2025年02月03日

【二次詠み】それが声優!(十二射)

向宜詠吟.2025/02/03


|新しき風になりたや吾が門出 右も左もライバルだらけ
|羽ばたきに波紋は一対「いざ通知」ああ‥モチベーションの立て直し‥‥
|「いざ現場」さわりを拝み急降下‥ひよこで未熟で赤っ恥‥‥
|気が付けば新樹にまとう陽差しあり「一期一会」押す「ありがとう」


|へこたれてへこたれてへこたれずんば、キャラの元気の裏を得ず
|孤独を避ける輩に才覚無し 孤独と孤独感はまるで別
|有意義な人生なんざ一つもね 其れが未熟の平行線
|先を行く後から追うも同じ道 人数得ずんばタイトルを得ず


|その孤独 拓いて繋げ 天の川「ヘルプ」と「孤独」は一対の端
|気がつけよ 繋がる電波や「孤独群」無力の出会いのその恥を
|遠くから見守るばかり流れ星 今夜も明日も幾億に‥
|「穿うがちたや」伝播の夢とキャラの夢 共振ひび一声いっせいそれが声優!



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



 ‥声優のお仕事は、知識でもテクニックでもありません
  ひたすらにモチベーションとの格闘なんです

  (そういう意味でも、あの大御所に100%注目が集まる草)

  と声に出ているような作り込みで
  とても地味な所に

  (そりゃそうだろう何処の世界だってモチベーション第一なんやで)
  (他に売りがねぇなら、出直して来やがれ‥てな感じで没くせぇz)

  とても地味な所に
  実声優の言葉が、詩のように刺さるという作り込み
  現場でも同じような言葉を聞くだろうと考えると、最後まで見てみるのもありかも
  ‥と誘われるのだった


> ‥‥これぞ‥‥
> {先輩頼み構造}={先輩風構造}={頼って貰いたい願望症候群}
> (いやぁ俺には無理な世界だz)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:39 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2025年01月25日

【フラクタル】人はつるむ際に{リーダー}を求め{方針}を迫る{そこに潜む弱点とは何か?}

↓4)記稿.2025/01/25

> 自由主義を、多くは「個人の自由」に当てはめがちだが
> 「団体での自由」もあるのだから、それとどう違うのか?
> とした尺度を持つべきである‥‥だがそれとて、個人の性格パターンとさほどの差が無いらしい


 ‥例えば、不良がつるむ場合
  マンガなんかだと、喧嘩したらダチだ‥などというよく解らない論理がまかり通っている

  其は、力比べをした結果の阿吽みたいな奴なんだろうけど
  逆恨みにも何度も決闘を繰り返すのが目的というわけでもなく
  日々の憂さ晴らしとばかりに、程々の所での上下関係の決着を趣旨にして、そうあるのだろう‥

  (だが、マンガのように、気の利いたその次の展開なんざ臨めるわけも無し)
  (ならば、マンガと同じ要領で、同じ思いを抱くかのようにつるむ‥中二病な不良は皆無だろう)
   (そもそも、不良同士の束なりに、整然たる方針の合致など有るわけも無し)
   (あるとすればそれこそ下克上であり、故に、上下関係の阿吽には容赦が無い)
  (下とかカモとか思われたが最後、向こうは、馬鹿の一つ覚えで吸い上げることしか眼中にねぇ)
  (知らねぇ幹より、知ってる幹なのら)


> まぁ、納得し兼ねる下には付きたくないとした原点みたいなものが、互いに動機ではあるな
> (偏見・贔屓に陥りやすい論理×感性とは違って、腕っ節の力比べの方が判りやすい‥みたいな)


 ‥斯様にも、特定のプライドを翳し、格付けを持ち込む集群やら団体は、往々にして見られる
  その手の性格を有した者をリーダーに担ぐからそうなるというよりは
  そこを根城に、似たような輩が引きつけ合って集まっている
  でもなぜか、下とかカモとかにされがちな残念症候群な弱輩も引き寄せられて来る

  まさに自由主義とは、彼の者らのような、勝手気ままを指すが如くなり

  そこには、方針という方針が存在しないのだ(あるとすれば、まんま弱肉強食なのら)
  つまり、方針という方針を持たずに、おいしい思いがしたいと思っていると
  カモとして招聘されるかのような因縁を引き寄せる具合になっている草

  (過当競争の果ての増税国家・属国ポチ国家も同じ引き寄せなのら)
  (結果惨敗ゆえに、方針を持てずままにて、おいしい思いがしたい症候群オチどえむ)
  (負け組の方が多数派なんだし、まぁ当然の成り行きであるな)


> そのような成り行きを「不良」若しくは「いじめ」と呼ぶのだろう


 ‥一方で、不良から遠ざかれば遠ざかるほどに
  目的意識が高くなり、高くなりがちな組織ほど、所謂、効率人間・仕事人間と化していく

  すると、世間を俯瞰しつつ、対等に見ることを怠りがちになる(神さえ見てれば良いみたいな)

  ‥そんなことは無いと自負していようと
   世間への細かな好奇心の低迷はあるあるで、ゆえに失敗を自覚できずに、閉鎖的だったりする
   そのような組織が失敗を挽回しようとしても、無駄にネームバリュー依存なのだから
   ネームバリューに胡坐を掻くような御仁との付き合いに、益々邁進するばかりだろう

  (行き着く所は、所詮、方針を持たずに突き進む格下と変わらないのら)
   (イジメから遠ざかろうとして、ぼっち化してしまう個人にしたって然したる違いなし)
   (復讐沙汰やら毛嫌いを方針にしたとて、人生の足しになんか成りもせず)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:33 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2025年01月13日

【解説】アルムおんじの人格(原作とアニメの接合性)

↓6)記稿.2025/01/13

> Google Map:アルムの山小屋
> Google Map:マイエンフェルト


──アルプスのおんじ歌集「No Heidi,No Life」とは、世界名作劇場『アルプスの少女ハイジ』にて
「ハイジがフランクフルトに行ってしまった←→ハイジが帰ってきた」間のアルムおんじの様変わりや気持ちの推移が
まるで描かれていないことに着目した補間的二次作品である。其を短歌調にて表現しようとの試みである。


 ならまず、原作から世界名作劇場に繋がる「おんじ像」の割り出しが必要だ。
 なら原作を読むべきだが、今更キリスト教云々の折り返しなんぞ読む気なし。

(そこで、ググって済ますことにした。ある程度の雰囲気ぐらいを掴むのは可能だろう。)

 ググって驚いたのは、原作者の原作の他に、後世の作家によるN次創作が多数に登る点だった。
解釈や構成に差が見られ、キーマンである『おんじ』の性格に一貫性が見えてこないらしい。

 なので、アニメに登場した台詞の断片を基準に、すり合わせたおんじ像の再構築をまとめてみた。
 何はともあれ、アニメとの整合性がスムーズにあればよし‥みたいな。



<ポイントその1>
 原作に於ける解釈の二択

 ハイジの父トービアスは、おんじと血の繋がりがあるかどうかもハッキリとしていない。
戦災孤児を拾った脇道路線ありき‥みたいな。(中世事情ど真ん中あるある草)
 アニメでは、「ハイジは、叔父さんの息子さんの子供なのよ」とデーテに語らせているのみ‥‥。


<ポイントその2>
 デーテは、おんじがハイジを見たのは一度切りと言っている。
おんじが、以前にデーテに会っていないのでは、お話としてまったく成り立たない。


<ポイントその3>
 ペーターのお婆さんと母親の会話では
ハイジには父トービアスと母アーデルハイドの面影が有り、おんじにも似ていると言っている。
(つまり、ペーターの父親との交流は其れなりにあり、トービアスも満更でもなかった草。)


<ポイントその4>
 おんじには怪しい噂話があり、なんでも過去に人を殺めたことがあると噂されている。
デーテにしても真に受けて信じ込んでいる様子がある。(話を合わせているだけかも知れない。)

 しかし、おんじがわざわざ自慢にもならない過去をさらけ出してまで‥訂正したいとは思うまい。
それ以前の段階で、デリフリ村とおんじとの間に何らかの関係のこじれがあるのだろう。
 仮にあるなら、そちらのこじれから解消せんと、怪しい噂話の訂正には及ばない。

 そこは、おんじの性格からして、放置プレイを決め込んでいそうである。


<ポイントその5>
 おんじはなぜあれほどにデリフリ村の住人と教会を嫌うのか?‥(ポイント4に通ずる)


<ポイントその6>
おんじは学校に通ったと言うが、どうして学校が嫌いにあるかのようにハイジに語ったのか?
(その頃から学校が嫌いだったらなら、あんなにもお隣さん牧師と口論するわけがない。)
(嫌いだったなら、尚のことおんじの変わり様に、ガキの頃からの知り合いだって面食らうだろう。)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:07 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2025年01月11日

【短歌・二次創作】アルプスのおんじ歌集「No Heidi,No Life」‥百四十八射

↓14)向宜詠吟.2025/01/11


|アルプスと山羊とチーズと鷹の空 唯それだけの我が孤高かな


|他人とのつき合い拒みアルム小屋 だがな樅の木儂こそ人さ
|あいつらは「おんじ」と嗤いすれ違う 気高き意志に恥ずかしげもなく
|「ああ、独り」くじけるものか雪しまき 絶やさず燃やせ儂の炎

|頼らずに黙して削る冬細工 されど交換せざるを得ぬや

|営みの要のチーズおらが自慢 こだわればこそアルム山小屋
|山羊チーズ背負い下りては ごく普通 やり切れぬとてパンと交換

|何もかもおためごかしや里づき合い 気にくわんとて他に有るまじ
|山羊飼いやふもと付き合い春の鈴「山羊の大将」これにも世話に
|世話になる己に不満 山羊絡み ずっと冬が好いなどとあるまじ


|ヨーゼフは寡黙な儂の折り合わせ 山羊飼いなぞに頼らぬ示し
|いつの間にこやつも寡黙ぞ山羊の犬 賢い奴よ相棒ヨーゼフ

↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:41 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2024年09月28日

【ボケて痛っ】自由vs人間性‥と問われてどう思う?

記稿.2024/09/28

> 西洋史は謎だらけなり
> 奴隷文化がど真ん中だったのに‥「ルネサンスって何?」
> 奴隷文化からの解放の方が、人間性の解放としたテーマに則しているように思うのだが
> ルネサンスを意味する古典復興の古典とは一体全体何なのだろうか?


 ‥日本の教育では、その辺りを、ルネサンス芸術を持ちだして人間性の解放に思い込ませている
  それはそれで、宗教に対する呪縛を、学問視点にすり替えて、何となく教え込んだつもりだ
  (実に気楽な商売だz、そして教わる方はマヌケなり)

  そもそものその手のアートにしたって、教会を華やかに飾り仕上げたに過ぎん

  それはそれで、教会が曽ての栄華を取り戻す為だったのが古典復興とした意に見えてくる
  其は、教会は魔女狩りをする拠点に非ず、祈りの場所である‥みたいな


 (曽て魔女狩りの爆心地のくせに、どうして掌を返したように、人間性を問わんとしたのか?)
 (未だ以て、悪魔の隠れ拠点のくせに、ローマ発は謎すぎるz)


> 教会を中心にしたバイアスで問うなら、そりゃまぁ祈りの場所に適った美の追究だったのだろう
> それが本来の意味であるなら、祈りを中心に添えた生活空間の創出こそがルネサンスの意だろう
> (祈りを取り戻すとした運動だったと考えると、そうなのかもなぁとの想いはすれど‥‥)


 ‥だがしかし、魔女狩りも奴隷文化も中世時代の象徴だったかのように続くのだ
  其処をツッコむと、ルネサンスとした概要は、特定の芸術家の時代が去ると形無しになる
  結果として、そこに根付いたのは芸術運動のようなスタンスだけが残ったと言える

  その後に、祈りは在っただろうか?、在り続けただろうか?
  (その手の競売に踊ってただけだろうがッwww)

  結果的にその手の芸術を「古典」と呼ぶ
  ゆえに古典復興とは、「祈り」を有するか否かと言えるだろう


> ならば、日本の教育に見る誘導っぽい感覚で以て人間性の解放を説くなら
> 「祈り」とした概念を示さぬ表現世界は、ただの自由なだけであって、人間性たる表現に非ず
> との喝判別をせざるを得ず


 ‥「いやいやいや、それはお堅いでしょう」


 とツッコまれそうだが、それにはこう返すしかねぇ


  ‥だって、俺たちは「およげ!たいやきくん」なんだz
   その版権にしたって、1円も追加褒賞なかったって聞くz
   まさに「およげ!たいやきくん」地獄の見せしめに見えたもんだz

  そげな社会性のチャッカリに対しては、祈るしかねぇだろうがッ‥と


 ‥1円も追加褒賞しなかった方こそただの自由表現なだけで、人間性としては
  鬼でしかねぇじゃん、だれも仏としては見ねぇじゃん

  お前らの表現たる土台(社会基盤)の中身がそれなんだから
  其処から湧いてくる作品なんて、ただの自由表現なだけじゃん

  「祈り」なんてどこにあるんだよ、「祈り」たる何かを学べたか?
  精々が「救いがぽちい」ぐらいだろうz

  今やすくいようのねぇ作品ばかりの多様化が傾向だし、そのまんまじゃねぇかよ
  「祈り」を以て対峙するか否かという差が名作を孕むのだ‥とかなんとか


> まずは、「祈り」について真摯に問うべし
> そこに汝の人間性(前向きなる人格)が誕生するだろう‥‥ガチだz



向宜詠吟『祈れそして問え』


|戸惑いや何故に立ち寄る冬の入り どこもかしこも寂れゆく狭間
|間にあるは吾の静けさ銀世界 祈りは果てにて姿見せむ
|夢幻なる厳冬越すも生きてこそ 先の芽吹きも手を取りてこそ
|傍に在り唯それだけの花の下 祈りと共に在らずんば「何だ?」


|祈り問え、其れは地獄か?天国か?‥汝の示し汝の正義
|祈り問え、汝の正義はどこを向く?‥生死か制止か静止か遁走か
|祈り問え、その愛憎はなぜに湧く?‥感情製造器はロマンに非ず
|祈り問え、その自由はなぜに湧く?‥勝手の価値に持続などなし
|祈り問え、汝はなぜに生きて在り?‥解を得ずとも甲斐性の旅
|祈り問え、課題はなぜに其処に有り?‥学びに果てを好まれず
|祈り問え、汝の学びはどこを向く?‥多様は自由に非ず道程なり
|祈り問え、祈りは支えか不自由か?‥呼吸は支えか?不自由か?



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:36 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2024年09月14日

【短歌】ギャー世界にも協定を‥十二射

向宜詠吟.2024/09/14


|折り鶴を重ねつ祈る天の川 清らかたれや世の協定
|協定も戦と思え天高し 所詮は無援‥和睦など‥
|どこまでものびる秋なら草枕 旅の良識コスモスの風
|風は吹く壁にも崖にも芒にも涙で腫らして見る星夜


|夜を捨て朝を捨てても日旱のみ 正しき暮らし田畑からなり
|凛として生きんと欲す秋の声 干し芋干し柿まずは我慢
|我慢など格下のこと月の夜 されど届かぬ明るい未来
|未来にて枯蓮ぼっちビルの群れ みたいな東京「ギャー世界」


|世界から逝くよ来るよ「いざオハギャー」結局どうなる壁の街
|街並みや北斗の拳世紀末 ビルビルビルビル地獄絵図
|地獄絵図「お前は悟りか?心中か?‥」ヒャッハー共らの暴徒音
|音も無くぼっちの闇と虫の息 「ギャー世界」にて転がっており




> うた詠み終わります、ありがとうございました。



 ‥遷都には地球の意識が絡んでおり
  地球が好かんと思っていたら、定着しないどえす

  宇宙全史で語られている候補は四つ、京都も大阪も入っとらん

  西から‥宮崎、徳島、千葉、北海道とかなんとか‥???


 ‥今、気が付いたz
  2025年7月5日午前5時があるとないとで変わりそう
  揺れたら、西側はあり得ないと普通は思うも
  戦後焼け野原状態になった方が遷都しやすいの?‥とも考えられる(どっちだy)

  常識的に言えば、今や、大きな港が伴わぬ遷都など有り得ん
  港の整備からはじめざるを得ぬ遷都も考えにくい(となると‥)


 ‥コスタイベ注筋と2025年7月5日午前5時が、並行二択だとすると
  コスタイベ注筋の影響次第では千葉は怪しい
  その流れで読むなら、橋のバリケードだけで済ませられる土地柄の方が強みが出る
  と考えると、本州は全滅するって意味にも取れるよな(ヤバイz)


  同時も有り得るなら‥北海道しかねぇ‥って‥‥終わってるコースやん


  でもさぁ、輸入もストップしてたら、熊を相手にするってリスクだよね
  弾の供給からして限られてくるわけだろう(ゾンビは思考停止状態だろうけど熊は違ぇ)

  (そもそもそこまで人口が縮小したら、城塞築いて住んだ方が良さげだな)
  (五稜郭を改築してとか‥‥なりそう)
  (戊辰戦争の最後の砦が日本の最後の砦とか意味深ぁげだz) 
  (しかも相手は森の獣らどえす‥アイヌ文化にも劣りかねない生き残り群とかなんとか)

 (どうしたってそんときゃ、自衛隊の天下にしか見えてこんのじゃが‥???‥)
 (在日米軍がしゃしゃり出てきても不可解しくないz)

  (だがどちらも指揮系統が潰れていたら、銃火器を所持する一般市民どえす)
  (狙うのは、里に下りてくる熊だけでええんやで、ヒャッハーせんでええんやで)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:05 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2024年09月11日

【短歌】春夏冬と書いて商いと読むのは駄洒落だが‥それくせぇ‥‥

↓1)向宜詠吟.2024/09/11


|烈夏から盛夏になりぬ「ああ残暑」涼たる田も消え果てつつ
|夕涼み田んぼ失して死季語なり「水辺はいづこや涼風吹かね」
|台風がまとめて担う量新た「当たればおしゃか外れて涼し」
|先食いのローン経済秋さ来ず「茹でガエルから凍死の悪寒」



 ‥いやいやいや、暑い
  このまま行くと、秋が無さそうなんだけど、それだと米国経済の雲行きとシンクロしてるのら

 ‥残暑の正体とは
  「西日」の角度が、あら反転、公転軌道の変化で南側に現れるみたいな
  すると、昼間っから西日角度になるし、夕方より時間が長いので、猛烈に暑く感じるハメに
  其を昔から「残暑」なんて大ざっぱに表現していたわけだけど
  もはや実情には噛み合っちゃいねぇ、「残暑」と表現するのもなまぬるいどえす


> うた詠み終わります、ありがとうございました。
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:41 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2024年08月19日

【ボケて痛っ】なんで私が

向宜詠吟.2024/08/19


|傅けば人臣上等民上等 神なら吐かぬ「なんで私が」
|誰がためのやり甲斐なんぞ豚の餌「なんで私が」其は格差上等
|頼られて「なんで私が」天高し しがらみを授かりて半人前
|やり甲斐を引き寄せたくば「なんで私が」改善のみ其はゑにしなり



 ‥世の中には、聡い者と疎い者とが居る
  世の中が能力主義だからと言っても
  聡い者が疎い者の上に立っているかというと、必ずしもそうに非ず、不思議と違うておる

  其は、どこそこかしこにて、受け継がれてきた流れが在り
  後輩な者から見て、先代の其れを必ずしも優れているようには見えぬ悪習慣もチラホラと混じる

 ‥一方で、聡い者だからとて疎い者の面倒を見るかというと
  頼まれてもいないのにそんな世話を焼く者は珍しい
  ほとんど多くが放任するのだ、疎い者は疎い者同士でつるめと言わんばかりに‥‥


 ‥だが、疎い者は疎い者らで
 自分・自分らの呑み込みが悪く、応用に鈍く、怠惰に流れやすい部分で
 不運がもたらされ続けるとは考えず

  なぜか改善する気もねぇのに、神頼みとばかりに安易に頼ろうとする
  その上で、偉そうにも、自分好みに神を選んでいたりする(糞どうしようもねぇ何様だよ)

  人間同士でさえ、そういうアンバランスな部分で放逐されちまっているのに
  其を呑気に朧気にバイアスに「運のせい」にして、辛抱を決め込むのだ
  その辛抱にしたとて、理解しての成り行きに非ず、仕方がないとした無知なままの成り行きだ


> どう考えたってそこは、「運のせい」=「神のせい」なのだy
> (心の奥底で神に悪態を付いている様なのに、すがろうとする様は矛盾どえむ)
> (矛盾したままの其を上から見下ろしたなら、どうしたって、感謝なんて1ミリも有りはしねぇ)
> (そんな輩を手助けしてやっても騙される流れに落ちるのは、どうしたって神の方なのだ)


 ‥聡い者からしたら、疎い者のそういう学習能力の低さ、観察力の緩慢さに腹が立つ所だが
  わざわざ腹を立てても仕方が無いとばかりに、放逐する流れを用意してあるかのように
  なぜか、景気には変動がやって来る(はい、サヨナラ)

 ‥だがしかし、物事の其処がとても鏡似性だ
  疎い者から学ばずに、学べずに、只垂れ流してしまうだけの聡さなど未熟も未熟で糞なのだ
  そこのどんぐりの背比べを俯瞰できないのだから、全体で進歩など見せるわけもなし


> どこが聡いんだよ、何に聡いんだよ、よすがもねぇ


 其処を行くと、神とも成れば、投げ出すことができない
 是が非とも、しおれているように見えていようとて、立派になるように育てるしかねぇ

 ならば、そこの巡り合わせに幸福論なんか有るわけもなし
 神にできるとしたら、そこはもう‥聡い者と疎い者との組み合わせのゑにしづくり‥一択である

  人間同士だと、どうしたって損得感情が先走って、そんなことは微塵足りと眼中にねぇ
  せいぜいが、お気に入りを侍らせたいだけのちんけな貪欲さだ
  聡い者同士で組めば最強としか妄想していない(そもそもどこを目指すのさ?、意味有るの?)

  都合だけの思考に、成功も、その先の展望もありゃしねぇ(せいぜい好くて格差社会だy)

   マンガにしたら、新たな悪意がやって来て、鎬を削るワンパターンだy
   そこには平和主義なんか1ミリもねぇ(オレオレ正義の押売なだけだろうがッ)


 ‥多少なりとまともにあろうとも
  聡い者は聡い者同士で、流儀の違いですぐに喧嘩を押っ始める
  其を競争原理の燃料棒にして、分離することにお熱だったりするのだ
  (社員やら世間をどんなに格付けしても一体感なんてやって来ねぇのになっ)

 ‥すると、どうしたって保痴な性格の方が上に抜擢されやすい
 (争いを好まない=上から見たら扱いやすいに違いねぇ‥とかなんとか) 
 (とくに育てる気概に非ずとも、見映えが好ければ下が付いてくる‥みたいなあざとさ期待感だ)
 (それが競争社会に漂う‥澱(カルマ)という奴だ)


> 残念な事に、人類の誰しもは、そげな澱からのスタートだ
> 生まれと育ちから多少なりともショートカットの立場を得ていようと
> そげな土俵に立てて漸くにして半人前なのだ
> 改善を起こせて、形にして、達せて、五〇年は維持して見せて
> 漸くに一人前と見なされる流れにある


 ‥そげな道中に幸福感を欲しいと思ったら
 それこそしがらみが「ゑにし」に見えるように、てめえを改善する所からやらざるを得ず

  それはそれで、捨てる所などどこにも無いとした、別の意味での貪欲さの用有りなのだよ
  それで外から仏に見られるようになろうと、そこにあるのも、どうしたっててめえの都合だ
  (貪欲さの方向性と質が違うというそれだけのことだ)


> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:15 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2024年08月06日

【命題】人生は運命論or劇場論or努力論or戦場論or創造論?‥其の三

↓4)向宜詠吟.2024/08/06

> てめえの人格をてめえで創造する???
> じゃ、生まれ持って、気が付いたらこんな私だったというのは一体全体何なの???


 ‥そこから始まる、私と思われる何かとのお付き合いどえむ
  競争社会に生まれ落ちているのだから
  優れない自分に詰まらなさを感じている割合の方が、圧倒的に比率が高い
  かと言って達人の域に達しようと、詰まらなさを感じている割合もかなり高い

 ‥何事に対しても楽しめるタイプか、シラけるタイプかでもかなり違う
  そもそも、てめえの人生の目的を推し量らずに、諸々評価を決め込んでしまうのは軽率な思考だ


> 他者との比較のために人生が有るわけでは無い
> (するのは勝手だが、そのような経緯から自在性を獲得した存在など皆無だろう)


 ‥てめえの目的と性格の不一致を嘆くのは、まぁ外に対して多少なりと説得力を有するが
  そこに留まるとした位置づけを決め込むのは馬鹿げている
  だがしかし、大抵の多くはそこに躓くのだ(まるで、不出来に有り続けたいかのように)

  (いやぁまぁどうにも、感情やら気持ちが付いてこないといつまでもそのまんまらしい)
  (なんて使えねぇ私なんだ‥と思って人生を終える意味なんて、それこそ無ぇのにな)


> じゃ、最初から好条件ならガンガン頑張るのか?
> いやいやいや、そんな事は無い


 無駄に条件が良くても、苦手には手を出さないし
 面倒を見きれないなら放置プレイを決め込むだろう

 多くのエリート群を見比べてみろよ、どいつもこいつもそんなもんじゃないかっ(その程度だよ)

 善悪怪しくも、世話焼きで奇特な御仁が1%も居れば良い方で
 それとしたペースで世の中が刺激されて、おっちらほっちらと小舟が進むような度合いだよ


 ‥だが、その程度で留まるようでは、とても、てめえとした性格の創造には及ばない
 (‥集団として、組織としての立ち位置の中に私を探すとした方向性と言うことなんだろうけど)
 (それこそが、おっちらほっちらとしたペースそのものだ)

 不思議なことに、そのペースの中に居ると、誰も、てめえの人格創造なんて目指さない

 どちらかというと、業務に適った人格形成なのであって、創造的に有るとは言い難い
 取りあえずそれで良いのだと思っていても、引退すると途端にメッキが剥がれて虚ろになる
 そこからの私探しやらをやり出しては、創造に非ず借り物だった草‥‥なんてオチなのだ‥


> だがしかし、正しい生活とした基本を考えると、まさにそれで良いのだ
> ポイントは、業務向けの人格とを使い分けられるか否かにすぎない(切換と言っても良い)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:06 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2024年08月04日

【命題】人生は運命論or劇場論or努力論or戦場論or創造論?‥其の二

↓2)向宜詠吟.2024/08/04

> 歴史を学び、先人に学べば、己の人生とした中での失敗を減らせる???


 ‥なーんてガリ勉くんな考え方の中には
 もうすでに、てめえの選択肢としての失敗回避しか頭にねぇ

 (誰をそんなにも陥れたいんだよ?、誰からそんなにカリスマ扱いされたいんだよ?)

 そげな感じに、世の中のインテリ群が
 ブランド嗜好、カリスマ嗜好にと偏るのだが(恩恵重視)
 その手の思考の掴み方自体がすでに失敗なのに、それに気が付かねぇのが凡愚の欲だ

 そして、貪るための対象を下に狙いを定めるばかりに堕ちている(三だけ主義)
 (トリクルダウンの選択権はこちらの自由なり‥と嗤ってそうな醜悪ばかりなり)


> いやぁもう持続継続不能に陥るばかりで、学び方からして糞なんだから話になんねぇ
> されどそこでも、能力主義とした努力論に固定するのが丁度よく見えるらしい


 (良い意味でも悪い意味でも、「努力論」は焦点にハマるのだ)

 ‥それがどうにも胡散くせぇって判るのは、戦場の数を踏んでこそなのだろうか?
 世界史をちょいと紐解けば、有史が、戦争の歴史だって誰しも理解しよう

 それに努力を求められて来たって何さ?(不可解だろうがッ)


 ‥とくにこの国では
 「皇国ノ荒廃コノ一戦ニアリ」なんて掲げてその気にさせちゃってたんだからものすげぇz

  仕舞いには「特攻」どえす
  それこそが、私たちのご先祖様の脳筋ぶりであり、「世界最狂の万歳観」どえす


 ‥そげなお国柄な日本が、更なる狂気の管理下に置かれたのだから
 努力論にしたって、能力主義にしたって、有能奴隷ポチ論であって、無能は使い捨て論どえむ

  どこに民主主義やら人権を語る口があったのやら、まさに騙る口があったばかりどえす
  (そもそもは欧米列強から学んだなれの果てだy)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:27 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする