↓1)記稿.2024/03/21
> その昔の大本営発表をどんなに見返そうと「攻撃されました」なんざ出てこねぇ(ここ重要)
> それこそが日本軍が玉砕&神風やらかすほどに盲目的勇猛果敢を発揮した源泉だったくさっ
> (言霊パワーの極端発動の末恐ろしさ‥みたいな)
「大本営発表、我が連合艦隊は昨日未明に真珠湾を攻撃奇襲せり大戦果をあげたり」
↑という表現を今風の↓「される」表現に切り替えると途端にしまらない
「昨日尖閣諸島近海にて自衛隊が中国軍との防衛戦闘に突入、内閣から命令が下された模様です」
> ↑は、大本営を主語にしてもなんら違和感を伴わず、且つ、功績は現場にありとして伝わる
> ↓は、自衛隊の現場暴走では無しに、政府もとい内閣に責任がありますからとして伝わる
‥そもそもの「自衛隊が攻撃されました」では
攻撃を仕掛けたとも受けたとも解釈可能なので、勘違いを起こしやすい
(軍事用語としては不適切であり、区分が欠かせなかった)
> では問題です
> 「攻撃セリ」としたせり表現を、どうして戦後教育では学ばせなくなったのでしょうか?
‥ここが、実は、ものすげー迂闊なオチだった
明治の教科書はカタカナを用いて
「攻撃ス」と表記していた、そういう教科書だった
ところが、戦後からは「攻撃する」という平仮名での表現に変わった
> たったそれだけのそこの違いが「さ抜き言葉」の誤用解釈としたスタートだったくせぇ
‥攻撃スの「ス」の活用形は、「せ・し・す・する・すれ・せよ」
‥攻撃するの「する」の活用形がなんと
口語では「し(せ・さ)・し・する・する・すれ・しろ(せよ)」
文語では「せ・し・す・する・すれ・せよ」
つまり
そもそもの基礎段階で、すでに乱れているというおったまげオチだった(文科省こそが謝罪しろッ)
そこを伏せて尚且つ開き直ったかのように
「さ・し・する・する・すれ・しろ(せよ)」風の一択にしようと目論んだくせぇ
でもそれにしたって、それ、口語ですからね、文語とした公文表現としては不適どえす
(まさに改竄意識の推奨オチみたいな)
(そこで無理矢理に、「話せられました」‥なんて文語運用を登場させ、日用化しようとした草)
(敬語としての本則は「おっしゃりました」どえす、謙譲語なら「申す」どえむ)
(九州弁なんかだと、「ます」表現が苦手らしく‥「●●です」が圧倒的になるっぽ)
(九州弁なんかだと、「ます」表現が苦手らしく‥「●●です」が圧倒的になるっぽ)
(「仰りました」って言えねぇくせぇ‥徳川時代の恨みを未だに引きずってるみたいな‥)
(中身ツンデレかよぉってぐらいに、話しやがるデス‥という変化球が爆誕するみたいな)
(そもそもにして、「攻撃ス」を国語に選んだの薩摩の先祖でもあるじゃん)
(「島津つえぇ」なんて皆知ってるよ、その点に異論無し)
(でも、戦後にバブル崩壊後に完成的にポチに成り下がりました草‥そう言う流れどえす‥)
> 結果、「攻撃セリ」は軍事的な不適切用語群として葬り去れる命運だった草
> 結果、日本人は積極性を封印したも同然に陥り、チキンもといポチ症候群と科したのだった
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