2026年06月16日

【AI質疑】なぜ西洋圏のかつて国王たちは教会に跪いたのか?‥その真相が明らかに‥(パネェっ)

↓5)記稿.2026/06/16

> そのグランドデザインとした一連の流れに開いた口が塞がらねぇ
> 学者が正確を記して示そうにも、口をパクパクしてバグるしかねぇトンデモだった
> (AIからして、その説明にバグを噛ましていた程だからなぁ)


 ‥西ローマ帝国崩壊へのゴート族と教会のトンデモな奇跡と間柄(ここが肝)


AI質疑:ゴート族とは - Google 検索.htm
    :古代ローマ帝国が放置していた蛮族とは - Google 検索.htm


 ‥さて、騎馬民族とやらが地球史を計画する側の調整弁にあるらしい
  フン族にチートを与え過ぎて弄りすぎても、モンゴル軍が消し去るという裏があるっぽ
  さらに足りなきゃ、ペストで消し去るどえす
  この三段構えがあるからこそ、後からこっそり改造タイプを遡って置きに行って来れるのら
  (ん?なんのこっちゃ??)

  おっと、まずはローマ帝国のやり過ぎへのお仕置きとしてのフン族の仕立て方がムズいのら

  フン族の脅威に押し出されて、辺境の蛮族扱いだったゴート族が動き出す
  フン族の脅威を前に、共に手を取り合わざるを得なくなった西ローマとゴート族
  (帝国だから絶対君主制と思いきや、ギチギチの議会制だったとした理解が無いと理解不能)


> その昔、キリスト教はローマ帝国から異端視されて迫害されてましたとさ
> それが突如として、皇帝がキリスト教に跪いたどえす(よくよく考えてみると意味不明なり)


 ‥時を遡ること、多神教が日常だった当時、ローマ市民の感覚がなぜか選民思想だった
  ローマの支配域が拡大されていく度に自惚れがすぎていったどえす(どこも同じらしい)

  拡大時期としては多神教は強力だった
  だが、ソレがすぎると只の我が儘放題でコスパが悪かった(とくに議会側)
  それを黙らせる為にも一神教が求められたという下り(なんのこっちゃ??)

 (現代の自由化意識が猛烈しすぎて、もはやココの説明だけで授業の1時間が終わってしまいそう)


 ‥キリスト教の神は「全知全能で、人間の心の中の罪まで常に見ている」という神です。
  大衆がこの神を信じれば、国家がわざわざ警察官や監視の目を光らせなくても
  大衆が勝手に「神の目」を恐れて法律や秩序を自守してくれるようになります。
  心理的な統治コストがほぼゼロになるわけです。

 (AIの見立てにしてもピンと来ねぇ!!‥‥ヱ★マジでそうなの??‥‥)


> それでは、迫害の果てに追い詰められていたキリスト教側の経営を想像してみませう
> (いやぁそれにしても熱いですよね、その信仰心、何のトクがあるの?‥みたいな)


 ‥弱者の救済を謳う初期のキリスト教は、多神教からすれば、ぼっちな集団どえす
  なのにその経営幹部らは、外圧や外敵から身を守ることもままならず
  頼れる見方も少なく‥神など居ない‥とした異様な背景を背負いつつ‥信徒を募るどえす
  (ぶっちゃけ、その時点ですでに矛盾の集まりどえす)

 (其を例えるなら、「チ。」の地動説側の陣容が、当時の教会側だった‥そんな感じ‥‥)

  ‥残念ながら、その現実を直視すべきは無論、経営する側だけの話どえす
   信徒からして見れば、なんのこっちゃ??‥と言わざるを得ず
   「だって神様が守ってくれるんでしょう」‥みたいな


 ‥‥ぶっちゃけ、キリスト教をネタにしたその手の真面目に見える異様な神父のあるある‥‥
  「人生とは試錬なり、修行なり。より慈悲深き懐を理解できるようにより深くお導き下さい。」

  当然、一般大衆は
  その真面目ぶりを志の固さとして捉えることで、神からの加護があるかのように錯乱するどえす
  (まさに丸投げ信徒、丸投げな他力本願ぶりぶりなのら)


 ‥でも、実際にはまるで加護など無いのだから、丸くなってるだけでは経営を回せません
  (持てる者からは目一杯寄進寄付を掠め盗り、待たざる者には施しを‥)
  (どうにも矛盾の日々だったどえむ)

  そこに神の慈悲の如き皇帝のひざまずきがやって来たどえす
  心細く経営してきた側からすれば、まさに「神の奇跡」だったでせう‥(エグい)


> ところが、信徒の見方はまったく違うのら
> 「俺たちの信仰が政治に利用されるのではないのか?」‥‥ヱ★マジ、ここでソコ??‥‥


 ‥‥お前らのなけなしの布施(ぶっちゃけの野菜とか)で回ると本気で思ってるの!?‥‥



1-5)1

> ローマの皇帝の定義をまず理解しませう


 ‥議会制を重視する背景は、ローマの前身にあります
  ぶっちゃけの自由都市国家だったらしく、ぶっちゃけの利権主義どえす
  なので皇帝ですら利権の雇われどえす(ここ重要)
  (例えるなら、明治維新でのすり替え天皇制度と同じくせぇ)

  とはいえ、そんなの誰も知りません、絶対君主制とした認識どえす

  ‥なので、騎士や兵士からしたら、皇帝に右に習えとしておかないと出世に響きます
   改宗を渋れば、地方に飛ばされかねません(そういう心理操作どえす)


 ‥無論、議会制は議会制で利権の雇われどえす

  利権の雇われ同士なんだから「阿吽だったんだろうがッ」と思うところなのですが
  議会の思惑は、これで以降の皇帝も全部、教会を利用すれば抑制可能とした値踏みでした
  (ぶっちゃけの賄賂前提のダメな集群でしたん)
  改宗はしたくないけれど「赤信号、皆で渡れば恐くない」合戦だったのれす


> そしてやってきたのが「教会に財布を握られるかも」の流れでした
> 皇帝が教会にひれ伏した段階で、教会の立場が上になりました
> キリスト教会に「教皇」の爆誕どえす


 ‥教会は今まで散々に苦しめられてきた思いの裏返しに突っ走ります
  異端を押しのけるように、皇帝に命令を下しました
  議会にしてもとくに反対する意味合いはありません



1-5)2

> はい、ここで西ローマ帝国の予算の状況を確認しておきませう
> 時は、すでにゴート族が動き出した時期と重なるどえす


 ‥遠方から木材を手配せざるを得なくなった段階による経費増大。
 ‥役人の数が慢性的に膨れあがる事からの経費増大。
 ‥キリスト教を国教としたことに因る経費増大。

  増えることはあれど減ること無し。

  西ローマ帝国ほど、気候と農法の都合から、分かってしまえば丸わかり
  ゆえに、蛮族が帝国領土内に入り込んできても、利用せざるを得ず


> そのゴート族がなんとすでにキリスト教だった(異端:アリアス派)


 ‥異端だったにせよ、それ、多神教よりは身内とした解釈が可能だった
  教義に混乱をもたらす流れだったが、教会はなんとゴート族を手懐けることにしたのら

  なぜって「奴らは文字が読めん」なら「手なずけてしまえばイイよね」

  居場所を求めて乱入してきた立場からして見れば、教会から期待されて悪い気はしねぇどえす
  そして、渋々としながらも改宗に及ぶのだった
  そして、悲願のフン族を退けるに至り
  そして、ジリジリとしたゴート族の取り込みが功を奏して、クーデターはなされ
      西ローマ帝国の消滅せり


> そして、西ローマ帝国の残骸領地を教会側が掌握
> 斯くしてカツカツで全滅しそうだった南欧の奴隷民は、半農奴半出稼ぎ民へとアップデートせり



1-5)3

> この時点での教会はまだシロでしたん(ところが)
> 教会は発見してしまったどえす、兵士達が死者の亡霊に苦しむという事実を


 ‥ここからが、キリスト教会(カトリック)が真っ黒に染まっていく流れどえす
  兵士達の暴走を制御せなぁ明日が無いので、その死者の亡霊に苦しむ様を利用し始めましたん

  「免罪符」の爆誕どえす

  字が読めない当時のゴート族もといゲルマン系は
  その教会のはじめだした免罪符もしくはその手の甘言にすっかり泥酔しちまいましたとさ
  (除霊効果があったのかはとても怪しいのだが、まぁ死んでからの話だからなぁ)
  (ソコに登場するのが「試錬」どえす‥‥乗り越えれば救われるみたいな‥‥)


> 超チョロくて、超画期的、もはや教会に逆らおうなんて蛮族風情は居ませんでした


 ‥そして警察機能が心許なかった教会は次の手に出ましたん
  それが「異端狩り」どえす
  傭兵崩れを雇い、警察機能を立派にさせる上で最も効果的だったのが「異端狩り」でしたん

  結果、なんと、数々の拷問道具がつくり出されたどえす(パネェっ)
  (もはや、真っ黒にまっしぐらなり)
  (そこで得られた知見が、後々の医学へと続いていくどえす‥‥どんな医学だよ‥‥)


> ところが、平和が続いてしまうと免罪符の効果が薄れてしまいます
> だって、殺し合わなければ、誰も死者の亡霊にうなされませんからね


 ‥教会にしても、戦争をして貰えないのでは困るという事情が発生しました
  そして教会が背後から操るかのようにして、その戦争は百年も続いたとさ
  (もう、すっかりと真っ黒どえす)



1-5)4

> 西ローマ帝国が崩壊して324年後の世に、カール大帝(フランク王国)の登場せり


 ‥カール大帝の死後
  広大な帝国は彼の3人の孫たち(長兄ロタール、次兄ルートヴィヒ、三男シャルル)に
  引き継がれるはずでした。
  しかし、長男のロタールが
  「長男だから、俺がお前らの土地の上流(皇帝位)として君臨するわ」と
  上から目線でイキったため、激しい内戦が勃発します。


 ‥その時、長兄と次兄が、皇帝になりたいから冠くれくれ皇帝オタクちゃんでしたん
  三男だけだが違ったどえす

  三男がフランス部を押さえ、次兄はドイツ部を押さえ
  長兄がその間を満足げに手にしましたん(有り得ねぇ)
  西欧が縦に三つに分断されましたん


> はい、すでにお気づきでしょうが、三人ともカール大帝の手前、教皇には逆らえません


 ‥オマケに、皇帝とした称号が欲しかった次兄ルートヴィヒは
  何だかんだとした冠と引き換えに、ローマに通い詰める流れに成りました
  (1年2年とした留守がざらでしたん)
  結果、ドイツ部周辺の諸侯は勝手気ままをやらかし出します
  結果、ドイツが三百分割に及んだどえす

  (ここがフランス部とドイツ部の分かれ道になった草)


> そんなこんなで、教会はそれぞれの国に対しも、教会税(十分の一税)を要求したままです
> (なんというボロ儲けでせう)



1-5)5

> そのような横暴への鬱憤が、ペスト禍においてメッキが剥がれ
> ルターからプロテスタントへのうねりになっていきます


 ‥ところが、農地的な限界による不満は続きます
  そうなるともう、カトリックのやり方にも「一理あり」とした理解へと及び
  縄張り争いの終止符を打つべきとした三十年戦争が勃発しました

  結果、カトリックが「皇帝利権」を独占してきた時代が幕を閉じましたん

  以降「プロテスタントの王とプロテスタントの教会」の間で
    より洗練された近代国家のシステムとしてリブートしだしたどえす


  ‥とはいえ、イギリスによる三角貿易はすでに始まっており
   スペインがかつての栄光を取り戻さんとして多方面作戦をやらかしていたどえす
   その時のスペイン宰相オリバーレス公伯爵(ガスパール・デ・グスマン)が
   とても典型的な伝統主義者にあるある負けコンボだったどえす

  1588年:アルマダの海戦(スペイン艦隊イギリス艦隊に敗北)
  1618〜1648年:三十年戦争(スペイン、カトリック側にて参戦)
  1789年:フランス革命(※但しフランスは国としてはカトリックのままだった)

  (このフランスの腹芸のせいで、カトリックの威光が演出され続けたどえす)



posted by 木田舎滝布麓 at 20:44 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする
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