向宜詠吟.2021/11/11
|ガチャのせい唯物論の秋の声 先祖に感謝のゼロ世代
|懸命はガチャに勝るや葛退治 矜持枯らせしゑにしなど
|今やクズ蔓延る日本ガチャの冬 退治せずんば孫々なんぞ
|ガチャありきそれも人生よしなにて お家主義こそ問い正せ
> ‥唯物論のそもそもってのは、先祖との縁切り発想だからなあ
> 親ガチャなんて言葉が生まれちまうのもそういう発想だもんなあ
> 日本人はそういう見方に疎いだけだろうけど、論が無いだけで感情は相当だったって事さね
(まさに唯物論万歳が膿みだしたのが先祖感謝不在たる今の日本の澱、唯物論の秋なのだろうよ)
> その昔から、日本には懸命という言葉が在り
> さらに葛というとんでも生物が居って
> 与えられた土地に、葛やら竹やら映えてこようなら、末代までの恥と来たもんだ
> 子孫に恥にならんようにと懸命にやって来た姿が、日本と世界の差としてあったわけだが
> グローバルに垣根をはずされたらどうよ
(そんなもん無かったぐらいの勢いでの喚き散らしようだよ‥ほんとクズ‥)
(親ガチャなんて恥ずかしい言葉をマジマジと使うほどに病んでて、ポチだしな)
> それもこれもアベノミクスならぬポチノミクスという有り様に真を得たような空気だからだろう
> 推してるつもりは無くとも、押し出されてきてるんだからそういう事だろう
> まさにガチャのしようがない、政治ガチャの冬って事だな
(退治される様子がまるで無い、そんなんで子々孫々と安泰なわけが無い)
(明治維新からして怪しげに来て、戦後にさらに怪しくなって、バブル弾けてポンコツだ)
> ガチャガチャってうるせえんだけどさ
> ガチャありきは必要悪でどうしようもねぇ話だろう
> なに今更に、喚き散らしてんだよ
> 喚き散らすべきは、実体が、お家主義不公平という中身だろう
> 地域との一体感なんて要らないって言いだしたのは、確かに戦後昭和世相だったろうけど
> 益々真に受けて、ぼっちありきに及んだのは平成の世相なんだからなあ
(自由に対する考え方が明らかに歪だったってオチで)
(民主政治やら三権分立やらにしたって、人任せにしてたら貴族化してたと‥意味ねえ‥)
(そして気がついたらぼっち大量生産だったと‥自由になったって事だろう‥)
(それが資本主義ルールの示してきた自由戦争だったというオチだから)
(戦災孤児さながらにぼっち族が発生しちゃいましたと‥意味ねぇ‥)
(平和なんて産み出さない、それが唯物資本の社会体制だった)
(それでチートなガチャが良いって言ってるようなもんなんだからな、論が無さすぎる)
(勝つことした考えられねぇ石頭ですって、語りに落ちてるようなもんだろう)
‥親ガチャなんて言葉を使い込んでる世相に、期待するところなんて1ミリもねぇし‥
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:37
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