↓3)記稿.2025/02/11
> エネルギーの違いを識るべしとしたエネルギー(意思・気力・好奇心)を持たずんば
> 別の形のエネルギーとした‥何かを認識し得ず‥(対象の多様性を理解し得ず)
> (※ 認識するに入り用なエネルギーもまた必要なり)
‥ヒトは、何かを認識できるようになると
世界観の拡大(カルチャーショック)に関心を向け
何かを期待しつつ、認識にエネルギーを回し、対象を確かめたり、予測して探したりとせり
(だが、其れとて長くは続かない、なぜなら‥)
次第に、認識する対象の違いを理解し、諸々の差を識別し始めるも
認識に回すエネルギーが枯渇することで、識別への好奇心に制限が発生し出す
結果、興味対象にも制限が発生し出す
(其は、先に知り得た事柄を優先しつつ、その記憶の中に埋没するが如し)
(成長過程のタイミングによっては、偏向、偏見、用不用厭きバイアスと化する草)
(斯様な諸々やら認識エネルギーの質・量・相性の違いから、その後の好奇心に趣向の差を見せり)
> この予測は、経済の頭打ちを簡単に示唆する‥‥
> (ゆえに先手を以て何らかの枯渇に辿り着いたなら、大衆の好奇心を印象操作したくなるだろう)
> (斯様な認識と試みは、他人のモチベーションを奪って、己が枯渇を避けるが如くなり)
‥そもそもの大量消費×右肩上がり×先食いとは、糞庶民と馬鹿にした扱いから始まりにけり
其を更に馬鹿にしたコスト削減の影で、ゴミ処理の不備症候群と禍するなり
一方で、オハコの掃除力と言えば「雇用の整理」のみ‥(ゴミ処理の不備症そのものなり)
雇用の変化が激しかろうと、人口は増えていく
もとい、好奇心の蓄積から多様化に見えれども、ゴミ処理の不備症候群はそのままだ
(食やら娯楽のタイトルからして、すべてを手に取るまでの暇がねぇほど膨大化する一方で)
(社会的にそれら多くは「お前は不要」とした利用率の停滞に結びつき、やり甲斐には程遠し)
(其はまさに、不健全・不衛生な環境下での整理整頓の投げだしに似かよりにけり)
‥物覚えが悪いとか、馬鹿だからとした思いこみ以前の課題として
まずは、自らに好奇心の頻度が心許ないと思うべし、認識エネルギーの不足差を疑うべし
対象を固定的に保持せんが為に、印象操作にも、モブな認識を多様化し続けるほどに
お互いに認識できるキャパを超えだし、取捨選択に無理が伴おう(其は罠なり)
そうに非ずとも、世代間価値観×育った環境(外部情報)ゆえのバイアスは起こりがちである
(そうやって、意見の不一致が頻繁に及ぶなり)
(情報に振り回されたいのか、てめえのやりたいを優先したいのか)
(基本的には、やりたいことからでしか好奇心からの繋がろうパワーは湧いて来ず)
(されど繋がっていたいのは、優位優勢な組織やらコネだったりとの矛盾あり)
‥結果、人々は認識の利便化を求めて、世代とした単位で、相互作用(単一化)してしまうのら
(言い訳の単一化もひっくるめて、それはあるあるとした方向へと傾倒せり)
其は又、貧富の差を絡ませ、追加の認識を得られるか否かとした環境の違いからの束縛を与えし
(豊かさは、主に外からの合理化(融合)をもたらし)
(貧しさは、主に内からの非効率(対立)をもたらす)
(勝者は常にフレッシュ×更新を求め、敗者は受け入れ負荷からもチェンジ×更新を嫌うのだ)
> 斯様な流れから
> 自らの好奇心の頻度・度合いに信頼を寄せる割合は、世間の満足度の低さに比例せるだろう
‥だがしかし、選択肢に多き経済は、見た目の満足度は上がれど
その実、誰しもは、日和見主義のままだったりなり
{てめえの好奇心}<{取りあえずの貯蓄}‥なのら
‥競争社会なんだし、誰も助けてくれないし、そうに思えば当然であり
定期的な消費行動を選択できるのは、それこそ持てる側の特権のままなり
(では、世間に等しく持てる備えを与えたら、定期的な消費行動のボリュームは上がるのか?)
(経済効果としては、そこがとても重要でデリケートな視点にあり)
(何はともあれ利権に絡む話でもあるからな‥)
‥一方で、エネルギーには、親和性による同調なり増幅効果も伴おう
反対に、苦手克服には、エネルギー消費の増加が付き纏うのだから、諸々と集中せざるを得ず
どちらを選ぶかなど決まっている
その手の束縛を億劫に思えば、いつまで経っても改善のもたらされること能わず
(ならば、世間に等しく持てる備えを与えたとて、其を、苦手克服に費やす比率は低かろう)
(一過性の楽しさを選択しがちな統計こそ{後々の閉塞感}={持ち前の日和見主義}なのら)
‥ならば、自由に使えないように用途限定とした制限と、強制利用を加味し
等しく持てる備えを与えて、其れ其れの工夫の試みに期待するのも有りであるな
だが、馬鹿の付く知識人は、直ぐにその類を、奴隷配給と野次って批判に奔るのら
(制度・政策には、期限を設けて、振り返る節目を設けるべし‥と語れば良いだけなのに‥)
(どいつもこいつも、利権の犬で阻止することに戯れを抱かん、其れが自由主義と言わんばかりに)
(効率効率として‥どうせ与えるならばと‥自由に扱える方向性にしか目が向いていないのら)
> では、もう一つの選択支として、過当競争状態の緩和を見出すべきであるな
> {競争へのこだわりを薄くする}={儲かり続けたい欲求を満たさずともやって行けそう}
> とした転換に結びつくなら、どうだろうか?
‥従来通りの過当競争ありきでは、国民性から来る日和見主義に改善などもたらされようも無し
身の回りの整理整頓を疎かにしてまで、明日を生きる為に、溜め込まんとする汗とは何だろうか?
気配りとなれば、尚更に「私が楽しんだ後でね」‥みたいなそれは何だろうか?
↓/続きを読む/↓