2016年06月25日

【言語解釈】笑けるからの類推

記稿.2016/06/25

 高い → たけぇ
 格好いい → かっけぇ


> この流れで云うと


 笑い → わらけぇ
 「わらけぇ」の意味としては‥とても面白く笑える様ということになるだろうか。


 ‥ところがどうしたことか、形容詞から動詞に転じるという事件が起きた。


 それが、笑ける【わらける】だ。
 意味としては‥とても面白く思えるんだけどくだらない様子。
 ‥と解釈されている感じだが、実際の所よく知らん。


> と言うことは


 高ける【たかける】
 格っこける【かっこける】
 ‥などとしても使ってみるのもありになって来よう。


 高ける【たかける】‥無駄に高いだけで役に立ちそうにない様子。
 格っこける【かっこける】‥格好良さげに見せようとしてはずしてる様。


> ・・好いのか!?


 もう一度、確認してみよう。

 「わらけぇ」とだけで使うなら、どこか個性的だし、キャラ立てに使えそうだ。

 ‥でも

 「やわらかい」では「やわらけぇ」で用いられている。
 「わらけぇ」と「やらわけぇ」‥なんと紛らわしい。

 そういうもろもろの事情から
 「わらけぇ」に係わらず、紛らわしきは自然淘汰されたと思われる。


> ところで‥「やわらける」なんとも不可解な響きだ。どう解釈すれば良い??


 柔らける【やわらける】‥実に柔らかそうでいて、そうでもない様。
 それは、柔らかすぎるのか?、固いのか?、それとも普通なのか?

 まぁそれはそれで
 化学的特性の曖昧さを言い表すのに困るような状態に使えそうかもな。
 ダイラタント流体に力を加えた時は固くなるが、力が抜けると途端に柔らける‥など。

 この場合の「・・ける」は、「ばらける」等のけるの用法に近い。

 まぁそんな風に用いるなら‥力の加減を変えると柔らかくなる様という解釈か‥


> なるほどなるほど、使えなくはなさそうだ‥


 でも、言語としては、相当に乱れそうな感覚が忍びない。

 そもそもにして言語の乱れとは
 細胞分裂のままに、一方に寄って行ってしまうことの流行り廃りに満足してしまう点にある。

 「どうして使い分けて用いようとしないのか?」

 使い分けたいから誕生したはずなのに、こちらの方が今や主流とか言い出す始末だ。
 ‥そういう方向性は、言語としては筋違いである。文化としても争いにしかならねぇ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:53 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

【提案熟語】デリケートをどう訳すか?

記稿.2016/04/25

> デリケート【delicate】は一般に繊細の意味に用いられている。


 しかしだ、最近の若い奴に見られる‥
 人前に出て何か発言しようとすると腹が痛くなるとか、吐き気をもよおす風なタイプを
 そのように表現するのは、違うと思う。

 ‥そういうのはそのままに

 即腹、即吐と書き表した方が通りが良い。
 しかしそれはその者の感覚であって、第三者に直接に言い伝えるには、症状としてよくわからない。

 そうなると、即鬱、即憂ということになるだろうか‥
 しかしそれにしても、鬱などという症状との区別が付かない。そこで、


> 並苦【へいく】:人前で普通にできると思われていることが難しい様。


 まぁこんな感じになるのではと思う。
 アスペルガー症候群等にも用いることができそうだが、どこが境になるかというと
 ‥人前が苦手という意識があるかないかだろうか。(ひっくるめると、意味としてはぼやける)
 (日常としては、当人に自覚が有るか無いかが相手に伝われば良いので、そんな感じかなと)


 「私、どうしても並苦なんです」
 「ああそうですか、それじゃ、我が社では、端末席ということになりますね」
 「あのう‥端末席ってなんでしょうか?」
 「我が社では、自宅勤務もしくは自宅待機のことをそう呼んでおりますが‥」

 (・・もしかして・・ここってブラック!?)

 「どうしましたか、並苦でもひどくなりましたか?」
 「・・・端末席でも一生懸命頑張らせて頂きます‥」


> 懸末【けんまつ】:並苦なのに人並みになろうとして頑張ろうとする様。


 「お前ってさ、並苦なの?」
 「なぜそう思うんだ?」
 「だっていつも一人で居ようとするじゃん」
 「ほう、それなら、そういう見方をする方が並苦なんじゃないのか
  俺から言わせればな、スマホと睨めっこばかりしている奴の方がよっぽか懸末だろう」

 「・・お前、それって自覚が無いだけなんじゃないのか?」

 「それを言うなら、お互い様と言うことになるだろう
  だからこそ、並苦は、当人に自覚があるかどうかが重要であって、
  第三者から誘導的に持ちかける言葉として扱ってしまいかねない偏見に用いるのは間違いだ」
 「つまりそれは、自己申告扱い用語ということになるのか」

 「そりゃそうだろう、気の持ちよう次第では、いつ直るとも限らないわけだからな
  こちらがレッテルのように貼っちまったら、迷惑なだけだろうが」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:34 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

【提案熟語】センチメンタルをどう訳すか?

記稿.2016/04/23

 センチメンタルの翻訳は一般に「感傷的」とされている。
 グーグルで中国語の方を確認したが「感傷」になっていた。
 (‥これは、日本からの輸入だろうか、それとも並行?)


> で、思うに


 日本人の感傷的という言葉の印象を考えると
 それはたぶん、思い込み的な感性に偏った使われ方をしていて
 勝手に煩っているような感じに思えなくもない。

 昔の一頃の懐かしさを振り返るような気持ちを表現するには、
 どうにも違うんじゃないのかな‥と、そう思った。


 ‥そこで考えたのが、回想と感傷の中間ぐらいな気持ちだろうとして

 旬想、旬懐、懐傷を思い浮かべた。


 懐かしい頃を人生の旬と解釈して思うから
 旬想【しゅんそう】、さらに強調したいなら旬懐【しゅんかい】

 でも、それほど距離感の無い日常だったなら
 旬傷【しゅんしょう】かなと思うが、ぱっと見‥訳わからん。ピンボケ感ありありだ。
 ‥それは懐かしさなのか青春時代の傷なのか、その辺が曖昧になる

 表現したいのは、もっと身近な日常での懐かしさの振り返りなのだ。青春時代に限定はしたくない。
 そこで、懐傷【かいしょう】かなと思った。

 懐傷【かいしょう】:過ぎてしまった時間を懐かしく思い出した様。うれしい様。
 懐怨【かいおん】:過ぎ去った時間を無駄にも思い出してしまった様。不快な様。少しは大人目線。


> 昨夜、子供の頃のアルバムを見て懐傷してました。
> 昔なつかしい駅弁の味に懐傷です。


 まぁそんな感じ。
 今時の日本語を見ていると、誰しもが馬鹿の一つ覚えのように
 「感動」しましたと言っては、その言葉の単調さに疑問を抱いていない。
 それは、どうにも違うだろう。そう思わざるを得ないのだ。

 で、向かった方向として誕生してるのが、若者用語の「ヤバイ」表現‥

 詩人としては我慢ならん。
 ‥それはまるで、中指を立てつけられた心境だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:08 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

【検討枕詞】志新の(たけはるの)

記稿.2016/04/21

 志新咲きというのをもっと砕けて使えるようにと思ったら
 志新の【たけはるの】と枕詞風に詠むのも有りだろうと気がついた。

 志新の【たけはるの】:春の花の咲き返す様を背景に絡めて詠む感じ。

 枕詞として扱うなら、その対応は、花に限らず‥社会的な絡みかなと考えられるけど
 ‥そこまで本格的に形におさめる必要は今のところわからない。


|志新の世の為人の為言うけれど使い潰されりゃ根腐る

|少子化の青春時代ぞ高嶺なり志新の明けてなんと幻

|志新のスーツの色は地味ばかり傾奇てみたし懐細し

|志新の出先に期待花さがしハナミズキの目立つ‥「ああ‥そうか」



稚草

> ‥ということで、面白そうだから上の四景句の意訳でもしてみようかなと


 ブラック企業を避けるべく俺は慎重に会社を選んだ。
 でも、いざ晴れて入社を済ますと、重大な見落としに気がついた。それは‥
 きちんとした恋愛を目指すにしても、もはやまともなチャンスは学生時代にしかなかったのだ!!

 「ええ、そんなー」と思ってみても今更始まらない。

 そんな周りを見て見れば、どいつもこいつも地味なスーツ姿が変に思えた。
 そうだ、この中で目立つ格好をすれば、そりゃ目立つだろう。
 向こうから寄ってきて貰えるかも知れないな、でもカネねーし‥

 そんな時に、出先の命令を得た。

 意気揚々と出かけたけど、そこでも同じことが起きていた。
 何となく見える花にしても、年上の男待ちのお姉さんばかりにしか見えない‥
 本命の桜と言うよりは、すこしズレて咲いてるハナミズキと言わんばかりなんだよな
 ‥ああそうか、そうだよな。そういうものだったのかと、改めて先行き不透明な時代を思うのだった。

 「まじやべえよ少子化‥」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:30 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2016年04月20日

【検討季語】門出咲き&志新咲き

記稿.2016/04/20

 二次創作用に卒業の詠みをひいこら考え出したら
 ‥門出の意味を入学でも使ってしまっている方も居るんですね。

 いやぁもう、訳わからんね。混乱するね。
 ‥どう考えたって卒業でしょ。


> などと考えていたら


 「門出咲き」を卒業に固定して
 「窓辺咲き」を入学の意味合いに固定しちまえば好いじゃん‥と閃いた。

 しかし、卒業してしまった後の思い出を詠むなら、
 どう考えても、窓辺咲きの方がニュアンスとしては良い感じだ。
 つまり、窓辺始めから卒業前までの桜の記憶をまとめて窓辺咲きという感じかなと。

 卒業だけが門出咲きと表現されることになる。

 ほほう、なるへそ。
 ‥恥ずかしながら、門出の単語を忘れてました。ははは。(また直しとこ)


> でも社会人で言うと


 門出咲きを新入社時の詠みに用いてもおかしくない。
 ‥門出にはそういうニュアンスを感じる。
 (まぁ、この辺の感覚をわかっていないと、ごっちゃになるんでしょうな)

 でも、‘出’の字を使ってるんですからね、縁起を担ぐなら使わんでしょう。

 「入ってきたのに、出ちまうとは是如何に?」

 昔の門出は、それこそ行って参ります。という意味だった。
 ‥奉公に行くのか、戦場に赴くのか知らんけどな。
 ‥まぁ江戸時代の気分で言うと、国(自藩)の外に出向くってことだろうね。

 そんなこんなで、「志新咲き」とでも綴っとけや。

 社会人のそれは、社屋の桜が春に咲く度に、志新咲き【ししんざき】と詠むべし。
 ‥まぁ、そうなると俺が使うことはかなり薄いということになるな。
 ‥それじゃあれだから、浪人&再就職組でもOKということにしておこう。


> しかしこうしてみると


 桜とか言ってる割りには、
 誰もその辺の言語の不十分に対して、改善の音頭を取らなかったんだね。

 「日本人の七不思議だな。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:19 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

【検討季語】窓辺咲き

改稿.2016/04/20...20160311...

> 窓辺咲き【まどべざき】‥教室から見える&校庭に咲いている花木の光景。
> 主に春の入学時を指すが、振り返る時にもその心象を指して用いる。


 和歌の世界で花と言えば、桜の花を指すのが決まり事であるように、
 窓辺咲きと言ったら、学校・校庭・校舎・桜・入学・教室
 をひっくるめたニュアンスに限定しても何ら問題ない。むしろそうでない状況の方がおかしい。

 ‥というのを思いついたわけだが、少々の問題点を含んでおり、扱いには多少の注意が必要だ。
 (卒業については、門出咲きで表す案が思い浮かんだのでそれに譲る)


 例えば(参考)

|窓辺咲き隣の席○片想い‥このまま退くのか?攻めるのか?

 ‥の場合、卒業の時期なのか入学の時期なのかが不透明なままだ。
 そこで、○の部分に何を入れるのかで、区別せざるを得ない。

 単純に、「の」が、思い浮かぶところだが
 「や」の方が、新入やクラス替え時期の瞬間の気持ちを強く押しているように詠める。

 この時、「に」を入れてしまうと、
 隣の相手からのアプローチを受けているようにも思え、印象がぼやける。

 「で」だと、周囲の誰かがそれに気がついて、色をうかがっているようにも詠める。
 「の」は、もっとも平凡で客観的な詠みになる。どっちの時期かなんて或る意味どうでも好い。
 ‥しかし、卒業間近にもなって、これな悠長な気持ちに詠んでいるようでは足りなすぎる。



|ものさびし別れを惜しむ窓辺咲き


 上の句の場合、課題になるのは、
 普通に詠めば別れの連想から卒業を思うところだが
 卒業に非ずとも、終業式と共に別れることになった同級生への想いかも知れない。(転校生)
 または、担任教師が次年度移転することへの想いかも知れない。

 と言った風に、別れの対象が定まって来ない。
 なぜそうなるかは、窓辺咲きを見ている側の対象が広いことにその要因がある。


|ものさびし泣く奴もいて門出咲き


 次の句のように直すと、泣く奴もいてという範囲で述べれば
 教室か体育館など、生徒の側という意味合いが強くなる。
 ‥でもまぁ、門出咲きが見えているとなると、主に教室だとしても、渡り廊下かも知れない。
 ‥中には職員室に駆け込む奴も居るだろうな。


> と言うところで、窓辺咲きor門出咲きを用いる場合


 心情を語るには適しているが
 対象となる時期、場所が曖昧になってしまう点に注意が伴う。
 ‥無理に説明を投じようとすると、季語がダブることになりそうな点が悩ましい。
 ‥もっとも、多少曖昧な方が心象風景としては粋に見える。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:27 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2015年12月09日

【提案熟語】協○でいくつか

記稿.2015/12/09

> 協奏【きょうそう】


 協奏曲との単語はあるものの、「協奏」をそれ以外に活用する所が無い。
 「音楽は協奏だ!」とか「協奏しませんか?」という使い方もほぼ聞かない。
 競争を嫌ってか‥「協奏」は「共演」で用を足されるばかりで、知らぬ顔で据え置かたままだ。


> 協意的【きょういてき】


 「本日は協意的なご意見、ありがとうございました。」‥など、
 ‥例えば、アンケート等における好意的な反応に対して用いてみる。
 「前向きに対処します。」ではなく、
 「協意的なご意見痛み入ります。」なんて切り返しも有りだと思う。


> 協頭【きょうとう】


 「我が社と協頭しませんか?」
 所謂‥コラボの翻訳に使えそうな感じである。ここでの「頭」は、「台頭」の頭に擬えている。
 「A社とB社が○○の件で協頭しました。」
 共闘のイメージよりも柔らかく、社会貢献的な雰囲気が得られるように思う。


> 協実【きょうじつ】


 「協実な毎日‥」という使い方の提案である。共に汗を掻く喜びの充実感。
 協力を得られないことこそが凶日であるのだから、其をひっくり返した響きと言えるだろうか。

 ※ ググってみると会社名に出る


> 協育【きょういく】


 社会協育のように‥ボランティア精神の翻訳表現に用いるのはどうだろうか?

 ※ ググってみると会社名に出る


> 協挑【きょうちょう】


 「一丸となって協挑すべき課題」という風に、協力と挑戦を掛け合わせてみた。
 ‥協力より、より力を合わせて果敢に対処すべきという意味合いになるだろうか。
 ‥科学や技術の中身がより奥ゆかしくなればなるほど、協挑は求められるべき流れだ。




> 「共」と「協」の違いについて‥


 「共」は、ともに在るとした意に強く、
 「協」は、ともに何かをする意に強くあると思う。

 だから、今時の「共創」なんて造語では、逆に「創」の意がぼんやりとしてしまってよろしくない。

 ‥しかも世間的には、とある教団への参加を促さんとしているかのようにも見えてしまうのだ。
 ‥そもそもにおいてアイデアにしても、一人から始まるのであって、
 創る行為自体を善として、頭から大勢でやることを意図するようでは、危険極まりない作為にも映る。

 創る行為は、今や何かと諸刃の剣だが、昔ながらの生産行為にそこまでの意は介さない。


 そういう意味では、「共産」よりは「協産」だと思う。


 されど、共産主義の意訳としては、確かに上が在るとしているだけの形式でしか無いのだから
 協産と訳さずに来た明治当時の面々は、その辺り‥肌で感じていたという事になるのだろう。

 並びに‥明治当初、国家的に国民に対しての協じた暮らし像など皆無だった。

 なぜなら、明治憲法は間に合わせにも、欧州列強に対抗する為に用意された中身だったからだ。
 ‥そもそもにして上から押さえ付けんとした帝国主義の文言化だったわけである。

 そんなことからか、

 「協」の意は「共」の意に押されることになり、熟語としての活用に乏しいままである。
 ‥時代の流れを鑑みるに、「協」の字は、もっと使われるべきだと思った次第である。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:48 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

【提案熟語】偏窄/へんさく

改稿.2015/09/17...20130208...

> 偏窄【へんさく】


 思考や行動が偏って特化されている様。またその癖。

 所謂、「アスペルガー症候群」から「思考編窄症候群」への置き換えを思いついたところ
 「偏窄」だけでも熟語としてイケそうなので提案である。


> 使用例


 ×のパタン:君の行動(思考)は偏窄している
 ○のパタン:君の趣向は偏窄している

 「うーん、微妙ですね」

 思考や行動は一時的な場合もあることから、「変だ」という意味合いの方が適当であり
 趣向や趣味といった継続的な様子に対して、「偏窄だ」というニュアンスが当てはまる。

 ※ 相手のそれを断定的に扱おうとすると、ただの偏見にしか聞こえないので注意が伴う。
 そういう意味では、専門用語使用の方が良いのかなと。


 「君のアレは偏窄なのかね?」
 「アレですか、よく言われます」

 「実は私にも偏窄があるのだが、わかるかね?」
 「え?、いや、まったく」
 「そのうち嫌でもわかるから、まぁ偏窄の類いだと思って接してくれたまえ」(肩をポンと叩く)
 「・・・・」

 「社長の偏窄がまた始まったぜ」
 「え、アレが偏窄なんですか?|ただの大目玉って奴では‥」
 「まぁな、昔は、ああいうのも、地震雷火事親父なんておっかながられたらしいけど」
 「我が社じゃ、偏窄の一つってことで通ってる。そうじゃないとフェアーじゃないって」
 「誰が言いだしたんですか?」
 「社長だよ社長だよ、なんでもかんでもその手の人材受け入れてたら、ついに閃いちゃったらしいぜ」
 「それを言うなら、ブチ切れたんだろう」
 「吹っ切れたとも言うぜ」
 「いいですね♪、僕もその時の社内宣言見てみたかったです♪」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:40 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2015年08月20日

【提案熟語】索迷/さくめい

記稿.2015/08/20

> 索迷【さくめい】


 ‥情報にまみれた昨今の社会、
 自分により合理的な情報を求めて彷徨う。
 結果、混乱しその場その場での取捨選択を断念する。

 そんな気持ちを表現するための熟語として考えてみたのが
 「索迷」である。


> 使用例(応用を含む)


 「昨日、○○が欲しくてググってたら索迷した。アドバイスくれ。」

 「この件の捜査をネット上より進めておりますが、犯人の巧みな情報隠蔽により索迷しております。」

 「例のビデオファイルをどこに整理したのか‥見失い‥只今索迷中です」

 「RPGのフィールドが広すぎてさ、索迷中だよ」
 「なにさがしてんだよ」
 「ダンジョンの出口‥orz」

 「世界的な数学の難問 → 索迷問題」


 > ママ、今日の晩のおかずは?
 > 索迷中。
 > わかりました。こちらで具材揃えて帰ります。飯炊きよろしく。
 > よろしく♪


|索迷や‥アレも欲しいコレも欲しい財布は無論軽くしたくなし

|細々し索迷するほど先送り

|惑わすも索迷するもあんたら勝手

|自由とは、索迷有っての有り難み
|至遊とは、判断卸して索迷知らず
|示悠とは、索迷続く挑戦の日々
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:37 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2015年07月10日

【翻訳】七転八起をシンプルな英語に

記稿.2015/07/10

|No change,Yes challenge!

 (変わるのではない、挑戦があるだけだ)

 ‥という挑戦的な響きが頭をよぎった。
 でもまぁ俺の性格からすると格言にもならない。恥ずかしいだけのネタだ。
 しかしこれはこれで「七転び八起き」の意に通ずるのではないか‥

 そこで

|7change,8challenge!

 というシンプルな回答が得られた。

 これなら俺でも、恥ずかしくなく使えるぜ。
 ‥何かの作品のタイトルでヒットしようなら、世界の共通表現になるのは確実かも。


> ちなみ俺は、「I can't speak English.」だから
> ‥ネイティブ等から意見を伺うように。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:16 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする