2022年08月02日

【詩】楽しいとは何だろうか?

向宜詠吟.2022/08/02

楽しいとは何だろうか?

何の気兼ね無しに甘いお菓子を食べられることだろうか?
何の気兼ね無しに甘えられることだろうか?

だが、幼少の頃に感じられたそれらにしても
大人に近づくにつれて、おぼろげだった事柄が突きつけられてハッキリとする


それらすべては、奪い合いの果ての果実だったと‥


‥陰キャなら、自分の好むところの物語に浸ることでも満足できるかも知れない
‥陽キャなら、現実として手に入れられないのなら、どうしたって我慢ならないのだろう

だが、どちらにしても
果実を得られないのなら、楽しくなれないとした病気なのだよ

それが、私たち人間とした世界の「楽しい」とした症状らしい
果たしてそれら現実は、どこまで楽しいのだろうか?


貴方は未だ、感情としての楽しいを味わおうとしているかも知れない
だが現実は違う、楽しいとした欲求には、奪い合いが付きまとう
其を選択支の多様化、選択支の淘汰などと呼び変えたとて
「楽しい」は症状の一つでしかない

(貴方が、善と悪とした概念‥もとい恐怖に囚われ続ける限り)



貴方が望んだ現実がある、それらを手に入れられることは楽しいことだろうか?

貴方が手に入れられたにせよ、手に届かなかったにせよ
貴方が望んだ現実は決して静止してはいない
静止せざる想念の揺らめきの中を、常に掻い潜ろうとしてある

望むと望まざると、勝手に勝敗を決してしまうと言っても過言ではない
すでに勝敗が決まってしまうばかりなら、敗者は常に願いが叶わない
なんという理不尽な世界だろうや‥


ならば、勝利を譲って貰うかね?

では、実際的に、どのようにお願いしてあるのだろうか?
それが可能にあらねば、貴方は楽しいとした概念を理解できずに
永遠の転生を転がるハメにだってなるのだ
それはそう、人形かロボットか使い捨てられる奴隷のように


ならば、正そう
楽しいとは、譲られるところにこそ得られる症状だったと


だがしかし、譲られてばかり居ても屈辱だとは思わないだろうか?
そうだ、幼少の頃は、譲られてばかり居ても気にならなかったそれらが
大人になるにつれて、残念な姿に映り出す

それは、譲られ方の問題ではない、敗れ方の問題なのだ

どのようにして敗れれば納得できるのか?
これは、どのようにして勝てれば納得できるかよりも、慎ましく悩ましき問題なのだよ

自在に納得できる敗れ方を提案できる
これこそが本当の意味での「楽しいの達人」なのだ
それは即ち、自分の勝ちたいどころを十分に心得ている御仁とも言えるのだ

(いやいやいや、心許せる友人が多いとした姿だろう)


ならば、正そう
貪るような楽しい願望、楽しい追究には、正義も勝利も敗北も微笑んではくれないのだと



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年05月16日

【詩】人生それも所詮は、只今実験中ですから

向宜詠吟.2022/05/16


この宇宙は、実験の最中にあり失敗続きだという
それってつまり、ラボの管理人は居るけど‥神は居ない‥

‥違う‥

宇宙そのものがラボなのだから、それに参加しちゃってるわたしもあなたもチャレンジャーだ
それも、飛びきりに物好きなチャレンジャーだ

実験をしに来たのであって、自分の実験に対して誰かからの評価なんて無意味だ
なぜなら、この宇宙での実験に尽きることなど無いはずだから


すべてを実験的視点で眺めたなら、誰かの実験に大した意味なんて無い
なぜなら、自分も含め、実験には失敗がつきものだからだ


無理に成功とした意味を持たせようとすると、なぜか途端に、わたしの実験が詰まらなくなる
わたしの実験には、わたしの試したい何かがあるだけで、それはとりとめないのだ
目指すべきにしたってとりとめないのだ

とりとめもなく中止も有り得るし、誰かの実験に注視せざるを得ない場合もある

誰かの実験に影響を受けるなんて事もあるだろうけど
その度に、とりとめもなさは、さらにとりとめもない方向に及ぶのだ


そんな中でも、一番人気にある実験は、「しあわせ」になることだという‥


家庭を築いて、命を育てるとした実験ということなのだろうけれど
ならば、食べる・食べられるにしたって‥実験の一部なのだろうけど

実験としてのテーマを持たずに、なんとなくだったりするのは詰まらない
それをマンネリというのだろうけど、人並みとも言うそうだけど

もはや、それを実験と呼ぶには、只の受け売りの再現性の証明をやろうってだけの話なのだから
思い立った端から、なんだか「自由」とは言えないテーマに見えてしまうのだ

どことなく‥言いつけられただけの宿題を、「愛」と叫んでいたりしてしまうのだ

宿題のすすみ具合が気になりだすと、途端に周りとの比較にいそしんでいたりする
それは、実験としても、観察としても、どこか私が無いままに流れ出す
この実験は、必ずしや成功させなければならない、否、常勝し続けなければならない
とかなんとかとした建前ばかりに気圧され出す


実験とはチャレンジであり、チャレンジャーであり続けるべき世界だ


なのに、成功し続けなければならないとなったら、只の生産者だよ
それだと‥生産の都合に適った出来映えを常に強いられてばかりになりがちだ


実験に対してチャレンジャーであり続けるには、失敗ありきを当たり前として構えるべき事だ
そういう意味では、確かに‥一神教において語られがちな全知全能の神など居らんのだ

ならば、幸福の創造などという奴は
実験としては、果たされるかどうかも怪しく‥困窮を窮めるテーマの一つにすぎない事になる
あなたに、成功するとした確証無き段階なら尚更だろう

一般的に成功できるはずだからとした思いこみやら、他人からのオススメに意味は無いのだ
そもそもからして、互いの条件は違うし、方向感も異なっている

なのに、大体において同じようになるはずだと思い込んだ‥結果想定は、実験姿勢には程遠い‥
「あんたさぁ、どれだけの手練れなの?、いつから神様なの?」
「ラボの管理人からして、失敗ありきが実験の当然なんだぜ‥」


そうだな、自分の実験を進めるためにも、誰かの受け売りに何の意味もない
自分自身にとってのアイデアを加えずして、実験を楽しんでいるとは言えないのだから


そもそもからして、この宇宙が実験室という事でしかないのなら‥もとい、でしかないのだから
実験室で誰かがやらかす失敗は日常茶飯事だし、最悪の形としてのラボ爆発も当然だ

そんなチャレンジ暮らしの中に、しあわせがあるとしたら

自分の実験を続けられるとした感謝とよろこびと
実験のネタが‥尽きることなく湧き続ける泉である事ぐらいだろう



実験だからこそ自由になれる
実験だからこそ、自分の必要を引き寄せることにもなる
そうでなかったとしたら、誰かの実験の素材にでもされてしまってあるのだろう

組織だった実験ともなると、不思議と結果成功を競い出したりするからな

実験比べの毎日なんて、それって、常在作業とした集中の要求だ‥
テーマに沿わないアイデアが湧いてきても、我慢しなければならないわけで
自分の隣で目を奪われるほどに注目沙汰があろうなら、自分の実験は手付かずになるわけで
そうになったら、競争なんて二の次になる

いつだって‥実験するのに出遅れなんかありはしない‥なのに
なぜか競争ともなると、出遅れがやって来て、競争は負け続きとのオチになる‥
自由に、実験を失敗する暇すら得られないなんて、なんて不遇だろうや

統計的にも、負けの方が大多数なのに、何をそんなにも大勢こんで踏ん張るのだろうか?

「あんたらさぁ、どれだけ結果のみに意固地なの?」
「失敗から得られるネタだって、十分に楽しめるアイデアの源泉なんだぜ」
「それを捨ておこうって何?」
「価値が無いと言わんばかりの競争欲の方こそを、捨ておくべきに思うけど‥」


‥人生それも所詮は、只今実験中ですから‥
私たちが望もうと望まざると、宇宙が実験中&失敗続きとしたシンクロこそが真実なのでーす
ならばもう、結果にこそ意味が無い‥のだと考えざるを得ないではないか‥
チャレンジャーにしかあれないのなら、アイデアの枯渇こそが死に相違あるまい
つまり、アイデアのGETこそが勝利とかなんとか‥(只ひたすらにそれだけだよ)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年05月05日

【詩】勝ち抜きたいのも守り抜きたいのも哲学でしかないので‥

向宜詠吟.2022/05/05

あなたは勝ち抜きたい派閥だろうか?
それとも、守り抜きたい派閥だろうか?

どちらにしても、それは哲学でしかない

なぜなら、あなたが足元にある大地を、惑星を、粉砕できるほどにパワーがすぎたなら
当然の成り行きで、守り切るしかないのだから、究極的に解はすでに出ている


他を当たれば良いとか、創り直せば良いとした科学力やら魔力があったにせよ
やり直すだけの時間と手間を考えたら、守り切った方が十分に安くつく


‥だが今や、勝ち抜きたい派閥願望の発展型こそ経済戦争に相違なく
投資したからには損をしたくない、ならばこそ勝ち抜かざるを得ないという事に成っている

ところが実際の戦争でそれをやり切ろうとすると
「最後の一兵になってでも戦い抜く」とした意気込みだ
それを相手にも強いるのだから、只の殺戮願望丸出しってだけの話にもなる

戦時には、「見上げた敢闘論」とされていたそれこそが、実は、キチガイ上等だったのだ

もし常日頃から、あなたの中に沸々として湧くほどの徹底交戦意欲があったとしたら
すでにそれは、守るとした意味を履き違えたキチガイ上等と化しているのだろう
見方を変えれば、あなたは敗れることへの恐怖に染まりきっているとも言えるだろう

その裏をさらに返せば、敵の強さを素直に讃えるとした器が無いとも言えるのだ

適切に強さを讃える器が無いからこそ、手段を問わぬ美学に魅入られるのかも知れないにせよ
強さを履き違えている状況に変わり無し、そんな頓珍漢に浸りがちなのも経済戦争だ

何はともあれ、経済においては、勝ち方ほどその手の症状に陥りやすい
(選手交代しても不景気、せずとも不景気‥ならば、もみ消しても丸く収まるとかなんとか)

即ち、勝ち抜こうとばかりしている経済社会に明日なんか無い
あなた方の哲学する自由は勝手だが、所詮は亡者の戯言だ


|勝ち抜かん投資はいつも地獄絵図 搾取ぞ絡む美酒と椅子
|守り抜かん仕事はいつも日々辛勝 かつかつだろうとありがとう



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年03月10日

【詩】青春とは

向宜詠吟.2022/03/10


青春とは、人の間にありて、生命と共に歩まんと欲して突き進む酷く残酷な爪とぎだったりする
青春とは、人の間にありて、始めて訪れる甘酸っぱい屈辱だったりする
青春とは、役に立たないとした内訳に用無しとした自覚をしぶしぶと噛みしめる自己問答ありきだ

人生における幸福の起点は、どうしようもなく食べることだろう
それはつまり、どうしようもないぐらいに狩りをするのが楽しくてしょうがないとした自惚れだ
その自惚れを自惚れのままに生きていると、容赦なくやって来るリバウンドもある

だが、不思議なことに、人の多くは、青春に斯様なるイメージを避けている
圧倒的に避けて、尚、不思議な合言葉を持ち込んでは仲良しが良いと謳っている
だが、上から目線の仲良し要求では無いにせよ、そこにもメリットを求めてはどうしようもない

毎日が楽しいとしたそもそもは、自ずから何かに打ち込む姿勢に始まるのに
なぜか、多くの者らは誰かにまとめて貰いたいとした要望が強くあるのも青春とした半端さだ

されど、若者はそれを挑戦としてしか受けとらない
否、挑戦になるように仕向けてあるのが社会だ
役に立たないとした内訳に、双方で睨み合いどうしようもない


だがしかし、「役に立つとは何か?」


人生は塞翁が馬と言われてあるのに、誰しもは、そこからの幸福観の先にも食べることを夢見る
そこに偏った価値観のままにあり続けようとするばかりで糞どうしようもない

そうだ、そもそもが狩りに起因してあるというのなら
狩りの下手な奴は、美味しい部位を食べられない
反対に、美味しい部位を得られる弓の名手は、分け与えることに自惚れるばかりだろう

だが一番にすばらしきは、獲物の豊かとした大地に湧く生命力にある

そうだ、ならば生命力に豊かな生き方をする者こそが‥つまりはそう「青春」だ‥
其を問わぬ青春になど、なんの魅力も無い



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2022年02月19日

【詩】ぼろ雑巾の心得

向宜詠吟.2022/02/19


雑巾こそは勇者である

毎日毎日、みすぼらしい姿に変わり果てつつ(満身創痍)
なんだかんだと見映えとしてイマイチなのに(老兵)
すっかりと片付けてしまっては、こちらが困るとばかりに

厨に食卓の上にと最前線に置かれてある
まさに、雑巾こそは勇者である

その評価は、三つ星料理長より上に讃えられるべき姿であり
終には、潔くポイ捨てされてしまう姿にしても
こちらの頭が下がるばかりで、向かう所敵無しに見える


まさに、雑巾こそが、勇者の中の勇者なのだった


三つ星料理長とて
まず一番に学ぶべきは、常に雑味を取り除くとした綺麗にする心掛けであり
美味しい素材の知識を覚えることでも、マージンに適うように腕を磨くことでもない
そもそもにして、綺麗にする心掛けに乏しき料理人など、澄んだスープづくりをやらない貌の如しだ

だがしかし、世の中にはぼろ雑巾に成り果てたいとした願望は低い
せいぜいが三つ星料理長止まりで満足げにある
そこまでを以て、幸福の創造などとイキがっている

その挙げ句の結果が、少子化だ(世界中でそうなっている)

まるで、ライバルは少ない方が良いとした本能を働かせて‥そうあるかのように
食卓に座る頭数が減り一人ともなれば、それだけ雑巾で拭くとした所作からして朧になりがちだ

そうではない、己を他人とした見立ての中にこそ、他者への気遣いを育む土壌があるのだ
そこには、ダラダラと贅を貪るとした欲を薄くして、おもてなしとした姿勢があるばかりだろう


その第一歩こそが「雑巾」なのである
そして、真の勇者たる結末としての潔く去るとした姿をも体現してあるのが「雑巾」なのだった


「つまり勇者とは、雑巾にて始まり、ぼろ雑巾にて終わる者らを指す」

─ 其に、至福を見出すか否かは貴方次第ッ!!! ─



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2021年04月17日

【詩】[破綻上等]以上[その恋愛、スルー上等]未満=[自己嫌悪]

向宜詠吟.2021/04/17


恋、それは魔法
恋、それは魔女
恋、それは魔物
恋、それは魔境

恋は、競争
恋は、早い者勝ち
恋は、奪(お)とした者勝ち

あなたがそう思って手に入れた恋人なら
其は瞬く間に綻びを見せ、憎悪に様変わる事でしょう

だって所詮‥奪い合いありきは、半分呪い懸かった憎悪ありきの形ですから‥
(世間はそれを嫉妬と野次り継ぐ)
(質違いの美貌などそのままに戦場だ、其のどこに慈愛が微笑むだろうや‥)
(世間はそのしあわせ模様を当てつけと野次り継ぐ)
(どうしてお前らだけが優遇されてあり続くだろうや‥)




夢見ていた恋が破綻する時
形はどうあれ、過剰なストレスに襲われるにしろ
多くはその手のストレス耐性とした概念を見落としたままに
ただただ興味本位に愛を思い込んでいただけだった自分に驚愕しています

ストレス耐性を先に獲得してた方が良かった‥などと誰も勧めないにしても
その手のストレス耐性とした身構え方には次のような理解が欠かせません


あなたが好きなものを手にするばかりしか選択してこなかったなら
当然の結果として、あとは飽きたら捨てるだけが流れです
それとも押し入れにしまっておいて、たまには取りだして愛でるコレクション入りでしょうか‥
それゆえに、嫌いとした衝動に駆られた時、そりゃもうゴミの如き扱いに及ぶのです

なら、嫌いなモノを好きになる訓練をしていたらどうだったでしょうか?
(あなた自身が壊れてしまう程に無理をする必要はありませんけどね)

でも多くは、そのような時間を費やす事に無駄だとした思考で停止します

なら、あなたが自己嫌悪に陥ったなら
あなたは、自分に対して同じパターンからの判断を下すはずです
一番に安易で手っ取り早い選択支が自死や投げだしです
(否定されたわけでもなく、ちょっとした注意や想定外などでその相手を毛嫌いしがちも入ります)
その次に取られる選択支は恥を忍んでの相談です


でも本質的に問うなら、それらその手の選択の多くが
あなた自身で、自分自身による自分との対峙を避けて通ろうとした反応に基づきます
あなたが素とした自分自身に価値を見出せないのに
どうして、ありとあらゆる嫌いな事柄への善転視野を発見できるというのでしょうや‥

つまり、自己嫌悪すら克服できていない者には、愛を語る資格などない
‥とした烙印を背負ったままに手に入れようとしていた姿がパターンだったと言う事です


ところが多くは、その様な時にこそ親身になってくれた者の「やさしさ」とやらを強調しがちです
まぁそれはそれですが、本質的には何ら学びを得るには至りません
(自身の失敗から学ぶべき気丈を得ずに、只得たいとした気持ちを所有欲とでも言うのでしょう)
そのようなことでは、あなたは自身による欠落を
只只、相手からの許しや誰かからの肯定で見たそうとしただけです
なんら自身による解決力(肯定力)を身に纏わぬままでは、又同じことの繰り返しです
(あまえる事で得られる力が在るとしたら、それは破綻力ということでしょう)




あなたがもしなんらかの肯定力を見出せたのなら
あなたの中で必要とする価値概念は随分と様変わりした事でしょう
其を「突然変異現象」と表現したとて過言ではありません

でもまだまだです
あなたは、あなたにとって必要とすべき価値概念を支える為の生き方を
まだまだ心得るに居たっていません
発見しただけです、入り口に立っただけの話です
そこからも‥またあなたは性懲りもなく同じことをやらかす事でしょう
なぜなら、好きな事を優先してしまうのは本能でもあるからです
あなたはこれから先も、この手の欠陥と向き合って、扱いこなす必要に迫られています

人はその様な日常を「人生」と称して、よろこびもすればあきらめもしています
あなたが人生を謳歌していると思える時、そこに在るのは、あなた独自の肯定力です
それは、一般常識な肯定観とは違っているので、選択支での解は様々で、完全一致などありえません
つまり、あなたの人生は、あなたの発見した肯定力に添った選択支の道を引き寄せてきます

ならば、肯定力に結びつかない段階で得られる恋愛など「破綻上等」だったに違いありません
そこに理解があったなら、わざわざ前面に押し出してまでやらかすエッチを望まないでしょう
「その恋愛、スルー上等」とした自分に置き換わっている事にいち早く気がついていて
それが普通なら、まわりのイチャイチャや色香に煽られる事も減るのです

そんなあなたが欲しているのは、あなたにとって必要とすべき価値概念を支える為の生き方です
あなたが其を見つけられていない段階で得られるパートナーなど
近くに居ようと居ないのに等しいだけで、まぁそういうものでしょう
(それは自分自身の本質や周りの本質を見誤っているような状態と同じですから)
(それは、私は私といつも一緒に居るのに、自分自身の事を深く知らないのと同じです)
(深く識らないのなら、それは、奥深き愛情とした扉など‥只只、言葉だけの範疇です)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2021年03月01日

【歌詞】君の名はプラスチック

向宜詠吟.2021/03/01

出会ったスピードでポイ捨てられて行く日々
生産したスピードですぎ去って逝く未来
どんな便利であったら好かったの
生分解性などと謳っていても、その実は、分子レベルまでばらけるだけの非分解性
どれだけ強固な分子構造なの
砕ければ砕ける程に目に見えなくなるだけの
ただそれだけで、呼吸から血管にまで入り込んでくる
壊れること無きデストロイヤー
君の名はプラスチック



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2021年02月23日

【詩】そこは牢獄だ

向宜詠吟.2021/02/23


一生懸命に恥ずかしいことなど一つも無い
だが、未熟は悶絶するほどに恥ずかしい

(未熟は悶絶するほどに恥ずかしい‥orz)
(未熟は悶絶するほどに恥ずかしい‥orz)
(未熟は悶絶するほどに恥ずかしい‥orz)

其を曖昧にしてしまう過当競争に向き合えるほど
おにぶで居られるモチベーションなど持ち合わせて居らぬ

それでも、恥に死にそうな毎日を頑張って頑張って
尚耐えて「おにぶで居れ」が世の中の声なら死んでいた方が良い


他者と競うことほど、愚かでちっぱいものは無い


競っていると思うなら、汝はちっぱいと思うべし
戦っていると思うなら、引き分けて人間ありきと思うべし
楽しみたいと願うなら、未熟も又汝の友と思うべし

勝ち誇って自惚れたいと願うなら、そこは牢獄だ



> うた詠み終わります、ありがとうございました



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2021年02月17日

【詩】とある天使の祈り

向宜詠吟.2021/02/17

その天使は孤独とした感情が不思議だった
そして、孤独の後に訪れる癒やしがお気に入りだった

だがその孤独も癒やしも次第に自分だけの枠に満足できなくなった

天使は次第に、他者の孤独とした感情に興味を抱き、それの成り行きを事細かに調べ始めた
それから、天使は自分に起きてきた癒やしこそ美学だと思うようになった
そしてお節介にも、他者にも我の美を与えんと思案するようになった


結果、その天使は芸術を創造した


できるだけ華やかに
できるだけ明るく
できるだけ喜ばしく
それは、ヒトとしての価値観を上書きせしめる勢いだった
そうで無いと言う事が、如何に非力で惨めで残念な有り様であるかを、裏返しで教え込んでいた

すると不思議なことに
ヒトは勝手に孤独を募らせて陰湿になった
耐えられぬ者らは、嫉み妬み怨みを募らせ
奪い合う事への正当性を賛美する始末だった

この結果に天使は閉口した
そして始めて気がついた

ヒトの孤独には、元から癒す力が無かったのだと
そして始めて自覚した
癒やしは自らに宿ってこそだということに

ヒトに教え込んた真善美とした芸術観はつまりとても稚拙だった
孤独も癒やしも何も、自分は唯ありのままを受け入れていただけだった
そこに価値観を持ち出した事自体が間違いだった
自分の孤独感と他者の孤独感には幾らかの違いがあり
それゆえに癒やし方にしても幾らかの違いがあってそれで良かった


そして、その天使は自分のやらかしてしまった事態に始めて気がついた

「私は何と愚かで非力だろう‥」


それからというもの、天使は唯、見守ると言う事だけに専念した
それからというもの、天使は常に誰かのために祈るようになった

「誰の孤独にも癒やしが宿りますように」



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2021年02月04日

【詩】道は、なぜ未だそこにあっただろうや?

向宜詠吟.2021/02/04


道は、なぜ未だそこにあっただろうや?

それはそこを往来する生きものが居たからに他ならない
人間を優先して、獣の往来を無くしてしまえば、けもの道など容易く消滅する
人の暮らしも同じで、往来を無くせば文化は消滅する
経済効率を優先して、店舗を無くしネット化すれば良いとした解釈は道を薄めるばかりだろう

ならば、人の暮らしも同じだ
私たる道を中途で閉ざせば、歩いてきた道は無くなる
私を介していた往来が止まるのだ
右に続けとしてきた同じことを、今更ながらに篩に掛けられている


その道の端と端を往き来できている者が少ないがゆえに
居たとしても伏せられがちであるが故に
必要と不必要の論は、いつだって各々の知った枠でしか述べられていない


今や資本主義に毒されている人類の多くは
同じ土地に住む人の為よりも、知らない海の向こうの知らない人の為に働いていたりする
地球は一つで、人類は繋がっているから同じことだとしても
細胞レベルで考えると、不可解しな事をやらかしているのは明らかだ

(もとい、富裕層の利益の為として働いているケースの方が太いだろう)

頭の細胞が心臓の細胞の為にできることは、頭の機能を正しく行うことで有り
心臓の細胞が頭の細胞の為にできることは、心臓の機能を正しく行うことで有り
それら身体の細胞の為にできることは、当人が正しく暮らすことである

だが今の時代、何を以て正しく生きていると言えるのかに、誰も解を持ち合わせていない

一人一人がその程度なら、国の程度も高が知れていて、さらに国際社会の程度も底が知れている
その国際社会の論こそ、利益の為でしかないのだ

.

それら恩恵を受ける為とした手立てはどうして成り立って来ただろうや?
どうしてそこに道ができただろうや?


やらかしていることは、上が下から吸い上げることであり
それの還元を公平にするわけでもなく、その道は一方通行のままどや顔をしている
其を機能させてきたのは、宗教に有りがちな本音と建前のすり替えの果ての人々の思い込みである

助けてくれるはずだからと、神を正義として信じ込んできた
ならば、助けてくれないお互い様の暮らしぶりはなんだ?
そこに神など居らぬ、もとい助け合わない分断があるだけだ
其を今まで神として崇めてきた、しきたりを守ってきたそれだけの話だ

其を護ってきた連中が居たというそれだけの話だ

それこそあなただよ、それこそお前だよ
誰だって足を踏み入れずには通れない暮らしぶりになっていた
そのような一方通行寄りの道だった

..

往来できる世界に階級は要らない
往来できる世界なら、面子もプライドも薄くて良い
文化の違いは当然で、郷に入っては郷に従えば好い
嫌なら出向かなければ好い
「身分云々×大枚云々」と‥おもてなしを要求するばかりの片寄りでは宜しくない
その土地のおもてなしの形が気に入らなければ出向かなければ好い
頑ななままで人気が無かろうと、それも一興だ
そうできない形に飼いならされてしまっているのも、資本主義による洗脳ゆえだ


あなたの道は従来の道とはずいぶんと違うかも知れない
されど、その道を歩もうとしない限り、そこに道が刻み込まれることは無い
宇宙に私を刻み込む‥刻み込んできたと言える皺や年輪のような痕跡を「道」と呼ぶのだ

それが誰の為であるかなど問う必要は無い
そこに道があることで導かれし者らの道に成るだけだ
続く者らが僅かだろうと皆無だろうと
宇宙に私を刻み込む気概を失っていては道など生まれやしないのだ

気概を失っている者らに魅力を感じ得ずもまた宇宙である
貴方もきっとそうに違いあるまいて

...

昔にあった一番に身近な道は家族だった、一族だった
それがこれからも人気があるかどうかなど、宇宙とて知らぬ

宇宙は何ら貴方の命運を握ってなどおらぬ
宇宙は誰彼に期待などこれっぽちもしていない
ただ興味半分にも、放りくべたりとやらかすことはある

宇宙だって手を抜くことは有る
宇宙だってここは外せないとした集中を発揮することもある
貴方もきっとそうに違いあるまいて


宇宙と貴方とに差を感じるとしたら、それは経験値の差だ
経験値による視野の差が圧倒的なら、貴方が道と思って頑張ってきたそれの見方も変わるだろう
だが宇宙はそれを無駄とは突っぱねない
呆れた顔で先行きがどうなるのかを楽しんでいる

‥貴方が道を楽しめていないのなら‥
貴方が道と決めてきた価値とシンクロしていないと言うそれだけのことだ
貴方が道を閉ざされたというのなら、見落としてきた何かを問われているばかりだろう

宇宙の支援が、私たちが思い描く好いこととした形ばかりにあるとは限らない
ぶっちゃけ、宇宙と私たちとは腐れ縁以外のなにものでもないのだよ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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