2019年09月29日

【勝手句帳】r029(01-9-27)静岡新聞掲載分から


↓ 16)1 向宜詠吟.2019/09/29

寄る辺なきごとくに飛んで秋の蝶
沼津市・今沢オレンジ句会(9-27)

|寄る辺なきごとくに飛ぶな「千葉県停電台風」あれほどなのに名前さ付かね


 ‥さぁ諸君、今こそブーイングの頃合いにあろう
 (フライングしちゃう短気も損気ってな)


↓ 16)2


|明月や街は目下の雲の底
静岡市・青葉句会(9-27)

|新月や街は増税曇るかげ 労働意欲ぞBIより失せむ


 ‥投資家でさえ増税になるとやる気が失せるのと同じで
 消費税増税するのも、ベーシックインカムするのも労働意欲を上げ下げする意味合いは同根です

 ならば

 ‥最低保障とした枠組みに無くとも
 水道ガス電気の一人辺りの一定基準量までをベーシックインカム扱いにして無償化すれば
 家族辺りの総量で辻褄つきますし
 インフラ企業側も(被災で動かないまさかでも)使用量に対しての実入りが安定し
 バカみたいに基本料金の高くなるガス代の内訳などに違和感が無くなるでしょう

 又、無償であるならその対象となる量ぐらいは使わないと損と国民が考えることを
 環境に宜しくないと思えば
 夏と冬は割り増しに使えるが、それ以外はそうでもなく地域差も込みで節約を求めるなど
 四季の移ろいに沿って、無償の枠を変動させる仕組みを加えて
 年間を通しての辻褄合わせを求めれば善きことです


 ‥そのようであれば、水素利用の普及にも弾みが付くはずです
(主に電気の代替燃料に使えるのが一番に弾みになる)
 その結果、エネルギー輸入に頼らなくて済めば、将来的には輸出の方向も視野に入ります
 ‥その時
 浮いてくる資金枠に期待は持てますが、円高も容赦なく想定されますが
 急にすべてを水素に切り替えられるわけでも無く
 どちらとも、実験的に細かく事を進めれば、無理は起きないように思われます


> 誰がどう見たって
> 車限定でやらかそうとしている前提が不可解でしょうが無い(そんなの絶対に無理っ)
> 本音が核融合だから?‥それにしたってもしもの代替が必要に変わりは無い
> 石油とガスで良いとか?‥未だにそんな思考だって事なのか?


 (そんなんで本気で宇宙を目指せると思ってるわけ??)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:25 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

【勝手句帳】r028(01-9-24)其の2静岡新聞掲載分から


↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/26

心配を拾い集めて子を育て
静岡市葵区吉野町(9-24)

|心配を拾い集めて育つ子ら 笑顔をディスる時代になりぬ


 ‥昔と今の時代の貧の差とは
 遊びがテレビゲーム中心で、其の中身が知識偏重である点に尽きる
 しかも敵を倒すことが過程として付きまとっている

 その倒した姿を、何も知らない3才児辺りだと「タヒんだ」と表現するほどだ

 「やっつけた」「ぶっ倒した」とは表現しない
 まず「タヒんだ」としか言葉の想像が及ばない
 そこには、なんの死生観も存在しないのだ
 ゲームの中で自分のしている行為に対するきちんとした善悪評価など持っていない

 「死んだ」とする印象をそのままに繰り返し刻むうちに
 ‥どんな脳に及ぶのか‥まさに今の時代の有り様なのだろう


> 「失敗は死ぬ」に直結した単調な脳回路に出来上がっちまっているのかも知れないのだ


 ‥そんな脳と相対することになるのが
 ゲームすらおぼろな貧育ちと言う事になる

 ‥なんという恐ろしい出会いだろうか‥

 一方は失敗を恐れ、知識で武装して相対しようと掛かってくるのに
 一方はニコニコとして、ただただ新しい出会いにきょとんとしているだけだろう


 ‥そして時間が経つうちに
 自分はタトされたキャラとして、浮いた空気を漂うようになる
 (特にこれとした得意を発揮できないなら、そのまんまヨーソローだ)

 そしてそこに、今時の過激で意味不明な若者言葉が入り込むと
 どうしたって、上下でしかものを見ない空気に溢れかえることになる
 違和感を抱いていようといまいと、それに乗っかって生きていくことを強要されるのだ


> ‥考えただけでも窒息しそうだよ
> こどもにとっての今時代の親の格差は、もはや犯罪現場に等しいのだろう
> なのに、子供の頃から格差上等の上澄みに立つ側には、犯罪現場たる意識など持ちえない


 ‥その極端な方向性とやらの持ち主が全体の3%に達していると
 社会性など十分に乱れて崩壊に向かうことになる

(社会性割れ窓化ということである)

 ‥とは言っても、まったくの逆もあるのだから世の中はわからない
 ならば、それのバランスを超えて負の大きさが3%を上回ると‥と言うべきだろうか‥

 それにしても、早い段階でゲームに齧り付かせると、そういう事にも成ると言うことだ
 それは食事をしていればご機嫌だからと、与え続けることに等しい
 (肉体が醜く膝から壊れかねないのなら、脳や心への影響だって同じと言うことだよ)

 ‥マンガアニメの世代と、生まれた時からテレビゲームありき世代とは
 その辺の刻み込んだ深層心理がまったく違うという点を、さっ引いて推し量るべきなのだ


> ゲーム難度がムズくて進めないで飽きてしまうゲームと
> 時間泥棒だけでなんとなく楽しい成長ゲームが、同質だって事を早めに理解させるべきだろう


 ‥どちらともに、遊んでみたくてもやりきれるわけではない
 ‥それの延長した一つの現実こそ、絶対資本体制に及んだ格差社会にある
 ‥「競争」と「成長」をし続けることに意味は有るだろうか?
 ‥意味は無くても用があるなら、どうしたらより良く楽しくなるかを考え合うべきだろう
 ‥そうでなければ、それこそテレビゲームなんぞ人生におけるジャンクジャンルにすぎまい
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:58 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月25日

【勝手句帳】r027(01-9-24)其の1静岡新聞掲載分から


↓ 9)1 向宜詠吟.2019/09/25

私と萩をし込む
沼津市・千本プラザ俳句教室(9-24)

透き並ぶの萩の逆さ映え 徒歩透くかげも見目鮮やかに


 ‥澄んでおるのう
 寺の堀に萩が逆さにも立派に並んでおる
 その堀沿いを往く儂の影もまた、もとい往く人の陰の逆さ映えもまた見目鮮やかだなあ




 ‥ネタの句の「堀」と軽く放り込んで有るだけでは、句風には達しません
 一般に「堀」と言ったら、「城」の堀です
 でも後に
 不釣り合いな「萩」が盛られているのですから、折り返して読み返さないとならなくなります
 それでいて、敢えて誤字の「写し」と来ては、尚更に城では無いと誇張してあるかのようです

 まぁそんなこんなで、堀のある寺社ということなんでしょう

(プチ怒あたまに来たんで、「堀」も「水」も盛らずにアレンジしてみましたz)
(でもそれは「池」かも知れない‥いや、堀もしくは幅広めの水路でしょ‥萩との距離感近そうだし)


> ‥五七五・・云々もまた動画エンコードと同じで
> ぼかし方の工夫なんですな、どこかを強調させれば、どこかが割り当て不足ぼけすると
> 両立させることに着眼を向けすぎると、好い絵図として伝わりがたい‥ということです
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:38 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月24日

【勝手句帳】r026(01-9-21)静岡新聞掲載分から


↓ 5)1 向宜詠吟.2019/09/24

盗人萩鬼ゆり弟切犬ふぐり罪なき野花に人語は非情
吉田町・玉響短歌会(9-21)

陰キャディスるハブるンゴと垂れて 面倒嫌う人語の叫び


 ‥最近の若者言葉の乱れの多くはメール打ちにあるとしか思えない
 打つべき字数を減らしたい空気に満ちたままの延長線だ

 内輪でしか通用しなくてかまわないのは、ある意味セキュリティみたいなもんなんだろうけど
 その有り様に乗じて、知らないと恥ずかしいという上から目線に育つのは痛々しい


 ‥というか
 それを煽っているのは大人の流行り廃りを追いかけようとする昔取った杵柄に他ならない
 どうでもいいだろうとは思うも、実態把握は欠かせないんだから翻訳は求められる
 こげな空気だけは、連係プレーしちゃっている日本語は、良いんだかどうだかまるで不明すぎる

 まぁどっちにしても
 綺麗な響き表現には、無関心とばかりの叫びにしか聞こえないんだよなあ

(否定することでしか発散できない若者は、自虐すぎるのだから、そりゃまぁ痕が大変だ)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:30 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月22日

【勝手句帳】r025(01-9-20)静岡新聞掲載分から


↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/22(追稿.2019/09/23

|郭公鳴く森のしじまを存分に
沼津市・潮音ひこばえ句会(9-20)

|郭公の渡る響かす杜の風 止むな聴かせよどこか行き


*「な〜そ」に連用形をサンドイッチに挟むと、「〜しないでおくれ」「〜するな」の意になる

 「な」副詞: 副詞解釈の「な」の方が扱いやすい。
 動詞連用形: 例外的に、カ変は「な来(こ)そ」、サ変は「なせそ」
 「そ」終助詞: 禁止。「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。


> カッコウが杜に渡って来ている
> 耳を澄ましていると、時折静まってしまうのはなぜだろう
>(獲物でも見つけたらどこかへと去って行ってしまうのだろうか?)
> お願いだから、このままこの場所でどこにも行かずに、その声をじっくりと聴かせておくれよ




 ‥ネタの句の言わんとしている着目はわかります
 しかしそれぞれの言葉のニュアンスがどうにもぎこちないのです

 まず、「や」と盛らずに「鳴く」としてあるのは
 郭公が存分に味わっているようにも思え、気に入らなかったのでしょう
(味わっているのは、あくまで読み手の私だと、まるで断りを入れてあるかのようです)

 その結果

 「鳴く」と「しじま」がかち合うことになり
 後に続く「存分に」がどことなく
 「森にしじまなんか無いだろう、そこにあるのはお前さんの鑑賞の黙(しじま)だッ」
 ‥としたツッコミを入れて下さいと言わんばかりです

 このような場合は、「鳴く」→「の」と放り込むのが短歌の上の句としては繋げやすく思います

|郭公森のしじまを存分に

 ‥でも、「存分に」なんて盛り方は、大味すぎるのです
 それは、読む側、聞く側が期待するのは、詠み手が次に何をしたかにはなく
 「黙(しじま)」に着目したからには
 其に余韻を求めるべきが、短歌ともなれば、空気として外せない趣だからです

 (ネタは俳句ですから、そこまで求められていませんが、まぁ参考に)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:40 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月19日

【勝手句帳】r024(01-9-17)静岡新聞掲載分から


↓ 10)1 向宜詠吟.2019/09/19

腕伸ばし掴んだ星を指にはめ
湖西市・あらい川柳倶楽部(9-17)

|腕伸ばし掴め日焼けよ金メダル 汗するロマン「On Your Mark!」


*「On your mark! Get set! Go!」→「位置について、よーい、ドン」

 ‥「On your mark!」の出てくるアニメ↓
 「バトルアスリーテス 大運動会」‥BD版まだ〜?

 ‥ちなみに、ここでの金メダルは
 その時その時の「優勝」の意味合いになりまーす
 特に、オリンピックを意味しているわけではございません
 まぁ、一つ一つの優勝を積み重ねていけば、オリンピックにも至るわけですが‥(あしからず)


↓ 10)2


|一鉢の朝顔に見る安らぎを
焼津市・いせき句会(9-17)

|一鉢の朝顔に見るキラ妖精 水撒く虹は微笑み返し


 ‥ネタの句の下五「○○を」だと、「だから何?」とした印象です
 だからといって「キラ妖精」でも、下の句に続く引っぱりが無いと日常感から逸脱しています

 ‥そこで平凡に「今朝の笑み」と盛るかです
 しかし、「見る」と「笑み」との相関がくどく思え
 「笑顔かな」と盛るのが適当に思えるわけですが、季語が「朝顔」なだけに煮え切らないのです

 ‥となると、現代俳句ながらの擬人化もありに思われます
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:00 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月16日

【勝手句帳】r023(01-9-14)静岡新聞掲載分から


↓ 8)1 向宜詠吟.2019/09/16


土砂降りの夜を走っている車たちまるで川底の泳げる魚
掛川市・なでしこ短歌会(9-14)

未曾有の雨を往き交う車魚 泳ぐ目玉の止まり消えぬれ


*車魚(くるまうお)‥なんて苦しい表現なんだぁ(というより痛いっ)

 ‥それにしても
 今時の未曾有豪雨に湧く、溜まり水の中を突っ切らざるを得ない事情という奴は
 安全感覚が麻痺しちまっているとしか思えない
 よくよく考えてみたら、止まっちまった後の恐怖が馬鹿にならないのだ
 ライトは充電から賄われているから、すぐには消えないにしても
 消えたらそれこそ真っ暗のアウトの世界だ‥(よくもまぁ征けるものだと思うよ)


> ‥その前に溺れる方が先かも知れない‥
> だからだろうか、無策でも大丈夫だとでも開き直っているのだろうか?


 ‥だが考えてみるに、そこの恐怖対策は商売になる‥もとい改善のネタだ
 ‥そもそも、誰も水深50pでの走行性能など知らないのだ(津波&洪水ならヤバくなる端境)
 ‥30pでの安全速度の基準も無い

 それぞれの状態で、どのぐらいの耐久性能があるかも定かにされていない
 取りあえず、漏電なり発火しない限り大丈夫程度で思考が停止している
 (それでは、もはやぼったくり商売である)


> ‥それぞれの不明確を一つ一つ具体的にしてこそ
> 水深走行時、音声ナビゲーション機能搭載なんて安全提供が可能になる


 ‥とくに電池残量比較からの水没水深ごとの走行能力と予測は必須事項である
 ‥水深を測るセンサーの搭載がなければ、水深ごとの適正推力を算出できない
 ‥又、水深が上がるごとにグリップ力が減るわけだから、まずは限度値を知らせるべきである
 ‥総重量の違いでも変わるわけだから平時に常に割り出して示せていないのでは話にならない

 (速度×距離×燃費率の関係で、総重量を大ざっぱながらでも推し量れるはず)

 その辺のナビゲーションが成り立っていないから、運否天賦ばりに思ったまま突っ込むのだ
 どう考えたって、計算できる範囲である(ごく単純なレベルの科学だ)
 水深が許容オーバーなら、バックする選択支を促すべきであり
 後続の車両にも、ネットを介して伝わるようにすべきである


 ‥今時の気象状況を考えると、安全規格に盛り込まれて当然の成り行きだ
 なのに聞こえてくる気配がまったく無い(産学官共に盲点と言わざるを得ない)

 どうせ走らざるを得ない部分は否めないのなら
 時間経過を観察する上での情報収拾役としても活躍してもらうべき装置群に仕上げるべきが筋


> もはや競うべき開発方向は、リッターいくらの時代色には無いっ
> 複合的に安全機能を正しくやろうとすれば、せこいインチキなんかやっていられないのだっ
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:35 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月14日

【勝手句帳】r022(01-9-13)静岡新聞掲載分から


↓ 2)1 向宜詠吟.2019/09/14


|犬散歩しわがれ声の蝉時雨
藤枝市・新俳句人連盟静岡県支部藤枝あざみ句会(9-13)

|今はもう‥しわがれ声の蝉時雨 どや顔の欠く日本の財務


 ‥これを自民党支持派から読むと
 麻生さんが居ればこその今の日本経済の踏ん張りどころだから
 そうじゃ無いと民主党時代に逆戻りなんだよなあ(ワンマンだって仕方がない)


 ‥これを一般的な反自民党・嫌自民党の方々から読むと
 取りあえず、あの傲慢に満ちた麻生太郎だけでもどけないと
 日本の格差経済に晴れ間なんて来っこない


 ‥マニアな陰謀論おっかけ物好きから読むと
 麻生太郎も、キューバのグアンタナモ米軍基地でもう死んでるかもなあ
 だからまともにテレビに映らなくなった、これからもそうに違いない
 (それはそれで、おっかねぇ話だんな)


> というふうに、伝統的な助動詞の一切を用いずに思い込ませることが可能なことに驚いた
> さて、どうなんでしょうかね?
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:40 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

【勝手句帳】r021(01-9-7,10)静岡新聞掲載分から


↓ 6)1 向宜詠吟.2019/09/11(追稿.2019/09/12)


|足裏のすべる竜が岩洞一歩一歩幸ちゃんの手にしっかりすがり
焼津市・はまゆふ短歌会(9-7)

|細すぎる孤独の酷き「こころざし」まるで知らんやしっかりすがる
|あきらめてゼロより歩む秋の風 {念いを積む=貫く}:{式=解}
|たのしさの何も見えずに雪の空 笑えと云うのか死ねと云うのか
|ほんのりと掴みかけても春嵐 まだまだ足りぬと落雷来たり
|夏の空これほどの風見つけたり まさに知らんやしっかりすがる


 ‥ネタの首の「しっかりすがる」
 面白そうなので、ひねりだしたら大変だった
 如何なる風が吹くかは、まだ筆途中でーす
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:07 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年09月08日

【勝手句帳】r020(01-9-6)静岡新聞掲載分から


↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/08(追稿.2019/09/09)


|墨色のを突き差す立葵
焼津市・「宇宙」焼津支部合同句会(9-6)

|青を仰いでみたき立葵 戦乱の世に戦なき世を


*青山(せいざん)


 ‥日本古来の色彩で「」といえば「」を象徴して指しますが
 なぜを指して「あを」と呼んでいたのか?
 それを立葵(タチアオイ)の語源から遡る説を発見しちゃいました

 きっかけはこれです → 団扇を煽い(あおい)で欲しい

 古来日本人は、空のような空間そのものを仰ぐ概念を持っていませんでした
 仰い(あをひ)でいたのは「山」でした
 山を見上げるように、立派に下から上へと咲かせるから‥

 立って仰ぐ(たちあおぐ)ようだ→たちあおい→立葵

 とまぁ向日葵も無かった時代ですから、立葵の姿に青山を仰ぐ趣を重ねたように思われます
 (向日葵にも葵の字が連なっています)

 ちなみに、葵の花そのものは仰ぐほどの形状には遠く及びません(種目が異なる)
 ということからも立葵のあおいが「仰ぐ」から来ており、「葵」が当て字だったのです

 つまり、緑たる青山を仰ぐことから、万緑たる山々を「あを」と呼んでいたのです
(ということから空気からなる遠近までを含めて「あを」と呼んでいた事になります)


> さらにツッコんで語れば


 ‥空(そら)なる空間そのものを仰ぐ概念を持っていなかったわけですから
 仏教が伝わったとき、誰も「空(くう)」を理解し得なかったように思われます
 だからこそ、「神道」とはまったく異なった視点で「仏教」をスタートできたと言えるでしょう
 それはまさに、青天の霹靂だったに違いありません

(どちらかといえばそれは、見えるモノしか信じないからの脱皮だったかも知れません)

 ‥ではそうすると
 神や占いが見えている人の割合が、人口密度の低さから普通だったとか??
 見えずとも当たれば信じられるわけですから、その手の遺伝性は高いように思われます
 人口密度が低ければ、どこそこに貝があるとして行って皆で腹一杯になれれば良いわけです
 ‥それが人口密度が高ければ高い分
 たとえ言い当てていても、量が不足がちなら、役に立たねぇ婆婆とか野次られちゃうわけですし
 喧嘩から派閥もできちゃったりして、占いの裏をかいて本来の意味を封印したりし始めるでしょう

 当然、そうなってた頃合いなら、仏教の教えにカルチャーショックを覚えたに違いありません
 信仰とかなんとか以前の話として、考え方の視点がまずカルチャーショックだったでしょう

(何にも無いところに安寧のよすがたる悦があるとか‥そりゃ驚いたでしょう‥とくに貴族)
(その空間に対する新たなる認識は、20世紀の相対性理論の衝撃に似たる所があったでしょう)


> 話を詠みに戻します


 戦乱の世戦なき世 戦なき世戦乱の世
 戦乱の世戦なき世 戦なき世戦乱の世

 という風に「〜に〜を」「〜を〜に」それぞれで前後を変えるだけで意味が異なってしまいます
 で、どちらの方がわかりやすいのかというと
 「〜に〜を」の方に希求さへのよりインパクトを感じさせます
 「〜を〜に」でも意味は同じでも、平文の棒読みのような印象です

 ‥まさに日本語ヤバイの良い例でしょう
 (間違って翻訳されやしないかとヒヤヒヤものです)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:09 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする