2022年05月14日

【是論】{保守VSリベラル}={民族経済VSグローバル経済}

↓2)記稿.2022/05/14

> 保守主義

保守(ほしゅ)または保守主義(ほしゅしゅぎ、英: conservatism)とは、従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的や政治的な改革・革命・革新に反対する思想のこと。 過激な傾向を拒否し、穏健な立場を奉ずる人物・勢力・政党は保守主義者(英: conservative)と呼ぶ。


> リベラル

リベラル(英: liberal)は、「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味する英語で、政治思想の分野では主に以下の2つの意味で使用されている。 政治的に穏健な革新をめざす立場。 1930年代以降のアメリカ合衆国から広がった用法で、社会的公正や多様性を重視する自由主義。 社会自由主義とも。


> ‥まぁ早い話が
> これからも先、民族や地域とした特徴を優先させますか?
> それとも、地球化視点として何でもかんでも同色にしますか?‥とした利権やら派閥での争いだ


 ‥まずこれを、投資家視点で見ると、地球規模視点とした都合を唱え出す
 エネルギーと生産性とした課題は、とくにそれで
 地域色なんかある程度どうでも良く、それこそ手先器用な集団
 もとい、低コストで馬車馬になってくれる集団性に請け負わせた方が‥好都合とした特徴を有する
 (そしてそれの理想を‥100%のAI化&機械化だとしても否定しないだろう)

 だがしかし、すべてにおいて問題なのは、それら決定権の所在になっている

 それの前提こそ、能力査定のみとした社会的グデグデだ
 その指標の多くが利益とした物差しにしかないのだからにべもない

 格差ありきがリベラルの本質にあると論破したって言いすぎになかろう
 (むしろそれこそが目的としても言いすぎになき体質だ)


 ‥だがしかし、保守にしたって似たような傾向になりがちだ


 地場重視だろうと、それの構造を椅子とした立場に置き換えれば、同じなのだから‥
 むしろ地場重視には、人材不足やら資材不足が常に付きまとう
 結果として、それこそ適材適所にハマりがちなので
 独裁傾向(できる人任せ)、お約束傾向(従来通り)になりがちだ


 ‥其をリベラルでは、無能と抜かして攻撃するのが一般的だ
 斯様にも、リベラルは、兎にも角にも「改善&革新」をやるべきが最先端だと言い張る癖がある

 結局のところ、それが地球環境を追いやってきたという負い目に違いないのにである‥
 そして、誰しもは未だにその負い目を改善するにも同じにやれば良いと思っている
 (んなわけねぇ、むしろ逆だ、休暇すべし)
 (てめぇらの椅子の貫禄見せたさ目的の活動なんざそれこそ無価値で無意味だ)


> そもそもの活動には
> すべてに資材と時間が掛かるのだから、生産活動しすぎることは本末転倒である


 また、便利になればなる程、途中経過がどうだったかというノウハウと心理を失うわけだが
 それらを意図して残そうと思っても、ある程度の規模が求められ
 それはそのままに、かつてのストレスを伝統化するだけのうんちくだったりする

 育ちによっては、それらが黴の生えた化石にしか見えないとした見方も生じ
 後世に理解を得られるかどうかは難しく

 それでも、そこに見られるのは、適度に身体を動かせばこその健康維持とした秘訣でもあった
 だが人々がそこに理解を示そうとも、動くかどうかは別の話だ(どうしようもない)


> そのどうしようも無さが生まれる要因こそが、実は、能力主義とした見解だ
> 効率重視や査定の裏にあるのは、無能とした見下しだ
> 見下すことを正義とした慣習もとい本能を
> 上の椅子に座る側が堅持すればするほどに、人々の心に伝播し汚染する
> (使えないヤツは切り捨ててしまっても正義だと)
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2022年02月26日

【是論】脱資本主義&脱貸付発行とした‥案概要

↓6)記稿.2022/02/26

 ‥第2次大戦後の世界に
 ‥つまり20世紀に人類は、石油化学に酔っ払った経済競争に明け暮れた
 ‥米ドル石油兌換時代とした幕開けは、環境破壊を無視して進んでいった

 結果として、そこには、自由に対する考え方も、平等に対する考え方も稚拙のままに
 今現在のコロナ禍に追いやられ、ようやくにして、暮らし向きの人権に感心を示すに及んでいる
 (だが、まだまだ足りていない)


> 資本の貸し出し方式のそもそもは‥オーナー権限とした洗脳だった
> オーナー側は、お約束のようにマージン確保を要求するばかりで
> オーナー権限のみを人権だと傲りきっているかのようだった(まさに資本主義)


 ‥愚かな人類は、それの芝居態度を見破れず、ただただ上っ面だけの椅子に憧れた
 ‥そして、こう思うに至った
 マージン設定こそは経営の自由たる要にあると(価格決定権、経営方針、社是)


 ‥だが、今や、自由に競争をし続けても幸福の創造とは云えず
 むしろ、誰しもがこう思い始めている‥「まずは最低限度の暮らしを保障しろ」

 だが、誰も話し合いにおいて譲ろうとはしない
 最低限度とした枠組などまるで無いかのように、歩調を合わせる事ができないでいる

 (そもそも通貨価値が国毎に異なるという中身からして、其は険しい)
 (世界中でベーシックインカムをやる場合、国毎に規模が異なると‥)


> 移民することに躊躇なきお国柄から、国の中身が空っぽになりそうな話にも聞こえてくる
> だから次のように考えざるを得なくなる


 通貨価値は同じ、ベーシックインカムで配られる価値も同じ(同じにリセット)
 だが、物価に乗せられるマージン制限が各国で異なる(世界規模での協定)

 (ここでは、得手不得手とした細かくは考えない)

 まず、マージンを高く設定できる国の方が、より自由に販売できそうなにおいを残せる

 (但し、マージン判断基準を、現地扱いとし、販売拠点基準に扱わない)

 ‥ネット上からなら、同じ販売拠点としたWEB閲覧なのに
 配送国が違うというだけで、マージン設定の上限が変わり、価格が違ってくる
 (これはこれで、為替とは又違ってくるので慣れが必要だ)
 (これだと‥販売側としては、似通った上限地域以外を扱わないとしたサービスになりかねない)


 ‥そこでやや柔軟に、マージンを高く設定できる為の条件をさらに追加できるようにしよう
 それは、雇用枠(雇用規模)によっても、その上限が可変するとした容認だ

 (すると、拠点をそれぞれに設け、そこでの雇用枠を調整して、マージンを同じに調整する)
 (などとしたスタイルに出来得、販売上の不都合を減らせるかもしれない‥)

 (又こうすることで、ロボット等の導入加減に工夫の余地が発生する)
 (一律に雇用すれば良いという話でも、ロボット一択にすれば良いという話でもない)
 (そもそも車の代わりにロボットがありふれても、資源リサイクルでき兼ねる車と同じでは無味)


> 多くを雇用するなら、マージンを上げずにはやっていけないのが当然の解釈だ
> なのに、市場が価格を決するとばかりに、薄利多売競争に真っ直ぐでは、格差しか生み出さない
> (まぁ必ずしも黒字を得られる辻褄には成り得ないので、誰も口にしないけど‥)
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2021年11月13日

【怒本命】ベーシックインカムまでの心理学

↓7)記稿.2021/11/13

> マイナンバーカードに正規認証チップを搭載して給付金券機能を盛り込もう
> 給付を得るには、都度、申請更新をインストールしなければならない
> 何を消費したかをレシート機能を介して記録する
> 申請更新インストールの度にレシート記録を読み出し、統計化して公布する


 ※チャージとインストールの違い

・チャージは、確実にあるお金たる現物を右から左に移動させる所作(護送人件費がかさむ)
・インストールは、中身のお金をそこで右から左に動かす扱いを意味しない(システム保持のみ)
 とくにここでの給付としては、カードに金額を足すだけの話で、お金を移動させる用は無い
 国庫の資金であれば尚のことで、帳尻計算を各行に言い渡せば済む話だ
 中央銀行絡みなら尚のこと‥それぞれの行の残高を変えれば良いだけの話だ
 (現金を動かす用なんて、本質的には1ミリも無い)
 (具体的な用が発生するのは、使用された金額が流れ出す段階だ)
 (店側の売り上げとして、銀行に持ち込まれて、インストール分からがいくらありますという感じ)
 (そのインストール分が、その都度国庫から引き出され、各行の残高に追加される)
 (各店舗から行に現金が移動する手間もとくに発生していないので超低コスト)
 (強いてあげるなら、中央銀行側で、手数料をよこせ程度だ)


> これの差をご理解頂かないとお話になりません


 ‥まず、ベーシックインカムの配付を給付金券(電子マネー)とした形式での案になります
 ここでは、給付金券が国債を介した銀行券であるか、単に地域通貨であるか
 金塊を裏付けとした国券であるかはブラックボックスとしておきましょう

 (ぶっちゃけ、申請インストールを介しさえすれば、どの財源でもOK‥画期的‥)


 ‥マイナンバーカードに新たに追加すべきとする正規認証チップの搭載は欠かせません
 さらに、都度、申請インストールしないと給付を受けられません
 すると、コンビニATM等でそれの操作ができないと役所に行列ができかねません

 申請インストールとは、追加金額を入れるための承認を役所のサーバーに送るというのが狙いです
 どこの誰が利用したかのチェックです(国民番号なら管理がお手軽という説です)


 ‥但し、これの管理を国の一元化に据えおいてしまいますと
 地方行政で利用したい場合に不便極まりません
 そこで、基本的なカード管理の拠点を、各自治体に委ねるのが流れでしょう

 カード形式と言うことで、高額な金額を一度にやらかしてハイ終了とした知らん顔は通りません
 いろいろとしたセキュリティの向上を図るためにも少額での繰り返しが欠かせません
 そんなの必要ないと思われるなら、申請インストールをしなければいいだけの選択です


> 国民の本音がどれ程のものなのか、是非に確認する上でも公平な試みと云えるでしょう


 ‥バラマキバラマキって反対なら、てめえのカードにインストールしなけりゃ良いんだよ
 ‥以後の送金経費はゼロ
 (カードの配付とレジの配付とATMの改良だけでゼロにできるんだよ)
 (いちいちうるせーんだよ反対派はよぉ)
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2021年10月24日

【宇宙な?】因果応報VS貸し借りの論理

↓3)記稿.2021/10/24

> 「因果応報」「天網恢恢疎にして漏らさず」
> この手の見解は、原因と結果の対象をとくに固定しているわけでは無い
> ‥とした見方が含まれている


 ‥簡単に云うと
 天誅を下すのは誰でも良い、奇跡を果たすのは誰でも良い
 ところが、貸し借りの論理となると、きちんとした書類の相手と言うことに限定される

 ‥宇宙的な辻褄で云うと、後者の論理は破綻しがちである
 そこには、与えるとした思考が見られない


(圧倒的に貸し付けられる能力の持ち主が、そのルールに胡坐を掻こうものなら、格差は埋まらない)


 だから、「因果応報」「天網恢恢疎にして漏らさず」の場合は
 原因と結果の相手をとくに固定しない(こだわっていない)

 ‥是を恋愛に例えれば、赤い糸なんか理想としちゃいないわけだよ
 だが、相手を限定したり、条件を限定したりしていると存在しないも同然に陥る


> 誰から与えられようが一向に構わない、誰にお返ししようと同じに扱われる
> なぜなら、すべては私なりとした同一だからだ
> (それぞれに似通った気持ちの流れが得られれば、それで良い)


 ‥ところが人のエゴはその様には考えない
 考えるところからして、自分の望んだ形以外は認めないとした意固地だったりする
 でも、究極的に行き詰まると、匙を投げたように対象を問わない選択をしたりする
 トドの詰まるところの目的さえ為されれば良いとした妥協だ

 ‥ヒトの妥協には、何かそういう残念な色がついている
 いろいろと欲張って、お目出度いセットになっていないと正しく無いなどと思い込んでいる
 そうにないと妥協だとして、格下の如き扱いとしてどこか上から目線だったりする

 (だが、宇宙的な辻褄で云うとそのような色を付けて考える向きは無い)
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2021年08月25日

【ツッコミ隊】書き入れはコロナとともに消えにけり 前門の無理強い後門の悪ノリ

記稿.2021/08/25

> ‥政権交代に向けた意欲が垣間見えないのは
> 補償のスムーズ化に向けた法改正がされている気配が無いという事でしょう


 ‥前門の無理強いこと
 前門の麻生太郎で、十分な補償をせずに休業要請をやらかしている事

 (どうして財務大臣の鶴の一声状態下に在るんすか?、不可解しいでしょう)
 (それは具体的な発動を示した法律を欠いているからです)
 (最低でも「国民からの要望が過半数を超えるようならば‥」とした文言が求められてきます)

 (法律に無いからこそ,選挙前にやるとバラマキとした野次になる)
 (法律に明文化されていたなら、やると意気込めば正義色にしかない)


 ‥後門の悪ノリこと
 ザルな体制を突いた詐欺申請の横行です
 始めから登記番号を前提にしてやっておけば、まだお行儀良かったように思われますが
 ところがどっこい、その業務が丸投げで、中抜き三昧で、始めから補償の形など無く
 食い散らかし前提だった顛末です(悪ノリの連携だけはキッチリしていた)


> この手の改正案提示までに持ち込めない‥ツッコミの甘い糾弾野党に誰が期待するんだよ
> 政権交代したって、同じ結果にしかならないって誰しもそう思うに違いない


 ‥暗黙的に、電子手続きの強化をやらかします風な口調が聞こえてくるだけで
 結局の所、利権忖度ありきクサさにあるっぽい


> まるで、為政全体で
> ワクチンで十分に儲けて、間引きが進んでからでないと損と無駄が出てしまうので
> ‥とした算盤勘定くさくて、ゾッとする


 パラリンピックにしたって、競技名に「知的障害」をそのままに持ち込んでいる
 差別用語に近いのに、そのままをやらかしている
 まぁ、この国の公正感覚は、呆れるほどにその程度にあると断定せざるを得ない


> だがそれにしたって
> コロナ禍の一連の沙汰でよく解ったのは
> この世の中は、想像以上に、アルコール依存症体質だったって事だ


 それはつまり、真面目にやっているだけでは生きてけないストレス過剰禍だった
 「お酒を売るな」というそれだけで商売上がったりになるばかりなら、そういうことになる

 ‥じゃまぁ、お望み通りに、世界からストレスを取っ払っちまったらとしたら
 その後の経過も似たような流れを経るに違いない
 (で、その時どうするの?)

 ‥無理に酔っぱらい合う必要が無くなったらどうするんですか?
 (思考を切り替えると、そんなトンチにも成っているらしいってことでしょう)
(そんなケースこそ自然淘汰として解釈されちまうんで、それこそ補償なんて怪しい)


> 国政に柔軟性を見ないのは、国民の側にも柔軟性に乏しいとした鏡似性に他ならない



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2021年08月21日

【ツッコミ隊】面接は、職業脳VS生活脳

記稿.2021/08/21

> 多くの人は、日夜、家族の為を口にして働いている
> だがしかし、面接の際に其を全面展開しても落とされる


 ‥企業が求めるのは、職業脳であって生活脳では無い
 だがしかし、生活脳を否定されてモチベーションの上がる労働者など居らん

 ‥企業がなぜ職業脳を求めるのかは
 学校での勉強以外にも、自ら進んで学ぶ姿勢があるかどうかだ
 そこを面接の際にほとばしりを見せないようでは、今後の意欲を疑われる

 そしてこれは、採用試験としての駆け引きであり
 馬鹿正直にしか語れない人材は不要とした申し付けでもある


 なぜなら、それが焦燥社会ちがった‥競争社会の根っこだからだ


 ‥だがしかし、駆け引き上等に人材を募った結果
 世界全体で企業が政治に期待する姿勢も又、駆け引き上等になっている

 それこそが、馬鹿正直者を採用し得ない世界体質たる空気もとい実体という事だ

 企業が隠し事するのも、嘘を付くばかりに正直・実直をまっとうしないのも
 すでに入り口からおかしな方向を向いているからだ


> 企業にとっての家族とは、職業脳者であって、生活脳者では無い
> 企業にとっての才覚とは、駆け引き上等であって、本音上等では無い


 そのような暗黙の線引きが、嘘つき体質な世界を引き寄せている



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2021年08月16日

【ツッコミ隊】最低賃金微上げとやっちまってる逆効果スパイラル

記稿.2021/08/16

> 最低賃金水準は何のために微上げを繰り返しているのだろうか?


 ‥ん円、十ん円とか
 誰がどう見たって、うちは関係ないからと思いがちになる

 ‥ところがどうだろうか?
 サプライチェーンのどこかで真面目に取り組む箇所が発生すると
 そこから先の価格は微に乗っかることになる

 とくに大手が待遇改善の理由にしようなら
 そこから先に、その分のシワ寄せが押し付けられることになる


> 振り返ってみよう
> そのような実質値上げだらけになっちまってるのが現状だ


 ‥最低賃金運動は、大手の実質値上げへの屁理屈にしかならない
 なら、ドーンと上げれば良いのだろうか?

 国家予算中抜きだらけの現状に、其をやらかすとどうなるかなど判りきっている


> 一番にお手軽なのは、消費税カットもしくは廃止
> 最低賃金微上げは、取り組んで見せてる程度のガス抜き目くらましでしかない


 ‥すると、どうしたって
 中央銀行システムを改変して、ベーシックインカムをやるというのが筋になる
 銀行券と国券との違いを明らかにすべきになる


 ‥とは言っても裏での清算は、金本位制にあるので、実質的は通貨価値に差はほとんど無い
 今や地球環境への負荷がどうかという議論にあるようだ


 ‥板垣情報によると、30桁で資金を用意しているとかなんとか
 随分と金額が増えている(ようやく自分たちの規模読み間違いに気がついた段階っぽ)


> だがしかし、中抜きありきでの織り込みだとしたら、桁を増やしたところで意味が無い
> 中抜きたる悪癖を改善する気がないうちは、何やっても無駄ッっす



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2021年08月12日

【是論】この世は、夢ハラスメント脳症候群

↓2)記稿.2021/08/12

 人間とは捕食に悩める生態である。もとい精神を抱え持つ。それ以上でも以下でも無い。
ゆえにヒトは、無理を引き起こさぬよう注意を求め、お互いに善悪バランスでの心得を要求する。

 ならば、無理を引き起こすばかりの自由な社会構造に正義無し。地球環境を破壊たらしめるに及んだ私たちの科学観・自由観に正しさなど無かった。皆無に等しかった。それが現代とした群衆だった。


 ‥何であれ、夢をどれほどに実現できるかは人生の関心事だ。其を競争にしようと仕向け合ってきたのだから尚のことだった。出遅れては夢は叶わない条件下なら、どうしたって、細かいケアは捨て置きになりがちだ。即ち、うそつきありきの同意体だった。インチキありきの同意体だった。


 ならば、夢を持てない・持たない・描けない側が居たって不思議は無い。もとい、斯様な悩ましさを心に抱え込むならば、夢見る推奨社会ほど‥苦痛で迷惑で押しつけがましき価値観もまたとない。
(人の適正や想像力には差があるのだから、そのような個性の発露は珍しくも何ともない)

 そればかりか、夢を描けなければ描けないで、劣等感の植え付けのようなものにすり替わるのだから、そこから脱したい欲求に駆られてしまうのも流れだ。
(ホトホト迷惑な動機でどうしようもない)


 そんな動機は、概ね役に何てなりゃしない。誰かの真似は泥棒視でしかなく、受け売りもまた似たようなモノで、誰だって自信に繋がるほどの学びを実感するに程遠い。
 なんであれ、オリジナルと呼べるレベルに辿り着くには、それ相当の好奇心が有ってこそだ。

 だが、よくよく考えるまでもなく、多くのほとんどは、人真似に受け売り止まりなのだから、競争の先にあるスタンスにしたって、人真似の憧れだ。
 成功の多くの背後には、配分をケチって夢を叶えた程度の姿しかないのにそれで良いと思っている。思い込んでいる。それが競争だとして、競争を勝ち抜いたとした気持ち一つで以て自慢げだ。

 成功者がそんなのばかりでは、誰だろうと‥うやむやな空気に呑み込まれるばかりで、続けとばかりに、俺も私もと試してみたくなるとした勢いにもなろう。

 なにはともあれ‥勢い任せに押し切って良いと言わんばかりなのだからな‥
そして、肝心なのは、それの勢いなるシロモノを誰も悪とも必要悪とも思っちゃいない‥
サーフィンにしたって波に乗ってなんぼのスポーツだ。感覚はまさにそれに近い。


 だからだろうか、それら好奇心からの吸収力によって、どのような方向に向かうのかは、全く以て無警戒な口が、この手の「夢を持とう」になっている。それは、勧める方も欲する方も同じだ。

 そして不思議な事に、ある程度の好奇心が満たされたというか、自分の程度が判り出すと、途端に、無警戒だったはずのそれは、まるで無形が有形に変わったかのように、好き嫌いのオンパレードに切り替わるのだ。

(「やってみなはれ」だったそれは、いつのまにやら、「駄目、無理、無駄」の剣幕なのである)


 誰がどう見たって、人それぞれの好き嫌いに意味があるとしたら当人の価値観の方向だけだ。
第三者視点から見たら、それぞれの価値にそれほどの差は見られない次第の向きになる。
 他人それそれの細かき事情など、知ったことでは無いのだ。関心が無いのだ。
自分ファーストなら尚更だろう。
事件・事案にならない限り許容された事柄として判断されるばかりだろう。
 ならば、潮目を変えたいなら、マジになって事件事案を引き起こし続けなければならない。
そういう刹那たる空気が世間にはある。

 だからこそだろう。大半の普段は、それぞれを無視したままで良いとして思い込んでいる。
無視して進められる社会などどこにも無いのに、誰もは、無視スタートをやらかしている。
 夢の大きい小さいに関わらず、それほどに、好きバイアス・嫌いバイアスに罹るのだ。
罹ったままを良しとしてしまうのだ。さらには、その手のバイアスを抱えたままに、それこそをモチベーションだとして邁進すべきが空気だったりとする。

‥大概の多くは、好きな事で埋め尽くしたく
‥嫌いなモノを排除したいとした欲求を日々増幅させ
‥その様などうしようもなく偏った異常な精神状態を来してしまっているというのに
‥自身を創造するための最善の追求の仕方として、そのような気持ちの是非を正しいと思い込むばかりで、結局のところは、「夢ハラスメント脳」と化してしまった状態に、全くの無警戒を誇ったままだ。


 夢ハラスメント脳のもたらす厄災は、慢性的な排他主義である‥其は地球環境破壊すら厭わない。
 夢ハラスメント脳のもたらす厄災は、慢性的な排他主義である‥其は地球環境破壊すら厭わない。
 夢ハラスメント脳のもたらす厄災は、慢性的な排他主義である‥其は地球環境破壊すら厭わない。


 競争過剰がもたらしているところの大なる夢ハラスメント脳は、夢を実現させる者の達成率が低い。もしくは、為した後の経過が芳しくなければ落ちぶれるのが流れだ。

 その率の高さからも、圧倒的に夢を実現させている者が成功うんちくを語れば語るほどに、格差に火に油を注ぐだけの空気をもたらす。(所謂、妬み嫉みからなる偏見だ)

 この問題の多くは、誰しもの夢の実現の多くが、自分の好みであるとした方向にしか無いことだ。守りより攻めとした、どこかの文化色そのままに引きずり込まれる。それゆえに、誰も格差改善に向けた全力を発揮するところが無いとしたオチに尽きるのだ。


 ‥誰しも、暮らし向きの利便や都合をもたらす好奇心は高いのに‥


 夢を実現させるための原理が、人気投票構造でしかないなら、どうしてわざわざ自分の評に不利になる事実をぶちまけるだろうか?
それゆえ、自分から評が離れてしまう事を嫌がるあまり、格差がある事をむしろ肯定してしまう搾取原理に同意しがちな傾向にハマっている。
(元気玉を集める経済力やカリスマを有するのは、僕だけでありたいみたいな‥)
(その集まった元気玉は僕の自由に使えるのだから‥そうするのが自由権の行使だとかなんとか‥)


 ‥一方で、弱者は強者に頼らざるを得ないとした形こそ評たる用の世界観であり、強者が弱者にお願いはしても、細かき説明を省きがちなのも評たる用からの秘匿性に及んでいる。
(なんという暗黙的なアンフェアの促しだろうや‥)
 誰だって、弱さ・弱みを見せては評に影響すると考えるのだから、そりゃ、嘘でもバレなきゃ良いとしたやっつけに陥るのが流れになる。

 そこから脱する気のない世界観にハマっている限り、勝敗を決する要素の多くが、インチキだったりカマカケだったりバイアスだったりする。
(それが競争過剰の本質だ、もとい夢過剰とした日常だ)
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2021年07月26日

【ツッコミ隊】教育には、正値と許容とした両方からの問い掛けが必要だ

↓3)記稿.2021/07/26

> ネットを閲覧していると、時折目にするのがキレてる教師の行き過ぎた採点だ
> 正解を得ているのに、字が汚いから減点扱いというのは不可解しい
>(大体そういうのは項目を別にして管理しないと、全体統計が怪しくなって後で困ることになる)


 ‥とした事案が起きてしまうのは、教える側に許容とした概念がすっぽ抜けているからだ
 正値などというものからして、何を基準にしたのかさえ怪しいのだから
 正値とともに許容を考えていくことの方が重要だ


 ‥例えば、数式の計算順序からして、絶対的な視点を得られずに二分化する場合もある
 だから必要なのは、正値とともに許容の範囲をどのように捉うかに尽きる

 つまり、どちらにも正解としての道があるという事だ
 だが、その様に扱い出すとどうにも困るらしい

 なのでスタンダードはどちらかに成っているとした理解と許容を教えるべきとなる
 (だが、誰もその様な意見を持ち込まずに、対立案こそを正解に捉えて構えるばかりだ)


> まず、数学のそれを考えてみよう


 数学の記号は、「=」とした定義に従って始まる
 だがしかし、高度な数学は、「≒」の扱いをどうするかにおかれている
 つまり、方向性に間違いが無いなら想定内になるだろうとした予想を扱うばかりになる

 それが成り立つのも

 許容の中身をきちんとルール化しているからに他ならない
 式が成立つにしろ、論が成立つにしろ、そもそもは現象予想にあるのだから
 扱う数値には、許容をあらかじめに設けてあったりする
 式も論もそれに従い、それら許容に該当しない域を扱わない(ここ重要)

(字が汚いから減点するなら、始めからそのように約束しておかなければならない)
(テストを受ける側は、それに対して限度加減を問うのが流れだが、小学生にそれは無理)


> そもそも教育上の方針にそれはあるだろうか?
> 教師間での調整は十分にあるだろうか?(概ね担当裁量と言うことだろう)
> そんなことでは、全体の統計とて怪しいことになる
> 単純明快な学問の段階でそれが無いのに、どうして社会全体で許容を認知し得るだろうか‥


 さらに、理系では予想を取り扱うのに、文系では約束としたそれを正値として取り扱っている
 つまりどちらの解でも、方向性も正規性もサービス側の都合に整理整頓できるとした解釈に変わる
 (私たちの今段階の教育観では、どうにもそのようにハマってしまうのだ)


 個性教育にしたって、行き過ぎたそれは、コミュ症の量産化にしかなっていない
 それどころかそれを教える教師がほめて伸ばすしか考えていないと
 途端に世界中でストレスに弱いだけの人間性しか培えていなかったりする

 自分の苦手や嫌なことは、誰かが担うだろう予想を本気で思い込んでいたりする

 だが、社会が個性×競争偏重に置かれるばかりなら、誰も担おうとしない分野も発生する
 欧米において未だに清掃は奴隷の仕事だなんて風潮が残るほどなのだから相当だ


> 人間は、横着にも馴染んでしまった方を正値として扱おうとする心理を抱えるのだ
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2021年07月23日

【ツッコミ隊】権利とすり替えと義務要求の肥大化

記稿.2021/07/23

> 権利とは何か?
> それは双方向での話し合いの場を通じて交わされるべき約束事項の相互確認である

 (但し、このような話し合いには根気が求められる、ここでは是を「根気型」と呼称しよう)
 (根気型の場合、参加しないなら発言権放棄と見なされても致し方が無い)


> 権利のなりすましとは何か?
> それは約束事項を一方的に要約して選択支があるように見せかけた取り交わしである

 (概ねこのような話し合いにはサービス側の思惑が見え隠れする)
 (なぜなら短期的に利益を追求するからだ、ここではこちらを「短気型」と呼称しよう)



> 話し合いとした意味では根気型が理想だが、権利と言いつつも社会の常識は短気型だ


 つまり、権利を前提にしているようでいて、すべてはサービス側の都合絡みでどうしようもない
 短気型では、話し合うべきポイントを絞り込んであるので表面的には平易だ
 但しそれは、ユーザー側がサービス側を一方的に信頼している場合でしか成り立たない
 若しくは、ユーザー側が、サービスに対する対価をはした金の想定に見下せる場合でしかない


 そして大抵の大衆は、愚鈍にもその思い込みの術中だったりする


 ‥選択支を提示されることを以て、権利に思い込むようになっている
 其を例えるなら、選択項目さえ出現すればゲームをしているかのように錯覚するアレだ

 だがしかし、そのサービスが糞ゲー然&無理ゲー然だったらどうする?

 世の中のすべての人が訴訟を起こすわけでは無い
 その代わりとして、一般的には、そのサービスを使わないように情報を流す

 だが、ユーザー側がサービス側を訴えられるのに
 サービス側がユーザー側を訴えられないのでは公平では無い

 だがらといってサービス側が違反該当者を名指しで世間公表するのは犯罪者扱いで行き過ぎだ
 そこで短気型がもてはやされている
 規約を設けて、それ以外の訴訟は論外ですと一線を引いておくのだ
 (規約内での違反に該当したなら、問答無用で退場だ)


> 残念なことに私たちの常識は、そこまでを含めてサービス脳にまで堕ちている


 ‥短気型を常識とするばかりなら
 政府からして国民とまともに話し合わずともOKということだ

 それどころか
 代議士を介したスポンサー要求ばかりを派閥都合から政府がマンネリに取り上げるなら

 三権分立の理想などとっくの昔に崩壊中で無かった話にすり替わるのだ

 だがしかし不思議なことにスポンサー側はそれが自分たちの権利だと推している
 代議士群もなぜか支援を受けた義務として、当然だとして善処するに堕ちている

 (国民主権はどこさ言っただ?)

 それこそが短気型の堕落性になっている


 ‥どこから派生したとも知れぬ議案を持ちだされたというのに
 出来レースでマスコミを通じてその話題で持ちきりになる
 国民の多くはその案をどう思うかでしかなく、そこから先を見通した改善案を練る程には無い
 まして目指すべき理想を持たずのなら、どちらの方が儲かるか脳でしかない


> では、その手の流れに派生した権利から生まれる義務とはなんだろうか?


 ‥まぁ単純に、増税やら値上げやらの支払い枠の肥大化だ(圧倒的にそれに片寄っている)
 つまりは最初から人権なんて言葉だけで
 言葉巧みにすり替えて、すべての国家憲法は守銭奴の飼い犬法さながらに堕ちる流れだった

 ‥労役を課された方がまだそれの作業工程の終了に区切りがあるのに
 マンネリとした比率払いにはそれが無い(容赦無しの奴隷化然を実現やらかされている)


 ‥つまりは塀にぶち込められたというのに
 いざ、刑期満了放免だというのに、複雑な気持ちを抱ける方が、まだ人権だったオチだ
 それに死刑たる恐怖を無くそうなら、それこそ犯罪者勝ち組みたいな人権観に堕ちるだろう
 そうになってしまえば、まともな勝ち組群からの監視社会要求は俄然正当視されるだろう



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:27 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする