2023年01月30日

【是論】資本主義の斜陽と欠落とベーシックインカムだけでも代替不能‥なので

↓3)記稿.2023/01/30

> 資本主義の最大の欠陥は、殖やしたい願望のスパイラルに填まることである
>(その殖えていく上での論理を、多くの人達がそれほどに理解していない事も問題だ)


 まず、市場が成長するには何かしらの投資が必要だ
 それは、誰かが新しい産物を生業にし始めるに等しい

 それでも、物々交換が行われている限り、すぐには貨幣不足には陥らない

 だが、換金のみで、物々交換をしない世界での投資の積み重ねはそうではない
 資本家が金利を要求せずとも、返済を要求せずとも
 新たな産物に利益が付いて回るなら、それだけ、市場に出回るお金の循環は鈍くなる
 なのに、新たな産物を次次と興し、其にお金の流れが次次と変動するならば
 それこそ慢性的に通貨不足たるデフレを創出し続けるが如しだ


> すると、新しい産物を投入し続ける産業形態を保つには
> 市場には、常にそれの成長分の通貨を投入する必要が生まれる


 だが一方で、新しい産物やらサービスの誕生の煽りを受けて衰退する産業も発生する
 顧客の注目度が等しくあろうと、無い袖は振れないわけだから二択三択から選ばざるを得ない

 其を競争と煽り、且つ、勝つ為に宣伝が欠かせないわけだが
 宣伝をすれば、そこにも新しい産業が分化して発生するのだから、通貨不足に絡んでくる
 だがその時、「宣伝」とは何かと問うなら、非生産業の一角だ
 そのような非生産業の派生の勢いが大きくなると、通貨の動きはより複雑さを伴い緩慢となる

 (詰まるところ、お金が余る力点が従来とは角度を変えて発生していく流れを生み出す)


 ‥とくに、経費に小さく、生産物を生み出さない側にお金が積み上がるばかりなら
 ‥一次産業は良いように牛耳られるばかりだろう
 ‥自然災害によるリスクに見舞われづらい産業構造と見舞われやすい産業構造で
 税率が同じなどと言う事自体がとても不公平であることを問わないのだから糞畜生だ
 ‥停電すればどこも止まらざるを得ないにせよ、一次産業ほど天候不順の影響は甚大だ
 (それのリスクをどうにかする為の政にあるはずなのに、そのような貌はどこにも無い)


> インチキ金融学では、それの通貨不足分を発行権とした立場から貸付にて補っている
> とくに国債はそれの中核を為している
> だがそこに見られる裏付けとされた経済成長率とは何か?と問うなら
> 貸付に生ずる勢いでもあり、自分たちがそこから得られる取り分量の示唆にある


 通貨が不足するからこそ、補う為に貸付け続けたいとした金融業の夢(インチキ)は
 回収することを意図しても居るのだから、いつまで経っても不足を解決することは無い
 その上、上から目線で金利を貪るのだから鬼畜生だ

 そこで、通貨不足を補う為にも、インチキ(錯覚)が求められてきた


 ‥まず、古い産業を潰していかなければ到底間に合わない
 其を効率やら改善と喧伝し、売上を伸ばす為の大前提に洗脳した
 さらに、雇用拡大などと尤もらしいことを謂いながら
 その実、片手では握りつぶしても来た
 (結果、古からの伝承を破壊して、投資家然とした環境を引き寄せてきた)


 ‥何かしらのバブルを編みだして
 通貨量供給過多になりがちな流れを相殺するのだ
 その為にも、よりお金持ちになることこそ幸せの最大条件と洗脳した
 (結果、人々は負債券でしかない株に群がり、稼いだお金の流れを緩慢にさせている)

 (‥異世界の貴族が太っ腹なのは、株式が無かったからだ)
 (それの株式相当分のお金が有り余っているというか、代替できる利権を持っていた)
 (その場合、利権を手放さずとも商人に貸付て、管理分を分け合うなんて事も可能だった)

 (地主が地権を手放さずに、土地を貸し付けたり、物件を建てて貸し付けるのと同じ阿吽だ)
 (そういうアバウトとしたカネ要素が、現代金融では、すべて時価比較にて市場に注がれる)

 (細かく数値化された銘柄の見比べは、色めき立つに十分であり)
 (トレードされたお金が市場の外に出るには、勝つことが重要で、塩漬けや損切りは避けたい)
 (それの優位不利としたタイミングを推し量る為にも、市場からお金を出すという感覚の方が薄い)


> それらを異世界に例えるなら
> 領主の持ち倉には、穀物やら資材が有り余っているのに
> ストックばかり殖えて行くにも関わらず
> 投資に勝つにはまだまだ足りないと叫んで、民に増税を要求し続けるようなものだ
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:39 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年01月28日

【是論】インチキ金融学からの脱皮に必要不可欠な決断

↓4)記稿.2023/01/28

> インチキ金融学とは、派閥としての利潤を追いかけるだけの貸付学問である
> 現代経済は、そのインチキ金融学に基づいている
> 知ったかぶった見せかけのお金の在り方ばかり教え込むのは
> 戦場に必要な銃火器の取り扱い方を説明しただけで
> 平和に至るまでの道標を示していたわけではない


 ‥かつて江戸時代において
 武士の時代は終止符を打ち、商人の時代が幕を開けていた

 自分たちが平和を求め、奪われない為の天下二分の争いを為した結果

 勝ち組が決まり、戦が御法度になると同時に、武士に残ったのは領主権限だけだった
 だろうとも、兵站ノウハウまで失うわけには行かなかった
 何だかんだと西国方でもぞもぞと形にして残したのが大坂での米相場だったように見受けられる
 だがしかし、酒田の豪商に籠絡されたようなオチだった


> つまり、現代経済に欠かせない搬送ノウハウが
> かつての兵站ノウハウのなれの果てだとすると


 それは、大企業間での利潤追求には適切かも知れないが
 世界的な口糊を満たす為の仕組みには成っていない
 (領民から掻き集めてやらかしていたのが戦争であり、兵站だったなら‥その程度でしかないのだ)


 ならば、平和への道標を得るには
 それら権益をも手放させるのが筋に見えども、さてさて一体どう管理されるべきだろうや?
 打倒発行権諸々を唱えようとて、その辺りの思慮を誰も論じないのではお話にならないのである
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:25 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年01月25日

【ツッコミ隊】自由を正しく解析すると格差上等に陥る

↓1)記稿.2023/01/25

> 好き嫌いに理由は無い
> むしろ、取って付けたような理由なんか後からいくらでも壊れる
> (後で壊れるぐらいなら、始めから無用なのだ)


 ‥だがしかし、そこに見られる好き嫌いの多くにしても、只のなんとなくでしかない
 只のなんとなくでしかないはずのそれに
 人類の多くが、オリジナリティを見出さんとしてすがり込む


> 自由を求める本質こそ、オリジナリティの創出にあるのだろう


 ‥だがそこには怪しさが付きまとう
 気に入ったか気に入らないかには、概ね、流行り廃りが付きまとう
 それは本当の意味でのオリジナリティたり得ない

 だが不思議なことに、大衆の多くは、それでも満足げだったりする

 そのような流動性を見せるお気に入り観こそが人類独特の特性だとすれば
 それはそれで一つの個性群たり得るのだろう

 だが其を「自由」とした言葉では誰も飾りはしないのだ
 其は通常「収集」と表現される


 ‥収集なる多様さとしての部分的な在り方を
 オリジナリティの創出として思い込むのは勝手だが
 大抵のそれは流行り廃りのどんぐりの背比べにハマりがちだ

 とはいえ、商う方としては有り難いことなので
 それをもひっくりめてオリジナル群として称するのもありだろう

 だが買い手の反応が、常に、定番たる誰かの創出を高評価しているわけでは無い
 そこはやはりシビアに流行り廃りに流されてもいるわけである


> それもまた自由だからという見方にもなるわけだが
> 人々の収集欲に流された創出には、すでに本来培うべきにあったオリジナリティとした影は無い


 ‥明らかに流動的なスタンスに堕ちたそれを、どうして「オリジナル」と呼べるだろうや
 理由として、あれこれ足せば流行りに乗れるからとしたオチがそこに在ろう

 それら多くの実は「迷い」であって、自由とは掛け離れてある

 「オンリーワン」と「ナンバーワン」との違いがそこにあらむ
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:12 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年01月23日

【ツッコミ隊】集中力環境の格差という悩題

記稿.2023/01/23

> 人生とは実死訓練である
> 訓練であるならば、本質的な死滅には至らない


 然れどゲームのようにリセットが利くわけでは無しに、結末はいずれ訪れる
 だがしかし、実死訓練である事を理解できたなら、結末に然したる意味ぞ無し
 それこそ、次の転生目標とすれば良いだけの話にならむ


> では、何の為に無理ゲーのような修行のような厳しい訓練をせざるを得ないのだろうか?


 それは、宇宙が育つ為には、マインドからのエネルギーが必要だからだという
 とくに感情エネルギーはそれとして用意された下りらしい

 だが、私たちにとっての感情とは
 集中力を高めて制御することに、パフォーマンス発揮の道がある‥そういう理解だ

 感情のそれぞれを人生の調味料として捉えようとも
 剥き出しのままに価値が有るようになどとは捉えていないのだ


 だから、集中し得た時の感情をどのようにあるのかと問うなら
 例えば、ゼロ・エネルギーと称するような感情ゼロを意味することにならむ


 感情エネルギーを発電装置などと、もて囃そうと
 結局の所、色の付いた感情からのゼロ転換にこそ意味があるのだ

 つまり、ゼロ転換し得るマインドの確保を要求されていると言うことになろう


> 当然それは、個々の制御下に置かれるのだから、誰のモノにも成りはしない
> まさにそこにこそ、汝自身の湧きいずる力の源がそこに在らむ


 ならば、私たちの多くが、幸福々々と、特定の偏った感情を推してある状態という奴は
 かなり間違った幸福観だった‥燃費の悪いエネルギーの使い方だった‥

 事実、結果的にも、特定感情を競うように貪る世界はマインドが怠惰になりがちだ

 当然、マインドが怠惰な宇宙には、それなりのエネルギーしか蓄えられない
 不老不死に至る程の情勢には成りえない

 ゼロとした道に至る為にも、止め止めもなく鍛える必要が生じていたとも映ろう‥


> 否否否、私たちは其のゼロ転換を悟りなどと宣ってきたわけだが
> ゼロ転換し得る憧れを抱き挑む者ともなると、まぁ少数派だ‥


 ならば、多くの者らは、偏ってある色の付いた感情をゼロ転換できなくても問題なしとした集群だ
 そのような中途なままの感情は、一体全体どうなるというのだろうか?

 どうもこうもない、それが格差社会とした写し絵と言うことに成る

 そのような世界では、汝に湧きいずる源を誰かの為に差し出さなければならない状況を演出する
 そこには、意見のそぐわぬ案に従わなければならないという妥協が付きまとおう

 結果的に、集中力を欠くことになる
 (もしくは、何かを捨てて集中に投資せざるを得ず‥)

 それでは、いつまで経っても
 ゼロ転換に至ることも無ければ、ゼロ転換の先を知ることも無い
 とても狭い視野にて、努力という形を強いるばかりだろう


 一方で、同意する者には、ゼロ転換が多少なりとも訪れ、できかねる者には訪れようが無い
 (其を能力主義と賞賛してきたというだけの話だ)

 ‥何かを捨てざるを得ない事に躊躇しなかった輩の戯れだった
 ‥そもそもからして優しくなんかない集群だった
 (其をインテリなどと呼称していただけの話だ)


> 謂わば、集中力環境の格差を発生させているのに、問うべき視界を持っちゃいない
> 斯様な意味でも、未だ私たちは、とても非効率な集群に置かれたままだ


 それは、いつまで経っても短く死を迎えざるを得ない形態を選んでいるザマだ
 さらに、次なる人生での目標も、ゼロ転換になど無く、数値の善し悪しとした範疇だ
 (なんというザマぁだろうや)


 ‥ゆえに、人生を謳歌するとは
 訓練生から卒業して、己の集中を発揮しうる段階を指す
 ならば、訓練生のままなら、人生そのものを素晴らしいなどと決して語れる段階に無し
 (歯を食いしばるよりも先に、集中し得る状況を自らに持ち込もう)

 ‥自分が一番に集中できうる形とは何か?
 ‥自分たちが一番に集中できうる関係性とは何か?

 (其を問わずして、幸福なんかありゃしない、あるのは降伏感ばかりだろう)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:18 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年01月21日

【是論】一万円札の重さは1g

記稿.2023/01/21

> 七〇億人に一億円を配ると


 1千万円 → 1キロ
 1億円 →  10キロ 
 10キロ×70億‥70、000、000、000(7千万トン)


> 7千万トンがどのぐらいかをググってみたら

https://www.aviationwire.jp/archives/249763
 国際航空貨物累計取扱量7,000万トン達成! - 成田国際空港
 開港から43年11カ月で達成
https://www.naa.jp/jp/docs/20220415_kamotsu7000manton.pdf
 国際航空貨物は、開港した1978年5月20日から取り扱っている。
 7000万トンを突破したのは4月14日で、43年11カ月での到達となった。

 累計1000万トンに達成したのは1991年1月で、開港から12年8カ月かかった。
 2000万トンに達したのは1997年10月で、5年7カ月で1000万トンを積み上げた。
 5000万トンは2012年12月に、6000万トンは2017年10月にそれぞれ達成した。
 6000万トン到達から4年6カ月で1000万トンを積み上げ、7000万トンを突破した。


> お金を航空貨物に例えて運んでも、こんなに時間と手間が掛かるというわけですね
> (お金何だか、荷物何だか判んねぇぐらいの重量感ぱねぇ)


 ‥是からも判るように、為替にしたって
 現金としたお金を、実際に運んでやりとりしているわけではございません

 ‥そこはもう帳簿信用で計算して精算するわけですね

 刷られているお金は、あくまで、日用活用量分だけ
 それの活動枠で困らない予備を日銀なんかにスタンバイさせているだけ

 (飛行機でその程度なのだから、車の数足しゃもっとイケるなんてツッコまないように)
 (そもそも、一万円ばかりじゃ無いんですからね)


> と言うことで、なにが言いたいのかというと
> ベーシックインカムを紙幣やら硬貨でやるのはスマートじゃ無い(明白です)


 ‥これは、何であれ紙の通知を配るにしたってスマートじゃ無い
 なので、個々に電子メールを配って(プリペード・メール)
 そのメールには、個々のマイナンバーごとに個々のログインパスが記されており

 それをクリックすると、スマホにインストールチャージしちゃうなんて感じが
 一番にスマートに思われるわけですね

 メールのログインパスをクリックしない限り、盗まれることは無いのですが
 クリックに締め切り(時効)はあるかもですが
 (スマホが壊れたりすると意味ねぇってところが悩題になってきます)


 ‥なので、メールを受け取るスマホと
 チャージする為のカードを別にして
 インストールチャージする際に、スマホにチャージ確認のプリペード・メールが行き
 その受け取ったメールのインストール確認ボタンをクリックすると
 カードにインストールチャージされるなんて案にもなってきます
 (でも、こちらは、チャージする際の装置に列ができかねないわけですね)



 ‥なので、差額少額のプリペードカードもとい電子マネーカード(磁気式)を送って
 それをカギとして
 インストールチャージをスマホでできるように対応する暗号部分を読み取って
 対応する番号の処理を行い、本体となる金額分のチャージを一括または分割で
 スマホ内のベーシックインカム専用システムにインストールする

 まぁこの時、メールに見られる完全自動制御配信とは異なり
 送付する際に、対応すべき番号と送付先を手違いしかねないので
 対応する暗号とて、特定に定められたやりとり入口の正規認証までに絞られ
 対応する番号とスマホとの管理構成は、個々でインストールの際に行われる方式になる

 インストールに締め切り(時効)は伴いますが
 (差額少額のプリペイドカードに期限は無いとすると、へそくり代わりにもできるわけですね)


 ‥まぁこの案では、差額少額のプリペイドカードを使用する際に
 対応するスマホやら認証が求められるところに成りますが‥
 (これに限り、ATM風に現金におろして利用するのも有りとするのが判りやすいですが)
 (サービスとしては、そのまんまどこぞのプリペードカードとしてもチャージできたら需要も)

 (もしくは、どこぞのお店のポイントに変換できるなんてのも不可能とは思いません)
 (まぁこのパターンだと、スマホに丸々入れてしまうのとあまり変わりませんけどね)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:49 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年01月17日

【ツッコミ隊】てめえが自由主義のくせに贔屓は駄目とか矛盾な件

↓4)記稿.2023/01/17

> 自由主義なんだから選ぶのが贔屓でも上等だろう
> なのに、なんで公平にやるべきであるとか‥片手で論じ合うのかとても謎‥
> 今回は是についてツッコんでみたい

 (金持ちで育つボンボン程、みんな好き勝手やってるんだからと思いこみ)
 (社会現象のそれのすべてを個人の選んだ自由の結果とすり替える)
 (データを並べようなら、まさに是だろうとして、どや顔で迫らんばかりだ)

 (だがしかし、選びようが無いから一択と言う不自由さなど微塵たりとも思考の隅に無し)
 (だがしかし、選びようが無いから一択と言う不自由さなど微塵たりとも思考の隅に無し)
 (子育て問題はとくにそれ)


> そんなこんなで、ツッコめばツッコむ程に
> 【鏡似性】自由主義こそ恐怖政治の入口なり
> というタイトルに改変したいところなのだが‥まぁ掴み難いので止めましたん‥


 ‥先にポイントを述べておこう
 自由主義なんだからの代わりに、資本主義だからとなると途端に効率正義にすり替わる
 これは一度身に付くと本末転倒でも採用されるという代物だ

 ‥例えば、コオロギの飼育箱の管理温度が30度になると成長がとても早い
 じゃ、30度管理でという話にもなる‥
 肉をGETするのには適切でも、エネルギーコストともなると
 「カーボン減らすんじゃ無かったんですか?」って論点ですれ違っている
 まるで危険な債券でも切り刻むから大丈夫、でも結局は全部ばら撒いてました(リスク100%)


> コオロギ箱の数を増やしていけば、同じだって事に気が付かない
> 何を好き好んで、コオロギに切り替えようとまでしているのかまるで無知無能


 (攻めるべき論点がとても謎‥大量生産発想のままならそりゃ過剰生産思考のままだろうz)
 (やるからには市場を牛耳ろうでは、同じ顛末しかもたらさない)
 (必要量以上は育てないとした発想も宣言も取決めも無しと来たもんだ)
 (コオロギに切り替えるメリットって、つまりそこでしょうに)


 ‥自由主義なんだから、椅子に誰を選ぶかは、それこそしらふの気まぐれでも酒場の賭けでも好い
 この場合、誰がどんなに努力しようがなんの根拠にもなりえない

 一方の共産×社会主義ともなると
 頑張ろうと怠けようと給料は一緒、でも、普通に思考をする限り
 真面目できちんと作業をこなせてしっかりできてる順に椅子に座る事に成る(ここ重要)

 この場合、努力をすることの意味とは、それこそ個人の自由といえる根拠たり得る
 この場合、努力をすることの意味とは、それこそ個人の自由といえる根拠たり得る
 (儒学にメリットが有ったとしたらその一点に尽きる)


> だがしかし、時代は椅子ですり替わる


 椅子に座る側が老いても真面目かどうかと言う点において、どちらともに怪しき理論の外だ
 なので、椅子に座る側からすれば
 自分の悪徳さにも目を瞑ってくれる聞く耳を持つ輩を、次の椅子に推すに違いない

 この点において、どのような主義主張を社会が推そうと元の木阿弥だ
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:43 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年01月11日

【ツッコミ隊】持てる者と持たざる者を結ぶそもそもが無い程にか細い

記稿.2023/01/11

 持てる者は持たざる者を、疫病神か貧乏神の扱いをし
 持たざる者は持てる者に憧れはすれど、どこか憾んでいるし、怨んでもいる

 皆、盲目的に、国がどうにかすれば良いとしているにしても

 それ自体が持てる者の側の言い分で、持たざる者の意見など無用のどや顔で
 すべて物事を勝手に‥もとい、やってる感を演出しつつ進めているだけだ

 結果

 いつまで経っても予算が、足りない足りないとアル中か薬中患者のようだ
 まるで、吸い上げたくて吸い上げてるつもりが
 成績欲しさに、貧乏神を飼いならしたつもりが
 いつのまにやら、自らが疫病神と化したかのようにも見える
 ‥もとい悪魔か‥


> 競争社会のそれにしたって儲からないことには誰も手を出さない(人柱上等)
> 挙げ句の果てが環境問題だ


 環境の悪化に巻き込まれれば、持てる者とて持たざる者に返り咲こう
 それでも、自らを高貴な生まれだとして振る舞えば万事OKなどと思っているのだろうか?
 それこそお花畑脳として極まっている(天然とは貴方のことです)

 自分らがそうならない為にも、持たざる者から吸い上げようとするのだから徹底している
 ‥この悪魔らが‥

 それが挙げ句の果ての商いに見られる貯め込み症候群だ

 実際のところ、保障なんか無いも同然だから、上から下まで頑張って溜め込もうとする
 なのに、今や丸裸にしてやろうとして、IoTを撒きしらしているような有り様だ


> だがしかし、持たざる者に支援するにしても報連相とした情報の往き来は欠かせない
> だがそれは、吸い上げる為であり、セーフティ意図など微塵たりとも感じ得ない
> だがそれは、命より贅沢に価値が在るべしと誰しもが思って来た形としての太鼓判だ


 ‥誰しもに分け隔てなく平等に繋がれることこそ贅沢だとした概念がそこには無い
 ‥誰しもに分け隔てなく平等に繋がれることこそ贅沢だとした概念がそこには無い
 ‥誰しもに分け隔てなく平等に繋がれることこそ贅沢だとした概念がそこには無い

 (日本人にだけに宿るそれくささを感じては、お花畑とか言っちゃてるのがグローバルだし)
 (それな反応をするグローバルの方こそ多数派なのだから正解だと思いこみ)
 (日本の方が不可解しい改善すべしとして扱い出すのは、まさにお花畑と言わざるを得ない)


 ‥そんなこんなで、不思議なことに、多くの者は


 仲間内だけでの贅沢に囲まれてあることを幸福だと思い込んでいる
 仲間内だけでの贅沢に囲まれてあることを幸福だと思い込んでいる


> だが、良く考えてみよう、それとした贅沢の本質ってなんだ?


 今風に極端に表せば、蓄積されたデータベースにアクセスできる権利の取得だ

 どう考えたって、そのような解釈には、競争社会の格差やむなしとした思考があり
 結果的に、選民思想とした思いこみが植え付けられてある

 (そもそもにして、競争主義には、勝者としてのご褒美があるべきだと思っている)
 (だからこそ、足を引っ張ってくれるなよとして、貧乏くじ臭い関係を拒絶している)
 (つまりは、毛嫌いも含めて相容れぬ者には、敵とした概念しか持ち合わせちゃいない)


> そんな「死ねば良いのに」お互い感情を、ぶっちゃけた言い表し方に当てはめるなら


 ‥敵が居てくれることこそが救いであり、倒すことは至福である
 まさに仮想敵を葬るまでの過程こそ幸福の創造なのだ

 と思いやらかして来たわけである


 ‥そのようなキチガイ脳はさらにこうも思って来た


 汝に敵をお与え下さい、汝に災難をお与え下さい、さすれば神よ
 貴方さえ敵となり、貴方を討ち倒すことこそ我が悲願、貴方の椅子こそ我が至福

 という幸福の創造観だったくさっっ


> 拝金競争こそ悪魔教
> 貯蓄したい×好き嫌いしたい願望こそ「幻惑×魅了」魔法だったとかなんとか


 まずは、目を醒ますところから始めないと何も始まらない(残念)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:57 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする