↓1)記稿.2016/10/29
> 抜粋
いじめられる側に原因があるか聞かれたら
完璧な人間はいないので、ある、と答えざるをえません。
けれどそれは、いじめる側が原因を相手の中に「見つけた」だけのことだと思います。
まずいじめる側に、誰かをいじめたいという目的(結果)があって
その目的に向かって、原因を探し出されたのです。
@少し自分語りをします‥
ぼくが小学校のときに声優を目指していると言ったら
ある人が「テレビのバラエティにしか出ていないくせに」
「声優学校にも行っていないくせに」と言って、ぼくのことを笑いました。
Aそのあと、ぼくは声優学校に通える年齢になったので
声優のレッスンに通いはじめました。するとその人は
「いくら声優のレッスンだけ受けても、テレビに出ているやつなんかダメだ。
本気で声優になりたい人は真剣に舞台で芝居をやっているんだ。」
と言って、ぼくのことを笑いました。
Bそのあと、ぼくは偶然にも舞台と出会い、
すっかり舞台の面白さにハマり、
いま舞台のお仕事をしているのですが、その人は
「あいつは落ちぶれてテレビにも出してもらえなくなって、
小劇場にしか出られなくなったから、声優になんかなれない。」
と言って、やっぱりぼくのことを笑っています(笑)
C何が言いたいかというと、
いじめられる側からいくら「いじめる人に言われる原因」を取り去ったとしても
その人の中にある、他人をいじめたいという「結果」が変わらない限り、
人は、永遠にいじめられ続けるのです。
いま、誰かにいじめられていて
「自分にも原因があるから仕方ない」とか、
「悪いところをなおせばいじめられなくなるかも知れない」とか考えて苦しんでいる人がいたら
ぼくの@からCまでの話を何度か繰り返し読んで、
Bのところで思い切り吹き出してみてください。
これを読めば、
変わる必要があるのはいじめられる側ではなく、いじめる側であるということ‥
そして
いちいち人の意見に振り回され、
他人の望む自分になることのバカバカしさが分かるでしょう。
いじめられる側に原因があるのは
いじめる側に「いじめをしたい」という結果があるからです。
原因があって結果があるのではなく
結果があって原因がある。
いじめる人が変わらなければ、いじめられる人がいくら努力しても、
いじめが無くなることはありません。
自分の人生を生きてください。
> ‥なかなかの考察、しかし、未熟にも浅はかさもありますね。さてどこでしょうか?
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