2015年12月01日

【刮目】日本ブラジル移民の知られざる裏舞台

1-3)記稿.2015/12/01

 その当時、フランスは奴隷制度を手放した。
 その影響は植民地の各地に及んだ。
 とくにブラジルの農地利権を維持する上で黒人奴隷の存在は欠かせない部分が大きかった。

 奴隷から解放された人々の多くは
 大方、自由の国アメリカを夢抱いたか、より稼げる仕事を探したかのどちらかだったろう。
 中には、そのままそこの農場と労働契約を交わして残る者も居たかも知れない。
 ‥それにしても、労働力の激減は、起きるべくして起きた。


> そこに手を差し伸べたのが日本政府だったという。


 「ブラジル移民希望者に夢を抱かせたのは詐欺か?、それとも妥当だっただろうか?」
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2015年11月27日

【逆の見方】トイレの撥ね問題の根っこ

記稿.2015/11/27

 その昔、おしめを洗って干すのは大変な仕事だった。
 その昔、おしめを洗って干すのは大変な仕事だった。
 その昔、おしめを洗って干すのは大変な仕事だった。

 そこにパンパースなるものが発明されて、おしめ仕事はポイ捨てになった。
 おまけに、洗剤がもてはやされて無駄に黄ばみが無いのが普通になった。

 おしめを洗っていた頃のお母さんたちは
 おしめを洗ったあとの黄ばみを以て許容範囲としていた。
 だから、誰かのトイレの撥ねなんて気にしたことも無いだろう。

 でもまぁ、自分の着物に撥ねるのだけは気にしていたかも知れない。
 ‥男にしたってそこは同じだったはずである。


> 許容が失われたことで、無駄に誰かのしたあとの撥ねが気になるようになった。
> 無駄に綺麗であるという形のもてはやしも後追いし、ますます我慢できない性格になった。


 そのカリカリとした空気の漂う分だけ、近づきがたい空気を生み出している。
 結果として、触れ合いも自然消滅することになり、墓穴を掘っている。
 ‥赤ん坊だって、そんな空気では癒やされることなく、訳も分からずに泣くしかねぇのかも知れない。


> 赤ん坊にしても、その分、おんぶの時間が急減している。


 おしめを洗いながらのおんぶ。
 考えてみれば、ものスゲー重労働である。
 赤ん坊もその母の姿を見て育つのだ。
 ‥赤ん坊が焼き付けることになる世界からして違っていた。

 我が子可愛さへの許容にしても
 おむつの大変さが失われたことで、手軽さを求めるようになった。
 手軽さの求められる時代性も合い重なっているのだろう‥赤ん坊だってそうなるさ。

 ‥最近の若い者は根気に乏しい。まぁ織り込み済みってことだな。


> おむつを洗うという大事業が失われたことで、お母さんたちの何かが変わったのだ。


 大事業をせずに済むようになった分だけ
 穏やかになれるはずなのに、そういう事には成っていない。

 そういう形に成らないという苛立ちが、結局‥旦那共に向けられる。

 そりゃそうだろう。時間に追われるだけの欲しいに取り憑かれているし、
 そもそもの時間自体が奪い合いなのだ。

 でも、そんな忙しくなるばかりの競争社会に同意しているのは女性の側も同じことである。

 女性の側が競争に許容を保ち続ける限り、自らのイライラも消えることが無い。
 社会の黄ばみをどんなに許容しても、おむつの黄ばみ以上の許容が織りなした穏やかはやって来ない。

 女性の時代とか乗せられるだけ乗せられといて、その辺は結局手も足も出ないという‥
 ‥てかさぁ、男以上に何かを欲しがるようになっているのが傾向だ。

 だったらいっそうのこと、パンパースを禁止にして
 赤児の世話の大変さを復活させれば良いだろう。

 パンパースなんてものがあるから、赤児の世話が軽く見られているのだ。
 ‥否、それは女性の側の意識からしてもそうである。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:25 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

【脱洗脳】先手必勝は驕りのセオリー

記稿.2015/11/18

君たちの多くは競争社会に於いて、先手必勝と思っているのだろう。
でもどうだろうか‥

外の国にまで出て行くのに、その論理をかざすのは失礼というものである。

それではまるで悪の手先ではないのかな。
まずは開国を迫り、優位な立場からの乱入と低価格なコストでの雇用‥
その上さらに、地元の人々の意識を洗脳せんとばかりの市場地位確保‥
そのどれもは、植民地時代からの不公平の踏襲にある。

吾も吾もと先を急ぐ姿は、まるで徒党ではないのかね。

物語にもあるだろう。
二人の意地悪な兄や姉、その後から行く三人目の兄弟がうまくやるというパターン。
‥先んじようとして失敗する側に見られるのは、常に驕りと意地悪だ。

今やらないと入り込めないなどと考えているからそうなる。
マスメディアもなぜかそのように煽り立てんばかりだ。

どうして、ツテも脈もないのに挑戦する必要があるだろうか。
自分の手ですべてを手掛けようとすればとても時間が掛かって当然だ。

誰か任せをあてにした物事の進め方には、いつもどこかに落とし穴がある。

真剣であればあるほど、カメの如しになるべきだ。
まぁカメとて水を得れば、とても長く泳ぐことになる。
早いとか遅いとかはあまり関係がないのだ。

踏み台やつまみ食い程度にしか考えていないのであれば、
火傷にしかならないのは世の常というものだよ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:14 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

【脱洗脳】共生とは炭水化物の如し

記稿.2015/11/11

> 共生とは何か?


 例えるなら炭水化物である。

 タンパク質を十分に取れば、炭水化物は少なめでも好い‥
 ‥などとの思い込みはまさに、おいしいご馳走に首ったけの価値観だ。

 体質改善上の課題も中には含むにせよ、それにしたって

 タンパク質は自由に奪い取ってくれば良いみたいな価値観を土台にしている。
 適切に狩ることでバランスは保たれるだろうにしても、よそ者にそんな細かい事情は知る由もない。
 おいしく味わえればそれで好いだけのお客さんの有り様にある。
 ‥それはそれで強者の価値観と変わらない横暴に近しいところがある。


 ところが炭水化物だけはそうは行かない‥

 誰かが必要分を作らずには始まらないのだ。
 無論それは、誰か任せなどではなかった。
 一致団結の大仕事だった。

 それが今や、技術の躍進により又土地活用の多様化により

 炭水化物への注目度はあるような無いような‥
 無いなどとは有り得ないのに、めっきりとタンパク質より影が薄い。
 ‥まるで、肩身の狭いお父さんの如し扱われようになっている。

 共生が保てないことで、男の立場も薄くなった。
 そこを保ってきた農耕は、まさに炭水化物の如し象徴だった。


> 現代人から共生観が薄くなったのは、自由を誤解したからだ。


 モラルを欠いた自由について議論することもなく、
 欧米列強のやり方を受け入れたことで、すべての歯車がおかしくなった。
 まぁそういうと世界は始めから歯車のずれた連中なのかというツッコミもされるだろう。
 ‥私たちのご先祖様にしたってピンキリの所が見られる。

 それにしてもである‥

 植民地支配を平然と行い、奴隷を了承し合ってきた連中と同じなわけがない。
 その者らの突きつけた銃口に正義なんぞ1ミリも無かったのだ。
 其は言うまでも無く、欧米人の「パンより肉だ」との価値観こそがそれを物語る。

 見よ。肉を主張していたわりには、旨味を知らずにいた連中だ。

 私たちは、炭水化物に重きを置いていたからこそ、旨味を覚えるに至った。
 ‥それはまさに共生の価値観のなんたるかの鏡似性でもあったのだ。


> 蹂躙しても好いなどとした自由など無い。それが普通である。


 どこまでが許されることなのか、無駄に慎重になるのは当然なことだ。
 中央が決めてくれないと何も始まらないという単位で無かったからこそ、それは成り得ていた。

 その意味では、大きな共生観など未だかつて人類にはその経験が無い。
 ‥そこはお互いに肝に銘じるべきである。


 国家の単位ですら、できもしないことを棚に上げて‥
 グローバルでないと意味が無いなどと言うは、実にたわけた見解だ。
 そこの言い分はいつだって、植民地支配時代の空気と変わらない。


> 小の段階でうまく行えないのに、どうしてその先の器があるだろうか?


 いつの時代でも‥何も言わずに居ては、蹂躙されるのは至極平然な状況に置かれ続ける。

 せっかくの民主社会を掲げていても、
 そこが人任せのままに諦めていたり、意見もせずに汗を流す様は、もはや共生とは言えない。
 それはそれで、植民地支配の体制を受け入れた隷属の如しである。
 ‥せめてものの慰みとして、人の良い主を求めても始まらないのだ。


 自由の意味を勘違いしていると、いつの間にか隷属の空気を醸し出していることになる。
 ‥そんな自分の気持ちに去来する危うさに、常に疑問を抱くべきである。


 ならば、隷属では無いとの意志を示す為にも、挫ける自由も又お預けになるだろう。
 それのお預けが嫌なら、自分にできる形の共生ぐらい信念を持って向き合うべきである。

 簡単に言えば、自分の気持ちに嘘や偽りを被せるな‥と言うことである。

 何事もダメで終わらずに、何とかしようとすべきである。インチキな奴らほど吾が身にそうだ。
 ‥自分がまともな側だと思うなら、尚更に智慧が湧いてこなくてどうする。


 「まずは、向き合うべき気力を養う上でも、炭水化物を食うべし」
 「おかずは早い者勝ちでも、ご飯はわけて残しておいてやるのが共生の心配りというものだ」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:28 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

【脱洗脳】しあわせなんて幻想だ

記稿.2015/11/11

人生は「うるさい」と「つまらない」でできている
しあわせなんてものは幻想だ


小言を気軽に吐く奴に限って、手より悪対・罵りが口を衝く
ほめてもらいたい奴に限って、「ありがとう」はポチ待ち状態だ
自慢したい奴になると、しあわせは僕だけの物なんてオーラを放っている

つまらない仕事を避けようと一生懸命にサービス業を選ぶ

心から気配りする気も無い癖に、一番にサービス業を選ぶという矛盾‥
人と対面せず且つリスクを負わずに済む仕事なんか何一つとして無いのだ
運動選手にアイドルともなれば尚更だ


頑張ることは、一見つまらないように見える
地道に孤独の道を邁進する後ろ姿は確かに地味だ
ハッキリ言ってもそれだけだ
やりたくないことなら尚更だ

見返りを求めて事に当たると、途端に裏切られる
心静かに、物事に対峙できない者は手作業には向かない

そんな手作業に向く者に限って、出しゃばることを知らないかのようだ

競争社会においてそれは追い詰められるばかりだろう
なぜって、身につけてなんぼと思わない輩ほど量産化の仕組みに関心が高い


「したいことができることをしあわせ」なんて定義をしてみたところで

ただの思いつきの自己満にしかあれていないのがほとんどだ
それらに何の意味がある

意味を求めない思い込みのままのお花畑は、所詮ガラクタだ
その証拠であるかのように大量消費社会を私たちは見てきた
買った物はさっさと壊れるか古くなり、無駄に欲しいを倍増しただけのゴミの山だった
まったく以て価値が無かった。それどころか、地球を壊してきた恥知らずだった

ババを掴まされてきたにもかかわらず、それでもそれがしあわせの形のままに置かれている

まるで、他の表現を知らないかのように‥
ああそうだな、うまく表現できない奴ほど無駄が多い


今一つ、はっきりと申し上げておこう

「人生は、血と汗と感謝でできている」
「何事にも犠牲は付き物だ。それが私では無いとした汗もリスクも存在しない」
「犠牲を減らす上で必要なのが共生だ。それは効率でも儲ける算段でもない」
「それをしあわせというのなら‥喜んで言葉に表現するとしよう」

「死と向き合わずして語られる幸福の追求なんざゴミ同然である」
「‥其を権利などというブッフェ風にしたためて、軽んじる社会自体が糞だ!」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:18 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

【懸念】プラスチック粒子から人口蜘蛛の糸まで

改稿.2015/11/07...20151105...

 今や洗顔料の中にプラスチック粒子(マイクロプラスチックビーズ)が入っている。
 これは目にも見えないほどの細かさで、使われた後はそのまま海にまで流れ込んでいる。
 ‥そのため、魚の体内に紛れ込む。

 世界中で禁止の流れにあるが、完全禁止までに設けられる猶予期間が無駄に長い。(猶予五年とか)

 世界が一番に懸念するのは、プラスチック粒子に毒性の微生物が付着して
 食物連鎖の中で濃縮されていくことだ。


> しかし


 魚の腸を食べることの無い西洋ではそれ以上の心配が無いのかも知れないが
 日本の魚文化ではかなり事情が変わってくる。

 ・ダシに取る小魚
 ・桜エビやしらす等の小魚
 ・イカの腸に代表されるような調理物

 ※ 貝類もそうだが、貝類はバブル洗浄ができるので、その間に吐き出す効果が望めそう‥
 また、マイクロプラスチックの多くは海面近くを浮遊する。砂浜近辺の浅瀬では絡むだろうが
 もっぱら海中に住んでいる天然への影響は、まだ容積辺りのプラスチック量も小さいことから
 魚に比べたらそれほど甚大には至らないものと考えられる。
 (それでも牡蠣の養殖は、海水の浄化力もすごいことから要注意だろうけど)


 といった日常の食事にまで、プラスチック粒子が紛れ込むのだ。
 ‥ようするにプラスチックを食べざるを得ない状況に置かれるのだ。

 腸を取り除ける程度の大きさの魚なら、内臓のすべてを取り除けばそれで済む話だが、
 取り除くことのできない小魚のレベルになると、
 ‥破棄するか、プラスチックを取り込むことを目に瞑るかのどちらかと言う事だ。

 物が物だけに、腸内に蓄積されるだろう点は否定できない。
 ‥それほどに細かいのだ。専門家が顕微鏡で覗いて確認するレベルにある。


> また、生態系で言うなら


 マンタに代表される海水の微生物を取り込むケースが一番に危機的だろう。
 鯨などでも、こし取るタイプがそうだ。
 こし取った先から、容積辺りのプラスチックが蓄積されていく。
 ‥これは、世界が鯨漁を批判する以上に危機感を持つべき中身である。


> 世界に無規制に技術が広がると途端にそんなことになる。
> その第二弾として懸念されるのは人口蜘蛛の糸である。


 そもそもにして人口蜘蛛の糸は、タンパク質由来だから大丈夫との思い込みがある。
 しかし、タンパク質だからと言っても、その耐候性を考えれば、
 コンビニ袋の分解性よりは長持ちしないことには、蜘蛛の糸のインパクトに欠くだろう。
 ‥すると、海水に浸かっても何ら問題の無いレベルでの投網などが出回ることになる。

 海にそのような強靱な材質がただようことになろうなら

 何が起きるかなどまったくわからない。
 例えば、スクリューに絡まったのが蜘蛛の糸でできた投網のゴミだったとして
 スクリューが破壊にいたるなどという懸念は十分に考えられるだろう。
 ‥まぁその程度は議論の場に乗らないかも知れないが、

 例えば、ケルプの森にそんなゴミが散乱するような状況になろうなら
 ラッコへのダメージは嫌でも懸念されるだろう。
 ‥今でもそうだが、蜘蛛の糸の強度次第では、今以上の被害は十分に想定されてくる。


> 革新的な技術の登場にばかり酔ってみても


 それらがもたらすだろう負の側面を十分に検証しないのでは、手にする資格など無いということだ。
 ‥そこを考えれば、米国が蜘蛛の糸を開発できなかったのは、当然だったのかも知れない。
 ‥売上を見込まんと気負ったビジネスの問題点は、その辺にも漂っている。


 「革新すぎても、同じレベルで害をもたらすのであれば、そのような技術は無用である。」
 「有用に留めたいのなら、限定的な用途を常に前提にして考えるべき事だ。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:12 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

【脱洗脳】怠け者VS.嘘つき

記稿.2015/11/04

 一般に共産思想が嫌われる理由に
 給料が同じだと、手を抜く輩が増えるという見解がある。

 だから競争または能力を前提に査定すべきだという。

 ‥しかしどうだろうか?
 私たちはそこにある問題性をすでにうんざりするほど十分に経験した。

 ずばり、競争社会では、
 上に行ける椅子の数に限りがあることから、嘘つきが増えるのだ。

 良い暮らしがしたいと思わざるを得ない状況・・
 否、せめて普通の暮らしをという状況下において、それは深刻度を増していく。


> だが、事の問題はそこではない。


 怠け者をどう定義するかにも依るが、
 中国の共産党内部を見ても分かるように、
 ‥汗を好まない且つ欲深な者ほど、そのままに嘘つきの側に回る率が高い。それはもう明らかだ。

 そもそもにして、

 共産主義を批判する上での怠け者像が前提にされてきた。
 しかし、何もすべての人間が、競争主義に於いて正されるわけではない。
 ‥儲かるという意味で言うなら、懲りない性分にまでチャンスを与えてやるような代物だった。


> 私たちの社会は、そんなことも見抜けないままに競争に煽られたままだ。


 特殊な部類の怠け者にまでエンジンを掛けさせたことで、嘘が蔓延ったのだ。
 ‥そこの失敗を素直に認めるべきである。


 競争にインチキが混じれば混じるほどに、誰しもは誠実の価値を見失う傾向にあった。

 インチキがなくても、競争モデルはその時点で破綻していた。
 なぜなら、諦めの悪いプライドが嘘を生み出すからだ。
 ‥そのような性分は、社会の上層に行けば行くほど割合も増える。(歴史の織り込み済みだ)


 怠け者を見て、「あいつ大丈夫かよ‥」と汗をしていられる内は幸せだった。
 しかし、嘘つきが増え出して、ひとえに汗すら掻いている場合ではなくなった。
 ‥それはもう、泣き寝入りの世界が、明日は我が身ということに成ってきている。


 「‥実際その通りだからな。いい加減に自分の本音に正直になろうぜ」
 「競争だけでも助け合えないのだと。科学の向上に比例して滅びる確率も上がるという実際に」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:58 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

【刮目】図々しさ図太さ太々しさ傲慢さ

記稿.2015/10/04

人は誰しも図々しさを兼ね備えている。
私を示さずに人は生きられない。
私を示さずに居ても同じことだ。其もまた図々しさの一つの形にある。

‥図々しさをどこでどう使うかが世の醍醐味でもある‥

不思議なことに想定内の図々しさはそれほどに気にならない。
‥少しでも枠を超え出すと鼻に付く‥

お互いの図々しさが近いと言うだけで気が合うのだ。
人をそのように見ると、好き嫌いの多くに意味が無いことがわかるだろう。

‥鼻に付く奴とは、そこにある図々しさの形が違うのだ‥

とにかく五十歩百歩だ。老若男女、聖人君子にもそれはある。
そこにある違いを知りたいと思うのが人でもある。
‥命に優しくあれという前に、まずは自分のそいつをなだめすかさなければならない‥


でも多くの場合、自分に甘いところから始まっていく。
‥それこそが、人は優しくあるべきだとする図々しさだ‥


自分にできていないことを人に求めるところから始まるのだ。
それが当たり前だとした見方から始まっていく。
挙げ句の果てには、都合が悪ければ嫌いになる一方だ。
条件を満たせば、その間は、お気に入りに位置することになる。

図々しさが違えば、求める優しさの形も違っている。

それでは、互いに理解などできないだろう。無理からぬ事だ。
‥まずは自身の図々しさを認識し、自覚できるようにあられねばならない‥

それがゆえに

図々しさの違いから乱れた争いは起こり得る。
おしかりや大目玉を経験することになるのは当然だ。
理解し合うまでその争いは続くだろう。ネチネチした躾感情は続くだろう。
‥なぜならそれは、お互いに手を取ることが答えではない‥

自らの図々しさの形を理解することで、はじめて互いの図々しさの違いが見えてくる。

その結果、何をどう改めるべきかが見えてくる。
それでもいきなり理想を掲げることはできない。そんなのもまた図々しさの形の一つだ。
‥一つ一つずつでしか見えてこない‥

その一つに一つに気がつく度に、そこに在った命に謝罪すべきことになるだろう。

それほどの命があってこそ、無礼を為して尚ようやくにして学ぶことができたのだから。
‥そこに、どうしようもない私が居られたのだから‥
‥自らの無礼をすべてに許してもらう前に、自らが、自分へのすべての無礼を許すことになる‥


勿論、そうは思わない図々しさも当然あるだろう。
しかしそれはそれだ。そこに対峙する段階にまだまだ在るということだ。

‥そこに居るのは、いつだって私ではなく私たちなのだから‥

‥見過ごすことなどできない‥
‥放っておくままなど有り得ない‥
‥愛とて、図々しさの薄れていく過程の仮の姿である‥


図々しさの薄れゆく段階において
ちょっぴり成長した自分たちのそれに、名前を付して酔いしれてみたい私たちが居るだけだ。
祝いたいだけの私たちがそこに居る。

‥それも供物を以て祝わんとばかりに‥

“こども”を“子供”と書くのが我慢ならないなどと抜かしやがる以前にあるそこの矛盾を、
「汝らの図々しさを、どう見ているというのだろうか?」
誕生を祝うのに供物を求めるから子供と書かざるを得ない。それの何が気にくわんと言うのか!
かようなことを言い続けるというのなら、自らの誕生を祝うことからして退けるべきである。

汝らの優しいなど、ほとほと自分に甘いだけの形にしかあれていない。
自覚が無いから、そのようなちぐはぐを論ずることになる。まったく以て図々しい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:20 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

【刮目】釣り合わざるして存在を得ず

記稿.2015/09/11

|後手を取る政治に誰も期待せず
|先手取る政治姿勢にゃ猛反対
|「何がしたい?」ポストの数ばかり上に乗せ

|身の安全話し始めりゃ核武装前提
|身の保証話し始めりゃ国民背番号
|経済成長口にすりゃTPP騒ぐだけ

|決まらずに時間経過も選択支増えず

|米ドル経済据え置きに皆で支持すりゃ上から目線支持
|「逝ってよし!」米ドル経済降ろしゃ選択支増

|軌道修正も能なし続投も、人材面での心配は同質

|民衆の何がしたいは守られたい
|守られたいは他人任せ|何も知ろうとせずに何様だ!
|隠し事いつまでやるの?|国民のうんざりも分からずに何様だ!
|無能と無知の応酬が民主主義だなんて要らねぇじゃん

|国民という定義の下に民の明日は死んだのだ
|国を造りたい奴が集う其は戦国群雄割拠
|国の運営権に派閥を組むのが議会政治
|どっちも戦が前提の目指すは中央集権化
|民が国を選べる錯覚×自治体が自治財源を自由創造できぬ不合理|ハッキリ言って鏡似性だ

|民衆の守られたいが全ての元凶なり

|民衆の自立とは、物事を理解した上で好きなことをするも出すぎずの心得
|上っ面の教育が好奇心だけを誘い込み自由万歳だと思い込む
|隠し事を含んだ教育が矛盾を孕み不和を呼ぶ

|正せない仕組みがある×民が知ろうとしない|是もまた鏡似性なり
|成長査定×踏んだり成長|是もまた鏡似性なり
|競争上のちびちび対応×ちびちび支持|是もまた鏡似性なり
|必要だからそこに在る×住民支持の強さ|是もまた鏡似性なり

|釣り合わざるして存在を得ず

|民衆の真価が見たいならまずは自分から
|真価の場面に出会えるか出会えないか、ますはそこが肝心だ
|人は目にした範囲でしかお互いを説得できない面倒くさがり屋である
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:33 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

【日本史】「下男下女とは何だったか?」そこから見えた混成大家族なる形

1-4)記稿.2015/09/10

> 日本では、奴隷文化が構築されることが無かったが、下男下女の言葉がある。
> それは何だったか?


 日本の老舗文化は、世界各国が舌を巻くほどに代々と続いてきた。
 それはもう放っておこうなら、どこまで続けるかなんてわからないほどに一途の勢いだ。

 実は‥

 そこには、とんでもない中身を身につけるまでに及んでいた。
 ‥でなければ、こんなにも子々孫々と家督を受け継がせることなんか無理。


> 古来日本人は、家督を子孫に伝える上において、尋常ならざる備えをして構えて来た。


 そこには、現代人が常識として持つ家族観を根底から覆す見識があった。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:55 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする