記稿.2021/03/05
> モアイ像‥島はほどんど草地で道路の設置を想定しない
> エジプトピラミッド‥当時は緑地だったが今は砂漠で道路云々の思慮が曖昧
> インカ&アステカ‥記録に残されている内訳と遺跡との間の絡みが説明不足で曖昧
‥石器で石を切り出せたとしても
なんだかんだと‥運び出す為の道路造りの検証をスルーしている
丸太を転がすにしたって、転がす丸太を何で切り出したのかの説明が無い
鉄器文化なら説明不要でも、石器レベルだったなら謎に満ちる
その説明を端折る為の印象操作として
モアイ像も砂漠のピラミッドもうまい具合に説明例として利用されて来たっぽ
> どちらともに道路の設置を説明する必要を端折れるのだ
> だが、インカ&アステカは違う
‥アステカは今やジャングルで石材産地が不明で誰も説明のしようが無い
水瓶の池に漆喰を塗りまくってあるその漆喰の産地ですら判らない
とりあえず、その手の産地があっただろうと思い込むところで思考停止中だ
学者だってそれの有る無しを前提にせず、在っただろうの推論止まりだ
‥それにしたって、ジャングルの木々は柔らか系なので
その丸太の上に石材を乗せて転がせたとは思えない
それでなくても雨が降れば地面はぐちゃぐちゃなんだから無理がある
そういうツッコミを聞いた例しがない
‥それでなくてもセノーテだらけだったら
誰もそんな発想でやっていたとは思っちゃいないだろう
(この辺の謎は、エジプトピラミッドの其れと余り差が無い)
‥インカはその逆で
丸太にできるような木々に乏しいわけだから麓から運ぶ解釈になる
だがしかし、上から木々を運ぶのに川下りを使えても逆は無理だ
人力でやろうったって、酸欠を起こしそうな高地でそんな重労働を推し進めるのは酷な作業だ
‥という事からも一から十まですべてをインカ帝国の技術でやり通しているとはとても思えない
なので、道路にしても石造りにしても金細工にしても前文明を発掘した結果に思われる
その裏付けとしても文字を持たなかった点はアステカと大違いなのだから
そう思わざるを得ない
> そこでこの二つは、侵略しちまいましたんで詳しいことは解りません
> としたボケた印象操作で曖昧にしている(すべてはその文明の遺産とした印象付け)
‥始めから魔女狩り同然のキリスト教的不都合が解っていたから、抹殺したんだろう
お陰で唯物論誘導をしやすくしてきたと言うことだろう
‥だがどう考えたって
アステカ文明、インカ文明として括れるほどの先住民史だったとは言い難い
さらに古い時代の先住民たちがもたらしてきた内容を含んでいても不思議では無い
どこの国だって似たような流れが在るのだから
そこを一括りにして「かの文明だった」とするのは、端折りすぎである
> その手の操作が上手くできていたのも
> なぜか北米大陸の文明には、それほどのインパクト在る遺跡が無かったからだろう
> だから、同程度だったとした思い込みを誰しもが抱いてきた
そしてさらに、当時にインディアンと呼ばれてきた先住民たちには
トマホークとした武器があった
どう見たってそれは鉄器の部類である
(その辺の文化度バランスが曖昧だったせいもあるだろう)
> そして極めつけは、洞穴壁画と言うことだろう
誰がどう考えてもちっぱい人間が描いた跡でしかない
巨人がそこに描かれている痕跡も無い(見方を変えればあるかも知れない)
とくに、巨人が居たとしたら、いつ頃現れて消えたのかさっぱりだ
巨人の骨が出土しても
洞穴壁画の存在との絡みを説明できない
(なので、謎の比率として成立しやすい思考が選択されてきたように思われる)