2020年09月15日

【詩】屈辱

向宜詠吟.2020/09/15

自己紹介とは屈辱である
日常茶飯事、当たり前のように人前に出なければならない社会などハラスメントである

「案ずるより産むが易し」などスローライフ時代のきれい事だ

デジタルネット時代の貧乏にハイテク技能を期待する社会はイジメである
貧乏ほど何もできないがんじがらめに、出来レースの競争をふっかけて何が自由かッ

積み重ねをしない馬鹿ほど狡を武器に競争に勝てると粋がるのは、どうしようもないクズだ

力こそ正義を武器に力を行使しても力に飢えた者しか集まらない
カネこそすべてを武器にカネを行使してもカネに飢えた者しか集まらない
美貌を武器に美を行使しても美に飢えた者しか集まらない
飢えた者を相手に競争をしても空しい
金持ちを相手に競争をしても誰も救えやしない

どうしてこんなにも詰まらなくなるほどに格差をやらかしてまで自由に首ったけ人類なのだろうか?

詰まらないから逃げ出したいなら、その逃走は不自由であると思い知れ
楽しい毎日から外に出たくないなら、その心根は不公平にあると思い知れ

出世など命令したい立場に成りたい者らの戯れだ
出世を望まずに仕事を探しても命令の下僕にしか成り得ない
出世したとて人手を集められない者らはカネの下僕にしか成り得ない
最終的にコネを武器にしたところで、コネの下僕にしか成れていない

それが出世というのなら、才能より血であるとした順位に覆りなどあるまい

ならば、劣った血である同士で自己紹介をし合う意味とはなんだね?
お互いのポジションを決め合う為の偽装でしか無いならそれこそ屈辱だッ
競争社会での名刺交換ほどその範疇だ

斯様な人類のあり方は、誰がどう見たって友好なんかじゃねー
平道に無くても良いだなんて基準のままで人権論議やってんなー

其に目を瞑って、なにが男女間の差の公平性だよ(ふざけんなッ)
だったら日本を東の国と言われたら屈辱でしかねぇんだよ(わかってんのかッ)
誰だってセンターが良いんだからさ、何処の国視点なんだよ(冗談じゃねぇッ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2020年09月06日

【詩】しっかりと育てられたい症候群

向宜詠吟.2020/09/06

人にはなぜか「しっかりと育てられたい症候群」が植え付いている
然れど、「しっかり」とはなんだろう?

自分の中の其れの思い込みから外れている時
たいていは、育てる側に逆恨みを覚えたりする
家庭であれ、学校であれ、仲間であれ、会社であれ、世間であれ
何でもかんでもまずは、自分の身の置き場に対して期待をやらかすのだ


つまり、「しっかりと育てられたい」と思っている
然れど、「しっかり」とはなんだろう?

単純にそれは「私らしく」という事になるだろうか?
しかしそうは言うものの‥多くの者らは具体的な「私らしく」を知らない


‥知らないからこそ
憧れや劣等感に引き寄せられていたりする
得か損か、善か悪か‥価値の有無に引き寄せられていたりする
満足できるか否か、自慢にたるか否かに引き寄せられていたりする

私たちはクズだから、クズ脳でしか無いから
知らぬ間に「私らしく」よりも偽りのそれらの方に納得したりする


「しっかりと育てられたい」気持ちを、わざわざ好んで競って裏切り合うのだ


失敗も過ちもすべて糧になるから大丈夫などと調子こいている
それでいて、世間からお叱りを受けようなら、ふて腐れたり、開き直ったりする

そもそもが幼少期の多感さゆえから始まる「しっかりと育てられたい欲求」など
得てして横並びの受け売りだ、人並みで十分だったその頃の空気は
歳を重ねるにしたがい、格差上等に腐りだす


‥斯様にも
一般的に人並みと思える環境に育った者らの多くは
「用意されていないと始まらない症候群」に陥っていたりする
お膳立てされていないと自分が大事にされていないように思い込むらしい

それが愛情豊かに育った結果のパターンの過半数なら、人類に救いなど無いだろう

否、自らクズ脳に陥っていながら
「しっかりと育てられたい」などと病まざるを得ない多数決群など、それこそ死に体だ
そんなことではいつになったら、「しっかりと育てよう」のその気になるというのだろうか?


‥育てられていないのでは無い
自らが自らを育てようとしていないだけである
いつだって、まずは「自分をどう育てるか‥」から始まっている
それが「私らしく」としての姿だ

(すべてはそこからの鏡似性だった)


その「私らしく」から背いていては
誰だって‥すぐに不満を並べる才だけを伸ばさざるを得まい
そしてまた世間体さえ良ければ、都合さえ良ければ、それで十分などと白を切る
徒然に甘ったれた数々のクズ脳からなる鏡似性世界からの脱出は、どうしたって険しい

「この(どうしようもない)クズ脳がwwwッ」



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2020年03月29日

【詩】創造現実の宣誓&

↓2)向宜詠吟.2020/03/29

|感動とは、普段何も考えていなかった己への屈辱である
|屈辱こそ、個人差の許容で定義が変わる大宇宙である
|大宇宙にルールなんてねぇ、それこそが真に科学である
|科学とは、大いなる感化力を以て、常識に思い込ませる魔法である
|「感化されるとは何か?」‥即ち、汝の過去に断捨離をもたらす否定だ、其を侮辱とも言う
|汝の存在価値に微かにも希望を欲すれば、こう屁理屈を付けることになる「あれは魔法だった」
|魔法に絶対的な効力などない、だからこそ解けるのだ「振り返ってみるべし汝の恋歴を」
|ならば問え、人生における諸々に対して、汝から発し得ていない事柄の多くは幻に過ぎぬと
|ならば貪欲にも抗え、人生におけるすべては私から発し得た創造現実だったと
|創造現実たる思惟から踏み外れた申し開きこそ、最大の屈辱、敗北、失態、後悔、無知である


 ‥誰かのせい、言い訳の多い世界ほどお気楽にも感動たるに依存する
 ‥そしてその手の屈辱をダイレクトに与え合うことにお熱で無警戒だ
 ‥まさに不誠実の入り交じる大合唱だ
 ‥何しろ多くの者らは他者の現実に共感するだけで、あとは好きか嫌いかの勝手にある
 ‥そんな好き勝手含みの大合唱がトレンドになると、台頭するのが人類勝利の掛け声だ
 ‥そんな掛け声は、今度は大合唱を競争に推し進めている
 ‥競争をやり合えばやり合うほどに、多くの者らが切り替え下手にならざるを得ない


 ‥見よ、コロナウイルス禍での汝らの行動の有り様を
 ‥購買量が増えれば棚の減りも早くなる(即ち販売する側の何も考えていない姿の露呈だ)
 (過競争の末に在庫を抱えない流れが、禍競争になっただけだ)
 (マスクの必要量は一日辺り億枚なんだぞ、解っているのか?)
 (誰しもいざというときの為の備え・心構えなどできていない、どうしようもなさの実態だ)
 (まさに屈辱に片寄った感動の追求の姿にしかなかった)
 (そのような似非世界だった)


 ‥そこここに見られる社会禍に、蓋をしてきた者らは、何を以て感動にあるかを知らぬままに
 感動を与える・得ることの本質(誠実)を置き去りに、似非文化を招来し続けるのだ
 ‥ならばそのような似非現実の消え逝く姿を演じて、素の復興する感動を与えざるを得まい



|感動が生きているぞと微笑みつ 現実あっぱれ日々の漲り



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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2019年07月31日

【詩】武士道から仏士道へ(13射)


↓ 13 )1 向宜詠吟.2019/07/30

|武士道は死に際にあり抜かりなく「うそも方便」負けず嫌いなり


‥散り際の美学、死に際の美学
それらを即決に申せば、「往生際の姿勢」という事になる。

往生際でのヒトのやらかす嘘には
まったく筋違いな言い逃れから、生き延びる為の信念への「嘘」まで様々とある。

どっちゃにせよ、死ぬことへの道など誰も見出しちゃ居らぬ
負けたからには、信念を折ろうとも、負けたなりの切り替えが求められて次もあろう。

どんなに落ちぶれようと、生き延びて繋げようとする心得も又武士道なり。

‥それのできない不器用のくそったれが放つのだろう
「武士道とは死ぬことと見つけたり」‥皆死んでしまったらそれこそ負け犬だよ。
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2019年07月17日

【詩】お家主義vs.自由恋愛を斬る

向宜詠吟.2019/07/17

自由恋愛とは、支配層が編みだした下層に対するガス抜きに過ぎない

男子は女子に女神を抱いて奪い合い
女子は益々現実的に旦那を尻に敷く

結果見よ、女子からして不能を切り捨てる空気を醸し出す


‥野菜ですら捨てるところがないとして
「切り捨てるだなんて勿体無い」を女子自ら貪欲に志すところが無い
(ああそうだろう)
斯様な女子であったなら、其を実現する為にもお家にこだわざるを得まい

自らが先頭に立つにせよ、旦那を支える側に立つにせよ
志あればこそである

人を平気で切り捨てるような社会には断固反対を示さざるして女子の本懐は成り立つまい
人を差別するような空気に反対の意を以て立ち向かうべき姿こそ女神にある
もとい、それこそが母性の姿として誰しもの心を揺さぶるのだ


ならば、自由恋愛に意味は在っただろうか?


もとい、自由恋愛の本質こそ目的に沿ったGETにすぎない
それの自由とは、何もロマンスに甘ったれた好き嫌いという事では無いのだ

どのような目的で選ぶかは自由‥言葉の意味としては単にそれだけだ

誰がいつからロマンス前提の甘ったれた中毒症を推奨するようになったというのだろうか‥
それこそ支配層の愚民化政策における心意気大作戦として‥語らざるを得まい


実際、無駄に愛を叫んでみたところで、齢を重ねれば、結果たる現実に対して冷ややかだ


それの集団的結果、益々の「切り捨て上等」の世界であって良いわけがあるまい
捨てるところなど無いとして
勿体無いとして
お互いに貪欲にならないのでは、それこそ昔話にでてくる隣のジジィとババァである


自分さえ気持ち好ければ酔いだけの自由恋愛たる願望に何の意味がある?


結果、お互いに「切り捨て上等」に対応すべく、いつでも腹を括っていなければならない
そんな気苦労との背中合わせに何の意味があるというのだろうか?

それの格差の果ての「路上切り捨て御免」事件に怯える羽目になるのでは
何とも無力な愛を信仰してきたと言うだけの中身でしか無い(何と残念)

‥それでも

結果、女神たる女子が志し果たそうとも「切り捨て上等」たる音頭は再びやって来る
なぜなら、上流社会の空気という奴はいたってお家の中のお家主義でしかない
常に莫大となる財産の所有に目が眩むのだ
それを自分のわがままの為に使おうとする空気は、愚民度が高ければ高いほど鏡似する


結果、いつの世でもお家主義こそが、ガス抜きとしての反骨自由恋愛の音頭役を果たすのだ


‥是の闘争から逃れたければ、甘ったれたロマンスに脳を打ち震えさせてはならない‥



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2019年07月09日

【詩】愛の定義

向宜詠吟.2019/07/09


「愛」とは何か?
それは、自らを使い潰そうとする果敢なる欲求である


まず、何事も命を削らずには誕生するところが無い
たまたまの偶然などで、命や便利や暮らしが誕生するわけが無い
そこには、自らを捧げても惜しむことなき執念すら覗かせよう

されど、自らを使い潰そうとする果敢なる欲求は、単なる自己犠牲とは異なる

なぜなら、果敢なる姿には持続継続が極めて欠かせないからだ
そもそも、何に身を投じるとするかは自由である
決して死へのダイブの絡む連想とは限らない

だがしかし

それの挑戦が、実に効率的で、人を惹きつける魅力に事欠かないようなら
他を巻き込んで、自らどころか、周りをも使い潰そうとする勢いにならざるを得ない

そこでは「自由」が不足しよう


ならば問え、「愛」を絶賛することに意味はあるだろうか?
ならば問え、「愛」とは極めて個人的な挑戦意欲の博打的な願望たるのだと

願いを叶える為には、それ相応の選択と集中が欠かせない
其の拡大により他に強いれば「愛」ではなく「搾取」となろう

ならば問え、「愛」の名の下に「搾取」に繋がっていないかを
さらに問え、「搾取」する汗を以て「愛」を謳ってはいないかを


「愛」が圧倒的に自分勝手から始まるにせよ
「愛」が圧倒的に自分勝手を突き進むばかりでは、誰も支持はせぬ
「愛」が「愛」である為には、対象からの「ありがとう」の確認を求めるのだ

(見返りではなく、「搾取」にすり替わっていないかを確認する上でそれは欠かせないというだけだ)


‥しかしどうか

日常のそれは、見返りや成功は至極当然と考えられている
ちっぱい気持ちだろうとお役に立ってるから「当然です」などとは糞すぎるのだ
積み重ねも無い段階におけるナンバーワン願望など尚更だろう

それの矛盾すらわからずに、「愛」を叫ぶべからず

「ありがとう」に結実すること無き自分勝手な誠意を、決して「愛」などと自惚れるべからず


‥そしてまた、「ありがとう」の程度に酔うべからずでもあろう
自らを使い潰そうとする果敢なる欲求にあろうとするならば
常にその先へと挑もうとする貪欲にもあるべきなのだよ(スローライフなペースで)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2019年06月26日

【詩】一億総がまんしない貴族化

向宜詠吟.2019/06/26

希望とは、自己中であり、どうしようもなき勝手な蜂起である
絶望とは、自己中であり、どうしようもなき勝手な放棄である

どちらにしても、自分・自分らの世界に不足を感じ、行き詰まりを味わっておる

ならば問え、この世界に始めから満ち足りた価値観など在りはしなかったと
ならば問え、不足上等であることすら気が付かない方が幸いなのかと

宇宙がボランティアなどと思うべからず

宇宙が人類の要望に添って一人一人すべてを満たし続けることなど無理ッ
誰がどう考えたって、お前・お前らで何とかしろと匙を投げるだろう
宇宙とはその程度の台所でしか無いのだ

‥するとどうなる?

そこに在ったはずの今までの実は何だったのか‥と思うかも知れない
そこまで用意できておいて、どうしてその先が無いのかを思うかも知れない
答えは簡単だ、足りなくなったと云うだけのこと
足りなくなり続けるだろう分を‥汝・汝らで何とかせよと申し付けられているだけのこと

されどどうだろう

誰も我慢など勧めるまい
それこそ狂気の沙汰として捨て置かれるだろう
その代わりに、奪い合って淘汰死合いましょうとの音頭にはこぞって大賛成とは奇妙なモノだ


‥どうかんがえたってお前ら馬鹿だろう‥


我慢しないことこそを文化だと思い込んでおる
そんなのは、昔からの腐敗たる貴族社会の習わしだ
貴族社会お約束の格差を持ち込まれて尚、民主社会だと思い込んでおる
自分たちを庶民のままだと知らん顔をして白を切ろうとしておる
どう考えたって、貴族の端くれに相当しよう

平和が続いて、すっからかんに庶民では無いという実を知らん

どう考えたって一億総貴族化である
我慢することなき文化色に至った段階で一億総貴族化だろう
貴族の中の格差をあれこれ言い合っても非情でしか無い
何はともあれ、庶民任せのあがり次第だ、未だにその程度の政である


さて、庶民はどこに居るのだろうか?

庶民が淘汰されたからこその「一億総がまんしない貴族化」なんだからどうしもない
淘汰されそうだから「庶民です」などと被害者づらしたって始まるまい

平和が続いたとはそういう事であり
ぬか喜びにも経済戦争をし続ければ、そういう事にしかならないのだ


さて、庶民はどこに居るのだろうか?

それこそが自然環境と言えるだろう
私たち人類は、自然環境を庶民として搾取し続ける悪役と化した
それも都合良く遺伝子改造まで施して、ショッカー宜しくに涼しい顔をしておろう
なんと残忍で不届きな悪党共だろうか
そうは思わないかね‥ショッカーの諸君!‥



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2019年05月27日

【詩】意味なんて無い、用があるだけだ

↓3)向宜詠吟.2019/05/27...20190526...

「人生に意味はあるだろうか?」

否、意味なんて無い、用があるだけだ
もとい‥用があってこの世に居るのだろう


「転生に意味はあるだろうか?」

意味なんて無い、用を見出しているだけだ
見出したから、生まれちまって居るわけだよ
用が無いと心底思ってたら、そこそこで果ててるだろうよ

とにかく‥残念にも転生に意味なんて無いからね


「核実験に意味はあっただろうか?」

意味はあっただろう、しかし用なんて無い
核分裂と言う奴が如何なる代物なのか‥そりゃ科学者の好奇心は募っただろう
やらかしたのが「軍の統制」もとい「資本の要請」にあったにせよ
知りたいと思うヒトの好奇心に蓋はできない
誰だって知りたいと思うのが本音だ

だが、それが危険極まりない代物だとの確認が果たされたなら、もはや用は無い
用があったとすれば、それは資本の回収が大筋だろうよ
(そりゃ回収したくなる仕組みにしかなっていないからね)

‥用は無いけど、お互いに脅しには使えるなどと考える輩にも用は無いと思うが
意味はあったとするのがここでの見解だ


「人類の性能テストに意味はあっただろうか?」

意味はあっただろう、しかし用に及ぶほどに無いらしい
用ができたなら、実験者や計画者側からの転生があってもおかしくない
用ができるほどの細かい点までを知り尽くしたいと思ったなら、そりゃ降りてるかも知れないが
そういう筋の話は、都合もあるだろうからなかなか明らかにされることがない

つまり

テストや試験に意味を見いだす側という奴は、至って見ている側である
現場担当になるほどの用を感じ得ないのが概ねの気質に思われる

されど、テストを行うには、テストに用を見出す存在がいないことには始まらないのである

しかしそもそものそれは
どのような用だったかの記憶を失って
なお実行できるかどうかなんてテスト用件を含んでいるわけだから
用があったことなど、とんと知らんのが通常だ

多くが別の用を見出して、生きることを凌いでいるのが実際だろう

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2019年05月22日

【詩】笑顔下克上

↓2)向宜詠吟.2019/05/20


テレビの中の人たちは常に笑っている
テレビの向こう側には、常にわくわくした世界が有るものとして誘われる


「でもそれは本当だろうか?」


世界はいつもドロドロの小競り合いだし
経済はいつだって不景気におびえているし
政治からして格差の保障しか創造できちゃいないし

そもそものテレビの画面の世界からして、出演できるかできないかの下克上である

そうだ‥自由×正義とは、暮らしの成り行きを賭けた抗争である

それの割合の多い日常を
さも問題なさげに覆い隠さんばかりの笑顔は、本当に素敵と言えるのだろうか?
どうにも怪しいじゃないか


‥前向きかも知れない
‥でも勝ち嗤っているだけかも知れない
玉石混交にキャラクターが居て自由とばかりに誇らしげでも
中にはとても筋違いな‥「失言」なり「炎上」という魔物が雑ざっていたりする

どうしてそんなにも雑ざってるんだよ
そもそもの自由の方向性をその程度にしか解釈していないからだろう‥

別に「完璧にあれ」とは誰も思っちゃいやしない
わざわざ「余計なことを言うな」とした空気に酔いたいだけのところがある
それはそれで、無知なままに自惚れていたいだけにあるのだろう‥


‥だが、それら魔物を否定する感覚こそは
自由の前に「尊重」があるべきであり、自由が一番には成り得ないとした「同意」ゆえなのだっ


そもそもは、笑顔がないのでは始まらない


笑顔がない事で、息が詰まるし、何事にもモチベーションが上がらないわけだけれども
テレビの向こうの世界とこちらの世界には
テレビを遠ざけたくなるきっかけとしては、十分すぎるほどの隔たりが有る

‥そうだ、この世の‥もといテレビの笑顔ほど曲者もない‥

でも誰しもは笑顔に飢えている
テレビの受け売りだろうと、手にしてみたい欲求に誘われる


だからこその主張が、テレビに見られる象徴としての華やかさと云うことなのだろう
そして、それが象徴であればあるほどに真に受ける人も多い
(もとい、魔に魅入られるばかりだろう)
だからだろう‥誰しもは、世の中が素敵になることよりも自分が素敵になることを優先する
それが自由だと云わんばかりにである

それはそう

この世は人気取りゲームだから頑張らないと生きていけないと云わんばかりだ

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2019年04月14日

【詩】与え切るとは、待つことである

向宜詠吟.2019/04/14


「与え切るとは、待つことである」


あなたが賢さにうぬぼれたいと思っていたなら
どうしようもなくあなたの前でお馬鹿を演じて
どんぐりの背比べと思しき足らずな愚かさでさえ、賢く思い込ませて上げることである

‥では、彼の者はいつになったら、自らの思い込みに気が付くだろうか?
(実に骨の折れる待ち時間である事よ)


あなたが強さにうぬぼれたいと思ったらなら
どうしようもなくあなたの前でひ弱さを演じて
どんぐりの背比べと思しき足らずなムキムキでさえ、マッスルさを思い込ませて上げることである

‥では、彼の者はいつになったら、自らの思い込みに気が付くだろうか?
(実に骨の折れる待ち時間である事よ)


あなたが狡さに溺れていたいと思ったなら
どうしようもなくあなたの前で脆弱な世界を演じて
どんぐりの背比べと思しきイタチごっこでさえ、一時の興奮を思い込ませて上げることである

‥では、彼の者はいつになったら、自らの思い込みに気が付くだろうか?
(実に骨の折れる待ち時間である事よ)



主よ、あなたが本当に正者たる存在なら、わたくしに忍耐をお与えくださることでしょう
主よ、あなたが本当に公平たる存在なら、皆の者に忍耐をお与えくださることでしょう
主よ、あなたが本当は腹黒いだけの存在なら、皆の者に不道徳をけしかけるばかりでしょう


‥どちらにせよ、主は傍観者に過ぎない
主の待ち時間はそれこそ永遠である
傍観者の気まぐれを真に受けている内は、汝に誠の神の宿ることは無い

それは即ち、他人の目を気にせず 且つ 配慮する至遊(じゆう)を理解することである

ならばこそ、「待つところが無い」とした感覚は、ヒトとして自然体とは言い難い‥と言えようか


‥くだけた言い方をするなら
「待つ気持ちを破いた恋など、どうしようもなく腐っている」
とでも付け足しておこう



> うた詠み終わります、ありがとうございました。




posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:04 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする