2017年03月20日

【日記】俳句や川柳から+七七引っ張るのはただの手直しよりずっと難しい

記稿.2017/03/20

 俳句や川柳から
 +七七引っ張る短歌への詠み足しは、面白入っちゃ面白いのですが

 俳句や川柳をただ手直しするだけより、かなりハードな着目が要求されてきます。

 ハッキリ言って、非常に疲れるっす。
 しかし、自分一人で細々と一から十まで詠むよりは
 圧倒的に、ポテンシャルの高い短歌に仕上がるのには、毎回驚かされてしまうのでーす。


> そんな驚きに慣れてしまったのか


 俳句や川柳の間違いや指摘という作業が
 如何に中途で、平凡で、単細胞な作業だったかという事実に
 「あれ?」と気がつかされてしまうのです。


> されど


 「引っ張れる詠みとそうでない詠みとの違いとは??」

 ‥ここが重要で
 俳句や川柳として整っているように見えても、引っ張れないでいると
 どうにも、じれったい時間だけが過ぎていき、引っ張る必要が果たしてあるのかどうかに
 自問自答してしまいます。

 この違いが何なのかが‥よく分からず‥

 とりあえず‥詠めてても「名句にポン」として成立しない引っ張りは弾いてしまえと思うこの頃です。


> まぁあれですよ。男と女の関係みたいな物で


 俳句や川柳の完成度を、男として女としての完成度としてみるなら
 +七七への引っ張りは、とくに完成度が高くなくても引っ張り合わさることで
 輝きを増すという見方になるように思います。

 まぁそう考えますと

 「俺の歌風との相性が絡むのか??」‥まぁ、まだ何とも申し上げられませんな。
 ‥知識の制限は確実にあるだろうな。(苦手や知らんことははまったく引っ張れんからね)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:33 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

【勝手句帳】087 29-3-10/3-11/3-14 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/03/17

|小春日や歩幅合せて児散歩       掛川市・句会あさかぜ(3-14)

|春の日や歩幅合わせて吾子と土手 はな見て笑ふ てふ見て笑ふ


 ‥着目は好いんですけど、ネタの詠み方では、言語としての主体がおかしいのです。

 「歩幅を合わせているのは誰ですか?」
 「『児の散歩』とした言葉の響きの持つ主体はだれですか?」

 ‥どうしたって、「子と散歩」と表現しないのでは、さっぱりです。
 どうせなら、どこら辺を歩いているのかという方向を示した方が
 映像としては、よりしっかりしてきます。


> その時、季語との兼ね合いが気になるところです。


 「小春日」では、まだ肌寒い感触は拭えません。
 そこで「春の日」としてしまえば、のんびり感が増してくるわけです。

 ‥引っ張りを歴史的仮名遣いにしたのは、思い出して微笑んでいる味わいとした所です。
 (悩ましいのは、花が桜に限定されてしまう点です。漢字では強すぎるので、かなにしてみました)




|真青なる高みめざして揚雲雀       伊豆の国市・田方野俳句会(3-10)

|真青なる高みめざして揚雲雀 元気爛漫うたう春風


 


 ‥揚雲雀(あげひばり)とは、所謂、オスによる縄張り宣言行動。
 ということなので、ネタの句はかなり踏み込んだ着想かと‥

 ‥どこが踏み込んでいるかというと
 人間ごとのように、好き好んでしているかどうかの定かになき行動風景を
 敢えて志の向きに置き換えている点です。

 (まぁ繁殖行動の一つですから、好きも嫌いも無いと思いますけどね)


> 詩情という奴は、実際がどうかと言うよりも
> どう思ったかという点も欠かせないわけですから
> ‥是は、実際と描写のバランスとして好いと思います。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:24 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

【勝手句帳】086 29-3-3/3-4/3-7 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/03/12

小さき風に濯ぎものゆったり揺れている隣りの白壁に溶け入るように  藤枝市・合歓短歌会(3-4)


 ‥ネタの句は実に面白い着眼です。
 でも、もったいない‥平凡に詠んでしまっています。

 ということで、詠みの印象は

 「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」‥持統天皇
 ですので、同じように枕詞を盛って、なぞらえてみましょう。


> ここで、面白きは、白物が二点あることです。
> 枕詞が句の中で二箇所に掛かるなんて見ませんからね。使わないという手はありません。


 *白妙の(しろたえの)‥枕詞の一つ。
 (ここでは、白を意味する「小さき洗濯」と「隣の壁」に掛かる)


白妙の小さき洗濯そよぐ春 隣の壁に透け入るよう



 ‥お気に入りの白のスケスケパンティーを、存分に春の日差しに干していると
 ‥隣の白壁に透け入るように、うまい具合に風がそよいでいましたよ
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:58 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

【勝手句帳】085 29-2-28 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/03/06

|寒空に身震ひひとつ月歪む         浜松市中区萩丘

|寒空や咳が絡んで月歪む 寝付けず鼻垂るマイコプラズマ


 ‥「寒空」「身震い」「月歪む」、攻めてる感触が面白い。
 でも、「身震い」では月が歪んで見えるまでには不足しています。

 ということで、マイコプラズマの登場です。
 ‥あのもどかしき風邪をこのように表現できるとは!(驚いた)


> ‥にしても「寒空」では、外で寝ているような雰囲気もありますな‥


 (やべぇ‥マイコプラズマなんて風邪があると、外に放り出されたら地獄度増大じゃねぇかよ)
 (待てよ、アレは乾燥が苦手そうなんだから、外ではそうでも無いのかな?)
 (その手の暮らしの実態調査をすれば、真実判明だな)




|ハイヒールつと来て買ふや泥大根      沼津市・潮音水曜句会

|ハイヒールつと来て買ふや泥大根 舌は確かだこのピン札は


 ‥なかなの着目に、思わず引っ張ってみた。(おもしろい)

 ハイヒールのイメージにも色々あるが、偏らず腐らずに引っ張ってこうなりましたとさ。
 チャッカリ自分所の商売も自慢しちゃうと‥まぁそういう流れだったと。
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2017年03月03日

【勝手句帳】084 29-2-24/2-25 静岡新聞掲載分から

↓8)向宜詠吟.2017/03/03

|春たつや木々の芽ゆるむ音を聴く    静岡市・あけぼの句会(2-24)
|待っていた春風頬をほころばせ     静岡市・静岡川柳社(2-24)

|待ちにけり頬に春風ほころばせ 木々の芽ゆるむ音のきこゆらむ


 ‥面白いもので、二つの句を合体してみたところ、斯様に整いました。
 この攻め方は、紀友則の「ひさかたの‥」にだって負けてねぇべ。

 ‥斯様な攻めがあったとは

 あと十年生きても、ひとりでは気がつきようが無かったな。
 いやはや、他者から学ぶべきもまだまだごまんとあると‥

 (他者から何を学び取るかこそが、その人の創造性&人生を左右する次第に変わりはない)
 (見方によっては、この世はお宝だらけと言うことだ)
 (そこを知る程に欲張りはじめても、どうにもゴミ屋敷にも成りかねないんだけど‥)
 (地球の大きさの中に、オーム宇宙を詰め込んでありますって、まさにそれだからな)


 *ちなみに、「木々の芽ゆるむ音(ね)のきこゆらむ」と読めば三十一音。


> ‥待ちに待っていた春風が今吹いているのだなぁ。頬を伝いくる風がどうにも心地よい。
> まるで心の内から、芽がポンと弾けて二〜三分咲きしたかのようにうれしい。
> (きっと近隣の木々たちも同じように思って、音を立てて咲き始めることだろうよ)


 それにしても‥去年とのギャップがほんとありすぎて、まさに早う来て下さいの日々っす。
 (去年は二月の中頃に小夏日陽気になったのに、今年はまったく違うじゃねぇか!)
 
 ‥日向ぼっこできないと、ほんと句なんてやる気にならねぇし
 日向ぼっこのできない環境で、詩人とか、馬鹿丸出しだって最近ようやく分かるようになりました。
 思えば、句を詠むようになったのは20の頃で、学校通うのに部屋を借りたのがきっかけだった。
 余りに日当たりが良すぎて、布団にダニが湧いちまったっすけどね。

 要するに、小学校に上がる前に越した先が、外れにも日当たり最悪で
 その間の十数年間、詩人の魂的に大損こいてたって事のようです。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:09 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

【勝手句帳】083 29-2-17/2-18/2-21 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/02/25

|初御空富士凛と聳てり       静岡市・SBS学苑パルシェ校「すんぷ俳句のひろば」(2-17)
西空に満月残し初日の出      沼津市・東部葵十期俳句会(2-17)

|富士ましろ凛と向き合う初御空 西に残月東に日の出


 *聳える(そびえる)下二[そび・ゆ]

 ‥「そびえてり」、意味不明です。それを云うなら「そびえたり」です。

 どうしてそうなった?‥書き起こし(編集側)の脱字でしょうか‥
 「そびえて居り」の省略形のつもりなら踏み込みすぎです。
 (動詞を意味不明の助動詞風に格下げしてどうするんですか!?)
 (俳句詠みには、どうにも無謀な省略表記が多すぎる)


 ‥それにしても、「富士が凛として聳えている‥」
 ベタすぎるというか、ストレート過ぎるというか、それはそれで悪くない姿勢であるにせよ
 対象が対象だけに、上から目線にも見えてきてしまう所は痛いところです。

 「富士の山は、誠以て立派である。」

 ‥普段から斯様に人に説く御仁は居りますまい。(まるで偉そうです)
 この句はそれと同じことをやらかしていると‥(しかも脱字ともなれば、倍に恥ずかしいのです)


 ‥「西空に満月残し」、古来よりそれを「有明の月」もしくは「残月」と表現していますが
 それにしても、満月にあることが前提になっているわけではありません。
 さすがに、満月のまんまるを維持して見られるかは、太陽との角度からして想像し難いのです。
 仮にその様な類い希な光景を目にする機会を得たというのなら、
 それはそれで‥「この程度の詠みで良いんですか?」‥との見られ方がされるかと。


> というところで、まだまだ推敲過程の二つをドッキングさせてみました。


 ‥いわゆるアレのパクリにも見えますが、富士山から見た正月の光景としては有りです。
 それであれば、富士の山が凛とし直す姿勢も改めて有り得る感覚ですし、
 元日の御空に、三方相対した光景が如何にも互いの挨拶回りの姿に思えます。
 誰だって、姿勢を正してしまう初御空ということです。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:45 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

【勝手句帳】082 29-2-14 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/02/22

風花に飛び出す児等の声響き       藤枝市・新俳句人連盟静岡県支部藤枝あざみ初句会

|峰峰の惜しむ便りや風花く 気高く生きよわらい飛ばせよ


 *風花(かざはな)‥風花とは、山に積もった雪が風に乗ってやってくる現象。

 ‥冬から春へと向かう晴れた日に
 まだ雪の残る山肌を撫でて風に吹かれ飛んでくる細雪が
 ひらひらと風に舞い散る桜の花びらのようにはかなき風情ある気象。

 「晴れてて雪が舞う風花はとっても綺麗」とか‥

 ただし、「風花が降る」=「気温は低い&風がとっても強い」‥兎に角寒い日なんだそうでーす。

 http://blog.livedoor.jp/creaism/archives/50104765.html
 http://www.chubu-rips.jp/kazabana


> いやいや、そんなのまったく見たことがありません。
> ‥所謂、樹氷のそれとも違うようですが、季語ということでググりましたぜ


 ‥そりゃ、雪ではしゃぐなら、風花だって、そりゃはしゃぐでしょう。
 ネタの句は、そういう詠みですが、そんなん引っ張ろうにも見たことありませんので没です。

 (個人的に見たことない景に「山茶花」の句もよく見かけますが没でーす)

 ‥でもまぁ、ここまで調べたら詠まざるを得ません。
 でも詠み手によっては、土砂降りの雪でも「風花」と盛ってるケースも見られます。
 どうにも、統一感が得られていない季語にあるようです。
 (‥というかそもそもが方言です。土地土地の解釈の違いもあるような‥)


> リスペクトは、そこの所の理解になればと思い詠んでみました。(かなり強引っす)


 ‥もう春が来よったか
 ‥この雪を被った凛々しき姿がお気に入りなんじゃが、我等とてわがままもできん
 ‥折角だし、この消えゆく雪の使い道を考えてみたのが「風花」じゃ
 ‥若人よ故郷の雪抱く山を忘れることなく気高く生きるが良い、辛きとて笑い飛ばすが良かろうぞ




今年また臘梅香る友の庭         藤枝市・新俳句人連盟静岡県支部藤枝あざみ初句会

|今年また臘梅香る友の庭 雪ぞ残れど春呼ぶ力


 *臘梅(ろうばい)‥黄い梅。


 ‥臘梅は梅の種類だろうから、画像を拝めば何とかなるだろうと
 思ったところ、どうにも紅白とは異なり雰囲気が梅らしくも何とも無い。

 梅の梅たる力強さが「??」にしか見えてこない。(どこか悟りきった風情)

 ‥原因は、空の色と臘梅の色が
 ハレーションの関係に有るだけで無く、葉っぱが無い若しくは目立たないからのようでーす。


> そんなこんなで窮まっているところに、チラホラしていたのが雪とセットの画像っす。
> ほほう、是なら梅らしく詠めるじゃないか‥(とまぁそんな感じっす)


 ‥それにしてもネタの句は、そつなくまとまってるっす。
 (俳句としてだけで見ては、「今年」を盛るべきか否かで、意見が割れる所でしょうけど)

