改稿.2015/09/01...20110213...
> 俺は夜景のライトアップをきれいとは思わない
> 「なぜそう思うのか?」‥その答えがようやく見えてきた
日本のライトアップ第一人者は、石井幹子(いしいもとこ)だ。
彼女は、「海外では建物がライトアップされて夜景がきれいなのに日本にはなぜそれがないのか?」
‥その浅はかな思いだけで、日本でのライトアップ活動をおぱじめた犯人(ホシ)である。
ここでは犯人との表現を用いるが、別に法律に違反した活動をしているとかではない。
‥野生動物の好奇心を人里に引き寄せて、
農家に甚大な被害を及ぼしている可能性のきっかけの張本人という推理からそう呼んでおくとする。
> ググってみると
彼女がぼちぼちと活躍し始めたのは、1980年代からである。それ以前は、
オイルショックの影響から、照明デザインは電力の浪費と受け取られ不遇の時期を過ごしていた。
1989年に、東京タワーのライトアップが始まった。
1993年に、レインボーブリッジのライトアップが始まった。
‥たぶんその頃を境に、日本全国の夜光が、宇宙から見て一番派手になり始めたんだと思う。
> 石井幹子の理想とする照明は
「満月の明かりのような清らかで美しい静かな明かりが好き」‥だそうだ。
でもまぁそんなのは関係ない。夜空をキレイにすれば良いだけだ。地上に持ち込む必要なんか無い。
夜光を発すれば、虫が引き寄せられて人里に下りてくる。
その虫を追い求めて人里に引き寄せられるのは獣である。
‥それの蓄積と時期は、ちょうど一致する。
無論、それ以前にも、昼も夜も慢性的なライトアップは始まっていた。
少し遡れば、高速道路やら24時間コンビニなんてのもそれに荷担していたと言える。
ここで肝心なのは、誘導路を形成してしまうインパクトの大きさだ。
‥ありとあらゆるライトアップが、野生生物を刺激してきたものとして推測される。
> 特に夏の間、人の活動は夜長になる。
虫たちは明るいままのそれに‥街の夜光に引き寄せられて、そのまんま山に戻ることなく果てる。
なんにせよ虫たちの命は短い。その結果、虫たちを追って小動物が移動を始めるようになった。
なんにせよ獲物が減り始めようならそうならざるを得ない。
‥とくにタンパク質の激減は、容赦ない選択を要求させたものと思われる。
周りに小さな獣の気配が無くなると、今度は大型の獣たちが小動物を追い始めた。
> 年々その距離が人里に近づき、ついにはその境目が無くなったのだとしたらどうだろうか?
最近の調査では、熊の中には冬眠することなく、
人里近くにヨッコラショと、巣穴を構えてくらしている輩が多発していると聞く。
喧騒なんかなんのその‥熊でさえ、山里よりも人里の方が暮らしやすいことに気がつき始めたのだ。
熊にしても、肉好き、植物好き、魚好きと様々とある。人間の食好と同じように
それぞれ自然界のバランスを保つ働きの中にあった。‥ところがどうか
人里の食べ物の方がうまいと知られりゃもうお手上げだ。奴らは手強い。それが野生でもある。
その結果、大型の肉食獣の気配の薄くなった山奥から、鹿の数が増え出したとておかしくない。
> ‥鹿の被害は90年代後半にはかなりの規模になりだしていた。
これは、どうしようもないほどに、
石井幹子の活躍とライトアップ認知の波及との時期が一致してしまうのである。
それと同時に、猛プッシュされてきた道路賊に空港賊。
どちらかと言えば、そっちの開発等の方が虫にしてみればインパクトが大きい。
飛び疲れたなら車にでもよっこらしょと止まれば良い。簡単に飛躍的な移動が可能になる。
> 俺の推理は間違っているだろうか?
そんなことを知る由もない石井幹子曰く。
「やってないところがあまりにもまだまだ多いから、もう一回東京の照明を見直したい」‥だそうだ。
そんなのは、日本全国の夜をさらに煌々と照らして、
「野山から虫をはじめとした生き物すべてを都会に集めちゃうわよ」っと
無邪気に語りに落ちた子供と変わらない。
> 「そんな照明は日本では有り得ない!」
> 石井幹子が駆け出しの頃、いろんな所でそう言われたそうだ。
‥北欧をのぞいた西洋の森林は、伐採のしすぎで一度壊滅してしまったあとの姿にある。
ゆえに、そこにある風景は、すべて人工的(デザイン)でしかないのだ。
そこを真に受けてしまっては、日本の原風景は成り行くまい。
「人の価値観ばかりで以て、風景のキレイを見てんじゃねぇ!」