2023年09月05日

【詩】運否天賦

↓4)向宜詠吟.2023/09/05

「世界とは私である」と言えるなら
「運否天賦とは私である」とも言えるだろう。

それが、些細なチャンスを引き寄せる事であれ
それが、戦場から無傷で帰還することであれ
それが、椅子取り競争で椅子に座り続けることであれ

選ぶ場所とタイミングを違えなければ、そういう事も成り立とう。
だが、一般にヒトは、三つの思いこみとした運否天賦の狭間に溺れるのだ。


まず、ドッチボールを例に挙げてみよう。
そのとき、一番に単純な運否天賦とは、ボールに当たらないことだ。

それには、ボールを取ろうとしないことが第一だ。
だが、ボールを取ろうとしないのは、ドッチボールに参加していることには成らない。
だから、無理にボールを取りに行こうとするものだ。
すると途端に、ボールを取りこぼすとした確率が発生する。

とはいえ、何ごとも無く過ごせればそれで良いだけなら
「取りに行かない」とした運否天賦も有りである。そういう運否天賦もあるのだ。


だが、大抵の者らは、その基本を失うのだ。
(今一度確認しよう。運否天賦とは私である。私の望んだ形がそこに現れる。)


次に、大抵の者らが思う運否天賦がある。
それこそ、戦って傷付いたとて、一命を取り留めて生還するとした流れが其れだ。

だがそれもまた、ドッチボールをして遊ぼうとしているのと同じだ。
「赤紙で召集されたからには勝って帰らなければならない」とした思考の中を彷徨うてある。
それは必然的に、何ごとも無く過ごせればそれで良いなどとは、程遠く、思考も気持ちも溺れている。

だから、成り行きに対して願っている形が誰だろうと曖昧で貧弱だ。

それはもう、経済とした日々の奮闘奮戦がそうだ。
誰かの犠牲を余儀なくしたとて、勝ちにこだわる渦の中だ。


結果的に、何かを失うことを捧げてしまっているようなオチが、始めから付いて回るのだ。
(今一度確認しよう。運否天賦とは私である。すべては私の望んでしまった結果だ。)


さらに、勝ちに特化した自惚れた其れを運否天賦などと思い込んでいたりするものだ。
伝統だからとか、加護があるからだとか、諸々と優勢だから‥などなど‥
ついつい、自らのモチベーションを上げんとして調子に乗りすぎるお門違いだ。

競争をして相手を追い落とそうとしているのに、そんなの関係ねぇとしてリセットができない脳だ。

そもそもは、「戦うからには絶対に勝ちたい」とした願いから運否天賦が発生するというのに
勢い余って、自分らこそを有位に思い込んでしまう‥不思議がそこに起こるのだ。

ここまでともなると、それはもう、願いと言うよりは、呪いの類だ。
確かに‥多少なりとも洗脳とした部分は見られるのだから
勢い余って自らをも呪ってしまうのだろう。

そんな指揮官を戴いてしまっては、もはや運否天賦も糞も無い。(残念)
だが不思議と、そこまでの状態に陥っていると‥組織を疑わずに戴いてしまっている情勢だ。
(バンザイ突撃みたいな‥バンザイクリフみたいな‥ブースト接種みたいな‥)

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2023年08月29日

【詩】天上天下唯我独尊

↓1)向宜詠吟.2023/08/29

世界とは私である。
だがその世界とて、不思議と派閥で構成されてある。


私以外にも存在が居るというのに、それもすべて私にあるのだ。
目の前に広がる「生老病死」たる苦しみのすべても‥私が創り出していた有り様だった‥

それが、「世界と私が繋がってある」というなんという無常、無情、無上‥

なんという無力、なんという非力、なんという傲慢‥
私は、それすら理解できずに救いを求めてきた。否、理想たる世界を求め問うてあった‥

私が私を意識する私たる世界において、私を救えるのは私のみであった‥
そこでは、私の心のみが比重を占めてある。
他者の介在など見えているだけで、無いも同然だ‥
私から他者を救い得るかと問えども、できることは私自身を私がどうにかする所からのみ始まろう‥


その証拠に、誰の声も、誰の汗も一時を生かしはすれど、私の今を、永遠を、満たす所には届かない。
それは私に、「世界とは私である」とした実感が伴っていないからだ。

ならばこそ、私から怠惰を好むばかりなら、世界は怠惰を成し遂げんばかりだろう。
ならばこそ、私から正義を始めぬ限り、世界が真っ直ぐに成るわけがない。

なんという果てしなき道のりだろうや‥
さてさて、本当の意味で、私は、何を正しさとして望んでいたのだろうや‥

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2023年07月25日

【詩】変身とお笑いは双子の関係?

向宜詠吟.2023/07/25

変身したい気持ちとは、行き詰まりたい気持ちでもある。
でも、誰も、行き詰まりたいだなんて思っちゃいない。

これは、とても不思議で不自然な釣り合いなのだ。

変身したければ
否、変身したいからこそ
行き詰まらざるを得ぬ道を歩むのだ‥

それこそが変身願望とした辻褄と言えよう。
ゆえに、あなたが変身を望むなら、問答無用で‥行き詰まりを引き寄せる‥


ならば問え、その変身の先に何を望むのか?
それはそのままに力の使い方を意味する。


力こそ正義を翳して進むなら、その変身の先にも更なる闘争が待っていよう。
あなたの力の使い方がそうでしかないのだから‥
努力をし続けたいわけでも無いのに、力こそ正義を翳しているなら
それはもう行き詰まるばかりだろう。

ならば、更なる変身が期待できるのか?‥否、自ら鍛えるとする意思を欠いて次の変身も糞も無し。
其は単に、怠惰への変貌だ。自らが自らに期待してきた変身では無い。


ならばどうする?‥笑ってごまかすのか‥


然様、そういう力の使い方もある。
どのような如何なる時にも、笑い飛ばせる力こそ、大変に稀少で希有なよすがだ。

そこに努力が求められるとするなら
恐怖に呑み込まれずに、笑いのツボを見つけ出さんとする確固たる信念のあったればこそだ。
他者の迷いをほぐし、前向きに誘うことができる。

行き詰まりを遠ざけるかのようなそれは、まさに理想的な変身に見える。


だがしかし、お笑いは、依存症とした行き詰まりを連れてくる。
ならば、お笑いは、始めから手頃に行き詰まっている姿にも見えてこよう。


手頃にボケていなければ、ツッコミなんてやって来ない。
されど、ツッコんで勝ち誇ったままでは誰にも届かない。

ツッコミがボケに、ボケがツッコミに千変万化していく様がお笑いには見え隠れしている‥
ならば、そういう柔らかい思考を心掛けるべきであろう。


あなたが変身を望むのは、毎日を笑い飛ばしたいからだ。


笑い飛ばす為にも、あなた自身がより深く柔らかくなる必要がある。
結果、毎日に一つのお笑いのツボの発見は、変身し続けている何よりの証しとなるだろう。



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2023年06月09日

【作詞作曲】それが、ぼくだから

いつまでも忘れられないよ
ぼくがすごしたあの頃を

歩けば走り出していた
あの笑顔、あのはしゃぎ声

目を閉じて想いあふれても
おぼろげにしか思い出せないまま

もう一度すごしてみたい
ただそれだけの癒やせないきずあと、消えないぬくもり



※ 著生が××したアレでせこせこ頑張ってみた曲なんですが、伴奏やら編曲やら想像も付かん
sore_ga_boku_dakara_ver20121023.vsqx
まぁ付けてみたい方は、遠慮なく付けてみてくれたまえ

(他の持ちネタでも挑戦してみようとしたのだが、イメージで許容できるのがこれだけだったん)
(まぁお試しの範囲って奴ッスよね)



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2023年05月30日

【押忍】美しき明日への十ヶ条

向宜詠唱.2023/05/30


一、今日も宇宙の最先端、我は宇宙の開拓者、ここはトラブル地獄一丁目、我こそ無慈悲の大魔王

一、「おはよう太陽」我が憧れ、我が仇敵、貴様の影になんぞ甘んじるまじ

一、腹が減っては戦はできぬ、ならば喰らわん我が為に ── 創造に臆する所あらば朽ちるのみ

一、我は美食家、毒舌家、褒めて堕とすがフルコース ── 満たされたなどと立ち止まるなかれ


一、我こそ美なり、美然なり、果てに望むも超絶絶佳の諸行無常


一、清き晩こそ月に吼えよ「貴様如きに遅れなどとるまじ」── この世の深き闇まで我が求道

一、強さとはなんぞや、即ち「答え」なり ── 即答、能わずんば的を射ず

一、愚かさを知らずんば賢きこと能わず ── ならば驕るな、隔てなく学べ・尊べ・喰らい尽くせ

一、馬鹿を導くことのなんと骨の折れよう、ならば義奸をかませ、なんと勝手に馬脚あらわさむ


一、ひれ伏すや軽き、ひれ伏さざるや畏怖、どちらが羨ましくあるかなど明白なり


※明日(あす),一(ひとつ),軽き(かろき)


> 発唱終わります、ありがとうございました



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2023年04月24日

【詩】僕と君、僕ら君らの間にある断層

向宜詠吟.2023/04/24

僕と君の間には断層がある
僕ら君らの間には断層がある

否、僕と君、僕ら君らの関係性こそが、断層との向かい合いだった
そのように宿命付けられていたかのような断層とも云える何かだった

その手の断層に気がつくことを以て、私たちには自我が在るのだと示したのだろう

そしてなぜか傷付いている‥とても不思議なことだ
(次の瞬間には「なぜ断層は有るのか?」を不特定な自我に問い掛けても居よう)
(さらに断層を否定して「無い方が良い」と叫んでもいるのだ)


‥お陰で
誰だろうと「愛」とした響きと向かい合う時
断層の高さをずらさむとして平たく戻しするよりは
造成工事のように、うわべだけミンチに混ぜ合わせることこそが「愛」と言いたげだ‥

でもそんなミンチな融合を愛だなんて思うのは勘違いも甚だしい

僕と君の右半分と左半分とを分けあって引っ付けたような合体なら
まだまだ僕と君とした形を残していそうではある
上半身と下半身の上下交換としたヘンタイ的な交換のそれでも、残そう意図は見られるかも知れない

でも、どんどん細かくしてしまえば、元の形なんてどこにも無くなろう
そんな状態ともなると、どんどんミンチな方向になってゆく
何でもかんでもグチャマゼの料理に、万人受けするほどの魅力が伴わないように
ミンチな融合方向に、愛なんてあったもんじゃない
(世界中でインスタ映えとはこういう方向と解したら、全部クローンに見え出すみたいな)


‥ならば
私たちが平和を理想として国境を廃し
民族交流とした効率・能率・利便性の追求の結果
ハードからソフトのグチャマゼとした均一性‥つまり統一化を好しとしたとて
つまりは飽きてしまうから新しさを求めることになる

時にはレトロな扱いをしつつ持ち上げたりもしているではないかッ

つまりは国境を廃したからとて、永遠に親善感情を満たせるものではないのも道理だろう
(王族同士で親戚になったからとて、派閥に分かれて骨肉の争いをやらかす人らなら尚更だ)
(所詮は、ハードやらソフトの統一後の経過と同質なのだよ)
(なぜか、諸々としたやりたがりからの問題事象の発生が止まらない)



だから、こう考えざるを得ないのだ


僕と君とが、僕ら君らとが
断層として向かい合う時、そこには、何かが湧き出てくる

そうだ、其を「断層流」とした風なり水に見立てるとしよう

その湧いてきた風なり水の質とやらが
通常と違っていて良質に思えたなら、そりゃまぁ一緒に居てみるのもありかもね‥と思うにせよ
湧いてこなくなったらその関係はお終いって事にもなる

それな「非日常」を

‥お終いにしたくないから、事前的にミンチレベルにて個々に確認を求め合うようになった
(質がお高い同士なら、質もお高くなるに違いない‥どうにも監視社会趣向だった‥)
(私たちが科学とやらに触発されて、ちょっとは賢く見えたとて、その辺はとても脆い)

‥そしてこうにも、尊重し合うようになった
‥出会い頭に何も湧いてこないなら‥何の価値も無い‥(利得上等)
(ゆえに初対面での印象だけは外せないみたいな)



さて、折り返して思慮してみよう
枯れてしまったどうしようもなさにしがみついて‥
それで、毒しか噴き出さない反転が起きてしまっているのなら
他者との関係においても変化があるはずだ‥そうは思えないだろうか?


(そう考えてみるのも有りに思うわけである)


‥でも不思議なことに
お互いに「愛」という鎖やら「思い出」に縛られて、其は裏切り行為だと言わんばかりなのだろう

だがいつまで其れを続けるというのだろうか?
そんなのは愛では無い、ただの「プライドバイアス」だった‥に果てかねないお粗末レースだ

昔に断層として得られた歓びは、断層流とした甘美で得られたそれは‥たまたま‥だった
そうだ、所詮はたまたまだったのだろう

そのたまたまに縛られているのは、本来的(自然体)とはとても思えない
そこで止まっていては、所有行為・搾取行為とした目的性へと依存性へと色褪せていくだけだ

ならばこそと切り替えはやく
湧いてこなくなったら来なくなった勢いで‥破綻ありき偏見ありきにもあった
そちらのほうが賢いとしたあざとさをも見せてきた
(私たちの国家交流にしたって、未だその範疇だ)


だがしかし、私たちの多くは、所詮プライドバイアスがゆえに
格を落としたくないとばかりで‥位階に縛られた如しだ
右から左を選ぼうと、左から右を選ぼうと、本当の意味で次を選べてなど居ないのだ
(それこそ、非日常とした‥たまたまには程遠い)


‥多様性とした愛許を問うなら
プライドバイアスとした鎖で縛り合うことになんら意味など無い

この断層流が一番に甘美で俺のモノだ‥俺のモノにしたい‥等の考えを競い合う方が危うし
そのような獲得上等に、競争上等に、愛も自由もどこにも無し(そう考えるべきだった)


向かい合っても、何ら湧いてこなくなったのなら、距離を置くのは心理なのだからまぁしょうがない
距離を置くだけで済むはずなのに、揚げ足取り大会と化する世界と言う奴は、どうにも謎めいている
(そもそもが人権云々にかこつけた訴訟ありきだからなあ)

(秘密をばらされたくないバイアスを武器にしてしまえる心理世界ともなれば尚更に危うし)
(自らの失敗やら損失を恥じて隠さんとして「始末(改ざん)してしまおう」だなんて危うすぎる)
(弱みを握って強請り盗ろうとか‥まぁそういう類の断層流たる悦も居るのだろうけれど)



> うた詠み終わります、ありがとうございました



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2022年11月30日

【詩】不可解や意気投合を追いかけり

向宜詠吟.2022/11/30


人はなぜ幸せを追い求めるのだろう?
とにかく不思議だ

人はなぜ意気投合を求めて彷徨うのだろう?
とにかく不思議だ

人の命はどこに行くのだろう?
所詮、一期一会ではないかッ


‥不老不死の側が、編みだした永遠性への挑戦が「人間」としたテーマだから
‥不労不死の側は、なんだかんだと「繋がりの積極性」を推して在る

なぜなら、そもそもの人が、感情エネルギーの発電装置だというわけで
繋がりを求めてこそ、その発電能力を発揮するようにできているという


‥だがしかし、どうか
そこに見られるのは、必ずしも正しさばかりでは無い、正しさに向かっていく道ばかりでも無い

人と人との繋がりが、エネルギーのきっかけだというのなら
貰うばかりの頭の上がらない人生もあれば、奪われてばかりの残念な人生も在るわけである

まぁ持ちつ持たれつなわけだから
総じてマイナスにならない限り、辛い事なんてへっちゃらなはずなんだろうけど
現実は、奪い合う上等論理が展開されており、皆でくびったけをやらかしていたりする

「そりゃもう、パネェし、あり得ねぇよ」


だからだろう
誰しもは、意気投合を求めて追いかけるようになった

ひとり影法師を追いかけているそこには何も無いのにな
追いかけているだけの姿は、それこそ虚無だ、何も無い

何も発電していないから、ただ普通に飢えている
なぜか、そこでは、すべてがどんぐりの背比べにしか映らない

しかし、どこかに入り込めば良いと言われても
意気投合できそうなモチベーションは湧いてこない
まぁやはり、どんぐりの背比べに映ってしまうという事自体が無理なのだろう

それは、向こうから見ても同じだろう
発電していない奴なんか、おかしみも面白みも無いとして捨ておかれるだけだ

だって奪い合い上等の世界になんか、参加しろ言われても無理ッスもん


まぁ仕方がない、乾いたままというのも不老不死とした永遠の狭間には出くわすものさ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


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2022年09月28日

【詩】正しく絶望してこそ腑に落ちることもある

向宜詠吟.2022/09/28


人生なんてつまんないもんだろう、一人で生きているわけでは無いからな
腹黒い奴に当たらないようにしていても当たっちまうわけだし
それでなくても、腹黒い奴らが上に居るってだけで行き詰まるものがある

そもそものそいつらが、競争と粋がってインチキ上等とばかりに
てめえらで作ったルールを守らず、裏をかくのを才能だとか能力だとかと誇ってやがる

インチキ諸々を、バレなきゃ悪いことしているうちに入らねぇなどと
思ってやがるクソッタレばっかりだ
バレても裁く奴が味方だからと大丈夫って確信犯なら尚更だな

そうなると今度は、おこぼれにあやかりたい輩が何かと増えだしてどうしようもねぇ

そんな腹黒い奴らの本質は、犯罪の自由の謳歌だ
もとい、責任転嫁という冤罪をでっちあげる自由の謳歌だ
そういうのを、本当に自由だと思っているからこそ、腹黒いわけなんだけどな




人生なんか危ういばかりだろう、足元からして動いているわけだからな
唐突に襲われないようにしていても襲われちまうわけだし
それでなくても、世界は常に飢えており、満たされるところが無い

そもそもの「飢え」ってのをやっつける前段階で、「格上の飢え」に辿り着いちまうわけで
いつまで経っても「格下の飢え」は退治されずに、放置されっぱだ

唐突に発見された何かが「格上の飢え」を呼び覚まし
「格下の飢え」退治を投げ出して、唐突として方針転換をやり始める
便利で儲かると思い出したらもう止まらねぇ、影響力が絶大ともなれば、未来が書き換わる程だ

これはもう、掃除やら後片付けの下手くそな奴らのパターンで、糞どうしようもねぇ

結果的に解決力が身に付いていないフラクタル構造って事だから、どこもかしこも失敗沙汰よ
そりゃもう地球が終わっちまうんじゃないかって落ちにもなるってもんさね




そんなこんなだから、普通に考えても、生きているなんて絶望の限りだろう
そんな絶望の限りを耐え切ってる輩だけが、ヘラヘラと希望を携えちまってるってだけの話だ

なのに、耐え切ったこともねぇ奴に限って、夢だ光だ愛だなどという薄っぺらな希望を吐きやがる

でも勘違いしちゃいけねぇ、それらは、まっ黒い世界やら焼け野原から這い上がるって事じゃねぇ
絶望から生き抜くってのは、日々淡々と何やらやらかしたい気持ちを積み重ねて
何らかの形にすることの繰り返しがあるってだけの話だ
それをまずは、てめえの気持ちで温めて、てめえの手で取り組めって話だ


‥ふんぞり返っていたり、諦めきっていたりと
‥何もしないでいて、何もできなくなってる暮らし向きとか、全然ダメ
‥マンネリばかりで、新たな試みを取り入れてやっていないってのもダメ
‥新たな試みをネタに、上から目線やら追っかけばかりで、骨やら筋を通してないってのもダメ


何をどう理解したんだか、履き違えて、手っ取り早く楽して進もうと
他人を当てにしてばかりなら、気がつきゃ、まっ黒い世界に踏み込んでいるわけだよ

だってお前らの踏み込んでる世界は、勝ってなんぼのインチキありきの競争狂いなんだからなあ

その手のキチガイ亡者な勝ち組どもを見て
「隣の芝生は青い」とばかりに推しまくり、有り難がっちまうんだから、万病奇病の類だぜ

桁外れに儲かるって、お互いの中に偏りがある形だって判らねぇんだからどうしようもねぇ
そんな「偏り」に憧れる連中ばかり居る世界には、平和も公平も健全も育ちゃしねぇのさ




まずは、「偏らないって何ですか?」って視点で以て、絶望して見るべし


真面目にやりゃ、始めに、己が偏っている事実への「恥」が湧き起こるところとなり
その次に、それら奥行きへの知的好奇心やら向上心がポツポツと芽生え
その次に、自他の差に対する好奇心やら、向上心やらを培うところとなり
いつの間にやら壁にぶち当たっており


「偏り」の何たるかを知らずして、達人の域に、辿り着けぬ奥深さを思い知るのだ


‥その時に、汝の思い描く高みへの欲求なんざ誰も知ったこっちゃないのさ
‥腐らないってことも、偏らないって内訳の一つなわけだが
‥その手の絶望感を積み上げろって話でもあるな

(誉められて伸びるタイプなんざ糞にしか見えてこない世界がそこに在る)

‥まぁ尤も、適切に教えるのが下手な口なら、適切に誉めるのも下手な口でもあるわけだから
‥それはそれで偏っておる、その手の絶望感の積み上げを要求されておるような話だ
‥そんなこんなで、真面目に観察するほどに絶望感も肥大化してしまうわけで
‥正しく耐え切るのも大変になるわけである


‥普通は、耐えきれずに暴走するにせよ、それらを責めることなどできないと思えるか否かでもある
‥だからとて、叱り方も諭し方も疎いようなら偏っているわけであるな

(それはそれで、スルーすることもままならない絶海の孤島に立たされて在る思いありきよ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年08月18日

【詩】「人生来たー!」ってどんなだよォ!””

向宜詠吟.2022/08/18


人生なんかつまんねーッッ!””

「人生来たー!」ってどんなだよォ!””

俺が知ってるのはなァ!””
「面白いネタ来たー!」って脳内満足だけだ!””


(俺の人生そのものは、白紙のまんまだぞォ!””)


現実世界なんかなぁ、まず、空気が不味い!""
排気ガスなんか大嫌いだッ!””

女にしたってな、シャンプー臭えんだよ!””、化粧臭ぇんだよ!””
石油原料を身に纏って気持ちわりぃったらね!””

(着てる物にしたって、今や、その多くは、プラスチックなんだからなぁ!””)
(&洗剤臭えよ、こっちくんな!)


食うもんにしたってなぁ、何が入ってるのかまるで判らねぇ化学成分ばっかじゃねぇか!””
それらにしたって、原料の多くは石油なんだろうが!””
安全性もクソもねぇ、毒食らってどっちが耐久性高いかの実験の日々だろうが!””


煙草にしたってな、意味不明の化学成分漬けじゃねぇか!””
そんなもん横で吹かされて、会話なんかしたかねぇんだよ!””(こっちくんな!””)

ゴミを平気で散らかす兵器な奴らとニコニコ仕事なんかできるかァ!""
企業産廃の多くがそれだろうがッ!””(巻き込むんじゃねぇ!””)
工場排気の多くがそれだろうがッ!””(お前らの幸福感なんか臭えんだよ!””)


お前ら、鼻の利く差ってのを考えたことあんのかよ!””
動物に例えたらなぁ、逃げるしかねぇだろうが!””
どこに逃げりゃ良いんだよ!””


空気が不味いだけで、人生なんかつまんねーんだよォ!”””
(毎日毎日、拷問されてるのと同じなんだよォ!””)
(そんな輩と付き合いたいと思えるわけねぇっつうの!”””)



> うた詠み終わります、どうもすみませんでした。m(_ _)m


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2022年08月02日

【詩】楽しいとは何だろうか?

向宜詠吟.2022/08/02

楽しいとは何だろうか?

何の気兼ね無しに甘いお菓子を食べられることだろうか?
何の気兼ね無しに甘えられることだろうか?

だが、幼少の頃に感じられたそれらにしても
大人に近づくにつれて、おぼろげだった事柄が突きつけられてハッキリとする


それらすべては、奪い合いの果ての果実だったと‥


‥陰キャなら、自分の好むところの物語に浸ることでも満足できるかも知れない
‥陽キャなら、現実として手に入れられないのなら、どうしたって我慢ならないのだろう

だが、どちらにしても
果実を得られないのなら、楽しくなれないとした病気なのだよ

それが、私たち人間とした世界の「楽しい」とした症状らしい
果たしてそれら現実は、どこまで楽しいのだろうか?


貴方は未だ、感情としての楽しいを味わおうとしているかも知れない
だが現実は違う、楽しいとした欲求には、奪い合いが付きまとう
其を選択支の多様化、選択支の淘汰などと呼び変えたとて
「楽しい」は症状の一つでしかない

(貴方が、善と悪とした概念‥もとい恐怖に囚われ続ける限り)



貴方が望んだ現実がある、それらを手に入れられることは楽しいことだろうか?

貴方が手に入れられたにせよ、手に届かなかったにせよ
貴方が望んだ現実は決して静止してはいない
静止せざる想念の揺らめきの中を、常に掻い潜ろうとしてある

望むと望まざると、勝手に勝敗を決してしまうと言っても過言ではない
すでに勝敗が決まってしまうばかりなら、敗者は常に願いが叶わない
なんという理不尽な世界だろうや‥


ならば、勝利を譲って貰うかね?

では、実際的に、どのようにお願いしてあるのだろうか?
それが可能にあらねば、貴方は楽しいとした概念を理解できずに
永遠の転生を転がるハメにだってなるのだ
それはそう、人形かロボットか使い捨てられる奴隷のように


ならば、正そう
楽しいとは、譲られるところにこそ得られる症状だったと


だがしかし、譲られてばかり居ても屈辱だとは思わないだろうか?
そうだ、幼少の頃は、譲られてばかり居ても気にならなかったそれらが
大人になるにつれて、残念な姿に映り出す

それは、譲られ方の問題ではない、敗れ方の問題なのだ

どのようにして敗れれば納得できるのか?
これは、どのようにして勝てれば納得できるかよりも、慎ましく悩ましき問題なのだよ

自在に納得できる敗れ方を提案できる
これこそが本当の意味での「楽しいの達人」なのだ
それは即ち、自分の勝ちたいどころを十分に心得ている御仁とも言えるのだ

(いやいやいや、心許せる友人が多いとした姿だろう)


ならば、正そう
貪るような楽しい願望、楽しい追究には、正義も勝利も敗北も微笑んではくれないのだと



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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