記稿.2023/08/10
> 競争においてヒトには二つの選択肢がある
> 組んで甘い蜜を目指す道と、組まずにぼっち好き放題に進む道だ
‥まず、ヒトは競争の前に自分のしてみたいことを持つ
その「してみたい」だけで生活していけるならそれはそれだが、大抵はそうでは無い
好き嫌いに激しければ、悩ましさを抱えながらだし
創意工夫をこらせば躱せる事でも、依頼通りの下手に謙るのもオチだろう
自分一人で全てをやらないとならないともあれば、それの取捨選択で損にもなる
だから、大抵は、組んでやることでその手のリスクを減らそうとする
だが、組んだからには、売り上げるべき必要は倍になる
少数精鋭なら、さほどにブレないにせよ
規模が大きくなるほどに勝手も意見もままならなくなる
それどころか、乗っ取られていたりすると、辞意も絡んでくる
> この中身・流れを声援に置き換えてみよう
ぼっちで頑張ると、声援される比率は、とてもまばらで貧弱だ
組んでやると、誰かしらの声援が束なるので、直に自分が該当から外れていようとも
チームやら組織での声援になるので、その点では孤独感に苛まれずに済む
だがしかし、チームやら組織に存続できるか否かは別だ
結果を出さなければならないのは、ぼっちで声援が無いのと同じぐらいの辛さがある
> 問題はここからだ
声援する方としては、能力の有る人も不足気味の人も同じように
チームやら組織やらで声援できるので差別感から遠のく感触を味わえる(公平感)
なので、無駄にぼっちで頑張る人を扱うとなると途端に、それ以外との差を突きつけられるのだ
すると、どこかでオンリーな声援を為なければならない自我に戸惑い始めだす(不公平感?)
声援を送る送らないは自由、さしてこだわっているつもりなど無くても
続けやすい声援と、続けにくい声援とが脳内で発生してきたわけである
(陽キャ・陰キャにこだわるようなタイプの頭の中みたいな)
> その不特定多数の善意を前提にして、依頼もされていないのに傾向だからと思いこみ
> 自分は良いことをしているなどと言う妄想をやらかすのも、ぼっち色とした傾向だったりする
> (モチベ上げたくて、てめえの仕事馬鹿を都合の良いように解釈するあるあるパターンだ)
‥ちゃんと需要確認取らないやらかしは、その手のぼっちと同じ
だがしかし、その辺の根回し馴れしているタイプを有能と思い込むのもぼっちと同質だ
だがしかし、根回し馴れしているタイプが居ると任せてしまうのも世の傾向だ
そしてなぜか、根回し馴れしているタイプほどプライドを持ち出す口だったりする
(&てめえが下手を放いたことには黙ったちゃんやらかすどえす)
(結果、誰かにツケが回されるどえむ)
(その時、陽キャ・陰キャとした思い込ませられる土壌があると)
(特定のタイプに責任を押し付けやすくなるどえす)
> 声援しやすい・しにくいとした脳内公平感こそが、不公平感の源だったとも見立てられるどえす
> (そもそもが派閥向けの声援だから、声援自体が、国境圧・村境圧みたいなもんなんでしょうな)
‥通常、ぼっちは、それの圧が苦手なので、ぼっち上等になるどえむ(どっちもどっち)