2017年07月21日

【メモ】弥勒論あらまし

記稿.2017/07/21

 ベーシックインカムだけでは失敗するので
 企業にも平たく予算を穂認して


> [B]−[C]=0


 ‥であれば
 どんなに無償にカネをばらまいても、そこからの増分だけを考えれば良いわけだが
 企業群の穂認総額が、すべてのベーシックインカムの総額を上回らないのでは
 商売上がったりの椅子取りゲームのままなので、タイミックインカムということになる

 タイミックインカムとは、個人融資に対しては、労働時間での返済という仕組みである
 (ただし、返済すべき労働時間はどんぶり勘定になるが、正規就業者の水準を逸脱しない範囲である)

 勿論、それも嫌なら、希望者にはベーシックインカムも考慮されるだろう
 (でも実際は、世帯あたり一人の働き手が居れば十分なので、織り込み省略の流れも想定される)


 ‥一方の企業の予算穂認に返済の義務は無いが
 最終的に、黒字分だけしか受けとることが出来ないとするのがここでのルール

 (マージンに規制を導入しては、商売が途端に糞つまらなくなるのでそれはできないが)
 (穂認金額以上を稼ぐというのもなかなかに悩ましいので、赤字では無い見なしゾーンを設ける)
 (最大設定16%まで。ただし見なしトントンでは、G幣をゲットできない)


> で、課題になっていたのが役人側の予算と賞与枠
> (同じようにするのもしっくり来なくて考えあぐねていたが、ついに妙案が浮かんだ)


 企業の売上から、見なしトントンをひっくり返した最大設定値+16%以上から上の上がり分を
 一旦国家に納布する‥(布なのでまるまる戻ってくる仕組み)

 (最大設定値+16%分内が、企業側の通年賞与枠‥完全G幣)‥黒字ならば

 そこで
 極端な格差に陥らないように、全体での赤字分(見なしトントンより下の総額)とさっ引く
 ‥で残った金額が、行政予算
 ‥といっても一年分では心許ないので、償還するのに2年程度の塩漬けになる
 (布の扱いなので、年毎に予算枠として復活する)
 ‥さらに、引かれた残り全部がG幣で戻ってくるのでは無く、一部S幣に減換される

 (規制できないマージン自由への調整と抑制を合理的にここで行う)
 (役人側もG:Sの比率に置き換えた状態で、給与払いとなる)
 (賞与以外の支払いはすべてC幣と同じ扱いなので、問題ない)
 (ただし役人賞与の対象に成るのは変換される年度分の枠からのみである)
 (といっても、16:84以上の印象を得られないのでは、役人賞与として不満か‥)


> ‥国際的な枠組みとしても、G:S、つまり、金:銀の比率として考えて
> 先手だって取り決めてしまえば、基軸通貨などと言う概念も不要になる


 もっとも優位な成績に認められれば、その国家の償還比率はG償還率100%でも良いだろう
 最低が、G償還率16:84ということです

 (それでも役人賞与としては、民間より少なく見えるので、上乗せしたい心理になると‥)

 まぁそうなりますと、G償還率の優位な国家で働きたいという流れになってきます
 ‥国際間の人口配分の都合も絡んだ取り決めが求められるかと


 (G幣とS幣との大きな差は、相続できるかできないかです)
 (基本則として、相続や譲渡では、継貨のランクダウンが発生する仕組みです)
 (C幣まで下がると、有効期限が発生します)
 (企業の売上は決算まで維持されれば十分で、予算は穂認で賄えるので問題ありません)

 (また、民族移動の要因になっても責任持てないし、生産量にも限度があるわけですから)

 (戻り布&分り布&地権布の効果に関しても、調整が求められるでしょう)
 (全額をまるまる認めるのでは無く、G幣なら有効金額半分、S幣なら三分の一など)
 (ここも国際的な枠組みが欠かせません)‥上位継貨は減らない使い方ができるんです

 ‥また
 国家予算として償還期間が長すぎても、新人社会人のやる気に繋がらないので
 国際的な枠組みとしても、予算歳入の計上として
 総額の二倍までの裁量増幅が認められる仕組みも提案できますが‥

 (ただし、役人賞与枠に関しての総額までが増える扱いとはしない、増やせるのは雑費わくのみ)
 (賞与以外の支払いはすべてC幣と同じ扱いなので、問題ない)


 まぁそれにしても、増幅枠に関して言えば
 それの使い道の説明と透明性が求められるでしょう


> 概ね、行政予算の必要は、小さくなるので、国家権力としての方向性が問われるのです


 まぁ、さしずめ一億総科学者宣言でもして基礎研究に費やすか
 災害防衛宣言とばかりに、新天地への移住技術の開拓なり、調査に費やすかでしょう‥

 普通に暮らすだけなら、カネは不要と考える奇特な御仁もいる一方で
 名誉を得るにせよ、それの代替としての賞与を求める思考を楽しむ御仁も居るわけです
 ‥そしてなによりも、お仕事が創造されないと成り立たないのが経済というゲームです


> あとは、本レベルにまとめるだけだな(ああ、面倒くせえ)
> 俺の頭の中では、すでに経済問題は解決した1000年は保つだろう
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:07 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

【零戻メモ】穂と電子マネーの使い分け…その2

1-2)記稿.2016/02/07

> 零戻経済に於いて、ネット枠電子マネーの支払いはどうあるべきか?


 資本経済に飼い慣らされた頭のままでは、
 どうしたってデジタルアイテムの消費は、ネットマネーを介して支払うのが当然だと思い込んでいる。
 (ネットマネーを買って、それで十分だと‥)

 「それは本当に正しいやり方だろうか?」
 ‥其に疑問を持たないままなら、ネットマネーの既存的ルールから一歩も進む所がない。

 電子マネーのそもそもは

 改札の混雑を緩和する上での流れから来た副産物だった。
 そこにネット管理という共通項に着目した結果、ネットマネーとしての今の形がある。
 ‥それはそれで、資本経済構造上の都合でもあった。

 零戻経済には、そこに根付いていた資本利権の都合など不要だ。もっと自由に考えて好い。


> 例えば、子供の小遣い


 ネット払いであるがゆえに、ネットマネーからしか支払いができない形は
 親としては、与えるお小遣いに対して、そのお金の使い方が気になって仕方がないままだ。
 (できるなら、お金の話抜きに、購入した中身に議論の論点を置いて言い聞かせたいところだ)

 そもそも‥その手の消費には

 ゲームごとにアイテムが違っていて、楽しむ上である程度の数が求められる。また、
 その数とゲーム自体の数量が倍増し続けるという難儀が、無尽蔵の資金を遊びに要求する。

 デザイン的に見れば、デザイナーを育成するにはそれだけの場数が求められるという話だ。

 そこをダメダメ視線で見ていては、世の中のデザイン性はちっとも向上を見せることにならない。
 世の中において一番の金食い虫はデザインであり、それは何も子供の遊びに限ったことではない。
 ‥親がそこをダメと言い張っては、ママが自分のおしゃれを我慢すべきだと主張したも同義である。


> だが


 そんなものに汗して稼いだお金を注ぎ込むほどの価値はあるだろうか?
 ‥それこそただの買い道楽にしかあれていない‥

 だからこそ

 穂カードを利用した買い物ができないともなれば、踏んだり蹴ったりで
 凝ったデザインに触れる機会や体験を逸することになる。
 それは、人生の細かいところでの至福感の連鎖を減少させるばかりだろう。
 何事に於いても‥デザインから刺激を受けることを批判しては、損を見るのは私たちだ。
 まずは、多くのデザインに触れずして、善し悪しを見る目の養われるところがない。

 ならば

 穂カードの金額からでも、ネットを介した買い物を立ちゆかせる角度が求められる。
 ‥それも、ネットの外が、シャッター通りにならないようにである。

 (近隣に店が一軒も無いのに、家々のクローゼットの中身はぎっしりとしているなんて様は)
 (それこそただの消費の肥やしだ。近隣に職場が無い(作り手の不在)を示すばかりの矛盾だ)
 (‥そんなのは村造りでも人生の豊かさでもなく単に妄想同然だ。当人らが作り手なら話は別だが)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:00 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

【零戻メモ】一部名称変更のお知らせ

記稿.2016/01/22

> 置き布の名称が分かりにくいようなので
> 分り布【わりふ】に変更します。


 ‥申し訳ありませんが、過去記事に対して修正を加えるかどうかは気分次第です。
 現在すでに、まとめる上でのタイトルと方向が固まってまして
 さっさとメモの方を片付けようと頭をひねってます。
 オタク感丸出しのそのタイトルにかなったわかりやすさが欠かせません。
 (どうせ読み返さないと忘れている部分もあるわけですから、その見直しついでになるかと)


 ‥布はどれも戻ってくる条件付けにあるわけですから
 意味としては、どれも戻り布にあるわけです。
 置き布と別に名称しても同じことで、分かりにくいと言えば分かりにくい‥かなと。

 始めのインスピでは、「わりふ」だったような覚えがありますが
 当て字が湧いてこなくて置き布にしておいた記憶があります。

 歴史的にも割符【わりふ】というのがありまして、意味がまったく違います。
 割賦【かっぷ】という言い方もあります。こちらは分割払いを意味しますが
 割り布と書くと混同してしまいそうです。「字の間違いなのでは?」とか。
 ‥そこで今回思い浮かんだのが「分り布」とした当て字です。


> あと‥「分割の支払いは月賦では?」との問い掛けが今回やって来ましたが


 高額商品を買うのに半年程度の期間での分割払いというのはあまり聞き及びません。
 よほどのことでない限り、金利を考えれば一括で買う範囲が対象だと思います。
 ‥そういう類いは、零戻経済ではC幣の方で十分賄えるはずです。


 零戻経済の賞与は、一貫して年棒制で扱われることから
 支払いの方も手元資金の使える制限として年払い単位での計算という方向です。

 ‥でないと、持っている側と持っていない側との差が大きくなってしまいます。

 「一年間でも慣習に準じて分割と見なしても良いのでは?」とした考えもできますが
 それでは下位継貨の賞与C幣にメリットが無くなります。ここが重要です。
 自分たちで汗して稼いでおきながら、その優越感を薄めるようなルールでは意味を成しません。

 ゆっくり払ってそれでも減らないという感覚がどれ程のものなのか‥
 考え方を見直せば、三年毎に手元資金からの分り布でもってリニューアルが可能です。
 洗濯槽だけの交換がしたいとか‥‥炊飯器の窯だけ交換したいとか‥消費電力の削減がしたいとか‥
 ‥そんな需要にいくら注ぎ込みたいと言うのでしょうか。


> いくらあっても好いかわりダネと、無いと困るモノとの分別ぐらい分かるでしょう。


 儲かる仕事(人気)と、儲からない仕事(不人気)の差があることで
 地域や文化が行き詰まるのは、社会全体の利益にならないわけです。
 ‥そういうのは偏見しか身につきません。改善されるべきが、来たるべき新時代だと思います。

 商売の醍醐味は、出し抜きだとは思いますが
 人生の醍醐味は、助け合いなんですよ。
 ‥そこのバランスをどのように調整するのか、そりゃ大仕事ですよ。大テーマです。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:34 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

【零戻メモ】布率合わせと3つの計算式‥その1

1-2)記稿.2016/01/22

> 「マージンと評労これをどうするか?」‥従来の思考が全て白紙になりました。m(_ _)m
> それに伴い、役人側の取り分考慮も再検討になるかと‥m(_ _)m


 万民幣権だから、誰にでもお金を創造する権利がある。
 万民幣権と基本的人権は同梱だ。されど依存感の行き過ぎはどちらもよろしくない。
 ‥既存の政府通貨思考でもそこは同じで、どのように分ければ公平になるかが課題になる。

 民主主義を民衆の代表が政をすることだと考えようと、多数決制度と考えようと
 不公平を嫌うのが民衆である‥そこの根っこは変わらない。

 民衆に、公平と保障をもたらす為の種銭として、お金の創造が為される。

 それは同時に、税金の概念を怪しくする。
 税金ばかりではない‥ものの値段に付されるマージンの比率にしても同じだ。

 でもだからといって、単純に、自由にやって来た所を平たくやりましょうなどとして
 消費税のような一律としたマージンの割合にしてしまえばいいという話ではない。
 そんなことをしたら、誰も損を請け負えない形式に陥る。

 ‥それはつまり

 売れても売れなくてもマージンを変えられないのだから、
 売れないものほど価格が高く見積もられて見えてしまうだけのことだ。

 そもそもにして、人為的なサービスに値段を付ける場合の基準が曖昧さとしてある。
 生産物に対して経費を数で割れば良いような商売ばかりではない‥ここがとても悩ましい。


> 采配の責任権限のわかりやすさも求められる‥
> 行政判断・経営者判断、お互いに話し合いの中で凌ぎ合えるような反比例感だってもちろん必要だ。


 無い袖を振れないのとは違い。有る袖をどう振るか‥なのだ。
 ‥そこで今回、タイトルのように閃いた。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:35 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

【零戻メモ】地権布(不動産業はこうなる)

1-4)記稿.2015/12/03

 土地の自由・住む場所の自由こそが、きわまるところの贅である。

 しかし、そう考える者も居るだろうし、そうでない者も居るだろう。
 どちらにしろ人類は持てる技術を駆使して、空に海面に海底に地底に
 好奇心ゆえにそこでの居住を可能たらしめんとして進出するだろう。


> その時、そこは国家だろうか?‥それとも自治区だろうか?


 想定としては、何らかの領域に属しているはずである。
 ならば、自治区という解釈が適当だろう。
 自治区の区割を手に入れるには、創設に参加していた方が有利だ。
 ‥未来的に土地を手にするとは、そういう事になる。


> ところで、土地を売買の対象にした在り方は、どうなのだろうか?


 仮に‥割り当てられたとしても、そこにずっと居なければならないというのは横暴というものだ。
 かと言って、割り当てられないとなれば、あまりにも不公平というものだ。
 ‥それでなくても、土地の善し悪しそのものが、幸・不幸の吉凶を握っている。

 土地に絡んだ様々な不公平を解消することはとてもデリケートな問題だ。

 そこで売買という考え方が先に立ってきたわけだが、それにしても
 それが公平な在り方だったかと言えば、元々の地権は何だったのかという疑問も募るだろう。

 地権のそもそもはかつての栄華や権威であり、その子孫に譲られるのが当然とされてきた。
 ‥それは又、そこに土地としての性格が宿っているとも言えるべき中身を担っている。

 一方で

 理想を問うなら、住まう上で自治体を選べることは、個々の希望に適うべきだと思う。
 ‥それにしても、受け入れ枠には限度というものがある。
 ‥それはまた、土地の側が人を選ぶとも言えるべき性格だ。

 土地に住む側にこそ暮らしの優先権が有るべきで有るのに

 余所から来た者が、やすやすと資本の力で以て、移動先での優先権を主張するというのは
 何をどう考えてもおかしな成り行きというものだ。
 ‥そのような横暴から市民を保護するのが自治権でもある。


> ところが、売買で地権を認めると、なかなかに話がまとまらない。


 一度契約が済んだなら、多くの者は手放すことが無い。
 ‥そこがお気に入りであったなら尚更だ。
 ‥企業の所有とも有れば、地場産業の在り方とも絡み、色々と細かい話になる。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:05 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

【零戻メモ】機能分権平行割州制度

1-3)記稿.2015/11/22

> 地方分権の枠組みをどう考えるかはとても繊細な問題である。
> そこで、機能分権平行割州制度というものを考えてみた。
> 是はあまりにも斬新な見立てであり、根本的に意識の切り替えが求められる。


 まず、根っこの思い込みな話として、
 昔ながらの土地分けに従ったままに、そこに領地権のような形でセットで色分けしてしまえば、
 様々な用途から見た場合、途端に不都合までが行き渡ってしまう。

 民主社会にあるのなら、統治権を地域に委譲する形にこだわる必要はない。
 あくまで暮らしとしての機能性のみにこだわるなら、
 列島を用途別に色分けすれば、いくらでも平行的にエリア分けすることも可能と言える。

 それはちょうど民間事業を業種別に分けて、列島の図面を並べるようなものだ。
 ‥民で成り立っているのに、官で成り立たないというはずはない。
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2015年10月21日

【零戻メモ】穂と電子マネーの使い分け…その1

1-2)記稿.~2015/10/21

> 穂カードは、貴金属を使用しない点にメリットを置く(安価&そうしておく必要がある)


 しかし‥処理スピードにおいて
 レーザーを用いた媒体への読み書きは、ICチップ内蔵のカードに比べて劣るだろう点は否めない。
 その点、交通機関での利用時は、電子マネーが推奨される。(端末一体型含む)

 時間的効率が求められる場合には、そういう理解になるが
 そうでない場合は、穂カードでの支払いが、システムとしては推奨される。


> では、穂カードの金額を、電子マネーサービスにチャージし続けられるとしたらどうだろうか?


 誰もが、気軽にネット枠の電子マネーを利用して、フルチャージしておこうとするかも知れない。
 穂からのチャージが自由に可能なら、誰もがより気軽にネット購入を考えるだろう。
 ‥そうなれば、地域経済や労働意欲がどうなるかはまったく予想できない。吉と出るか凶と出るか‥

 一方で

 電子マネーでの買い物は(交通利用兼用タイプ)
 チャージした金額分のそれを保証しない扱いから、月使用分をまとめた枠での利用を前提にする。
 週間隔を単位にしたチャージ想定ともなれば、多少なりともその使い勝手に煩わしさが伴うだろう。
 その点で、穂カードにも分があり、使い分けの余地は十分あるように思う。
 (雲座からのチャージには金額に限りが伴うが、穂カードからはカードの確保意欲が限度になる)

 ※ 穂カード郵送サービスは地元自治体域内だけとし、管轄外への郵送は有り得ない。
   基本は各々で取りに行くことが求められる。
   ‥足を運んで貰えばこそ、各地域にお金が落ちるのであり、すぎた郵送サービスなど無だ。


 「‥で、是は成り立つのだろうか?」
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2015年10月08日

【零戻メモ】現金(国券形状)存続の余地

1-3)記稿.2015/10/08

> G幣の相続を一世代先しか認めないとする扱いから


 中途譲渡にも、取り締まりが求められてくる。
 このような考えは、完全に資産管理される内容を示唆するが、

 同時に

 G幣の獲得は、黒字収益から得られた分配でしか成り立たない次第を意味する。
 ゆえにG幣の価値は、従来の金塊以上の特性を‥所持者本人の生きている限りにおいて創出する。

 ‥G幣&P幣は、普通に下ろして使うような消費利用をしない限り、減ることが無い‥


> このような流れから


 G座からG座に資本移動するに辺り,
 一族間でのやり取りは、P幣に変換されることを想起させるものの‥実際には、
 一族の規定は一族の一族をまたげば、どこまでもつなぎできてしまう落ちが発生する。

 そのような矛盾を防止する為にも、

 上位継貨の雲座間資金移動はS幣に統一されて変換されるものとする。
 勿論、同一名義またはそれに準ずる雲座間を渡す場合は、S幣変換に該当しない。
 (‥そのような該当複数雲座の必要性について問うなら、グローバルでの活動が上がるだろう)
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2015年10月03日

【零戻メモ】相続と賠償時の零戻ルール

1-3)改稿.2015/10/03...20151001...

> G幣の相続が無限に繰り返されることは明らかに欠陥である。


 しかし、どうしたら良いかに妙案が思いつかなかった。
 でもよく考えたら、相続時にP幣に変換してしまえば良い。

 P幣には相続権が無いから、P幣に変換された分は次の相続が成り立たない。
 (※相続者の死亡による相続を繰り返した挙げ句に転がり込むようなサスペンスは成り立たない)

 だから

 問答無用で、富裕層なら一族間で上手に配分するのが筋になる。
 とりあえずの金額は全額保証されることから、
 モノに転換する手段に影響を及ぼす好奇心を排除できている。(ここ重要)


 G幣の相続は一世代先までしか認めない。


 そういう形にすることで、無限可能にある穂の問題点を解消できる。
 ‥これなら平均寿命が千歳レベルになろうがほとんど問題にならない。
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2015年08月08日

【歴史認識】ちゃちゃっと復習!お金のカラクリ

記稿.2015/08/08

 世の中にはお金が溢れているように見えます。
 それはお金のカラクリがよく理解できていないからです。


> 資本社会の世に出回るお金はすべて貸すことで生み出されています
> つまり借金の総額です


 ・自身の負債(支払い)に、何らかの債権(受け取り)を差し出すことで支払うことが可能です。
 ・債権を渡すことで支払いに充てられたとて、それに受け取り価値が無ければただの紙屑です。
 ・債権を生かすも殺すもアイデア次第ですが、債権よりも担保の方がおいしい場合があります。
 ・そんな時は、債権を白紙に戻して、担保を取られて終わりです。
 ・多くの場合‥債権だろうと担保だろうとなんだろうと換金した方が身軽です。
 ・債権並びに担保は維持もされます。そうなると負債から逃れることは険しくなります。

 ・時として、担保はちゃっかり裏で売り払われ、債権だけを押さえている場合も見られます。
 ・その最悪銘柄は米国国債です。
 ・USDに並んで、すべての通貨には国債なり借款が絡みます。つまり担保です。
 ・国債の担保は金塊または相当現物であるべきと思われていますが、多くは税金からの充当です。
 ・もしくは、国家財政の運用の権限を含みます。(この場合、基本的人権は必ずしも優先されません)
 ・一般に紙幣の裏付けが国債との認知ですが‥{紙幣}={金塊}、{国債}={国力}と解釈すべきです。
 ・その事実として、金塊を抱え保持しても、国力に乏しい国家に多くの国債発行は了承されません。
 ・米国はどうですか?‥その軍事力の右に出る存在は地上にありません。{国債}={国力}です。

 ・このような債権と担保を前提にした貸付経済の特徴は、
  金塊を金庫に納めたまま‥債権を餌に、自らが傷つかず且つ他人の資本で運用が可能になる点です。
 (‥例え金庫が空っぽでも、有ると言い張り&既成認知が大きく蔓延れば、裸の王様が通るのです)
 (‥仮に其を見せられても、了承することでお互いに利得なら、裸の王様劇場は続投されるのです)
 (つまり、正当な裏付け論など始めから無いも同然です。従う意義も怪しい限りと言ったところです)


 このような事象は、貸し手でもある希有の銀行家がお金をたくさん持っていたからではありません。
 権利を獲得したことから始まります。それは戦費の肩代わりから始まると言われます。

 ‥まずは、加勢した戦争での勝利の暁に、その報酬として国家財政の運用権限を任されて
 ‥次第に、債権を刻んだ債券で売買できる仕組みが人々に広く認知され
 ‥銀行群から国家への貸付が屋台骨に成りましたとさ。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:56 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする