2025年02月01日

【妄想レシピ】ダブるな卵かけご飯

記稿.2025/02/01

> 最近は、胡椒も七味唐辛子も厳禁なので
> 卵かけご飯に「酢」を掛け足すようになった(慣れると結構イイ)


 ‥そして、出来上がった卵かけご飯の上に、温め直した味噌汁の残りをぶっかけるのだ
  そげな事を繰り返している内に、こう思うようになったz


 ‥卵かけご飯の上に、卵焼きをドカンと盛り付けたら「ダブるな卵かけご飯」だな

  いやいやいや、だし巻き卵でも良いだろう
  いやいやいや、中華風にあんかけ卵風もありだろう
  いやいやいや、洋風にトロトロオムレツ風もありだろう

  だが、トロトロオムレツ風までに達すると、一度に使うべき卵の量もパネェことにならん

  まぁ、卵料理の練習レシピとしてはありだな
  あと、気が付いたら‥余ってしまっていた卵の使いどころとしてもありだな


> トロトロオムレツを割ったら、中が、卵かけご飯だった‥風なオムレツを食ってみてぇ
> (まぁ卵かけご飯としてかきこむなら、丼に盛った方が食べやすいんだけど‥‥悩ましいz‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:35 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月31日

【ツッコミ隊】「期待・希望では、安全第一誰のため?」政治も科学も経済も

↓2)記稿.2025/01/31

> 例えば、世間は「トランプ2.0」で騒いでいる


 ‥相手はトランプなんだし、今更ながらに優しいアメリカも糞もねぇ
  それとも優しいアメリカを期待しつつ、戦争締結の両方を一気にお願いする気なの?
  そんなの末期状態の国家に期待しすぎどえす

  (お前らどれだけ傀儡主義思想にかぶれてるんだy)
  (其れで以て、傀儡主義の本質をなんも理解しちゃいねぇz)


  ‥まずは、バイデン側派閥への情報漏れやら、送金略奪されないようにとしたくせぇ
   米連銀の仮想通貨を差し止めて置きつつ
   てめえの名前を翳したビットコインを立ち上げたり
   米政府職員に、テレワーク禁止を掲げて、早期退職募集を迫ったりと

  何やら身内にも厳しいように見えているが
  要点が見えていれば何でも無い、只の派閥の都合でしかねぇ
  (まぁ何も知らんと「人権はどうなってんだ?」‥????なんだろうけどな)


 ‥不法移民問題にしても、工作員の出入りを封鎖したいと思えば‥持ち上げざるを得ず
  (正直・実直にやれない事情にあるのが、傀儡とした社会図なり)
  (マンガ表現なら普通にあるある理解だz‥‥マジにあるんだなぁと思うしかねぇ)
  (マスゴミ誘導が糞すぎるので、社会全体でギクシャクするばかりなり)

  (そもそも隣国に押しかけてきて)
  (言葉もルールも分からないから教えてくれ住まいくれ群衆を相手に、予算なんて出せるか!!!)
  (やれるとしたら一時的な保護までなり)

   ‥そこにある対立とした本質とは
    予算を付けない代わりに我が国の納税奴隷になって貰おうvs門外漢は帰れ
    (既に居る国民の都合などお構いなし)vs(今居る国民の都合の保護)

   結局の所、人権視なんざ、Aの見方とBの見方の対立によるどちらかの人権死なり


> 昔ながらの領内人道主義の方が、ずっと健全に見えり
> そういう視点で見ると、トランプはそれ以上でも以下でも無し(まさに時代の領主気取りなり)


 ‥まぁそれよりも、以前にも増して米国第一とした外交にはびっくらだ
  マジで凋落しそうだから、マジで背水の陣なんだろうけれど
  そもそもにして、気持ち悪く見える程に優しいアメリカを演じるメリットは一ミリもねぇ

  優しいアメリカを演じた結果、米国市場がリセット落ちしました‥では反って禍根を残すどえす

  その逆を征くことで、其を教訓に、優しいアメリカを演出していきましょうの方が
  筋が通って見えてくるかのようでもあるな
  (だが、誰もそんなのに興味なんか持っちゃいねぇ、そういう風にメディア慣れしてるからな)
  (そして、誰も本気で金融グレートリセットを見たいと思っちゃいねぇどえす)


 ‥そもそもビジネス相手の引き出しを最大に釣り上げるには
  先手を打って、無理難題を盛りふっかけ、駆け引きするのがノウハウとかなんとか
  (其を理解する富裕層エリート群からすると、トランプ2.0がお笑い番組にしか見えていねぇ草)

  貧乏育ちからすると、その手のノウハウを聞くだけでも卒倒するだろうz
  (世の為人の為とした心意気無き世界だったなんて「もうお終いだ」‥みたいな)
  (勉強だけできたって、物覚えだけ良くったって‥そこで凍えぶるって‥人生観が止まるのさ)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:30 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月29日

【ボケて痛っ】米ソ冷戦時代に、実は、核弾頭は何千何万何発も存在しなかった可能性!?

記稿.2025/01/29

> 日本に投下された原爆が、日本軍による水中からの自作自演起爆だった
> と言う情報はとても信じがたい
> (米軍が落としたと信じ込ませる為の偽装に、米軍が事前に模擬爆弾を使用しただけだった草)


 ‥だが仮に其が真相なのだとすると、米ソ冷戦時代に核弾頭は存在しなかったことになるのら
  プールサイズの大きさを運ぶことなんざ無理ぅ

  (西側の多くが地下核実験で、ソ連だけが空中からの投下実験を皇帝爆弾でやらかしているが)
  (その際にはB29の改良型と言われるTu-95を使用した)
  (この辺りの情報が如何にも原水爆は運べるものとした印象を植え付けてくる)

 (だがしかし落下地点は、まともな陸地に無き孤島みたいな‥‥ヒロシマと環境がそっくりやん)

  (それでなくてもジェット機の燃費は悪いのだから)
  (ミサイルに仕立てた所で、長距離を飛ぶわけねぇ)
 (それを印象付けるかのように、宇宙空間を飛行するとか何とかとした説明があるだけだ)
  (実際的にも、弾道ミサイルでの核弾頭実験例を聞いた試しがねぇ)
  (まぁそんなの「実験です」と事前に説明宣伝流したとて、それだけで国際問題&身内不信だz)
  (精精が通常爆弾による試験止まりなり)


 ‥だが今や、アタッシュスーツ爆弾などと言うレーザー水爆があるのだから
  核弾頭もありだろうけれど

  アタッシュスーツ程度の大きさと重さでホイホイつくれては、管理が怪しくなる
  そしたらそれはそれで、敵対勢力の首都と主要都市を同時に攻撃できる程度の数が想定だろう


 ‥そもそもが、ベルリンの壁崩壊で、核兵器バブルが弾けちまってるんだし
  その後に来たのが、潜水艦を主軸にした体制だったわけだけど
  潜水艦に搭載できる数なんて高が知れている

 (潜水艦の数を二桁台に載せればそりゃまぁ相当だけど、潜水艦に乗り込みたい奴は少ないのら)
 (そもそもその手の潜水艦て原潜じゃん、どれだけの原潜廃棄を繰り返すんだよ)
 (そちらの管理コストの方が馬鹿にならん)

 (しらばっくれて廃棄原潜を北の海に投棄してたけど)
 (海水温が上昇しすぎて手に負えなくなって止めざるを得なくなった草)

  (ガスタービン動力の潜水艦ならまだしも、原潜に乗り込みたい奴はもっと少ねぇよ)


> つまり何が言いたいのかというと、今まで世界を核戦争の脅威で煽ってきたそもそもが
> 「実は核戦争なんて不可能です」なんちゃって混じりのバイアス期間含みだった草


 ‥日本軍による自作自演起爆だったなら、そういうオチにもなるのら
  だがしかし、真相は一部の連中しか知らんどえす


 ‥ぶっちゃけ、支配層側に、核戦争をやらかせない事情があったからこそ
  世界中に毒接種をばら撒いたとの譲歩だったともツッコめるわけで

  それがまぁ事実なら、それはそれで、世界中で考え方が変わるだろう

  (軍のトップだって、庶民派に鞍替えしねぇと炎上しまくるz)
  (政痴屋の次に攻撃対象に成るのが軍人かも‥‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:23 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月15日

【フラクタル】教育システムとは?‥(学校が嫌いになりそうな四射)

向宜詠吟.2025/01/15


|学校は闇の巣窟一丁目 教師も予算も上から教
|教科書は嘘の巣窟三丁目 天動説から進歩せず
|進歩せぬ宿題奴隷・テスト奴隷 さぁ戦えや「偏差値コロシアム」
|偏差値コロシアムは娯楽で博打「トップな生徒を受け持ちたい」



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


 ‥学校とは、いつだってできない生徒は使い捨ての扱いだった?
  そりゃまぁ曽てまともな世間なら

  先生が卒業生に口を利いたりして就かせていた時代もあったらしい(かつて恩師の世界観)

  だが、世間が壊れているのだから、惨めなほどにそんなん瓦解してそう
  (だって、ブラック企業を紹介やらかしてたら、怨まれるだけだしな)
  (教師だって地元就職とは限らず、たらい回しありきだからな)


 ‥じゃもう実体は、偏差値コロシアムなだけじゃねぇかッ

  それの値のフラクタルと禍しているのが、上がらない賃金模様×非正規模様草
  (給料が上がっても、物価も税額も上昇しては意味なし‥‥何がしたいの‥)


> 人口減少による経年経過単位での国内経済のパイを偽装しておきたいだけ草‥‥
> 有事が来れば、それの偽装も無かったことにできる‥誰にも見分けが付かないz(みたいな)
> &物価が上昇するのだから、キックバック幅も同じ程度を保っておきたい(とかなんとか)


 ‥偏差値コロシアムという戦場にて、屍を築いたその屍の上で
  ドヤ顔戦士ばかりだったなら、未来なんか在るわけねぇ(無念観ゼロ症候群)

  それって、どちら様民族の死生観?(かつての日本独特‥なんかとっくに死ににけり)

  それで、ドヤ顔で、増税推しやらかしにけるが財務省なんだろう(厄災そのものなり)


> 学校教育とは、それ以上でも以下でもなきフラクタル構造に染まりにけり
> (そこからの改革とか、負の遺産の整理とか‥‥まぁ戦場だよね‥)


 ‥戦場に及ぶほどに、不出来は切り捨て・使い捨てなのら
  エリート群ほど、机上優遇だったりなのら(さすが伝統これぞお家芸そして不敗違いの腐敗なり)

  (誰にだってどこにだって、光と影があるけどな)
  (影押し・闇押しな世界観なんか日の本に非ず)

 (でもまぁ‥飼われているから、飼われるフラクタルがそこにあるばかりなり‥‥是非も無し)
 (ならば、てめえに才覚があったなら、賞められたら喜べと言わんばかりだな‥‥嫌なこったい)



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2025年01月14日

【フラクタル】人権の尊重とは、自尊心だろうか?誇りだろうか?それとも「ありがとう」だろうか?

記稿.2025/01/14

> 人権とは何を指し、何処を向いているのだろうか?


 ‥てめえの自分勝手が通るか通らないかで言うと、他者の人権については眼中に無いわけだし
  そういう都合に対して、自由競争とか、早い者勝ちとか
  挙げ句の果てに「負けた方が悪い」とか、「騙された方が悪い」などと‥捨て台詞を吐く始末だ

  そういう人柄による人権主張は、てめえの自尊心の尊重を中心に語るのだろう
  そういう一方通行な見方ありきなのも人権保障のストライクゾーンらしいz


 ‥一方で、同じ自尊心(プライド)でも
  経験に裏打ちされた是非から来る判断力とか、行動力になると、其を「誇り」と呼ぶらしい

  それはそれで、どことなく‥できる人の上から目線に聞こえる場合もあり
  でも、立場が下なら「No」を突きつける意気込みそのものだろう
  (前者より後者に人気が傾くにせよ、性質はまったく同じなのら)


 ‥誇り云々振りかざそうと、てめえの苦手事になるとタジタジだったりするのだから
  何を以て、誇りとしているのかは、とても曖昧で怪しけれ

  そげな尺度からすると、人権として守るべき誇りとは、継続的な生業の保障を指すのだろう

  だがしかし、需要を失えば供給の継続は無理な話だ
  ならば、誇りを抱くにも抱き続けるにも、需要を失わないように日々をやり繰りせざるを得ず


> だがそれでは、目的が誇りであって、てめえ勝手な誇りに堕ちる事でもあって
> 自尊心の一方通行とした其れと大して変わらないではないのか?


  ‥必要なき需要を、是が非でも継続するための悪意だってあるのだ
   其れのために、政を裏から操る類のオチだってあるのだ


   ならば、誇りがもたらす副作用とて
   人権保障のストライクゾーンとした中身に見えてしまうではないか‥
   (一般的に其を自由権とか市場原理とか、よくもまぁ言い得て奇妙であるな)

  結果的に多くのやり手が「結果悪意」をやらかす可能性を高く保持する事に成らん


  ‥其を全体俯瞰するならば、特定の社会環境が保持できればそれで良しとした塩梅に堕ちるのだ
   まさに、党閥制度の流れを醸すばかりだろう
   それではどうしたって、党閥闘争の存続こそが、人権保障の礎としたバイアスに掛かろう

   「‥そんなばかなぁ」と思わざるを得ずも是非も無し


> 一方で、不得手とする環境問題に及ぶと、世界中で無力三昧なんだから糞どうしようもねぇ
> ちびっとずつ善くなれば良いと思うにしたって、それは人間の都合でしかねぇ
> それはそれで「其れの何処に『誇り』などと呼べる実体があるんですか?」‥と問わざるを得ず


 ‥ならば、自由にほだされてきた人権音頭の全ては、単に標語だったらしい
  競争にしたってそう、物欲にしたってそう、誰かの為になんて言ってもそう

  「困っている人を助けたい」との呪文からして、どうしたって上から目線なり

  いつだってその呪文に対して「お前には困っていることが一つも無いのか?」
  と、ツッコみたくなるz

  とどのつまり「私を助けたい」と叫んでいるようなオチなのら
  就職できなかったら、真っ先に困るのはてめえ自身なんだからな
  人の良さそうな主張をしているようでいて、言葉に哲学がまるで無し


> 普通に「‥暮らしで困る要素を減らしたい、減らせる人になりたい」と言えば良いだけである
> すると、人権の尊重とはシンプルに「『ありがとう』のある暮らし」‥という事に成ろう


 ‥その言葉には、上も下も無い
  謝意としたリターンが伴うなら、双方向なのら
  まさに、人権の尊重とした足取りが見えてこよう


 ‥そもそもにして、困りごとなんて奴は、時折に湧いてくる迷宮みたいなものなのら
  そこには、迷宮に挑む自由があるだけで、無理と思ったらスルーするのも日常だ
  但し、放置しといて安全であるとの保障に無きが、迷宮暴走とした暗雲なのら

  なので、無駄に迷宮が湧いてしまうような社会の有り様を人権の尊重とは呼べん
  政府や行政が、無力すぎて機能していないと思うような日常は其れそのものなり

 ‥ならば、其れらを裏付けているルールや体制すべてが、結果悪意の塊に見えて当然である
  されど‥どうにも勘違いクソッタレが多すぎる

  そもそもが、自由にほだされすぎていて、人権の尊重の捉え方が怪しいからに他ならん

  何はともあれ、結果悪意を認識できなければ、当然の成り行きのまま消失に向かうばかりだろう


> 迷宮をレベル上げの為だけの都合の良い道具に思うか
> 迷宮からの利とて、過ぎたるは及ばざるが如しとして、必要以上を望まないと判断するか
> 迷宮暴走にしたって、其の真実が、欲とか血の気の多さとか人間側の性質の変容含みだとしたら
> 異世界妄想にしたって、現実社会にしたって同じくせぇのら


 ‥自然界からも迷宮からも、謝意を賜れるぐらいが丁度良い
  人権の尊重を口にして語るなら、そういうフラクタルであるべきだ



posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:39 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月10日

【フラクタル】{創造}={幻想}なのだから‥

↓3)記稿.2025/01/10

> 常識的にも、私たちの夢見や空想は、全て妄想扱いである
> 貴方が、バリバリの唯物主義者なら異論を唱える余地などなかろう
> では、それが入れ子式だとしたら‥‥物理的な物質としての本質はなんだろうか?‥


 ‥宇宙の存在性からして誰かの妄想だとしよう
  其を創造と呼ぶにせよ、偶然の産物と思い込むにせよ
  妄想は全て幻想であり、実験的であり、不確実な要素の塊であり
  それ以上でもそれ以下にも成らん(そういう類の産物なり)


 ‥で、バリバリの唯物論者なら「だから死んだらお終いなのら」と叫ぶのだろうけれど
  「宇宙の死とは何だろうか?」‥とした問いをスルーしたまま答えを得ちゃいまい

  宇宙自体の死の定義を問わずして、死んだらお終いなどとはコレも又妄想の類なり
  どの科学者もソコを端折って、ブラックホールに飲み込まれる想定を死と思い込んでいる

  だが、銀河にしたって何だかんだの再生の繰り返しの産物に見えるし
  ブラックホールに飲み込まれる規模にしたって、宇宙の大きさからすれば高が知れている
  観測不能なほどの規模の宇宙を相手に、勝手に、規模の制限を想定するには気が早すぎる


> とどのつまり、宇宙の死とした現象を誰も知らん(想定不能)


 ‥そこで、宇宙が不死なら
  生命の根本からして不死と考えるべきが入れ子式・フラクタルとした見方なり

  そこからの想定で、不死なら不死で、何者かが創造を繰り返しているとの定義をせざるを得ず

  されど、それとて妄想の域を脱してはいまい
  ならば、実験の域を突破してもいないのだ

  だが、私たちからすると、すべてが保全されているかの様に見えり
  だが、未来が変われば過去も変わると語り出されては、それとて怪しけれ
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2025年01月09日

【フラクタル】多様性とは何か?

↓4)記稿.2025/01/09

> 記事1:「僕には生活費すらない」地方公立校から塾ナシで東大合格→仕送りナシで“貧困生活”…地方出身の東大生が、入学後に突きつけられた“厳しい現実”
> 記事2:“エリート育ち”の東大出身者は「普通の日本人」を知らない…両親高卒・地方出身の“苦労人”東大生が、大学入学後に抱いた違和感の正体



 ‥↑の記事を読むに
  エリート層の考える多様性とすそ野庶民の考える多様性には、隔たりが存在せり‥‥
  ということで、その違いとやらをお題にしてみた‥


 ‥例えば、マンガ・アニメでは、ツンデレ富裕層と庶民主人公との接触とて、普通に演じられる
  すそ野庶民からすれば、もとい、制作群やらオタク群からすれば
  これこそが多様性だ‥とかなんとかバイアスが掛かるわけだが

  現実ではなかなかそうに非ず、それはなぜだろうか?


  ‥単純にエリート側の考える多様性が、技術の融合・応用・複合とした方向にしかないなら
   そこにあるべきは、合理性×有用性×有益性であり
   結果的に、真新しさは誕生すれど、活用段階での理解を得られるかは経費都合に左右されり

   そして、それがエリート側の椅子取り競争を兼ねた最もらしい多様性・変化性方向だとすると
   お互いに鎬を削れば削るほどに、不思議なお約束の如き閉塞方向へと向かうのだ

   なぜなら、それこそが
   需要の先食いよろしくな、合理性×有用性×有益性としたやり口の流れだからだ
   (儲けてこそ、カネを動かせてこそ、エリートの椅子に座れる‥みたいな)


  ‥結果、新しく便利な何かが登場すると
   「ローカルな技術なんて要らないよね」とした勢いとともに、そぞろに廃棄提案にも及ぼう
   エリートのやらかす多様性には、なぜかその手の供給手段の選別までを含むのだ


> 著名人でさえスマホ一つで十分だとかなんとかの片手間で‥多様性をドヤ顔で主張する程だ‥


   ‥其は、どう考えたって多様性とした見方を履き違えている

    それの呟きは、スマホを介した多様の可能性なだけであって
    現実的にはまだまだ未成熟×不整備な状態のそれでしかない

    発展途上×理解度不足とした全体像がまるまる抜けているにもかかわらず
    誰しもが器用に扱えるとは限らないのに

    呟いたエリートの使いこなしレベルを基準にして
    ある程度の成功例が挙がろうなら、ローカルな技術の不要にまで繋がっていく有り様だ

  「これからの時代はこれです、皆さんのお仕事も便利に様変わりするでしょう」‥みたいな

  ‥性急すぎる其れは、どうしたって多様性に理解があるとは言い難い
   &てめえがエリートだからこそ、それだけ使いこなせているとした自覚もねぇ
   &新しき利便性を全ての者が扱いきれるとは限らない

   「古いと思ったら他の全てを捨てるのもあり」なのは、あくまで個人の自由の範囲であり
   「社会全体としての必要性がゼロに成るとは限らない」とした前提を無視している


  ‥とはいえ、社会現象として、過半数が同意しようものなら
   スマホの様に影響力が強い事象ほど、其れとした流れを醸し
   「右に習え」になって行くのだから、どうしようもねぇ

   結果、エリートだろうとローカルな技術を忘れていくのだ
  (其は、被災した際に、天秤棒を使って運ぶのもありとした意見が出て来ないのに等しい)


  ‥エリートだろうと誰だろうと、社会現象として片寄りすぎた後のことを誰も知らん
   一世代前の技術で言えば
   誰の目にも使い勝手の明白だったポリ袋やらプラスチックとした変化でさえ
   最終的にはマイクロプラスチック問題を招くに至った

  かつて空き缶のプルタブ問題にしても、そもそもは、人類のポイ捨て癖から来ている
  今やエリート層が、技術のポイ捨てをやらかすほどなのだから相当なのら

  (3Dプリンター技術さえ有れば良いなどと抜かす科学者もいる程だz‥)
  (宇宙対応とした意見らしいが、汗を掻きたくない人の発想すぎて糞)


> 結論としては、こう問える


  {掃除&整理整頓を疎かにする様なマヌケ}
 ={古き価値観を保全できかねる脆弱性}={環境を含む全体に及ぼす調和意識の低さ}

  ‥どうにもエリート層にはその怪が強いらしい(坊っちゃん嬢ちゃん育ちなら尚更草)
   &利権混じりにも、コスパから、古きを新しきに置き換えることに夢中で
    其を多様性とした方向だと思い込み、モチベーションとしている節がある

  結果的に、人付き合いにおいても、目的やら目標に適った人材との交流を好むのが流れで
  其も又‥すその庶民の思う公平×尊重なお付き合いからの多様性とした見方やら要求とは異なり
  それこそ、自分たちの目指す方向性から外れた人達は置き去りなのだ


> どうしたって斯様な流れを多様性とは呼ばん
> だが富裕層にはローテク好きも登場するのだから、技術的には保存性を示すっちゃ示すわけだが
> そこに騙されている節もあるのが、多様性とした言葉の一人歩きなり
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2025年01月08日

【フラクタル】衛星軌道に捉まる隕石群と捉まらない隕石群との差

↓2)記稿.2025/01/08

> 太陽系の公転軌道に位置する惑星は、元から太陽との繋がりを持つと言う
> 親子のような関係やら状態を派閥として扱うと
> 惑星の衛星軌道に捉まる隕石群と捉まらない隕石群との違いとは何だろうか?


 ‥衛星軌道に捉えられるには
  想定内の角度とスピードを保って、浮遊して来る必要がある
  条件に合致すると、衛星軌道に静止した様になる

  (其は、組織や派閥に入るための条件やら適正に見えてくる)
  (但し、加速力が残ってると離脱あり‥それはそれで人工物な可能性あり‥みたいな)


 ‥とはいえ、その手の隕石やら岩石群が、惑星派閥、太陽系派閥に属さない様に見えても
  銀河系を経由する際に、銀河系の影響を帯びるに代わりがない
  だが、それを銀河系派閥に属しているとは言い難い
  とはいえ、銀河系を抜けられずに、吸収されてしまえば、属したとの解釈も成り立とう

  そもそもその手の隕石群の旅とは、何なのだろうか?
  地上にも渡り鳥の様な概要があるが、其れのフラクタルなのだろうか?


 ‥私たちの暮らしにしたって、そういう役回りみたいな暮らし向きの差がある
  派閥に属していれば、それだけレールに乗り続ける事に成らん
  派閥に属さぬ・せぬならば、隕石群のような旅を余儀なくせん・されん

  其を自由とした概要で問うと

  惑星派閥に属した方が安定的に見えはするも、隕石群の様な気ままな移動は無理である
  どちらがしょうに合うかとした見方があるのみで
  私たちが考える職業選択の自由諸々からして、惑星軌道云々に置き換えるとその程度らしい


> では、そのどちらがしょうに合うか?‥としたそのさがは、どこから来たのだろうか?


 ‥銀河系同士の衝突にしたとて、それは合意だろうか?、それとも不本意だろうか?
  片方を「和合」と呼び、片方を「葛藤」と呼ぶにせよ

  しょうに合うか合わないかとした中身でしかない(そこには道理も理性もねぇ)


> もとい、宇宙からして、始めから己に従うことを道理(本能)とするのだろう
> だが、お互いに意思疎通を求めるならば、それはその時点で破綻せり
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:44 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする

2025年01月02日

【ボケて痛っ】問いが生くる生物なら、答えも生くる生物なり

↓3)記稿.2025/01/02

 人生の中で同じ問いを何度も繰り返す
 これで十分満足とした解を得る場合もあれば、そうで無い場合もある
 どちらかというとそうで無い場合の方が多い

 その場合、解は、保留・先送りとならん

 同じ問いにしたとて、解はほぼ同じでも
 加齢と共に見方が違っていたりする、其は、解き方・説き方が変わる様な話だ


> 何度も何度も、馬鹿みたいに、同じ問いを繰り返す(其はとても不思議な事象である)
> 其は誰しもの中に、教師と生徒の役回りが存在するかの様な悩ましさだろう


 ‥私が先生の立場なら、生徒が入れ替わっている様な中身だ
  私が生徒の立場なら、先生が入れ替わっている様な中身だ

  先生の立場なら、理解させたい・してもらいたいと思うだろう
  生徒の立場なら、こちらが納得するまでやり込めたいと思うだろう

  (其は、善と悪とした対峙にも見えり)


 ‥だが、これを職業に置き換えてみると、請負と依頼の関係にも見えてくる
  そこにあるのは、課題と対応だ

  それはそれで、同じ様な課題が続くのも不思議なバランスだが
  時には、難題が降ってくる場合もある
  時には、同じと思って同じ対応なり処置をしたとて結果が違っていたりとせん


> まさに、問いが生きているなら、答えも生きているかの如しである


 ‥この世の全てが斯様にも
  入れ子式・フラクタルな形状として、生命側の思慮を刺激し続けるとするならば
  生命の存在性とは、事象の繰り返しを余儀なくし、仕向けている何かなり


 ‥己に限界を感じて無理として投げ出していると
  入れ子式・フラクタルな形状として、同じ馬鹿・あきらめを繰り返すのが定めとなり

  限界を突破せんとして、どのような選択をするかもまた
  入れ子式・フラクタルな形状として、同じく繰り返すのが定めにならん


> ならば


  その区切りなり端境を選べるとした認識を抱くか抱かないかの差と
  抱いた後に、何らかの創意工夫なり行動をするかしないかの差が大きくもあるのだろう

  だとしても

  工夫をすればするほどに、その必要に追われるとした怪しい構造とも言えようか
  行動をし続けるにしても同じ事なのだから
  前に進むことしか頭に無いとしたパターンも又あきらめ同様に、自らの首を絞め出すのだ

 多様性を己の中に持ち込めない者から尽きやすい(厭きやすい)とも言えそうであるな


 ‥世界が、構造的且つフラクタル色な化け物として
  生命側の活動を取り込もう・折り込もう・擬えようとするならば
  どうしたって
  「yesとno」「onとoff」「アクセルとブレーキ」を細やかに使い分けるべし


> 其を怠る者に幸福などやってこない、来たるは降伏(依存)のみとした次第らしい
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:53 | Comment(0) | 日記/2025 | 更新情報をチェックする