 ‥「今年また」が、「雪ぞ残れど」の引っ張りに見事一役買ってまして
 敢えて「今年」と盛る意図にリンクして来るのです。(雪見が前提の花でも無いでしょうから)


> 短歌でも、斯様に構成立てて詠むなんてのは、そうそうできることではありません。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:08 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

【勝手句帳】081 29-2-11 静岡新聞掲載分から

↓4)向宜詠吟.2017/02/19

|列なして一打の鐘を待つ冴えた星座の下         浜松市・槙の会

|さぁ響け、列をなして待てり除夜の鐘の一打
|いざ一打、星座の下に余韻たれ吾が元日の祈り


 ‥是は自由律ですね。槙の会は自由律のようです。

 着眼は好いと思いますが、リスペクトのように
 もう少し焦点を自分の順番が来たときに絞ってみるべきだったのでは‥

 カメラで撮るにしたって、そりゃ自分の番が来てからです。

 待ち順の時の星見がどうのなんて推敲途中の余韻です。
 自由律なんですからね、尚のこと、焦点の着目が欠かせません。




|立ち位置はこの星の上冬銀河              静岡市・のぼる句会

|立ち位置は氷上の湖 赤きオーロラ


 ‥ネタの詠みは、どことなく俳句甲子園ぽい装いです。
 どうせなら、もっと具体的にと思うところを自由律で表現してみました。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:35 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

【勝手句帳】080 29-2-10 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/02/17

谿水の絵巻解くかに鴛鴦来         藤枝市・桑の実俳句会
|淵と瀬に軸を掛け交う鴛鴦く        参考



 *谿水(けいすい)‥渓水。谷間の水。谷川。
  鴛鴦(えんおう、おしどり)

 ‥掛け軸でも絵巻でも屏風でも団扇でも構いませんが
 そもそもが水墨画のような背景で暮らしているのがオシドリです。

 「谿水」はそこを強調して盛られています。(知りませんでした)
 ‥おぼろげだったオシドリとマガモとの勘違いに今更ながら唖然‥


 
 里山の自然観察
 

 ‥オシドリとマガモとでは、その好む生態がまったく違うのです。(驚きっす)
 私たちの唱える「おしどり夫婦」とは、どちらかと言えば「マガモのつがい」です。

 ‥そのオシドリの生態は、どう見ても群鳥で、プチ村社会を形成するかのように固まります。
 その違いから、何かとせわしなさが滲み出ており、マガモのようなおっとりした雰囲気はありません。

 歴史のどこかで、オシドリからマガモへと対象が入れ変わったのではと‥思わざるを得ません。

 ‥それの最大の違いは
 マガモは人里にもやって来ますが、オシドリは開けた水辺を好まぬ生態です。
 この差は非常に大きく、私たちが普段さほどお目に掛からない理由にもなっています。


|これやこの淵瀬に棲まう鴛鴦の村社会ざれに惜しむ仲


 *淵瀬(ふちせ)
 *鴛鴦の(おしどりの)‥「憂き」「惜し」に掛かる枕詞。

 *「憂き・憂し」‥心外な事ばかりで、疲れ、心が閉ざされるように感じられること。
 また、そのような感じを起こさせる状態を表す語
 *「惜し・愛し」‥かけがえのないものとして愛着を感じているさま。いとしい。かわいい。
 また、対象の「よさ」に心をひかれるさま。


 ‥枕詞にあったので、それっぽく詠んでみました。
 ここでの「村社会ざれに惜しむ仲」とは、村社会の暮らしにあるも離れがたきの意です。

 ‥どのように解釈すべきかは、読む人の印象により異なるかと思いますが
 日々の暮らしが大変だったからこそ、そこに村として固まる必要があったからこそ
 村社会ざれにもなるという事です。

 ‥開けた水辺で暮らすのとは違い、用心深くないと何かと難儀してしまうのが
 猛禽類の飛び交う山がちな地形での暮らしです。
 同じ水鳥でもオシドリは、どうしてかそういう生態を好んで棲まうのです。


 ‥そうです
 枕詞の「鴛鴦の」は、斯様な意味を込めて用いられていた事になります。
 私たちの知る「おしどり夫婦」の言葉に反して
 どうしたって、(「憂し」×「惜し」に掛かるのですから)相反する薄幸のような印象です。

 ‥まるで、「おしどり夫婦」の本来の意味が
 世知辛い世間を堪え忍んで、手を取り合っている夫婦を指していたかのように思えてくるのです。
 日本人であれば、「ああなるほどな」と‥思わざるを得ません。

 ‥私たちの知る、マガモのあれを見て
 あののんびりとした仲睦まじさを見て思うような、「おしどり夫婦」の意では無かったのでしょう。


> そもそも、今や私たちの知る身近に居ない鳥であって、どうして枕詞になり得たのでしょうか??


 縄文文化だったから‥山がちもまた生活圏だった‥

 ‥そういうことになりますと、平安貴族は、枕詞文化とは直接的に関係がなく、
 間接的に培われていたそれを取り入れていたことになります。(私たち同様、本来の意をおぼろげに)
 防人の人たちもまた和歌をたしなんでいたわけですから
 弥生人が来る前から、何かしらの和歌文化の元があったようにも見えて来るのです。
 (実際、歴史的にもそれ程に古くから位置するのが枕詞です)


> ‥察するに


 弥生人(渡来)の思う夫婦像と、縄文人(土着)の思う夫婦像が異なっていたので
 身近に見るようになったマガモを見て、見た目の都合の良いところだけが、
 「おしどり夫婦」の言葉に写し取られて、口を突くようになったのかも知れません。

 (弥生文化に縄文文化が取り込まれる過程で、縄文人が夫婦仲に使う言葉の鴛鴦の例えを)
 (弥生人が、身近なマガモを見てそれの様子を親しむように、勘違いして伝わってきたのでしょう‥)
 (江戸の頃でさえ、共通認識できるツールも無かったので気に止めることもなかったのでは‥)


 田が切り開かれるようになり、次第に平地気味の景観の中に暮らすようになった‥
 その後の縄文人&弥生人の子孫がオシドリを余りよく知らずに、そこを勘違いしたのでしょう。

 ‥ゆえに、オシドリの喩えの本来は、私たちが、マガモのつがいの寄り添う様子を見て
 仲睦まじいとするお花畑のようなイメージを重ねて思うのとはまったく違っていた事に成ります。


 (ある意味、解ったふりをしてしまうのは、弥生の血だったと‥)
 (逆から見れば、縄文の血は働き者、暇が苦手、ラブラブしない、生活が第一)

 ‥な〜んだ‥‥‥織り込み済みなんじゃん。

 (今や、日本人の暮らしぶりに疲れているのは弥生側の血にあると)
 (でも弥生の血は判ったふりをしてしまうので、解決できないと‥まさに大陸由来の血らしいなと)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:08 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

【勝手句帳】079 29-2-4/2-7 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/02/09

水鳥金波銀波の湖となる        静岡市・なずな句会(2-4)


 ‥「水鳥」「金波銀波」の余韻に
 とある白鳥の画像を思い出しまして、白鳥で詠んでみました。


|白鳥や金波銀波に揺るる澪 向き合ふつがい姿まるハート


 swanheart01 .jpg swanheart02.jpg



|行く年やしづかに深き猫の息       富士宮市・湧吟行句会(2-7)

|行く年やしづかに深き猫の息 こたつに並ぶとろやかな顔


 ‥なかなかに(ニクいぐらい)、猫の寝入っている様子を捉えています。
 こちらも負けじと引っ張ってみました。




|日脚伸ぶ影のごと添ふ盲導犬       富士宮市・沼津今沢オレンジ句会(2-4)

|盲導犬ひかりのごとく添ひつれて 日脚伸ぶかな有り難き影


 ‥ネタの句が、どことな〜く腑に落ちなかったのですが

 それもそのはず、盲目の側からすれば、
 盲導犬は「光り」なのです。闇の中の救いなのです。

 「影」だと頭から思ってしまうのは、お目々に不自由しない側の言い分です。
 ‥主観に詠めているようでいて、実は、お馬鹿にも上から目線をやらかしていたと。


> まずは、そこを正しておかねば、盲導犬たちに申し訳が立たないのでーす。


 ‥それにしても盲目の側からすれば、有り難い影に違いはありません。
 (私たちの人生そのものです)

 守護霊などと‥兎に角よくわからずとも、
 つまりは、怪我をしない程度の案内をしていると言うことです。
 盲導犬に過度の期待ができないのと同じで、守護霊もその範囲なのでしょう。

 まぁそう考えると、普段から直感(合図らし)について考えていないのでは、
 守護霊からの何の通信も得られないという事です。

 日常の思考に去来する「何となく‥」の感度を研いても
 まぁ精精が、手痛い思いをしない程度の範囲と言うことになりますが、
 ‥でも、それだけでも十分に有り難いわけです。


 「人生において、私たちは盲目も同然なのですから」


 ‥宝くじが当たるとか当たらないとか、そんなのはどうでも良いと
 心が明るく開かれる方向に案内されているかどうか、まぁそういう事のようですな。
 そして、その光りたる方向にあろうとも‥道中、雨も降れば風も吹くと言うことです。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:14 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする