2017年08月14日

【弥勒論】08 ここに万民幣権を宣言する(第二章08-)

↓2)向宜弁論.2017/08/14

 フランス革命以降、貴族に変わってブルジョアなる階層が台頭した
 そして、ナポレオン、産業革命、アメリカ独立戦争‥と目白押しなのが近代西洋の有史だが
 中でも画期的として、誰もが賞賛したのが「人権宣言から始まった基本的人権の精神」だろう

 ‥問うまでもない
 戦争を仕掛け続ける上での大義をわざわざ設置したのだ

 「誰が何の為に?」

 ブルジョアにとって一番に儲かる投資先が戦争だった
 戦争をするには、双方の勢力に投資しなければならない
 そもそもにして、戦争するにも駒になるのは人民だった
 その人民をその気にさせる為にも、それぞれの勢力に
 衛らんとすべきお題目が欠かせないということでもあった


> 勢力の片方では「より自由を」、もう片方では「より平等を」
> 所謂、自由圏と共産圏との対立構図だった
> それらは始めからお題目が決まっていたという


 ‥自由圏から見た共産圏に植え付けられた印象とは
 一つのデザイン、一様とした暮らしぶりだった
 それは、等しく分けあうにはそれこそが理想だと言わんばかりをにおわせた
 (でも実際は、軍統治を行う政府を頂点に、看板倒れの格差と腐敗が漫然としていた)

 ‥それに対して
 皆一様のデザイン&人生などありえないとしたのが自由圏だった
 しかし、それの自由の本質とは、概ね、結社の自由(商売の自由)だった
 ゆえにそこには、人権保障と言えど、権力との対峙を余儀なくされていた
 (それでも、一様に上からの指示に従わなければならない向きの共産圏よりはましに見えていた)


> それを的確に言い表すなら


 ‥権力は国民に対してとくに能動的に施すようなことは無い
 施しが欲しくば、話し合いの場をまず設けて貰えるように権力側に申し出るべきであり
 必要において合意が下されれば、それなりの行使がされるだろう
 それの道筋としての宣言だけは用意しよう

 人権宣言と言えど、国家が何かをしてくれるとしたお題目には無かったのである(その程度だ)

 ‥しかもそればかりか
 ブルジョアの投資する兵器開発が、キリスト教文化圏の強さを見せつけんばかりだった事から
 それら人権宣言が、キリストの為せる博愛精神の勝利の如く扱われた(思い込ませ)
 ついでに確認し合うことになったのが、信教の自由だった
 (ブルジョアにとって、教会は、無償の資本を掻き集めてくれるお得意さんだった)
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2017年08月05日

【弥勒論】07 消費よりまずは健全な営みだ権(第一章01-07)

向宜弁論.2017/08/05

 そもそも、資本と投資の商習慣には、消費活動は当然との思い込みがある

 随分と自惚れたサービス精神の押し売り原理だ

 又、真に受けたように
 消費したいが為に、カネを得たいだけの建前労働意欲にしかないなら
 消費してもらうことへの説明に始終しなければならない

 (それが売る側の程度、もとい‥資本原理の程度である)
 (結果的に、所有することがステータスとの自惚れを喧伝するばかりだろう)

 ‥なんて自慢げで、小賢しいのだろう‥

 持てる側にしたとて、否、持てる側ほどそんな小賢しさにはうんざりしている
 生活に必要か‥実用に於いてよく創意工夫されているか‥
 買い飽きてしまっている段階に至れば、そこの批評はますます以て手厳しい

 (それでなくても、人生に飽きは付きものだ)
 (否、飽き前提が投資の根っこにある‥どれも小賢しい一品だ‥)


 ‥売るノウハウよりも、まずは作るノウハウ
 ‥作ることの自由より、まずは必要か否か
 ‥支持されているか?(継続に意味を保てるかどうか)


> ‥もちつもたれつとは言え
> 目の肥えたテメエでさえ買わねぇもの(恥)を売りに出すべからずにあろう


 ‥しかし、ただ生産したいだけの衝動にしても、抑えようがない
 無償労働だろうと当人の意欲が衰えを知らないようなら、その活動を誰も止められやしないのだ

 (ビーバーがダム工事を本能とするように)

 でもだからといって、斯様な側が
 必ずしも手先起用、アイデア満載、実用十分とは限らない‥下手の横好きとの言葉もある‥

 (ビーバーの活動の質を、人間側が理解でき兼ねているだけかも知れないが‥)

 ‥それでも悪質にない限りにおいて
 ただ消費を貪るだけの輩よりは、ずっと評価されるだろう
 それを逆に問えば‥本物を見る目が肥えており、それ以外に興味を抱かないのも同じ扱いになる

 (無駄に消費しないと言うことは、そのままに環境への労りでもあるからだ)


 ‥適度に活動する暮らし向きが、自然体にあるというのなら
 生産活動のそもそもに、返済の為の受注や雇用拡大の為の請け負うに、はじめから意味など無い
 ただ、作る側の意欲の尊重こそが、健全な消費環境を育むと云えるだろう

 そこを、消費規模拡大とした競争云々を焚きつけ合うだけでは
 恥を掴まされることが無くなるなどとした切望と文化向上にはほど遠い


 (無いモノへの投資を前提にした消費期待なんぞ、そもそもにしてキチガイだ)
 (しかものその先行投資に自慢げだ、夢見がちで他人任せのくせに見返り期待も甚だしい)
 (そして、今あるべき繋がりには、もう未来がないと言わんばかりだ)
 (基礎研究も準備も中途で、他人の妄想をどれほどに共有出来るというのだね?)

 (今あるべきが疎かでは、儲かるからと浮気がちでは、未来など訪れようがない)

 (それでなくても、誰しも、専門外は素人だよ)
 (専門分野での有能かどうかより、明らかに生活者として素人を実感することの方が多いはずだ)
 (だから、誰しも再就職が大変てことだよ)


> まずは、生活が成り立つ便利を作っていただく為の最低限の優遇が、公平に謀られるべきである
> これをそのままに、「消費よりまずは健全な営みだ権」(略して健営権)とでも申そうか‥


 ‥憲法25条の生存権の物足りなさは、つまり
 創造と生産への配慮を欠いた消費の為の生存権問答に成り下がっており
 憲法13条の幸福の追求権にしたところで、他者からの貪りもOKの印象だ

 ‥アメリカ製憲法批判にしたって、そもそもの明治憲法自体が黒船参考の付け焼き刃だった
 明治を基準に据えた言い分からして、本末転倒で怪しいのだ
 結果、戦争技術の輸入と戦争行為の出荷がされた時代の反省としての憲法9条である


 ‥その後の改善に求められているのは
 黒船経済からの戦後経済からの脱却、汚点の洗いざらいによる一新だッ
 そうで無いなら、日本製憲法として、胸を張るになんの魅力も無きにあろう



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
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2017年08月03日

【弥勒論】06 ベーシックインカムだけでは、さらに致命的な格差を招く(第一章01-07)

向宜弁論.2017/08/03

 ‥では、そんなところで
 政府が発行する(返済不要)と思しき政府通貨だけを前提にして
 ベーシックインカムをシミュレーションしてみよう


> 定期的な約束されたバラマキに、政府が気にしているのが、労働意欲の減衰だ


 (でも大丈夫、今から述べることは、目から鱗が落ちる話だろう)

 全世界で、希望する限りにおいて
 一人辺り年間100万円程度で、ベーシックインカムを配るとしよう


 T.労働意欲を失った者が全体の二分の一の場合
 単純に労働意欲を維持し続けた者は、給与所得の平均が200万円+に上昇する

 ‥自分も使うし、使われた分を単純に労働意欲を維持する割合で割っただけだが
 ‥その二人分の200万円分が戻って来る勘定だな


 U.労働意欲を失った者が全体の三分の二の場合
 単純に労働意欲を維持し続けた者は、給与所得の平均が300万円+に上昇する

 ‥これもTと同じ計算だ
 ‥労働意欲を欠く者が多ければ多いほどに、労働意欲を維持する側の取り分が相対的に多くなる
 ‥まぁ、少し考えれば、それが表面上の数値と言うことだが、雑作もない話だな


 (どうだね、少しは目が覚めたかね?‥では、今度は怪談をしよう‥)


> ‥それでも、始まって2〜3年内の間は、公平感に浸れるだろう
> しかし、経済の現実が、出し抜きゲームのままなら何も変わらない
> すぐにメッキが剥がれるのは、平成の格差をなぞらえれば想像が付くだろう


 それが10年経つと預金枠1千万円程度の格差に広がり
 30年も経てば、億万長者ほどの格差へと広がる

 (大ざっぱに言えば、中国景気レベルが世界的に再来するか、もう少し過激になる程度だろう)

 ‥まぁ今度ばかりは、細りなりとも死に目を見ずに生活できるだろうにせよ
 今時代の閉塞感同様に、働かない側は同じ息苦しさを感じ始めるに事欠かない
 なぜなら、生活の価値観が瞬く間に変容しかねないからだ


 (とくに、マイナンバー管理への徹底やら)
 (人体へのロボット利用やらの展開とコスト云々は、甚だ未知の思惑に満ちている)


 それでも、中国景気の頃を思い起こしてみれば良い
 1%などと言わずに8%ぐらいには、億万長者が続出するかもだよ

 ‥無論、その原動力の前提に思しきが

 働く意欲を欠いた人口増のなれの果てということなら(問うまでもない)
 こぞって、AI化を仕掛けたくなるのが、利益を独り占めしたい側の考えそうな筋書にあろう


 されど、その時、彼らが見せるドヤ顔には、拍手するしかない空気が漂うばかりだろう


 (本当の意味で‥食わせてもらってる意味に変わっちまうんだからな)
 (まぁその辺、社会主義嗜好で満足してしまうようなら、支配する側は楽ってことだ)


> もう一つのシナリオが、脱落する者が割りと少なかった場合である


 ‥こちらの場合は、配られた分がそのまま手取りにも反映されるだけの計算だ
 つまり、配られた分と給与に上乗せされるだろう分で、200万円の枠で自由になるはずだが‥

 超・絶対資本体制へと進むばかりなら

 それこそ、頑張っても給与は上がらないだろう
 なぜなら、コスト削減とAI化の波に呑み込まれて、仕事自体が失われかねないからだ

 ‥高齢化&ベーシックインカムによる労働意欲減衰が想定されていれば
 AI化への投資が加速するのは必然だ、それに巻き込まれ無いとの前提は成り立つまい


 (今やバレても‥発行権云々を易々と手放さない強慾にも感謝すべきぬるさがあったらしいと‥)
 (ただばらまくだけでは、不公平感の改善までに及ばないということである)



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:56 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

【弥勒論】05 課題は‥{発行権限云々}×{お金の流し方}(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/29

 ベーシックインカム絡みで、代弁的に政府通貨の言葉が飛び交ってくるが
 その洞察は悪く無いにしても、それだけでは宜しくも無い


> そもそもの資本経済のお金の流れには手付かずのままの発想だからである


 ‥今や、どことなく軽量化され始めているが、以前からの信用創造の流れを語ると次になる

 誰かが銀行からお金を借りたり、引き出して使うと、そのお金が次の銀行に流れる
 銀行同士はそれで得たお金をこれ幸いとばかりに、短期的にカネを銀行間で回し合う
 貸しだした側のカネを、届いた側のカネとの辻褄を合わせる儀式にも見えるがそうでもなく
 当然の如く自由化されている

 ‥銀行群の基本は、兎に角、借用価値(お金の創出)と送金を繰り返して手取りを稼ぐのだ‥

 (以前は、借り手から担保を取り、それの通貨価値相当を種銭として)
 (市中銀行は中央銀行に預金分としてカネを預け入れ)
 (そこからレバレッジを掛けて、種銭価値倍増ルールに則って紙幣発行していた)
 (つまり、借り手が居なくなると、この仕組みは途端に全体で酸欠だ)

 (銀行の貸し剥がしとは、中央銀行に納める締め日に間に合わせるカネの都合だった)


 ‥自分らの財に種銭倍増価値があるにも拘わらず、権限が無いと言うことで吸い取られるのだ‥


 (その各中央銀行は、為替レートの辻褄をにおわせながら、中央の中央に上がり分を送金していた)
 (送金と言っても、実質的には文面の交換に過ぎない‥だから為替‥組織信用の形だ)
 (子分の市中銀行やら企業やらを手なずけておく為にも、借用書の売買が認められた)
 (出し抜くことしか頭に無い金貸し連中からしてみれば、それは化かし合いの賭場だった)


 ‥つまり、{借用書}={金利を手にできる権利}={権利売買する上での裏付け}‥


 (交換して元金分が下がろうが、金利配当が同じなら損得トントンとした腹づもり)
 (借用書の交換の成り立つことが前提で、金利で稼げることが欠かせないのだ)

 (返済不能の借用書を不渡りというが、それはまたババ抜きだった)

 (親分側にしても、出る杭を警戒し、ただ指をしゃぶって見ているだけなんてことをしない‥)
 (つまり、親分側の出来レース or イカサマがバレるとお互いに廃退だ)


 ‥バレなきゃOKのどこに、基本的人権の尊重があると言うのだね‥


> {貸し出し総額}−{返済される割合+金利+貯金される割合}{絶対的返済流通量の不足}


 ‥斯様な仕組みに据えおかれたままだから、無担保&逆金利にしても間に合わない
 (はじめから搾取が目的の詐欺システムだった)

 ‥政府通貨云々の実現にしてみても
 今やその形は、日本国財務省と日銀のタッグみたいなもので
 公債への支払い文句が、政府説明の決まり文句から撤去されるだけにとどまりかねない‥

 (まぁそれだけでも随分とした前進には見えるだろう)それゆえ、そこが又曲者なのだ

 (資本主義社会では、未来永劫、借金まみれでいてくれないと破綻してしまうのだから)
 (そこで身に付いてしまった癖を、リセットする気があるとは、とても思えない)



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:59 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【弥勒論】04 政府発行の通貨に無いがゆえに{返済&金利}が発生する(第一章01-07)

↓3)向宜弁論.2017/07/29

 ベーシックインカムに懐疑的な声にしても
 その疑問の本質を突き止めて正しく語ることはない
 それは、資本主義の欠陥を大衆にさらすことと理解しているからだ


 ‥そこを濁すかのように、決まり文句は財源だ‥


 そんな財源が幻想であることぐらい誰にでも明白だ
 なぜなら、自由主義のそもそもは、善意だろうと強要を認めない点に尽きるからでもある

 ‥どうして、テメエで汗して手にしたそれを他人優先に使わなぁならんのだ
 ‥順序的にも、(稼ぐ為に)すでに時間拘束もされ汗も掻きヘトヘトにある
 ‥なら、まずその全額を自分の為に使えるのが筋(最低でも自分の生業の継続が先だ)

 そこまでをすでに十分に満足してるレベルと同じにするなってことで、二分するのだ

 ‥しかし、積み上がった国債を見ても、エリート側は誰も反旗を翻さない
 ‥それはどうしてだろう?
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2017年07月27日

【弥勒論】03 資本競争がもたらした心理(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 今やどうしようもない格差の絶対資本体制にまでにたどり着いた現代経済が
 人類に突きつけている因果は、存続の希望を閉ざすほどに影響甚大だ

 どんなに馬鹿でも、地球環境について寝ぼけたままでは居られなくなっている

 なまくらの刀をさぞや名刀と偽った程度の科学力で
 (多くの者らが)科学万能に自惚れたのである。名刀のレベルにさえ辿り着けないくせに
 核を破裂させる程度の大ざっぱで、コントロールも覚束ないのに神の如しと大げさだった


> 経済に相対し、まみえたのは‥所詮、「誠実」と「自惚れ」だった


 (誠実は改善を促し、自惚れは停滞を引き起こす)

 それにしたって、儲けることしか頭に無くなれば、それら改善にしても血で黒ずむのだ
 それが須く21世紀の絶対資本体制に至るまでの連綿とした経済事情だった

 それでも、私たちは、そんな血まみれた手を握り合いつつ、一つのことを学んだ
 それは、まずは公平であること、次に自然を尊重し穢さないこと、自由はその次ぐらいで丁度良いと


 しかし、それにしたって

 再起もままならぬ資本社会ゆえに、絶対資本体制の上位に立つと
 途端に取り憑かれて、公平への改善など上の空なのだ‥

 お金の歴史(戦争の歴史・改ざんの歴史)が如何に真っ黒だったかについて
 エリート的に受け入れることが出来ないとばかりに
 先祖の努力に泥を塗りたくないとばかりに
 自分の出自を善良だと正当化しておきたいがばかりに

 ちっとも、お金の白黒よりも、自分たちの白黒をあんずるばかりでどうしようもない

 なにしろ競争に染まったままだ、自分たちを真っ黒と言い始めたら
 取って代わられるばかりだと思い込んでいる‥

 ‥競争ゆえの思考ゆえ‥
 貪ってきた己の姿に大衆の目が恐ろしいとばかりだ



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
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【弥勒論】02 お金のルールを決めるのは今や人間同士の思惑(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 もはや、お金の歴史を、先駆的高度文明の存在を抜きに語ることはできない
 その者らが、人類にお金と戦争を吹き込んだのだ(何の為に?)


> ところで、その者らはどこからやって来たのだろうか?


 文明を地球に限定しては、この謎を推し量ることは出来ない
 しかし、その又源流を考えれば考えるほどに、神を思い浮かべるばかりだろう
 そうだ、宇宙には始めから高度な連中がなぜか居たのだ(そう考えざるを得まい)
 その者らの間で仲違いが発生し、人間を介した競争になっていた‥


 ‥不思議なもので、この世に宗教というのがある辻褄にもなろうか‥


 その神々でさえその程度ということなんだから、人間が頑張って知恵を絞っても高が知れている

 経済だからと、数学的な手法が駆使されているなんてまやかしだ
 何のことはない、最後に決めるのは、各々の都合である
 好いようにデータを解釈し、時には尾ひれを付けて改ざんするのだ

 経済とはまさに、嘘を見抜けるかどうかの化かし合いにあるのだ

 黙ったままでは、鉄砲玉としてこき使われるばかりである
 そんな偽りと格差に覆い尽くされた経済ルールに終止符を打つのは善良の神などではない
 今や人間同士の知恵と取り決めだ



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
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【弥勒論】01 資本主義の偽りと原点(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 ‥もう一度言いますよ
 お金の問題には、すべからく話し合い(お互いの思惑)が絡んで来たのです
 お互いに出し抜く為にも、だんまりにも非公開情報が絡んで来たのです
 その秘せられた内容を知る者に有利だったのが資本の格差でもあったのです

 その原点こそが、出し抜く為の取り決めだったんですから
 ぶっちゃけ、産業革命を境に、誰が支配権を手にできるのかとした追い込みが始まったのです


|お金という道具があるのではない、取り交わされた誓約があったのだ


 ‥人類史上、最も不思議なのは
 気がつけば、お金が発明されて、お金の貸し借りが正義として崇められてきたことだ
 ヒトは其を拝金主義と揶揄するが、まさに、カネこそがすべてとして取り憑かれるのだ

 ‥神は信用ならずとも、カネなら信用できると‥

 その神にしても、私たちは、お金の起原同様に忘れ去っている
 すべてが真っ新のまま手さぐりだ
 それゆえ、潜在的にはこう理解しているはずだ

 ‥お金という道具を発明したのも、また神である‥

 しかし、その前提には、鋳造技術という高度な文明が必要である
 神が発明したのはお金だけだったろうか?
 否、それだけの鋳造技術を以てすれば、鉄器の創出も難しくなかっただろう
 ならば、目に見える価値を生み出すのだ、それを守る術も合わせて考えもしただろう


> 労働の対価としてのカネは、いつの間にか、奪ったあとの分け前に変わった


 蓋を開けてみれば、それが人類の程度だった
 金や銀の希少性が、その意味を誰にもわかりやすい形で正当化していた
 それはまた、防衛の正当化を余儀なくした

 お金の歴史は、戦争ビジネスの歴史でもあるのだ

 一方で、金や銀を運ぶのは手間だった
 そこで発明されたのが、為替だった
 (契約書の受け渡しとサインがお金の役割を担うのだ)

 実のお金(金銀&商品)がどこにあろうと、動かさずとも取引が為されるのである
 その為替(契約書)のなれの果てが、今や紙幣であり株式であり国債にある


> さて、本当のお金はどこにあるだろうか?


 私たちが思い込んでいる日常となった通貨とは、それこそ只の紙切れ(不換紙幣)である

 「紙は信用ならずとも金(きん)なら信用できると‥」(兌換取引)

 元々、コインの鋳造は王様や大司教の権限だった
 それが伏せられて今も連綿と続いているという
 伏せられていると言うだけあって、代理人には高給が支払われている

 否、正確には、発行したあとのお金の使い道の権限だ

 その代理人が、真っ先に投資すべき先が防衛(恐喝)であり
 その次が、同盟国を傘下に縛り付けておく為の根回しにあるのは、問うまでもない

 ‥主と代理人が、如何に善人だろうと、仕組みはどうしたって真っ黒なのだ
 それはそのままに、人類の程度だった



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:19 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

【弥勒論】まえがき‥弥勒論とは‥

向宜弁論.2017/07/24...20170723...

 ‥日月神示に出てくるのが「ミロクの世」なるお言葉です

 (666を英語で俗読みするとトリプルシックス)
 (トリプルシックスを日本語訳すると「みろく」‥怪しいぜ)
 (ということで漢字でGOになっとります)
 
 そもそも‥どんな意味があるかは、謎めいてますが
 今更ながらにも、問うべきインパクの提示としては適当に思い附してみました


 「弥勒論」とは、つまり、お金という道具のルール改正案です


 難しく思われてきたお金の形を整理して、一から暮らしやすい形を提案します
 ‥ザックリ言いますと


> これは、誰しもにはお金を創造できる権利があるとして
> 公平かつ合理的に、まず手元にお金を手にできる形から始める仕組みです


 そういう風に法律に明文化するわけでーす
 それを、万民幣権【ばんみんへいけん】と申しまーす

 (これが無いと基本的人権はすべからく骨抜きでーす)


> 又、如何にして、公平かつ合理的にお金が消えるかという点も併せて考慮します
> この考慮を、金慮【きんりょ】と申しまーす


 ‥手始めの思考として
 従来的に企業口座とされてきた概念を、予算座売上座に分けます

 すると、年度締め切りの度に

 {売上座}−{予算座}={年度利益} ‥とした計算が成り立ちます

 予算座への入金は、年度予算として
 四半期毎に分けて、行政申請することで、誰でも手にできます(要事業登録)
 ‥この手続きを予算穂認【よさんすいにん】と申しまーす


 結果、(相殺され)企業の黒字分だけが有効期限から解放されたお金に成るのです


 (年度の中途で売上座からお金を引き抜くとルール違反です‥基本的に無効)
 (そもそも四半期毎に申請すれば予算付くので、無理に手元資金を追う必要がございません)

 ‥また、企業間取引だけですと、ただの椅子取りゲームにしか成らないので
 外的に別枠でお金を流し込まないと、経済的に上向きません
 ということで、まずは、ベーシックインカムが思い浮かぶかと思います

 (このベーシックインカム類も合わせて一年毎の有効期限付きというのが辻褄です)


 ‥汗して手にする黒字分だけが、実的に増えだすということです
 ‥見かけ上、人口が増えれば、経済のパイが増えて見えますが、実はそうでは無いと
 ‥斯様に説明すれば、バラマキもバラマキに見えないという事です


> 基本はこれだけです(2〜3ほど課題が残ってますけど‥後ほど)


 ‥基本がたったこれだけなのに、まぁ色々と細かくなるのが
 お金ゆえの細々とした辻褄と利便と公平と治安でして、それの一つ一つを金慮していくわけです

 基本的な形は概ね示せますが、実際の効果や運用の段階に於いて
 民族的に馴染まなかったりすると、数値の調整やら、カスタマイズしないと成り行かない訳です
 ‥そこは、理論では無く、話し合いという事です

 資本経済学のなにがインチキかというと
 そこの話し合いの用を数式化できもしないのに
 皆で数式の世界だけで説明付くモノだと‥思い込んでしまっている点です

 (知的生命体の大前提こそ話し合いということです)
 (ロボットAIにも応用できる概念です)

 大筋のルール提示までは一人のアイデア枠として認められはしても
 具体的な係数なり、数値を法律に盛り込む作業は
 話し合いというのが、須く人の世の習わしと言うことです



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:14 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする