2016年05月13日

【プレバト】 茶畑と富士山、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/05/13

|茶山晴れ 真っ直ぐ拝む白き富士
|茶摘唄 富士に和気吹く青い空
|富士にっこり 茶摘みの声に茶の香り
|手前まで待てぬと富士から一番茶



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


稚草

 課題は、富士市今宮からの光景なんだそうだ。
 去年のリベンジになるんだが、
 やっぱり‥現場を知らねぇ奴が詠んでもねぇ‥

 少なくとも、普通に言えば

 だからこそ、詩人は現場に出向いてこそ詠むべきなんだよ。
 できれば多少は棲むべきだと思う。
 そこらの部屋で句会を開いても、そりゃただの言葉遊びなだけでして
 それで上手いとか拙いとか、侘びも寂びもない有り様さ。

 でもあれだよ

 詩人が現場に出掛けても、飲み食いするように詠み捨ててもね
 それは違うでしょって思えば、部屋の中で大人しく言葉遊びに始終するしかない。


 素寒貧でもさ、蹴飛ばされねぇ時代にならないと
 部屋から出てもつまんねぇ光景しか目に付きそうにないからな。
 詩人は、広報役でもジャーナリストでもねーんだよ、ただの声なんだよ。
 ‥ただの声に成りきれているかどうか、それだけだろうな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:22 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

【プレバト】茶畑と新幹線、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/05/12

|青み映ゆ茶山分け行く新幹線
|駆け抜ける音響余所に茶摘み撮る
|茶摘唄 かき消す音も随分と
|‥茶山静けし香りを抜けて行く



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



稚草

> え、茶畑って季語なんすか?


 茶畑でOKを出すと○○畑が全部OKになってくるぞ。
 ○○畑と出すと、それの旬を指す‥なんて事でのお約束でも良さそうだが、
 実際の栽培は、価格との兼ね合いで、実の旬より早く出荷させている場合もある。
 ‥そういうのも含めると、悩ましい話だろう。

 そもそも、田からして季語とはされていない。

 たとえ稲作でも、そこに季節感を絡ませてこそ季語として扱われている。
 たかが茶畑の単語一つが、田のそれぞれの風情より上を謳歌することも有り得ない。
 ‥ゆえに茶畑は傍題でしかなく、季語とは言い難いのだ。


> 怪しすぎるので、茶山を使ってみた。


 まぁ似たような気もしなくもないところだが、
 山と付くと、春山とか夏山とかそういう山に対しての季節感が付いてくる。
 茶山となるとどうかというと、どうしたって旬を指さざるを得ない。
 そもそもにして、それ以外の茶山なんて誰もイメージしていない。
 ‥そこの所が、まぁ微妙に違ってるだろうな。


> 発句と挙句が同じのようだが‥


 否、挙句は、何も新幹線を詠んでいるとは限らない。
 茶摘み娘が、もしくは、カメラマンが、茶畑からの帰り道かも知れないぞ。
 え、それだと主題と違ってくるって、そんなことぁない。
 両方を織り込んだと言えば、そのままに読めてしまうのだ。
 「抜けて行く」対象が描かれていないと言うだけのこと。

 茶摘みの帰りがてらに新幹線が通った。「‥」はそれの意味に添えてみた。



手直し.2016/05/13

|新茶踏み 鉄の白龍まっしぐら  東国原英夫


 これで東国原は降格した。
 当人は、人間が自然を壊しているとか何とか口走ってたが‥
 茶畑そのものだって自然ではありません人工っすよ。

 ‥まぁそんなこんなで、勘違いのノリではありますが

 当人のセンスに合わせて手直してみたらこうなった。


|茶山斬り鉄の白龍まっしぐら


 これぐらいに整えてくれてたらスゲーとか話題になっちまいそうだが‥

 しかし

 どう手直そうが、主体が新幹線にあることは変わらない。
 目線が新幹線に行き過ぎてしまっていることから
 見ている茶山のイメージはとくに旬でなくても構わない。(季語として季語が死んでしまう)
 ‥新幹線なんぞ、年中走ってるわけだから。主体はやはり季節感を詠むべきである。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:20 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

【プレバト】端午の節句・鯉のぼり、俺も詠んでみた

記稿.2016/05/05

|お祝いの兜に並ぶ孫の笑み

|幾百と空に夢馳せ鯉のぼり

|菖蒲湯の粋にほのぼのゆかし香

|いくつでも腹の付き合い柏餅



稚草

> まずはベタに詠んでみた。ここまでベタな詠みも聞かないな。


 「あるのか?」
 ‥無いなら、「えー」と言わざるを得ない。


> 次も、すでに誰か詠んでそうだが、どうなんだ?


 ちなみ、俺はその手の祭りには行ったことはまだ無い。
 ‥最近よく見かける映像に、
 個々宅の飾りを眺めさせられるより、ずっと粋だと思っている。


> その次もどうなんだ?


 これも無いのか?
 無いなら、先人らの視点も不抜けていると言わざるを得ない。

 大体だ、先人が優れていたら、俳句なんか洗練されるほどに既出だらけにならざるを得ないんだぞ。
 ‥そうであったら、俺なんぞ端っこだ。(雁首揃って端っこだけどな)
 ‥それをこそ喜ばしいと思うのだが、どうも違うようなんだよな。
 ‥現代に於いて、一番とか前の方とかな、そんなのは歴史的に残念なだけだよ。


> 最後のはさすがに無いだろうな
> こればっかりは、性格的な詠みの度合いが大きい


 いくつは餅の数だけでなく、歳の数でもある。
 ‥柏餅の柏には、代を受け継ぐという意味があるんだそうだ。へぇ知らねー。

 是、見方を変えて読むと、あんこの色が黒いだけに腹黒い付き合いを連想できる。
 ‥でもまぁ、そのぐらいに密着して長く付き合うことは世間の必要だからな。
 ‥代を受け継ぐとの本当は、そういう意味になる。


 昔はそこに、下にも利があったわけだが、今や、地域差無くそんなのねぇ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:07 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

【プレバト】新緑の高尾山、俺も詠んでみた

記稿.2016/04/29

|高尾晴れ吸い込む新緑はずむ息 

|新緑に高尾天狗かムササビか

|だんご食む新緑ゆるり高尾道

|高尾から都心なじり新緑笑む



稚草

 高尾山には登ったことが無いので去年はパスした。
 今年のお題はリフトの写真なんぞにあるが、リフトは好かんので尚更にパス気配。

 「ああ、イメージ湧かねーし‥今年もパスだな‥」などと思いつつ

 たまたま
 ヤマノススメなるアニメをチェックしているところに、にんまり。
 高尾登山がばっちり描かれてるじゃん、ラッキー!
 (ムササビについては、“ダーウィンが来た!”でそれなりに知ってた)


> 勢い余って、‘高尾’と‘新緑’の両方ともぶち込んで詠んでやったが‥


 発句のイメージと流れはバッチリだが‥字余りが微妙に多めな感じ。
 二句目は「あ、あれは‥」ってな感じだが‥かなり苦しい。もはや映像感だけの捨て置き。
 (ムササビを欲張ったので、まぁしょうがない)
 三句目は‘食う’だと歩き食いしてるみたいなので‘食む’にした。‘食む’だとその場に座ってる印象。
 挙句の“都心なじり”は、してやったりな詠みになったが、一望を見てるのかどうかが今ひとつ‥

 ‥言うまでも無いが、四景句で組み合わさって、ようやくな点は素直にきびしい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:11 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

【プレバト】チューリップと遠足、俺も詠んでみた

記稿.2016/04/21

|子ら来たり!チューリップからはしゃぎ声

|「チューリップ♪」お手てつないで列歩く

|駆け出して、大好きいっぱいチューリップ

|また来てね。揺れて見送るチューリップ

posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:17 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

【プレバト】つつじと鎌倉大仏、俺も詠んでみた2

記稿.2016/04/17

|つつじ沿う石段続く寺の径(みち)

|小走りに子ら跳ねたり映ゆつつじ

|大仏の膝元ならぶ赤つつじ

|白つつじ鎌倉祈る阿弥陀仏



稚草

 滝沢沙織(?)の詠み‥(つつじ咲き石段登り手を合わす)
 夏っんの手直しが、あまりにもパターンで進歩なしに思う。
 (つつじ咲く石段登り来て合掌)‥来ての使い方が実にパターン。

 いつもそうだが、その来ての用法は、日本語ではない英語だ。(方言までは知らん)

 日本語の‘来(く)’は
 向こうからの様子に対してであって、自分からもしくはその場の側からは用いられない。
 ‥用いるとしても、対象が自分の気持ちの中で右から左に動いた完了にのみ。「チャンスが来た‥」
 ‥やって来たならやって来たで、誰がどこにと場所を提示しないと英語と同じになってしまう。

 その視点から、夏っんの手直したそれの流れを辿っていくと‥

 「石段の途中で合掌するのは誰ですか?」ってツッコむのが日本語の感覚になる。
 (‥滝沢沙織の詠みのそもそもからしてそうだから変えようがないのだが)
 石段の途中にお地蔵様でもあったんですか?、つつじに感謝の意を語らんとしてるんですか?

 ‥来なんて使ったら、どうしたって、
 それは、そこに置かれているなんだか側の視界にもなっちまいますよね?(文として日本語として)
 そこんところで見事にずっこけ、手直し失敗。はい残念。


> ‘来て’は、‘来られて’でもある。(※来られては日本語としては欠番)
> ゆえに敬語があったから‥日本語の‘来’と‘行く’の用法は、英語と違えたと言える。


 ‥などと、独りツッコミたくなる。(来を使うのは鬼門だよ。平然と用いる先生も鬼門だけどな)
 ‥素直に、語らんとしている角度が欲張りすぎ。直すだけボケ。無理。


|「来」を金棒と安易に用いる夏っつんの俳句の直し鬼門すぎ


> それにしても


 プレバトの名人の上に師範がある段位ってやっぱり変だろう。
 そんなに幾人と名人がいるわけでもないし、
 お前ら芭蕉より上だって何人自負できてんだよ。それを自慢できる程の詠みあるの?
 ‥教えられるレベルってのは、知識の量でも十分成り立つからな。勘違いにも程がある。
 ‥俺なんか、手元にグーグル検索ないと語彙に困っちゃうレベルなんだぜ。師範はまず務まらねぇ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:06 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年04月14日

【プレバト】つつじと鎌倉大仏、俺も詠んでみた

記稿.2016/04/14

|聖衆の祈りのつつじ 高徳院

|諸々のつつじを愛でる阿弥陀仏

|鎌倉の歴史添えたる燃ゆつつじ

|躑躅さそう阿弥陀の縁ゆかし古都



稚草

 今回は調べちゃいました。(高徳院なんて単語‥押さえてねえからな)
 鎌倉の大仏は阿弥陀仏。(まぁ外に置かれているというニュアンスではあるな)

 ‥あんまりにもかっこよく詠みすぎると
 鎌倉はツツジの苑だ‥なんて次第になってしまうので
 その辺を引き算しながら詠んでみた。

 まぁ昔は、ソメイヨシノは無かったから、躑躅で一杯だったかも知れないし
 梅だったかも知れないし、桃だったかも知れないし、山桜だったかも知れないし
 まぁそこまではググっても引っかからないだろうから、妄想過ぎてもダメだろうね。


 蓮の花と言ったら盧舎那仏‥
 つつじと言ったら阿弥陀仏‥と使い分けても似合いそうかもな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:24 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年03月31日

【プレバト】新幹線と夏休み、俺も詠んでみた2

記稿.2016/03/31

|夏雲と新幹線や里に風

|都会から帰省を運ぶ列島網

|いきつけば お盆だけの仏国土

|乗り継いでふたたび都会汗の旅



稚草

 ‥息付けば、行き着けば

 発句はお題の写真映像にこだわって詠んでみた。
 あとは、的を帰省に絞ってみた。

 挙げ句はすでに詠まれてそうだが、そんなのどうでも好い。
 ‥五七五での四コマの組み合わせなんだから、そこまで要求しても仕方がない
 ‥別の捻りを見つけたなら、それはその人のオリジナルと言うことになる


> なぜ、四コマでの表現にこだわるのかというと


 ‥なにやら、人間様のときめきがAIに追いつかれてたまるかという事の様だ。
 まぁ考えて見れば、そういうことなんだなぁと思わざるを得ない。

 生命体として見たってさ、粋を楽しむ気迫ってのが必要だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:20 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

2016年03月26日

【プレバト】秋の箱根すすき、俺も詠んでみた

記稿.2016/03/26

|浪返す すすき恋しや箱根旅

|君思ふ 箱根の里の夕すすき

|風すすき 箱根を踏んで早る足

|久々の君とすすきの吾が箱根



稚草

 ‥江戸後期もしくは明治頃の箱根の里に暮らす旅商人が
 すすきの頃を境に行ったり来たりしている感じ。

 「そんな商売あったんかいな?」

 江戸の頃の箱根の山は茅を植えていたと聞くが
 茅の収穫期は秋なので、注文聞きにでも出かけていたとかなんとか‥
 ‥まだ祝言はこれからそうな村の男と娘の恋路。


 宝永噴火の後の箱根近隣の暮らし向きがどうだったかはまったく知らん。


> どうでもいいが‥すすきと好きの引っかけということで、よろしく。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:30 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

【プレバト】河津桜と菜の花、俺も詠んでみた

記稿.2016/03/25

|花見事 河津を歩く良き日和

|川面にのどかさ映やす河津雲

|川に沿ふ 花と菜の花 添う河津

|訪ねたや暮れて花照る河津川



稚草

 縁あって親戚が居るので、
 毎年のように行く機会はあるのだが、俺は行かねぇし‥

 お題から外れた詠みもあるが
 お題写真が、河津桜まつりのサイトからの採用らしいので
 サイトにあった写真群から詠んでいる。

 形としては、去年‥詠めなかったリベンジだよね。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:08 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする