2015年01月14日

【零戻経済モデル】零戻経済のあらまし

1-3)記稿.2015/01/14

 お金の歴史には嘘が蔓延していた。発行からしてそうだった。
 ‥国際機関と言わしめてきた中身からしてギャングの巣窟だったのだ。
 インチキに対抗するには、セキュリティは欠かせないことだが、
 物事の細やかな利便性までを犠牲にしたくはない。

 脱資本主義の第一歩として、まず言葉を改める。
 同じ言葉を用いていると、法律に載せた段階で解釈が曖昧になってしまうからだ。

 零戻経済では、銀行も金融も廃する。金利も税も廃する。
 代わりに金慮【きんりょ】を用いる。通貨表現すら廃して継貨【けいか】を用いる。
 金慮は、自治機能の概念の一つ&インフラの整備として扱い、手数料を頂く形とする。
 手数料の概念は、如何なる商売に於いても基本である。そこまでを否定することは出来ない。


 これにより、銀行に認めてきた独自性を廃することになるが、
 代わりに金慮がお金の運用をはじめると言うことではない。

 ‥とりあえず申し上げておくならば、

 自治は投資を考えるだろうが、金慮にその権限は無いと言うことである。
 金慮の役割は、主に発行の窓口機能とお金の雲座管理を業務とする。
 ‥副次要素として、セキュリティの研鑽を重ねる機関と発行を円滑にする上での生産を担う。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:54 | Comment(0) | Yes,99%の零戻経済 | 更新情報をチェックする

【零戻経済モデル】まえがき(宣誓文)

記稿.2015/01/14

 お金の歴史の裏には、支配者の都合があった。
 支配者からの影響の多くは、私たちの暮らしの中に依然として溶け込んでいる。
 科学を礎にせんとした現代社会とて、今を生きる私たちの総意のみで成り立っているわけではない。

 歴史への尊崇の念を見失っては、民族の精神は受け継がれぬところと成り得、
 改革されるべき改革を怠っては、民主主義などただの名ばかりにしか成らん。

 ゆえに統治者とは、民族の歴史を背負う責任に座する立場にあることを自覚すべきである。

 されど、民族の歴史を背負う姿勢に於いて、
 どのような憲法も、そこを定義することをして来ては居ないのである。
 なぜなら、支配者が暗躍して来たからだ。

 支配者に定義など必要あるまい。好き勝手しているのが相場と認知されている。
 彼の者らが必要とする言葉は、権限の所在だけである。
 しかし、統治者は異なろう。正義、誠実、才覚が常に問われるのだ。
 其の曖昧を、具体的な言葉で書き下すことは、とても重要なことである。

 つまり、

 まともな統治者とは、言葉にて生き続けるものであり、
 それは、まともな民衆の手によって残され続けるものである。
 どうあるべきかを問うまでの必要を民主主義というのなら
 その先にあるべきは、民立布悦【みんりゅうふえつ】であり、
 そこには、まともな言葉を受け継ぐ精神を宿した人民が居るばかりであろうか‥


 世の中の混乱の多くが、お金を因にもたらされているというのなら
 私たちは、このお金についてキチンと書き表す必要がある。

 資本主義を、誰もが狡猾なやり方、不公平なだけの道具と思っているのなら、
 そこに正義なく誠実なく才覚なく、命の布悦など成り立たぬ愚行であるとして
 見切りを付けるべきことである。

 ならば、ここに記さん公平と健全たる布悦のお金の在り方を‥
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:12 | Comment(0) | Yes,99%の零戻経済 | 更新情報をチェックする