2016年05月17日

【詩】女子力

向宜詠吟.2016/05/17

どじでまったりそれで好い
私がそれで好いというのに、あなたの見ようとしているところは全然違う
そんなにきちんと慌てて何になるのだろうか、私自身は何も変わらない
変われるなんて言ったって、軸の部分は動かないままだ。変わってしまったら「それは誰?」

大好きな気持ちは膨らんでいれば好い
どうして、破裂するまで膨らまさなければならないのだろう
そんなことしたら、ふわふわと浮かんでは居られなくなる
そんなのは嫌だから、たまにはしぼんで、また膨らませて‥それが大好き!

かまってもらえたらそれでうれしい
元気の無い風船に空気が注がれる感じが最高!
生きているってそういう事だと思う
ならしょうがないよね、誰だってしぼむし、注いであげたいし、たあい無い毎日だよ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


稚草

 アニメ「長門有希ちゃんの消失」を見ていたら‥
 あと、「たまゆら」の影響も‥「びんちょうタン」もようやく見たっけ‥


 女のどじはかわいく見えても、男のどじはかわいく見えねえ‥。
 ‥世の中がそのように不公平なのは、どうしてなんだろうね。

 世の中がそんな不可解を抱えたままなら、どうしたって煽りを食うのはどじ全般なんだぜ。
 ‥生きている大半はどじそのものさ。

 なにしろ、どじは地球好みのツボなんだからな。

 「わかっていますか?諸君ッ」
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2016年05月16日

【詩】結婚‥悩ましきそれ

向宜詠吟.2016/05/16

恋、男女の仲‥
誰かが誰かを好きになる‥
そして、結婚を意識する

ならば、問おう!

汝は、鎧刀と添い遂げるのか?それとも、中身の肉心と添い遂げるのか?
汝は、機体性能とまぐわうのか?それとも、操縦性能とまぐわうのか?
汝は、作戦指揮能力と連れ添うのか?それとも、メンテナンス士気能力と連れ添うのか?
汝は、戦場と孕むのか?それとも、保養地と孕むのか?

すべてを欲してみたところで

それは汝のこれからに是非とも必要とされるモノだろうか‥
汝は何を望んで結婚に挑むのだろう?
幸せという言葉に酔うだけで好いのなら、それこそそのままに酔いつぶれてしまえば好い
どんな酒も‥下戸から呑兵衛まで、至福の一時を約束してくれるだろう


所詮この世のすべては一時だけの幻さ


自分だけの美酒に酔いしれたいと願うのなら、まずは自らが美酒になるが良い
そうすれば、嫌でもいろんな奴が飲みに来る
探す手間が省けるというモノだろう
だがしかし、お互いに味見も過ぎればただの空ビンだ

だから結局は酒なら杜氏に行きつく
そうすれば、味のわかる奴が買い付けに来る
それもまた探す手間が省けるというモノさ
だがしかし、諒酒を造り続けなくなればそこでお終いだ


だからどうしたって、好きになっちまったら勢いこそが一番だ
勢いに乗り切れないんだったら、素直に捨てておけ

エンジン点火とアクセルの違いを履き違えるなよ

エンジン点火は自分でするものだ
アクセル全開に踏み込めるのが結婚(結びつき)なんだぜ


‥で、なんでブレーキとの出会いにしょげるかね?
出会いがブレーキだったなんてんのはな、妄想と同じなんだよ
何事も‥乗りたい乗せてみたいだけで、アクセル全開できるかどうかは別だろう
アクセル全開できないんじゃな、お互いに妄想なんだよ

妄想なんか適当なんだからさ、それが憾みになるって尚更に飲酒運転だぜ
そんなの誰も乗りたくねえし、安全運転の仕方を学び直せって事だろう
学び直そうとしないからこそ、しょげてるってわけだよな

「誰が悪いわけでもない、学び直せば好い!」

いつだってそこだけは変わらないお花畑が広がっているさ
花は勝手に咲くだろう、何をどう植えるかに尽きる

手入れを怠れば、すぐに荒れ野に様変わりだ
学び直そうとしない段階で、荒れ野だったってだけのことだから
自身が荒れ野でも好いなんて汝はそれこそ孤執の人物でござい‥まずは自覚しろ

お互いに、自覚の無い奴とは続かないものだ
自覚が無くても受け入れて貰えるなんてのはなガキのうちだけだ。肝に銘じとけや



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



語稚草

 諒酒【りょうしゅ】
 ‥意味は地酒と同じだが、事情を汲むとした意味ではもはや地酒とは言い切れない銘柄を指す。

 今や酒のブランドはブレンドだ。それが量産を狙っての味の調合だ。その結果の味。
 ‥昔の地酒はそこまで細かくない。除菌衛生環境&品質維持流通も整っていない。
 ‥量産にも限界がある一方で娯楽も少なく呑兵衛多し。運搬能力も低い。安酒の濃度は薄かった。
 ‥それこそ昔の昔は澱の方に趣があったと思う。薬なんか簡単に手の入らない時代だった。
 ‥酒は百薬の長の諺もある。それは主に濁酒を意味した。蒸留技術が伝わって消毒に用いられる。


 孤執【こしゅう】‥孤独・孤立に執着する様。
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2016年05月09日

【四首吟】お題‘おやすみ&夢の中’

記稿.2016/05/09

|おやすみの隣の連れに「また明日‥」今から帰る夢の中
|夢の中こそ我が家とは、帰れば元気‥だからおやすみ
|おやすみのしばしの別れ睡眠中、夢の中でも会いたいな
|泣きたいことぐらいゆっくり夢の中、お互いの生き生きそれがおやすみ



稚草

 久しぶりに括りにできたぞー♪
 しかも、二単語だ!!、すげー。
 いやぁ、快調だなぁ。

 ヤマノススメ(二十三合目)を見ていてインスピレーション頂きました。m(_ _)m
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:38 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

【四首吟】お題‘湯水のように使う’

記稿.2016/05/08

|カネを湯水のように使ってもきれいにはならない
|きれいにはならぬのに、湯水のように使うとは是如何に!?
|如何にせよ、きれいにする為に使うのが湯水のように使うの心得なり
|理屈から言えば、カネを湯水のように使わせたのは女で、さぞや綺麗になったのであろうな



稚草

 なる程、そうすると、女の時代とか言っても
 自分で稼いだカネを自分に使っても綺麗には成らない‥のが言霊の示唆ということになるだろうか。
 (へそくりは貯めるばっかだし、使うにしたって他のことだしな)

 結果、綺麗な男子という奴が登場するようになって来たというのが流れだったと‥
 (カネがあるばっかりに、女趣味に育てちまうわけだからな)

 中には、男の娘などという理解不能の流れも起きてしまっている。

 もしそうなら、男社会の構造をゼロ値にまで崩壊させようなどと図るのは、
 ‥考え直した方がいいんじゃないのかな。
 ‥同性愛現象という奴も、その流れの上にあるような気にもなってくる。


> マンガでもなぁ、男キャラは根性狼目で、女キャラはきゃぴきゃぴ丸目で


 そんな絵柄ばかりの世代ってのが、少し前まで多く見られたのだが、
 最近では、男描くのが面倒なのか、女しか描かれず‥片寄った作品も多くなった。
 結果、女子の役回りが男子化している。否、オヤジ化オタク化していたりする。

 そんな背景にしたってな

 漫画を描く=資金力でもある。(スクリーントーンの時代は特にそうだったと思う)
 今やパソコンになるが‥上を見ると切りが無いが、マンガを描こうとするとそれなりにカネが掛かる。
 ‥市場が狭いということもあるが、兎に角まだまだ高く付く。

 つまり

 与えられて育った連中の作風ってことで、

 画風も、与えれた分だけ、綺麗になってるのだろうと思うけど、考え方は女子化すると‥
 男になりたかったら、欲しがって良いのは、うまい飯止まりにしておけって事になるだろうな。

 つまり

 男におしゃれを勧めているのは、女子化しろって意味になるから
 そこの所の塩梅までを崩さんとばかりの風潮は、男にとって有り難迷惑ってことだな。
 順番からしても、野郎の世界観に息苦しくなってから、手を広げた方が無難と言えそうである。

 女子にしてみれば、生活観、豊かさ観を絞ってみればって事だろうな。
 そうすると、文化の隅々にある男臭さへの理解も多少はすすむかもな。
 (それは必ずしも男臭いのかというとそんなことはない。有ったのはテメエの偏見ばかり)

 まぁ、問答無用で絞りから入らざるを得ない生活状況なら、不足分はどこからか補った方が良い。

 そういう男女の塩梅ってのは、ある程度、魂にこびり付いてるものだと思っていたが
 ‥なんか、そうでもなさそうだよな。
 ‥不足があるから荒れてくる。満ち足りすぎればふにゃらけてくる(それは普通に生ずる)


 「どれぐらいの過不足加減が自分に丁度良いのか、そこが肝心なのだろう。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:59 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【詩】まずは気持ちを聞こう

記稿.2016/05/08

気持ちをちゃんと伝えなければ、気持ちはすてきになんてならない
気持ちをちゃんと受け止めなければ、気持ちはやさしくなんてならない
黙ったままでお互いに上手になれるのは‥イライラだけ‥

どうして言葉にしないで、あなたのことがわかるだろう
自分自身のことだってろくにわかりもしないのに

それが礼儀だと思っている
それが愛情だと思っている
それが常識だと思っている

それで、あなたは相手のことをどれだけわかっているのだろう‥
お互いにわからないからこそ、だんだんとイライラを募らせて、ますます口を貝にして、
物事を思い込みですすめてしまうのだ、やっつけで済ませてしまうのだ

それでどうして気持ちが伝わるだろうか?

すてきになりたいのだろう(自分の日常において)
やさしくなりたいのだろう(大切な人の前では)
ならばこそ、トラブルだらけの普通ではない環境に身を置くことにもなるだろうよ
だって、それが早道なのだから(膿は先に出すべきだし)

そこに山積みになったイライラから逃れたいのなら
マニュアルなんか捨てれば好い、基準なんかクソ食らえだろう

誰であれ、その人自身を見ようとすれば良い
少しずつ違うのだという理解があるなら
手広く何でもやれて当たり前などという自由を考えることの矛盾に気づくだろう

あなたは、そんな少しずつの違いにどれ程に対応できるというのだろう
どれ程に対応ができたところで、程度の差はあれ、
相手の要求に十分添えるには、どうしたって、誰であろうと限りが生ずるものさ

そのたったひとりに向かってすらまともに成らないのに、どうして手広くなどあるだろうか‥

誰かがそれをこなせているように見えたって、それはどこかに手抜きが潜んでいるというものさ
だから、足りない分が、誰もが同じという言葉に置き換えられてうやむやになっている‥

そこにある同じというのは、わかって貰えていないという感覚だけだ


「だからこそ、どうしたいのだろうか?」

それこそ、そこの気持ちを、誰かを頼って金魚のフンになってみたところで、
あなたが自分に対してそこを考えずままでは、そこにやって来る満足なんてものは
誰もが同じようにあるという流行りに常識を持ち込みたいというだけのことなのさ

もし、あなたがその流行りを手にできないからとして、ふて腐れているなら
同じようにふて腐れている人らがどれだけ居るのかを考えるべきだろうよ

そもそもの視点は、望みのままに手にできているかどうかでは無い
まずはそこに、自身の意思が主を描いて沿っているかだよ
いつの間にか愚痴りたいだけの自分しか居ないんだったら、それが本心にすり替わっている

自分がどうしたいのかの気持ちを、他人にまで頼って預けてしまう人が多ければ多いほど
自分がどうしたいのかをわかっている人からすれば、
手抜きなくきちんと向き合いたい人との時間を奪われて行くのと同じことになるのだから


そこを普通に、物理的に日常を考えても、どうしたって無理も出てくるさ
そこで、こちらに都合付てもらおうと駄々をこねては、それこそ一般論頼みって事だよね
あなたは、そんな一般論のくくりで片付けられたくないはずなのに、
新しい便利が登場した瞬間から、そこに当てはまっているかどうかを無駄に気にしてしまうのだ
そのイタチごっこは本当に矛盾している

それで好いというのなら、それこそ、一般論として捨て置かれることにもなろうさ

だって、誰も彼も、それら新たな一般論を片手に手広くできると勘違いしている‥
だから、あなたのイライラが共有されるべきかのように、次第に沢山‥近くを蠢くようにもなる
これはどうしたって、悪循環が起きてるって事だよね

まずは、手広くできる自由なんか嘘だって理解しないとね

その上で、自分のどうしたいかを‥平たく考えてみるべきだ
そこを押さえられないうちは、
すてきにも、やさしくもなれやしない(自分の望むペースほどにはね)

便利と一般論の進捗に、無理に付き合ってしまっている感覚から、整理すべきことだよ
必要以上に便利を望んでも、自分たちに大切な気持ちを育んでくれるとは限らないのだから
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:29 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

【四首吟】お題‘とみこうみ’

記稿.2016/04/23

|人間を味わいきらずに疲れちゃう 遠見近見の世間の渡り

|渡りきらむとす人の斯様な願いなど 天に願えど人は知らん

|知らん顔している互いの言い訳を 如何に聞こうとどうもならん

|成らんから棚に上げても余計成らん 腹割って話せ まずはそれから



稚草

 左見右見と書くのは当て字だそうだ。
 そこで
 読みの【とみこうみ】を、遠江(とおとうみ)近江(おうみ)
 に見られる訛りのパターンと考えると、遠見近見と書くのが筋なんじゃないのかなと‥

 遠くを見通せば、近くのそれに対する見方も変わるのだろうが
 それにしたって、近くに集まる人の関心も捨てがたく気になるのだ。
 意味としても「あちらを見たり、こちらを見たり」と同じになる。
 ‥どちらかというと、遠くを見るか近くを見るかで言い表した方が賢そうだ。

 そう考えると、左見右見の方の当て字は
 世間様の先見が賢くなるのを嫌って、封印されたような感じに思えなくもない。
 ‥それとも、遠江の読み間違えの増えるのを嫌ったか。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:18 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【詩】妄想からの脱出

記稿.2016/04/23

> 動きと動きとが絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ
> 命と命が絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 命のやりとりがとくにそう‥攻防一体の達人芸‥
 実力は五分五分、釣り合っているから起こり得る生き生きとできる瞬間‥
 でも、命のやり取りだったら、繰り返すことは叶わない‥


> 主張と主張が絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ
> 私が求めてあなたが求めて絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 私の妄想だったそれが、あなたの妄想だったそれとなぜか共鳴していた。
 それが広がれば広がるほどに、現実感が湧いて来た。
 でも大きくなりすぎると、誰も私を肯定しなくなった。

 それは簡単な理屈だよ。私の妄想が、私たちの妄想にすり替わったからだ。

 「私たちの妄想と共鳴するあなた方という妄想はどこにあるのだろうか?」

 それは常に戦いだ。意見の衝突だ。家族としてのそれではない‥
 私たちが家族になったという証として、どうして分離を描かせるのだ!
 誰だって、冗談じゃないだろう。それこそ妄想だ。誰にでも共鳴する妄想ではないのだから‥


 「だから、どんなに共鳴が起きたとて、精精は家族と呼べる大きさにしか成り得ない」


 そうだ。そこに村ができたとて、
 余所の村に影響されて、そもそもの共鳴が失われたらそれはお終いになる。

 しかし誰しもは‥
 そこに見えた大きな何かに憧れて、家族になろうとする。なりたがる。
 でも、その憧れは‥どうしたって家族ごっこだ。

 そこに見えだした勢いのある村とは、良かろうと悪かろうと
 誰かの共鳴が土台となり、柱となり、梁となりそうやって構築されてきた。
 「あなたがそこで暮らすことを夢見たとて
  あなたはそこの暮らしに何を添えられるというのだろうか?」
 ‥そこが空っぽで、ただちゃっかりと居たいだけのお客さんとしてなら
 いずれお暇しなければならないばかりだろう。

 だってあなたは家族として住むことを望んでなど居なかったのだから‥
 ‥どう見たって、お客さんだった。

 例えお客さんでも、気の良いお客ならそれなりにちやほやされて長居もあるかも知れない‥

 でも、どうして、住んでいる人たちの気持ちを掻き乱すような人が受け入れられるだろうか?
 ひっくり返さんとした思惑を少しでも抱えていたなら、そこで暮らせることなど有り得ない。
 家族になろうというのに、そこに居る人たちを追い出そうと目論んでいるなら尚更だ。

 「人は其を否定と呼び、忌み嫌う‥」

 余所の村と影響し合えば、良くなるだろうなどと考えるのは、それと一緒でどうしようもない。

 始めから支え合うことが目的の連合にあったなら、始めから共鳴して在り続くだろう。
 ‥もし、そうでなければ、中はどんどん朽ち果てて、見るも無惨に引き裂かれるばかりだ。


> その中で、あなたはどんな妄想を描いている‥囁いている‥叫ぶのか‥


 あなたが、心の底から嘘を張り上げてみても、誰にも共鳴するまい。
 「あなたの本音の叫びとはなんだ?」
 「嘘の叫びに、あなたは満足しているのか?」
 もし仮初めのそれに満足があるのなら、そこに起こり得る共鳴は、あなたを幸せにはしないだろう。
 その後に訪れるだろうあなたの後悔が、精精の満足感という程度で費えることになる‥


 仮初めに見えている誰かの共鳴の華やかさを真に受けて、横から掴もうとする必要は無い。
 あなた自身の本音の妄想が、いずれ共鳴を起こすだろう。
 しかし、本音をわからずに疎かにしていては、
 そこに起こり得る嘘の共鳴は、いずれあなた自身を嘘の谷に放り込む‥


> 大好きと大好きが絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 ‥そこを発見しようとしないのでは
 いつまで経っても、仮初めに見えるばかりの共鳴に翻弄されるばかりだ。
 「なにをしたいのだ?」
 妄想一つ取っても、本音で大好きを貫き通せぬ者に、大好きでいっぱいになど訪れるわけがない!
 少なくとも、あなたがその中で‥死に切れる瞬間など訪れやしないのだ。
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2016年04月16日

【詩】適当の臨界

記稿.2016/04/16

適当は好い
何が好いかって、お気楽だから好い

でもそれだけだ

適当のままでいると必ずや行き詰まる
なにが流行ろうとも、適当なら、適当に飽きも来る
回りまでそうだと、適当にしか成り行かない尻切れ蜻蛉だ

そんな文化では所詮、先が知れている


だからだろう‥
適当に恋をすれば、適当に縁を切ることにもなる
そもそもが適当だから、そんなもんだ

お気楽な恋なんか、そんなもんだ
一体全体、それはどこの文化だったかね?

適当だから、意見もマナーもバラバラだ
好き勝手し放題‥というより理想なんかない
仮にあったとしても、すこし風に吹かれりゃお終いだ

だって、適当なんだから‥


「どうしてそこまでして、適当が好いのだろうか?」


適当からの脱出の仕方を知らない、ただそれだけ‥
みんなで知らないと、そりゃ適当なままだ

適当でしかないくせに、みんなであれこれ言い出すからまとまらない
それこそ、適当にあるがままをお望みだ


「‥本当は分かっている、礼を尽くすべしとした感覚を」


でも、あまりにも、自分では考え切れない細々としたことが多すぎる
分業化社会になればなるほど、ますます適当に依存することになる
それは高度とは言わない陳腐というのだ

ますます陳腐化せざるを得ないから、日常が適当になる

それは、ある意味で良い塩梅だが、しかしそうでもない
基本が他人任せで、何も身についていない感覚ほど糞な現実も無いからだ

礼を尽くすにしたって、形骸化にも見えてくる‥
格差も積もれば、胡散臭くにしか見えてこない‥
代理で座っているだけの王様と一緒だ


|適当という煮え切らず毎日のなんと窮屈なんとくだらぬ
|ただ休めひたすら休めそれだけでなんとスッキリなんとクッキリ
|倦んだなら自分で動け試みろそれをせずにゆかしなど在らぬ
|突き詰めろトコトン粘れそこにほら、お前の内から明日見る瞳


そこの叶わぬ暮らしなら、狂わない方がある意味で不自然だ
狂うにせよ、なんであれ、先駆けする輩は居て当然なんだからな
でも、狂いたくはないだろうよ、そんなの誰も望んでやしないさ

「ならばどうする?」

‥お前さんの順番が回ってきたというそれだけのことだろうよ
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2016年04月02日

【国歌代替案】民の春

記稿.2016/04/02

“ 東の果ての春ー のどけしき光ー♪
 サクラ咲く国のー 誉れぞ四季の寂び♪
 山も海も里もー いやさかに包まれてー♪
 サクラ咲く国のー 侘びしげく清き風♪ ”



稚草

> サクラの唄とやらに挑戦してみようと思ってやってみたらこうなった。


 テーマ&題ともに、「君が代」の当てつけと言うことであつらえてみた。
 長さとしては、こんなところかなと。

 俺の中では‥ちょっといじると、まんま酒の唄になっちまいそうな手拍子調‥
 ‥誰か、格好良くリズムを見繕って頂ければ喜ばしい限りっす。
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2016年03月06日

【詩】心の中の季節

記稿.2016/03/06

人の心の中には四季がある
四季と言っても、順繰りになんかやって来ない
それはもう気まぐれだ

自分の好きなように、気分次第でいろいろに変わる
移ろいなんて気の利いた変化なんかありゃしない
いきなり冬が来て、夏が来て、時にはずっと毎日が嵐だったりとする

自分でさえ、そんな当てずっぽうな季節の変化に向き合うのはたいへんだ
せめて変わり始めには、移ろいを見せてほしいものである

でも、人の心の中の季節は、突然に変わるのだ

順繰りすらなく、いつの日かの風を追い求めても
二度と巡ってこない‥それっきりの季節もある

戻ってくる季節‥戻ってこない季節‥
そんな戸惑いへの整理の暇もなく、次の季節はやって来る


自分に住まうだけでは、季節はただやって来るだけ‥
でも、私から訪れることもできる
それが人の心の中の季節でもある

どうせ突然に見舞われるのだ
ならばこちらから訪れる季節の風になるのも好い
ご機嫌な風として、季節の向きがわかるようになる頃には‥
お約束の季節が、私の心の中をちゃんと巡るようになっている

「また、やって来ましたよ♪」
たったそれだけを待ち望んでいるあなたも居るのだから
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:25 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする