2016年06月26日

【詩】{用意されたままの楽園}={戦場}&一首

向宜詠吟.2016/06/26

西洋に伝わるところの神は、人間に楽園を与えた‥それこそが何も考えていない創世噺である
誰かに用意された楽園などたちまちの内に退屈になる‥それが人間だ
何が楽園にあるかは、自らが汗と思考を重ねて、積み上げていくもの‥東洋では其を道と説く
西洋の無神論は、人間をサルに貶め弱肉強食の正否性を申し誇ら'んばかりだ
弱肉強食を積み上げても生存し続ける確率は1%にも満たず‥「それでどうして種化できようか?」
西洋の科学観は、生命の根源を否定しつつも自らの手で其を自由にしたいと思う矛盾×キチガイだ
弱肉強食を支持したままに神たる原理だけを得ても、そこにあるのは戦場こそが楽園のくだらなさ‥
用意された楽園には飽きてしまうのに、用意された戦場にはご満悦とは‥キチガイばかりである
自由にしたいと思うからキチガイに染まるのだから、尚のこと自分を積み重ねたほうが近道である
自らを積み上げてこそ自立。自らが自由にならないという戦場、否、自らと向き合えばこそ楽園
西洋には積み上げて何かを得たいの価値観ばかり、積み上げてもただ生きるだけの価値に欠く


|万物の長を自負して問うならば、積み上げて頂きその堂々



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


語稚草

種化【しゅか】‥生命の種が種別の段階として枝分かれする事象。

種化する前提として、種の確保たるを維持するための規模数が求められる。
感染からの進化だったと仮定しても、それだけの変化に耐えた個体数が求められる。
さらに、その感染からのDNAの変質が、共に同質になるとした根拠はどこにも無い。
それら同質に無いであろう同士交わり、新しき形質(種化の前提)を保つにたる論証は未だ聞くに及ばず。
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2016年06月20日

【詩】内向きな笑顔、外向きな笑顔

向宜詠吟.2016/06/20

それは誰に向けられた笑顔だろう
その笑顔はどっちを向いているのだろう

いずれにしても、内向きか、外向きかのどちらかだが‥
‥否、そうじゃない

闇の中で微笑むとしたら
それは光の方を向いているはずだ、否、光だろう
内向きだろうと外向きだろうとそこに大した差など無し

されど、人はどうしてか外向きをもてはやす
それが光の性質だからだろうか?
同調を欲しているかのように
外向きに放たれた光を求め、追いかける‥



「光を求めることは、本当に光としての同調からだろうか?」

自らが光でも闇でも、さらなる闇から注目もされていよう
‥光であれば
闇の濃淡など気にするまい、それは照らした先にしか興味が無いからだ
その反対に、闇からは光がよく見えるのだ。そして光の強弱に敏感だ

光はのんきにも
闇の中での戸惑いなど知らずと
あからさまな状態をそのままに理解する
微笑むように‥視線の先が光線として照らされるばかりだろう

そしてわかったように
知ってることの区別から、あれこれと判断を下して言いよる‥

光がより強いのなら、より多くの闇が明らかにされるだろう
‥そのより多くの違いを知って、どうしようもなき発見浴に浸っているのが人間だ


しかし、闇からも注目されるのが光でもある。

闇に生くる者にとって、突然の光は、ありがたいだろうか?
そう思う者も居れば、そうではなく畏れる者も居るだろう

余計な存在など知らなければ、内向きの光でも十分に満足していられたのだ
どうしたって、光が差すことで、内向きは侵されて外を向かざるを得まい



「ならば問おう、満足であれば幸せと言えるだろうか?」

それはまた「外向きに輝けていられれば幸せと言えるだろうか?」との問いでもある‥
少なくとも、人には、外向きの方が圧倒的に人気が強い

‥そこに有るのは何だろうか?

本当のところは、光なんて闇からの旅人を呼び寄せるばかりだろう‥
それとも、より強い光からの注文・忠告・お節介と言えるだろうか‥
また、旅人であれば、もてなされたくて仕方がないという文化浴の延長線だろうか‥
より強い闇であれば、なんでこちらから良くしてやらなくてはならないのかとの愚痴だろうか‥


そんなちぐはぐこそが共鳴だというのなら

そんなちぐはぐな繋がりこそが‥
否否、ちぐはぐを選別することこそが極上のお楽しみと言いたげじゃないか
そんな面倒くさい選別をし合って、あれこれオモシロオカシク言い合うぐらいなら
‥始めから自分と向き合うのも同じだろう

自分と向き合うのは、始終の付き合いなのだ
それがもう、端から選別のしようがないほどにお気に入りなら
それはもう、笑いが止まらないと云うことだろう

そんな人をテンネンと思えども、闇などと云う輩もまた居るまい

それなのに、傲り高ぶるばかりの闇にしか見えなかったというのなら
それは見た人が、そう思った人が、否、お互いに
本当のところは、外向きの笑顔しか知らなかったという事なのだろう
それはそれで、自分と向き合って大笑いしたことが無いという告白にもなろうか‥
人として、それはそれで、勿体無い生き方をしていると思う



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:29 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年06月13日

【詩】完全性ゆえに次あり&一首

向宜詠吟.2016/06/13

失敗に気が付いて「やり直したい‥」と思うがゆえぞ完全性
完全さの本質を知らぬがゆえに、失敗を怖れて行わず、気がつかず
完璧さという思い込みと偏視野が自滅に追いやる
成功し続けるという無知 成功し続けたいと思う無知
前進の停滞は関わりの均衡から‥すべてに同一の成功例の当てはまるなど不能
正しさなど誰も識らぬ‥存在し続けて居る内はとりあえず善し
やり直しが完全性なら復活もまた然り 眠りもまた然り
滅びとは均衡の破綻 受け入れの破綻。関わりを蔑ろにして尚突き進むこと能わず
復活の支えにある次第こそ共生 遠慮したき次第こそ無力と拒絶
「やり直せるのか?」迷惑の程を思い入れば、仕切り直し・蟄居・退去の避けられず
先んじて頂きを踏んで退けば反旗を忍ぶに及ばず。頂きに住まう登山無し


|人気さを安きに請け負う社会ほど無知が前提の願い多し



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
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2016年06月12日

【詩】糞食らえ

向宜詠吟.2016/06/10

脱出を試みざるを得ず‥そこは監獄
何が平和だよ、ふざけんなよ
何が真価を問うだよ、ふざけんなや
何が自由だよ、ただの奪い合いだろうが‥
逃げ出したいなどと思い浮かんでくる時点で、どうにもならねぇ糞食らえだッ

そこに塀があろうと無かろうと

嵐の時代に生きていると知ったならまずは諦めろ
嵐の中で楽しめることなんかほとんどねぇ、耐え凌ぐだけだ

嵐を倒せると思えば、奴らの術中にはまり
生きて嵐の過ぎること無しと思えば、生きがいを失い
なかなかどうして、その真ん中の心持ちでやり過ごすことができない

だからこそ、自分の心の中ぐらい常に穏やかに整えておくのが早道なのさ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



稚草

 旧ブログ記事の詩の整理に少々つまずいている。
 何というのか、こんなのでよくぞやってたなぁと言う衝撃。
 ‥どう手直しを入れれば良いのやら‥というのにぶつかる。

 冠揃詩の方は終えたが、初期の頃の四首吟と来たら
 べらぼうにやっつけの部分が多くて、吟味している内に
 こんな詩にもなって引っ張ってくるという‥

 ‥この三年程の間に何が起きたのか‥

 あの頃の俺は実に杜撰だった。その程度の違いがよくわかる。
 其処がわかるぐらいに成長したんだろうが
 ‥俺は既にオッサンだからな、うれしいとは言いづらい。


> 一説によると


 日本の陰始勢力の大物がひとり、地球に残る組ルートに鞍替えしたから
 その分の生命活力・魂魄エネルギーが各々に返された‥という事らしいが
 ‥そう考えると、成長したんじゃない復活したんだという程度だな。
 ‥なら、まだまだ伸びしろがありそうだ。
 ‥日本という枠内でそんなに違うというなら、地球中の陰始勢力が去るともなれば興味津々。
 ‥なにしろ、寿命が延びるってんだからな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:35 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

【詩】恋愛と世間とやさしさ

向宜詠吟.2016/06/03...20130804...

俺は、優しさで恋愛なんかしないタイプだ
ムードで‥と言った方が適当だろうか‥

かわいいとかな、それもあまり関係ないらしい

若い頃は解ってなかったが、人の顔なんてある程度パターンだ
それでいて自分の好む顔なんてのはその中のいくつかの傾向でしかない
とはいえ‥顔で選んだって長続きなんてしないもんさ

「相手に何を期待するんだ?」

‥期待するんだったら、そりゃ、顔よりも性格だろう
性格よりも生き方だ
でも、生き方だけでは‥なかなかに萌える所がない

結局は「押し」になるんだろうな‥でもな

下心にも、泣いたってな、涙見せたってな
その程度の形勢で押しつ押されつなんて考えないのさ
だから、俺自身も泣き言を恋愛に絡める気はない
‥それが均衡ってもんだ


それでも、そんな偏屈でも、その偏屈が鈍るときがある‥
それが、うれしくなった時だ
浮かれて有頂天になってるって頃合いだろうな

そして、蹴飛ばされるんだ‥つまずくことになる

だって、はじめに自分で定義しているじゃないか
優しさで恋愛なんかしないと‥

にも拘わらず

ええかっこしくも、ここぞとばかりに優しく振るまおってんだろう
羽振りが良いなんて、至ってそんなもんだ
信条に反してるじゃないか

そうだ。だから、蹴っ飛ばされることにもなろう
‥それがお約束の流れってもんだ



恋愛が成立するには、どちらかが折れなければ始まらない
押し役になるか‥
折れ役になるか‥
でないと恋愛は成立しないものだ

なのに、たいていの多くは、
バリアーを張ったままに、自らの恋愛願望を達成させようと立ち回る

そうだ

弱みを握られては、押し役にはなれない‥そう思っている
だから、肝心なことは秘かにしたままに立ち回ろうとしてしまうのだ
ソレで上手くいく場合もあるだろう
‥でも大抵の多くはあとでこじれる

もし、こじれなかったなら、それこそ、儲けものだった事になろうか‥

でもまぁ多くの場合‥
押されるままに折れていて
肝心な事を打ち明けられないままだったりとする‥

そんな場合‥知った側は、逆ギレ気味になるわけだが
そういう意味も兼ねて、優しさだけで恋愛をしていると
‥あとから、自分の器からはみ出した許容を求められることになる


でもまぁ、踏み越えられるだけの支えが伴うなら
それに越したことはない、惚れ直すきっかけにもなろうか‥
問題なのは、そんな場合
‥至って、お互いに課題を抱えていたりすることだ


個人主義も進むと、そこの解決を世間様に求めることもできない
何はともあれ、個人主義とカネ勘定は隣り合った都合でもある
‥先立つものが無ければ助けても貰えないのだ

世間との近所づきあいが縦横無尽に通じ合っていた時代というか村社会では
多少の個々の能力不足などどこ吹く風だった
お互い同士で顔を寄せ合って面倒を見るのが普通だったからだ
それでも世間様に甘えてばかりだと、風当たりも強くなる
だから、そこの塩梅を心得て居るかどうかが大事だった‥



でも個人主義も過ぎると秘め事も多くなり、何かと横の関係も邪険になりがちだ
そもそものいがみ合いのそれにしたって、カネ回りの良し悪しに依るところが多い
‥そこは飢饉等の理由から、傾き始めた村社会の様相そのままだ


世間がそんな空気に包まれていると
無駄に優しさが求められ始めるのだ

そうさ、世間に頼れないから
‥より優れたる価値を旦那女房に求めざるを得ない
‥それはそのままに、より疲れたる関係だ


世間が、社会が、横の関係を大切にしていたなら
尚のこと、個の出来映えに深刻になる必要なんか無い

‥そこに気がついてない有り様に
高望みにも無理を通さ’んと、優しさを軸に恋愛観を立ててみようとも
御陀仏なだけだよ
だってそうだろう、甲斐が無いんだからさ

自分が無理している以上の見返りを求め合っても釣り合いなんかあるわけねぇ


‥そんなこんなで
世間に甲斐性が無いんだったら、誰だってその気にならんだろう

男女があって恋が始まるんじゃない、そこに暮らしがあるからだ
そこでの将来を過ごしたければ、恋にもなるんだよ

地場に腰を据えていないのに、縁談なんかやって来るもんか
地場の命を大切にしてないのに、幸せなどやって来るもんか



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:37 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

【詩】命ゆえに新たかを欲す&一首

向宜詠吟.2016/05/28

慣れたくて馴れたくて狎れたくて知恵を絞る
簡単と楽ちんを見つけてはのさばる
日々土壌を養うは非効率と種を弄る
土壌への熱と敬意と智慧は過疎となり、内はフィルム栽培に外はF1種ばかりや
育てる力なき便利放題、育つ力なき傲慢とアイディンティテ
基盤たる種の交配も、そもそもは土壌と風土から
利益追求にほだされ学び、口と舌を合わせるほどに風味音痴なり
甘さばかりを追求し悦に入るは甚だつくる側の臆病なり
季節と風味、暮らしと風味、風土に生きてこそ味わい宿れり
風土に開化されて種はその思いを刻み、新たかを欲する
命ゆえに新たかを欲し、その思いたるを種に宿さむ、食してさらに培わむ


|和気続く土壌に注げり情熱を受け継ぐ種こそ健生なり



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


語稚草

 健生【けんじょう】‥健やかに生きる。またそれが続きたる様、継がれたる様。
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2016年05月26日

【詩】せせらぎと海&一首

向宜詠吟.2016/05/26

エネルギーが高みから下に落ち流るるは当然
エネルギーが来たるから生く、流る、押す、隔つ
より生きやすくを求めれば、そこは澱み
大きなエネルギーを求めれば流れぞ激しき
耐えきれずに澱みに逃げ込もうとて危うし
清清として流れ穏やかなるはせせらぎ
されど、せせらぎに生くるは程度少数
多きぞ行き交う場所の衝動に駆り立てられし本能
せせらぎの良さを忘れ大海しか見えじ風
自然界とてせせらぎと海を行き来し、産みと育てを繰り返す
人の社会のなんと未熟‥罠たるや


|いつまでも好きだけ選ぶ間抜けさの故の偏り故の閉塞



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:14 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

【詩】そこから筆が始まる&一首

向宜詠吟.2016/05/24

マンガにも格好いいなどと云っても、叩きのめすばかり
マンガで語る正義とはなんだ?‥敵を想定しないと自己肯定できずなだけにあろう
正義を語らむとして悪を前提とする思考自体がそもそもにしてインチキ政治と同根
平和に支持が必要なら幸せにも支持が必要になる
平和に支持が不要なら幸せはずっと平淡になるだろう
平和が大事とムキになれば、ちょっとしたトラブルまで黒く見えだす
不安に駆り立てる正義など論外、されど自惚れの正義もまた幼稚
ライバルが欲しいにせよ、殺すとか死ねとかアホか
平和の名においてまずできることは、人様に迷惑を掛けないからだ
人様からお見事を引き出せずして何がアートだよ
{暮らしの途上のお見事}>{見世物としてのお見事}の違いにもっと潔く苦しめ
苦しんで絞り出さぬ美など暮らしの末席にも届くまい、命をよく見て見よ
不愉快にも、暮らしに物足りなさを思うなら、尚のこと愉快を描いて示せば好い
不用の排除が普通に当たり前にしか思えないのなら、そこは常に戦場だ
戦場に生きるのか?平和に生きるのか?まずは選択せよ、そこから筆が始まる


|戦場に生き残って正義なら、平和に生き残って悪と問え



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:45 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

【詩】人の自由を見ているだけの自由

向宜詠吟.2016/05/23

人の自由を見ているだけの自由
誰かの自由を見ているだけの自由
それは本当に自由だろうか?

一般に、一方通行に置かれた自由を不自由と思っている
でも一方通行だからこそ機能している形もある
それはそれで自由を為しているのだろう

‥疑問に思ったなら、そこに自覚が無いだけだ



人の自由を見ているだけの自由
其を一般に悟りたる境地と呼べり

そんな慈愛に満ち足りてそうな自由がどれ程にあるだろうか?

人の多くは自分から動いて取り合うのが当然だと思っている
見ているだけのままではおまんまの食い上げだと思っている

人の自由を見ているだけの自由からはそんな風にも見えている
でも大抵の人は、見ているだけの状態になかなか耐えられない

人は同じように誰かに準じて生きることを求める
どことなく均衡であることを求める
誰彼となく公平さを意識して生きるのだ

そして、人の葛藤もそこから生えて来る



同じ目的に寄り集まっても、意見の違いという葛藤‥
違えた方向に進んでも、孤立たる疎外感との葛藤‥
葛藤がさらなる葛藤を呼び、混乱した状況に溜息も出る
そこをよく自覚できていると
どうしてか、すんなり‥
人の自由を見ているだけの自由が、誇らしげに映り出す

無論、そこに自覚を培えてる人に向かってだ‥

でも、そこにだって葛藤はある
それが均衡というものだ
公平というものだ
‥そうにあれていないことに彼らとて悩ましい

ならば、人は自由など選んでいまい
葛藤を選んでいるだけのことだ
ゆえに、そこにある葛藤をどうにかできて始めて自由と言えようか。

‥次から次へと自身の内から生えてくる葛藤‥
まるで雑草か、日々つもりたる塵に砂だ
瓦礫を見て思うように、それら葛藤をショイとどかせば良い

自由とは何かと問われたなら、そんな風に答えざるを得まい



「ならば問おう、地球の現実に見られる不均衡とは何か?」


簡単な話さ
自由という言葉に乗せられて
自分たちの住まいをゴミ捨て場と化して尚、平気なままだ

誰かの裕福を見ていた頃に身に沁みた不幸体験を思い浮かべたままだ
そこにあった瓦礫こそ、自分から動いてなんとかしたいとの憧れだった
でも見ているだけの自由にあったのは、ただただ体験への貪欲だった。
それでは、瓦礫をどかしても尚除いただけだ
瓦礫はそのままに残ったままだ
誰も彼もがそうでしかないのなら、ゴミ捨て場にならざるを得まい


葛藤は誰だって無くすることができない

‥葛藤は繋がっている‥
それが均衡を求めざるを得ない人としての自然体にある

それは、地図を開いて移動に用いるようなモノだ
均衡を失して生きたなら、葛藤からは逃れられるだろうが存亡は不可避
結局は、地図を欲して葛藤することになる
それは、職人が職人を訪ね歩くようなモノだ


葛藤はそのままに、各々の意識に均衡をつらぬこうとして漂う

だからこそ、その都度その都度
個々お互いの単位で少なくするように心掛ける必要がある
ひとり一人が心掛けないのなら、決して望むような天晴れは天下に訪れまい
社会規模に問題化するなんて日常は、それこそ腐敗しているのだ
ならばこそ、まずは、人の自由を見ているだけの自由に徹するべきだろう

そんな視点から格差を問うなら、格差現象は本能からの問いそのものだ

だが、そんな大げさに考える必要はまったくない
所詮、瓦礫は目の前の一つ一つからしか片付けられやしないのだから



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:48 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

【助動詞表記】[ぬ]それは打消か完了か、[ん]それは否定か推量か

記稿.2016/05/21

> 【知らなかったぜ】完了の[ぬ]と打消の[ぬ]と‥の続きからになります。


 [ぬ]の表記問題解決として
 懲りmぬ、懲りrぬ‥(mは未然形、rは連用形)
 という提案をしましたが、よくよく考えてみると
 ‥打消の利用度の方が圧倒的です。

 そこで


> 「できぬ」と書けば打消の意で未然形と見なし
> 「でき’ぬ」と書けば完了の意で連用形と見なす方がそれほどに見苦しくもなく好いかなと


 で、今度は次に[ん]が気になった。

 推量の助動詞[む]は、現代では[ん]にも表記される。(未然形)
 一方で、
 口語の否定の助動詞[ぬ]も同じく→○/ず/ぬ[ん]/ぬ[ん]/ね/○‥として[ん]に表記される。
 しかも推量の[む]と同じく未然形に接続される。

 これもどちらかと言えば、口語の否定利用の方が圧倒的に多いと思う。だから


> 「できん」と書けば否定の意
> 「でき'ん」と書けば推量の意、又どっちでも良い場合「でき”ん」なんてのもありかも


 ‥まぁこんな感じが適当かなと
 日本人なら大体の解釈はできるとしても、外人からしてみれば未知の世界。
 その辺の気配りに欠いては、和歌文化の外人への紹介はあやふやのままになりかねない。

 縦書きの場合は、また少し変えざるを得ないが、とりあえず横書きの場合のみ。以上。
 (著生はそのようにしていく次第です)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:01 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする