記稿.2021/01/02
> 今やサンタクロースが幻想だってことは子供だって理解しているだろう
> だがしかし、縁起はどうだ?
> 大人からして縁起が国主と政策次第だってことをしっかりと理解しているとは言い難い
‥なのに信教分離からして頭から信じ込み、縁起だけが幻想ありきとして分離している
ハッキリ言って、馬鹿としか言いようがないやらかしをしまくっている
国民の暮らしに寄り添わない国主を選んでしまっておいて
なにが「新年‥‥」だろうや
段取りキチガイ過ぎて反吐が出る
国主に反旗を掲げるなら、正月なんぞするべからず‥と言いたい
‥機能不全与党を選んでホクホクな側もあるわけだから
‥三割ぐらいは正月の馬鹿騒ぎは当たり前思考をやらかしてんだろう
縁起に両面性が備わる段階で、縁起=良縁とは言い切れない
なのに縁起=良縁とばかりに思い込んでいる
> 縁起を願うことこそが偏見(不公平)の始まりなら
> 斯様な風俗習慣は消えてしまった方が良い
では、どうして年初に縁起を願う習慣なんざあるのだろうか?
(生まれてからこの方、ずっと不思議でしょうがない)
それこそが宗教の始まりに等しいように思われる
村社会だった頃の縁起は、そりゃ村全体での豊作祈願だった
だがしかし、科学的な見解に乏しかったお陰で、損に対する偏見も又増悪し
片寄った一体感を培っちまっても来た
‥そして
同じことをしているだけなのに、分化の進んでしまった社会では
自分たちさえ良ければクサい風習へと劣化している
かつてに束になってた偏見も一気に分離を放ち、自由競争よろしくに縁起を競うのだ
だからだろう、風化している方向にあるとも言える
> あなたが、バリバリの唯物主義者ならそれこそ神など居ないのだから
> 政治の成り行きに興味も示さずに縁起上等では、サンタクロースを理解しないお子様以下である
> そして、独裁上等政権&人格を選んでしまっている段階で人類の敵である
> もとい、環境破壊政権&人格を選んでしまっている段階で地球の敵である
その点、サンタクロースは商売上の都合と合致しているだけに生産効率だけは良さげである
だがなぜか、人々の多くは都合よくブランド化した要素にしか興味を示さなくなる
その点における傾向は、縁起同様であり、偏見万歳とばかりに糞どうしようもない
‥新年の挨拶習慣が、公平な方向に矜持を示した社会性ならいざしらず
そうでない時代にその言葉を吐くことは、偏見(不公平)への参加宣言に等しい
よって、著生の姿勢は、基本ボイコットとしてあり続けざるを得ない
> どちらが偏見であるかを問う必要は無い
> 主旨と段取りがキチガイすぎていると申し述べている