↓1)記稿.2023/04/12
> 宇宙の取りまとめ役側の善悪観の許容を超えた悪辣が邪悪、許容内ならスルー
‥すると、インテリ風情な連中ともなると
どこまで自由勝手をやらかすかというと、述べるまでも無し
そこそこの上の方から順にギリギリをやらかすばかりだった
(地上での椅子取り競争のそれの腐と同形だった)
中間からそのような空気を醸し出すと、上層部にしたってなあなあを様子見せざるを得ない
だがしかし、上層部にしたって、そのままにうっかりしていては、実験も糞もなく染まりかねない
(それが、地上の人間の程度ということに成るばかりだった)
> だが、仏陀のような存在がぽっと誕生したりすると、取り扱いはさらに悩ましくなるのだろう
> (このままでも結構イケちゃうんじゃねぇみたいな)
だが、宇宙は仏陀のような存在をポンポン誕生させたいわけでは無いらしい
地上世界に未練がない連中は、どうしたってやって来ないし、降りてこない
(悟りを求めた果てにある個体の姿とはそういうものらしい)
なので、悪辣さを抱え持った同士で何やらやらされているのが、地上とした模様らしい
悪辣さがあればこそ、実験に踏み留まれるのなら
上にしたって、実験担当にしたって、正義ぶって説くなんてのは野暮なだけだ
> だがしかし、悪辣さに未練の薄い連中は
> 愚直に真面目にやろうとばかりに、仏陀方向に感化されるわけだけど
> どうしたって、苦手なことはやりたくないとした悪辣さを、克服せぬまま抱え持つ
(己の苦手を克服しようとは、なかなかに思い至らないらしい)
(手本の釈迦にしたって、外面の布施スタイルとしては、王族気分の延長そのまんまだった)
最終的には、人をどう動かして、どう扱っていたかという中身だけが残る
それのほとんど多くが、苦手を丸投げして、搾取たる流れに落ち込むわけである
(俯瞰して眺めた時、どれもこれもどんぐりの背比べにしか見えてこない)
> だがしかし、それら多くを逐一否定しているわけでは無い(難しいからね)
‥そのような逐一否定したき根性を保っているのは地上の側ということになっている
仏陀に感化されて、知識生かじりな連中が椅子取り競争の都合から
無駄な知恵を巡らして揚げ足を取ろうと‥いい人気分で言い合っているという悪辣さがそこに在る
(宇宙の実験は失敗の連続だった、地上世界にしたってそれのフラクタルだった)
(いい人気分で語ろうが、具体案を欠いていたなら只のポーズだけでしかない)
(「毒なら食べなければ良い」釈迦にありて、凡夫の側に無いのは単純にそれだけくさい)
‥まぁ宇宙の取りまとめ役側の要望など誰も知らん
降ろされてあるような無いような、うすらトボケな解しか見当たらない
難しく語れば「八正道」、簡単に語れば「地に足を付けて生きましょう」に集約される
(すると、想定されてある人間としてのパフォーマンスが自ずと発揮される仕組みらしい)
(助けあえば尚のことらしい‥)
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