2015年10月29日

【マンガ】未来日記を読んでみた

1-2)記稿.2015/10/29

> アニメで見てからマンガの方を確認した。


 初っ端からネタバレ含みのツッコミになりまーす。
 ‥まぁ尤も、遅まきながらの発言になるのでどうでもいいだろう。


 主人公:天野雪輝の妄想だったはずのデウスが、
 実は、現実含みの存在であるというところから話が始まり、
 そのゼウスの寿命をネタに、神の後継者争いというのが話の柱になっている。

 そもそもにして

 神の寿命による後継者争いなんだから、死んだ魂が蘇らないのは織り込み済みというものだ。
 ‥でもそれに気がついた争奪バトルメンバーは居ない模様としてスタートしている。

 ツッコんだ見方をすれば、
 未来日記のシステムを提案した11thは、それに気付いていたのかも知れない。
 でも、そういう角度からの思惑の一切は描かれていない。
 ‥話は、突然の後継者争いに巻き込まれて動揺したままの雪輝視線で進んでいく。


 例の襖に印された初っ端からの「助けての」刻印からして

 作者は初期の段階で、始まりと落ちを思いついていたように見えるが
 死んだ魂が蘇らないとするうんちくについて見破ったキャラクターを考えなかったのだろうか。
 ‥そこに気がついていたなら、11thのキャラクター性はもう少し角度の違う形に成ったと思う。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:09 | Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

【マンガ】"ピアノの森"の行き詰まりについて

改稿.2015/09/23...20140914...

 通常、マンガやアニメの表現は客観表現である。
 その結果、脇役が主人公や物語状況について語るという表現方法が確立している。
 ‥ピアノの森は、まさにそこで行き詰まったと言えるだろう。


> 聞こえない音を誰に解説させて、どう読者を納得させるのか‥


 だから、そこに至るまでの付き合いの延長上に居たキャラクターらに、
 どんなに一ノ瀬海のピアノを紙面上で賞賛させようとも、

 最終的に審査員の人間性を描かないのなら、勝敗なんか付けられたもんじゃない。

 しかも賞の対象は、ショパン・コンクールという大舞台かつ外国文化の色濃い主題だ。
 どんなに日本の読者がおおらかでも、そんな雲の上の舞台の話にリアリティーなんかない。


> そもそもにして、ピアノ=ショパンではない。
> ピアノ=海を描くのに、ショパン・コンクールでの優勝はゴールではない。


 読者からして、ショパン・コンクールのことなんかよくわかってない訳で、
 サクッと一度は敗れるなりして、
 素直に自分の音楽に対する思いを振り返っていく時間をカイに与えるべきだったろう。
 (途中までしか目を通してませんのであしからず。)

 その時、再びショパン・コンクールに挑戦させるにしても、安直すぎては面白くない。
 描く方もしんどい。読む方もしんどい。
 そもそものカイの育ちが育ちなんだし、負けて自分の音楽を探し始める展開の方が自然だったと思う。
 ‥日常の音楽家の視点からしても、そっちの方がほっとするはずだ。
 (その上で、因縁に誘われるように再挑戦の展開なら、読者も音楽家の目からも納得だ)


> 主人公のなりや状況を、客観的に脇役の口を通して解説させる手法は、


 読者にはわかりやすく聞こえはしても、
 舞台を変えるたびに、脇役を作って、立たせてを繰り返さなければならない。

 だから、事前にそのことを頭に入れて、物語を作る必要がある。

 ところが、読者が見たいのは、そんな解説役になったキャラの人生回想や持論ではない。
 ‥そういった点で、実に面倒くさいし、目障りになりがちな手法だ。


> そういう意味で言うなら、


 キャラが立つ展開とは、主人公が出会った人物や物語の展開から受ける影響であって、
 主人公自身に、その出会いや展開から、興味の方向性や心の変化を感じさせることが大事だ。
 主人公が「奴はどんな奴?」て思うなら、問答無用で、脇役の人生回想を描くのが当然の流れになる。

 そっちの方が、面倒にならない。

 人生考えたって、そんなもんだろう。
 自分一人で自己解決できたり、勝手に方向転換しているような奴は、
 却ってわからない奴というだけの話だ。
 ‥それをわざわざ「俺はお前のことを理解しているぞ」‥なんて解説はくどいだけである。

 で、その手の解説手法に慣れた作り方をしていると、

 いつの間にか、主人公が疎かになっちゃってたりする。
 (成長するヒーローを描きたいのに、ただの被害者妄想を邁進中だったりとか)
 脇役が主人公に影響を与えるにしたって、主人公が成長しないなら、
 脇役の構成までが堂々巡りになりかねない。

 しかし、一方で

 中には心の成長なんか見せずに、そのままが完成形で突っ走ってるキャラも居るわけだが、
 ‥まぁそれはそれだろうね。

 一ノ瀬海は、多少そんな感じの奴だから、負けたって持ち直すだろう。
 逆に一発で優勝させてしまう方が、つまらないのかなと‥

 レッスン漬けで、何かを忘れていたとするような後付けな発見を、作者が用意できていれば、
 サクッとショパン・コンクールで負けたってなんら不思議はない。
 ‥それが、そもそものテーマである「ピアノ=海」を描くってことの次第だったように思われる。


> 否、"ピアノの森"なるタイトルからイメージされて来た読者側の期待感だったろう。


 雲の上の調べよりも身近な調べ。身近な調べからの洗練と到達。
 それが、”ピアノの森”のタイトルからイメージされる音楽観だと思う。

 「それともなんだ‥作者のショパン観がピアノの森とでも言いたいのか?」
 ‥そんなのは読者的にどうでも好いことさ。読みたいのは作者の持論ではないのだから。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:28 | Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2014年09月13日

【マンガ】ガイバー・ユニットはどうして地上に残されていたのか?

改稿.2015/09/23...20140913...

> "強殖装甲ガイバー"の物語の最大の謎は、


 「ガイバー・ユニットがどうして地上に残されていたのか?」に尽きる。

 物語の骨格になっている降臨者の実験。

 ‥降臨者たちが作りだした人間のプロトタイプにガイバー・ユニットを殖装されてみたところ
 自分たち降臨者側の存在を揺るがしかねない性能の発露に大あわてで計画を変更。
 それは、大げさにも地球に巨大隕石を衝突させて人間を滅ぼすというやり方だった。

 地球から降臨者側が立ち去る段階で、

 アルカンフェルに、ユニット・リムーバーを使わせて殖装者からガイバーユニットを解除させている。
 その時、「どうして、アルカンフェルと共にガイバーユニットを残していくだろうか?」
 ‥アルカンフェルに対しても、人間のプロトタイプ同様に危惧を抱いたはずだ。
 (読み返してみて、そこの所が無性に気になった)


> 作者の高屋良樹がどう考えているのかは知らないが、


 十五巻を境に、話のテンポがだいぶ違うことから、
 「ガイバー・ユニットがどうして地上に残されていたのか?」という視点は、
 今のところテーマとして扱われていないものと思われる。

 そもそも

 ガイバー・ユニットが、遺跡の中に
 ユニット・リムーバーとセットで残されていたという痕跡が何を意味するかである。

 その遺跡にしても、唯一生きている状態だった。
 (生きているがゆえに、ゾアロードでさえ遺跡の内部には簡単には入れない構造)
 ‥ここに注目すれば、話の展開はもっとテンポ良く進められたはずである。


> 物語中でも、ガイバー・ユニットの発見は、
> アルカンフェルが休眠期で寝入っている時であった。


 ‥そのようなことから、細かい諸事情が先行し
 かような遺跡がなぜあったのかに、アルカンフェル自身が疑問を抱くところがなかった。

 作者もまた、ゾアロードの頂点に立つ神々しきイメージを描くことを優先し
 アルカンフェルの戦闘能力の見せ方に始終しただけに留まった。


> その昔


 自らの休眠期の時に、再び降臨者側が地上に舞い降りた痕跡としての謎かも知れないし、
 そうでなく、始めから残されていたのなら、それこそ謎だ。

 ‥なぜなら、見捨てられたはずの自分たちが、
 その頂点として誕生したアルカンフェル自らが、
 ガイバー・ユニットを殖装することを望まれていると考えたっておかしくない。
 (まぁ、実験の対象としてだろうけどね)

 そうではなく、ただ単に置き忘れだったかも知れない。

 もしくは、長き年月の経過の果てに、降臨者側の社会や権勢が様変わりしており、
 地球に残してきた人間への関心が180度変針したという筋書きだって提案できることになる。
 (それにしても、あれだけの隕石落下で人間が生き残ったと言うのも変な話だ)
 (新しき人類がそこに登場していたことにアルカンフェルが気付いていなかったとか‥)


> そもそも


 クロノスがガイバー側を掃討しても、
 ガイバー側がクロノスを排除しても、降臨者なる存在が示された段階で、
 "強殖装甲ガイバー"に、物語としての終わりを見いだせるかどうかには無理がある。

 ならば、物語の焦点を
 「ガイバー・ユニットはどうして地上に残されていたのか?」に絞る必要がある。

 それは私たちの日常にも言えることだ。
 「どうしてオーバー・テクノロジーなるものが地上に存在するのか?」

 そこを考えずして、双方の勢力をあれこれ弄ってみても、玩具を弄る程度の面白みにしかあれない。

 それは、競争し合うことを強いるだけの社会構造に、面白みのなさを抱くのと同じだ。
 ‥少年や青年の年齢だった者たちが、おっさんの年齢になって、読み返すとそこが尚更になる。
 ‥降臨者側の意図を示さない限り、物語の展開に納得など得られないのだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:02 | Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

【マンガ】花田少年史を読んで

1-2)改稿.2015/08/21...20100927...

> [一色まこと]花田少年史を読んでみました。


 このマンガはアニメにも映画にもなっているとの事ですが、花田のはの字も存じておりませんでした。
 霊絡みの日常些末を、メルヘンチックに見せてしまうセンスに脱帽でーす。

 ‥楽しく厳しく公平に
 ‥成仏できるできないに対しても公平に
 「自分のせいで自分との関係で成仏できない者が居るのに、自分だけが成仏できるわけがない」
 三巻収録25話〜27話の下りには驚きました。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:36 | Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2010年09月25日

【マンガ】ピアノの森を読んで

1-1)改稿.2015/08/21...20100925...

> [一色まこと]ピアノの森を読んでみた。


 ‥話の途中で完結していなかったのは残念だが
 ピアニストの卵たちのバトルをマンガで表現すると、
 「あーなるのか‥」という一つの形に奇妙な共感を覚えた。

 音を絵で表現できないから、自ずと音楽家の生き様を描かざるを得ない。

 それもショパンコンクールというきわめて限定された世界観での生き様を織り込まなければならない。
 一色まことは大胆なマンガ家だと思った。


 ‥しかも、ショパンコンクールに参加できる年齢は17歳〜25歳とか
 たかだか17歳〜25歳の年齢でどれだけの人生観を織りなせるというのだろうか?

 (ある意味、そこにあるのは天才という響きだけで人間性なんか二の次で好いはず)
 (でもまぁ、公演という身なりをキチンとできるかどうかは人格上の前提でもある)
 (人生の中でひねくれている暇がどれだけあるのかにも、許容の幅が限られる)
 (‥どんなにキャラを立てたくも、ショパンコンクールという制限上、嫌でもキャラはかぶる)


> 絵や言葉ではなんとでも言えるかもしれないが、それがアニメ化されていると聞く


 楽譜が4/4拍子のところを4000/4000拍子にでも細かく置きなおさないでもしない限り、
 デジタルでの聞き比べに、キャラごとの個性なんか得られないと思う。
 人の演奏には所詮、音長による個人差があるのだから‥物理的に違いを得ようとすればそれぐらいだ。

 実際、ボーカロイドに歌を歌わせようとすると

 節の出だしや伸びに、楽譜とのズレをテクニックとしてやらないと
 機械っぽく聴こえるばかりでおもしろくも何ともない。
 ただし、あまりかけ離れてばかりいても、全体があやふやになってくる。
 実際にやってみても、聴きながらでないと調整できないし、イメージが先にないと崩れるばかりだ。

 ピアニストで言えば、そこは楽譜を見て弾くなんてものではなく、身体が覚えている感覚か‥

 それでも、人間が4000/4000拍子なんて楽譜を渡されても理解不能だと思う。
 機械に渡せば別だろうが、常識的にそんなスコアを置けるツールからしてない。
 「そこを制作サイドはわかっているのだろうか?」
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:45 | Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする