2016年12月01日

【参考】食事と恋愛の関連

↓2)記稿.2016/12/01

> 所謂‥結婚をして後に劇的に変化するのが「食」です
> 食が変われば、性格にも影響し、以前ほどの盛り上がりも無くなるかもしれません。


 ‥まぁそういう推理です。
 勿論、あげまんよろしくにアップすることもある予想でもあります。


 よくよく考えてみるに、旦那にしろ女房にしろ、
 以前の食生活があって、そこにその人の性格基盤が形成されてきたのです。

 それが、グルメにも付き合い始めると、崩れ始める‥

 親元を離れての食生活にもあると思いますが、自分なりのペースになることで
 今までになかった自分が目覚めたりするわけです。(偏る場合も勿論あります)


> それもこれも、食の変化だからとして考えるのが、ここでのテーマです。


 まぁ上質の食事を取ると効率が良いというのもその一つです。
 でも、誰もがそれを得るチャンスがあるというわけではありません。

 だからこそ、お袋の味にポイントが置かれるのです。

 その親の性格にしても、そこにある食生活がどうかという事です。
 その食事になれていたから、素直だったかも知れないが、そこから離れてみて見えてきたものもある。
 ‥ここではそう考えます。
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2016年02月28日

【参考】遊園地の利用格差

記稿.2016/02/28

> これは、2000年前後に見られた遊園地閉鎖ラッシュの頃のお話です。


 ‥貧乏していると
 遊園地に行くというだけでも興味津々でうきうきしてくる所だが
 何も知らないお子様は、入場料の他に乗り物代と言うのがあることにまず絶句する。
 ただでさえ、普段から欲しいものを我慢してここに来ているというのに、

 「何が悲しくて、普段の我慢以上のお値段と付き合わなければならないのだろうか?」

 ところが、親の方はというと
 ここは奮発するところと思って、乗ってきなと普段ケチケチな癖に無理に促そうとする。

 子供心にとってそれはとても複雑だ。
 なにしろ、周りには楽しそうに家族で乗り物に乗っている光景が嫌でも目に飛び込んでくる。
 ‥自分のそれと比べたら、そりゃ惨めにしか思えない。


 遊園地だというのに、そこはまるで人生の敗北劇場を見学に来たようなもんさ。
 ‥そんな場合は、家族そろって観覧車のゴンドラに乗り込むのが無難な選択である。


> 俺の担当の乗り物の前で、親が乗ってこいと言うのにぐずっている少年を見ていてそう思った。
> しかも閉園時間ギリギリで秋の夕暮れだ。見ているこっちが泣けてくる光景だった。


 ※ 確認したわけでは無い。あくまで、見ていた俺の印象。

 そんな複雑そうな少年は、どうしたって行列に並ぶという事を知らないままに育つのだろう。
 そして世間の空気を読めない・気がつかない・無関心に育つと言うことである。
 ‥なにしろ楽しい気持ちで並ぶことが無理な状況に置かれている。


> 世間の空気が読めなくなるというパターンでは、こんなお客さんらもいた。


 ‥学校をさぼって、遊園地に来て、フリーパスで乗り回す強者たち。
 「お前らなぁ、学校はどうしたんだ!?」
 夏に近づくにしたがって、その強者たちの人数は程度増える。

 乗り回すと言っても、乗り回すものは決まっている。
 人気はコースター系である。
 ‥コースター系は、巻き上げを動かせば動かす度に赤字だという。

 すっからかんの平日の遊園地は貸し切り状態にあるので
 少しの人数でも、すぐに発進させるのだ。
 (しかも奴らは、ダッシュで出口を降りるとすぐに入り口に立つ。どんな体してんだよ‥orz)

 ‥酷な言い方をすれば、

 お前らが、学校をさぼって遊びに来れば来るほど、遊園地の経営は火の車になるということである。
 まぁ、動かさないでいると‥多分、混雑時にトラブったりする可能性増も割りと否定できないので
 常時、適度に動かしていた方が安全の確保にはちょうど良いのだろうとは思う。
 ‥世の中、何が幸いしているのかなど人にはわからん。
 (ちなみに言うとだな。満席で乗った方が加速度が上がる。どうせなら20人ぐらいで来いッ)


 ※ 中にはさらに調子こいて、
 以前使用したフリーパスをリサイクルして、なりすまして乗ろうとする愚か者どももいた。
 ‥そんなのはお見通しなんだよ。中には見逃しもあってか、あすこでは使えたとか言い出される。
 ‥色々と勉強したものだ。商売っ気の皆無の奴だったからな俺は。今も変わらんが。


> スタッフの一人一人がすべての乗り物を動かせるわけではない。


 そんなわけでいろいろな乗り物を動かしてみたいと思ったら、長く続けるのが一番だ。
 ‥しかしまぁ、適正というのは事務所が判断することなので、自分で選択できるわけではない。
 ‥俺はどちらかというと不器用に見えていたはずだ。
 ‥そりゃそうだろう。俺は先に綴った少年のようなタイプだったんだからな。


> 遊園地の赤字を削る唯一の方法は


 フリーエネルギーを持ち込むことだ。電源が天然からの供給だったら
 乗り物代が100円・200円でも赤字には成らないだろうとは思う。
 一番儲かってそうなあそこが音頭を取らないだけに、誰も気がつかないらしい。
 ‥フリーエネルギーを真っ先に導入すべきが遊園地なんだよ。

 遊びたいんだろう。
 ‥なら、フリーエネルギーだよ。フリーエネルギーなんだよ。


> ちなみに、常時黒字を叩き出せるのは観覧車だけである。


 ‥でも知ってるかね、観覧車の清掃事情という奴を。

 毎朝の掃除は、動かしながらしなければならない。
 ‥ゴンドラが地上にある間に、自分で開けて入ってサッサと拭いて出て自分で閉める。その連続。
 ‥その間、何秒だと思う。観覧車に乗ったことがあれば、大方の想像は付くだろう。
 ‥こんなの掃除って言わないよと思いつつも、それが日常だった。

 今時だと、なんて不衛生ななんて言われそうだが、それ以前に超満員でも乗っちゃってるよね。
 ‥そんなこんなだから、ゴンドラにガムが捨ててあるなんてのはね、とんでもねぇ話さ。
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2016年02月27日

【参考】分配の公平の先に得られるべき形

記稿.2016/02/27

 ‥個人主義、能力主義、成果主義
 格差は生まれても当然とばかり考えていると、

 負けが込んでいる側は、仮に感謝したくても、先立つものが無いか思うにならない事態に陥る。
 ‥それはもう慢性的にである。ここは奮発するべき所と慮ることを知らずに生きるのだ。

 もしくは、あの人は困らないほどに自分より持っているだろうから
 ささやかなプレゼントになんか見向きもしないだろう‥という空気で窒息しそうなままだ。

 また

 お互いに素寒貧なら尚更にあげても仕方がないという範囲でしか示せない。
 ちょっとした気遣いとか、気前が良いというだけでは、感謝として伝わるかどうかなど定かにない。
 たぶんそれだけでは、感謝を示したくてもこれと言った特別感で伝わることはなかなかに厳しい。
 ‥そのような場合に無理に頑張っても、相手はありがとうよりも先に切なさがこみ上げてくるものだ。

 それはもう深刻なもので

 勝ち誇っている側が、余裕をこいて、お決まりセットをあなたの為にと用意するだけでも
 ‥逆に憾みにしか思えずに、その場から立ち去るしかない程である。
 ‥そこに起きている気持ちとは、居場所のアンマッチなのだから。


> 一方で、公平に分配していると


 お互いそれなりに手にできる範囲は限られているので
 ささやかな贈り物であったとしても臆することが減る。同時に
 感謝されていると自負するなら、結果的にそれを表現して頂けるという形が得られる。
 ‥そういう空気が世間に広がることになる。

 ところが

 お歳暮のような形めいた縛りがそこに蔓延し出すと
 感謝の気持ちよりも、見栄や義務に偏りがちになる。
 ‥公平だからうまく行くというわけでは無いにしろ、うまく行きすぎていればそうなるはずだ。
 (戦後昭和の繁栄が良い例だと思う)


> 好かれているのか、そうでないのか‥
> 感謝の気持ちの表しかたをどう示すのか‥


 そこを基準にしていいのが自由であるのなら
 感謝されるかどうかの声の多い少ないにこそ意識を向ければ良いことになる。

 ‥人類はそこを愚かにも、労働とか権利とか稼ぎとか
 そのままの取り分で表現すればいいなどと思い込んで来てしまったのである。
 それもこれも、貴族への憧れとばかりにね。


 声でさえどうでも良いというのなら、集団から距離を置いて生きるだろうし
 ‥感謝の声の少なさに我慢がならないというのなら、ますます闘志を燃やす事に成るだろう。

 「どうすれば感謝の気持ちを自分に向けて貰えるのか?」

 見せつけては、却って嫌みにしか映らないのは誰しもが思うところであり
 だからこそ、感謝の気持ちを気兼ねなく表して頂く為にも、配分の公平は前提大事なことになる。
 ‥自分なりの感謝を示しにくい空気ほど、人を窒息させてしまう不自由と悔しさもないのだ。


> そこが未だに分からないというのは、人として不十分としか言いようがない。


 どんなに誰かがアートだ芸術だと囃していようと
 そこに感謝の見え隠れしていない行為や作品は、単に汚臭としか言いようがない。
 ‥尤も、何に有り難みを感じるのかは人それぞれだし、ケチを付けるのも個性の内である。

 少なくとも誤解されていると思うのなら、その原因はあなたの側にある。
 ‥自己責任と申し上げても宜しい要素があるとするならば、たぶんそれだけだ。
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2016年01月30日

【考察】祈りの本質

記稿.2016/01/30

 誰しもは、自分の手に負えないことに出くわした時、
 良心があればこそ祈るのだ。その対象が、自分事ではなく相手事にあれば尚のこと。
 その相手事の急務が命に関わることなら尚更になる。
 ‥最終的に、祈りの根っこに、そこに於いて辿り着く。


> で、誰が請け負うのかである。


 祈りなんてのは、ただの人任せの如しだ。
 しかし、それも積もればなんとやらで、祈りの根っこにまで届く祈りが多いに越したことはない。
 根っこに届かない祈りが多いのと、根っこに届く祈りが多いのとでは
 その暮らしに見られる民度は、明らかに違ってくるものだ。


 民度が高ければ、自ずから請け負う数はそれなりに維持される。
 ‥あとは、芽が出始めたそれらを皆で育てるか否かになる。

 ただし、同じ祈りが続けばのこと。

 一つの技術の台頭が世間の価値観を変えてしまえば、祈りの方向性も変わってくる。
 ぶれているのとは違うにせよ、求められる性格が変われば、必要とされる形も変わらざるを得ない。
 ‥民度がどうであろうと、そこは変わらない。


> では、根っこに届くべき祈りは、なにゆえに維持されるだろうか?


 所詮、人としてあるべき普段からの心掛けに、進化無用と言うことだ。
 それは、人としてあるべき核みたいなものだ。
 ‥でもなぜか、その核を軽視する輩もおる。

 つまり、人である前に宇宙の一部だということだ。

 其の本質に目を向けずして、汝の祈りが届くわけもなし。
 其の本質に目を向けずして、汝の視野の広がるわけもなし。


|天地より授かる命に祈りとは「平和と世間」いつもの宿題


祈りの本懐

 「お願いします。なんとかしてやって下さい。」
 「いやぁそう言われましてもね、自分の宿題は自分ですべきでしょう。」
 「じゃ、せめて効率が上がる秘訣を是非‥」
 「常に積み重ねることですな。それがお祈りであろうとも。足が出ようとも。」


 「・・・ほんなら、あんたの積み重ねってなんどす?」

 「そりゃ、あんたが来るほどだ。相談だよ。
 「だから世間の宿題が減らないことがよくわかる。
 「結論として、自分でしなさいとしか言えません。それは、私からの効率でもありますけどね。」


 「うちは、そんな話を聞きに来たのではありません。」

 「そうですか、ならば無駄に徒労されるがよろしいでしょう。
 「それが多分‥あなた様の積み重ねるべきことのようですからね。」チーン
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2016年01月11日

【先見】同性愛結婚の比率が程度高まることで起こるスキャンダル

記稿.2016/01/11

> まだまだ誰しもは同性愛に偏見を持ち、高をくくっている。
> それで無くても同性愛はどん詰まりを意味し、何が好いのかに説得力に乏しい。


 それでも変わった奴は居る者で、そいつの好みを批判してもしょうがないのだろう。
 だから、今から述べる点においてツッコむ奴もいなかった。

 ‥程度、同性愛結婚が増えることで
 普通に男女恋愛を楽しむ側もその問題性を抱え込むことになる。
 それは、パートナーの男友達・女友達を見ても嫉妬の対象になりかねないという異常さである。

 例えば

 それを取り上げるようなマスコミが現れたとしよう。
 そんな記事を読んでいる内に、次第に思考が侵されていく。
 とくに、家で過ごすことを好むパートナーが、外出好きのパートナーに対して
 男だろうと女だろうと‥どこかで待ち合わせるという中身の話を聞くだけで、浮気では無いのかと
 常に警戒しなければならない状況を孕むようになる‥

 社会的にそのようなケースが1%の割合で出現し出すようなら
 すでに、ニュースや記事にちらほらし出すのが日常になっている。
 ‥タレントなんか、普通に同性同士で歩いていてもパパラッチのネタにされかねない。


> とまぁそんなことにはならないとは思うが


 高をくくって様子見を決め込んでいると
 いつの間にかそっちの方の割合が肥大化し、割を食うことになりかねない。
 ‥試験管一つで完成できるからなんて看板が立つだけでもそうなりかねない。

 例えば、実験的にどんな子が生まれてくるのかに合意して誕生させるような試験管時代である。
 (それをネタに、実際には身体を交わす方の浮気も成立してくる‥)
 社会全体に、高度な科学者気質が満ちてくれば、嫌でもそうなるだろう。
 それが科学者の異常な好奇心としてある。アーティストでもそうだ。
 マイケル・ジャクソンなんか遺伝子的な掛け合わせへの好奇心があったようだし、
 世界的に絶大な有名人の影響を受ければ、そりゃもう歯止めなんか効かないのだ。


> そう考えると、それはまた


 誰しもが科学者レベルの知識を常識として身につけている時代と
 身につけることを争っている時代との違いでもある。

 ‥より○○だからという理由をかざして、行動原理にしているのが競争としてある。
 そのような状況はつまり、科学が進めば進むほど、好奇心の暴走を巻き起こす。

 科学を身につけることを争っているのが今の時代だ。
 それをそのままに続けていては、
 自由自由と言いつつ、まったくのDQN社会に突入してしまう種を蒔いているようなものだ。


> ‥先手を打って引き返すならば、


 競争という意識付けをまずは脇に置いて歩くことを選ぶべきである。
 そのような社会がどのような可能性を秘めているのかに好奇心を抱くことである。

 本質的に誰しもは、恋愛に競争なんか要らないと思っている。持ち込みたくないはずだ。
 でも、どうしてそのように平穏さを維持できていないのかということでもある。

 ‥より○○だからという意識付けは、どうしたってHAPPYで無ければならないと思い込む。
 そのHAPPYの定義にしても、それぞれで微妙に異なっている。
 そしてそれへのスイッチが剥がれることで、必要ないとの結論を安易に誘発もさせている。


 人の好みなんか、そうそう変わるわけもない。あるとすれば健康や体調の変化だ。


 それの区別が付いていないのだ。科学的な理解が乏しいゆえに。否、自身の経験値不足でもある。
 相手への思いやりを深める為に科学を用いるのに、偏見はあってもDQNは無いはずだ。

 ‥仮にあったにせよ、それは、思いやりに比重を置きすぎることで
 何が正しいのかが見えなくなる落ちである。(通常それを独善ともヘンタイ気質とも呼ぶ)

 人の思考の暴走を押さえる為にも健康に体調がある。それはまた
 自らの心身の変異の最中に正しき判断などままならないとして、自覚すべきと言うことでもある。


 ‥尤も、異常の中において異常を認知できるわけも無い
 特に、競争ともなると、自身の視野がそれこそ勝ち誇りしか見えていないことの方が多い。


 そんな時代に登場しているのが‥とは言わないが
 反発からの同性愛感情というのは、それなりにあるのだろうと思う。
 しかし、当たり前になってしまえば、元の木阿弥にならざるを得まい。それが人の社会感覚にある。
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2015年12月31日

【考察】仏陀と祈りの組み合わせ

記稿.2015/12/30

 通常、人は、掴んだことをなかなかに手放せない。
 ‥されど、仏陀は手放すことに於いて仏だった。

 手放せないことは何も悪いことではない。
 そのこと自体を、欲や煩悩と蔑み、思い煩う必要など無いのだ。
 ‥良きにしろ悪きにしろ、掴んでしまうこと自体に罪など無い。

 ただし

 毒を含んでいるのであれば、毒を抜く必要がある。
 もしくは毒の使い方を心得る必要がある。洗い流し方でもある。
 ‥そうでもなければ、人の世に於いて、その毒が猛威に見えるばかりだろう。


> 仏陀は、ただ毒気の抜き方を教え、毒の何たるかを説いた。
> 本質に於いて毒など無い。それはただ、相手のことを慮っていないだけのこと‥


 簡単なことだ。きちんとした生活を心掛けて実践すれば良い。
 しかし、人の多くは真っ直ぐではない。その多くがひん曲がっている。
 ‥磨かれていない原石が光を放たないのと同じだ。


> 仏陀はただ原石の磨き方を語った。


 もう一度言おう。きちんとした生活を送ることだと。
 ‥あとはもう慣れである。


 そんな仏陀は隠者のような暮らしぶりである。
 ‥何を以てきちんとした生活なのか、全く見えてこない。


 「自分の念い必要とするところを為せ。」


 そう言われると、多くの者達は、これ幸いとばかりにぐうたらになる。
 そして、自分の都合ばかりを強いる些末をもたらす。
 ‥そんなのは、誰が見てもきちんとした生活とは言うまい。


> その点に於いて、仏陀は、毅然として小乗即ち心磨きの姿勢を保った。


 でも、その弟子は大乗などと言い放ち、「苦しみは御仏が引き受けて下さいます。」
 ‥などと言い放った。
 ‥一番に簡単な心磨きがお祈りと言うことになるだろうか。


 心身共に心磨きのできる者が先に増えないことには、仏国土など有り得ない。
 でも、着いてこられない者達の方が圧倒的に多いのだ。
 ‥所詮、結局は、自分から丸くなって輝くことが求められている。
 ‥されど、人の世は戦場の如しに据え置かれ、丸くなるどころか角立つことの方が多い。


 なぜそうなのか‥それは宇宙そのものが壮大な実験場だからだ。


 欲情といっても好い。もとい浴場だ。
 ‥洗って綺麗になると、それに適った世界を手に入れる。
 ‥まだまだ穢れていたり、毒気を放っていようなら浸かったままだ。灰汁を抜かねばなるまい。
 ‥自らの想念が自らを作り上げる。他人事ではない。他人任せでもない。


> 磨くのに使われるのもお互いであり、自分よりも硬い頑固な人柄は、特に効果が得られよう。


 ‥それはもう、デコボコのままなら、削りカスが飛び散る毎日になるだろう。
 ‥自分がどれだけ磨かれたかなんて分からない程にくたくたにもなろう。

 そりゃそうだ。相手の心を映す鏡の如しにならなきゃ合格には成らないのだから。
 ‥ポイントを押さえていれば楽しいことなのに、自分しか見えていないとつまらない。
 ‥自分すら見えないなら、そりゃ苦しいばかりだろう。

 自分の気持ちも相手の気持ちも分かるようになる‥ただそれだけのこと。
 ‥その一番に繊細な研磨が、どうやら‥お祈りと言うことのようである。

 「誰しもが穏やかに在ることを願う。」そんなお祈り‥(へぇ〜そうなんだ。)


> お祈りのプロとは、不器用のプロでもある。


 器用とは、非情なほどに引っかかり少なく、恐ろしい程にこだわらず上手の仏を指す。
 簡単に言えば、据え置きのプロ。頃合いのプロ。自覚の達人。
 ‥人並みになんて思っている時点で不器用なのだよ。そこんところお間違いなく。

 「皆が同じように平穏に」なんて願望は、相当なこだわり、頑固、不器用ということだ。
 ‥それは仏陀から見て、呆れるばかりに映りはするものの未熟という意味では無い。

 仏陀は、相手の心情を心得るも、どうにもならないことを自覚する。
 ‥なぜなら、それが今のあなたの心だから。
 ‥心とは、一朝一夕にどうにかなるものではないのだと。まずは、それで好いのだと。
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2015年12月21日

【淘汰】敬いとは自分加減なり

1-3)記稿.2015/12/21

 味の決め手とは何かと聞かれたら、それは塩加減である。火加減である。水加減である。
 だから、敬いとは何かと聞かれたら、それは自分加減と言うことになる。
 ‥自分加減の中に、人間性を示さんとするよすががあるのだ。


> 自分をどのように加減すれば良いかを、他人に聞いても誰も識らぬこと‥


 通常は、その自分の加減の仕方を考える前に
 素材としての性能を高めようなどと考えるものだ。
 それはつまり‥良い素材になろうとしているようなものだ。

 良い素材になろうとして、無駄に何かを詰め込んだりしている。

 素材の持ち味は、その過ごしてきた環境にあり旬にある。
 塩加減その他諸々の加減の習得は、どれだけの素材と対峙してきたかにある。

 だから良い素材になろうとばかり考えていると、無駄に良い環境を欲するようになる。
 ‥だが、どんなに環境を自分に都合良くしたところで、塩加減諸々の習得には至らない。
 ‥精々が、己の限界の壁を前にして打ちひしがれるだけである。


 より豊かな人生を歩もうと願うなら、素材と対峙することが大事になる。
 ‥お互いの素材をどのようにして活かしたなら、味わいが深くなるのか。
 ‥そこに視野の広がりが伴うのである。
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2015年12月17日

【達観】脱・馬鹿の引き寄せの法則

1-3)記稿.2015/12/17

 馬鹿とは、不幸を招くから馬鹿‥
 そもそもにおいて馬鹿の言葉はそれ以外の何者でもない。
 または、ズレているからそのズレゆえに起こるだろう顛末を思い憂いて用いる言葉でもある。

 計算ができないからとか、テストの点が悪いなどに使われる意味の馬鹿は
 ただひたすらに劣等感に結びついていくものだが、どうしてそれはそうなのだろうか?


> とくに格差が絡むとそれは尚更に感情的になる‥それもどうしてだろうか?


 馬鹿を上座に見て、自らの境遇が冷遇されていると感じると、途端に相手への気持ちが変わるのだ。
 とくに社会への感情ともなれば、
 もの思い付く年頃には、すでにこびり付くように出来上がってしまっている。
 ‥明らかに不公平だと感じている自分がそこに居てしまうのだ。

 「それもまたどうしてだろうか‥?」

 人それぞれの性格もあるにせよ、格差の上に立つ馬鹿の優遇は、社会的な因果関係に大きく絡む。
 嫌でも批判の対象になるのに、お約束のように馬鹿ほど上に立てているのだ。
 否、誰しも馬鹿にハマり、お馬鹿をやらかしているのが実際ということに成るだろうか。
 まぁ大ざっぱに言っても、概ねで、肩の荷を下ろせそうな展開にはほど遠いのである。
 ‥なぜなら、お馬鹿には、褒めちぎってくれるおべっかしか取り巻きに寄りつかないからだ。

 「それもまた、なぜだろうかと‥?」

 そこにあるちょっとした感情にした所で、なにも常に能力主義を望んでいるわけではない。
 ‥ただ腑に落ちないのだ。そういう感情が絡むのだ。
 ‥時にはそれが、相手次第で怨みにも成るのである。
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2015年11月25日

【短歌】お題‘デスる’

1-3)記稿.2015/11/25

|デスり交う雲を手にした連中の藁をつかめと堂島しよる



 中之島とは、かつて淀屋が開発した淀川の中州。
 中之島は後に、幕府に公認されて、世界初の公設先物取引市場「堂島米相場会所」を経る。
 ここでの意味は、米を運ぶ→カネを持って来い。転じて、かつあげにゆすりの意。
 並びに、周りからすれば飛び火回避の相場同調の意。

 ‥不名誉な言い回しになるが、歌としては、しまりが好いと思った。


 ディスるとデスるは、意味がかなり違うようだ。
 ディスるにすると、‘堂島しよる’の意がネットイジメの意味に見えてくるかなと。お粗末。
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2015年10月27日

【参考】二宮金次郎の失敗話

記稿.2015/10/27

 道徳の話ついでに一つ。
 二宮金次郎のこんな話を知っているだろうか。

 ‥今時の女子が聞くとかなり唖然とするような中身である。
 (ソースは、俺の高校の図書室の中の一冊だった記憶がある)
 (いつ書こうかなと思ったまま忘れてた)


 金次郎は父母を亡くしている。
 昔は何かと子沢山だったから、普通に目にする光景だったはずだが
 叔父の家に世話になっていた金次郎に、それへの機会も関心も訪れなかったようだ。

 ガリ勉くんだったし、村の大人も一目置くような頑張り屋でもあった。
 同じ年頃の悪ガキも、そんな下ネタ話をしに近寄ることも無かったのだろう。
 ‥金次郎は、女の出産時の介助の必要に無知無頓着だった。


> お陰で、嫁さんは流産をしてしまった。その後、実家に逃げるように帰ったという。


 早い話が、嫁さんは口べた不器用で、旦那も周りにお願いしないから結果そうなったと。
 あと金次郎が真面目すぎるので、その手の話をしなくても大丈夫なんて思われていたのかもな。
 ‥天然無垢の落とし穴って感じだが、いろんな条件が組み合わさった結果かと思われる。


> 無論、失敗を見逃さずに学ぶのが金次郎だったが、変わりようも半端なかった。


 なんでも再婚して家を構えるようになってからは、
 お手伝いの娘たちにも、まんべんなく手を出すようになったという。

 ‥その時の奥さんに漏らした屁理屈がある意味で絶句ものである。

 「娯楽も少ないことだし、たのしみは分け合わなければならない」

 当時の印象としてどうだったのかは知らないが
 奥さんは、とりあえず金次郎の方針を飲み込んだらしい。


> 誰にも失敗は付き物だが、未だ知られずに全国の小学校で薪を背負っている姿は複雑だ。


 ガリ勉くんはある意味、そういう流れでしかないって話だ。
 ‥好いですね金次郎の下ネタ話。
 ‥もはや時代のニーズじゃ無いって感じが危機感度MAXっす。

 「そんな金次郎を手本に立てているから、そこらへんでの厄が鎮まらない」‥なんてな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:13 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする