2024年12月31日

【ボケて痛っ】親世代群の背中が‥ダサく‥見えてしまう世の都合×社会体制なんか糞(総論)

↓3)記稿.2024/12/31

> なぜ、結婚しなくなったのか?
> なぜ、継がなくなったのか?
> なぜ、第一次産業から衰退してしまうのか?


 (それは、日米合同委員会(横田幕府)が絡んだ‥そういう段取り政策ありきなわけだけど)
 (お陰で、親、親世代がダサく見えてしまうのら)


 ‥それでも、親が、親の世代が‥ダサく‥見えてしまうのは
  戦後から逃げ込んだ先が、自由主義だったからでもある

  その結果こそ、親世代がダサく見えてしまうと言う空気なり!風潮なり!

  何はともあれ、自由主義の本質こそ
  旅の恥は掻き捨て→人生の恥も掻き捨て→何でもかんでも使い捨て‥とした風潮なのだから

  その背中がお寒く見えちまうのは流れと言わざるを得ず‥‥


 ‥ダサく見えども、背に腹は代えられぬとして、自由主義に逃げ込んだとて
  結局は、メッキが剥がれて、どんどん閉塞してしまっており
  やっぱり、地味でも田畑持ちが一番だ‥とかなんとか

  (でも、一度身に付いたバイアスは、早速に剥がれ落ちるなんてことには成らん)


> じゃ、なぜ親世代からして自由主義に逃げ込んだ後に、閉塞だらけなんだ?


 ‥そりゃ述べるまでもあるまい
  自由主義なんざ、総一億の駆け込み寺に非ず、インチキな金貸し×博打小屋だった
  其を資本主義と呼ぶわけだけど

  金融からお金を借りて成功できる確率は、お金の蛇口の開き具合に比例する

  バブルが弾けた後に、その蛇口が閉められている割りには
  空前の異次元緩和として貸付査定は緩くなっていたりするわけだけど
  個人ではそうでも、全体で借りる比率が下がっているなら閉められているも同然なり

  (借りたって、その先が無いと知れていれば、わざわざ借りてまで頑張る方が謎に見えり)
  (日銀総裁の腕試しも糞もねぇ)

  そこに来て、相も変わらぬ相続税やら資産税が上乗せされるんだから

  景気の良い時に築いた財としての家屋だって、オンボロになって手放す頃合いで
  二進も三進もいかない様な選択支しかねぇと来たもんだ

  (幸福の創造とはまさに、老後に財産を手放さざるを得ぬ降伏の創造でもあった草)
  (多少は賢さを身に付けんと勉学に励んでも、持続性はゼロのお寒い事情だったなり)


> 「学問のすゝめ」とて‥お手上げみたいなすったもんだの社会オチ
> (まさに一万円札の流れの如しで、象徴的すぎゆぅううう)
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2024年12月26日

【ネタ文学】陰謀論の定義とは?

↓3)記稿.2024/12/26

> 悪意は存在するし、悪意の存在性を誰も否定せず


 ‥だがしかし、悪意の度合いになると個人差が生ずる
  例えば‥イジメはあるあるなのに
     ‥ショッカーの様な組織なんて存在するわけねぇ‥とかなんとか

    ‥派閥による三権牛耳りを為してる段階で、三権征服だよ(民主社会も糞もねぇ)
    其れに自惚れてる派閥構成員の中からハラスメント事案は起きやすい
    それで、増税の更新ばかりともなれば、上から順のイジメ社会じゃねぇか

   (やりたい放題を目的としたショッカーとの違いが、暴力の是非ぐらいなもんさね)

  と言う所の差をスルーしてるかしてないかが、今や陰謀論の是非とした対立になっている

  どうにも各々における悪意想定の度合い差とは
  格差社会に対する感度の差でもあり、もとい競争意識に対する意識の有り様でもあり


> どんな卑怯な手を使ってでも手に入れたいと思ったら、それは陰謀へと拡大せり
> 普通に考えられる陰謀論とはそういう定義なり
> (なら、嘘を隠蔽して政をしてりゃ、片足半分陰謀含みなり‥それが与党群なら尚更‥)


  陰謀論を個人の欲望に対して使うことはほとんど無いが
  大組織下、大派閥下での世界征服願望とした下りがあるなら、もはや決定的なり

  (それでなくても業界シェア第一位を目指すなら、類似せるゴリ押しありきなのら)
  (データ改竄を陰謀論に含めるか否かとした中身でもある)

  つまり、大組織下での悪意の存続性を(三権征服とした願望)
  肯定するか否定するかの気持ちの差の現れが、陰謀論の是非とした解釈の差になりにけり

  (三権を我が物にしたいと思う趣旨自体が、民主社会に喧嘩を売っているのに)
  (なぜかそこの発想をスルーするんだから、歴史から何を学んでいるのだろうか??)


> 持論としては、格差社会を克服できぬ世界観なら、可能性はゼロでは無い
> その手の世界では、派閥勝手に偏り、利益にならないことは先送りありきだ


  ‥其は民主制度を最もな顔をして謳うも、それの矛盾故に、無力無能とした悪意にも見えり

   例えば、シェア拡大願望の行き過ぎによる手の引き様の無さは集団心理からになるも
   其は、自ら先に手を引いてしまったら、大損に繋がりかねないとした妄想に覆われた世界なり

   すると結果的に、負けず嫌い群による環境破壊がすすんでしまうのだ(結果悪意なり)

  ‥だが、その手の思考群からの経過や結果を見たとて
   悪意として扱わない向きもあるのだから、結果悪意は肥大化するばかりなり

   すると、割れ窓理論の見解からしても
   皆やってることだからとして結果悪意はいつまでもズルズルと正当化せらる

  無頓着な悪意同士が手軽に手を結び合うと、陰謀論とした規模へと進展しかねない
  特殊詐欺からの家屋侵入虐殺とか‥そういう感じにどんどん進展してしまうのら
  塵も積もれば「夢の島」のホイホイ出来上がりに及ぶのと同じなり


> そこまで行くこと自体が、政府機能の不能とした風潮だよ(矜持低すぎ)
> 宛にならない行政機関やら警察機能に何を期待できるんだy(民度&民意低すぎ)


  ‥情報の制限を誰しも嫌うのに
   なぜか、お上の放置プレイには耐久値が高いというのか、呆れるぐらいになぁなぁ群どえむ

  (是非のバランス感覚が悪寄りに麻痺して堕ちているからとしか思えず)
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2024年12月20日

【ボケて痛っ】純粋な意味での民主社会など有るだろうか‥もとい在り続けるだろうか?

↓3)記稿.2024/12/19

> 安住の地を求める少数の放浪人らが
> 特定の地で寄り集まれば、必然的にリーダーを決めることになる


 ‥その土地が安住とした要素に濃ければ濃いほどに、多数決は難解さを見せるだろう
  なぜなら方向性を得難いからだ
  水と食糧に困らず、外敵も居らず、好き勝手できる状況とはそういうものだ

  だがしかし、土地に短所が目立つなら、其を補える能力を有した者をリーダーにするだろう
  だがしかし、何を好き好んで短所の目立つ土地を選ぶというのだろうか?
  そこに腰を下ろしたというのだろうか?‥そこに見出したメリットとは?


 ‥逆に問えば、その土地の短所を補える能力の備わっている者同士が集った事に成る
  すると知らぬ顔同士なら始めこそ「どちらの腕前が達者か?」‥とした見方にハマるだろう


> さてお気づきだろうか?


 ‥その土地が安住とした要素に濃いとは、即ち、上流階級の様相だ
  お互いに好き勝手ができる状況なのだから、お互いで方向性を得難いとした空気に満ちている

 ‥一方で、短所を補わなければならない状況こそ「縄張り争い」とした様相だ
  そこに「どちらの腕前が達者か?」とした見方にハマるばかりなら
  民主社会として存続するには始めから向いていないのだ
  それこそ、単に縄張りを守る上でのリーダー選びに始終する所とならん


 ‥仮に其を科学力で補えた結果、お互いの縄張りを合併して存続を図る決を得たにせよ
  人口が増加していくほどに、科学力の不備が取り沙汰される所とならん

  すると、お互いに好き勝手できない状況に陥るとした方向色にて、行き詰まることになる


> つまり本来的な意味としての民主社会とは
> 平等に、公平に、取り決められた制限を受け入れるとした姿勢にこそあり


 ‥ところが、私たちの知る民主化とはそうではない
  自由第一とした方向性に帯びている
  結果、その手の自由を勝手やらかす為の多数決を見るばかりだろう

  (多数派色が少数派意見側の自由を奪って、僅かばかりの自由をさらに奪い合うのだ)
  (それもこれも、取り決められる制限を受け入れたくないとしたバイアスからである)


> ならば、始めから全体のことを考えずとも良いとしているのが、党閥制度下での選挙と言えよう
> 其は自由願望者が多数にて勝ち続けるなら、部分的に人権ありきと解釈したも同然なり
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【ボケて痛っ】部下の功績はなぜ上司の功績扱いなのか?

↓2)改稿.2024/12/20...2024/12/18...
> 貴族社会とした体裁上、指揮権は位の順にあり
> 結果、格下やら部下が如何様なる成果を遂げようと、其は指揮官もしくは上司の功績扱いになる


 ‥これは、貴族のお家の存続に絡んだ功績重視(貴族なりの公平概念)ゆえの伝統色バイアスなり
  するとどうなるかというと
  だからこその「人材合戦」と言うことに成らん(但しクーデターとした副作用ありき)

  当然ながら、その後継者に収まらんと欲する貴族の長男・次男ともなれば
  上からマウントを靡かせながら、忠誠心の度合いを推し量っているような空気に満ちる


 ‥民主社会の感度からすると、意味分かんねぇ扱いされる所だが
  お家の後継者を目指そうとしたら、そりゃまぁ‥その手のあるある空気に及ぶのだ

  結果的に、上からマウントとした性格が
  貴族の間で如何にも当然とした体裁を帯びるということらしい
  (其は、寄親寄子とした関係性からして帯びておる)

  で、一番の功績とされるのが「戦働き」とも成れば

  そりゃ都合の悪い政敵を始末できるという成り行きもかねて
  戦好きのリーダーには戦好きの部下が集まる所となり
  その集団組織が、上から目線ばかりの偏りを見せるのも当然草


> 魔法が使えない世界=魔物が存在し得ない世界とも成れば
> 尚更に人間同士での争いを想定せざるを得ず(身内もしくはお味方以外は全部畜生・全部敵)


 ‥斯様に考えると「貴族とは何か?」が見えてくる
  確かに一般庶民と較べれば、高い能力を発揮して、それ故に、政を仕切る体裁を担う役割草
  そこに貴族制も民主制も糞もねぇ程度の違いがあるばかりだろう

  違うとしたら

 「血統で指揮権を継承するのか」vs「多数決で指揮権を決するのか」とした差を見るぐらいだ

  (どちらにせよ、口約束では我慢ならんとした取引上の体裁に明文化が発達した草)
  (明文化して約束を確かにせんとて、小狡い性格は文章にも顕れて罠だらけだったりなのら‥)


> そもそもは派閥競争なのだから「飛び級扱いで成果を評価せず」なのも貴族文化からの倣い草


 ‥ならば、てめえ自身で、リーダーに成る気のねぇ性格なら
  誰の下に付くべきかは、自ずと見えてくる
  上からのマウントを見せていようと、地味に創意工夫を見せて思慮を重ねるタイプだろう

  (でもまぁそれの白黒を判断するには、どうしたって付き合ってみないと判らない)
  (同一人物にしたって、時期によっては全くの別人にも見えり‥‥とても面倒くさい)


 ‥さらに付け加えるなら、自己満浪費をせずに有効活用に柔軟さを見せるタイプだろう
  だがしかし、誰のための有効活用なのかで意見が割れるのだ

  そりゃまぁ組織構成員としては「我々に‥」とした思考に傾く
  その我々とした束なりをどう扱っているのか次第では、組織自体の腐の度合いにも繋がろう

  だがしかし、利益追求社会としたら、そりゃまぁ「ワンマン」に無ければ御の字だ
  だがしかし、其れに甘んじるのが日常なら
   経営側の組織構成員止まりとした見解ゆえの「上からマン」と化するのら

   外とのお付き合いやら、格下組織に対しての配分の公平に気を使うようにはなかなかに及ばず
 (まぁそうしたいからの醜態としての「ブラック企業」「非正規雇用」「中抜き」が登場せり)
 (合法とは思えずも‥みんなで渡ればグレーゾーン扱いと禍するのら‥‥)

  (とした流れからの勘違い新人の登場も有り得るという‥割れ窓理論おったまげ)


> そもそも、多くの人民は、配分されたそれをてめえの都合に注ぎ込むことしか頭にねぇ
> ならば社会全体で、それの入れ子式に陥るのも当然とした流れにならん


 ‥保守意識が強ければ、その浪費は偏りを見せるだろうし(丼勘定)
 ‥貧乏意識が強ければ、どうにもこうにも、溜め込むことしか考えず(ケチ)
 ‥そして困ったことに、洗練意識が性急すぎれば、ダサいと思ったらどんどん捨ててしまうのら
  (切り捨て上等)

 ‥そこまでになくても、たまたまの自分のミスを他人に擦り付けるなんて日常草(卑怯)
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2024年12月12日

【悩まCぃ】人口増から人口減へ其れ其れのローテーションと休日の変化

↓3)記稿.2024/12/12

> 戦後昭和の人口増は、円安×土地バブルに比例するのであって
> お金の貸付が、今時代の様な蛇口を塞いだままだと、ああは成らなかったはずである
> それはそれで「一億中流」などとした言葉が生まれる事も無く
> 当時の遠距離通勤化とした歯痒い格差とは違って、今時代風な諸々格差てんこ盛りだったかも草


 ‥まぁ物資不足であれもこれも欲しいとした情勢だったこともあり
  雇用倍増、休日返上とした空気に満ちていた
  その上、マイホームやら車やら三種の神器が欲しいとした「欲しい空気」に満ちていた
  (満員電車も何のその‥好い暮らしを手に入れたい‥としたそういう時代だった)
  (銀行だってウハウハのイケイケに成らざるを得ぬ情勢だったどえす)


 ‥バブルが弾けると、お金の蛇口が締められ、勝ち組と負け組に分かれた
  並びに人員整理に次ぐ人員整理の結果、下から順にローテーションと休日の在り方が変わった

  始めこそまだまだ正社員同士で回すローテーションありきの所‥
  次第に非正規枠が拡大していった
  (述べるまでもない、終身雇用概念が崩壊し、雇用経費削減時代への埋没だった)

  世界の工場たる日本の時代が終わった=円高時代の到来により価格競争力を失った
  (常に同じ枠組での大量発注があるとも捌けるとも限らず、在庫縮小が叫ばれた)

  (その割には不思議な事に、薄利多売商法がもて囃された)

  (どうして人はバブルになると大枚をガンガン叩く様に成っていくのだろうか?)
  (それこそ薄利多売商法に価値観を見出す所が無かったの如しだった‥)
 (やはり、世間的な差としては、終身雇用概念の崩壊が引き金になった‥としか言い様がない)


> 国内人口が減に転ずると、国内需要も縮小に転ずる
> その一方で多様化も進み、大量消費の在り方に激変が押し寄せていた


 ‥だがしかし、これの流れの多様化は
  ただ単に、終身雇用概念が崩壊した事による選択せざるを得ぬ形での自由化だった

  それは雇う方にしても同じで、そもそもは、多様化と言うよりは先行きが不透明なことによる
  成り行きまかせとした空気の方が濃いだけの溜息交じりの選択だった
  なのだから、自由化と覚しきほどの満足度(成り行きの見込み)を得ようと思ったら
  都市部一極化とした傾向を呈するのは当然の心理だった

  (謂わば平成より偏りが進んだ都市圏集中化は、中流意識を求めた国民側の意図だった)


 ‥そんなこんなの人口流動の結果
  時代は、大量発注をこなす為の残業から、少ない頭数で回さざるを得ぬ残業に転じていた
  当然、地域や雇用形態によりその差は様々だったにせよ、名ばかり店長が拡大していた

  大量発注をこなせば、休日はやって来るとした阿吽が途絶え
  何とかやり繰りする為の発注を少ない頭数でこなさざるを得ず、それが一段落したとて
  ローテーション人員が居ないなら居ないで、休日返上が延々と続くオチと化していた

  (薄利受注を理由に給料は上がらず‥‥給料を上げるなら人員を増やして欲しいの二択草‥)
  (給料も人員も乏しいままなら‥‥「せめて休みを寄こせ」とならん‥)
  (その手の願いは、客単価やら仕事量がどんどん不安定に落ち込むと強制待機としてやって来た)


> リーマンショックの流れで、海外需要が減に転じた
> 中華はまだまだバブルを演じていたが鬼城が目立っており、時間の問題だった


 ‥そこに諸々とした国内被災事情が絡み、もう何が何だか判らない先行きと禍した
 (出生人口は減少し続け、国内シェアは当然として縮小傾向に落ち、さらに多様化が進んだ)

  この段階になると多様化なんてまやかしで
  単に格差の裾野が広がっただけの結果で、求められるニーズのばらつきが拡大したオチ草

  (それはそれで‥どこもかしこも経営負担×労働負担にしか成らんのだから)
  (漸くにして、非正規雇用の拡大の行き過ぎに危機感を募らせる様になった)

  (いやはや、そうに非ず)
  (非正規枠を拡大することで、中間層適な多様化を牽制×抑制やらかしていた草)
  (そこまでしないとコスト削減できかねる風潮と禍していた)

 (其は都民の困窮ぶりからして罠の如し、都会に出ても中間層を目指すことからして怪しくあり)
 (わざわざ重税の追加払いを希望するかの如く‥「いざ都市部」とした風潮に堕ちている)
 (それが令和の益々の首都圏一極化くさ‥)
 (いやはや地方は地方で被災絡みだし‥‥まさに、誘導されてるみたいな‥) 


> 人工気象装置をそのように使いこなすとは、まさに安い雇用の囲い込みに追い込む為の罠の如し
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2024年12月05日

【ボケて痛っ】暮らしの中の善悪概念をモチベーションの変化に置き換えてみるべし

↓2)記稿.2024/12/05

> 人生の中の善悪概念をモチベーションに置き換えて振り返ると


 ‥其は単純に、てめえのモチベーションの上がる其れは正義にあり
  其れに有らざるものは悪にあり

  そもそもにして、自由主義とはそんなものであろう
  てめえの好き嫌いをモチベーションの上がる下がるに置き換えたような様なのら

  其を多数決とした見解で述べれば、攻撃性モチベーションへの警戒は高まり
  其を外して考えないのでは、生活における正義などどこにも存在しないに等しい


 ‥なのでまずは攻撃性モチベーションを外して考えるべきが
  日常を豊かにしていく上での物事の見方と言えようか‥‥


> では質問だ
> 攻撃性モチベーションを外して日常のモチベーションを保持できない割合はどのぐらいだろうか?


 ‥それにしてもこの問いは矛盾している
  なぜなら、てめえのモチベーションの上がることを正義に定義しておきながら
  周囲への影響、つまり、周囲のモチベーションの盛り下がりが多大ならば
  たとえそれが過半数の賛同を得ているモチベーションの高め方とて悪になるという
  多数決は必ずしも正義には成り得ないと説いたも同然だからだ

  其は、攻撃性モチベーションの描かれていないマンガ・アニメのタイトルを挙げて見よ
  と質問しているに等しい(タイトルの何%が生き残れるだろうか?)

  私たちの日常感(希望・夢・憧れ)とはザックリその程度なり


> では、攻撃性モチベーションとは何のためにあるのだろうか?
> 「上」を目指した所で「正しさ」を掴める道のりにあるとは限らない


 ‥そもそも、正しさを目指す者は、攻撃性を強要しないものである(むしろ避けるべきと説く)
  それは仏教からのうけうりである部分の方が大半に思うも
  それが東洋と西洋との宗教観の大きな差に思うも

  大半の者は、攻撃性モチベーションを抜きに人生を語ることが出来ない

  出来ないからこそ、文学表現においても「正しさ」を目指さずに「上」を目指してしまうのだ
  まさに「遭難したら山頂を目指せ」と言わんばかりに
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2024年12月04日

【ボケて痛っ】地獄に仏観vs人権論

↓2)記稿.2024/12/04

> 日本人の人権に対する気概とは、「地獄に仏」である
> 一方の西洋発祥の人権論のそもそもは、奴隷の管理の仕方ありきに思われる


 ‥「地獄に仏」を実現するには、各々が己の信じる道を進んで、世の為人の為を為す方向性を指す
  (備えが無いなら、日常の仏頼みからして頭から無理ッ)
  なのだから、主君と家臣の関係において不都合が出ない範囲で領地を活用せよ‥
  とした概要を構えていた‥

  それが、戦国から江戸の世に引き継がれた武士の仏教観だった事だろう


 ‥だがしかし、そのような視点から西洋発祥の人権論を問い出すと何かが怪しい

  そもそもの人権論のバックボーンにあったのは、産業革命の際の雇用確保だった
  その際、安い雇用で以て生産効率を上げていく為には
  どうしたって、奴隷階層を含めたすべての民衆に対して、社会教育が求められた

  &「どのような仕組みを採用すれば、彼らはその気になるのか?」とした思惑ありきだった


  ‥それ以前の奴隷概念としては
   人口そのものが少なかったのだから、奴隷人口の拡大からして課題があった
   中でも一番に手っ取り早かったのが戦争孤児のような孤児を救って活用するとした見方だった

   だがそれとて、実の子以上に愛情を注ぐ事など有るわけも無し
   (日本のそれにしたとて水呑百姓とした下層を形成するに留まった)

  その際に、彼の者らをどのように扱うかは、持ち主の自由だった

  それでも、世間で得られる奴隷の数が少なかったことから
  奴隷数を減らしてしまうだけの様な、杜撰な扱いは望ましくないとした見方は普通だったろう

  それにしたとて、それは規模とした概念から来るだけであって人権云々とした様相に非ず
  そもそもにして、奴隷の持ち主に無理強いも出来ないのだから
  「生かさず殺さず」とした合言葉の様な意味合いに留まるばかりだったろう

  なのだから、西洋に「地獄に仏」なんて期待感は皆無だった‥
  その代わりに機能していたのが、教会云々な表向きの慈善活動だった事だろう


> そげな状況以前に、奴隷を確保するために積極的に動いたのがローマの帝政だった
> (其は、私たちに植え付けられている奴隷観そのものになった)


 ‥そのような奴隷観は中世の間に、延々と続いていたのに、突如として市民革命が演出され
  あれよあれよという間に人権憲章なんて代物が登場した事に成る

  (そして、西洋独特の城郭都市とした街並みの姿も一様にして消えたのだった)

 ‥その当時の善の人間観とやらが、世界名作劇場に描かれている様に思われるも
  名作劇場の随所に登場する富豪と庶民との差についてにまではツッコんでは居まい
  それは既に過去形じゃんと問わざるを得ずも
  それでも私たちは、その辺を気にすることなく名作として扱っている

  (時代の狭間の矛盾というかジレンマというか‥それは、それでしかないからでもある)
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2024年12月03日

【ボケて痛っ】悪の本質─そのフラクタル性に及ぶ原点─

↓1)記稿.2024/12/03

> この世界は実験場である
> その実験とは、意識体が織りなす文明群の観察である
> その手の実験では、実験者側の予想と方針と経過観察が繰り返される
> その時、最も重視されるのは、「持続可能か?否か?」とした可能性と失敗原因の選り分けだ
> あと、退屈しのぎがてらの注目にたるユニーク個体の発見である


 ‥以上のような様相を呈すると
  その中身は学校教育のそれと然したる差なき状況を醸すらしい

  つまり、合格には合格域とした許容が付き纏うのだから

  その許容の範囲ながらの自由が確約されるなら、誰もそれ以上に挑戦しようなどとは考えない

  何をしようとも生かされている場面の方が多いのなら
  そりゃまぁ神なんか居ないとした悪事のやらかしだって、お互いの間にバレなきゃ好い
  という具合に隠蔽工作ありきとした割合が生ずる所にもならん

  お互いの間に秩序を保つ気概が生じ得ぬなら尚更で、割れ窓理論の如しだ
  (もっともそれとて、実験側のトライアンドエラーの果ての調合たる結果かも知れん)


> 実験側が如何様なる正しさを意識しているのかなど、実験対象側には理解不能だ
> というよりは、実験側とて
> 持続可能を為すに値する意識群の図面を知らんからこそ実験を繰り返すのだ


 (まぁつまりは、初期の予想が失敗だったので、延々と繰り返していたらこうなった‥みたいな)


 ‥ゆえに、予想と方針を超えてくれないのでは、すべては失敗の連続だ
  自らに矜持を抱き、その信念に従って行動をする様に成るのか成らないのか‥
  それが所謂、悪事ありきとて重要な兆しだった事に成る

  有り体のモブよりは、ずっと気が利いているとして注目したであろう

  それらを解析して、遺伝子を弄る繰り返しだっただろう想像に難くないところだが
  それはそれで、とくに優秀な意識群をより集めた文明実験もあったであろう


> しかしそれとて‥‥「上」を目指すことはあっても「正しさ」を目指す傾向は低かった‥
> 実験側とて、「正しき」を目指す傾向を高めるにはどうすれば良いのかを再認識したことだろう


 ‥簡単に述べると、実験側が取り扱う
  予想と方針の間には、必ずや、合格と不合格に許容が生ずるものである

  その許容を「寛容」「自由」として、勘違いしたままに甘えやらかすのが人類だった

  そして、それら上に立つエリート群にしたとて、お互いに凌ぎ合う程度には頑張るけど
  自らに矜持を抱き、その道に向かうとした傾向には疎かった

  というかその程度の意識群のやらかしの多くが、格差と環境破壊だった
  つまり、「持続不可能」=「悪」が蔓延るばかりだった


> 正しさ(全体的な持続可能)を求め抱いて、立ち進まぬ限り、正しさなど身に付かぬなり
> (科学万能主義程度では、永遠に辿り着くこと叶わず)


 ‥其を各々が自ら求めるようにと実験側が遺伝子改造したとて
  それはそれで‥協力し合うという流れには至らんかった草
  其れの状況を一言に語れば、「自由主義」「競争主義」「実力主義」「成果社会」となり

 ‥集団教育として取り扱おうなら、途端に「全体主義」などと罵り合う様を見せるらしい

  (まぁそれもこれも、実験側とて派閥ありきだからだろう)
  (それな傾向の入れ子式みたいな状況に陥るのも又、宇宙の性らしい)


 ‥もっとハッキリとした物言いをするなら
  実験側の「無知」含み故の経過こそ、実験地上の失敗に次ぐ失敗なり
  (そもそもの上からして「無知」=「悪」を抱えているのら)
  (そして、無理に躾けんが故に、多少なりの悪が欠かせない‥‥というオチを呈するらしい)

  (実験を進める上での個体に対する好奇心の%植え付け‥みたいな)
  (其の手の調整はやってみなけりゃ分からない=無知でしたオチどえす)


> それの状況を裏返して正当化しようとすりゃ
> 人類が学んで立ち進まないからこそ、悪巧みこそが、持続継続可能状態を見せている‥どえす
> (まぁバレたらバレたで滅するし、再起するのも悪意の類似やらかしなんだけどさ)
> (それにしたって、人類のエリート群とした注目がそちらに偏っているからなり)


 ‥それに依存しているのが「下」の労働群にございどえむ
  てめえの出来損ないさに甘えて、いつまでもてめえを「下」に戴いていたらまず無理どえす

 (正しさに歩み出すのに、上も下もニャ、しんどさが付き纏うか否かだけだったりするニャ)
 (それにしたって単純に、グレーゾーンなエリート群にこき使われるのと差なんてニャ)
 (今日と明日とその後のパンとサーカスが欲しいばかりだったりするだけニャん)


> とはいえ、ニャンと素晴らしい‥
> 依存だけは継続意欲ありなのに、其を自らでひっくり返すことだけが不能とか
> 実験側としては、あともう一息とした見立てなのだろう‥‥
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2024年12月01日

【ボケて痛っ】思い・想い・念いを纏うその纏い方の差に活路あり

記稿.2024/12/01

> 文武両道として「知性を纏う」「健康を纏う」「身体能力を纏う」等々
> 人とは、想念とは‥須くして「纏う(まとう)」ところ大なり


 ‥だがしかし、纏うと同時に選んでもいる
  「何を以て選んだのか?」とした所に大きな差が生じて来るものなり

  単純に、其れを欲したから、体験を欲したから

  としたそのままを保てるか‥といったらそれがなかなかに難しい


 ‥選んだ時点で、すでに、勝手気ままな価値を見いだしている
  それは事象に対する差別であり、てめえが選んだ優遇願望だったりせん

  宇宙には事象に対する優遇なんかねぇ、都合があるばかりだ
  其を、単純に其れを欲したからとした有り様だとすると

  そこに価値基準とした過ぎた色を足してしまえば、次の変化の用に遅れを取る所とならん
  必用に遅れを取れば、それだけ負の連鎖が大きくなるばかりだろう

  (物事の価値が均等である由を抜きに、お互いに尊重を貫くこと能わず)


> そして都合が悪くなる程に
> それに対する思い・想い・念いを積み重ねてしまい「重くならん」
> (思い詰めるほどに重くなっていく傾向にあるのは明らかなり)


 ‥てめえの価値基準程度なんざ、宇宙には通用しねぇ
  それはただ単にてめえの好き嫌いに入れ込んだだけの七つの大罪性ありきだ
  (傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲)&諸々とした思いこみ

  斯様な雑念やら煩悩を濃くしてしまっては
  「単純な其を体験したかったから」とした阿吽から遠ざからん


> 例えば、過剰なサービス(デマカセ含み)なんかがそれだ


 ‥向こうがそう言うからとして、馬鹿の一つ覚えみたいに迎合する意味なんかねぇ
  なのに、習慣的に言われるままにお得だからまぁ好いだろうとした迎合は身を危うくせん

  「要らんものは要らん」とした貫きも必要なり
  ただの口約束程度なら、忘れてしまうのもありなのら

  日本の文化では、その辺、アバウトにもアテにする傾向(性急さ)が小さかった
  だが、欧米との付き合いから、白黒ハッキリさせるように、用向きの白黒を強要されてきた

  お陰ですっかり、その辺の空気の読み方を忘れてしまったかの様に
  売り言葉に買い言葉としたバトル上等に陥っている
  (大人げない社会性の獲得にまっしぐらと禍した)


> そこから社会の認識を元に戻すには、それこそ、てめえの欲求をハッキリされるのみなのら
> お得だからとか、都合だからとか‥それらとは異なる隠れた自身の欲求に気を回すことである


 ‥てめえ自ら、そこに気が付いていかないと駄目と言うことである
  (まぁ気が付いたから正しいからとした性急さも又危ういだけなんだけどさ‥‥)
  (修正の仕方には、それこそ見直しと智慧と共感と支持が欠かせないのは、述べるまでもなし)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:12 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする

2024年11月12日

【ボケて痛っ】尊敬する人vs感謝する人

↓5)記稿.2024/11/12

> 高校入試の際の面接の練習とやらで例題によく出るのが
> 「尊敬する人は誰ですか?」とした問いである


 ‥今から考えると
  そこで、ボロを出すように「尊敬」と「感謝」を混同しているとした心理的な謎がある

  軍事社会なら、英雄やら武将の名でも挙げておけばセーフかも知れないが
  民主社会ともなると、質問者によってはアウトだ

  それでなくても、人権とした教育を受けているのだから
  人の尊厳は公平である‥としたバイアスが掛かるのだから

  そんなこんなで悩んだ挙げ句なのかは知らねぇが、自分の親を取り上げるなんて様を見せん
  (不景気×毒親うんぬん時代にも、そんな傾向を示すのかなんて知らねぇz)
  それに対して、駄目押しをするのが教師側の論調だが、適確な指摘を聞いた試しがねぇ


> そもそも「尊敬」に値するってなんだよ?
> 例えば、選挙って「尊敬」に一票すべきなの?、それとも「感謝」に一票すべきなの?


  ‥尊敬に値しないと思ったら、投票になんて行かねぇよ
  ‥感謝に値すると思ったら、政権交代なんか余程でねぇと起きねぇよ

 (なかなかに興味深い視点だな、未だかつて考えた事ねぇz‥ボケて痛っ)

  ‥日本の投票率だけ世界と傾向が違うなら、その辺の捉え方が違ぇってことだろう
  ‥そもそもにして、「尊敬する人は?」と聞かれて親と答えちゃう確率が高いのだからな
  (世界と較べた時のその辺の時系列とした内訳の差が知りてぇ、実に興味深けェ)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:54 | Comment(0) | 日記/2024 | 更新情報をチェックする