


人生なんてつまんないもんだろう、一人で生きているわけでは無いからな
腹黒い奴に当たらないようにしていても当たっちまうわけだし
それでなくても、腹黒い奴らが上に居るってだけで行き詰まるものがある

そもそものそいつらが、競争と粋がってインチキ上等とばかりに
てめえらで作ったルールを守らず、裏をかくのを才能だとか能力だとかと誇ってやがる

インチキ諸々を、バレなきゃ悪いことしているうちに入らねぇなどと
思ってやがるクソッタレばっかりだ
バレても裁く奴が味方だからと大丈夫って確信犯なら尚更だな

そうなると今度は、おこぼれにあやかりたい輩が何かと増えだしてどうしようもねぇ

そんな腹黒い奴らの本質は、犯罪の自由の謳歌だ
もとい、責任転嫁という冤罪をでっちあげる自由の謳歌だ
そういうのを、本当に自由だと思っているからこそ、腹黒いわけなんだけどな




人生なんか危ういばかりだろう、足元からして動いているわけだからな
唐突に襲われないようにしていても襲われちまうわけだし
それでなくても、世界は常に飢えており、満たされるところが無い

そもそもの「飢え」ってのをやっつける前段階で、「格上の飢え」に辿り着いちまうわけで
いつまで経っても「格下の飢え」は退治されずに、放置されっぱだ

唐突に発見された何かが「格上の飢え」を呼び覚まし
「格下の飢え」退治を投げ出して、唐突として方針転換をやり始める
便利で儲かると思い出したらもう止まらねぇ、影響力が絶大ともなれば、未来が書き換わる程だ

これはもう、掃除やら後片付けの下手くそな奴らのパターンで、糞どうしようもねぇ

結果的に解決力が身に付いていないフラクタル構造って事だから、どこもかしこも失敗沙汰よ
そりゃもう地球が終わっちまうんじゃないかって落ちにもなるってもんさね




そんなこんなだから、普通に考えても、生きているなんて絶望の限りだろう
そんな絶望の限りを耐え切ってる輩だけが、ヘラヘラと希望を携えちまってるってだけの話だ

なのに、耐え切ったこともねぇ奴に限って、夢だ光だ愛だなどという薄っぺらな希望を吐きやがる

でも勘違いしちゃいけねぇ、それらは、まっ黒い世界やら焼け野原から這い上がるって事じゃねぇ
絶望から生き抜くってのは、日々淡々と何やらやらかしたい気持ちを積み重ねて
何らかの形にすることの繰り返しがあるってだけの話だ
それをまずは、てめえの気持ちで温めて、てめえの手で取り組めって話だ


‥ふんぞり返っていたり、諦めきっていたりと
‥何もしないでいて、何もできなくなってる暮らし向きとか、全然ダメ
‥マンネリばかりで、新たな試みを取り入れてやっていないってのもダメ
‥新たな試みをネタに、上から目線やら追っかけばかりで、骨やら筋を通してないってのもダメ


何をどう理解したんだか、履き違えて、手っ取り早く楽して進もうと
他人を当てにしてばかりなら、気がつきゃ、まっ黒い世界に踏み込んでいるわけだよ

だってお前らの踏み込んでる世界は、勝ってなんぼのインチキありきの競争狂いなんだからなあ

その手のキチガイ亡者な勝ち組どもを見て
「隣の芝生は青い」とばかりに推しまくり、有り難がっちまうんだから、万病奇病の類だぜ

桁外れに儲かるって、お互いの中に偏りがある形だって判らねぇんだからどうしようもねぇ
そんな「偏り」に憧れる連中ばかり居る世界には、平和も公平も健全も育ちゃしねぇのさ




まずは、「偏らないって何ですか?」って視点で以て、絶望して見るべし


真面目にやりゃ、始めに、己が偏っている事実への「恥」が湧き起こるところとなり
その次に、それら奥行きへの知的好奇心やら向上心がポツポツと芽生え
その次に、自他の差に対する好奇心やら、向上心やらを培うところとなり
いつの間にやら壁にぶち当たっており


「偏り」の何たるかを知らずして、達人の域に、辿り着けぬ奥深さを思い知るのだ


‥その時に、汝の思い描く高みへの欲求なんざ誰も知ったこっちゃないのさ
‥腐らないってことも、偏らないって内訳の一つなわけだが
‥その手の絶望感を積み上げろって話でもあるな

(誉められて伸びるタイプなんざ糞にしか見えてこない世界がそこに在る)

‥まぁ尤も、適切に教えるのが下手な口なら、適切に誉めるのも下手な口でもあるわけだから
‥それはそれで偏っておる、その手の絶望感の積み上げを要求されておるような話だ
‥そんなこんなで、真面目に観察するほどに絶望感も肥大化してしまうわけで
‥正しく耐え切るのも大変になるわけである


‥普通は、耐えきれずに暴走するにせよ、それらを責めることなどできないと思えるか否かでもある
‥だからとて、叱り方も諭し方も疎いようなら偏っているわけであるな

(それはそれで、スルーすることもままならない絶海の孤島に立たされて在る思いありきよ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年08月18日

【詩】「人生来たー!」ってどんなだよォ!””

向宜詠吟.2022/08/18


人生なんかつまんねーッッ!””

「人生来たー!」ってどんなだよォ!””

俺が知ってるのはなァ!””
「面白いネタ来たー!」って脳内満足だけだ!””


(俺の人生そのものは、白紙のまんまだぞォ!””)


現実世界なんかなぁ、まず、空気が不味い!""
排気ガスなんか大嫌いだッ!””

女にしたってな、シャンプー臭えんだよ!””、化粧臭ぇんだよ!””
石油原料を身に纏って気持ちわりぃったらね!””

(着てる物にしたって、今や、その多くは、プラスチックなんだからなぁ!””)
(&洗剤臭えよ、こっちくんな!)


食うもんにしたってなぁ、何が入ってるのかまるで判らねぇ化学成分ばっかじゃねぇか!””
それらにしたって、原料の多くは石油なんだろうが!””
安全性もクソもねぇ、毒食らってどっちが耐久性高いかの実験の日々だろうが!””


煙草にしたってな、意味不明の化学成分漬けじゃねぇか!””
そんなもん横で吹かされて、会話なんかしたかねぇんだよ!””(こっちくんな!””)

ゴミを平気で散らかす兵器な奴らとニコニコ仕事なんかできるかァ!""
企業産廃の多くがそれだろうがッ!””(巻き込むんじゃねぇ!””)
工場排気の多くがそれだろうがッ!””(お前らの幸福感なんか臭えんだよ!””)


お前ら、鼻の利く差ってのを考えたことあんのかよ!””
動物に例えたらなぁ、逃げるしかねぇだろうが!””
どこに逃げりゃ良いんだよ!””


空気が不味いだけで、人生なんかつまんねーんだよォ!”””
(毎日毎日、拷問されてるのと同じなんだよォ!””)
(そんな輩と付き合いたいと思えるわけねぇっつうの!”””)



> うた詠み終わります、どうもすみませんでした。m(_ _)m


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2022年08月02日

【詩】楽しいとは何だろうか?

向宜詠吟.2022/08/02

楽しいとは何だろうか?

何の気兼ね無しに甘いお菓子を食べられることだろうか?
何の気兼ね無しに甘えられることだろうか?

だが、幼少の頃に感じられたそれらにしても
大人に近づくにつれて、おぼろげだった事柄が突きつけられてハッキリとする


それらすべては、奪い合いの果ての果実だったと‥


‥陰キャなら、自分の好むところの物語に浸ることでも満足できるかも知れない
‥陽キャなら、現実として手に入れられないのなら、どうしたって我慢ならないのだろう

だが、どちらにしても
果実を得られないのなら、楽しくなれないとした病気なのだよ

それが、私たち人間とした世界の「楽しい」とした症状らしい
果たしてそれら現実は、どこまで楽しいのだろうか?


貴方は未だ、感情としての楽しいを味わおうとしているかも知れない
だが現実は違う、楽しいとした欲求には、奪い合いが付きまとう
其を選択支の多様化、選択支の淘汰などと呼び変えたとて
「楽しい」は症状の一つでしかない

(貴方が、善と悪とした概念‥もとい恐怖に囚われ続ける限り)



貴方が望んだ現実がある、それらを手に入れられることは楽しいことだろうか?

貴方が手に入れられたにせよ、手に届かなかったにせよ
貴方が望んだ現実は決して静止してはいない
静止せざる想念の揺らめきの中を、常に掻い潜ろうとしてある

望むと望まざると、勝手に勝敗を決してしまうと言っても過言ではない
すでに勝敗が決まってしまうばかりなら、敗者は常に願いが叶わない
なんという理不尽な世界だろうや‥


ならば、勝利を譲って貰うかね?

では、実際的に、どのようにお願いしてあるのだろうか?
それが可能にあらねば、貴方は楽しいとした概念を理解できずに
永遠の転生を転がるハメにだってなるのだ
それはそう、人形かロボットか使い捨てられる奴隷のように


ならば、正そう
楽しいとは、譲られるところにこそ得られる症状だったと


だがしかし、譲られてばかり居ても屈辱だとは思わないだろうか?
そうだ、幼少の頃は、譲られてばかり居ても気にならなかったそれらが
大人になるにつれて、残念な姿に映り出す

それは、譲られ方の問題ではない、敗れ方の問題なのだ

どのようにして敗れれば納得できるのか?
これは、どのようにして勝てれば納得できるかよりも、慎ましく悩ましき問題なのだよ

自在に納得できる敗れ方を提案できる
これこそが本当の意味での「楽しいの達人」なのだ
それは即ち、自分の勝ちたいどころを十分に心得ている御仁とも言えるのだ

(いやいやいや、心許せる友人が多いとした姿だろう)


ならば、正そう
貪るような楽しい願望、楽しい追究には、正義も勝利も敗北も微笑んではくれないのだと



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年05月16日

【詩】人生それも所詮は、只今実験中ですから

向宜詠吟.2022/05/16


この宇宙は、実験の最中にあり失敗続きだという
それってつまり、ラボの管理人は居るけど‥神は居ない‥

‥違う‥

宇宙そのものがラボなのだから、それに参加しちゃってるわたしもあなたもチャレンジャーだ
それも、飛びきりに物好きなチャレンジャーだ

実験をしに来たのであって、自分の実験に対して誰かからの評価なんて無意味だ
なぜなら、この宇宙での実験に尽きることなど無いはずだから


すべてを実験的視点で眺めたなら、誰かの実験に大した意味なんて無い
なぜなら、自分も含め、実験には失敗がつきものだからだ


無理に成功とした意味を持たせようとすると、なぜか途端に、わたしの実験が詰まらなくなる
わたしの実験には、わたしの試したい何かがあるだけで、それはとりとめないのだ
目指すべきにしたってとりとめないのだ

とりとめもなく中止も有り得るし、誰かの実験に注視せざるを得ない場合もある

誰かの実験に影響を受けるなんて事もあるだろうけど
その度に、とりとめもなさは、さらにとりとめもない方向に及ぶのだ


そんな中でも、一番人気にある実験は、「しあわせ」になることだという‥


家庭を築いて、命を育てるとした実験ということなのだろうけれど
ならば、食べる・食べられるにしたって‥実験の一部なのだろうけど

実験としてのテーマを持たずに、なんとなくだったりするのは詰まらない
それをマンネリというのだろうけど、人並みとも言うそうだけど

もはや、それを実験と呼ぶには、只の受け売りの再現性の証明をやろうってだけの話なのだから
思い立った端から、なんだか「自由」とは言えないテーマに見えてしまうのだ

どことなく‥言いつけられただけの宿題を、「愛」と叫んでいたりしてしまうのだ

宿題のすすみ具合が気になりだすと、途端に周りとの比較にいそしんでいたりする
それは、実験としても、観察としても、どこか私が無いままに流れ出す
この実験は、必ずしや成功させなければならない、否、常勝し続けなければならない
とかなんとかとした建前ばかりに気圧され出す


実験とはチャレンジであり、チャレンジャーであり続けるべき世界だ


なのに、成功し続けなければならないとなったら、只の生産者だよ
それだと‥生産の都合に適った出来映えを常に強いられてばかりになりがちだ


実験に対してチャレンジャーであり続けるには、失敗ありきを当たり前として構えるべき事だ
そういう意味では、確かに‥一神教において語られがちな全知全能の神など居らんのだ

ならば、幸福の創造などという奴は
実験としては、果たされるかどうかも怪しく‥困窮を窮めるテーマの一つにすぎない事になる
あなたに、成功するとした確証無き段階なら尚更だろう

一般的に成功できるはずだからとした思いこみやら、他人からのオススメに意味は無いのだ
そもそもからして、互いの条件は違うし、方向感も異なっている

なのに、大体において同じようになるはずだと思い込んだ‥結果想定は、実験姿勢には程遠い‥
「あんたさぁ、どれだけの手練れなの?、いつから神様なの?」
「ラボの管理人からして、失敗ありきが実験の当然なんだぜ‥」


そうだな、自分の実験を進めるためにも、誰かの受け売りに何の意味もない
自分自身にとってのアイデアを加えずして、実験を楽しんでいるとは言えないのだから


そもそもからして、この宇宙が実験室という事でしかないのなら‥もとい、でしかないのだから
実験室で誰かがやらかす失敗は日常茶飯事だし、最悪の形としてのラボ爆発も当然だ

そんなチャレンジ暮らしの中に、しあわせがあるとしたら

自分の実験を続けられるとした感謝とよろこびと
実験のネタが‥尽きることなく湧き続ける泉である事ぐらいだろう



実験だからこそ自由になれる
実験だからこそ、自分の必要を引き寄せることにもなる
そうでなかったとしたら、誰かの実験の素材にでもされてしまってあるのだろう

組織だった実験ともなると、不思議と結果成功を競い出したりするからな

実験比べの毎日なんて、それって、常在作業とした集中の要求だ‥
テーマに沿わないアイデアが湧いてきても、我慢しなければならないわけで
自分の隣で目を奪われるほどに注目沙汰があろうなら、自分の実験は手付かずになるわけで
そうになったら、競争なんて二の次になる

いつだって‥実験するのに出遅れなんかありはしない‥なのに
なぜか競争ともなると、出遅れがやって来て、競争は負け続きとのオチになる‥
自由に、実験を失敗する暇すら得られないなんて、なんて不遇だろうや

統計的にも、負けの方が大多数なのに、何をそんなにも大勢こんで踏ん張るのだろうか?

「あんたらさぁ、どれだけ結果のみに意固地なの?」
「失敗から得られるネタだって、十分に楽しめるアイデアの源泉なんだぜ」
「それを捨ておこうって何?」
「価値が無いと言わんばかりの競争欲の方こそを、捨ておくべきに思うけど‥」


‥人生それも所詮は、只今実験中ですから‥
私たちが望もうと望まざると、宇宙が実験中&失敗続きとしたシンクロこそが真実なのでーす
ならばもう、結果にこそ意味が無い‥のだと考えざるを得ないではないか‥
チャレンジャーにしかあれないのなら、アイデアの枯渇こそが死に相違あるまい
つまり、アイデアのGETこそが勝利とかなんとか‥(只ひたすらにそれだけだよ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年05月05日

【詩】勝ち抜きたいのも守り抜きたいのも哲学でしかないので‥

向宜詠吟.2022/05/05

あなたは勝ち抜きたい派閥だろうか?
それとも、守り抜きたい派閥だろうか?

どちらにしても、それは哲学でしかない

なぜなら、あなたが足元にある大地を、惑星を、粉砕できるほどにパワーがすぎたなら
当然の成り行きで、守り切るしかないのだから、究極的に解はすでに出ている


他を当たれば良いとか、創り直せば良いとした科学力やら魔力があったにせよ
やり直すだけの時間と手間を考えたら、守り切った方が十分に安くつく


‥だが今や、勝ち抜きたい派閥願望の発展型こそ経済戦争に相違なく
投資したからには損をしたくない、ならばこそ勝ち抜かざるを得ないという事に成っている

ところが実際の戦争でそれをやり切ろうとすると
「最後の一兵になってでも戦い抜く」とした意気込みだ
それを相手にも強いるのだから、只の殺戮願望丸出しってだけの話にもなる

戦時には、「見上げた敢闘論」とされていたそれこそが、実は、キチガイ上等だったのだ

もし常日頃から、あなたの中に沸々として湧くほどの徹底交戦意欲があったとしたら
すでにそれは、守るとした意味を履き違えたキチガイ上等と化しているのだろう
見方を変えれば、あなたは敗れることへの恐怖に染まりきっているとも言えるだろう

その裏をさらに返せば、敵の強さを素直に讃えるとした器が無いとも言えるのだ

適切に強さを讃える器が無いからこそ、手段を問わぬ美学に魅入られるのかも知れないにせよ
強さを履き違えている状況に変わり無し、そんな頓珍漢に浸りがちなのも経済戦争だ

何はともあれ、経済においては、勝ち方ほどその手の症状に陥りやすい
(選手交代しても不景気、せずとも不景気‥ならば、もみ消しても丸く収まるとかなんとか)

即ち、勝ち抜こうとばかりしている経済社会に明日なんか無い
あなた方の哲学する自由は勝手だが、所詮は亡者の戯言だ


|勝ち抜かん投資はいつも地獄絵図 搾取ぞ絡む美酒と椅子
|守り抜かん仕事はいつも日々辛勝 かつかつだろうとありがとう



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年03月10日

【詩】青春とは

向宜詠吟.2022/03/10


青春とは、人の間にありて、生命と共に歩まんと欲して突き進む酷く残酷な爪とぎだったりする
青春とは、人の間にありて、始めて訪れる甘酸っぱい屈辱だったりする
青春とは、役に立たないとした内訳に用無しとした自覚をしぶしぶと噛みしめる自己問答ありきだ

人生における幸福の起点は、どうしようもなく食べることだろう
それはつまり、どうしようもないぐらいに狩りをするのが楽しくてしょうがないとした自惚れだ
その自惚れを自惚れのままに生きていると、容赦なくやって来るリバウンドもある

だが、不思議なことに、人の多くは、青春に斯様なるイメージを避けている
圧倒的に避けて、尚、不思議な合言葉を持ち込んでは仲良しが良いと謳っている
だが、上から目線の仲良し要求では無いにせよ、そこにもメリットを求めてはどうしようもない

毎日が楽しいとしたそもそもは、自ずから何かに打ち込む姿勢に始まるのに
なぜか、多くの者らは誰かにまとめて貰いたいとした要望が強くあるのも青春とした半端さだ

されど、若者はそれを挑戦としてしか受けとらない
否、挑戦になるように仕向けてあるのが社会だ
役に立たないとした内訳に、双方で睨み合いどうしようもない


だがしかし、「役に立つとは何か?」


人生は塞翁が馬と言われてあるのに、誰しもは、そこからの幸福観の先にも食べることを夢見る
そこに偏った価値観のままにあり続けようとするばかりで糞どうしようもない

そうだ、そもそもが狩りに起因してあるというのなら
狩りの下手な奴は、美味しい部位を食べられない
反対に、美味しい部位を得られる弓の名手は、分け与えることに自惚れるばかりだろう

だが一番にすばらしきは、獲物の豊かとした大地に湧く生命力にある

そうだ、ならば生命力に豊かな生き方をする者こそが‥つまりはそう「青春」だ‥
其を問わぬ青春になど、なんの魅力も無い



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年02月19日

【詩】ぼろ雑巾の心得

向宜詠吟.2022/02/19


雑巾こそは勇者である

毎日毎日、みすぼらしい姿に変わり果てつつ(満身創痍)
なんだかんだと見映えとしてイマイチなのに(老兵)
すっかりと片付けてしまっては、こちらが困るとばかりに

厨に食卓の上にと最前線に置かれてある
まさに、雑巾こそは勇者である

その評価は、三つ星料理長より上に讃えられるべき姿であり
終には、潔くポイ捨てされてしまう姿にしても
こちらの頭が下がるばかりで、向かう所敵無しに見える


まさに、雑巾こそが、勇者の中の勇者なのだった


三つ星料理長とて
まず一番に学ぶべきは、常に雑味を取り除くとした綺麗にする心掛けであり
美味しい素材の知識を覚えることでも、マージンに適うように腕を磨くことでもない
そもそもにして、綺麗にする心掛けに乏しき料理人など、澄んだスープづくりをやらない貌の如しだ

だがしかし、世の中にはぼろ雑巾に成り果てたいとした願望は低い
せいぜいが三つ星料理長止まりで満足げにある
そこまでを以て、幸福の創造などとイキがっている

その挙げ句の結果が、少子化だ(世界中でそうなっている)

まるで、ライバルは少ない方が良いとした本能を働かせて‥そうあるかのように
食卓に座る頭数が減り一人ともなれば、それだけ雑巾で拭くとした所作からして朧になりがちだ

そうではない、己を他人とした見立ての中にこそ、他者への気遣いを育む土壌があるのだ
そこには、ダラダラと贅を貪るとした欲を薄くして、おもてなしとした姿勢があるばかりだろう


その第一歩こそが「雑巾」なのである
そして、真の勇者たる結末としての潔く去るとした姿をも体現してあるのが「雑巾」なのだった


「つまり勇者とは、雑巾にて始まり、ぼろ雑巾にて終わる者らを指す」

─ 其に、至福を見出すか否かは貴方次第ッ!!! ─



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2021年04月17日

【詩】[破綻上等]以上[その恋愛、スルー上等]未満=[自己嫌悪]

向宜詠吟.2021/04/17


恋、それは魔法
恋、それは魔女
恋、それは魔物
恋、それは魔境

恋は、競争
恋は、早い者勝ち
恋は、奪(お)とした者勝ち

あなたがそう思って手に入れた恋人なら
其は瞬く間に綻びを見せ、憎悪に様変わる事でしょう

だって所詮‥奪い合いありきは、半分呪い懸かった憎悪ありきの形ですから‥
(世間はそれを嫉妬と野次り継ぐ)
(質違いの美貌などそのままに戦場だ、其のどこに慈愛が微笑むだろうや‥)
(世間はそのしあわせ模様を当てつけと野次り継ぐ)
(どうしてお前らだけが優遇されてあり続くだろうや‥)




夢見ていた恋が破綻する時
形はどうあれ、過剰なストレスに襲われるにしろ
多くはその手のストレス耐性とした概念を見落としたままに
ただただ興味本位に愛を思い込んでいただけだった自分に驚愕しています

ストレス耐性を先に獲得してた方が良かった‥などと誰も勧めないにしても
その手のストレス耐性とした身構え方には次のような理解が欠かせません


あなたが好きなものを手にするばかりしか選択してこなかったなら
当然の結果として、あとは飽きたら捨てるだけが流れです
それとも押し入れにしまっておいて、たまには取りだして愛でるコレクション入りでしょうか‥
それゆえに、嫌いとした衝動に駆られた時、そりゃもうゴミの如き扱いに及ぶのです

なら、嫌いなモノを好きになる訓練をしていたらどうだったでしょうか?
(あなた自身が壊れてしまう程に無理をする必要はありませんけどね)

でも多くは、そのような時間を費やす事に無駄だとした思考で停止します

なら、あなたが自己嫌悪に陥ったなら
あなたは、自分に対して同じパターンからの判断を下すはずです
一番に安易で手っ取り早い選択支が自死や投げだしです
(否定されたわけでもなく、ちょっとした注意や想定外などでその相手を毛嫌いしがちも入ります)
その次に取られる選択支は恥を忍んでの相談です


でも本質的に問うなら、それらその手の選択の多くが
あなた自身で、自分自身による自分との対峙を避けて通ろうとした反応に基づきます
あなたが素とした自分自身に価値を見出せないのに
どうして、ありとあらゆる嫌いな事柄への善転視野を発見できるというのでしょうや‥

つまり、自己嫌悪すら克服できていない者には、愛を語る資格などない
‥とした烙印を背負ったままに手に入れようとしていた姿がパターンだったと言う事です


ところが多くは、その様な時にこそ親身になってくれた者の「やさしさ」とやらを強調しがちです
まぁそれはそれですが、本質的には何ら学びを得るには至りません
(自身の失敗から学ぶべき気丈を得ずに、只得たいとした気持ちを所有欲とでも言うのでしょう)
そのようなことでは、あなたは自身による欠落を
只只、相手からの許しや誰かからの肯定で見たそうとしただけです
なんら自身による解決力(肯定力)を身に纏わぬままでは、又同じことの繰り返しです
(あまえる事で得られる力が在るとしたら、それは破綻力ということでしょう)




あなたがもしなんらかの肯定力を見出せたのなら
あなたの中で必要とする価値概念は随分と様変わりした事でしょう
其を「突然変異現象」と表現したとて過言ではありません

でもまだまだです
あなたは、あなたにとって必要とすべき価値概念を支える為の生き方を
まだまだ心得るに居たっていません
発見しただけです、入り口に立っただけの話です
そこからも‥またあなたは性懲りもなく同じことをやらかす事でしょう
なぜなら、好きな事を優先してしまうのは本能でもあるからです
あなたはこれから先も、この手の欠陥と向き合って、扱いこなす必要に迫られています

人はその様な日常を「人生」と称して、よろこびもすればあきらめもしています
あなたが人生を謳歌していると思える時、そこに在るのは、あなた独自の肯定力です
それは、一般常識な肯定観とは違っているので、選択支での解は様々で、完全一致などありえません
つまり、あなたの人生は、あなたの発見した肯定力に添った選択支の道を引き寄せてきます

ならば、肯定力に結びつかない段階で得られる恋愛など「破綻上等」だったに違いありません
そこに理解があったなら、わざわざ前面に押し出してまでやらかすエッチを望まないでしょう
「その恋愛、スルー上等」とした自分に置き換わっている事にいち早く気がついていて
それが普通なら、まわりのイチャイチャや色香に煽られる事も減るのです

そんなあなたが欲しているのは、あなたにとって必要とすべき価値概念を支える為の生き方です
あなたが其を見つけられていない段階で得られるパートナーなど
近くに居ようと居ないのに等しいだけで、まぁそういうものでしょう
(それは自分自身の本質や周りの本質を見誤っているような状態と同じですから)
(それは、私は私といつも一緒に居るのに、自分自身の事を深く知らないのと同じです)
(深く識らないのなら、それは、奥深き愛情とした扉など‥只只、言葉だけの範疇です)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2021年03月01日

【歌詞】君の名はプラスチック

向宜詠吟.2021/03/01

出会ったスピードでポイ捨てられて行く日々
生産したスピードですぎ去って逝く未来
どんな便利であったら好かったの
生分解性などと謳っていても、その実は、分子レベルまでばらけるだけの非分解性
どれだけ強固な分子構造なの
砕ければ砕ける程に目に見えなくなるだけの
ただそれだけで、呼吸から血管にまで入り込んでくる
壊れること無きデストロイヤー
君の名はプラスチック



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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