2017年04月10日

【宇宙な?】クズという公平たる入り口

↓6)改稿2017/04/10...20170408...

> 今や、宇宙全史の入門用語は「クズ」です。
> ‥「クズ」としての己を自覚することが大事!
> ‥そこからのスタートこそが本道!


 さてさてさて、「クズ!!」‥どうにも引っかかるお言葉ですが
 是をもう少しやんわりと職人風に語ると「未熟者」です。


 「クズ」=「未熟者」=「教わる方が楽しい&うれしい」=「与えられた方が楽チン&有り難い」


 ‥おうおう、だいぶわかりやすくなりました。

 たしかに、
 未熟者としての自覚が足りていないと、どうにも精進は進みません。
 まさに道理です。(職人云々にあれば、すんなり理解できるはずです)
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2017年04月06日

【宇宙な?】覚醒の意味する領域

記稿.2017/04/06

> 宇宙全史で言えば、「覚醒」「覚醒」と口やかましいがそれは一体何を指しているのか?


 所謂、人間という肉体のパフォーマンスとして
 想定されている知覚に到達した。

 若しくは

 想定されている以上の新たなor異怪な知覚を獲得した。


> 宇宙広しといえども、人間という肉体を通してでしか獲得できない知覚が存在する!
> ‥しかもそれは地球オリジナルの肉体という実験!


 (地球人との自覚があれば、切符は手にしているわけだよね)

 つまり、五感・六感なんてのは、入り口の入り口に過ぎず
 そこから何をどう考えるかが、まず、知覚への這い這いで‥
 知覚できる事象を増やしていくことで、肉体に埋没している知覚を起動させると‥

 如何なる道具にも用い方のプロ・達人が居るわけで

 その知覚の用い方の一定の段階に到達することが求められている
 ‥まぁ取りあえずそんな感じなんじゃないっすかね???


> 地球人類のDNA並びに脳には、それだけの謎が埋没している‥
> ‥それは、ナチュラル&ピュアである程、共鳴性能が高い‥(思い込みというリスクもな)


 ‥そう考えないと人類という実験の持ち味が見えてこない‥

 覚者が増えると自分が落ち目になるんじゃないかなと考えだす輩もいて
 邪魔する方向への力も発生し(人類滅亡欲)
 (これも知覚の一つ:悪意という知覚の発見という理解の発生)

 ‥それら様々なガラクタやらお宝やらを組み合わせて、全体を認識する‥

 認識した上で、どう生きるのか?という課題性。

 究極的にはそこの理解&一体=不老不死へと続くサクセスストーリー

 (まぁ不老不死の証明は、生きてみないとわからないわけですが)
 (時間を超えた体験が日常的に普通に無理なく可能なら、ほぼイコールかと)

 ‥そこを文明の枠で考えれば、科学力も含まれるかと‥(科学も知覚の一つ)


> なんでもそこを(なにやらして)飲むだけで覚醒レベルしめる薬草(?)があるそうです


 ‥瞬間的な意味なら秘宝としてジャングルにあると聞くが、永遠に効果たらしめるかは不明
 ‥不老不死の段階にまで導くかどうかまでは(リスクを含め)語られていません
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2016年03月07日

【宇宙な?】人類が唯物論に陥らざるを得なかった理由

1-3)記稿.2016/03/07

> サルトルを囓ってみたら見えてきた‥人類が唯物論に陥らざるを得なかった理由。
> ‥WWU後、世界を一世風靡した哲学者サルトルはこう言っている。


 「人間の本性は存在しない。
 「その本性を考える神が存在しないからである。
 「それゆえ、人間は自らの本質を選びとった上で、未来を作り上げなければならない。」


 ↓ 前提をなす基本概念。


 「実存は本質に先立つ」

 ※ 実存、今ここに在る存在。
 容れ物が先に登場するものの、何が入るべきかは後から定義される。
 ‥人間という何かが先に登場はするものの、人間がどのようにあるかは決まっていない‥との定義。

 神が先に登場していたとしても
 神ですら、人間ひとりひとりをどうのようにすべきかは決めていない。
 ‥それを示すかのように、哲学が導かれている。


 ↓ 決まっていないからこそ自由だと語る。(だが‥サルトルの求める自由は角度が少し異なる)


 「人間は自由である。人間は自由そのものである。
 「もし一方において、神が存在しないとすれば
 「われわれは自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。
 「われわれは逃げ口上もなく孤独である。
 「そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。」


 サルトルの考え方に信仰や宇宙観など一切無い。そのような飛躍を枝切りしている。
 お墨付きなどどこにもない。真実をどうこう価値付けるかも私たちだとしている。
 あくまで人間中心主義である。今ある人間の持つ許容がすべてであるとした現実主義でもある。
 ‥人間であるがゆえに、どうするべきかを根っこに据えている。

 人間の存在性・抱え持つ性質の矛盾すべてをそのままに認めた上で、敢えて
 その意味を定義せずに、放置されているとして位置づける。
 サルトルは、そこに見えたわずかばかりの開放感に自由を見出す。

 だが、確信など得ていない。
 ‥これとした何かを得たいなら、自分で選びとって、未来を勝ち取れとしてそこで終わるのだ。


> 哲学と言うよりは、決意証明のように思える。


 善も悪も問わず、あるがままを見つめざるを得なかったWWU後の世界に
 この考え方は実にシンプルに映ったのだろう。
 ‥そして、そこにあった色合いを、人類の多くが、神との決別として解釈したことになる。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:56 | Comment(0) | 哲学/宇宙的に | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

【哲学】意識論からの出発

記稿.2016/03/06

 唯物論こそ科学であるとし‥
 偶然の中から規則的な何かが生まれるよすががあるとして自然を信奉する。また
 その反対に‥自然そのものを偶然の賜として思い込んでいるのが現代に生きる多くの人々である。

 しかしそれでは、規則的な何かをうみだし得た奇跡を「不自然」と呼ばざるを得ないのである。

 その誤った定義で問うならば
 私たちが規則的と思っている宇宙の科学法則の方を「不自然」と呼ぶことになる。
 これでは、不自然性から生じた奇跡こそを普遍性であるとして、「科学だ」と叫んでいるに等しい。
 ‥随分と不可解なトンチンカンを言い放っているのが、現代人の科学見解と言うことになる。

 ゆえに、偶然を唱えてしまう衝動こそを「非科学的」と、定義できるのである。


> では、その非科学的と思しき偶然衝動は、どうして多量的に発生し得るのだろうか?


 誰しもがそう思うのだ。その反応はすでに自然的な作用に至っている。偶然などではない。
 私たちはその認識し得る感覚を、どうしたって「意識」と呼ぶのだ。

 意識が誕生したのは、超自然的なことである。偶然などではない。
 必然とも、当然とも、法則的根源にあるとも支持できるのだ。

 ならば、宇宙に意識は普遍的に満ちていると言えるだろう。

 むしろそう考えた方が自然である。
 だとすれば、すべては私たちの暮らしと同じように
 意識のやり取りが、宇宙に絡んでいるとした宇宙観&歴史観を抱かずには居られまい。


> 私たちの意識の内に、善と悪、多様性を理解する認識が備わる以上
> ‥宇宙の側にも、そのように在るとして、受け入れざるを得ないのだ。


 「私たちが科学と向き合う時、悪を消滅させたいと望むだろうか?」

 否、むしろそれを望むのは悪の方だ。
 悪として善の消滅を望むのだ。だから対抗せざるを得ない。
 無論私たちの日常は、科学をそのような手段として用いることを望んではいない。

 うまく調和させることで、破壊的なエネルギーとて創造的に活用できるはずだと考えようとする。
 ‥私たちが科学として求める形とは、そもそもにしてそのようであるはずだ。

 しかし、宇宙的に見た場合、それら力の制御はとても難しそうである。

 ならば、普段から気持ちが乱れてしまう‥その程度の浅はかな私たちに
 宇宙の奇跡たる意識のバランスの前に、云々言えるような立場はまず無いと言えそうだ。


 それでも、意識が意識として成長を遂げる為にも、私たちには自由が許されているのだろう。
 ‥では、その自由の尊重を以て、宇宙の唯物的なる思索を続けることに何の意味があるだろうか?

 そこにあるべきは、もっとワクワクとした感情であり、
 何ができるのかとした好奇心にあるべきである。

 大いなる存在たちは、其を感謝として表現することを人間に期待している。
 ‥そう考えずして、私たちの人生が、尊べるエネルギーで満ちることなどない。
 ‥地球の現実を見れば、明らかだ。


> 一方で


 意識は自由なのだから
 「太き同意」と「細き同意」が、それぞれに宇宙に蔓延していることになる。

 私たちは、その太き同意の姿を一生懸命に物理法則だとして追いかけているにすぎない。
 細き同意を、人間の醜さとして嘆いているにすぎない。

 私たちが、科学に魅了されて、太き同意の正体を突き止めることに夢焦がれているのなら
 同時に、私たち人間の方も‥自由ゆえに互いの意思の身勝手さを越えて、平道を勝ち得なければ、
 宇宙の太き同意に触れることなど叶わないだろう。

 なぜなら

 宇宙は、弱き私たちが偶然だと思い込みたいほどに
 実際的には、徹底的に管理し尽くされた空間にあるからである。されど
 如何なる管理に置かれているかに思い悩む必要などない。天の川の輝きを見れば一目瞭然だ。

 だがしかし、どれ程の細き同意が散らばっているのかにも、同時に注意を払うべきである。
 ‥思い悩むべき必要があるとすれば、それは私たちの日常とさほど変わらない所にあるはずだ。


 「もはや、天体や大地には意識が満ちており、
 「意識のあるがまままに、関わり続けていく次第を私たちは受け入れるべき時期にある。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:14 | Comment(0) | 哲学/宇宙的に | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

【哲学】存在価値の不確定性

改稿.2016/03/06...20160305...

> 基本的人権とか言ってみても、所詮‥
> 人は本能的に、他者との間に優劣を持ち込んでしまう生物である。
> それはなぜだろうか?‥を数式的に考えてみた。


 基本的人権を数式でイメージすると
 問答無用で A=B=C・・・=□と定義することになる。
 そしてそれは、A−B=0つまりA−□=0である。


 ところがである。


 A+B+C・・・+□・・=0と言うのが、仏教で言う不増不減の世界観である。
 私たちがどのように変化を遂げようとも、宇宙からしてみたら何も変わっていない。
 ‥右辺が0でも∞でも用は同じと言うことだ。

 つまり

 A=−{Aを除いた全体}
 −A={Aを除いた全体}である。

 なぜ、マイナスが付いて付きまとうのだろうか?
 先に挙げたA−□=0であるはずなのに、実はそうじゃ無いらしい。

 これを詩的に表現するなら
 私に自信が凸る時、なぜか周りの世界の方が残念に見える。
 私の自信が凹んでいる時、なぜか周りの世界の方が頼もしく見える。
 ‥というのが、不増不減の世界観であるという次第になる。


> では、A−□=0の世界観はなんだったのだろうか?


 人が、自分と何かを比べる時、それは全体を意識しない。
 つまり、□の中身は全体とは限らないと言うことである。

 基本的人権と言ってみても、それは地球人の想定した枠を意図した用語である。
 ‥宇宙人にも適応する権利だとして、無造作に応じるに及ばないとした意見もあるのと同じことだ。

 詩的に語れば
 A=□の世界観とは、自身の認知しうる限界を意味することになる。
 日常感で語れば
 自分の世界観に準じた生き方でしか満足感を得られない次第になるだろうか。

 即ち、自身の存在性に適った環境の大きさもしくは質ということになる。
 私をよく知らないのに、リッチな暮らしぶりを先に考えてもなんの役にも立たないということである。
 ‥お互いをよく知らなければ、お互いの暮らしは良くならない。そう見ることもできる。


> では、もう一度‥
> A=−{Aを除いた全体} & −A={Aを除いた全体}をどう見るか?


 自分はそこそこに満足しているらしい。
 でも、周りからしてみたら、凹んでいるように見える。
 ‥もっと頑張るべきだ。

 というのが、全体が言い方向にある状態と言え、
 自分の方が満ちているように思える時は、逆に世間はそうでも無いのだという見解になる。

 ならば、自分の思うマイナス気分を打ち消す必要は特にないのだろうか?
 ‥そこで、A=□を満たしているかどうかが、その問いの鍵になりそうだ。


> まずは、自分を識ることと、周りを識ることから始めよ‥ということである。


 でもねぇ‥自分を識るという意味は、体験を積むことでもあり
 周りを識るにしてもそれは同じことなのだから、食わず嫌いはまず成長できない事を意味する。
 まぁ本能的に受け付けないことを、無理強いする意味合いも薄いわけだから
 ‥そこはお互いに理解すべき所だ。

 でもねぇ、気分とかプライドとかくだらないことを理由にして冒険しない輩も多いわけで
 体験を増やすことに興味関心の及ばない集団に未来が乏しいのは当然である。
 ‥それは自身にも言えることだ。それが汝らの枠組み、つまり=0の状態になる。


> 感じたことがない事象は詩にはできない。
> 感じたことのない世界観の言葉を読んでみても理解なんかできはしない。誰も同じだ。
> 自分の言葉にするためにも、まずは体験してみないことには詩にはならない。
> 時には一定の理解を求められるだろう。その理解を以て、私の想いが詩としての水準を得る。
> 成長を望むにしても、自らに不足を思えばこそ辿る気にもなる。
> 満ち足りたと思う者は、詩人から遠ざかるのみである。
> 発見こそ詩なり。発見する者こそ詩人なり。
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2015年05月03日

【川柳】よろこび14射+1

記稿.2015/05/03

|歓びで体が動く命かな

|悦びを沢山持てば自慢風

|喜びを独り占めしたくてライブラリー

|慶びの押し売りなのか?交雑なのか?

|悦びも大衆レベルにゃサバイバル

|喜びを奪い合うなら格闘技

|いつの間の喜びバトル格差是認

|闇覆うも‥歓びなのか債権狂

|汗も涙も分け合いも命に限りある姿かな

|限りある命ならば喜びも

|悦びをひかえてみても損など無し

|今ここの感謝と生きる素顔から

|生き生きと明日があるから風まかせ

|よろこびに溢れた先にもぼっち然

|ただここに生き通すそれだけのこと
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2015年04月29日

【疑問】DNAが先か?タンパク質が先か?

記稿.〜2015/04/29

> DNAが先か?タンパク質が先か?


 と言う問いは、「鶏が先か?卵が先か?」の問いに等しい。

 これは即ち

 環境の変化から如何にもタンパク質さえ出来得るなら、
 生命が誕生するとした科学者の言い分は、総崩れになっている。
 (科学者らは、わかっていて研究を進めている模様)

 「これら二つは常にセットである」(いわゆる鏡似性)


 「なぜそうなのか?」という処に、この手の疑問の本質が浮かび上がる。


 ‥もう少しトンチなことを言えば(仮定の域での話ではある)
 人間または知的生命が化学合成するから多様なタンパク質が合成できるのであり
 自然界が合成し得た成分がどれ程にあるかというと、生命を存在させる範囲でしかない。
 (もしかしたら、原子そのものがデザインされ得た姿かも知れない)

 人間の手であれこれと合成できるからという性格は、自然界から見れば不自然な形である。
 そもそもにして、人間が安易に手を加え得ず状態とは、それ以前の淘汰の形だった‥

 といっても‥生命の創造自体が何者かの手に因るものであるなら淘汰も糞も無い、
 そこには、そういうデザインの痕跡が散らばるばかりになる。


 ‥それはつまり、デザインセンス無き科学者なんか「糞」ということだ。


> ‥さらに言うなら


 それらタンパク質の効率に見合った生活スタイル・価値観があるという次第であり
 そのタンパク質の効率に沿った生活を営めない人間は糞と言うことになりそうである。

 何の話かというと寿命の話だ。

 タンパク質なり酵素なり体内菌なり‥それら一体となった良好な活動状況が寿命を決めている。
 これは予想でもなんでもなく、物質の辻褄を考えれば成り行きとしてそうなる。
 ‥そこまで考えると、生活における自由性など、あって無いようなものだ。
 (人生において、美容と健康と寿命を目的にすれば、まぁそうなろうか)

 それにしても、そんな規格染みた人生観に魅入られる方こそを糞と呼ぶべきだろう。
 じゃなんだ‥世の中の研究に何の意味がある!?
 ‥これはそういう疑問にも繋がっていくものだ。


 「寿命重視か?好奇心優先か?」
 どちらかが好いのかというと、そこに答えは無い。

 ただ、言えることは‥
 二つが同じ方向を向いて歩き出すと、ストレスの蓄積ぐらいは改善されそうだと言うことだけである。
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2015年04月27日

【驚愕】未来が変われば、過去も変わるの宇宙的見解

記稿.2015/04/27

 すべての物事は単に自己満足である。
 どこまで言っても自己満足である。
 誰がなんと言おうとも、自己満足なものは自己満足でしかない。

 その自己満足なだけの繰り返しが、普通に営めることこそが平和と言えるだろうか‥
 ‥一般には、其を「お花畑思考」と呼ぶ。


> では、本題に入ろう


 そんなお花畑思考の実現が、普通にできなくなっている事態にあるからこそ重いのだ。
 ‥どこからそれはやって来たのだろうか?
 ‥何が原因だというのだろうか?

 そこに理由を求めた時、宇宙的な規模で、次のような事象が観測されることになる。


> 時間軸を管理する者は、最強でなければならない
> 時間軸を管理する者は、繊細でなければならない
> 時間軸を管理する者は、冷静でなければならない


 ‥とどのつまり、時間軸を管理していた未来的存在が

・なんらかのミスを犯した。
・悪しき勢力に、部分的または致命的に敗退した。
・様子を窺っていたら、イレギュラーが発生し、采を振るいそこなった。

 それら考えられる何かが、取り返しの付かないほどの影響を以降の時間にもたらし、
 ‥今の私たちにまで及んでいる。

 なんだかんだとした歴史的臨界点が、崩壊または弱化した結果、
 野心を抱いた存在達が、ちらほらと地上で幅を利かし、ずいぶんとズレたと言うことになる。

 それら歪みが修整されない限り、お花畑思考が大手を振るうことはない。
 ‥下手をすれば、滅びるだけにあるということだったと思われる。


> 彼らは言う、「私たちは時間の止まった次元に存在している」と‥


 ‥なんのことはない。
 時間の修繕をしないと、単に先に進めないだけのことである。
 それはそれで、超然と見せているだけのことで、失敗の穴を塞いでいる最中だということだ。
 (先に進めなくなると、過去に戻ってルートを再構築せざるを得ないらしい)
 (生きていける場所の実物理的確保を考えれば、必然的にそうなる‥)


> どちらにしても、私たちの日常からすれば


 やるべき事はやらざるを得ない。
 誰かにやって貰わなければならない以上の生活なんぞ、望んでみても仕方がない。
 無いならその分、我慢せざるを得ないし、もしくは、造り出すしかない。
 その造り出した物の扱いがまた下手くそなら、同じことの繰り返しが起こるだろう。

 ‥とくに、時間軸を管理している存在の未熟を想定してみたところで何の意味も無い。


 少なくとも、私たちの常識に於いて、
 過去への謝罪は問われども、超未来への謝罪要求は存在しない。
 なぜなら、やってみなければ誰にもわからないことの善し悪しを、事前に裁くことは不可能だ。

 そもそもの時間軸の管理にしたって
 人の自己満足が勝手気ままに振る舞うからこその危惧から、やらざるを得ないというのが実際だろう。
 各自が責任を取るべき事柄のそれを、良識派存在の失態にすり替えてどうしようというのだろうか。

 観光地にゴミを無神経にも平気でまき散らす非常識の姿がそこに在るばかりである。
 宇宙開発にしたってそうだ。自分たちのまき散らしたスペースデブリの処理もまともにできない癖に
 ‥安易に時間旅行に行きたいなどと思うべからずだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:54 | Comment(0) | 哲学/宇宙的に | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

【川柳】防衛権×→防衛義務○17射

1-1)記稿.2015/03/21

|防衛は中二病だよ仮想敵

|棄戦とは、信念なんだよ安全保障
|信念を絶対視して法制度

|鞘捨つも状況次第だそれが普通
|怒らせた側が悪だとなぜ問わぬ

|国自身、良心つけ込む誤釈かな

|勘弁の限度を示せ、それが筋

|努力せず‥憤るばかりのなんちゃって
|普段から熱く語れば軍略家
|外交の顔色変化(へんげ)も戦術だ
|信念も覚悟も無しのいい人策

|日の丸を背に立つのか‥布石に発つのか‥
|タイマンと総力戦との勘違い

|徹底的に棄戦なら、自ら地球の守護を問え

|日本発、安全憲章こそ第九条

|仮想敵、いつの日やら宇宙人

|仲良くできない現実は、妄想ですか?自己責任ですか?
↓/稚草を読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:41 | Comment(0) | 哲学/宇宙的に | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

【川柳】感情と勘定42射+4

記稿.2015/03/15

|資本主義、損得勘定は感情か!?

|「感情無ぇ‥?」ヤバい宇宙人だって勘定す

|増減の善し悪し問うのは‥損得感情??
|AIの判断基準は勘定だ
|勘定の感情すり替えサイエンス

|良い塩梅、数値に込めるフラグかな
|プログラム‥数値を立てて書き換えて絶対なんてケース次第

|感情の根っこはそもそも思いやり
|勘定の定義はいつでも自己防衛

|感情の善し悪し問うのも勘定か!?

|評価に感情織り込めばオーバーフロー割り切れない

|上の基準、損得勘定できる人
|面接や損得勝負の出会いかな

|熱意ある言葉の裏付けアフターケア

|頑張ります。気持ちと成績つり合わず
|空回る気持ちとやり繰りゼロサム社会

|贋作や勘定目当ての不貞品
|贋作も事情を知らなきゃ宝物
|贋作の事情を買って一儲け

|奪い合う努力の天守ブラック視


|気持ち良く生きてみたくて鍬を背負う

|どこまでも豊穣祈願なんのため?
|上を見て生きる証ぞ、この味わい
|有るだけの希少価値こそおらが汗

|気持ちとの格闘こそが人生だ
|どんとこい難問障壁おらの腕

|足りぬなら皆で手を取る村社会
|探しに来い!それが本物、地味の道

|知られざる自負を貫く昔物
|清郷や真似のできない素朴かな


|カネ無用、宇宙の文化は村社会
|村と村、仲が悪けりゃ口聞かねぇ
|愛を説く宇宙の御説は郷愁論

|帰れない事情が渦巻く嘘の世界

|仲良く無ぇ‥宇宙の現実=地球の現実
|先人の負を背負う文化は勘定発

|感情を大事にしたくて自由主義
|勘定を多くしたくて競争主義
|戦うか逃げ出すか‥中立立場の勘定平和


|生きるなら勘定、笑うなら感情

|笑って生きたい欲張りの両手に花こそ格差是認

|どっちかを我慢してこそ雌雄あり

|感情平和の統制は、心の支配だ陰謀だ
|心の平安欲しければ、天地人の修行せよ、修行が無理なら祈るべし

|感情を修めて気長る無の境地
|感情を鎮めて沸き立つ絶世界
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:24 | Comment(0) | 哲学/宇宙的に | 更新情報をチェックする