2025年08月01日

【詩】真面目のすぎる奴ほど自分に嘘を吐く

↓1)向宜詠吟.2025/08/01


真面目のすぎる奴ほど自分に嘘を付く。
良い人を取り繕おうと、まわりに気を使ったつもりで、自分に嘘を吐く。

其は、始めこそたわいない嘘だった‥

大したことのない事だし、自分が耐えれば良いだけだし‥として
不器用にも、積み重ねる自分に呆れつつも
次第になぜか、自分の許容を超え出しつつも、我慢を決め込むばかり‥‥

そうやって、スルーして過ごすのだろう。
結果、てめえへのてめえの嘘が、てめえに舞い戻ってくるのだ。

‥‥実に見事な積み重ねなり‥‥

いつしか‥‥小狡い輩に騙されたり、手に負えない失敗へと結びつく‥‥
(其れは意外にも、自分の本音?を押し通した場合だったかも知れない)
(本音といっても、誰しもが我慢をせずに言いやらかす我が儘の程度なのだろうけれど‥‥)
(それで失敗をするのは普通で当たり前なのに、其れをきっかけに更に我慢の嘘にこもるのだ)


‥‥誰かに頼られる経験値だけは多いのに、てめえの本音を晒す経験値は低かった‥みたいな‥‥


誰かが利用しようとして狙いを付けるとしたら、そりゃまぁてめえの嘘に耐久力のある奴だろう。
(使い潰すにせよ、後で切り落とすにせよ、手頃に見えるのだろう)
(何はともあれ、本音を吐かないとした性格を、悪からして見れば‥「有能」そのものなり)

そのような悪党のフロント(盾使い)とした状況に堕ちて尚
大きな嘘に対応する免疫力を発揮しようなら、平然と、悪党のために嘘を吐くように及ぶのだ
「辞めたい」と思おうと、時すでに遅し
使えるとわかれば、悪党はトコトン根を回し、あの手この手で「逃がさず殺さず」に出るだろう
それは、あなたが責められていると言うだけの一端かも知れないが
それは、確実に、あなたをフロント(盾)に、世界に広がるのだ


世の中が斯様なるフラクタルの結果、悪性に染まるのだとしたら
自分の本音を晒して失敗する方が、よっぽか‥正義だろうよ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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2025年07月26日

【詩】来たれ生命力、来たれ吾が意への転換‥『来たれ!本日転生』

向宜詠吟.2025/07/26


殻を破って生命は誕生せり。
其は生まれ変わりでもあり、初めての登場たるやも知れん‥。

初めてなら‥‥其れこそ怒天然でもあるだろう‥‥羨ましい限りなり‥。
生まれ変わりなら、それこそ、古着を捨てるかのような勢いにありたし。

然れど、臆病風に吹かれれば、以前とさして変わらぬ行動パターンを以て徘徊するが如し。
それでは、夢も希望も関係あるまい‥

其れでなくとも、赤子では弱者なり。弱者とした洗礼を受けねば成らん。
だがしかし、その時期の洗礼を、まともに解釈する方が少数派であろう。

それはそうである。赤子は、その手の洗礼とて忘れてしまえるのだからな。
だがしかし、体良くも依存とした傾向を兼ねて、温もりとして手元に置く者もあり。

かと思えば、中には、物心ついた時にも、弱者とした洗礼の中に居るケースもあり。
それでは、殻を打ち破って誕生し得た甲斐に薄かろう。
無理ゲーに生まれ変わった覚えなど無いと云わんばかりであろう。

そうだ。誕生には、期待とお花畑とした現実離れしている何かを公平に宿したり。
其れがすっかりと消え去った後、現実を直視せざるを得ぬガチャでは、期待外れなり。


だがしかし、そこから即座に、意識を切り替えられるとしたら‥其れは何だ?‥
さらに、正しく意識を切り替えられるとしたら‥‥其れは何か?‥‥

どちらにせよ、まずは‥「何の為に生まれてきたのだろうか?」と‥
其処の問いを背負うばかりだろう。


赤子には赤子として、根を張り、枝葉を伸ばすに価する時期があるというのに‥‥
それらすべてを省き、一足飛びに、己への危機感を回避するべく、意識の総動員に駆られるのだ。


では問おう。斯様なる状況は‥‥
『ボーナスステージ』だろうか?、『ペナルティステージ』だろうか?‥‥


‥‥なんであれ公平に、日々、ボーナスステージだと思えるなら‥‥
そなたは、日々に殻を打ち破り、日々に生まれ変わっていると言えるだろう。
其は、大いに‥‥私なる翼で飛ばんが為に‥‥

「汝に、溢れる好奇心と、弛むことなき行動力と、正しき心が在らんことを」




> うた詠み終わります、ありがとうございました。




 ‥題にある「転生」は‥【てんしょう】の方で読みます

  アニメに「生命変換」なるユニークスキルがあるのだが‥(最強タンクの迷宮攻略)

   己に引き出せる生命力の最大値として
   仲間が受けた攻撃負荷を己に引き受けて、攻撃力に変換するという類の其れで
   スキルが仲間として認識できる枠組が、レベルアップにも絡むのだが
   必殺技なので「ここぞ」の時まで負荷を溜め込むのが流れだが

  どうにも「生命変換」と称するのでは、なにやらニュアンスが引っかかるので

  まずは、独自に英語表現を考えてみたのが
  生命変換 → 『Full Liffe Charge Change Attack』

  では、これをカッコイイ日本語にするとどうなる?(わかんねぇ)

  ‥‥などという思考の流れを、丁度良いとばかりに、ハメ込んでみたのら


> 来たれ生命力、来たれ吾が意への転換‥『来たれ!本日転生』


 ‥ぶっちゃけ、「一日一生」と変わんね
  だども、気持ちの乗せ方としては全くの別なのら‥(言葉とはそういうもの)
  「てんしょう」と「テンション」を引っかけてもイイかも


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2024年10月10日

【詩】故郷は旅

向宜詠吟.2024/10/10


故郷は旅、故郷は風、故郷は安らぎへの問い
問い在ればこそ、解を求め、生き甲斐を求めた結果が私になる
問いする旅こそが故郷、問いから得られる生き甲斐こそ私なのら

だが私は、得られた生き甲斐に安住することは無い
それでも、たまには帰路を楽しむように安住することもあるだろう
されど、再び旅に出るのだ、故郷は旅にあり、故郷は問いにあり

ならば、問いする気概を失った時に、私は、私も故郷も等しく失うのだ
その喪失たるや、絶望の渦中と言えるだろう

ああ、なんと‥‥無知に立ち止まることの許されぬ命の歩みだろうや‥


|問い続く道無き道やそこぞ里 ならば慈しめ出会う顔ら
|問い生きてかかわる里に恋もあり 風吹くならば甲斐もあらん
|問い学ぶ苦悶もあれば閃きも 不得手も得手も知り尽くさんと
|腑に落ちぬ問いにクズぞ生えており 甲斐を得ずんば問わずに等しき



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2024年06月15日

【詩】獣と屑の二択だけの脳

↓3)向宜詠吟.2024/06/15


まだ若くして、自らの才×体躯を駆使できて、何かを成し遂げんとしてレールの上にある内は
そこそこの環境育ちにある内なら‥まだまだ無理ゲーでは無いのだからと
イキがっていられる(??)イキがってこそである(??)

まだまだ足掻くことのできるチャンスの札にある内は‥ザコやモブよりは格上だ(??)

そして、敗れたり、結論を見出したりとした結果‥すべてに期待できなくなるから絶望する(??)
誰にも期待できないのなら、すべてを破壊してしまってもかまわない‥かも知れない(??)

そんなこんなの抜け出したいとした足掻きからも
成り行き知らぬが内に、周りの破壊行為に勤しんでみたりとか‥なんとか(??)


ああなんと、獣と屑の二択のみ脳みそ構造なのだろう‥
ああなんと、腐っさ甘ったれた脳みそ構造なのだろう‥
ああなんと、人たる寄る辺なき脳みそ構造なのだろう‥


血に飢えているにせよ‥力に飢えているにせよ‥希望にほだされていたいにせよ‥
結局は偏っている。自分か‥誰かか‥何か‥にお熱を上げていたいだけの酔っ払いだよ。

バランス良く生きようとは、なかなかに思わないらしい。

そもそもその手の絶望から逃れてバランスを発揮せる姿を誰も知らないのだ。
そうなのだろう。だから、そこでは目に見えている世界だけがすべてになる。
目に見えている価値だけをすべてとせざるを得ない渦中で‥溺れるばかりだ。

だからだろうか(??)
現に合間見る同士での優位を競い、勝り、驕ることこそが‥悦であり快楽たり得るのだろう‥
どうしてそのように思えるのかが不思議なくらいに、酔い、酔っ払ってしまうらしい。

そこでは「美酒(褒美)を寄こせ」とばかりに奪い合うだけだと言うのに‥
褒美に酔いつぶれたとて、誰もが、誰からも文句の付けようなき勝利を‥望み抱くのだ。

結果として、命を賭け遭うことになる‥
結果として、「太く短く」とした使い捨てに、誰しもが捺印せり。
結果として、抗うのもカッコイイとして、やらかしてもいる。


「それのどこがカッコイイのか?」‥とした疑うべき角度を知らないかのように‥


何はともあれ、それにしたって生き方の一つであり、感想であり、好みの差にすぎない。
その手の褒美に興味がそそらないのなら、違う生き方をしているはずだ。
でも、酔いしれている内は、誰しも別の草鞋を履こうとは思わない。

それ程に、不思議なぐらいに、酔いつぶれているのだ。
それは、どうしてそうなっているのだろうか?‥とても奇妙だ。
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posted by 木田舎滝布麓 at 10:49 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2024年04月12日

【詩】我を識る為に必要な心構え

向宜詠吟.2024/04/12


「我とは何か?」
其はまず、我たる計測の仕方を知らずにしては始まるまい。

それには、全体を俯瞰せずにしては始まるまい。
じゃがしかし「全体とはなんぞや?」


全体を識らずにしても又、計測するに値せぬ。


我が人間にあるのなら、人間としての尊厳を理解すべきである。
我が宇宙にあるのなら、宇宙の尊厳を理解すべきである。
我が循環にあるのなら、その循環たる尊厳を理解すべきである。

我とした好奇心の幅でしか世界を認識できぬのなら、どうしたって好奇心を育まざるを得ず。

されど、宇宙の側にも好奇心とした幅を有すのなら、その間の隔たりに、我たる限界を及ぼそう。
されど、環境の側にも好奇心とした幅を有すのなら、その間の隔たりに、我たる限界を及ぼそう。
それが、我とした尊厳の幅たる理解になろう。

だが、好奇心を育まざるのなら、どうしたってその我たる尊厳は、小さきモノだ。

小さき我に満足できるなら良し、満足できなければ嘘になる。
そこの葛藤を避けたままに居ては、我の計測など不能なり。


確かなる我の大きさを知らずして、満足も不満も意味を持たぬ。


ならば、何故に葛藤を抱くのだろうや?
其は、我を識らぬからだろうか?‥否、我とした本質を識りたきと求めての事なり。

されど、好奇心の幅の広がりを閉ざしたままにあるのならば、其は如何なる我にあろうや?

「我とは何か?」を計測するのに、もっとも単純な論理とは「足るを知る事」である。
そこが、現状の我たる好奇心の端境にあるのだと、まずは心に留めて理解することである。

されど、好奇心を閉ざしたままの者らは、不思議と足るを知る事にも疎いのだ。
その上、横並び意識に引きずられるだけ引きずられて、不満に満ちるのだ。
どべなら尚更だろう。だが、そのような葛藤に意味無し。


我とした好奇心が、宇宙とイコールならば、環境とイコールならば
不満など有るまい。満足とて有るまい。

我とした好奇心の及ぶ許容を知り、足るを知り、足りぬと思えばさらに好奇心を育まむ。
唯それだけのことを「生きる」と呼ぶだけのことなり。
翻せば、そこからのはみ出しは「死ぬ」だけのことなり。

生きているとも死んでいるとも判らぬのなら、尊厳を知らぬ事になろう。
死んだらそれまでと、思い寄せて信ずるままなら尚更であるな。


どこまで行っても、世界の理解の仕方こそが、我に相当しておる。


そこに不満が募るのなら、理解の仕方自体が危ういと言えよう。
危ういままを続けていては、いずれ滅びよう。

どうにも、滅びたいからこそ、育まざるを続けているようにも見えてしまうものだな。

我を育む即席とした何かを外に期待しようにも、我の内たる意思以外には何も存在せぬ。
何はともあれ、好奇心を宿さずままになんぞ始まるまい。始めたくも無し。

生かして貰えているから大丈夫などと思う依存と停止は、クズを宿すばかりなり。

我とした意思を育まざる肉も骨も脆い。
それと同じくして、我とした意思に基づかぬ人頼みとした調和など幻想の如きだ。其もまた脆い。

又、調和を求めずして、志さずして、目指さずして、育む・育めるなどお門違いも甚だしい。
斯様なる尊厳を知らぬ様、互いに推し量らぬ様を「狼藉」と申すのだ。


まぁ確かに、尊厳に生きるも、狼藉に死すも選択は自由にあろう。

だが、そのどちらかを選択することを以て、満足を思い描けると思うのは‥正しくない。
育むといえど、何事も葛藤の先にしか得られないのだからな‥
ならば、どちらから向かおうとも、歩もうとせぬ者に正しさなど訪れようがない。
其が世界の実像なり。

歩もうとして、歩んだ先でかち合って葛藤が生まれ、もまれて漸くにして気が付くことになろう。

其の目的とは、なんだっただろうや?

それは、至福や快楽・享楽を得る為だった‥だろうか?
それは、上から目線に名声を得ることや、勝ち誇ることだった‥だろうか?
それは、ささやかながらにも、世の為や人の為だった‥だろうか?
それとも、緩りと安らぐことだった‥だろうか?


誰だろうと、葛藤にもまれていては、ついつい、抗いたくなるものだ。
だがその目的は、憤り抗うことでも、イキがることでも、討ち果たすことでも無い。
其は、好奇心を拠り所にして、勇み歩んでみただけに過ぎぬ。

結果、どうにも好奇心の置き所を切り替えられずに脆さを垣間見せただけのことだ。

好奇心の再発見を忘れて、別の何かを得んとした目的にすり替わっていただけのことだ。

育んでいたつもりだっただけで、育むべきを忘れていたのだ。
全体を俯瞰もせずに勝手都合に事を進めたところで、すべてはやっつけだ。
尊厳たる我・我らとした形など現れようも無いのだよ。


されど、抗うのも好奇心である。達成したきも好奇心である。そこに期限も制限も無し。
だが、勝ち誇りたき好奇心を保持しては、葛藤から逃れられなくなるという謎かけがあるのみだ。
其を「闇」と申す。

「我・我らとは確かに、その反対からも来たった存在なり」



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝布麓 at 11:59 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2024年02月23日

【詩】宇宙はいつでも飢えている

向宜詠吟.2024/02/23


宇宙はどうしていつも腹を空かせてあるのだろう?
それはまるで、創造に飢えているかのようだ。

「ああ、うまく行かないこれではダメだ」
「ああ、今度はうまく行った、この素晴らしさを誰かと共有したい」
「ああ、なんてことだ‥上には上が在るのだなあ‥もっと精進しないと」


宇宙を見上げて素晴らしいと思おうとも
果てしなく考え尽くされているように感心してみようとも、実は本当に空っぽなんだ。

まだまだ未完成の建造艦なんだ、建造艦労働者ばかりで市民なんていないんだ。
市民管理っぽいことを吹聴していても、実のところの労働者管理なんだ。
労働者として対価を貰えるならまだ良い、奴隷だったとしたらどうしよう‥

いやいや、奴隷ならまだ良い。
実は未完成破棄された墓場艦に棲んでいるのかも知れない。
ただ呆然と宇宙の広がりをうろうろするばかりのゾンビ群だったらどうしよう‥
そんなだったら、まだまだ、奴隷の方がエリートに見えてくるよ。


「どうしてそうなった?」


創造に飢えているどころか、何に飢えているかすら分からずに彷徨っているのだ。
創造の見落としに填まり込んで、放置されてあるのだろう。

「いやいやいや、それは、助けて貰いたいとした創造の形なのだろうか?」

でも、見落としであるかのように放置なんだったら、誰も助けになんて来やしない。
エリートに見える奴隷にしたって、そこを離れられないし
その更に雲の上の正規労働者にしたって、未完成の艦船を動かして来ることもできやしない。
現場監督にしたって同じなのだ。

そもそも、ゾンビ扱われのままでしかないのなら、利用価値が無いとして見放されてあるのだろう。
どうにも宇宙の空っぽと同じに見えてくるばかりだな‥
飢えているにしたって朧気で、どうしたいかなんて虚ろのままなのだ。


まるで宇宙の創造力不足とした放置状態そのものじゃないか‥其をゾンビと呼ぶのだろう。


広大な宇宙の広がりからしてみたら、平均値がまだまだゾンビなのだろう。
失敗作ばかりの墓場なのだろう。

失敗作のガラクタを拾い上げて家畜再利用する輩にしたって、創造のボット作業みたいじゃないか‥
お互いに腹を空かせあっているのなら、どうしようもない関係なんだろうなあ。


ゾンビから抜け出して、飢えから抜け出しても、その先にも飢えしかない‥

創造に飢えているからこそ、あっちにもこっちにも悩ましさとした形から抜け出せていない。
創造に不自由しているからこそ、ゾンビとした影を落とすのだ。

あなたが、永遠で退屈な日々に何をしたら良いか分からなかったら、それこそゾンビ症候群だよ。

日向ぼっこにしたって、日向ぼっこがしたいという目的がある。
ゾンビ症候群からしたら、とても素晴らしいことなのだ。
でも、日向ぼっこができないと途端にゾンビ症候群に逆戻りだからね。

そういう意味では、色々なことができた方が良いにこしたことはなさそうなんだけどね。
行き詰まってしまえばガラクタだよ、どんなに画期的だったはずでも五十歩百歩だよ。

ガラクタに仕上がってしまう程度の根気やら愛情では、ゾンビ生産機とあだ名されてしまうのさ。
もとい、空腹製造世界だよね。




> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2023年09月05日

【詩】運否天賦

↓4)向宜詠吟.2023/09/05

「世界とは私である」と言えるなら
「運否天賦とは私である」とも言えるだろう。

それが、些細なチャンスを引き寄せる事であれ
それが、戦場から無傷で帰還することであれ
それが、椅子取り競争で椅子に座り続けることであれ

選ぶ場所とタイミングを違えなければ、そういう事も成り立とう。
だが、一般にヒトは、三つの思いこみとした運否天賦の狭間に溺れるのだ。


まず、ドッチボールを例に挙げてみよう。
そのとき、一番に単純な運否天賦とは、ボールに当たらないことだ。

それには、ボールを取ろうとしないことが第一だ。
だが、ボールを取ろうとしないのは、ドッチボールに参加していることには成らない。
だから、無理にボールを取りに行こうとするものだ。
すると途端に、ボールを取りこぼすとした確率が発生する。

とはいえ、何ごとも無く過ごせればそれで良いだけなら
「取りに行かない」とした運否天賦も有りである。そういう運否天賦もあるのだ。


だが、大抵の者らは、その基本を失うのだ。
(今一度確認しよう。運否天賦とは私である。私の望んだ形がそこに現れる。)


次に、大抵の者らが思う運否天賦がある。
それこそ、戦って傷付いたとて、一命を取り留めて生還するとした流れが其れだ。

だがそれもまた、ドッチボールをして遊ぼうとしているのと同じだ。
「赤紙で召集されたからには勝って帰らなければならない」とした思考の中を彷徨うてある。
それは必然的に、何ごとも無く過ごせればそれで良いなどとは、程遠く、思考も気持ちも溺れている。

だから、成り行きに対して願っている形が誰だろうと曖昧で貧弱だ。

それはもう、経済とした日々の奮闘奮戦がそうだ。
誰かの犠牲を余儀なくしたとて、勝ちにこだわる渦の中だ。


結果的に、何かを失うことを捧げてしまっているようなオチが、始めから付いて回るのだ。
(今一度確認しよう。運否天賦とは私である。すべては私の望んでしまった結果だ。)


さらに、勝ちに特化した自惚れた其れを運否天賦などと思い込んでいたりするものだ。
伝統だからとか、加護があるからだとか、諸々と優勢だから‥などなど‥
ついつい、自らのモチベーションを上げんとして調子に乗りすぎるお門違いだ。

競争をして相手を追い落とそうとしているのに、そんなの関係ねぇとしてリセットができない脳だ。

そもそもは、「戦うからには絶対に勝ちたい」とした願いから運否天賦が発生するというのに
勢い余って、自分らこそを有位に思い込んでしまう‥不思議がそこに起こるのだ。

ここまでともなると、それはもう、願いと言うよりは、呪いの類だ。
確かに‥多少なりとも洗脳とした部分は見られるのだから
勢い余って自らをも呪ってしまうのだろう。

そんな指揮官を戴いてしまっては、もはや運否天賦も糞も無い。(残念)
だが不思議と、そこまでの状態に陥っていると‥組織を疑わずに戴いてしまっている情勢だ。
(バンザイ突撃みたいな‥バンザイクリフみたいな‥ブースト接種みたいな‥)

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2023年08月29日

【詩】天上天下唯我独尊

↓1)向宜詠吟.2023/08/29

世界とは私である。
だがその世界とて、不思議と派閥で構成されてある。


私以外にも存在が居るというのに、それもすべて私にあるのだ。
目の前に広がる「生老病死」たる苦しみのすべても‥私が創り出していた有り様だった‥

それが、「世界と私が繋がってある」というなんという無常、無情、無上‥

なんという無力、なんという非力、なんという傲慢‥
私は、それすら理解できずに救いを求めてきた。否、理想たる世界を求め問うてあった‥

私が私を意識する私たる世界において、私を救えるのは私のみであった‥
そこでは、私の心のみが比重を占めてある。
他者の介在など見えているだけで、無いも同然だ‥
私から他者を救い得るかと問えども、できることは私自身を私がどうにかする所からのみ始まろう‥


その証拠に、誰の声も、誰の汗も一時を生かしはすれど、私の今を、永遠を、満たす所には届かない。
それは私に、「世界とは私である」とした実感が伴っていないからだ。

ならばこそ、私から怠惰を好むばかりなら、世界は怠惰を成し遂げんばかりだろう。
ならばこそ、私から正義を始めぬ限り、世界が真っ直ぐに成るわけがない。

なんという果てしなき道のりだろうや‥
さてさて、本当の意味で、私は、何を正しさとして望んでいたのだろうや‥

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2023年07月25日

【詩】変身とお笑いは双子の関係?

向宜詠吟.2023/07/25

変身したい気持ちとは、行き詰まりたい気持ちでもある。
でも、誰も、行き詰まりたいだなんて思っちゃいない。

これは、とても不思議で不自然な釣り合いなのだ。

変身したければ
否、変身したいからこそ
行き詰まらざるを得ぬ道を歩むのだ‥

それこそが変身願望とした辻褄と言えよう。
ゆえに、あなたが変身を望むなら、問答無用で‥行き詰まりを引き寄せる‥


ならば問え、その変身の先に何を望むのか?
それはそのままに力の使い方を意味する。


力こそ正義を翳して進むなら、その変身の先にも更なる闘争が待っていよう。
あなたの力の使い方がそうでしかないのだから‥
努力をし続けたいわけでも無いのに、力こそ正義を翳しているなら
それはもう行き詰まるばかりだろう。

ならば、更なる変身が期待できるのか?‥否、自ら鍛えるとする意思を欠いて次の変身も糞も無し。
其は単に、怠惰への変貌だ。自らが自らに期待してきた変身では無い。


ならばどうする?‥笑ってごまかすのか‥


然様、そういう力の使い方もある。
どのような如何なる時にも、笑い飛ばせる力こそ、大変に稀少で希有なよすがだ。

そこに努力が求められるとするなら
恐怖に呑み込まれずに、笑いのツボを見つけ出さんとする確固たる信念のあったればこそだ。
他者の迷いをほぐし、前向きに誘うことができる。

行き詰まりを遠ざけるかのようなそれは、まさに理想的な変身に見える。


だがしかし、お笑いは、依存症とした行き詰まりを連れてくる。
ならば、お笑いは、始めから手頃に行き詰まっている姿にも見えてこよう。


手頃にボケていなければ、ツッコミなんてやって来ない。
されど、ツッコんで勝ち誇ったままでは誰にも届かない。

ツッコミがボケに、ボケがツッコミに千変万化していく様がお笑いには見え隠れしている‥
ならば、そういう柔らかい思考を心掛けるべきであろう。


あなたが変身を望むのは、毎日を笑い飛ばしたいからだ。


笑い飛ばす為にも、あなた自身がより深く柔らかくなる必要がある。
結果、毎日に一つのお笑いのツボの発見は、変身し続けている何よりの証しとなるだろう。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2023年06月09日

【作詞作曲】それが、ぼくだから

いつまでも忘れられないよ
ぼくがすごしたあの頃を

歩けば走り出していた
あの笑顔、あのはしゃぎ声

目を閉じて想いあふれても
おぼろげにしか思い出せないまま

もう一度すごしてみたい
ただそれだけの癒やせないきずあと、消えないぬくもり



※ 著生が××したアレでせこせこ頑張ってみた曲なんですが、伴奏やら編曲やら想像も付かん
sore_ga_boku_dakara_ver20121023.vsqx
まぁ付けてみたい方は、遠慮なく付けてみてくれたまえ

(他の持ちネタでも挑戦してみようとしたのだが、イメージで許容できるのがこれだけだったん)
(まぁお試しの範囲って奴ッスよね)



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