↓11)向宜詠吟.2016/12/02...20161129...
|夕暮の風音を聴く敗荷かな 静岡市・かわせみ北句会
|夕暮に風の音忍ぶ敗荷かな 手直し
|敗荷にも無常唱ふる仏かな これ程までの落差望まじ
*敗荷(はいか、やれはす、破れ蓮)‥蓮の秋枯れた様を例えた表現。
‥ググってみると、どちらかというと敗荷(やれはす)が好まれているように思えますが
すさんでいる感じが、益々強調されたように思えます。
ネタの詠みは、そういう分には悪くないと思いますが、まぁ普通でしょう。
‥ツッコんだ見方では、「風音」と「聴く」が指摘されるところです。
> それにしても
蓮の枯れた様をはじめて見ると、その落差に驚かされます。
まさに、仏の無常を語っているかのような風情なんですな。
蓮の花は、仏の境地によく例えられますが、
その裏返しこそが仏の例えたる由縁だったという訳です。(落差ありすぎw)
|朽ち葉踏む音の幽かに枯野道 焼津市・「みずほ句会」
|朽ち葉踏む音ぞ幽けき雪の下 ねずみ居るらしきつね飛び込む
*枯野道(かれのみち)‥枯野の中にぽつんとある道。
幽か(かすか)‥@物の形・色・音・匂いなどがわずかに認められるさま。
Aさみしいさま。Bみすぼらしいさま。
幽けし(かそけし)‥音・色などがかすかなさまである。
‥「朽ち葉」は季語に無いようですが、冬ざれの風情を誘います。
そこに「枯野道」と下五に置いてもちっとも映えません。
> そもそも、その「幽か」とは何か?
> とした問いが、自身にまったく感じられません。(着眼は好いのに勿体ない)
‥考えた末、そこには普段の雑踏とは違う生命観を感じざるを得ません
雪の下にあるのは、朽ち葉だけではありませんが、獲物としてとらえられて朽ちるに掛かります。
そこを頼みに詠んでみました。(梟案も考えましたが、狐の方がおさまりがよく狐です)
(‥誰にも詠まれていないだろう視界がそこにあったとさ、ごちそうさまでした)
|朽ち葉踏む音の幽かや年の暮れ 釣り銭数えどん兵衛すする
|正月を捨てても食いたき年越しそば 感謝で締めむそれだけの
‥こちらの「音の幽か」はまた別案でして
手持ち資金の心細さに見立ててます。(斯様な用い方もありです)
(枕詞風に「朽ち葉踏む」が「釣り銭」に掛かる感じかと‥葬儀で正月無しにも詠めそうです)
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